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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


誰かを想いながら

 どんな時間帯においても、ほとんど人の途切れることのない「CureCafe」の扉に、珍しく「close」の札がかかっている。
 今日は定休日なのだ。そうと知らずに来た客たちが、店の前で悲鳴を上げては、未練がましく振り返りつつ、また帰って行く。
 田舎すぎず、都会でもない街の片隅で、ひっそりと繰り返される、よくある光景。
 ふと、買い物袋を下げた女の子が二人、喫茶店の前で立ち止まった。
 どちらも制服姿で、双子か、姉妹か、似通った顔立ちをしている。ぶら下げたスーパーの袋と鞄までもが、華奢で小柄な体には、いかにも重そうに見えた。
「お店の厨房、使っても大丈夫なの?」
 焦げ茶色の髪の少女が、やや不安そうに連れに聞く。大丈夫、と、相方が、店の鍵を錠穴に差し込んだ。
「ちゃんと聞いたから大丈夫。家より、ここの方が、道具が整っていて、使いやすいの」
 躊躇う様子もなく、閉まった店の中に踏み込む。どこに何があるか熟知しているのだろう。物に躓く様子もなく、ゆるゆると奥へ進んで電気をつけた。
 手早くエプロンを身につけ、荷物をカウンターの椅子に乗せる。二人揃っていそいそと取り出したのは、小麦粉やらベーキングパウダーやら生クリームやら……どこにでもある菓子の材料だった。
「それじゃ、ガトーショコラ制作開始!」
 CureCafeの看板娘・桜木愛華と、その従姉妹・橘沙羅の、嬉しそうな声が重なった。



 事の発端は、「謝りたいの!」という愛華の一言だった。
 せっかくの初デートの日に、愛華は寝不足で目を回して倒れてしまったのである。それを怒りもせずに看病してくれたのが、いつもは完璧に苛めっ子の某不良少年だったことに、今でも驚きを禁じ得ない。
 ともかくも世話になったのは間違いないのだから、何かしらの誠意を見せた方が良いだろう。聞かれてもいないのに、愛華はムキになってそう主張する。
 だったらバレンタインも近いことだし、手作りのお菓子でもあげたら?という沙羅の言葉が、決め手になった。あるいは誰かにそう言ってもらえることを、ずっと待っていたのかも知れない。
 それからの愛華の行動は早かった。学校帰りに材料を買い揃え、親友かつ従姉妹の沙羅を引き連れて、折しも休業中だった家の喫茶店に押しかける。
 愛華は自作のケーキを店の売り物に出せるほどの料理の腕前を誇るので、事前に練習する必要など全く無いのだが……彼に対してだけは、絶対に失敗したくないという意識が働いた。
 何故かと理由を聞かれたら、またも返答に窮してしまう。ただ、誉めてもらいたかったし、うまい、と言ってもらいたかった。お詫びなんだと自らに言い聞かせてみても、心の奥底の願望までは、都合の良い嘘の色には塗り替えられない。
「あのね……愛華ちゃん。やっぱり、その……付き合っているの?」
 と、沙羅にいきなり核心をつく質問を浴びせかけられ、愛華の手から、ぽとりとボールが滑り落ちた。
「な、な、何言ってるの! 付き合ってるって……そんなわけないよ!」
「だって。この間、一緒にお出かけしたでしょ?」
「そ、それは! たまたまあいつが遊園地のチケット持っていたからで……」
 ほんの少し尋ねただけなのに、愛華は早くも赤くなっている。ボールの中の卵をほぐす手つきも何だか危なっかしいし、視線はきょろきょろと彷徨って、実に落ちつきない。

「そのたまたまに、愛華ちゃんを選んだんだよね?」

 あの、排他的な少年が。
 彼は、一見すると女の子には分け隔てなく優しいが、その実、誰にも心を許していない。愛想の良い笑顔は、他者を排除するための、いわば体の良い防波堤なのだ。自分の中に他人が踏み込んでくることを極端に嫌うし、弱かったり脆かったりするありのままの姿を見せることも、決してない。
 いつも、どこでも、ひどく大人びて振る舞う。
 そして、桜木愛華の前でだけ、誤魔化し笑いを、止めるのだ。恐らくは、彼自身が、意識することもなく……。

「それって、何だか、すごいことだよね」

 愛華の方は、そのことに、全く気付いていないようだけど。
「あんな不誠実で女ったらしな人、見たことないもん! 知らないっ!!」
 口で言うことが本当なら、どうして、そんなに一生懸命作るのか。
 この間の非礼を謝りたいのなら、その辺で昼飯のパンでも一つ買ってやって、ごめんと頭を下げればいい。
 こんな風に、手間をかけて、お金をかけて、馬鹿みたいに頑張る必要なんてないのだ。
「うーん。ちょっと甘すぎるかな? もうちょっと苦みが効いている方が、いいよね? このメーカーのチョコレートより、こっちの方がオトナ向けかも。男の人って、あんまり甘いお菓子、きっと、好きじゃないよね……」
 材料と教本を前に、百面相を続ける愛華。
 ただのお詫びではあり得ない、ひたむきな……。
「ちょっと、羨ましいかな」
 沙羅には、まだ、そう想えるような相手はいない。
 もともと消極的で、おとなしい少女だ。友人たちの恋愛を遠巻きに見守るような、一歩引いてしまう癖もある。憧れているが踏み出せない。連れ出して欲しいと思う反面……ひどく、怖い。
「沙羅には、無理かな……」
 せっかく作ったガトーショコラを渡す相手も、思い付かない。
「愛華にばっかり、いつも意地悪してくるんだよ。沙羅ちゃんや、他の女の子には優しいのに……」
 ぶすりと頬を膨らませて、愛華がオーブンを睨んでいる。
 お喋りをしたり、物思いに耽ったりしているうちに、作業は着々と進んでいた。もう焼き上げの段階にまで入っている。
「そうなんだ……。沙羅ちゃんには……優しいんだよね……」

 橘は、見るからに、可愛いお嬢様って感じで。
 ああいうのが、ある意味理想だよな。
 
 今の今まで忘れていた言葉が蘇る。何気ない一言だったのだ。その時は、軽く受け流すことが出来たはずなのに……不思議なくらい、じくじくと、心が痛んだ。
「沙羅ちゃん……」
 焼き上がりを待つ愛華の傍らで、沙羅が、気を利かせて後片づけを始めていた。無意識のうちに、何かの歌を口ずさんでいる。相変わらず綺麗な声だ。聞き慣れているはずなのに、それでも、思わず耳を傾けてしまう。
 
「愛華ちゃんだけなんだよ。愛華ちゃんと話しているときだけ……感じが変わるの」

 優しいだけの男なら、周りにたくさんいる。
 女の子の顔色を伺って、調子を合わせるのは、なるほど簡単だろう。今のご時世、顔が良くて口が上手ければ、男は、十分すぎるほどに人生を楽しむことが可能だ。
 むしろ、地をさらけ出す方が、遙かに難しい。そんな相手に巡り会える幸運は、滅多にない。宝くじを当てるよりも希少な確率だ。

「……うん。すごく、いいと思うな」

 何かを考え込んでいる愛華の耳に、沙羅の小さな呟きは、届いていないようだった。
 チーン、と、滑稽なほど無遠慮な音を立てて、その時、オーブンが、出来上がりを知らせた。