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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


預り知らぬ過去の鳴動


■オープニング■


 宵の口。
「今日はいい月夜ですね」
 しみじみと言ったのは来客用ソファに座っている、草間武彦とほぼ同年代と思しき男。
 客である。とは言え依頼人と言う意味ではない、私的な客だ。一応、常連。
 バーテンダーの真咲御言。
「…仕事はどうした、真咲」
「休みです。今日だけはちょっと席を外してくれと紫藤に追っ払われまして」
「そうか」
「ところで、今日は王道と言う事でブルーマウンテンのブレンドですが、如何です?」
「…ああ、美味いよ」
「それは上々」
 どこか悪戯っぽい、御言の笑みを含んだ瞳。
 が。
 次の瞬間、鋭い瞳に変わった。
「――零さんも伏せて!」
「え?」
 何事か。武彦が思ったその時には御言はデスクの上に飛び乗っていた。武彦を押し倒す形で床に伏せ込む。次の瞬間、窓ガラスが派手な音を立てていた。小さな穴を中心に蜘蛛状の罅がガラス表面に走っている。武彦の飲んでいたブルーマウンテンのカップも、真っ二つに割れていた。中身が零れている。
 黒い液体がつぅと伝い、絨毯に一滴、落ちた。
 窓ガラスの弾痕と割れたコーヒーカップを直線で繋いだ、ちょうどその間に当たる場所に――つい今し方まで武彦の座っていた椅子がある。
 ――もし御言が、咄嗟に武彦を押し倒していなかったとしたら?
「…身に覚えはありますか」
 厳しい声で御言は武彦に問う。
 ――今、明らかに狙撃された。
「無いとは言い切れんよ」
「探偵さんですもんね」
 言いながら御言は武彦を壁際に押しやり、自分も物影に隠れる。
「…今の狙いは明らかに貴方でしたよ。
 どうしましょうか?」



■探偵の心当たりは■


 と、御言がそこで武彦に問うた時。
 奥の部屋から顔を出し――瞬間的に固まっていたのは草間興信所事務員のお姉さんことシュライン・エマ。
「来るな!」
 目をぱちくりさせている彼女に向け、武彦の口から鋭い声が飛ぶ。
「ど、どうしたのいったい…」
 目の前の状況と、武彦の常ならぬ鋭い声に途惑いながらも、シュラインはぱぱっと状況を把握する。窓からの死角になるところに伏せ隠れている部屋内に居る三人…武彦と御言と零の姿を見、最後に…割れたコーヒーカップ、そして穴が穿たれ罅が入った窓ガラスに気が付き、漸く目を見開いた。
「…そのままそこに隠れてろ。シュライン」
「って、ちょ、ちょっと…」
 何処かおろおろとしながらも、シュラインは武彦に言われた通り、その場で動かない。
「撃たれたの!?」
「いや…俺は問題無い。零は」
「大丈夫です」
 武彦の声に対し、即座に素直な声が返される。呼ばれた零は来客用ソファの背面から恐る恐る顔を覗かせていた。無事な妹の姿に安堵し、武彦は軽く息を吐く。そして次には自分を付き飛ばし危機を知らせた男の方を見上げた。…その男、御言の方はそれとなく窓の外の様子を窺った上で、既に立ち上がっている。
「…済まんな、真咲」
「いえ、大した事じゃありませんよ。…これを見れば余計にそうも思えますし」
 御言はもう第二撃は来ないと判じたか早々に武彦のデスクの側まで来ていた。窓の外からの死角にはならない遮られる物は何も無いその場所に。机上で割れてしまったカップの欠片に手を伸ばそうとして、そこを注視するなり目を細めている。
 そんな御言の様子を見て武彦も立ち上がった。
 と、もう大丈夫と見たかシュラインと零が慌てて武彦の元に飛んで来る。
 シュラインは動揺しつつも、大丈夫、怪我は無い!? と身体をぱむぱむと叩き武彦の無事を確かめつつ、傍に来た零にも同様にぱむぱむと続けていた。零は大丈夫ですか大丈夫ですかと武彦に対しおろおろと繰り返しつつも、姉同然であるシュラインの行動を見てか、彼女同様にぱむぱむと武彦の身体を確認しつつ詰め寄っている。
 で、武彦はと言うと大人しく彼女らにされるがままで居た。
 …ただ、何処か上の空な風で。
 安心させようと零の頭に、ぽん、と手を置いたりと――優しい仕草をしながらも、目に浮かぶ表情にだけ、やけに厳しいものがあった。御言が早々に確認している方面…弾が撃ち込まれたその辺りから窓の外、発砲した当の相手――の方に意識はあるようで。
 どうやら探偵と言う職業故の心当たり――と言うだけではなく、もっと何か具体的な心当たりがあるような。
 そんな、様子で。
 武彦はシュラインと零を宥めつつ、御言の立っている側まで来る。そしてコーヒーカップの欠片のあった場所、そこにあるべき『物』が無い事実を確認し、武彦は瞼を閉じた。
「…こう来られては、心当たりが無い方がおかしい気がするんですけれど、ね」
 改めて確認するかのような御言の声。デスクに残っているだろう弾痕のあるべき場所から、瞼を閉じた武彦の顔へと意味ありげに視線を流す。
 と。

「…杉下」

「え?」
 ぽつり、と微かに、だが確かに聞こえた名に、その場に居た一同の視線は改めて武彦に集中した。



■有り得ない記憶■


 そして次の日。
 …ガムテープでべたべたと補修された無残なガラス窓を背に佇んでいる興信所の主が一同を出迎えた。
 朝っぱらだと言うのに――用心の為か、もしくは家計を預るシュライン辺りが昨晩の内に早々に取った貴重な暖房対策か、はたまた近隣への配慮で目隠しをしているつもりか、それらすべてを兼ねているのか――とにかく雨戸まで閉められている。故に仕方無く室内の明かりも夜であるかの如く煌々とつけられていた。
「…って事なのよ」
「…そうなんです」
 と、シュラインと零からひととおり何が起きたかの説明を受けたセレスティ・カーニンガムに天薙撫子(あまなぎ・なでしこ)、綾和泉汐耶(あやいずみ・せきや)の三人は来訪するなり所内の様子に少し驚いたが、特に動じる事もせずいつも通り来客用ソファに座っている。
 …確かにこの程度で驚いているようでは草間興信所に居座る事など出来ないが。
 実はこの場所、常々…案外物騒である。
 そもそも狙われたと言う主、草間武彦は見たところ無事だ。それだけでこの面子の場合、ひとまずは安心出来る。事足りる。…また、撫子が落ち着いて物事を整理出来るように、と気遣い彼女お気に入りの日本茶の茶葉と栗ようかんなどを持ち込んでいたので、その好意に甘えて今はのほほんと小さなお茶会になってもいる。
「では、狙撃されたの…は、その一度っきり、だったのですわね?」
 新春故か、いつもより少々華やかな和装の撫子が確認する。
 シュラインや零同様、昨晩から居合わせている御言がそれに頷いた。
「ええ。すぐに気配は消えましたから。それにあの場合――」
 と、言いかけたが止めてそこで切り、御言はちらりと武彦を見るだけに留めた。
 受けるよう、そこで武彦が重苦しい溜息を吐く。
「…どうしてわざわざ外の皆に連絡するんだ、シュライン、零」
 誰も見ないままで、ぼそりと言う。
「これは、皆の手を煩わせるような事じゃない」
 …ついでに言えば…お前たちにも昨晩は同席して欲しくはなかったな。
 シュラインに零、その時自分を庇った御言にさえ武彦はそう言い放つ。
「…そんな言い方をなさいますか? 皆が心配していると言うのに」
 じろり、と睨むような表情を見せつつ、セレスティ。
「まさかとは思いますが死ぬ気だったんですか? 零君を置いて?」
 いつぞやの件で経験済みでしょう。…あの時程、心配させたいのですか?
「いや」
「でしたら。私たちに彼女らが連絡下さった事を何故責めるのです。貴方の身は貴方だけのものではないのですよ」
「その通りですわ」
 言って、撫子は、つい、と妖斬鋼糸――肌身離さず持ち歩いている神の鉄で出来た糸――を何処からとも無く取り出し、先端を見せた。
「ひとまず、早々に探知用の結界を張らせて頂いても構いませんか? お話がお話ですので…わたくしの結界ならば万が一の場合にもお役に立てるかと」
 昨晩は一度で済んだと言えど、再度狙われる可能性も否定出来ませんから。
 この結界であれば、若干ならば物理的威力の軽減も可能ですし。銃であってもある程度の役には立つかと。
 それに。
「『撃ち込まれた筈の銃弾が見つからない』ともなれば、これは余計にわたくしたちの領分ではありませんか?」
「天薙」
「構いませんわね?」
 制止するよう呼び掛けてくる武彦に対し、有無を言わせず撫子はソファから立ち上がる。声を掛けたのは礼儀のつもりで、撫子としては来た時点ではじめから張っておくつもりだった。ただ、どうも武彦の様子が妙だと昨晩の零からの連絡時点で気が付き、今回ばかりは一声掛けてから行動に移そうと思っただけの話。
 そんな彼女を頼るよう見上げて来たのはシュライン。彼女も、今回ばかりは何か常ならぬものを感じているのか、心持ち普段よりも何処か心細げな、心配げな顔をしている。
「…撫子さん」
 そんな彼女に撫子は安心させるよう、にこりと微笑んだ。
「草間様の手綱、確りと執って差し上げて下さいね。シュライン様」
 敢えて茶化すよう軽く告げた撫子は、部屋の隅から奥へと移動しつつ、結界の為――妖斬鋼糸をそれとなく張り巡らせ始める。


■■■


「…また物騒な事になってますよね。狙撃なんて。それも『幾ら探しても撃ち込まれた弾が見つからない』なんて、起きている事だけは相変わらず――」
 そう、相変わらず、毎度の如く怪奇事件と言った方が正しいんじゃ無いですか。
 嘆息がてら汐耶が口を開く。
「ところで、お貸しした蔵書は…無事ですよね?」
 草間さん御本人が無事なのは見ればわかりますからそこは問いません。
 と、なると私の場合そちらも気になるもので。
 淡々と言ってのける汐耶に、武彦はちらりと彼女を見た。
「撃たれたのは一発だ。…被害は窓ガラスと珈琲がカップごと一杯、デスクに少し傷が付いた――くらいだな」
「そうですか。だったら構わないんですが」
「…回収して帰るか?」
 蔵書。
 武彦のついでのようなその科白に汐耶は数瞬沈黙した。
「………………それ程保管に自信が持てませんか? 私に言われて、では無く草間さん当人からそう言い出すとなると、次にも何かあると予想している、と考えて良いんですね?」
「って、武彦さん」
 その意味を察し、シュラインが思わず口を挟む。
 と。
 武彦は妙に難しい顔をしていた。
「いや…違う」
「え?」
「杉下…って誰だ」
「草間さん?」
「…それを伺いたいのは私たちの方なのですが」
 確かめるよう武彦の様子を窺いつつ、セレスティ。
 …昨晩、狙撃された後――武彦が口走ったと言う名前。
 呟くようにただ、『杉下』、と。
 それも手掛かりのひとつ。
 狙われた当人から咄嗟に出た人の名前となれば。
「誰だ、って…武彦さんが自分でそう言ったのよ?」
 いきなり否定する武彦に対し、困惑気味にシュライン。
「わかってる。わかってるが…何故そんな名が出て来たんだ…」
 俺は知らない。
 言い切る武彦に、一同は訝しげな顔をする。
「草間様、大丈夫ですか」
 撫子のそんな声も、武彦には聞こえた風は無い。
 ただ、自分自身に困惑しているらしい武彦の様子は変わらない。
 零も心配そうに兄の顔を見ている。
 それに気付いたか、武彦はどうにか笑みを形作った。安心させようと考えて。
「すまん。…少し取り乱した」
「どうも変ですよ、草間さん」
「ああ…この際だからはっきり言う。お前の言う通り…どうも俺は変になっているらしい」
「どういう意味?」
「…俺は『杉下』と言う人物を知らない」
「でも」
「ああ。確かに俺がこの口でそう言った。だが何故言ったのかわからない」
 武彦の突拍子も無い科白に、一同は思わず黙り込む。
「それに、本当に、皆を呼ぶ程…それ程大事にする必要は無いんだ。それだけはわかってる。理屈じゃなく俺の中の何かがそう言っているんだ」
「…根拠が無い限り、そうも言い切れませんよ?」
「確かにそうだ。だが初めから普通の狙撃じゃない事は皆もわかっているだろう? 何と言っても肝心の弾が、室内の何処かに残っている筈の弾が残っていない。その時点で普通の論理は通じていない」
「それは…そうですが」
「狙撃に使われた銃は…俺の持っている物と同じ…ピースメーカー、に似た古い形のリボルバーだ。…だがピースメーカーそのものじゃない。それを元にして特に造られた、世界でもたった十丁しかない銃だ。マグナム弾使用…だったか。破壊力がとにかく強い」
 象も殺せる。
「って、幾ら何でもそれはさすがに…」
 信じ難いです。
 と、セレスティ。
 貴方の仰る通りだとすると、まずそれ程離れた場所から撃っている筈がありません。撃った相手は窓の外――比較的すぐ近くに居た筈です。そうで無ければ狙いがそれ程正確な訳が無い。…この辺りは人通りが全然無い訳じゃないでしょう。そんなに大胆な事がありますか?
 それに、威力がおかしくはないでしょうか。マグナムならば貴方の後ろの…このくらいの窓ならば容易く割り砕くと思われます。ガムテープで補修する程度では到底間に合いません。
 頭の中から探り出すよう、続ける。
「それもわかってる。…だが、そうなんだ」
 が、武彦当人もまた困惑気味に、だが確信に満ちた何かが『そう』だと言うらしい。
 確かに。
 武彦も武彦の方でセレスティの指摘した通り、自分の思うリボルバーの銃を使われたのであるならば――この窓ガラスの、カップの割れ方は――デスクに微かに残る弾痕は――おかしい。威力が弱過ぎる。

 わかっている。

 違うと判じれば簡単だ。
 そして普通なら、違うとすぐに判じられる。弾自体が無くとも、それ以外の状況の証拠が、何より雄弁にそう語っている。
 なのにどうしてそこまで、『あの銃で撃たれたのだ』、と拘ろうとする?

 武彦は思わず唇を噛み締める。
 自分が――よくわからない。
 何故こんなにも頑なに、これは、『あの銃』だと、撃った相手は――『あの男』だと、確信している自分が居る?

「…じゃない。俺はまた何を言った…?」
 またもはたと気付き、武彦は茫然と呟く。
 心配そうなシュラインと零の顔。
「草間様、リボルバーの銃もお持ちなのですか?」
 確かめるように、ふと撫子。
「確か以前に突然引っ張り出していたのはオートマチックでしたよね?」
 畳み込むよう続ける汐耶。
 …確か以前に武彦は、汐耶や撫子、零の前で、少々言い難い事情によりオートマチックを何処からとも無く取り出し振り回していた事がある。
 ふたりの指摘に武彦は、はぁ、と息を吐いた。
「…その通りだ。俺はリボルバーなんぞ持っていない」
 武彦は己がデスクの抽斗をそれとなく撫でる。
「俺が持っているのは…」
 指摘の通り、オートマチックの、ベレッタのみ。…それとて以前に偶然手に入れたもの――正直な話、伝手だけならともかく金銭的に買える訳が無い――で、滅多に使う事は無い。
 けれど。

 何故、自分を狙った相手の得物がリボルバーの銃だと確信出来るのか。
 手に馴染んだ銃のように。
 武彦は確かに、色々な銃を取り扱った事はある。リボルバー式のものもそれなりに使いこなせる。
 元々、この手と銃とは仲が良い。
 だからと言って。
 リボルバーである、と言う確信のみならず。


 ………………『自分の持っている銃と、同じ形の物から発砲された』と。


 そんな考えが同時に、瞬時に頭を駆け巡るのは何故だ。


「杉下、神居…」
 そんな、覚えの無い筈の名がどうして当然のように頭に浮かんで来る?



■boundary of nothingness 〜 幻の如く掻き消える■


 武彦の奇妙にあやふやな記憶。それを聞きつつも、一同は改めて草間武彦狙撃事件を探ろうと動きだす。武彦自身は頼り無い記憶を出すと共にそれ程気にしなくて良い、の一点張りだが、窓ガラスとコーヒーカップが割れているのは――物理的にも被害が出ているのは紛れもない事実だ。
「窓の穴から角度を考えて方角…無理な気が」
 ぽつりとぼやくシュライン。
 何故なら、障害物はすぐにある。道路を挟んで裏手の建物が明らかに遮っている。そこより遠くから狙撃するなど無理そうだ。地図で確認するまでもない。…それは確かにその建物、該当しそうな階は――テナント募集になってはいるが。そこに侵入して、だろうか。
「候補、一ヶ所しかなさそうですね…」
「もっと細かく言いますと、三番目…の窓辺りでしょうか?」
 隣の部屋から、割られた窓と同じ側に面している窓の外を覗かせてもらい、セレスティと撫子。
 と、ふと武彦が移動した。誰にも何も言わずに玄関口に向かい、歩き出す。
「武彦さん」
「…直に現場を見て来ようと思っただけだ」
「私も行く」
「…ひとりで良い」
「駄目。狙われてたのは武彦さんなんだから」
 私が言っても何が出来る訳でも無いけれど。
 外で武彦さんをひとりにしたくは無いから。
「…」
 武彦は無言を返すのみ。
 ただ、言われたからと言って止める気は全く無いようで。
「…俺も行きます」
 様子を見兼ねたか、御言が最後にそう告げた。


■■■


 ホール。
 そう言ってしまって良いような、丸々一階分ぶち抜きの部屋。
 犯人が居たと思しき場所はそこだった。
「身を隠すような場所は無さそうね」
「天薙さんは三番目の窓辺りと言っていましたが、確かにその辺り、ですか」
 御言はそれとなく辺りを見回し、確認し始める。人の気配、埃の跡、落とし物、火薬の臭い。
 武彦は窓を明け、自分の興信所を見下ろしている。閉められた雨戸。…確かに見通しが良い。
「さすがに何も残ってないみたいね」
 御言同様、ぱぱっと確認しつつ、シュライン。
「ええ。特に得られる事は無さそうですが…」
 戻りますか?
 御言のその声に、同意しようとシュラインが頷き、武彦が窓を閉めた――ところで。
 ふと。

 ガタン

 遠慮の無いドアの音。離れた位置、窓から一番遠いドア。
 …初めにそちらを見たのは武彦。
 続いて、シュライン、御言。


 固い鉄製のドアが閉められた後、
 そこに、ただ佇んで居たのは。


 おさまりの悪い、癖っ毛な黒髪の。
 黒いコートを着込んだ男。
 ただじっと、武彦を見据えて来る瞳。

 いきなり。

 衒いなく、無造作に持ち上げられる銃口。
 武彦の確信した通り、リボルバーの。
 やや、バレルの長い。
 昨晩に引き続き、再び武彦に向けられる。
 音も無く。
 気配すら全く、無いままに。


「――!?」


 静けさの中、シュラインは思わず声を上げそうになる。
 その理由は――音。
 少しだけ離れた位置から銃口を向けてくるその相手の、銃を扱う音どころか――僅かな息遣いや衣擦れの微かな音すらしない事に気付いて、だった。
 有り得ない。
 それこそ、幽霊でもなければ。
 物理的に存在している限り、何の音もさせずに動く事など不可能だ。

 と。

『シュラインが気付いた事』に気付いたか、男の目が武彦から逸らされる。
 そしてその場に居る他の顔を順繰りに見遣り、気付いた当の相手、シュラインで止まると。
 男の唇が開いた。
 何か言い聞かせるよう、動かされている。
 音では聞こえない。
 だが、何かを言っている。


 ――『お前が今の草間の女か』。


 ならば俺は最早、この男に――草間に拘る必要は無い訳か。


 無感動に呟いた、ような。
 そして再び唇が閉ざされた――刹那。

 男の姿は前触れなく、一同の目前で――いきなり、すぅ、と掻き消えた。
 逃げたのでは無く、消滅していた。


 そして、それっきり。


 静寂が周囲を包み込んだ。


■■■


 緊張が途切れる。
「何だった…の」
「…幽霊や妖怪…の類とは違うように思えたのですけれど…」
「私もそうは思ったけど…」
 それにしては、妙に『人間』らしく感じられ。
 シュラインはふと御言を見た。
 元IO2である彼ならば、ひょっとしたら何か似た前例を知っているか、と。
 だが御言も小さく頭を振る。…それが答え。今の御言はIO2の頃の事を特に隠していない。つまり、似たものを見た覚えは、無いと。今更誤魔化す必要は無い。
「見たところは…草間さんとあまり変わらない年格好ですね」
 今の、人は。
「ああ…兄弟みたいなもんだった」
「…草間さん?」
 訝しげに見るふたりの視線。
「…!」
 目を丸くして、武彦は自分の口を押さえた。
 今、自分は何を言った。
「…草間さん、過去に記憶障害を起こした事は?」
「…何?」
「それで、今になって…記憶障害で忘れていた記憶が戻って来ている、と言う事は…」
「別にそんな事は無い筈だが…」
「ううん。記憶障害じゃなくても武彦さんの場合、過去が枝分かれしているって事があるんじゃ…」
 シュラインが指摘する。
「帰昔線の件で、か。…そうなると確かにわからないな」
 頷く武彦。
 確かに、あの件では自身の過去を新たに紡ぎ直している以上…わからなくなっている可能性は高い。
「だが何かが違う気もする」
「…そう」
「あの」
「なんだ真咲」
「俺もあの男が記憶にある気がする、と言ってはおかしいですか」
「え?」
「とは言え、俺の記憶では…髪や瞳の色が全然違いますので他人の空似かもしれませんが」
「なら、あれは俺が居る『今』に実在する人間と考えて良いのか…?」
 自分以外の存在にさえ、見覚えがあると言うのなら。
 少なくともそれと同じ顔形、は勝手に作り上げた幻では無く存在すると。
「ただ…俺の記憶にある人物と同一人物だとすると、草間さんの記憶の中にこの人物が居るのはちょっと問題になりますよ」
「どう言う意味だ」
「俺の中にある記憶では七年以上前の事になります。それも、最大の宿敵としての」
 この意味がわかりますか。
「つまり…IO2の宿敵…か?」
「はい。その頃にはもう、『とある組織』が台頭して来ていました」
 他の超常能力絡みの犯罪を凌ぐ勢いで、虚無の境界のテロが増え始めていた時代です。
「じゃあ」
「はい。…俺の記憶にある、あの男と良く似た人物は…虚無の境界の、現場指揮官のひとりです」
「――」
 武彦は思わず絶句する。
 何処でどうして『あの男』が虚無の境界と繋がるのか。
 否、『あの男』自体の正体がわからないのに何故か、真咲の科白に酷く衝撃を受けている自分が、変だ。
 と。
 るるるるるる。
 …電子音が鳴り出した。
 携帯電話。
 シュラインの。
 あまり待たせず、早々に通話に出る。
「…はいシュライン。…汐耶さん。そう。わかった。…これから戻るわ」
 ぴ。
「汐耶さんからよ。以前までの調査書類をひととおり当たってみたけどやっぱり杉下神居の名前は見当たらないって。念の為に別件で…『弾の残らない銃』を使いそうな輩も駄目元で探してみたけどやっぱりそんな器用な怪奇事件調査報告書も見当たらないって言ってたわ。銃でなければ幾つか見つかったって言ってたけど。風や氷で作った指弾とか飛礫とか」
 でも、それらが出来そうな『人』たちは、武彦さんを恨みそうな立場に無いし、今、近くにも居なさそうなんだって。
「そうか。…だろうな」
 武彦は緩く頭を振る。
 仕方無さそうに。

 …つい今し方掻き消えるように消えた男の姿、その面影、確かに知っている、引っ掛かる――見据えてくる眼差しとリボルバーのその銃口。
 知らぬものだとはどうしても思えないのに。

 思えないのに。

 それが誰だかが、わからない。
 どうしても。
 それ以上は――草間武彦の関った記録の中にも、記憶の中にも…存在を確認できない。

 もどかしい。



■それから、神社にて■


 手を合わせる姿が並んでいる。
 ついでなので厄除け祈願でもどうかと撫子に連れられて来た神社。
 参拝を終えたところで撫子は、ちら、と武彦の顔を見上げた。現場と思しき場所に行った、その時に再び現れた『幻』の事は、事務所に残っていた撫子たちも聞いている。
「あまり思い詰めないで下さいね、草間様」
「ん…あぁ」
 その撫子に対し武彦は何処か胡乱な態度で頷く。
「…結局、どう言う事だと考えれば良いんでしょうね」
 はぁ、と溜息を吐きつつ、汐耶。
「ひとまず、セレスティさんのところから防弾ガラスが頂ける、と言う事にはなりましたが」
「すみません。いつもいつもお世話になりっぱなしで」
 御言の科白を受け、セレスティにぺこりと頭を下げるシュライン。
「いえ、大した事ではありませんよ。草間君の為ですし」
 そんなシュラインに、にっこりと微笑み受けるセレスティ。が、すぐに真顔に戻り、武彦を見た。
「でも結局、不安なのは変わりませんね」
 犯人と思しき男の姿が幻のように掻き消えて、それっきりなんて。
 消化不良も良いところですよ。
 いつまた何か起きるか…。
「…いや」
「え?」
「大丈夫だ。もう、無いだろう」
 今回の事に関連した同じ件で、あんな騒ぎになる事は。
「どうしてそう言い切れますか」
「あいつは、ただ――顔を見せに来ただけだ」
 俺の様子を、見に。
 …再び、確信にも似た何かが武彦にそう言わせる。

 恐らくはもう、狙撃されるどころか…杉下神居と言う男――自分自身と非常に近しいと思えてしまうあの黒尽くめの存在――すら二度と見かける事は無いだろう、と。
 ただ一度だけ、忘れるな、と。
 知る筈の無い記憶を残そうとしたのだと。


 ………………俺とは違う俺自身の為に。


 何故か、そう、識っている。


【了】



×××××××××××××××××××××××××××
    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
×××××××××××××××××××××××××××

 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

 ■0086/シュライン・エマ
 女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

 ■1883/セレスティ・カーニンガム
 男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い

 ■1449/綾和泉・汐耶(あやいずみ・せきや)
 女/23歳/都立図書館司書

 ■0328/天薙・撫子(あまなぎ・なでしこ)
 女/18歳/大学生(巫女)

 ※表記は発注の順番になってます

×××××××××××××××××××××××××××

 ※以下、公式外のNPC

 ■杉下・神居(すぎした・かむい)
 男/?歳/詳細不明

 ■真咲・御言(しんざき・みこと)
 男/32歳/バー『暁闇』のバーテンダー兼用心棒・元IO2捜査官

×××××××××××××××××××××××××××
          ライター通信
×××××××××××××××××××××××××××

 いつもお世話になっております深海残月です。
 今回は御参加有難う御座いました。
 どうぞ、今年も宜しくお願い致します。
 …相変わらず初日に発注下さった方の納品期日=お渡しする日になりつつありますが…(滅)


 ※ひとつ御注意。
 公式頁に同時納品されているのは12人と思われますが、話を書くに当たりこちらでちょっと分けさせて頂きまして、今回は3人、4人、5人と分けてそれぞれ全然別の話にさせて頂きました。…途中に部分的に個別があるのでは無く、全面的に違う話が三種類になってます(そのせいで…ただでさえ遅いのに更に余計に納品が遅くなったとも言います/汗)。同じ「預り知らぬ過去の鳴動」に参加していても、登場人物欄に居ない人とは一切関り合ってはいません。
 が、お渡しした以外の二種類の話を見ると、別の角度から理解が深まる可能性があったりもします。
 …って、『杉下神居』の正体に関して、なので…疾うに察されているかもしれませんが。


 改めまして。
 今回は…見て頂いた時点でわかるかと存じますが、今まで私がやっていた調査依頼とは少々趣が違っていたりします。
 ――何と言いますか、『当方の異界をターゲットに置きながら、明確に異界では無い』話になっておりまして。
 異界の準備段階とでも言いましょうか。
 これは異界だろうと判断下さった方も多かったようですが…出した窓口が草間興信所である通り、この話は『通常の東京怪談』の範疇に含めています。
 やはり少々紛らわしかったようですね。
 すみません。
 …実は今回、『わざと』紛らわしくしたと言う部分もありまして(汗)
 今回はさすがに苦情が出るのを覚悟しております…。

 また、今回、なにやら折角頂いたプレイングがあまり関係なくなってきてしまった部分も多かったりします…。
 いえ、草間武彦が初っ端から心当たりの名前を口走っていたり(→様々なアプローチで心当たりを思い出してもらおうと言うお話がこの時点であまり意味が/汗)、撃ち込まれた筈の銃弾が何故か見当たらない(→銃弾から割り出す、と言うお話もこの時点で以下略/汗)、と言う事情から…。一応オープニング時点で「残されているべき弾の存在」には一切触れてなかった筈なんですが…言い訳ですね(汗)
 とにかくそこもまた申し訳無かったと(謝)
 ………………実は初めから真っ当な話になる予定じゃなかったんです。今回。


 まずは前提として。
 …『通常怪談では草間武彦はこの狙撃犯の正体を知りません』。
 ですが、『当方異界での草間武彦(ディテクター)は狙撃犯の正体を明確に知っています』。

 現在の東京怪談内では界鏡現象が起きています。
 即ち、各人にとって、別の現実が存在したりもします。

 そして、東京怪談に存在するPCの方々は。
 界鏡現象で分かたれた何処の世界にでも関れるようになっていると思います。
 …で、NPCの方はと言うと、別の世界――異界でも、そこに存在したなら、同一人物は同一人物なんです。
 それぞれ、通常怪談とは少しずつ、もしくは大きく違えた歴史を辿ってはいますが。
 本質的には同一人物でも、性格やら過去やら様々な要素により、殆ど別人のようになっている事もあります。

 で。
 特に当方異界に話を持って来ますと、世界観的なものは通常怪談と殆ど違いがありません。
 が、あくまで『殆ど』違いが無いと言う事で。
 反面、『微妙に違う部分』はちびちびとたくさんあったりします。
 実は今回出しました草間武彦の過去と言うのはそこの『微妙な違い』に関る部分です。


 通常怪談では界鏡現象、異界の存在はどう取り扱うつもりか――と言う部分を今回は出してみた訳でして。


 なので今回、この場所(草間興信所調査依頼)での草間武彦の記憶も必然的にあやふやな訳で。
 このあやふやさ、紛らわしさを通常怪談と当方異界の関り方の前提にしたい部分もあるので、異界の話を動かす前に、事前に「他の調査依頼」としてこんな話をやらせて頂きました。

 通常怪談のNPCに当方異界の話を持ち掛けたり、逆に当方異界のNPCに通常怪談の話を持ち掛けますと、この双方の記憶の中で「確りしているもの」と「妙にあやふやになっているもの」の二種類の記憶がある事になります。
 即ち、通常怪談では当方異界での、当方異界では通常怪談での出来事が「夢か幻の中のような印象でだけ」記憶にある場合もあるんです。双方で共通している出来事に関してはその辺りの不都合は特に無く何も問題は無いですが、「違っている」出来事に関しては…どちらに聞いても全然知らなくは無いですがその場合、その出来事が起きていない側の世界からは信用に足るような確りした証言は一切聞く事が出来ません。

 具体例としては今回の事件に関する草間武彦の反応か、PCゲームノベル『味見と言うより毒見〜解決編』でやらかしました、前振り編である草間興信所×2に関するNPCの反応のような感じになります。

 …って、これを草間興信所でやるのはちょっぴり反則技のような気もしますけど(笑)
 こんな感じで、異界以外の調査機関でも時々異界ターゲットの話を出して行くと思います。
 遅筆な癖にわざわざ手間の掛かる事やらかして風呂敷広げてます(汗)


 …と、本文以外まで長々と申し訳ありませんでした(ある意味毎度ですが/汗)
 その事もあり、またなんですが…(汗)個別のライター通信は省略させて頂きたいと…。

 少なくとも対価分は楽しんで頂けていれば…幸いなのですが。
 では、また機会がありましたらその時は…。

 深海残月 拝