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<東京怪談ノベル(シングル)>


破滅に至る病〜絶対規律〜


 どさりと足元に崩れ去るカタマリを、男は侮蔑を含む歪んだ嘲笑を浮かべて見下ろした。
「子供が夜遊びしちゃダメなんだよ?」
 眉間に深い嫌悪のしわを刻み、咎めるように、あるいは責めるように男は既に事切れた小さな骸にポツリポツリと言葉を落とす。
「ママがいつも言ってるだろ?言いつけを守れない悪い子はお仕置きされちゃうんだよって」
 強く握り締めていたせいで僅かに強張ったままの手を広げ、じっと見つめた。
 じんじんと痺れた感覚が手の平全体に広がっていく。
 まだ相手の温度と感触の余韻が、この両手に残っている。
 それはとても心地よく、自分を充たしてくれるものだった。
「………そう、君は罰を受けなければならないんだ。いい子になれない子はいらないんだ。言いつけを守れない子はいらないんだよ?ねぇ?そう思うだろう?」
 罪の意識の代わりに男を支配しているのは、胸の底から湧き上がる、なんともいえない高揚感だ。
 母との間で交わされた絶対的規則を忠実に守る自分。
 それを破るものを正している自分。
 愉しくて嬉しくてたまらない幸福感に満たされながら、男は地面に落ちた書類鞄を手にすると、闇の向こうで待つ家族の元へ急いだ。
 
 
 そして公園の片隅では、子供の死だけが外灯の仄暗い明かりを受けて取り残される。



 TVも新聞も、マスコミは毎日毎日飽きもせず陰惨なニュースを流し続けている。
 今日の更新内容は、連続通り魔事件の新たな被害者の公表と、見えない犯罪者に怯える周囲のインタビューが中心となっていた。
 社員食堂の隅で定食をつつきながら、男は無関心を装ってそれらの情報をやり過ごす。
その隣では、若い部下が食事の手を止め、顔を顰めてブラウン管に見入っていた。
「ほんと、ひどいっすね。あんな子まで犠牲になるなんて。ね?主任も小さいお子さんいらっしゃいますし、不安ですよねぇ?」
 同意を求めるように、首を傾げる。
 だから彼は青年と同じように食事の手を止め、そして同じように眉を潜めて見せた。
「まあ、物騒な世の中なんだからね……子供が夜中に出歩くのは感心できない。親の言いつけを守っていればこんな目には遭わなかったんじゃないかい?」
 そうだ。出歩いたりせず、ちゃんと家でいい子にしていればお仕置きなどしなかった。
 あの子も、そして今までの……女子高生も小学生も老人も皆、『いい子』にさえしていれば、規則など破らずにいれば、この手にかけたりしなかった。
―――――自業自得という言葉を、彼らに身をもって教えてやったのだ。
 すると、TVから視線を外し、彼が訝しげな表情を浮かべてこちらを覗き込んでくる。
「主任は門限あったクチっすか?」
「キミはなかったのかい?」
「あ〜僕も昔はありましたよ?ええと、小学校までっすけど、結構オヤジが厳しくて」
「へえ」
 男の目がすっと細められる。
 そして、まるで青年を試すかのようにひとつの問いを投げ掛ける。
「キミはそれを守れていたかい?」
「もちろんっすよ!破れば親父に殴られますし、家に入れてもらえなくなりましたもん」
 幼い頃を思い出してか、青年はバツの悪い苦笑いを浮かべて頭を掻いた。
 その答えに、満足感と好意を抱いて、「そうなんだ、えらいね」と返す。
「ごちそうさま。じゃあ、私は先に失礼するよ。君も午後の会議、遅れないようにね」
「時間厳守ッすね。了解です」
「そう。時間厳守は基本中の基本だ。遅刻厳禁」
 部下の肩を軽く叩いて、男はその場を離れた。
 青年は振り返ることも、見送ることもしなかった。だから、気付かない。
 自分があの子達を躾けてやったんだと彼に話して聞かせたいと思いながら、その気持ちを抑えこみ、それでも呑みこみ切れなかった想いが、歪んだ笑みとなってその口元に現れていたことに。

 規則は守るためにあるのだ。守れないものは、いらない。要らないならば私がこの手で。

 ひとつの使命を自身の中に抱いて、男はネオンの光とニンゲンで溢れ返った夜の繁華街を歩く。
残業を終えてタイムカードを押し終えると、時計は既に23時を回っていた。
 妻と息子が待つ我が家へと急ぐその途中で、不意に彼の足が止まる。
 眇められた視線の先には、路上でクレーンゲームに興じる子供の姿があった。
 カバンを背負った小学生と思われるその少女は、コインを追加しては、ぬいぐるみを吊り上げることに熱中している。
「………見つけた………」
 にぃっと、男の口元が笑みの形に歪む。
 子供がこんな時間にこんな場所でこんな事をしちゃいけない。しかも女の子ではないか。
「言いつけを守れない悪い子は、お仕置きをしなくちゃいけない」
 自分には、その義務があるのだ。
 やがて彼女は、いくらやろうとも上手く行かないゲームの筐体を軽く両手で叩くと、諦めて踵を返した。
 男は静かに少女の後を追いかけた。
 ヒトが減り、外灯が減り、危ないからと通り抜けを禁止されているはずの公園内を彼女は構わず進んでいく。
 ひたひたと背後の闇に紛れて迫る男に気付く様子もない。
「お前というヤツは」
 ゆっくりと、獲物に向かい、躾けるための腕を伸ばす。
「なんて悪い子なんだろう」
「―――――っっ!?」
 がっ。
 彼女の悲鳴は、掴まれ、締め付けられた喉から外に放たれることはない。
 突然の出来事が、少女から思考を奪いさっているのだろう。
「どうして言いつけを守れないんだ?まっすぐに帰らないとダメだろう?ゲームセンターなんかで遊んじゃダメだろう?女の子が危ないじゃないか。この公園は……ねえ、通り魔が出るから近寄っちゃダメだと、ママに言われているはずじゃないか?」
 喉の拘束を強めていきながら、男は少女の咎を上げていく。
 必死に振りほどこうともがく彼女の身体が、男の手によって空に吊り上げられた。
「悪い子だ悪い子だ悪い子だ――――お仕置きしなくちゃお仕置きお仕置きだ、ねえ、悪い子だモノいうこと聞かない悪い子はいらないんだよ」
 ぎりぎりぎりぎり―――――
 言うことを聞けない子も、約束を守れない子も、そして悪いコトをする子も、罰を受けるのだ。
 ギリギリギリギリギリギリギリ――――ゴキン……
 手の中で鈍い音が鳴る。
 そして少女の身体がだらりと動かなくなる。
 手を離せば、どさりと抵抗なく少女の身体が地面に崩れ落ち、そのまま倒れ伏して動かない。
「言いつけを守れない子は、いらないんだよ」
 足元に転がる物体へ、嘲笑と共に言葉を投げつけると、男はカバンを抱いて背を向けた。
 今日もいいことをした。

 リン―――――

 その耳元で、不意に微かな鈴の音が鳴った。
「なんだ?」
 訝しげに、周囲を見回す。
 聞こえるはずのない異質な音。得体の知れない空気。昂っていた感情を急速に冷やしていく感覚。
ざわざわと肌が粟立つのを感じながら、音の発信源を懸命に探る。
「―――――!?」
 男の目が驚愕に見開かれた。
「………な、なぜ……」
 混乱と驚嘆。ありえない光景に、思考回路が一瞬で麻痺状態に陥った。
 目の前の現実を正確に把握するには感覚がついていかない。
 頭の中をぐるぐると旋回する疑問符。
 たったいま死を確認したはずの少女が鮮赤の振袖を纏ってそこに立ち、ヒトではありえない光を宿して自分を見つめている。
 嘲るように、少女の鮮紅色の瞳がすぅっと細められた。
「のう?お主は守れているのかえ?人の世の理を、その身は守っているのかえ?」
 凛として響く氷の声が、鼓膜を震わせる。
「ヒトがヒトを殺めてはならぬ。それはヒトの理であり、厳守すべき規則ではないのかえ?」
 淡々と注がれる、あってはならない自分への問い掛け。
 ふつりと、男の中で何かが弾けた。
「うるさい!うるさいうるさいうるさい―――――っっ」
 ヒトの理から外れたものであることを本能で感じながらも、男は衝動によって少女の首を再び掴み上げた。
「あいつらは悪いことをしたんだ。物を盗み、夜遊びをし、迷惑をかけ、言いつけを守らなかった!私は彼らを正したのだ!そうだ、誰も何も言わないから、だから私が代わりに躾けてやったんだ!」
 今度こそ、息の根を止めなければならない。今度こそ、その命を絶たなければならない。
 切迫した想いを持って、男は渾身の力で華奢な少女の首を締め上げる。
なのに、彼女は苦しげな息ひとつこぼすことなく、ただ凍れる視線で自分を見つめているのだ。
「………ならば何故、弱きものばかりを手に掛ける?」
 何故、弱きものばかりをその手で死に至らしめるのか。
「赦されざる咎人よ。お主はヒトの境界を越えた」
 掴み上げた腕の合間を縫って、少女の手が男の首筋へと伸ばされる。
 凍傷(ヤケド)しそうなほど冷たい指先が、項をすぅっとなぞり、ぷつりと爪が皮膚を刺した。
「……何をっ……!?」
 少女の身体を力任せに投げ出し、男が得体の知れない感触にあとじさる。
「…………あ、ああ……あ…」
 激しい眩暈に襲われ、平衡感覚を失ってバランスを崩すと、どこまでも深みに落ちていく感覚を抱えて地面に蹲る。
 瞬間。

 ―――――……あんたって子は

 男は心の最も奥底に封印した忌まわしい記憶のフラッシュバックに支配される。


 ―――――全く、あんたって子はどうして――っっ!
 ヒステリックな声をぶつけ、振り上げられた彼女の白い手は、感情のままに力任せに少年の頬を打ち据えた。
 視界に火花が散る。
 少年の軽く小さな身体は、あっけなく床に倒れこんだ。
ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……
 熱と痛みに耐えながら、背を丸め、床を這い、母の足に縋りついて少年は必死に許しを請う。
もうしませんからゆるしてください……
 だから捨てないでください。
 いい子になるからもうぶたないでください。
 もっといい子になるから。
 ママ。ママ、ママ――――――


 ――――――言いつけを守れない子はいらないわ
 ――――――規則を破るような子はいらないわ

 ――――――……なんて悪い子なのかしら


「――――あ、ああ……なんて、悪い子なんだろう……ママ…ボクは……」
 焦点の外れた虚ろな目が、何もない空を彷徨い始める。
「そうだね、うん、そうだ!罰を受けなくちゃ!ねえ、そうだよね、ママ!」
 男は狂気じみた哄笑を上げて、自ら喉を掴み上げた。
 全身が痙攣を起こしたように引き攣り、唾液が口の端から喉へと伝い落ちる。
 息が止まり、鼓動が止まり、鈍い音と共に全ての生命活動が止まる瞬間まで、男はひたすらに、自身の首を締め続けた。
 自分を捨て、この世界から消えた母親の幻影に精神を蝕まれながら、闇へと堕ちていく。

 ――――――ボクは悪い子だから……バツを受けなくちゃいけないんだね、ママ……



 凄惨な男の滅び行く様を、少女は一片の慈悲もなく、鮮血の瞳を凍りつかせ、ただ静かに眺めていた。
 苦しみ、悶え、業によって崩壊していくニンゲンの精神。
 男の時間が永久に止まる瞬間を見届けると、溜息がひとつ、少女のその薄い唇からこぼれ落ちた。
 そして。
 九耀魅咲は、鮮烈な赤の光を残して、永劫の闇の世界へとその身を還した。

 雪が、赤い空からゆっくりと舞い降りてくる。
 それは存在する全てのものを分け隔てなく白く染め上げ、あらゆる色と穢れを覆い尽くしていく。
 生も死も、白銀の沈黙に侵されて行く。




END