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<東京怪談・PCゲームノベル>


【この空の果て -Cry for the sky-】


 1/

 『その子』に気付いた時、私の両足は無意識のうちに歩く事を止めてしまった。
 手にした紙袋の重さとは違った不自然な重みを両肩に感じ、私は苦笑いと共に溜息を吐き出す。
「どうしちゃったんだろう」
 言葉と共に吐き出された白い息は、煙のように大気の中に拡散していく。
 消えていく息を目で追いながら、私は『それ』の意識を街の中に探した。
 『その子』はこの街のどこからか私を見下ろしている。
 私に触れたいのかもしれない。
 気付かないフリをして歩いて行ってしまえば、私は『それ』との繋がりを今の瞬間に絶つ事が出来る。
 だが、私の思いとは裏腹に両足は歩き出そうとはしてくれない。
 無意識に芽生えてしまった同情なのか、それとも私自身の興味からなのか。
「仕方ないな」
 私は、苦笑いと共に自身に向けて言葉を呟くと、ゆっくりとした仕草で視線を上げた。
 人が行き交う街の中をすべり、視線は空へと向かう。
「……見つけた」
 鮮やかな色を見せる冬の空を背後に『それ』は存在した。
 七階、八階だろうか。
 少し高い、古びたビルの屋上に張り巡らされたフェンスの手前に立ち、『それ』は私の姿を見下ろしていた。
 黒く長い髪が、ビルの下から吹き上げる風に吹かれ空へと髪を舞い上がる。
 この季節にはとても寒そうな黒のセーラー服のスカートが、髪と共にひるがえる。
 制服から覗く白い手と足が、なぜかとても印象的に思えた。
『……ある、の?』
 『その子』が呟いた。
 耳の鼓膜の内側、例えるなら骨に直接音の振動が当てられたような、少しこもった声。
 その声は、少女特有の少し高い音を含んでいる。
 風の音かもしれないが、声にはわずかにノイズのような雑音も混じっている。
 三十メートルはゆうに離れた少女の声は、とても悲しそうなものに聞こえた。
『……この、空の果て、に、は。……なにが、ある、の?』
 『その子』が私に向けて手を指し伸ばした。
 すがるような仕草で、『その子』は私を求めている。
 そんな風に見えたのは私の思い過ごしだったのかもしれない。
 だが、それでも私はその手をとってあげたいと思った。
 その気持ちは、偽善や好奇心から生まれたものかもしれない。
 それでも私は、忘れてしまう事なんて出来なかった。
 流されやすい自分の心に苦笑いを浮かべて、このままだと首が痛くなるから、と自分自身に嘘をついて。
「解ったわ。すぐにそこに行くから。待っていて」
 そう呟いた時、私の口元には不思議と笑みが浮かんでいた。


 この空の果て -Cry for the sky-


 0/

 東京を覆う冬の空は、セルロイドを色付けをしたかのように、蒼く鮮やかな色をしていた。
 肌に感じる風は冷たさを強く帯びながら街の間を吹きぬけ、細い雲が空の中を流れている。
 吐き出す息は白い煙に変わり、散りながら空の中へと消えていく。
 服装は、スチールグレイの細身のラフなスーツにアイボリーブラックのコート、首にはココア色とチョコレート色のボーダーカラーのマフラー。
 ブーツのおかげで足元からの寒さは少ないものの、鼻先や指先には冷たさが染み渡り、寒さに堪えるために無意識のうちに手を握ったり鼻をつまんだりしてしまう。
 そんな自分の姿を滑稽に思いながらも、街の中を歩く私の足取りは少し軽い感じがしていた。
 休日の街には慌しさと騒がしさが入り混じり、平日の街とは違う雰囲気が満ちている。
 荷物を手に早足で駅へと向かう人、店の中で携帯電話を手に会話やメールをしている人、愛犬と一緒に散歩を楽しむ人、手を繋ぎ、笑いながら歩く人たち。
 同じ冬を過ごしながらも、違う世界を歩く人たちの波の中に私の姿はあった。

 その日、私は習慣となった書店巡りをして休日を過ごしていた。
 一般書籍が並ぶ店舗経営の場所から、年代ものの古書を扱う場所まで、表通りに点在する店の大半を頭の中に記憶している。
 カフェやブティック、さまざまなジャンルの雑貨屋が並ぶ駅前の通りを歩きながら、そんな書店の中をひやかして歩く。
 ショーウィンドウに並ぶ売れ筋の書籍を眺め、耳にした論評を頭に入れながら陳列された本を手にとり、面白そうな本を数冊購入する。
 古書店では、食い入るように棚を睨みつけながら目当ての本を探していくが、見つからずに落胆する。
 小さな店にいたっては、そんな私の姿が印象に残ってしまったのか、店員から私に本の話題を話しかけてくれる人もいる。
 特に年配の人が経営する店では私が来る事が嬉しいのか、お茶やお菓子を振舞ってくれた後に世間話をする事も増えた。
 気がつけば、ブランドの紙バックの中には購入した本がぎっしりと詰められ、片手では持ちきれずに抱えるような姿でバックを手にする私がいた。
「……困ったわね」
 いつもの事なのだが、まとまった時間に書店を巡ると予定していた以上のものを買ってしまうところがある。
 部屋に帰るたびに自制をしようと心に決めるのだが、次の休みになるとそんな気持ちは頭から抜け落ちてしまうらしい。
 情けないとは思うのだが、今日の私も書籍の誘惑には勝つ事は出来なかったのだ。

 おおかたの書店を回った後、私は古い友人の店を尋ねようと表通りから細い路地へと足を向けた。
 ビルに隔てられた細い路地は、表通りの華やかさに比べれば少し寂しげな雰囲気がある。
 少しずつ小さくなっていく車のエンジン音や人の声を背中越しに感じながら、一キロほど先の住宅地の近くまで歩いていく。
 散歩というには少し距離はあるが、中々長い距離を歩く時間が作れない私には丁度良い運動になるだろう。
 晴れ渡る冬の空はどこまでも続いていく。
 ふいに、街には季節はないと言っていた人の言葉を思い出す。
『自然の消えた街の中では季節を感じる事は少なく、せっかく四季という素晴らしい気候がある国の中に住んでいる人間なのだから、現代の生活は恥ずべき行為なのである』
 私は、その言葉を耳にした時に、少しの同感と大きな違和感をおぼえた事を記憶している。
 その日から私は、休日に外を歩くたびに空を見上げる癖がついてしまった。
 私は繰り返される日常の中にも、わずかな変化を見つける事は出来ると信じていたからだ。
 空の色、風の音、光の長さ、太陽の温かさ、人の服装、動物の姿。
 そんな些細な変化から、季節を感じる事は出来ると私は思う。
 もちろん、活字にばかり追われている日常の中でも、生み出される言葉の中に季節や時間を感じる事は出来ると私は思っている。
 事務的なものには難しいかもしれないが、季節ごとに交わされる手紙や葉書には、小さな季節が書かれていると思う。
 それを大切に思い、それが幸せかもしれないと感じる事。
「無理をして探さなくても、幸せなんて直ぐ近くにあるのにね」
 呟いて、空を見上げる。
 一月の空はどこまでも青くて。
 遮るものは何もなくて。
「……」
 ふいに。
 一際高いビルと空の中に、私はその姿を見つけた。


 2/

「この上、か」
 押し開けたガラスのドアの中は、不気味なほどに静まり返っていた。
 換気は余りされていないのか、少しほこりっぽい生暖かい空気が充満している。
 点けられた照明は、暗い色を使っているせいか鈍いオレンジ色の光が弱々しく灯されていた。
 八階建てのビルの中は、テナントが三つ入っているだけで他に使用がされている様子はない。
 狭いエレベーターホールには、小さなエレベーターと明るい光を放つジュースの自動販売機の姿があるり、壁の脇に置かれた背の高い観葉植物が葉をしなだれさせて立っている。
 エレベーターの左側の通路には鉄製のドアがあり、壁とドアの隙間から細い光がもれ、そのドアが外に通じている事が解る。
 鉄製の扉の前には古びたプレートが打ち付けられ、白いペイントを使い『非常口』という文字が書かれていた。
 エレベーターホールの案内板には七階までしか表示されていない。
 屋上へと繋がる八階に上がるには、どのみち階段を使わなければならないという事だろう。
 私は自動販売機の前に立ち、バックの中から皮製の財布を出して小銭入れから五百円玉硬貨を取り出した。
 コイン投入口に五百円玉を入れ、点滅するホットのココアのボタンを押す。
 鈍い音をたてて落下した缶を取り出すと、缶は。外気にさらされた手には痺れるほどに熱く感じられた。
「……」
 熱いココアの缶をコートの袖で包んで持ちながら、ランプが点滅したままの自動販売機に目をやった。
「せっかくだから。ね」
 わざとらしく言葉を呟くと、点滅するホットココアのボタンに指を伸ばした。
 再度、鈍い音をたてて取り出し口へと缶が落ちると、それ出してコートの袖で包む。
 左手には二本のココア、右手には本の詰まったバックというひどく不自然な格好のまま、私はエレベーターの前に立ち七階のボタンを押した。
 六階に点いていたエレベーターのボタンが、低い音と共に一階へと降りて来る。
「あの子、まだいてくれているかしら」
 振動音が響くホールの中で、私は小さく言葉を呟く。
 だがその呟きは、エレベーターの到着音にかき消されてしまった。

 乗り込んだエレベーターの中は、殆ど使われていないのか埃っぽい空気が充満していた。
 入り口正面の壁際に立ち、階数ボタンの七を押す。
 ドアが閉まると、ゆっくりとした速度でエレベーターが上階へと上がって行く。
「……そういえば」
 腹部に込み上げるこの独特の違和感に、私はふと小さい頃はこの感覚が嫌いだった事を思い出していた。
 小さい頃、私はエレベーターに乗るたびにおぼえるこの違和感が嫌でたまらず、乗る事に戸惑いすら感じていた。
 だが、気付けば不快感をおぼえる事はなく、当たり前のようにエレベーターを利用するようになっていた。
 いつから慣れてしまったのかという記憶は、曖昧で遠いものになってしまっている。
 ふと、それは人が特有の思いにも似ているのかもしれないと私は思った。
 小さい頃に恐かったものや夢見ていたものが、大人になるにつれて夢の中の空想である事を理解する。
 現実という言葉を口にするようになり、夢を見る事は子供のする事だと告げる。
『大人なのだから現実を見ろ』
 それはまるで口癖のように、その言葉は人から人へと伝えられる。
 確かに、大人になれば子供の時には見る事のなかった現実と向き合わなければならないかもしれない。
 だが、それは夢を忘れる事と同等の意味を持つのだろうか。
 夢を見る事は、現実を忘れる事なのか。
 子供の頃には夢を見ろと教え、大人になれば夢を忘れろと告げる。
 夢は、子供だけに与えられる空想だったのか。
 だとすると、大人という領域はとてもつまらないのもになってしまうのではないだろうか。
 気がつけば、私もそんな大人になってしまっていたのだろうか。
 脱線した思考の私を乗せたエレベーターは、気が付くと七階に停止していた。

 エレベーターから降りると、そこは小さなフロアだった。
 一階のエレベーターホールを一回りほど小さくしたその場所にはドアが二つだけあり、一つは木製のドア、もう一つは一階で見た鉄製のドアが見える。
 木製のドアの表面には何も貼られておらず、鉄製のドアにはプレートが打ち付けられ『関係者以外の立ち入りを禁ず』の文字が白抜きで書かれていた。
 恐らく、そのドアの向こうに屋上へ続く階段があるのだろう。
 両手一杯の荷物を抱え、私は鉄製のドアの前へと歩いて行く。
 あの子は、まだ私を待っていてくれているのだろうか。
 それとも、私に愛想をつかしていなくなってしまっているだろうか。
 逢ったら、どんな言葉をかけようか。
 そういえば、あの子はどうやって私を見つけたのだろ。
 なぜ私に触れたがっていたのか。
 なぜ。
 ノブに手をかけ、両手でドアを押し開けようとした瞬間、それを躊躇するかのように私の手から力が抜けた。
「……そういえば」
 無意識のうちに言葉が零れる。
「どうしてなんだろう」
 私の唇は、自身へ向けての自答を呟いていた。
「……どうして、私に言葉を伝えたりしたのかしら。私以外にも、言葉を『聞く』事が出来る人はいるはずなのに」
 ビルの屋上から私を見下ろし、すがるようにして手を差し出す『あの子』の姿を思い出す。
 それはまるで、私に『何かを求めていた』ようにも思えた。
「私に求める? ……何を?」
 呟き、記憶の中から『あの子』の言葉を呼び起こす。
『……この、空の果て、に、は。……なにが、ある、の?』
「空の果て……。オゾン層、なんて答えは求めてないんでしょうね」
 抽象的な『空の果て』という言葉。
 『あの子』は、何を意図して『空の果て』にあるものを求めているのか。
 『あの子』の求める『空』の意味とは何なのだろうか。
「嘘を並べた適当な言葉なんて、言えやしないわね」
 禅問答とも哲学とも思える言葉の意味に、私は思わず苦笑いを浮かべた。
 もしかすると『天国と地獄はあるの?』と聞かれた方が、まだ答えられたかもしれないと私は思う。
 『あの子』は何を探しているのか。
 私に、その答えを探す手助けが出来るのなら。
「本当。知りたくなる衝動っていうのは、困りものね」
 気付けば、私は何度目か解らない自身へ向けての言葉を呟いていた。

 私は手にしていたバッグを壁際に置き、ココアの缶を持ち直すと、冷たいドアノブに手をかけた。
 ゆっくりと押し開くと、低い錆びた鉄の音と共にドアの隙間から一月の冷気が流れ込んで来る。
「寒いな。やっぱり」
 私はその風に眉を寄せながらもドアを押し広げると、外へと足を踏み出した。
 ドアの向こうには短い階段があり、その先は屋上へと続いている。
 屋上と通路の間にはドアの姿はなく、階段を上がれば直接外に出る事が出来るらしい。
 コンクリートで作られた階段を踏みしめるようにして昇っていくと、屋上へと出る事が出来た。
「は……ぁ」
 呟いた息は白い煙に変わり、心なしか寒さが増したようにも思える。
 街が遠くなり、空が近くなった。
 耳の傍を通り過ぎる風の音は少しずつ強くなり、車の音や人のざわめにはとても遠くに感じられる。
 ほんの少し視点が変わっただけなのに、眼下に広がる街の姿は私の知っている街とは別のものように思えてしまう。
 『人が自分自身のものとして認識出来る世界は、両手を広げた世界ほどの広さでしかない』とどこかで聞いた覚えがある。
 私はその時、少し偏っているとも思える見解に複雑な気持ちになったが、こうして視点を変えてみると、それも間違いではないのかもしれないと思えた。
「……」
 最後の一段を上がると、視界の中に太陽の光が差しこんだ。
 眩しさから細め、周囲を見渡す。
 打ちっぱなしのコンクリートの屋上の周囲は錆びた緑色のフェンスに囲まれており、視界を遮る高い建築物はそう多くない。
『……あな、た』
 ふいに、耳の奥から少女の声が聞こえた。
 驚きながら視線を巡らせると、屋上の端に立つ一つの影を見つけた。
 夏の制服を着た長い髪の少女が、私に真っ直ぐな視線を向けている。
 指し伸ばされた手は細く、触れると壊れてしまいそうなほどに脆く見える。
「こんにちは。遅くなってごめんなさい。ここにいるのは寒かったでしょう?」
 私を視線で追いながら、少女は再度言葉を呟く。
『空の……果て、には』
 たどたどしい口調の少女に向け、私は笑みを浮かべた。
「えぇ。私も、それが知りたくてここに来たの。一人で考えるよりも二人で考えた方が、きっといい答えが見つかると思うわ。
 暖かい飲み物を買って来たから、飲みながら一緒に考えましょう?」
『……わたし。……わた、し』
 指す出された少女の手の中はに、冬の空の鮮やかな蒼が滲んでいた。


 3/

「小さい頃ね。私はずっと、どうして空が蒼いのかを考えていたの。絵本の世界では『天使が空にペンキを撒いた』と書かれているし、小説では『空の向こうは鏡の世界になっている』とも書かれてある。
 大人達は『昔から蒼かったんだ』と言って、ほとんど相手にもしてくれなかった。寂しかったな。もしかしたら、そんな事を気にしているのは、世界で私だけなんじゃないかって。そんな事を考えてた」
 十五歳の少女は、名前を『藍衣(あい)』といった。
 黒い夏服を着た少女は、ずいぶんと長い間をこの場所で過ごしていたらしい。
 フェンスの向こうから人を眺め、変わりゆく空を見上げる。
 そうして少女は、心と体を三年前の夏に置き去りにされたまま『空の果て』を探し続けていた。
「それが……いつだったのかな? 『空が蒼いのは、地球を包んでいるオゾン層の色なんだ』って事を知ったのは。
 その時、私はなぜかとてもショックだった。ずっと知りたがっていたはずの事なのに、いざ知ってしまうと凄く悲しくて。『サンタクロースはいないんだよ』って、言われた時と同じぐらいにショックだったの」
 三年前の夏、少女は一人でこの場所に来た。
 目的はもちろん『ここから飛び降りる』ためだ。
 人とうまくコミュニケーションをとる事が苦手だった少女は、中学に入るとクラスメイト達から疎外されるようになっていった。
 距離をとっていたといえば響きはいいが、悪くいえばイジメの前兆のような傾向に、少女は日々耐える事が出来なかったのだ。
「知りたいと思った事を知ってしまった時、人は心の中で『何かが抜け落ちたような感覚』に気付くんだと思う。それは、知りたいものの事を考える事で、無意識のうちに心がバランスをとっていたからなんだと思う。逃避という訳じゃないけれど、知りたいものの事を考える、人は周囲の世界から自分だけの世界に入る事が出来たんだと思う。
 だから、人は『知りたい』と思う反面に『知りたくない』という気持ちが生まれるんだと思う。答えに気付いてしまったら、そこで全てが止まってしまうから」
 自分の中に存在価値を見出す事の出来なかった少女は、他人と違う『特別なもの』を捜し求めるようになっていった。
 それが『空の果てを探す』という夢。
 『空の果てを探す』という夢に浸るあまり、少女は現実の世界を生きる事が苦しくなっていった。
 そして、夏のある日。
 少女は『空の果て』に向かうためといって、この場所から飛び降りたのだという。
『……わたしは、寂し、かった』
 途切れながらも言葉を伝える少女は、私に全てを話してくれた。
 誰かに言葉を伝えたかったのだろうか。
 まるで零る水のように、少女の口から言葉があふれ落ちる。
 それは少し時間を必要としたが、全てを話し終える頃には、少女はわずかな笑みを見せてくれるようになっていた。
『……誰かに、教えて、貰い、たく、て。
 ……探し、て、も。探し、ても、見つから、なく、て。
 ……欲しか、った、のに。
 ……ず、っと。欲し、かっ、たのに』
「……『空の果て』を?」
 少女は頷く。
『……欲しくて、欲しくて、たまらな、かっ、た。
 わたし、だけ、の、場所。
 ……しあわせに、なれる、場所。
 あなたなら、その場所を、教えて、くれる、と、思、っ、た、から』
 少女の黒い髪とスカートが、冬の風の中で舞い上がる。
 夏服の姿がとても寒そうに見えるが、マフラーもコートもかけてあげる事が出来ない。
 その存在は不可思議な形をしていたが、私にとっては『一人の人間』と変わりはなかった。
 少女はすでに『人としての定義』の中に当てはまらない姿になってしまっている。
 だが、キミの『意識』は私に触れる事ができ、言葉を交わす事も出来た。
 私の言葉に表情を作り、一つ一つ言葉を返してくれる。
 人の『思い』がその場所にあるかぎり、私は誠意を込めて言葉を返したいと思う。
 強く留まり続ける『思い』に対し、少しでも力になる事が出来るのなら。
 それが、形をなくしたキミに対し、私が出来る唯一の事だと信じて。
「私は……キミの言う『空』の意味が何なのか、本当を言うと解っていないの。キミの『空』と私の『空』は、違うものだから。聞こえるもの、感じるもの、思うもの。そういったものが違うように、私とキミは違うから。
 キミがこの空に『何かがある』と信じているならば、きっとこの空にそれは存在して、『何もない』と思うのなら、そこにはなにもないんだと思う。それは『キミの空』であり『私の空』ではないから。
 キミがこの空の中に探している『果て』は、キミにしか見つける事が出来ない。酷い言い方かもしれないけれど、『同じ空の下』にいる私だけれど『違う空の下』で私は生きているから」
 私は視線を戻すと、少女に向けて言葉を続けた。
「私が見つけた『空の果て』は『夢』だと思う。夢を見る事、その夢を大切にする事。それは子供じみた思いかもしれないけれど、過ぎていく毎日を大切に生きるためには大事にしていたい思いだと思う。……本当に、子供みたいだけれど」
 少女は、私の言葉に小さく微笑みを向けた。
 何かを考えるように目を閉じ、細い手を胸の前で握り締めるような仕草をする。
 少女の体の向こうには、一月の空と低い街並みと一月の空が、薄いフィルターをかけたのように半透明になって映し出されていた。
『……わたし。
 小さい、頃、絵本を、読ん、だ、の。
 空、の、向、こう、には、天国が、ある、っていう、お話、を。
 ……そこ、は、とても、静、かで、人が、幸、せに、暮ら、している、って。
 天、国が、どん、な、世界な、のか、わたしは、解らな、い、けど……わたしも、そこ、に、行き、た、いと、思った。
 きっと、わたしも、幸せ、に、なれる、と、思、って。
 『空、の、果て』には、きっと、幸、せに、なれる、場所、がある、っ、て』
「……キミは」
 私の声に、少女が顔を上げた。
 私は、冷たくなってしまったココアの缶を握り締めると、首を上げて空を仰いだ。
 視界の中は蒼い空で埋め尽くされ、眩暈にも似た感覚が体の中を駆け巡る。
 まるで空が落ちてきそうな感覚に、私は思わず目を閉じた。
「キミは、見つける事が出来た?」
『え、っ……?』
 少女の言葉に、わずかな震えが感じられた。
 私は首を下ろすと目を開け、少女の姿を見つめる。
 わずかに目を細めると、少女の顔に動揺の色が浮かんだ。
 キミは笑う事も、私と言葉を交わす事も出来る。
 だけど、キミは『この世界の人じゃない』。
 かわいそうだけど、それがこの世界に存在する現実なのだ。
 キミは本当は、ここに存在してはいけないモノだから。
 私の言葉はキミを傷付けるかもしれないが、それでも私はキミに言葉を告げなければいけない。
 キミを、この場所から救うために。
 キミが望むもの、見つけさせてあげたいから。
「キミは、その『空の果て』を見つける事が出来た? キミはもうこの世界の『人』ではなくなってしまったけれど、キミの意思はまだこの場所に留まっている。それはどうしてなの?
 『まだ、『世界の果て』が見つけられない』でいるから?
 それとも、『『世界の果て』に行くのが恐い』から?」
『……わた、し。……わた、し』
 少女の声が震え、表情にかげりが見えた。
 うつむき、まるで何かをこらえているかのように肩が震える。
 長い黒髪が小さく揺れる。
 私に一番聞かれたくなかった事だったのだろう、少女と私の間にひどく長い沈黙が生まれた。
『恐……かっ、た』
 沈黙を破った少女の声は、とても弱々しいものだった。
 あいづちを打ちそうになる衝動をこらえ、沈黙する事で少女の言葉を待つ。
 私は、どうしても少女の心からの言葉が知りたかった。
 それは、少女自ら告げてくれるものだと信じていたからだ。
『恐かっ……たの。
 一人、で、『空の、果、て』に行く、のが。恐か、っ、た。
 ……誰、が、わたし、と、いっしょ、に、空に、行って、欲し、かった、の。……寂し、かった、の』
 その時、私はようやく少女の『本当の声』を聞く事が出来たと思った。
 『自分だけの世界』を探していた少女は、同時に『外につながる世界』をも探していたのだ。
 だが、彼女はうまく言葉を伝える事が出来ず、結果的に『自分だけの世界』を選んでしまった。
 憶測でしかないが、少女は命を経つ間際まで『外の世界』に憧れていたのだろう。
 その思いが強過ぎた結果、少女の意識だけがこの場所に取り残されてしまった。
 私は少女を見すえたまま、ゆっくりと言葉を続けた。
「キミは、私に何を望むの?」
 少女が大きく首を振る。
 まるで何かを拒絶しているかのようなその仕草に、私は再度口を閉ざした。
『……ない、の。……でき、な、い、の』
 少女の声に、嗚咽にも似たニュアンスが混じる。
 生理的ではなく、少女の意識が涙を流しているのだろうか、少女の髪と肩が小さく震えていた。
『あなたを……つれて、いこうと、おもった。
 ……わたしに、はじめてきづいて、くれた、ひと、だった、か、ら。
 ……うれしくて、うれしく、て、あなたと、いっしょ、なら、こわくない、と、おもった。
 そら、の、はて、も、こわく、ないと、おもった。
 けど、だめなの。できない、の。
 あなたのそら、と、わたし、のそらは、ちがう、から。
 わたし、は、そんなこと、したく、ない、の』
 少女の言葉に、私の胸が痺れるように痛んだ。
 少女は、道連れにする事の出来る人間を探していたのだという事に。
 死ぬのはとても恐い事だと思う。
 いや、その恐い事すら感じる事なく、大半の人は死を向かえてしまう。
 だが、少女の意識がこの場所に留まる限り、少女は『外の世界への未練』と『死の恐怖』に傷付けられていくのだろう。
 体だけが死に、心のだけが行きる。
 生きてもいないが死んでもいない。
 それは、生きる事、死ぬ事よりも苦しい事なのではないのだろうか。
「……ねぇ」
 声をかける私の唇が、無意識のうちに小刻みにふるえる。
 まるで、体中の血液が逆流をしたかのように、全身がふいに熱くなる。
 言葉をこらえようとするが、私は唇からこぼれる言葉を押しとどめる事が出来なかった。
「……私はキミに、なにをしてあげられる?」
 私の言葉に驚いたのか、少女が顔を上げた。
 なぜか、視界の中がにじみ、うまく少女の顔を見る事が出来ない。
 埃が目に入ったのだろうか。
 なぜか、まばたきすらもうまく出来なかった。
「キミは、私の言葉を受けとめてくれたから……。今度は、私がキミの言葉を受けとめる番。
 私はキミと一緒に行く事は出来ないけれど、生きている私だから出来る事はあると思うから……」
 気が付けば、私の頬を冷たい涙が落ちていた。
 なぜこんな感情になってしまったのか、私にも理解をする事は出来なかった。
 だが、何も出来ないまま少女と別れてしまいたくないと思ったのは確かだった。
 どうかキミに、本当の『空の果て』を見せてあげたい。
 それが、どうかキミにとっての『幸せの場所』となれるように。
『……あの、ね?』
 少女は告げると、その形の無い手で私の頬にふれた。
 触れた感覚などもちろんないのだが、少女の手が触れられた私の頬はなぜかとても温かい気がした。
『……見ていて、欲しい、の。も、う、一度、『空の、果、て』に、行く、か、ら。
 ……わたし、の世界、は、ここ、じゃ、ないか、ら。
 ……わたし、の、探、し、ている、空は、この、空じゃ、な、いか、ら』
 告げると、少女は私の頬から手を離した。
 やわらかな風が通り過ぎると同時に、少女の体がフェンスの向こうに移動する。
「……ぁっ!!」
 私はあわててフェンスに手をかけると、それを強く握り締めた。
 金網が掌に食い込み、皮膚に痛みが走る。
 それでも私は、フェンスを強く握り締めて声をあげた。
「見る……って! キミはもう一度『死のう』というの?!」
 私の言葉に少女が微笑む。
 フェンス越しに見える少女の顔は、数時間前に見た時よりも大人びた表情に変わっていた。
「……っ」
 理屈では少女の言葉を理解する事が出来るが、感情が追いつかない私は不自然に言葉をつまらせてしまう。
 少女に告げた言葉は私の意思であり、そこから何を感じ取るのかは少女の意思である事は充分理解している。
 だが、あまりにも直接的な『死』という感覚に、私は無意識に拒絶と恐さを感じていた。
 全身に、突き抜けるような痛みが走る。
 少女が死ぬ。
 体はすでに死んでいるために、ここでの死は『意識の死』を意味している。
 だが、少女という存在は『死ぬ』事により世界から消滅してしまうのだ。
 意識が死ぬ。
 『死』というイメージが心臓に強く圧しかかる。
 動悸が激しくなり、耳の奥から鼓動の音が聞こえる。
 行かないで欲しい。
 死なないで欲しい。
 キミとやっと逢えたのに。
 キミと言葉を交わしたいのに。
 同情とも思える言葉が、私の喉から吐き出されそうになる。
 だが、少女を見送る事が願いであり、望みであるのだとしたら。
「……っ!!」
 零れ落ちそうになる涙を唇を噛んでこらえる事が、吐き出しそうになる言葉を押さえ付ける唯一の抑制だった。
『……わたし、は、死ぬ、んじゃ、ないの。空に、帰る、の。
 わたしの、空、の、ある、場所、に。
 わたし、が、見、つけ、た『空、の、果、て』の、ある、場所、に。
 そ、こは、きっ、と、すてき、で、幸せ、になれる、場所、だ、か、ら』
 少女は微笑むと、両手を広げてビルの縁に立った。
 地上から吹き上げる風が、少女の長い黒髪と制服のスカートを大きくはためかせる。
 目を閉じ、その風を全身に受ける少女の姿は、まるで童話に登場する少女のように幻想的に見えた。
「……私はっ!!」
 掌に跡が残るほどにフェンスを握り締め、声をあげる。
 嗚咽の混じる喉ではうまく声が出ず、呼吸を繰り返す事で嗚咽を押さえ込もうとする。
 理性を保たせようと意識に言い聞かせるものの、一度暴れ出した感情を押さえ付ける事はひどく厄介だ。
 恰好悪い姿だけは見せまいと、私は少女に顔を見られないよう額をフェンスに押しつけた。
「私は……忘れない! キミの事を! 絶対に忘れたりしないから!!」
『……ありが、とう。……汐耶、さん。
 ……あなた、と、この、世界で、め、ぐり、合、う、事が、出来、て、うれ、し、か、った』
「……藍衣ぃっ!!」
 初めて呼ばれた名前に、私は弾かれたように顔を上げた。
 少女の体がフェンスから離れ、地上へと落下していく。
 視界の中を遠ざかる少女の体はゆっくりと光の中に溶けながら、最後は風には運ばれその形を大気の中に四散させた。
「……」
 私は、崩れ落ちるようにしてフェンスにもたれかかった。
 声は出ないものの、感情と共に溢れ落ちる涙が頬を伝い、コートの襟を濡らしていく。
 本当に、これで良かったのだろうか。
 私は彼女を救う事が出来たのだろうか。
 彼女の望みは叶えられたののだろうか。
 『空の果て』を見つける事は出来たのだろうか。
 もっと早く出会っていれば、きっと『違った空』を見せてあげられたのかもしれないのに。
 後悔にも似た感情ばかりが、私の胸の中に込み上げる。
 私は今、とても感情的になっているから。
 この涙が止まるまではこの場所にいよう。
 こんなにも情けない顔を、人前に見せるわけにはいないから。
 私は自分自身に向けて、涙を流す事を許すための嘘をついた。


 4/

 どれぐらいの長い時間を、私はこの場所で過ごしたのだろうか。
 気が付くと太陽はかげり、空には小さな一番星が小さく懸命な姿で輝いていた。
「……冷たい」
 頬に手をあてると涙はすでに乾き、マスカラが少し落ちている事に気付く。
 唇に指先をあてると、冷たい感覚が皮膚の表面に触れた。
 体の感覚は鈍り、明らかに体が冷えてしまっている事が解る。
 早く帰らないと、本気で風邪をひいてしまいそうだ。
 私は、力がうまく入らない腕でフェンスを掴むと、ゆっくりとした動作で体を起こし立ち上がった。
「あっ……」
 ふいに、足元で鈍いスチール缶の音がした。
 見下ろすとそこには、空になった缶とプルタブが開けられていないココアの缶が二本、コンクリートの上に転がっていた。
 私はそれを手にすると、掌でそれを優しく包む。
「せっかく買ったのに…・・・冷めちゃったね」
 誰に向けるでもない言葉を呟くと、私は苦笑いを浮かべた。
「……」
 首をひねり、視線をビルの下に広がる街の中へと向ける。
 低いビルと住宅の間をすり抜けるように、車のヘッドライトが流れていく。
 こうしてまた一日が終わり、朝を繰り返す。
 終わらない日々の中で繰り返される、繋がりと別れ。
 一つ一つは小さく偶然に満ちたものかもしれないが、私はその繋がりを大事にしたいと思う。
 直ぐ傍にある、幸せと共に。
「……」
 空を見上げる。
 東京の上空にしては珍しく、数個の星の光が空の中で輝いている。
 私はその空の中に『空の果て』を見つける事が出来たような気がした。


..........................Fin




■登場人物■■■■(この物語に登場した人物の一覧)
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【能力】PCが持つ能力

【1449 / 綾和泉・汐耶/ 女 / 23 / 都立図書館司書】
【能力】仕事場の蔵書の7割を把握。特別閲覧図書はすべて把握済み。本の修繕が得意。封印能力保持、なので曰く付の本の管理をしている。封印は条件を付けたり等状態のコントロールも可能。

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■ライターより■■■

<ご挨拶>
 初めまして。黒崎蒼火(クロザキソウビ)と申します。今回は、シナリオ【この空の果て -Cry for the sky-】に参加頂き、本当にありがとうございます。
 まだまだお見苦しい点や至らない個所が目につくかと思われますが、これからも精進して参りますのでどうぞよろしくお願いします。

<シナリオについて>
 今回は、一人称視点の対話形式の話になりました。
 PCの感情の動きが前面に出る形となりました。
 風景をイメージしながら読んで頂ければ嬉しいです。

<私信> 綾和泉汐耶PL様
 初めまして。こんにちは。
 今回は、少し雰囲気を変えたシナリオになりましたが、いかがでしたでしょうか?
 冷たくなってしまったココアが一本残りましたが、後で大切に飲んで頂ければ嬉しいです。

 それではまた。

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