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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


とてつち

   オープニング

 さて、困った事になった。
 これからここで、親しい者を集めての新年会だと言うのに、一体、どうしたら良いものか。
 草間は、しげしげと目の前に佇む男を眺めた。
 少し赤めの茶髪。細面の顔には眼鏡をかけている。黒のタートルにチノと言うラフな服装で、煙草を銜えていた。
 本当に弱った。
 何故、俺が二人いるのか──
(……いや、答えは明確なんだが……)
 その男には、髭が生えていた。唇の上にでも、下にでもない。頬に、ピンピンと。尻にはフサフサとした太い尻尾まで生えている。『酒』とかかれたツボを紐で吊るし、手にぶらさげている辺り、どう見ても『タヌキ』。
 しかし何故、俺に??
 また、あれか。 俺が怪奇──
 ブルブルっと、草間は自分の考えに首を振った。認めてはならない、認めたくない事実である。
「何が望みだ? 驚いて欲しいのか? それとも、金か? それは俺が欲しいくらいだ」
 草間に化けたタヌキは草間と同じ顔で、じっと草間を見つめた。二人の草間が向かい合う──何とも奇妙な光景である。
 タヌキは遠い目で、薄笑いを浮かべた。
「そんな顔はするな。気味が悪いだろう」
「あい。御免。オレ、山で暮らしてた。人に捕まった。ずっと、オリに入っていた。人、死んだ。オレ、放された。自由。ずっとずっと、自由。冬もいっぱい越えた。ふるさとに帰ろうと思った。でも、道、わからない。悲しい。夜、歩いた。酒の匂いした。酔う。人、皆、楽しそう。オレ、酒飲む。仲間欲しい。ふるさと遠い。ここで飲む」
 タヌキは、手にした酒壺を掲げる。ドプン。
「……それ、飲めるのか? 飲むと、タヌキになったりするんじゃないだろうな?」
 嫌だな。
 草間の顔を見たタヌキは、恐らくそこに草間の本音を読みとったのだろう。酒壺のフタを外し、中身を草間に見せた。
 ダプンダプン、と透明の液体が揺れて、微かに甘い芳香が漂う。
 タヌキは、飲んでみろと草間に壺を傾けた。渋々と、人差し指を酒に浸し、それを舐める。
「普通の酒だな。いや、それより美味いか。これなら何とか──」
「飲もう。俺と『にらめっこ』する。勝ったら酒やる。酒、無くなったら帰る。飲もう」
 屈託なく笑うタヌキに、草間は言った。
「だから、その姿をどうにかしろ」
「イヤ。オレ、人に化ける。コトバ話す。これで良い」
 くそ。
 草間興信所メンバー対タヌキの闘い。新年会は、どうなるのか。

とてつち

 01 大掃除の後で

 時間、懐。そのどちらに余裕が無くても、この行事は問答無用でやってくる。そして、無視も出来ないのが、正月と言うものだ。
 ここ、草間の事務所にも、やはり『それ』はやってきた。
 今年もあと二日で終わろうと言う日の事だ。飾られた小さな鏡餅と色鮮やかな橙に、草間はため息をついてこう言った。
「……タバコ二箱分が、餅になったか……」
 それまで、掃除の邪魔だと外に追い出されていた探偵は、愛すべき煙の元をすっかり消費していたのである。
 哀愁漂う背中に、妹と恋人は苦笑した。


 1 新年会スタート


 今日は新年会であった。
 ──正月なんだし、君もゆっくりで良い──
 大掃除の後、草間は彼女にそう言った。しかし、そうは言われても出来ないのが恋人と言う立場である。そもそも、同じ屋根の下で正月を迎えて、一人寝坊などしてはいられない。実際、事務所の主である草間より、彼女の方が準備に忙しいのである。
 シュライン・エマと零は、草間の自宅で少し多めに作ったおせちを重箱に詰めると、自身らは着物に着替える為、部屋にこもった。
 気の早い誰かがやってきても良いように。
 彼女のそんな言葉を聞いて、探偵は先に事務所へと向かったのであるが。
 すっかり和装に身を包み、白いショールを首に巻き付けた二人が事務所に足を踏み入れた時には、草間が『分身の術を施した後』であった。
「双子だなんて、聞いてません。お兄さん」
「零……気を確かに持つんだ。めでたい正月に兄弟が訪ねてきて、こんなに嫌な顔をするヤツがあるか?」
「でも、お兄さんはお仕事が来ても、嫌な顔をします」
 草間は押し黙って、おもむろに眼鏡を拭きだした。精神安定剤の代わりである。そうやって自分を落ち着かせているのだ。
「ま、まぁ……二人とも。それにしても、これは一体どうしたのかしら」
「友達、来た。飲む。オレ、楽しい」
 そう言って、もう一人の草間が酒壺を掲げた。
 シュラインはその顔をじっと見つめる。草間とうり二つであった。髪型、眉、目、鼻筋、口元、それに眼鏡。服装や体型なども、まるで同じである。違うと言えば、頬から横に向かってのびる数本のヒゲと、お尻にぶらさがったプラスアルファである。
 シュラインの目が、そこで止まった。やや長めのモサモサとした焦げ茶色の毛並み。先端は丸みを帯びて黒い。尻尾だ。
 模された草間は、こめかみを揉んでいる。
「タヌキだ。理由はわからんが、好かれてしまったらしい」
「武彦さんらしいわね」
 なるほど、いつもの事と頷きながら、シュラインはやはり尻尾を見つめていた。モフモフ、フワフワ。手触りが良さそうである。触らずにいるのが難しいほどに魅力的だ。見ているだけで、心が和む。顔の表情が和らいで行く。自然とそれが微笑を作った。
 探偵、やさぐれるの巻。
 オリジナルが、コピーに負けたのである。それも、尻尾に。
 草間はシュラインの横で腐りかけていた。目が陰険になっている。態度がどことなく、しみったれていた。斜に構えている。花の三十路も、思い人の前では単なる駄々っ子なのであろうか。
「大人になりましょう、お兄さん」
「零は黙ってなさい」
 忌々しい、タヌキめ。
 草間が睨みかけた、その時である。
 おっとりと、愛する人の唇が、こんな事を漏らした。
「武彦さん。このヒゲと尻尾、生やしてみたいと思わない? ちょっと間が抜けてて可愛いし……事務所にいるひと皆が生やしたら幸せよね?」
 草間の脳裏を過ぎったのは、某サスペンス劇場のCM切り替え時に流れる、劇的な音楽だった。
『星が割れた!』
『何ですって!?』
 じゃじゃじゃっ。じゃじゃっ。じゃーじゃー。
 もしくは。
 だだだっ。だだっ。だーだー。
 自分で効果を入れるほど、草間はショックを受けた。だが、惚れた者の弱みと言うものは、こんな時にまで自らの衝撃を遮って現れる。
 着物姿も艶やかな、愛しき人よ。
 草間はあっさり陥落した。
「あぁ、そうだな。そうかもしれない」
「お酒も持ってきてくれたみたいだし。楽しくなりそうね」
「あぁ……」
 諦めの生返事が、草間の喉から嫌々吐き出される。
「あまり嬉しくなさそうね、武彦さん」
 いやいや、と首を振る探偵の目はどこか虚ろだ。逆に偽草間は、子供のような無邪気な顔で嬉しそうに笑っている。あの探偵と同じ顔が、それは素晴らしく微笑んでいるのだ。
「……あり得ない気がします」
 ひっそり呟く零に、草間は激しく頷いた。
「不自然で薄気味が悪い」
 自分で見る、自分の笑顔。鏡の前に立って、作った笑顔とは違う。構えの無い、素の表情だ。見慣れているわけがない。零も然りである。
 だが、表情と言うものは、自身が知らなくて当然である。常に見えてはいないのだ。それを知っているのは恐らく、側にいて喜怒哀楽を見つめている恋人と言う存在――つまりシュラインだけであろう。
 シュラインは、草間の笑顔にも、さすがに動じていない。
「オレ、嬉しい。皆、来た。酒、飲む!」
「そう。じゃあ、持ってきたお料理並べましょ? タヌキさんも手伝ってくれると嬉しいわ。買い出しにも行かなきゃいけないし」
「手伝う。食う!」
 すっかりタヌキと打ち解けている。
 とは言え。おおよそ草間らしからぬ笑顔ではあると、シュラインも思ってはいた。
 口に出さないだけである。出来た女であった。

 
 2 二人の草間


『カンパーイ!』
 事務所に賑やかな声が響き渡った。
 中でも人一倍、騒いでいるのが村上・涼。
「はいはい! とりあえずビール回してー! 三本!」
 コップの中身など、乾杯の瞬間に無くなっている。事務所内の酒を飲み尽くす気は、やはり満々のようだ。その涼を見つめる少女が一人。海原みなもである。
「お酒を良く飲むから、あんなに立派な胸──もとい、良い女になったんでしょうか」
 誰の耳にも届く独り言に、涼が反応する。
「え? なに? 良い女? 良い女って言ったの? ありがとうーっ! 何飲んでるの? ジュース? ウーロン茶?」
 と、微笑してペットボトルに手をかける。
「今、飲んでるのはジュースですけど。お酒も少し飲んでみたいと思います。お母さんが『酒の一つも飲めないと、良い女になれない』と言いますので」
「どんな理屈よ……。まぁ、ちょっとだけならお正月気分も盛り上がるし、問題無い、問題無い。大丈夫よねー」
 小さな猪口をみなもに手渡し、涼はそこに酒を注ぐ。主催者側の立場であるシュライン・エマは、その光景に苦笑いだ。
「みなもちゃん、ほどほどにね?」
「あぁ、それで倒れでもしたら、俺が監督不行き届きって事で、説教を食らうだろうな」
 煮染めのレンコンを箸でつまみながら、草間はグラスを空にした。年越しから、酒が切れる事は無い。手作りの旨いつまみがこれだけ並んでいるのだ。箸を置けと言う方が無理である。
「大丈夫ですよ。今ならダミーがいますから」
 そう言ってモーリス・ラジアルは、物珍しげに偽草間を眺めた。偽草間はロースハムを一枚、また一枚と手にしては、それを間髪置かずに食べている。ハムハムと旨そうだ。観察しているモーリスの酒は進まない。
「そんなに食べて、冬ごもりの準備かい?」
「違う。オレ、冬眠しない。腹減った。だから、食う。皆、酒、飲む? にらめっこ、する? 勝ったら旨い酒、たらふく」
「やるやる! やってやろうじゃないの! にらめっこなんて簡単! そのお酒全部いただくわよ!」
 威勢の良い涼の声が飛んだ。タヌキの草間は嬉しそうに笑う。
「よし、今からやる。皆、オレの顔、見る!」
 一同、タヌキの顔を凝視した。ただ一人──
「だから、俺の顔でおかしな事をするなと言ってるだろう」
 心底、嫌なようである。草間だけが目を逸らした。

 
 3 にらめっこ勝負・その一


 柚品・孤月が加わった。皆は目で挨拶を交わす。今は勝負中なのだ。口を利いてはならない。何が笑いの発端となるか、わからないからだ。負けては酒が飲めない。
 訳が分からないまま、孤月も引き込まれた。皆、じっとタヌキの顔を見つめ続ける。
 一方、タヌキの方は、全くの無表情であった。
 眉毛はフラット。目は焦点が合わず、どこを見ているのか、さっぱり分からない。そして口は閉じられていた。ボーっとしているだけである。おかしい事など一つも無い。
 ただ、イヤらしいのは鼻である。出てくるのだ。垂れてくるのだ。あれが。音もなく静かに、ゆっくりツツーッと。
 そして、それが何故、下に行かず横から上へと向かうのか。一同は首を傾げていた。
 堪らないのは草間である。
「生きているのか? それは」
 草間は、はなっからゲームに参戦する気が無いらしく、冷静に呟いた。シュラインはそっとこめかみを揉んでいる。少し、頭痛がするようだ。
 しかし、草間の投げやりな態度も、もっともな話であった。自分の顔を相手ににらめっこなど、悲しいにも程があろう。吹き出そうものなら、さらに惨めである。そして、今一番切ないのは、自分と同じ顔がいけしゃあしゃあと鼻を垂らしている事であった。
 これを突っ込まずに、何を突っ込めと言うのだろう。他に突っ込めるのは、丸めたティッシュぐらいなものだ。
 草間の言葉は、タヌキにではなく、身内にクリティカルとなってしまった。最初の犠牲者は、みなもとモーリスだった。
 笑ってしまったのだ。
 鼻が出たり入ったりするだけでは、動じなかった。草間の言葉が余計だったのだ。
「生きているわけが無いでしょう」
「勝負の邪魔をしないでください。草間さん」
 不満気な二人を後目に、タヌキは皆に酒を振る舞った。
「美味しい〜! これならいくらでも行けるわね!」
「あら、ほんとに美味しい……」
 臆する事無く杯を傾ける涼とシュライン。零もおそるおそる舐めてみたが、ブルッと震えてグラスを置いてしまった。味覚に合わないのか、単に酒がダメなのか。それを見た弧月は苦笑した。
「そうだ、つまみを持ってきたんです。皆で食べませんか?」
 目の前に広げられて行く珍味に、偽草間が『わぁ』と微笑んだ。無邪気な偽草間。邪気を放ち始めた真実の草間。
「……だから、それは止せと言ってるだろう。俺のイメージが崩れる」
 最後に妖魔と化すのは、真実の草間かもしれない。誰もが皆、二人の草間を見比べ確信した。
「さぁ、次! にらめっこする。どんどんする! 皆、笑う! オレ、楽しい!」
 タヌキはますます上機嫌で、酒の壺を掲げた。あくまでも外見は三十路男である。弧月は俯いて肩を震わせ始めた。草間、悪しき波動で弧月を牽制するの図。しかし、弧月の笑いのツボをついたのは、タヌキの話し方だった。
「たっ、たどたどしいですね」
 誰もが、次の犠牲者は弧月だと考えた。


 4 にらめっこ勝負・その二


「今度は笑いませんから」
「同じ過ちは繰り返しませんよ」
 みなもとモーリスは、エセ草間を見つめる。戦闘はすでに始まっていた。
 草間タヌキの顔は、とても情けなかった。二人に責められて悲しいのだろうか。今にも泣きそうであった。
 八の字に下がった眉。噛み締めた唇が震えている。眼鏡の奥の目は、ショボショボウルウルと何かを必死に訴えていた。
 ──『一等の宝くじ』を洗濯機で回したら、こんな顔になるかしら……。
 シュラインが堪らずに吹き出した。
 ップ。
 ジロリ。
 言葉は無い。視線で交わす男女の会話に、皆の目が殺到する。
『ごめんなさい、武彦さん』
『待つんだ、シュライン。何か余計な事を考えただろう……』
 大人の会話である。誰も想像がつかない。つくはずも無い。
 とにかく勝者には、二杯目の酒が注がれた。
「これは、美味しいですね」
 驚嘆するモーリスの横で、みなもは冴えない顔をしている。
「普通のお酒の味がします……」
「そうねぇ。味の区別が付くようになるには、もうちょっとかかるかもね」
 グッと酒を飲み干したあと、涼は何気なく狐月の顔を見た。頬に異変が起きている。プツプツと黒い点が無数に現れているのだ。でっか毛穴。
「も、もしかして私の顔にもあるわけ、それ!」
「え? あ、あれ? どうしたんですか? その……」
「ぃやあああぁぁ、やっぱりあるのね? ヒゲは良いけど毛穴はどうなのよ!」
 若く美しい娘の頬に、何かが生える予定の毛穴。
 ──ップ。
 ジロリ。
 パシャッ。
 涼と一同の交わす沈黙の会話シーンが、みなものカメラに収められた。


 5 にらめっこ勝負・その三


「毛穴よ、毛穴! どうしてくれるのよ! この格好で家に帰れって言うの? せめてヒゲにして!」
「泥棒髭の剃り跡より、見れますよ」
「ちょっとキミ、聞き捨てならないわね! 女の子に向かって、それは失礼じゃない? そもそもこうなったのも、そこのタヌキが悪いのよ、タヌキが!」
 ビシィッと、涼の指先がタヌキに突きつけられた。
 タヌキは懸命に顔を動かしている。左頬だけが、釣り針にでも引っかかったように、グイグイと持ち上がる。
「……何なのよ、それ」
 涼はタヌキの顔をまじまじと見た。
 口は半開きである。頬が持ち上がる度に、唇が引っ張られ犬歯が輝いた。目は半目だが、やたら険しい。頬の引きつりと連動して、三日月を模す。
 いつかどこかで見た事のある表情だ。
 例えば、出来ないのに無理をして行うウインクが、それに良く似ていた。
「違うわよね?」
 涼が問うと、タヌキは右側に切り替えた。終いには両方いっぺんにその動作を繰り返す。
 モーリスは、溜息交じりに呟いた。
「利口そうには見えませんね」
 全くその通りであった。これほど『ピー、バキュン』な草間は無い。モザイク持ってこい。そんな声さえ飛び交いそうである。
 シュラインは生類憐れみの令を発動したのか、不気味な沈黙を保っている。
 プーッ。
『敵は身内にあり!』
 涼はモーリスを再び睨み付けた。


 6 にらめっこ勝負・最終


「立派なヒゲねぇ」
「わぁ、尻尾も生えるんですね」
 シュラインとみなもが感嘆する。
 ここまで全勝した狐月は、三杯を立て続けに飲み干し、タヌキと化した。衣服の外に垂れた尻尾の構造と仕組みが、激しく気に掛かる。
「服に穴でも開いてしまったんでしょうか」
「不思議ですね……」
 みなもは言いながらもシャッターを切った。だが、そんなみなもにも、立派な毛穴が登場している。もちろん、これで二勝目となったシュラインとモーリスにの頬にも、大きなそれが現れていた。
 草間はシュラインの毛穴を、ちらりちらりと盗み見た。愛する人の顔に出現した、リッチ&ゴージャスな毛穴。やがてそこからヒゲが生えるであろう。頬ずりをしたら、一体どんな感触がするのであろうか。
 草間は一人妄想ワールドに突入した。薄ら笑いを浮かべるその顔は、タヌキのにらめっこ用フェイスにも劣らない。
 薄気味が悪い。
 皆、静かに遠ざかった。
 シュラインはそんな草間を横目に言った。
「もし、今日中に消えなかったら、ファンデーションでごまかすしかないかしら」
「陥没には、パテを盛るのが良いですよ?」
「待ちなさいよ。石膏なんて持ち歩いてるわけないじゃない」
 熱い女は冷たい男のジョークに、いちいち反応してしまうようだ。涼とモーリスは対照的な会話を交わしながら、同じ微笑を浮かべていた。何とも食えない二人である。
「あい。最後! 皆、笑う。俺、勝つ! 皆、我慢する! 俺、負ける!」
 たぬきはそう言って、二つの拳を揃えて唇に添えた。肩をすくめ小首を傾げる。コケティッシュな笑みが、その口元に零れた。
「ウッフン」
 ちなみに『コケティッシュ』とは、艶めかしく色っぽいさま、または男の気をそそるさまを言う。
 あくまでも見た目は、三十路男。ハードボイルドを目指す貧乏探偵。草間武彦である。それが『ウッフン』と来たのだ。
 あまりのダメージに、本物の草間が卒倒した。断じてそそられた訳ではない。そそられて走るのは、毛が逆立つような電気と衝撃の奔流だ。決して悪寒は走らない。
 誰もが皆、凍り付いた。言葉を失った。あの探偵がどの面さげて『うっふん』なのだろうか。
 寒い。寒すぎる。
 艶めかしく色っぽいと言うより、生々しくて嫌っぽい。
 だが、一人だけスイッチの入ってしまった者がいた。
 クス。
 涼は吹き出した。


 7 草間を選んだわけ


「ところで、タヌキさん? どうして、武彦さんに化けようと思ったのかしら」
 シュラインの杯は空になっている。タヌキの草間は、そこになみなみと酒を注いだ。壺の中で黒い液体が、どぷんと揺れる。あれから勝負とは関係無しに、随分と飲んだつもりなのだが、全く減っていないように思えた。
「『あれ』、仲間、たくさんいる。オレも、仲間、欲しい」
「確かに、仲間は多いわね。ここに居れば、誰かが来るし」
「オレ、見た。『あれ』、外にいた。口から煙、出す。楽しそう。オレも楽しい、なる」
「……煙って、タバコの事よね? 最近、外で吸ったのは、大掃除の時だと思うけど。追い出されて楽しかったのかしら」
 シュラインは、チラリと探偵の顔に目をやった。
 片づけの邪魔は意図せず出来ると言う、貴重な見本である。例えば、山積み書類の『要』『不要』の分類の際、一つ一つその世界にトリップして吟味されては、たまらない。それが未解決事件であろうものなら、帰ってくる様子さえ見せないのだ。
 耳は貝、その身は等身大の置物と化す。
 はたきを持ち咳払いをする書店の主と、たちの悪い立ち読み親父のような攻防を、晦日の前日の忙しない時に誰が繰り広げたいと思うのか。
 ──行ってらっしゃい、武彦さん──
 笑顔で送り出したのは、ドアの外だった。持ち物と言えば、上着と煙草のみである。楽しいと思えるような状況では無い気がするのだが。
 それに、と、シュラインは首をひねった。
 タヌキは煙を吐く草間を見て、楽しそうだと言った。真似てみたいのだろうか。その割に、タヌキの口から煙草の話は出てこない。どころか、手を伸ばそうともしていなかった。
「吸ってみる? 貰ってきて上げましょうか?」
 そう訪ねるシュラインに、草間タヌキは首を振った。
「オレ、煙、嫌い」
「そう。嫌いなの……」
 嫌いなものを手にしていた草間。それを見て、楽しそうだと思ったタヌキ。
 煙草に興味が無いとすれば、草間自身がよっぽど幸福そうに見えたのだろう。
 ――そんなに、さぼれて嬉しかったのかしら……。
 玄関脇でほくそ笑む探偵を想像して、シュラインは遠い目をした。タヌキは、そんな心の北風を知るよしも無く、得意げに目を輝かせる。
「オレ、見た。人、たくさん見た。笑う人、楽しい。でも、悲しい人、いる。笑う、ウソの人、いる。オレ、分かる」
 偽草間は口を閉じると、騒ぐ皆の顔に目をやった。ヒゲと尻尾を生やし、互いの姿に立てる笑い。つられたように、タヌキも笑う。
「ここ、ウソ、ない」
「そうね。それは言えてるわ」
 微笑する。頬を動かすと、慣れないヒゲがくすぐったい。シュラインは、杯を傾けつつ一同を見やった。その視線が、涼とかち合う。
「はいはい、そこの一人と一匹、何してんの? じゃんじゃん飲むわよー! 何たって、タダ酒なんだから!」
 タヌキの草間があどけないとさえ思えるような笑顔で、ニッコリと笑った。
 その横顔に、愛する人と同じ愛しさをシュラインは感じていた。


 8 終宴


 酔いつぶれて、雑魚寝の朝。
 まだ早い陽が、ブラインドの隙間から零れる。
 パタン、と音がして、ほぼ全員が目を覚ました。
 タヌキの姿がどこにも無い。
 しかし。
「聞こえたか?」
 草間は起きがけの煙草に火をつけた。寝癖で膨らんだ髪をグシャグシャと掻き回す。
 窓を少しだけ開けると、冷たい空気が流れ込んだ。皆、身震いをしながら立ち上がる。白い息を吐く顔が、狭い窓枠の中に並んだ。
 白く光る往来を、七人の目が見守る。
「……故郷に帰らないのかしら」
 シュラインは眩しげに目を細めた。遠ざかって行く、焦げ茶色の毛並み。
「一緒に探してあげれば良かった? でも、場所を忘れちゃってるんじゃ無理よね」
「そうですね。可哀想ですけど」
 涼とみなもの口元に、淡い微笑が浮かんでいる。
 タヌキの背で、尽きる事を知らない酒壺が揺れていた。あの酒の味は、きっと忘れないだろう。
「いつか、帰れると良いですね」
 ヒゲの消えた頬を撫でながら、狐月は言った。昨日、寝しなにあったはずの、『いかくん』が一袋まるまる無くなっている。見れば、タヌキが銜えていた。
 皆、おかしさをこらえ切れずに笑い出す。
「案外。見つけたのかもしれませんね。新しい故郷を」
 モーリスの言葉に、反論する者はいない。
 なぜなら、タヌキが残した言葉は──
 ──マタ、クル。
 草間は気怠そうに頭を掻いた。だが、顔は笑っている。
「やれやれ、ここはタヌキの巣じゃないんだぞ」
「昨日は『巣』だったわよね? タヌキさん?」
 微笑むシュラインに、草間はぐぅの音も出なかった。


   ※   ※   ※


 02 タヌキが見たもの

 時はさかのぼり、大晦日前日──
「しかし、主が追い出されるって言うのも、情けないな」
 草間はそう言って、唇の端に煙草を挟んだ。壁にもたれて背を丸め、何度か擦ったジッポから火を移す。深々と吸い込んだ煙を、誰に気遣うでも無く思い切り吐き出すと、それはたちまち空へと上って行った。草間は目を細める。
『零ちゃん、ちょっとこれ動かすの手伝って貰えるかしら』
『はい、「お姉さん」』
 開け放たれた窓から聞こえてくる女達の声。
 それは、いつもこんな些細な時にこそ気づかされる、幸福の一部分。
「悪くないな」
 草間の呟きに、微笑が乗った。


                        終


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 (年齢) > 性別 / 職業】

【0086 / シュライン・エマ (26)】
     女 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
     

【0381 / 村上・涼 / むらかみ・りょう(22)】
     女 / 学生  
      
【1252 / 海原・みなも / うなばら・みなも(13)】
     女 / 中学生   
         
【1582 / 柚品・弧月 / ゆしな・こげつ(22)】
     男 / 大学生

【2318 / モーリス・ラジアル(527)】
     男 / ガードナー・医師・調和者
            
     
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■          あとがき           ■
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 こんにちわ、紺野です。
 大変遅くなりまして、申し訳ございません(汗)。
 この度は、当依頼を解決して下さりありがとうございました。

 さて、今回のお話は、今までの最長記録を更新するほど、
 長いものになってしまいました(滝汗)。
 プレイングによっては、タヌキとお話された方もいらっしゃいますので、
 気になる方は、他の方のお話をご覧くださいませ。
 タヌキが力を持つようになった理由や、何故、草間を選んだのかが、
 わかるかもしれません。
 ちなみに、タイトル『とてつち』は、たちつてとの逆。
 たがありませんので『た抜き=タヌキ』となります。
 何のひねりもありませんf(^_^;

 涼様、狐月様、モーリス様、初めましてになりますね(笑)。
 あ、狐月様は一度、シチュノベの方でお会いしておりますが……。
 キャラの性格等、掴み違いはございませんでしたでしょうか。
 感想などいただけると前進する糧となりますので、
 ぜひ宜しくお願い致します。

 それから、シュライン様、みなも様。
 いつもありがとうございます。
 そして、早く早くと言いつつ、遅い筆で御免なさい(滝汗)。
 
 苦情や、もうちょっとこうして欲しいなどのご意見は、
 喜んで次回の参考にさせて頂きますので、
 どんな細かい事でもお寄せ頂ければと思います。

 今後の皆様のご活躍を心からお祈りしつつ、
 またお逢いできますよう……
 
                   紺野ふずき 拝