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<東京怪談ノベル(シングル)>


破滅に至る病〜冤罪〜
 テレビで見ていた。その時そのニュース番組を、家族で夕食をとりながら、何とはなしに見ていた。まさか弟が事件の犯人として逮捕されるとは思っていなかったし、それは自分も両親も‥‥誰もが思っていなかった。
 午後八時、夕食時の一家三人、親と小さな子供が殺され、金銭を奪われたという強盗殺人事件は、自分達に何の関係もない‥‥別の世界の話しなんだというように考えていた。
 怖いね、と母が言ったような覚えがある。
 弟は‥‥。
 殺してまでお金が欲しいかなぁ、と‥‥そう言った。

 何度目だろうか、こうして墓地を歩くのは。
 手に水の入った瓶と花を持ち、女性は目的のひとの所に歩いていった。冷たい墓石の下で眠っているはずの、自分の大切な人のもとに‥‥。
 階段を上がっていくと、自然と視線はそちらに向く。
 誰かが墓参りする事は、まず無い。両親が殺人犯の親だと分かって、親戚も葬式に来なかった。
 視線が止まる。
 誰か、墓の前に居るのだ。
 真っ赤な振り袖を着た少女が。少女は墓の前で手を合わせ、目をとじて俯いている。
 少女は顔を上げると、そろりと立ち上がって顔をこちらに向けた。薄い笑みを浮かべ、静かに頭を下げる。つられるように、こちらも頭を下げた。
 しゃりしゃりと砂を踏む音が、こちらに近づく。
 少女は立ちすくんでいる女性の前に立つと、艶やかな桃色の唇を開いた。
“‥‥”
 一言彼女は言うと、返事も聞かずに通り過ぎていった。

 彼がその女性を見つけられたのは、ある墓所に入っていくのをたまたま目撃したからであった。
 車で移動中、赤い振り袖の少女を見て、もう一度そこに目をやると、もう少女の姿は無かった。
 おや、と思って車を停め、あたりを見回すと、彼女が歩いていたのだ。
 彼女は、階段の植えから二番目の段に、こちらに背を向ける形で立ちつくしていた。声を掛けると、彼女は肩をびくりと震わせ、振り返った。
「弟さんの事件の弁護を担当していました父に代わり、僕が弁護をする事になりました。宜しくお願いします」
「そう‥‥ですか」
 彼女の表情は、どこか浮かないものだった。少し気になったが、弁護士は言葉を続ける。
「2年前に父が引退して、僕が自分で再調査して見ました。ご両親にお会いしたいのですが‥‥よろしいでしょうか?」
「去年の冬に母と父は亡くなりました」
 女性は、弁護士に言った。静かに墓を見つめながら、淡々とこれまでの事を弁護士に話す。
「両親が生きていた間は‥‥何とか頑張ろうとしたんですけど‥‥両親が亡くなってからは。私も自分の家庭がありますし。あれから十年も経ちましたものね」
 それに疲れてしまって。と、女性はわらって言った。けっして、楽しそうに笑っているわけではない。彼女の笑いは、疲れ、やつれていた。
「それじゃあ、もう‥‥?」
「冤罪だってみんな言ってくれるんですけど‥‥それでも、やっぱり犯罪者の姉だという目で見られているの‥‥分かります。だから‥‥ご免なさい」
 姉は、頭を深々と下げた。
 しかし腕をぎゅっと弁護士に握られ、姉はびっくりしたように顔を上げた。
彼は眉をつり上げ、真剣な眼差しで姉を見ていた。
「‥‥お願いです、もう一度だけ頑張ってください。もう一度‥‥僕にチャンスをくれませんか?」
 姉の脳裏に、さきほど見た少女の姿が浮かんだ。両親の墓に花を供えていた、少女の姿を。
 弟の知り合いだと言った少女‥‥。
“きっと‥‥”
 彼女は小さいがはっきりとした声で、言った。
“きっと真犯人に罰が下る日が来ます”
 弟は、殺してなんか居ない。それは自分や死んだ両親や、田舎で毎日神社にお参りして無罪を祈っている祖母が、よく知っている。
 これは最後のチャンスだ。
 あの話を聞いてくれなかった老弁護士が引退したのも、この弁護士が現れてここで会ったのも‥‥。
「あちらさんがようやく証拠開示に応じたので、その報告がしたかったんです。‥‥どうして今になって出てきたのか‥‥僕が言うのも何ですが、ちょっと不思議です。見ていただけますか?」
「‥‥わかりました。宜しくお願いします」
 もう一度彼女は、深くおじぎをした。
 弁護士が見せたのは、証拠物品の写真だった。
“弟さんは、その日現場から一時間離れたある街で行われていた署名活動に遭遇して、名前と住所を書いていたんです。そのコピーが‥‥”

 何年もの間、彼は一人でこの独居に居続けた。
 暮らしていた、とか生活していた、とは言わない。
 彼はただ、決められた日までの一時生き続けるだけだった。
 この部屋の中なら、目を閉じていてもぶつからずに歩けるだろう。忘れようにも忘れられない。
 彼女が現れたのは、つい最近の事だった。
 どこから現れたのか、何者なのか分からない。独居に生きた人間が来られるだろうか?
 否。
 だから彼は、それが自分の幻だと思った。
「‥‥名前は?」
 自分の幻に声を掛けるのが恐ろしくて、今まで彼は声を掛けなかった。すると彼女も声を掛けては来なかった。
 しかし今日、思い切って話しかけてみた。
 思いもよらず、彼女は返事をした。
『魅咲だ』
「みさき‥‥?」
 死刑囚はかすれた細い声で、聞いた。
 御崎は、こくりと頷く。鈴のように軽やかで澄んだ声だ。
『本来言うみさき、とは先んじるの先という字があてられる。元は神を先導する役目を持った存在で‥‥有名なものがまあ、熊野のヤタガラスや、厳島に伝わるカラスの逸話だな。神の使徒であるはずが、いつの間にか山野で人々に害を成す妖怪とされてしまった。西日本には“七人ミサキ”という霊の昔話が伝わっているが、それらとの関係はわからん』
「みさきちゃんが、そうだと言うの?」
『‥‥それは、ヒトが後から付けた役目に過ぎない。私は神の使徒であるとも言っていないし、そういった害を成す存在だと言った覚えもない。私は私で、きちんと持った役目がある。導き手であるには違いないがな』
 と、魅咲はうっすらとわらった。少し目を細め、その表情はどこか大人びていた。
 魅咲はふ、と視線を廊下に向ける。誰かが歩いてくるのが、足音で分かった。足音は独房の前に止まると、中を覗いた。
 のぞき込んでいるのは、看守だ。
 死刑囚は、黙って顔を上げた。やがて看守は、魅咲に気づかなかったかのように歩き去っていく。気づかなかったのではなく、見えなかったのだろう。
『どうして、再調査を拒んでいる。元々、お主がやった事ではあるまいに』
「‥‥いいんだ、もう」
 死刑囚は、何の色も無い土気色の顔を、うす汚れた床に向けた。
 諦めの感情が、彼からよく見て取れる。
『疲れたのか』
「そう‥‥だね。もう、どうにもならないし。‥‥聞いたんだ。真犯人は、警視庁の偉い人の親戚なんだって。親が政治家で、圧力を掛けてもみ消したって」
『誰に聞いた?』
「前の弁護士の爺さんが。犯人だとは言わなかったけど、そういうような言い方をしていたから間違いないよ。爺さんは言ってた‥‥死刑囚は、刑が確定してから7年前後で執行されるって。詳しい事はよく分からないけど‥‥俺はもう7年と10ヶ月経った。いつ刑が執行されてもおかしくない」
 そう、今にも来るかもしれない。
 もう‥‥どうにもならないさ。
 男は呟くと、すうっと視線を落とし、また顔を上げた。
 そこには、もう魅咲の姿は無かった。かわりに、こつこつと革靴の音が聞こえ、ドアの前に立った。
 ドアが開けられる。
 覚悟していたはずなのに‥‥ざわ、と毛が逆立ち鳥肌がたった。

 すう、と音もなく歩く少女。
 少女は真っ赤な振り袖という目立つ出で立ちであるのに、誰もそれに気づかないかのように目も向けずに通り過ぎていく。
 少女は、すうっと視線をビルに設置された大型モニタに向ける。そこには、死刑確定囚の無罪が確定したというニュースが流れていた。
 そのニュースを、締め切った部屋でじっと睨み付けるように見ている男が居る。目の下には隈が出来、目はぎょろりとテレビを凝視していた。
 どす、とテーブルに重いものが落ちる音が響く。男の頭は、既に単なる肉の塊に変化していた。肉体から温度が空気中に飛散し、男の体は冷え切っていく。
 魅咲の目は、無表情のままであった。
 ただ、男を見つめる。
 その死を見届ける。
「人とは生まれ変わり、罪を償い、より高みを目指すもの。‥‥幾度生まれ変わろうともそれが出来ぬとは‥‥悲しいのう‥‥」
 そう言った魅咲の目は、悲しく潤んでいた。

■コメント■
 こんにちわ、立川司郎です。
 弁護士の爺さんが酷い奴だとかいう話しは置いといて(苦笑)。
 どう片を付けようかとか、死刑判決が出て執行されるまでそうとう年月かかるだろうとかとか悩みましたが、こういった形になりました。証拠がもみ消されてしまっている後で真犯人が死んでしまっても、彼を救う事は出来ないので。
 ただ、彼女の持つ役目は“困っている人を救う事”ではなくて“罪深きものを裁く”という事であるなら、彼を救う者はミサキではなくて他の誰かじゃないのかと考えました。たとえ彼を救おうとしていたとしても、リアルに直接手を下すより、間接的にそうなるように手を加える方が“らしい”気もしました。
 お任せという事でしたので、こうなりましたが‥‥いかがでしょうか?