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<東京怪談・PCゲームノベル>


夜明けの口笛吹き 〜oviparous〜

 東風解凍(はるかぜこおりをとく)のこと。

1.

 赤い鳥、小鳥、
 なぜなぜ赤い。
 赤い実をたべた。

 なつかしい唄がならいにまぎれて足元へとどく、北原白秋の書いた詞に成田為三が音をつけた「赤い鳥小鳥」。一心に口ずさんだ昔――そんなとおい過去ではないと確信する――もあったわね、と真迫・奏子(まさこ・そうこ)は回想にたゆとう。どうってことない「そんだけ」のおはなし、いやおはなしとさえ呼べるのかどうか、二題めよりうしろも色の名前がうつってゆくだけ、なんてことを考えたら文豪に不敬な態度をとったことになるのだろうか。
 それはそうと、次にくる色がなかなかおもいだせないでいる。

 白い鳥、小鳥、
 ‥‥‥‥‥‥

 そうそう、白。そうして。まもなく「青い鳥、小鳥、」の節回しがきこえる。そのあたりは実際に唄ったような記憶がほとんどない。思い出の代わりに頭蓋の内部に生まれたのは、両掌につつみこめるぐらい小さな青い鳥、ぴるるるぴるるるると啼く、けれど青い実というのがどうにもうまく想像の写像をむすばない、抜けるような空の色のそれとものびやかな海の色の果実なんて存在したかしら?
 世界の区切りは、火点し頃。だいたい午後五時。しん、と閑かに冷え込む、玄冬。
 お稽古ごとの帰り、いつもとちがう道をえらんだのはただの気まぐれだ。メンテを怠るとあっというまにしなびれる日常に、そうしてはずみをつける。あとには置屋への顔出しもひかえているが、現代日本の巨大都市はだいたいどこかしらに誰かがいるから、致命的なはぐれ子になることはめったにない。今日選んだ小径は、どうやらかなりの裏手(でも、『かなり』なんてそんなの、計れるものだろうか)だったようで、奏子はそこにたどりつくまで、歩行者とは誰ひとりとして交差しなかった。
 そこ、は公園である。空き地をそのままにしておくのはもったいないからちょっと飾ってみました、というだけの、ずいぶんと狭そうな、そして寂れた公園。奏子がまえを通りすぎようとしたとき、聞き覚えのある唄がきこえてきた。興を惹かれ、知らず知らず足を踏みいれる。
 唄声の主は少女だった。童謡の対象とされる年齢からは離れた、かといって、なつかしむ年頃にもとどかないぐらいの。ベンチに座り、膝丈上のスカートから脚を投げ出し、一番星のみえない空をみあげて口ずさむ。ひとりで。
 こどもね。奏子は印象の評価をくだした。体のサイズも衣服のセンスもよるべない雰囲気も、奏子からみればすべてがいとけない。だけど、彼女はひとりで何をしているのだろう。
 少女と奏子以外は、無人の公園。時折、近くの道路を車がそっけなく通りすぎるくらい。なぜか、本来の主役である幼児や児童がまったくいない。遊具はぼんやりと惰眠をむさぼっている。
 春の彼岸のように靄のかかった空間を、手探りのようにして歩く。
 奏子は少女に近づいた。
「こんばんは」
 いったあと、時候に適切な挨拶だったか、ほんのわずか考える。結論はくださない。
「こんばんはです」
 突然のことばに少女は愕いたようだったが、無言が失礼にならない程度の間隔をおいて、まっとうな返辞をよこす。第一のテストはクリアした、礼のできない人間にろくなやつはいない。会話の続行を、奏子は決める。
「こんなところで何してるの?」
「なんにもしていません」
 そういうふうにもみえる。だが奏子は額面どおりにとらなかった、少女が嘘つきの容貌をしていたからだ。嘘のうまいやつはどういうわけだか(いや、ちょっと理屈はわかる)共通して澄まし顔もうまい、という相場がある。よわいにそぐわぬシニカルのにじむ、端をすこしつりあげた、赤い唇。どこかで見たような、と思ったら、それは毎朝鏡の中で紅をさす自分だった。だから、奏子は少女が嘘をついていることを知る、これは予想ではなく決定だ。
 しかし奏子はテレパスではないので、少女がどんな嘘をついているかまで、検討がつかない。
 見極めてやれ、と悪戯心がわいてくる。

 そういえば。
 ふと、奏子は思い出した。昨日の朝刊とワイドショー。トップのニュース。連続切り裂き魔。めったやたらにやぶかれた人体。ある一点を中心に。
 現場はこの近くだったはず。

2.

「寒くない?」
 そういう奏子もけして厚着とはいえないが、自分の温感は自分がいちばん諒解している。だが、少女の服装はいくぶん度を過ぎているようにおもえた。このぐらいの年頃の女性は、それがおしゃれだと信心するやいなや、季節も場所柄も無視したとんでもないファッションにはしることがときどきある。奏子の思考では、TPOなどの諸条件を考慮に入れてこそのファッションなのだが。
 しかし、少女のは、それとはすこしおもむきを異にするようである。それが証拠に、少女のポーカーフェイスの仮面に微々たるほころびが生じる。
「ちょっと」
 といったあと力なく笑む少女に、奏子は『普通』をみる。普通の感性、よいものに感動し、悪いものに怒る・それとも泣く。おなじく笑う奏子、しかし彼女の表情は少女のものよりいくぶん余裕と、それから愛情に満ちていた。
「うちにいらっしゃい、この近くなのよ。ヒーターぐらいあるから。すこし暖まっていくといいわ」
 え、という合いの手。最初に声をかけたときとおなじようなためらいが伝わってくる。今度の無言の時間は、多少かさばった。
「でも」
「こどもが遠慮なんてするものじゃなくってよ」
 奏子は少女のてのひらを手にとった。てぶくろもつけていない。奏子は自分のてぶくろを脱いで、おしつける。これも遠慮するものではない、と。
「名前はなんてゆうの」
「えむ」
 えむはマエストロみたいにあまったほうの人差し指で宙をなぞる。山なりふたつ。
「Motherの、M」

 冷蔵庫に牛乳があまっていたので、ミルクパンで温めガムシロップを添えて提供する。あまりに幼いメニューかしら、と垣間なやんだが、えむは喜んで受け取った。奏子は日本茶だ。置屋へは遅れる旨連絡し、時間の余裕も確保した。しばらくはふたり、嚥下にいそしむ。
 部屋はだんだんとあたたまってくる、つられて寒気に縛られた五感がそろそろとほどけてゆく。衣食住足りて礼節を知る――昔の人は真理の表記に長けていた。
「あの」
 ミルクの八割ほどを胃に収めたえむが、新たな会話の再スタートをきった。
「どうして家に連れてきれたんですか」
 わたしがあまりに寒そうだったから、というわけじゃありませんよね。知ってはいたが、勘は鈍くなさそうだ。
「そうねぇ‥‥」
 どう、いおう。真実・虚像の配分をいかに、まばたきのスパイス、ためいきのアクセント。おもむろに答える奏子の頬は、暖房のせいだけではなく、かすかな朱がちらばった。
「あなたが迷子のような目をしていたから」
「やぁだ」
「あら、失礼ね。私は本気よ?」
 ちょっと照れるけどね、とつけくわえる。
「昔話をしようかしら」
「奏子さんの?」
「三味線がひどく大好きだった女の子の話」
 大好きで、大好きで、しかたがなかった女の子。女の子は大きくなって、人生の最初の難関『高校受験』を突破する。解放感を味わったのも束の間、3年後にはすぐそこに次の難関『大学受験』がある、べつに彼女はそれでもよかった、糸があれば。だが、彼女の両親はそう思わなかったらしい。彼女から彼女のとりあげようとした。
 三味線と双親、選択がふたつしかなくなったとき、彼女は後者を捨てた。どちらも、はとうにのぞめなかった。後悔してない、と奏子が夢みる瞳でつぶやくと、
「それはやっぱり奏子さんですね」
「分かる?」
「部屋をみれば、分かります」
 たしかに。奏子はおもわず苦笑する。
「それで、女の子はどうなったんですか」
「家を出たのよ。まぁそれしかないわよね。でも15歳って、けっきょくどこにも行けないじゃない? おかしいわね、二本の脚があるのに、これさえあればどんな遠くへだって行けるはずなのに、そのためにうんと小さなころから歩く練習してきたってのに、制度は許してくれないのよ」
「うん」
「私も途方にくれたわ。戻れない、でも、進めない。泣けない、でも、笑えない。‥‥――迷子よ」
「うん」
「でも、拾ってくれた人がいたの」
 置屋のおかあさんなんだけど。
 あの人が私を(いつしか三人称を放棄したことに、奏子はまだ気づいていない)花柳界にみちびいた。そして、私はいまでもここにいる。
「迷子ってけっこう、誰かが拾ってくれるものよ。私はその人にすぐめぐりあえた、幸運だったわ」
 えむはとうとうマグカップを空にする。 
「じゃあ、わたしも。昔話をしましょうか」
「どんな女の子?」
「ひとりが大嫌いだった女の子。だから、仲間が欲しくって」
 捜しているんです。
 ずっと。
 絶望の淵にとらわれそうなくらいに永の時間を、宇宙のはしからはしまで。自分のことを話すときのえむは、なぜかとてつもなく幼くなる。言葉遣いではなく、雰囲気が、彼女を決定づける印象が。
 そうなの、と相づちやさしく、だがまなざしは強く、負けないように、奏子、
「ならどうして殺したの?」
 突然に尋ねる。ほんとうはずっといいたかったことを。
 これは『知っていた』わけではない、鎌をかけただけだ。奏子は帰宅時、玄関にかけてあったプラスチックの板をえむに見せるようにしてかかげる。
「これ、緊急の回覧板。さっきすぐそこで発生したって。あなたのいた公園のすぐ近くよ。夜にはまだ浅い、昼間よりもむしろ人の多い夕方に、大胆ね」
 証拠があるとするなら、それは鳥。赤い鳥の赤い匂い、彼女からほんのわずかにする。もちろんそれが物証にならないことは分かり切っている。だが認知したいのだ、嘘以外のことを。
「仲間が欲しかったら、どうして人を殺したの」
 淡々と、冷たい炎のように、奏子は話す。問う。はっと息をのんだえむは、奏子から離れる。一歩、二歩、あとじさって、走り出す。奏子のマンションの部屋のドアを乱暴に開け、飛び出す。
「待ちなさい」
 奏子もまた、走る。
「待ちなさい‥‥。待って!」

3.

 夕闇はすっかりと熔解し名残もない、悲しみと同化するほどに深い藍が東京の右から左へ流れてゆく。夜、だけれど、星はすくない。地上の光が天上の光を駆逐する土地を、都会という。
 でもほんとうにここが都会なら、人がすくないのは何故だろう。
 さっきの公園からずっと、だ。行き違う人の数がぜんぜんたりない、まるで世界中の人々がいっせいに眠りにでもついたかのようだ。それとも、彼らはどこかへ行ってしまったのだろうか。奏子の知らない遠くに、みんなみんな、旅立ってしまったのだろうか。
 まさか。
 どうしてこんな連想になったのか、たぶん、自分が追いかけっこの追っ手になっているからだ、と思い直す。逃がしてしまえば、いなくなる。だから、ありもしない落寞の幻想にとりこまれかけている。
 そこまで考えて、ふとした矛盾に気がつく。
 私はそんなにも寂しい人間だったろうか?
 逃げるえむは、ある地点、いったん静止し、X軸とZ軸のみが基本だった移動をYに変更する、つまるところ上へと逃げる。コンクリの四角な建物、野ざらしの鉄製・非常階段をのぼってゆく。
 ここにはおぼえがある、あまりよくない噂で。管理の怠慢な小さなビル、関係者だろうが通りすがりだろうが簡単に屋上に昇れるということで、何年かにいっぺんくらいの割合で飛び降りが発生するらしい、だのに管理人はいつまでたってもろくな封鎖をほどこさない。ほんのわずかな躊躇のあと、奏子もあとをおった。
 金属の段差が、二人分の重量を低音で奏する。元々はオレンジで塗られていたらしいが今やペンキはすっかりとはげおち、ところどころに鉄さびが浮いている、一度うっかり手すりをにぎると赤茶色にすすけてしまった、奏子はその後、洋服が汚れないようある程度気をはらいながら進んだ。
 醜いアヒルよりもみすぼらしい、頑丈なだけがとりえの、天国への階段。遠慮なく踏みしだく。
 到着。おもわず、つかれた息を吐く。
「来たんですか?」
「来たわよ」
 すぐに、声をかけられる。合間をおかずに返答する奏子の声は、今の今まで全速力だったとは思えないほど、凛と夜気にひびきわたった。質問には答えた、では今度は自分が問う番だ。
「来て欲しかったの?」
 答えはなかった。
 ただ、夜が。
 しぃんと、夜がひろがっていく。水上に輪をえがく波紋のように、輪はひとつでは終わらない、ずっとずっと。奏子を、えむを中心に。続く。星がふるえる。しゃらしゃらとどこからか鈴の鳴る音がする。それはきっと、銀色、星の色。
 夜。
「今日は何番目だったんでしょう」
 瞳はしっかりとあわせているくせに、その瞳孔にはなんの映像もない。夜色、暗黒があるだけのえむ。そう、それならばつきあいましょう、と奏子は受け止める。
 挑戦は、嫌いじゃない。きっかけは傲岸だったり場の流れだったり、マイナスであることは多々あるけれど、それは勇敢につながる可能性を秘めているから。あきらめない心や危険にひるまない精神は嫌いじゃない。
 嫌いじゃないだけ。
「六番め、と回覧板には書いてあったわよ。もっとも、それはお上がにぎっている数字って意味だけど」
「そう、六。多いのかな、少ないのかな」
「‥‥止めて欲しかったの?」
「分からない。たぶん、いつまでも分からないと思います」
 ふたりのひといき、えむがまた先に口を開く。
「卵」
「なぁに?」
「卵、です。あたしはあたしの卵を見つけたかった。あたしの仲間が孵る卵」
 そういえば、星もまた卵だね。生命を生み出す。
「100年前にうばわれて、それからずっと捜してました。一度も響いたことのないカリヨンをたいせつにしている教会も、超高層ビルのてっぺんのいつもふるえた避雷針も、ラクダを10頭のみこんでもまだたりない砂の災禍も、いろんなところをたくさんたくさんさまよって」
「最後はここへ?」
「この街に。泣きそうになりながら」
 嘘、たぶんきっと、もう泣いていた。でも、涙はかわいた。砂になった。
「でも、みつからない。だからあたしは気がついたんです。これはきっと巧妙に隠されているんだって。あたしも知恵をはたらかせなきゃいけない。誰もまだみたことのない場所に踏み込まなきゃダメだと思いました。それがたとえ、有刺鉄線を幾重にもめぐらした秘密の基地のむこうであっても、身体を傷だらけにしたって、たどりつかなきゃいけなかったんです。でも、よく考えたら、問題はそうむずかしくなかったんですよ。木は森に隠す。ならば卵は――もともとのところに」
 ぬめる、したたる、肉が鼓動する、血が沸騰する、生命は完成することのないモザイク画のようなもので、種種の細胞が連結と分離をくりかえす。
 つまり、躯の内側に。
「それで、見つかったのかしら。卵は」
「うぅん」
「まだ捜すつもりはあるの?」
「うん」
「なら‥‥。たとえば‥‥私の内側にもあるのかしら」
 いつしか下を向いていたえむが、面を上げる。なにかにおびえているような顔をしている、と奏子はおもった。
「たしかめたいでしょ?」
 迷子のような顔の、子ども。子どもなのだ。
 誰かが守ってやらなきゃいけない年齢なのだ。
「いらっしゃい。でも、生憎、私はこんな性格だから、おとなしくやられてあげることはできないわ。せいいっぱい相手をする、それでもいいならこっちにいらっしゃい」

4.

 ナイフの切っ先が奏子の脇をかすめる。胴を引いた瞬間、すぐ、エッジからはかろうじて逃れたものの、刃圧が吹雪の威力となって奏子をなぐった。小指の先より小さな小石が、彼女の頬をたたく。
「あら、本当に来ちゃったわね」
 軽口のようだが、命を賭そうという場面を必要以上に安く見積もるほどおちぶれてはいない。奏子は崩れた体勢から、安定のモードへ即急にうつる。
 力量の目測、そうつよくないと思う。すくなくとも、自分とくらべて。えむの表情を確認する余裕もあったくらいだ。
 おびえたような貌は変わらない、目尻に血よりもほのかな赤がある。
「‥‥――泣くぐらいなら」
 しなきゃいいのに。
 うぅん、分かってはいる。そうでなきゃいけないときってたしかにあるわ。人生、けっこう長いもの。いろいろよね。
「でも、あなたは許せない」
 どんな理由であれ、人の命を奪うという行為は許されていいはずがない。あなたの孤独は分かる。だが、それを命の重みとくらべるのは、別問題。
 難なく、奏子は彼女の腕をとることができた。
 やっぱり子どもの腕だ。未成熟な肉のつきかたをしている。現実の感触は、奏子
「つかまえた。私の勝ちね」
「‥‥」
「警察に行きましょう、いっしょに行ってあげるから」
「イヤです」
「ダメ」
 奏子は腕をとった力を適度にゆるめる、逃がすつもりもないけどつぶすつもりもない。
「莫迦ね」
 それから、抱きしめた。
 全部で全部を尽くすかのように、渾身はこわいから、それでもせいいっぱいに。
「そんな訳も分からない誰かを捜す必要なんか、なかったのよ。私がいっしょにいてあげたのに」
 ほら、私はここにいるでしょう?
 人の体温。平熱。反比例して、冷たくとがった夜気。とくとく、と脈の音、それは高くなく低くなく、音楽といえるほどの情熱も秘めてはいないのに人の心に忍び込む。蛇のように、しとやかに。
「だから、警察に行きましょう。怖いのなら、気の済むまでいっしょにいてあげるから」
 こうして、こうやって。
 温度をわけあって。
 しばらくふたりはそうしていた。時計はなかった、時間の指針はみあたらなかった、だからまるで時が止まったかのようだ。もしかして、ほんとうに時は止まったのかもしれない。それは細胞のみが知っている。
 だが、いつかは破られる。
 油断した。奏子はとん、と突き飛ばされた。彼女が状況を把握するまえに、えむは屋上の
「ありがとうございます、でもごめんなさい、私はつかまりたくはない」
 だから、これしかないんです、と。あらかじめ決められたト書きをなぞるかのような、そぞろさむいことばのあとに。
 そして、彼女はいなくなる。
 飛び降りたのだ、と把握するのに時間はかからなかった。
 奏子は建物の端から下をのぞく。
 下には何もなかった。ひしゃげた人の躯も、血やその他で汚れた服も、ただ風だけが吹いている。かわいた冬の風。なにかをあたえるでなく、奪うだけの冷たい風。渦を巻く。しかし、その透明な図形も瞬間にのみなりたつ像であり、やっぱりそこには何もない。
 ここからの東京は、からっぽにみえた。

 朝になればやわらかな陽射しに照らされて、やがてすべてが瞭らかになるでしょう。

「今から行けば、最後のお座敷ぐらいにはまにあうかしら」
 携帯電話のデジタルをたしかめる、時刻をあらわすポップなイルミネーション、待ち受けのファンシーな画像、悪趣味なピエロのようでもあり気の利かないジョークのようでもある。
「‥‥でも、今夜はよしとくわ」
 携帯電話を閉じる。電源を切る。留守番電話サービスにきりかえる。
 今日はもう誰とも話したくない。でも、明日は。一晩ぐっすり眠って、起きて、顔を洗って、歯を磨いて、お気に入りのワンピースにいつもより丹念なメイク(そうだ、あたらしいルージュを買いにどこかへ寄るのもいいかもしれない)にいそしめば、煌煌しい日常がなんでもないふりをして戻ってくる。
 けれど、今日の夜だけはあの子のために、あげよう。100年探し続けているといった彼女には、こんなのまばたきするくらいの時間かもしれないけど、
「赤い鳥、小鳥、‥‥」
 唄う。
 さすがにここまで三味線は持ってこなかった。でも家に帰ったら、そっとつまびくのもいいかもしれない。そうしたらあと、強いお酒を呑む。いや、そのまえにシャワーも。スケジュールはあっというまにうまる。

 なぜなぜ赤い。
 赤い実をたべた。

「赤い鳥は赤い鳥になりたくって、赤い実を食べたのかもしれないわね。赤い鳥の仲間になるために。そうすればひとりじゃないもの」

 赤い鳥が啼いている。
 泣いている。

 ちち、

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

1650 / 真迫・奏子 / 女 / 20 / 芸者

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■         ライター通信          ■
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真迫・奏子様

 ひさしぶりの東京怪談〜♪ と浮かれとったら(あ、なまった)、まーたーでーすー(爆) 何かというと、あれが。時間って鬼のように鬼ですね。
 というわけで、たいへん遅くなりましてすみません。
 そして、あいもかわらず、設定を生かし切れず、申し訳ございません。
 プレイング&奏子さんのお人柄にあわせようとした結果、OPよりも幾分NPCが素直で子どもになりました。彼女は生死不明ですが(す、すいません。逃げました)、時間は点で構成されるカオス曲線みたいなもので、永遠を決定づけるのは一瞬の出来事なんだよ、と。って、あ、わけのわからないこといってる。
 とにもかくにも、このたびは発注まことにありがとうございました。