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<東京怪談ノベル(シングル)>


天使の休日

長い髪をなびかせ颯爽と歩く美女。
「いい天気ですね。」
ピンと立つ真っ直ぐな背中。視線は蒼い空を見つめている。
そして手を伸ばす。まるで、空を…抱きしめるように。

「…休日、ですか?」
誰もが心に持つ、暗い部屋の中。銀の少女が小さく頷いて目の前に佇む一人の女性に微笑みかけた。
「うん、行っておいでよ。いつもみあおの中じゃつまんないでしょ。」
「そんなことは…ありませんが…。」
遠慮がちに首を振る女性の背には白い翼。頭上には輝く光の輪。これを一言で表す言葉が太古から存在する。
そう…天使。
「いつも、みあおがお世話になってるもんね、明日、一日お休みをあげる。好きなことしておいでよ。」
優しい少女の言葉、思い。天使は一度目を閉じ、開いた。
「ありがとうございます。お言葉に…甘えさせて頂きます。」
天使の言葉と微笑を鏡に返すように少女はもう一度、静かに微笑んだ。

平日の午前中、都立図書館に人は少ない。
「こんにちは…。」
受付の女性に軽く会釈をして、彼女は中に入った。
「こんにちは、…はい、海原みあおさんですね。どうぞ。」
身分証明書を確認した史書の女性はニッコリと微笑んで中へと促す。
自分の手に戻ってきた証明書を財布に戻して、みあおと呼ばれた女性は本棚の前に進んだ。
(本当のみあおさんでは、無いんですけどね…。)
小さく苦笑しながら、本棚に手を伸ばす。証明書は『お父さん』が用意してくれた。
『私達』の事情をすべて知った上で認めてくれている『お父さん』
今来ている服は『お姉さま』が用意してくれた。『私』には本体のみあおさんの服は着られないから…。
(ありがたいことですね。私のようなものにも心を配っていただいて。)

図書館の読書テーブルを一つ借りて本を読み始める。
「か〜のじょ。君美人だね、お茶でも…ど…う?」
たま〜にここをどこだか勘違いしているような暇そうな男性が声をかけてくることがあるらしいが、みあおは無視した。
もっとも殆どの男性はテーブルの上に重ねられた本を見ると尻込みをするのだが。
「精神分裂症の考察」「解離性同一性障害」「社会心理学の実際」「カウンセリングとそのキーワード」
(な、なんかやばそうだな…。)
勝手に来て、勝手に去って言った男を見送りながら、みあおは小さく息をついて本を閉じた。
(未だに心の問題と言うのはそういう見方をされてしまうのですね。)
元々、こういう本を読むようになったのは自分達のような多重人格が一般にどのように生まれているのか、心とはどういうもので、どこから生まれてくるのか。
それを知りたかったからだ。だが、本を読み知れば知るほど、「心」というものの存在は解らなくなる。臨床例が少なくて未知数なところも多すぎるのだ。
(私達は、人工的に作られた人格ですけれど、今は確かに心があり、こうして存在しています。自分でない自分を作らねば生きていけないほどの悲しみ、苦しみを抱える人々の力になれたら…。)
それが今の自分の夢だった。
自分の将来は『みあお』と共にある。主人格にも夢があり、希望があるだろうからそれを押し付けることはできないが勉強は続けていこう。
いつか、役に立つときが来るかもしれない。
ノートを広げ、ペンを取った。

午後の静かな昼下がりは、公園で過ごす。少し肌寒いが冷えた空気はどこか心地よい。
自動販売機で買った暖かい紅茶を横に、みあおはベンチに座り借りてきた本の一冊を手に取った。
映画にもなった精神分裂症者の記録。
自らも知らない人格が、自らの知らない事を成す。小説のようなその話の奥にある真実。
自分がこの本を読んで持つ感想は他の人とは違うだろうな。苦笑しながらページをめくっていると。
「うえ〜〜〜ん!!」
子供の泣き声にみあおは顔を上げた。
母親と一緒に遊びに来ていた子供の一人だろうか?自分から少しはなれたところで樹を見上げて泣いている男の子がいる。
「どうしたんですの?」
みあおは本を閉じ、子供の前に膝をついた。
(みあおさんより、少し小さいくらいでしょうか?)
目の前に現れた女性の微笑に男の子の涙は止まった。そこに母性を感じたから…かもしれない。
目元を擦り空に向けて、手を伸ばす。
「あそこ!風船、飛んで行っちゃった。」
指の先を見る。そこには空色の風船が、空と溶け合おうとするように浮かんでいた。引き止めるのは大地。
大地より伸びる一本の樹。指先一本のような枝に止められて、空の子はまだ還ってはいなかった。
「そう…、ちょっと待ってね。」
樹は高い。自分の3倍はあるだろう。みあおは風船を見上げた。子供には遥か彼方に見えるだろう。
周囲に人の気配、人の目が無いのを確認してみあおはジャンプした。軽く、小さく蹴った大地はみあおを重力のくびきから解き放つ様に空に運ぶ。
「…天使?」
その子はもう一度目を擦る。目の前には、さっきの女性が風船を持って微笑んでいる。
「はい、今度は気をつけてね。」
何が見えたわけではない。夢、だったのかもしれない。ただ彼女が、彼女の微笑がほんの少し前、クリスマスの時にショーウィンドウで見た天使を思い出させたのだ。
「○○〜。おうちに帰るわよ〜」
「お姉ちゃん、これあげる。」
そう言うと、子供は手に握っていた袋を、みあおに渡した。
「いいのよ。別に…。」
返そうとするみあおよりも早く、子供は走り出した。呼び声の方向。母の元へと。
「ありがとう、おねえちゃん。」
走り去っていく子供に手を振ってから、みあおは子供がくれた袋を開けてみる。あの子のおやつだったのかもしれない。肉まんが一つ。
もうだいぶ冷えていて、しかも袋の上からしっかりと握られた指の跡がついていたけれども…。
「…美味しいですわね。」
とても、優しい味がした。

街を歩く。
ブティックのウィンドウを覗き、料理屋のショーケースを見たり、並べられた靴を楽しげに見つめながら。
人々の足は速い。誰もが他の事を気に留める間もないように歩いている。
同じ道を歩いているのに、違うものを見ている。同じ場にいても、違う時を過ごしている。
同じ身体にいても、違う心。ましてや違う体と心を持つのが人間。仕方の無いことだけど…。
(少し、寂しいですわね。)
ふと、一件の店の前に小さな人だかり。足を止めて覗き込む。
小さな楽器屋のほんの小さなワンコーナー。若い青年が二人そこに佇んでいた。
(何が、始まるのだろう。)
二人は足元のケースから楽器を取り出した。軽く音を合わせ、奏で始める。
フルートとバイオリンの優しい歌声がショーウィンドウを飛び越して道路まで聞こえてくる。
そして、また誰かが足を止める。
みあおは目を閉じた。
この曲がなんというタイトルの曲か、などは解らない。
でも今、この時。同じ場所で違う人が同じ音を聞き、同じ思いを感じている。
それが、とても気持ちが良かった。

そろそろ日が暮れる。
もう「わたくし」の時間は終わりだ。「みあお」さんに帰さなくては。
空を見上げる。トパーズ色の夕焼けは抱きしめたくなるほど愛しい。
時々、空にこそ本当の自分の居場所があるのではないか、そう思えてしまう。
だが、今、この時こう感じることさえ意味あること。
いつか、自分がここにある理由がわかる日が来るだろう。
そう、信じられる。
たった一日の休日は、そんなことを彼女に考えさせていた。

コンビニの前、鼻をくすぐる魅惑的な香り。
「そうですわ。お土産に買っていきましょう。」
彼女は自動ドアの前に一歩足を踏み出した。

「ただいま戻りました。ありがとうございます。」
それだけ言うと「彼女」は消えた。立っているのはぶかぶかの服を来た小さな少女が一人。
「もうっ、中まで入っていけばいいのに。」
少女は小さく苦笑すると、大きな声を上げた。

「ただいま〜〜、お土産、肉まん、買ってきたよ〜♪」

踊るように跳びはねた少女には大きすぎる靴、いつの間にか玄関で自然に並んでいる。
次の休日を静かに待って…。