コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


美味しいコツ

 藤井・葛(ふじい かずら)は長い黒髪を一つに結び、エプロンをつけて台所に立った。翠の目で冷蔵庫の中を覗き、バターを出す。
「何をしてるのー?」
 ひょっこりと台所に藤井・蘭(ふじい らん)が現れた。緑の髪を揺らし、大きな銀の目でじっと葛の様子を見ている。
「今からクッキーでも作ろうかと思って」
「クッキー!」
 葛の言葉に、蘭は大声を出してからにっこりと笑った。
「蘭はクッキーが好きなのか?」
「好きなのー!」
 心底嬉しそうに蘭は言った。葛はその様子を見て小さく笑う。
「じゃあ、作るのはどうだ?」
 葛の言葉に、蘭はきょとんとして首を傾げる。
「作るのー?」
「そう。一緒に、クッキーを作るか?」
 蘭はちらりと机に置いてあるノートを見つめる。最近、葛に買って貰った日記帳だ。蘭の好きなアニメである『にゃんじろー』の表紙の日記帳。
「作るのー」
「日記に書く気だな?」
 葛は苦笑する。蘭はにこにこと笑いながら頷く。毎日『持ち主さんは今日も寝ていたの』の文章が続いていたのでは、面白くない。
「そうだ、ついでににゃんじろーを作るか?」
「にゃんじろー、作れるの?」
「ああ。クッキーの形をにゃんじろーの形にすればいいだけだ」
 ぱああ、と蘭の顔が綻ぶ。心底嬉しそうに。
「にゃんじろー、作るのー!」
 きゃっきゃっとはしゃぎながら、蘭はぴょんと跳ねた。葛は苦笑し、バターを秤に乗せて重さを量る。それをボウルに入れ、放置する。
「作らないのー?」
 蘭が不思議そうに尋ねる。葛はバターをボウルに入れて放置したまま、他の材料の重さを量っていく。砂糖と、薄力粉を。
「ちゃんと作ってるよ」
「重さを量ってるだけなのー」
「バターはね、常温で柔らかくしないと美味しく出来ないんだ」
「じょーおん?」
 初めて聞く言葉に、蘭はきょとんとして首を傾げる。葛は「ええと」と小さく呟き、言葉を改める。
「変に温めたりするんじゃなくて……この部屋の温度で柔らかくするんだ」
「この部屋の温度で、柔らかくなるの?」
「なるよ。バターはすぐに柔らかくなるから。……ほら」
 ボウルの中の程よく柔らかくなったバターを見せ、葛は言った。蘭は「へー」と言って興味深そうにバターを見つめている。
「凄いのー」
「まだまだ、始まったばかりだぞ?」
 葛は苦笑し、量っておいた砂糖の塊を潰し、バターに混ぜる。柔らかくなったバターは、程よく砂糖と混ざり合っていき、だんだん白っぽくなる。
「美味しそうなのー」
 それをじっと見ていた蘭が、呟く。
「まるで、水飴みたいなのー」
「ああ、練って色が変わるという点では同じだな」
 葛はそう言い、そおれから小さく笑う。
「そうだ、このバターをトーストに塗って食べても美味しいんだ。シュガートーストと言って……」
「美味しそうなのー」
「でも、今はクッキーを作っているんだから、今度ね」
 葛の言葉に、こっくりと蘭は頷く。また一つ、楽しみになった食べ物が増えたと思いながら。
「こんなもんかな?」
 すっかり白くなってしまったボウルの中を見て、小さく葛は呟く。
「一つ卵を取ってくれるか?」
 葛が言うと、蘭は「はいなのー」と言って、冷蔵庫の中から卵を一個取り出す。葛はそれを受け取り、椀に割ってヘソを取ってから手早く溶く。綺麗に溶いたら、椀を蘭に手渡す。
「これを少しずつボウルに入れてくれ」
「少しずつー?一度に入れたら、駄目なのー?」
 蘭の言葉に、葛は頭を振る。
「少しずつだ。一気に入れたら、美味しいクッキーにはならない」
 葛はきっぱりと断言する。蘭は「はーい」と元気良く返事してから、葛に言われたように少しずつボウルに入れていく。それを葛は混ぜていく。
「そろそろかな?」
 葛は小さく呟き、篩いを出して蘭に手渡す。
「これ、何なのー?」
 篩いを下から覗き込みながら、蘭が尋ねる。
「それで、薄力粉を篩ってくれ」
「ふるうー?」
 葛は蘭から篩いを受け取り、薄力粉を少しだけ入れて、篩って見せた。
「こう、こんな感じで」
「分かったのー」
 蘭は嬉しそうに篩いを受け取る。楽しそうに見えたのかもしれない。葛は苦笑し、さっくりと混ぜ始める。
「さっきとは、違う、混ぜ方なのー」
「さっきみたいな混ぜ方だと、美味しく出来ないんだ」
 葛が言うと、蘭は「うーん」と唸る。
「美味しく作るのは、難しいのー」
「そんな事は無いよ。すぐに覚えられる事ばかりだから」
「そうなのー?」
 不思議そうな蘭に、葛は笑って頷く。
「よっぽど変な事をしない限りは、大丈夫だよ。……そう、よっぽどの事をしなければ」
 葛はそう言い、小さく下を俯いた。何かを思い出したのであろうか。
「持ち主さん、全部出来たのー」
 気付けば、蘭の手の篩いには薄力粉がなくなってしまっていた。葛ははっとして混ぜていた手を止める。それを二つにまず分け、更にそのうちの一つをさらに二つに分けた。
「何するのー?」
「色んな味の生地を作るんだ」
 葛はそう言い、大きな生地はそのままにして、残りの二つのうち一つにはココアを、もう一つには刻んですり鉢ですった紅茶の葉を入れた。
「ココアと紅茶?」
「そう。……いい匂いだろう?」
 物を入れた生地を蘭に匂わせてやると、蘭は大きく息を吸ってから頷く。
「じゃあ、生地を寝かせるか」
 葛はそう言って、ラップに三つの生地をそれぞれ包み、冷蔵庫に入れる。
「寝るの?」
「そう。寝かしてやると……」
「美味しくできるのー?」
「そう」
 誇らしそうに言う蘭に、葛は微笑む。ぽんぽんと頭を撫でてやり、天板を取り出してクッキングペーパーを敷く。
「そうだ、卵をもう一つ出して欲しいんだけど」
「はーい、なの」
 蘭はぱたぱたと歩いて卵を出し、葛に手渡す。葛は「有難う」と言ってから、別のボウルに卵を割り、黄身だけ取り出す。
「卵、分けてどうするのー?」
「形を作ったら、これを塗るんだ。そしたら、綺麗にて光るから」
「白身はー?」
「白身は……マカロンでも作るか」
 葛は小さく呟き、卵白に粉砂糖を少しずつ入れ、ハンドミキサーでしっかりと泡立てた。それに、粉砂糖とアーモンドプードルをさっくりと混ぜる。
「持ち主さん、まだ寝かしとくのー?」
 葛が今作っているものと、冷蔵庫を交互に見つめながら蘭は尋ねる。葛は時計をちらりと見て、30分以上経っている事を確認してから生地を冷蔵庫から取り出した。それぞれ薄く延ばし、カタヌキを蘭に手渡す。
「これで、出来るだけ多く型を抜いて……ここに並べて」
 葛はそう言いながら天板を蘭の前に置く。蘭は顔を綻ばせ、ハートや星の形のカタヌキでクッキー生地に穴をあけていく。その間にも、葛は先ほどのメレンゲを絞り袋に入れ、別の天板に搾り出していく。そして、先にオーブンに入れて火加減を決め、焼き始めた。
「持ち主さーん。生地、もう無いのー」
 カタヌキの穴が所狭しと空けられている生地を指差し、蘭が言った。葛は小さく笑い、三種類の穴の開いた生地をそれぞれ纏める。
「ほら、こうすればまた生地になる……けど」
 葛はそう言い、何かを企むかのように笑う。
「にゃんじろー、作るか?」
「にゃんじろー!」
 蘭は葛に言われてから気付く。最初に作ろうとしていたのが、にゃんじろーの形をしたクッキーだった事に。
「こうして、自分で好きな形にすれば良いんだ」
 葛はそう言いながら、生地を小さく千切って猫の形にする。それを見て、蘭の顔が綻ぶ。
「凄いのー」
「凄くなんて無いよ。ほら、蘭もやってみればいいよ」
 葛に言われ、蘭もそっと生地を千切る。そして、葛がやったように形を作っていく。
「……猫?」
「にゃんじろーなの」
 不思議そうな葛に、にこにこと笑いながら答える。葛はじっと蘭の手元を見つめる。アニメで見るにゃんじろーは、このような形態であっただろうかと、葛はじっと考える。丸いと思われる顔に、耳と思われるものが二つ。確かに、猫といわれれば猫なのかもしれない生命体が、蘭の手元にある。
「……にゃんじろーか」
「にゃんじろーなの」
 蘭は断言する。葛は小さく「うーん」と言いながら、ココア生地を千切る。
「これで、顔を作ればいいよ」
「はい、なのー」
 蘭はそう言い、ココア生地で目や鼻、口を作る。やはり、顔という事は分かるが、それ以上の事は分からないものになっている。
「……にゃんじろー?」
 葛が恐る恐る言うと、蘭はにっこりと笑って頷く。ともかく、出来上がったにゃんじろーもどきを天板に乗せる。蘭はそれで勢いづいたのか、再び先ほどのような物体を作り始める。
「またにゃんじろーか?」
「違うのー。今度はにゃんたろーなのー」
 主役の兄であり、敵役のにゃんたろー。勿論の事ながら、先ほどと同じくそれがにゃんたろーだと確信できるには甚だ難しいものがある。
「まあ、いっか」
 葛は小さく苦笑し、取っておいた卵黄を溶く。それを刷毛で天板に並べられたクッキーに塗っていく。これで、表面がつやつやしたクッキーが出来るであろう。
「それで、美味しくなるのー?」
「うーん……美味しそうに見える、かな?」
「なら、美味しいのー」
 にっこりと蘭は笑った。手にはにゃんたろーかにゃんじろーか、寧ろ猫なのかも怪しいクッキーがある。
(まあ、いいか)
 葛は微笑み、刷毛でクッキーに卵黄を塗っていく。
(楽しいから、何だって良いや)
「出来たのー」
 余っていた生地を全て使い、蘭は天板の上に完成したにゃんたろーもどきのクッキー生地を乗せた。それに葛は卵黄を塗る。
「じゃあ、焼こうか」
 葛はそう言い、先に焼いていたマカロンの天板を取り出す。既にオーブンは冷め切っていた。ただ、マカロンの焼けたいい匂いだけが充満する。
「いい匂いなのー」
 葛は小さく笑い、一つだけ蘭に手渡す。蘭は早速口に放り込んだ。口一杯にアーモンドの味と、さくさくとした食感が広がる。
「美味しいのー」
「それは良かった」
 葛は笑い、今度はクッキーの天板をオーブンに入れていく。焼き上がりは、約20分後だ。蘭はもう一つマカロンを口に放り込み、とてとてと小走りに走って日記帳を手に取る。
「もう書くのか?」
 葛の問いに、蘭は頷く。口の中にはマカロン、オーブンの中にはクッキー。
「忘れないようにしないといけないのー」
 蘭はそう言って笑い、鉛筆で日記帳に書き始めた。クッキーを作った事、美味しいものを口にしている事、にゃんじろーの形を作った事……。
「どれどれ」
 蘭は小さくそう言い、覗き込む。そして、思わず微笑んだ。
 そこには、葛が言っていた『美味しく作る為のコツ』が、蘭の言葉で綴られていたのだった。

<クッキーはいい色に焼き上がり・了>