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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


イフタフヤーシムシム


SCENE-[0] 君が呉れた物語の始まり


「これだよ」
 そう言って、この奇妙な店の店主らしき女――――先刻、自ら「碧摩蓮」と名告った――――は、奥から抱え持って来たモノを、薄闇の中妖しげに艶光っているマホガニーのホールテーブルに載せ置いた。
「さすがのあたしも、ちょいと扱いに困っててねえ。どうしようかと思案してたところに、お客人のご登場。これはやっぱり、この品物があんた達を喚んだとしか思えないね」
 碧摩蓮はくすんだ笑みで唇を染め、ボタンニングレザー張りのウィングアームチェアにどっかと腰を下ろした。身に纏ったチャイナドレスの衣擦れの音ひそやかに、深すぎるサイドスリットから覗く脚の皓さが眩しい。
「この店に苦もなく辿り着くことの出来たあんた達になら、何とかなるだろうよ」
 スリットの隙間に吸い寄せられた来訪者の視線を愉しむように脚を組み替え、碧摩蓮が流し眼を呉れた。
 しかし苦もなく辿り着いた、などと言うが、実際には、突然の吹雪に追われるように街を彷徨い、気が付いたら店の前に立っていただけのことなのだ。兎にも角にも一時の暖を、と思いつつ扉を開けたらそこは褪せた闇に蔽われた空間で、碧摩蓮の言を信用するならば「アンティークショップ」なのらしい。
 アンティークショップ・レン。
 どれが商品でどれが私物なのか区別の付かない品物が種々並べ立てられたその中に、紅髪の女店主が一人。
 眼前のホールテーブルには、店主の持ち出して来た一品が、
 一品が、

 無い。

「……なんだい、そんな不思議そうな顔して」
 碧摩蓮が微笑った。
「モノが見えないって言いたいのかい? ああ、そうだね、あたしにも見えないよ。その上、よっぽど心してかからなきゃあ、触れもしない」
 触れない?
 だが、さっき、碧摩蓮は「これ」を手に抱えてテーブルの上に――――、
「つまり、こういうことさ。有ると思えば有る、無いと思えば無い。……世の中なんざ、大概、そんなもんだろう?」
 碧摩蓮はもう一度脚を組み替え、気怠げにテーブルに肘を突いた。
「あんた達に頼みたいのは、この眼に見えない代物の特定なんだ。これの重さは……、一キロくらいか、一度持ってみれば分かるよ。もしかしたら、持つ者によって違う重さに感じられるかもしれないしね。手触りで確かめたところ、形状は箱形。あたしは、その箱の中に何が収められてるのか知りたいんだ。見えないのは箱だけなのか、それとも中のモノも同じように見えないのか。だとしたらそれは、人間の眼に見えたらマズいモノなのか……見るための何かを今のあたし達が持っていないのか。いずれにしても」

 視覚に反抗する品だ、興味、あるだろう?

 碧摩蓮のそんな有無を言わせぬ態度に接し、胸に湧いたのは、淡い諦念と色濃い好奇心だった。
 見えない箱の、その内側を覗いてみたい。
 皆の視線が、何も無いテーブル上に注がれた。
「……あぁ、そうそう。もし、この件が解決したら、報酬はそれなりに支払うよ」
 言うなり、碧摩蓮は、テーブルの上に翡翠の珠を散らし置いた。
 蓮の葉に降り落ちた大きな雨粒のような翠の煌めきが、昏い店内に仄めいた。


SCENE-[1] 不可思議な店


「あんた達、先ずはこれに名前と連絡先を書いとくれよ」
 店主は、手近なファイル・キャビネットの中から、分厚い記名帳を取り出してドサリとテーブルの上に置いた。僅かに埃が舞い立ち、テーブルを囲んでいた四人はそれぞれ、ほんの少しずつ顔を背けた。
「名前と連絡先? 僕達、偶然この店に立ち寄っただけなのに、どうしてそんなものが必要なんですか」
 今夕の客人が一人、明るい碧眼を長い前髪で疎らに垂れ隠した黒髪黒服の美青年が、記名帳と店主を見較べ乍ら訊いた。
「偶然――――ね」
 店主は口の端を上げ、アームチェアをぎしりと軋ませた。
「偶然でも何でも、この店をみつけることが出来た時点で、あんた達は『特別』なんだよ。分かるかい? 普通の、此の世には何の不思議も無いと思い込んでる連中には、ここへ辿り着くことは不可能なんだ」
「ふぅん……、特別、ね。でも僕、ここへ来たのは二度目ですよ。確かあの時も、特にどうということもなくこの店をみつけられた憶えがありますけど」
「あぁ、じゃあよっぽどあんた気に入られてるんだね、この場処に。それなら尚更、名前を残して行っとくれよ。次にまた何か頼みたいことがあった時、便利だからね」
 店主の一方的な言い様に解せぬものを感じつつ、青年は、まあいいか、と呟いて記名帳の脇に置かれたペンを執った。
 【 向坂愁 】
 名を書いて、下に連絡先を添えると、すぐ隣に立っていた青年にペンを渡した。
「はい、レン」
「……ああ」
 レン、と呼ばれたその青年は素直にペンを受け取り、名を記した。
 【 香坂蓮 】
「へえ、あんたも蓮っていうのかい」
 名に続けて電話番号を書いている蓮の手許を覗き込み、店主が大きく眼を見開いた。
「ああ、……偶然の一致だな」
「偶然辿り着いた店の店主と、偶然にも同じ名前だって言うんだから、あんたも相当だねえ」
「相当……?」
「相当気に入られてるってことさ、この店に。もしくは、この店に置いてある品物にね。そこの――――あんたと同じ顔したお客と一緒だね。双子、かい?」
「ええ、そうですよ」
 蓮の代わりに、愁がにこやかな笑顔で応えた。
「僕達、街で一緒に買い物をしてる最中で、いきなり吹雪に遭って、気が付いたらこの店の前に……」
「おい、そんな説明、とりあえず今は要らねぇだろ、ほら、ペン寄越せ」
 愁の言葉を遮った声の主は、おもむろに蓮の背後から腕を伸ばし、記帳し終えた彼の手からひょいとペンを取った。
「……店主の言い分じゃ、アンタも『特別』らしいな」
 蓮が、ペンを奪っていった紅髪の男を一瞥して言った。
「あー、そうらしいな。……って、なんだよ、香坂、その不審そうな眼は。愛想笑いの一つくらいサービスしたらどうだ?」
「サービスするだけの理由があればな」
「そいつはどーも」
 男は肩を竦めて、スーツの襟元を軽く正し、
 【 廣瀬秋隆 】
 ホストクラブ「Virgin−Angel」オーナー、と職名を書き加えて、名刺を一枚、店主に差し出した。店主は、受け取った名刺から秋隆へとゆっくり視線を移動させ、いかにも値の張りそうなスーツの生地の上質さに眼を留めた。
「ホストクラブオーナー……、そりゃ随分と実入りの良さそうなご身分だねえ、兄さん?」
「イイのが揃ってますから、よかったら是非一度」
 秋隆の眸に浮かんだ微笑に、店主は軽く肯いた。
「憶えとくよ。……さ、あとはあんただけだ、そこの式服の」
 促されて、それまで皆から数歩退いて事の次第を眺めていた少年が、ようやくテーブルに近付いて来た。
 【 榊 遠夜 】
 流麗な字で記された氏名を確認し、改めて少年の装束を見遣って、蓮が静かに口を開いた。
「……アンタ、陰陽師、か?」
「あ……、はい」
 遠夜が、記名帳から顔を上げ、蓮に向かって小さく肯いて見せた。
「そうか。じゃ、そこの……アンタの足許のねこは、使い魔とか、そういう……?」
 訊かれて、遠夜は一度黒猫「響」に視線を落とし、それから微かに表情を和らげて、蓮に顔を向け直した。
「そうです、……えぇと……香坂、さん。陰陽師に詳しいんですね」
「ああ……、詳しいと言うほどじゃないが、知り合いに一人いるからな、それを生業にしている奴が」
 遠夜は、そうですか、と応じ、「よろしくお願いします」という意味なのか、皆に向かって会釈した。


SCENE-[2] 開けゴマ。


「この件を解決したら貰い受けられる報酬というのは、これか?」
 蓮が、テーブル上に散らされた翡翠の珠を一つ、指先で抓み上げて室内光に翳し見た。
 店主は真剣な眼差しで翡翠を矯めつ眇めつしている蓮を見遣り、
「ああ、そうだよ。あんた、目利きかい? なかなかの逸品だから、売りようによっちゃあそれなりの値が付く筈さ。けど、ま、兎にも角にも、先ずは事の解決が先だからね」
「事の解決、ねェ」
 秋隆が、シガレット・ケースから煙草を取り出しつつ、顎をしゃくってテーブルの方を示した。
「つまり、箱を開けたいだけなんだろ? その箱を」
「その箱、って……、まるで見えてるみたいなこと言うんですね、廣瀬さん」
 愁が頸を傾げて苦笑した。
「見えてるみたいも何も、見えてるんだよ、実際」
「えっ」
 愁と遠夜の驚きの声が揃った。
「……見えてるって、普通に、あなたの眼に僕が映っているように、ですか?」
 遠夜に訊かれて、そのとおり、と応じた秋隆は、
「俺の眼は特別製なんだよ」
 にやりと笑って言うなり、テーブルの上から片手で「何か」を持ち上げるような動作をした。箱が「見えている」彼にしてみれば、そこに有る箱を取り上げたに過ぎないのだろうが、「見えていない」周囲の者達にはそれは一種奇妙なパントマイムのように感じられた。
「何だ、見えるなら、話は早い。中に何が入っているのか、アンタが――――」
「いや、見えることは見えるが、俺はこの箱を開ける気はねぇぞ」
 秋隆は箱をもとあった位置に置き直し、蓮に向かってひらひらと手を左右に振った。
「え……? 開ける気が無い?」
「あァ、無いね。何つーか、あれだ、普通の人間に見えないってのは、開けてほしくないっていう箱の意思表示なんじゃないかと思ってな」
「……箱の意思表示……?」
 蓮が、いかにも胡散臭いと言わんばかりの険を眼許に顕わにした。
 愁はそんな蓮の気分を宥めようとでもいうのか、彼の手を取って指を絡め遊ばせつつ、笑った。
「あはは、面白いこと考えるんですねぇ、廣瀬さんって。でも、箱の意思を尊重していたら、この件は解決しないじゃないですか。僕達、一応、箱の中身を確かめるっていう依頼を請けてるんですよ、今」
「そんなことは言われなくても分かってる。けど、パンドラの箱にしろ浦島太郎の玉手箱にしろ、開けちゃいけないもんは開けないほうがいいって、太古の昔から決まってるだろう?」
 そう言うと、秋隆は煙草を咥え、スーツの内ポケットから取り出したハンマーライターのアームを跳ね上げ、火を点けた。
「……ま、そういうワケで。悪いが、俺は、開けられたくなさそうな箱は開けない方に一票」
 ライターを持った手を軽く挙げ、
「別にあんたらに俺の意見を強制はしねーよ。ただ、協力もしないだけの話だ」
 秋隆は早々に静観を決め込んで、店の隅に身を落ち着けてしまった。
 そのあまりに非協力的な態度に、店主はやれやれと溜息吐いた。
「まあ、品物に意思を認めること自体はあたしも否定しないよ。でも、紅髪の兄さんが箱を開けたくならないのは、一概に箱の気持ちを慮った結果とばかりは言えないね」
「……どういうことですか?」
 遠夜が問い返した。
「つまり、不自由なく見える者は、そこに有ると知り乍ら見えない者ほど好奇心を抱かないってことさ」
「それは……そうかもしれないが」
 蓮は店主の言葉を聞き、薄闇の中にゆるゆると紫煙を吐き出している秋隆を、視界の隅に見た。
 しかし、好奇心云々はまた別の話としても。
 一体この箱、どうして今ここに存在するのだろう。
 秋隆の言に違わず箱に意思が有るとすれば、この店にやって来たことも箱の希望なのだろうか。もしくは逆に希望に反して連れて来られたことも考えられる。
 ならばこの場にいる人間は、箱の何らかの意思と導きによって、偶然を装って店に集められたということか? 蓮、愁、秋隆、遠夜の四人は、店主の言うように、品物に好かれてしまった、のだと――――。
 蓮がそこまで考えた時、
「碧摩さん」
 愁が店主を呼んだ。
「一つ訊いておきたいんですけど、この品物って、どういうルートでここに辿り着いた物なんですか?」
「……そんなことを訊いて、一体どうするんだい」
「だって」
 愁は、そんなの僕に確かめるまでも無いことでしょ、と言わんばかりの笑みを見せ、
「もとの持ち主には『箱』が見えてたんだろうし、触れたんだろうから。その人物がどういう人なのか分かれば、この箱の姿をちゃんと見る方法も開ける方法も分かるんじゃないかと思って」
「……まあ、確かにね。けど」
 店主は煙草を喫む秋隆を見て自分も口淋しくなったのか、愛用のパイプを手に取り、ステムの先で愁を指した。
「残念乍ら、本来の持ち主にはもう訊けないんだ。死人に口無しってやつでね。……品物を持ち込んだのはその遺族さ。亡くなった祖父さんの遺産相続の場で、生前当人がよく開け閉めしていたという金庫の確認をしたらしくてねえ。何が入っているかと愉しみに開けてみたら、何も無い。おかしい、そんな筈は無い、何か有る筈だ――――欲に駆られた思い込みで金庫の中を探ったら、何か固いモノに触れた」
「それが……箱、ですか」
 遠夜が呟いた。
「そういうわけさ。持ってみたらそれなりに重みもある、触った感じの形状から言ってどうやらこれは容れ物らしい、じゃあ中に何か入っている筈だ、きっと値の張るモノに違いない。……こういう時の人間様の想像力っていうのは笑っちまうくらい意欲的だね」
「別に、故人の遺品に興味を持つのは悪いことじゃない」
 蓮が、「箱」があるらしい位置に眼を遣って言った。
「……が、何も見えないしな……。見えると言った廣瀬も協力する気はないらしいし。ここはもう、無いと思って諦める……のは、ダメか、やはり」
 苦笑した蓮に、愁が肯いて見せた。
「うん、それでいいんじゃないの? 苦労して開けてみて、中が空っぽだったら笑っちゃうし」
 箱の中身を確かめる、という依頼の最中であり乍ら、なぜか事態は諦観の方向へと流れ始めていた。
 無いモノは無い。
 開けられたくなさそうなモノは開けない。
 覗かれたくないと言うモノは覗いてはいけない。
 品行方正な結論である。
 が。
 アンティークショップ・レンが店主、碧摩蓮にとってはそれでは困るのだ。
 (やれやれ……、揃いも揃ってやって来るから、頼りになるかと思ってみれば。こいつはあたしの見込み違いだったかねぇ)
 まあ、それならそれで仕方ない。
「……ちょいと。あたしと同じ名前のあんた」
「あ……、ああ。何だ」
 蓮が店主を見遣った。
「開ける開けない論議はもういいよ。これ以上は時間の無駄だからね、あんたが決めな。ここで箱を開けることに協力するのか、やめて帰るのか」
「え……」
 決めろ、と言われて、蓮は即答を躊躇った。
 確かに、明確な解決策は思い浮かばない。
 とは言え、これはもう乗りかかった船、請けた依頼は完遂すべきだ。
 しかも報酬を眼前に差し出されたこの状況で踵を返すなど。
「……そうだな……」
 蓮は口許に手を当て、暫し何かを考え込むように眼を伏せた後、おもむろに一言。

「……開けゴマ」

 一瞬、場が静まりかえった。
 数秒、あって。
 秋隆が、つかつかと蓮に歩み寄って豪快にその肩を叩いた。
「香坂、お前、なかなかのセンスだな?」
「な……、俺はただ……、試してみただけだ、もしかしたら開くかもしれないだろう! ……いや、別に……本気にしろとは言わないが」
 不機嫌そうに秋隆から顔を背けた蓮の視線が、遠夜の黒眸とかち合った。
「香坂さんって、……興味深い人なんですね」
「……だから俺は」
「いえ、箱を開けるのに協力するということですよね。開けゴマ。……僕も、箱の意思とか、少し気になるから……、協力します」
 そう言って、遠夜は愁をちらと見た。
「え? 僕? 僕はいいよ、レンと同じで」
「おやおや、随分仲の良い双子だね」
 店主がパイプを揺らして笑った。


SCENE-[3] 有るような無いような


「……有ると思えば有る、無いと思えば無い。何かそういう話を昔聞いたことがあるな」
 蓮が呟いた。
「箱が有り、中には何かが入っている筈だ。が、本当に入っているかどうかは外側から見ていては分からない。しかし当人が入っていると思っている時点では、そこには確かに物が有るのだ、というような……」
「何だそりゃ。有るとか無いとかややこしいな」
 秋隆が手持ち無沙汰に、売り物らしき年代物のウォールミラーを覗き込んで髪を掻き上げ、眉根を寄せた。
「……あー……、でも何か俺も聞いたことある気がするな、そんなような話。その瞬間の存在の曖昧性っつーか……いつだったか妙な酔っぱらいに講釈された憶えがある。鬱陶しくて一発ぶん殴っちまったが」
「アンタな」
 蓮が一度溜息を吐き、それから気を取り直したように、
「俺も専門じゃないからよくは分からないが……、量子力学、だったか? その考え方と似たようなところがあるかもしれないな、この場合も。中を確認して何も無いと分かった時点でようやくそこには何も無かったのだと確定されるのであって、今の段階では――――」
「今の段階では、有ると思えば有ることになるってワケ? 箱も、箱の中身も」
 愁が蓮の言葉を受け、腕を組んで頸を傾げた。
「……理屈では」
 蓮がいま一つ自信の無さそうな声で応じた。
「んー、じゃあ箱開けちゃって中を確認しない方がいいのかもしれないね。無いことが確定されてもそれはそれで困るし? このまま、有るんだと思い込んだまま、外から中身が分かれば一番よさそうなんだけど」
 言い乍ら、愁は軽く腰を折ってテーブルに両肘を突いた。
「有るけど見えない、か……。あ、箱自体に特殊な術とか、かけられてたりしないかな? 見られたら困ると思った誰かがかけた術。……ね、榊さん」
「え? あ、はい」
 急に愁に話を振られて、遠夜は眼を屡叩かせ、肯いた。
「陰陽道……だっけ、その系統の術で、何かそういうの、ありません? 呪いとかでもいいんですけど」
「……隠形術、なら。他の者から自分の姿を見えなくして、気配さえ気付かせないようにするんです。中国道教に端を発した術で、色んな方法があって……中にはカメレオンみたいに自己の色彩を周囲に同調させて、相手を錯覚させるようなものも含まれますけど……」
「ふぅん……カメレオンか。何だかそれに似ているかもしれないね、この箱。箱の呪力なのか誰かにかけられた術なのかは別として、きれいに周囲に同化しちゃって、全く見えないから」
 愁は少し考えるように口を噤んだ後、両手を差し伸ばした。
「……有ると思い込めば、持てるんだよね」
 自分を納得させるように言ったその指先に、硬質な何かが触れた。
 箱、か。
 愁は、己の手に持った物総てに強力な浄化の力を宿せる能力を持っている。もし見えない箱に何らかの呪が働いているのなら、彼が箱に触れることでそれは解消される筈だ。隠形術でも、その他の特殊な束縛の力でも、浄化されれば箱は姿を現すだろう。
 ――――だが。
「……んー、ダメ、か」
 愁は苦笑して箱から手を退いた。
 見えない箱はやはり見えぬまま。開く気配すら見せなかった。
「そろそろ諦めたらどうだ?」
 秋隆がニッと笑って箱を取り巻く三人に流眄を向けた。
「……術でもないか」
 蓮は秋隆の声が聞こえなかったかのように、
「思い込みで持てるなら、開くと思い込めば開くような気もするが……開くことを期待して言った『開けゴマ』も効かなかったしな……、それに開いた瞬間に中の物が無かったことになっても困るし……。見えないならペンキでもかけて無理矢理色をつけてみるとか……、ああでもその場合ペンキ自体に箱を認識する力が無いと駄目か……?」
「……おい。大丈夫か、香坂。考えすぎは体に悪ぃぞ」
 ぶつぶつと口内で独り言ちる蓮に、秋隆が声をかけた。
「うるさい、こっちは何とかして箱の中身を知ろうと必死なんだ」
 そう言った時、蓮の足許に何か柔らかなものが触れた。その感触に惹かれるように蓮が視線を落とすと、黒猫が――――遠夜の使い魔「響」が身をすり寄せていた。
 蓮は響に向けた視線を上げて、遠夜を見遣った。と、そこに、遠夜の静かな眼差しが待っていた。
「……何だ?」
 響を介して遠夜に呼ばれたのだろうと納得した蓮が、彼の意図を訊ねた。
「何だか、言い出しにくかったんですけど……、僕が、見てみようかと」
「アンタが見る?どうやって?」
「……僕の特殊能力を行使すれば見えるんです。神霊眼って言うんですけど。中に物が有ると思い込み乍ら力を使えば……見えるかなって」
「それって、箱が開かなくても見えるの?」
 愁が蓮の肩越しに遠夜に顔を向けた。遠夜はこくりと肯いて、
「見えます。……さっき香坂さん達が言ってたみたいに、開けた瞬間に中の物が霧消しても困るから……、外側から見た方がいいですよね」
「それはまあ、出来るならそうするのが一番だとは思うが。……そうか、アンタ、そんな能力持ってるんだな」
 蓮が感心したように言うと、響は一度くるりと蓮の周囲を巡って、遠夜の許へ戻って行った。
「じゃあ、やってみます。気を集中させますから、少しの間、静かにしていてください」
 言うなり、遠夜はテーブルに真向かい、一度深く呼吸した。
 ゆっくり瞼を下ろし、同じ速度でそれを持ち上げる。
 眼窩に埋められた遠夜の滑らかな眼球が僅かに振盪し、虹彩に囲まれた瞳孔が一瞬大きく開いたかのように見えた。
「……何だか、惹き込まれそうな眸してるね、あの子」
 愁が蓮の耳許で囁いた。
「ああ……、そうだな」
 蓮は、深い穏やかさの裡に強い意志を宿したような遠夜の眸を眺め、一体今あの双眸に何が映っているのだろうと想像した。
 そのまま一分ほどが過ぎたろうか。
「……本当に、きれい」
 突然ぽつりと小さく呟いた遠夜の声に、蓮が「え?」と怪訝そうな顔を向けた。
「何か見えたのか……?」
 訊かれて、遠夜は口を開きかけ、あ、と慌てたように唇を引き結んだ。
「……どうした?」
 何を答えようとして躊躇ったのか分からずに、蓮が一歩遠夜に近付いた。
「あ……、いえ、中には何も入ってませんでした」
 その遠夜の返辞に、蓮は背後に秋隆の小さな笑声を聞いた。
 開けてはならぬパンドラの箱は空だったということか。もしかしたら以前は何か入っていたのかもしれないが、今は空であるそのことを知られてはならぬがゆえに箱は不可視と成り果てていた、か? そういう空想が、まあ、出来ないことも無い。
 蓮の隣で愁は軽く肩を竦め、店主は眉間に皺を寄せた。
 蓮は、暫し黙した後、
「……そうか」
 とりあえずそう応じ乍ら、遠夜の表情に「何か」あるのを感じ取っていた。
 ――――本当は、何が、有った?


SCENE-[4] 虚偽と真実


「無いモノは無いんですよ、仕方ないじゃないですか」
 愁が明るく笑って、ねえ、と蓮に顔を寄せた。
「まあ、そうなんだけどね」
 店主は、困惑げに愁から視線を逸らす蓮を横眼に、深い溜息を吐いた。
「真実はどうあれ、何もありませんでした、じゃあ納得しないだろうね、遺族がさ」
「別にそうまともに悩むことはないだろ、そこんとこはオトナの知恵ってやつだ」
 事ここに至ってようやく皆の輪に加わった秋隆が、
「何も入ってなくて困るんなら、入ってたことにすりゃあいいじゃねーか。例えばその翡翠の珠が」
 そう言ってテーブルに転がっている翡翠を指さした。
「そこそこ値の張りそうなモノならとりあえず満足するだろう。あー、持った時の重さとか考えたら、もう少し重いモノの方が納得いくか。んじゃぁ、そのへんの妙な細工の小刀とか、幽霊でも映りそうな鏡とかな」
「あんたね、なんであたしがウチの商品をタダで譲らなきゃならないのさ」
 店主がパイプをコンコンとテーブルに打ち付けて抗議した。
「そりゃ、店の信用問題だからな。見えない箱なんて厄介な品物を持ち込んだ遺族が、今後もイイ客になりそうだったら、何か適当なモンをあてがって対応しときゃいい。全く見込みが無さそうなら、素直に何も入ってませんでしたって伝えるまでだな」
 説得力のある秋隆の言葉に、店主はそれ以上異議を申し立てることはせず、暫くの沈黙の後に「道理至極なアドバイスだね」と天井を仰いだ。


SCENE-[5] 散会


「おい、アンタ。……榊」
 アンティークショップを出たところで、蓮は遠夜を呼び止めた。
 遠夜はくるりと蓮を振り向き、一緒に響も蓮を振り返った。
「別にアンタを疑うわけじゃないが。……本当に、何も無かったのか?」
 遠夜が見た、あの箱の中に。
 本当に何も入っていなかったのか。
 事が一応の解決をみた今、わざわざそう問いかける蓮に不可思議さを覚えたのか、遠夜は少し頸を傾げ、言葉を迷っているようだった。
 なかなか口を開こうとしない遠夜に痺れを切らせて、蓮がもう一言、声をかけようとしたところへ、
「……とてもきれいだったから。……だから」
 遠夜が蓮の眼を見返して、応えた。
 (きれい……だったから?)
 それは、つまり。
 やはり中に「何か」有ったということか。
 遠夜の眼にきれいに見えた何かが。
 遠夜はその存在を皆に告げることで、きれいな何かが穢されるのを恐れて、何も入っていないと嘘を吐いたのか。
 (その「何か」が何なのか、気にはなるが……)
 蓮は物思いつつ二度瞬きし、それからすっと遠夜から視線を逸らした。
「そうか。……分かった」
 もしも箱に意思を認めるというのなら、箱に呼ばれた四人が出した結論が「何も無い」であることは、取りも直さずそれが箱の望んだ行く末だということだ。ならば、これ以上遠夜を問い詰めることに意味は無い。結果がどうあれ、予定どおり報酬は得たのだし、これはこれで一つの依頼解決には違いない。
 きれいな何かは、きっと人の眼に触れぬまま、この先もずっと静かに存在し続けるのだろう。
「……じゃあ」
 蓮は軽く手を挙げて踵を返し、遠夜に背を向けた。


[イフタフヤーシムシム/了]


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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+ PC名 [整理番号|性別|年齢|職業]

+ 香坂・蓮
 [1532|男|24歳|ヴァイオリニスト(兼、便利屋)]
+ 向坂・愁
 [2193|男|24歳|ヴァイオリニスト]
+ 廣瀬・秋隆
  [2073|男|33歳|ホストクラブ経営者]
+ 榊・遠夜
 [0642|男|16歳|高校生/陰陽師]

※ 上記、受注順に掲載いたしました。

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■         ライター通信          ■
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こんにちは、ライターの杳野と申します。
今回はアンティークショップ・レンでの依頼にご参加下さいまして、ありがとうございました。
各シーン、PCさんごとに部分的に視点の変更があり、見えない箱の結末も各々明確になっていたりいなかったりですが、真実の姿をお知りになりたい場合には、榊 遠夜さんのノベルをご覧いただけたらと思います。
SCENE-[5]は、それぞれプレイングに書かれていた内容に沿うかたちで、個別に執筆させていただきました。
それでは、またお逢いできる機会がありましたら、どうぞよろしくお願いいたします。

――香坂 蓮さま
お世話になっております。
書き終えてみて、何となく、様々な場面で香坂さんの行動がキーになっているような気がします。
今回の参加者様の中では一番交友関係が広かったので、そういう意味でもあちらこちらの繋ぎ役になっていただいたような。ありがとうございました。
それから……「イフタフヤーシムシム」に直接的に沿うプレイングをありがとうございました、そのまま採用させていただきました(笑)