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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


響棘

 偶然は時として必然に変わるのかも知れぬ。否、元々偶然は必然というものとして存在しているのかも知れぬ。どちらにしろ、判断はつき難い。どちらでも良いのだという気すらしてくる。


 最初は、やる気など全く無かった。
 目の前に立つ、バンド「Blutschande」のボーカル、佐々木・泰志(ささき たいじ)を銀の目に焼き付けるように、鬼柳・要(きりゅう かなめ)は見つめた。ひらりと靡く長い銀の髪も、観客など見ていないようでそれでも見回している黒の目も、要は忘れないかのように見つめた。
(すげぇ)
 要を魅了しているのは、髪でも目でもなかった。それは付随したものであり、本当に心惹かれたのはそれらではない。
(すげぇ、声)
 心に響くとは、こういう事を言うのだろうだろうか。ただただ、響くだけではない。全身を突き抜ける。いや、それだけでもない。
(そう……刺さる)
 要はくしゃりと赤の髪をかきあげる。泰志の歌う声は酷く心に突き刺さる。抜けぬ棘のように、しかし心地よく。
(やばい……すげー良い!)
 熱狂する、ライブハウスを埋め尽くすファン達。その気持ちが、痛いほど分かる。
(良い。ただ、それだけが頭を埋め尽くす!……迸る!)
 今まで、沢山の声を聴いてきた。歌は国内国外問わず、それからジャンルはそれこそ読経から説法まで。しかし、今聞いている声は、今まで聞いたどの声よりも要の心に突き刺さる。
(湧き上がる……突き抜ける)
 要は他のファンと同じように心躍った。出会ってしまった、興奮を抱えて。


 きっかけは、友人が持ってきたチケットだった。
「鬼柳、良かったら一緒に行かないか?」
 ただ、それだけ。話を聞くと、一緒に行こうと思っていた別の友達がいけなくなってしまったのだという。せっかく取れたのだから、チケットが勿体無いのだと。
「何ていうバンド?……『Blutschande』?」
「知らないのか?」
「知らない」
 格好良く書かれた文字を、何気なく要は見つめた。
(英語……じゃねーな)
 それだけの、認識。
「今、すげー人気なんだぜ?音楽もすげーかっこいいしさ、何よりボーカルの泰志の声がすげーんだって」
「声?」
「何て言えばいいのか分かんねーけど……こう、全身にビビビッと来るんだよ」
 力説する友人に、思わず要は鼻で笑う。
「んな阿呆な」
「マジだって!」
「そうは言ってもなぁ」
 ぴらぴら、と要はチケットを揺らす。
「一度聞けば分かるって!騙されたと思っていこうぜ」
 友人に言われ、要は「了解」と言って頷く。そして、ふと友人に尋ねた。
「そういや、これって何ていう意味なんだ?英語……じゃねーよな?」
 友人は一瞬きょとんとし、それから苦笑する。
「ドイツ語だった筈だぜ。意味は確か……近親相姦だったかな?俺、結構調べたけどそれしか見つけられなかったから、違うかも知んないけど」
(そりゃまた、意味深な)
 要は苦笑で返すしかなかった。違うかもしれないという事ではあるが、少なくともドイツ語で同じ言葉がそういう意味で存在しているのだ。あながち間違いではないのかもしれない。それよりも、興味深い言葉だとは思うが、それをあえて使っているという意図の方がよっぽど分からない。
「時間、遅れるなよ!その開場時間の一時間前に待ち合わせだからな」
 チケットを見ると、開始時間PM7:00とあり、下に開場時間PM6:00とある。何と、開場してから一時間も間があるのだ。しかも、友人は更に一時間早く来いと言う。
「なあ、それはおかしくないか?開場してから行ってもいいんじゃないか?」
 要が言うと、友人は「ちっちっ」と指を振りながらにやりと笑う。
「そういうのは早めに行って並ばねーと、泰志が見れるところには行けないんだぜ?」
(そういうもんなのか?)
 要はぺらぺらのチケットを揺らしながら首を傾げる。不思議なものだといわんばかりに。

 約束の時間に待ち合わせ、ライブハウスに到着してから要は驚く。既に長蛇の列が出来ていたのだ。友人が小さく舌打ちする。
「やっぱ、遅かったか」
「お、おい。何でこんなに並んでるんだ?」
(まだ、始まるまでに時間があるんだぜ?)
 要が不思議そうに尋ねると、友人は苦笑する。
「だからさ、ちょっとでも近くでバンドを見たいんだって」
「でも、後ろでも聞こえるんだろう?」
「聞こえるけどさ、やっぱりちょっとでも近くに行って見たいじゃん?」
(分からねぇ)
 首を捻る要に、友人はぽんと軽く肩を叩き、にやりと笑った。
「分かるって。絶対に、一度でも聞いてしまったら分かるからよ」
(分かるもんなのか?)
 要は再び首を捻った。だが、要はまだ知らなかった。その気持ちが、痛いほど分かってしまうという事に。


(分かる……今ならば、分かる)
 要は終わってしまったライブ会場を見つめ、先ほどまでの熱狂を反芻する。
(今ならば、全て分かる。あの長蛇の列も、少しでも傍で見たいという気持ちも)
 一体どうして、と聞かれると困ってしまう。しかし、あの時には分からなかった『少しでも近くに行きたい』という気持ちが分かってしまった。理屈ではない。あの全身を駆け抜けるような、心に突き刺さるような声を、もっと間近で聴きたいと思ってしまうのだ。
 要はそっと手を見る。微かに震えている。まるで、先ほどまでのライブの熱狂が抜けていないかのように。
(実際……抜けてないからな)
 友人に肩を叩かれるまで、ライブが終わった後も呆然としてしまっていた。そして、熱が冷めるまでと、一緒に帰ろうと誘ってきた友人に断りを入れて、未だにこの場に留まっている。足が家へと行こうとしない。再びあの声を聴きたいと、全身が訴えているようだ。
(いや……ただ聞くだけならCDでもいいんだ。だけど)
 泰志の姿を見て、迫力ある声を全身で感じながら聞く。それを実現できるのは、このライブハウスだけなのだ。
 どれだけ立っていただろうか。ふと気付くと、向こうから派手な格好をした一団がやってきた。
「あ!」
 その中に泰志を見つけ、要は走り出した。そして心の中で気付く。ずっとこの場に立っていたのは、もしかしたら泰志に会えるかもしれないと心のどこかで思っていたからなのかもしれないと。
「た、泰志さん!」
「ん?……なんや、さっきライブに来てた人か?」
 訛りのある喋り方で、泰志は気さくに答えた。あの、突き刺さるような声で。
「あの、俺。さっきのライブであんたの声に惚れました!」
 告白のように言う要に、泰志は一瞬呆気に取られる。他のメンバーも目を大きく開いて事の成り行きを見つめている。
「俺、鬼柳・要って言います。絶対、ずっとライブ見に来ます!」
 力説する要に、泰志はようやく頭を働かせる。
「……ええと、俺。男のストーカーは初めてやわ……」
 泰志はそれだけ言い、苦笑する。
「それだけ、泰志さんの声は魅了する力があるんです。……俺が今まで聞いた声の中で、一番響いたんです」
「響く?」
 首を傾げる泰志に、要はこっくりと頷く。
「声を聞いた時、俺は何も無い空間に一人だけいるような感覚になって……その中で泰志さんの声が全身を揺さぶるように聞こえてきて。気付いたら、夢中になってて」
 真っ直ぐに向けられる、要の目。始めは戸惑っていた泰志だったが、その真っ直ぐな目からいつしか逸らせなくなってきていた。
「どうして今まで知らなかったのか、凄く悔しくて」
「……有難うな。俺の声をそないな風に思うてくれて、嬉しいわ」
 小さく照れながら、泰志は言った。最初の戸惑いは、既に無い。
 泰志は振り返って他のメンバーに先に行くように言う。
「良いんですか?」
 要の問いには答えず、泰志は笑う。
「ホンマ嬉しいわぁ。……なあ、知っとうか?言葉には力があるんや」
「力……言霊ですか?」
「お、よう知っとうな。その通りや。言葉の力……言霊」
 泰志はそう言って、そっと空を見上げる。
「何でも無い空があって、何でも無い星が輝いとって、何でも無い俺がおる。だけど、ホンマに何でも無いっちゅう事は絶対にあらへん」
「何でも無い事は、無い?」
「そや。何でも無いっちゅうのは絶対にあらへんわ。実際、要は俺の声を凄い言うてくれたやろ?」
「実際、その通りですから」
「そか、有難うな。……だとするとな、俺は何でも無いっちゅう事は無くなるんや。そうすると、輝いとる星も、空も、何でも無いっちゅう事はあらへんやろ?そこらに転がっとう石ですら、何でも無いっちゅう事はあらへんねや」
(そうか……)
 全てには意味があり、全てには存在というものがある。
「俺はそれを声に出して歌っとう。全てが意味あるもんやと、この声で言っとるんや。文字通り、言葉に魂を宿しているんや」
(だからこそ、響く)
 要は泰志を見てそ妙な納得に襲われる。
(だからこそ、突き刺さる)
「要が俺の声を聴いてそう感じ取ったんなら、俺の言葉に魂が宿ったんや。それを要は感じ取ったっちゅう訳やな」
「泰志さんの声のせいもあると思います。……そういう、力を含むような声なんだと」
「そうかもしれへんな。……そうであったら、嬉しいわ」
 少し照れたように、泰志は笑う。
(凄い人だ)
 改めて、要は思う。目の前にいる泰志という存在に、ただただ『凄い』という言葉しか出てこない。
(力に溺れる事なく、自らの力を過信せず。それでいて、自分の力を軽んじる事すら無い)
 小さく、要は苦笑する。溢れてくる尊敬の念。
「俺はな、要も凄いと思うで?」
 突如言われ、要ははっとして泰志を見つめる。
「要は俺を凄いと言う。色んな奴が俺の事を凄いと言って来たけど、要のように感じ取ったりはしてくれてへんかった」
「感じ取っていても……言葉にはならないだけかもしれませんよ」
「そうかもしれへん。せやけど、要は言うたやないか。言葉に力を宿して、真っ直ぐに俺を見て」
 それも一種の言霊だ、と泰志は言っているのだ。自分が要や他のライブハウスに来ている者達に言霊を乗せた声を与えているように、要も自分に言霊を与えているのだと。
「俺、そんなに凄い事は言ってないです」
「言っとう。……少なくとも、俺はそう感じ取ったんや」
 にかっと泰志は笑った。要は一瞬きょとんとし、それから笑った。互いが互いを認め合うかのように。


 偶然か、必然か。その違いは酷く曖昧で、その意味ですら交じり合う。どちらかが正しく、どちらかが間違っていると、はっきりと判断つけるのは困難な事である。
 しかし、出会う事が出来たのだから、それはそれで良いのかも知れぬ。曖昧だろうが、交じり合っていようが……それはそれで問題は無いのかも知れぬ。

<棘は刺さったまま言霊を響かせて・了>