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<東京怪談ノベル(シングル)>


御前は今日から私の玩具


 そろそろ時節も寒に入りますか。
 全く。
 傷が、痛みますね。

 …呑気な事を考えてゐるのは気を紛らわす為だったでせうか。
 ぼくは正直、動く事が出来ませんでした。


 雪の中。


 此処まで遁げて来れはしましたが。
 矢張り少少無理が祟りました。
 …鬼と呼ばれる者と戦い無事で居られる訳が無いとは確かに思いはしましたが。
 其れでも此処まで深手を負うとも思って居りませんでしたよ。
 不覚でした。
 其れでも、疾うに覚悟は決まってゐたのですがね。

 既に死の際に居るとは察して居りました。
 そう、流石に、此の降り頻る雪の中…傷が癒えるまで待つのは酷ですよ。
 凍えて仕舞いますからね。
 もう、動けはしない様ですから。
 …此のままでは、滅多に暖も取れない上におまんまにも有り付けない事は容易く予想出来ますし。
 幾ら身体を背を丸くして凝と固まってゐても…限度と云う物が有りますから。

 唯ですね。
 生まれ付いての猫又とは云え、曲りなりとも猫に連なる此の身で有る以上、せめて他人様の御目に触れない処に隠れて逝きたい物なんですよ。
 其れが如何転んでも此のままでは、無理の様でして…。


 其れだけが、如何にも心残りです。





 ………………黒猫が道端に転がってゐる。
 降り頻る雪の中、ぴくりとも動かない。
 唯、凝と。
 来たるべき死の跫を待ってゐる。





 黒猫以外に跡の無い、人も通らぬ銀の路。
 …奇特な跫が、黒猫の…今にも消え行こうとしている聴覚に至ったのは気のせいで有っただらうか。

 さくりさくりと雪を踏む跫。
 足運びから人間と、黒猫には早早に判断が付いた。
 その跫が靜止する。
 直後。
 靜かな聲が雪に染み入った。


「ほう…尻尾が弐本、とは珍しい猫も居た物だ」


 何処か突き放す様にも聴こえる鉄火な女性の聲が響く。


「…如何やら死に掛けてゐる様だが、手助けは要るか?」


 歳の頃は二十代の半ばにも成ろう別嬪で。
 雪の降る中唐傘を差し、流れる様な黒髪に着流しと云った…寒々しい迄にあつさりした風体の。
 背の高い女が黒猫を見下ろしてゐる。

 黒猫に降る雪が止む。
 …見上げれば、女の唐傘で、容赦無く曇天から落ちて来ていた雪が――遮られてゐた。


『…人間に情けを懸けられるとは…ぼくも堕ちた物です…』


 黒猫がそう発すると、女は軽く瞠目する。
 暫し黒猫を観察してから、女は仇つぽい笑みを見せた。


「は! 人語を解するとは益益以って興味深い猫よ」


『戯言に付き合つている余裕は…余り、無いのですがね…』


「そう見えるな」


 ふむ、と頷き女は其れでも黒猫を唯、見ている。


「…此処で拾うからには御前は私の物だ。其れでも御前は構わぬか?」


 面白そうに告げる聲。


『構うも構わないも、ぼくに選択の余地は無いでせう…?』


 放って置くなら黒の猫又壱匹の骸が何れ晒され風化するだけ。
 此処で貴女に拾われるなら其れも又そうなる運命。


「ふむ、潔い。ふふ…ならば精々愉しませて貰おうか…」


『如何せもう、身体も動きませんからね。拾うのも大変でせうが、其の気なのでしたら、好きにして下さい…』


「…そうだな、では好きにさせて貰おう。…まずは名乗るか。私は言祝堂と云うしがない骨董商でねゑ。さて、人語を解すると見込んで問おう。御前に何か呼び名は有るか?」


『名ですか…』


 人の世で通ずる名などぼくは持ち合わせては居ませんよ。


「…ほう?」

 其れはちと不便だな。
 ならば。
 如何せだ。


 ――碌に使わぬ私の名を其のまンま御前にやろう。
 言祝堂と云うは屋号でね。私の本当の名は言吹一子と云うんだよ。


 ………………さて、年期はどれだけ云い渡してやるとするか?


 にやりと微笑んだ言祝堂はそう告げる。
 風に乗る様、唐傘がふわりと下がったのは何時の事であつたか。





 雪がほろほろと降り積もる。





 …言祝堂はさくりさくりと雪を踏み、其の場から粛粛と歩き去る。

 其の後ろ。
 雪景色の中残されたのは――泥と血が少少残つた仄かな凹み。

 …最早、黒猫は其処には在らず。
 遠ざかるのは跫一対。


【了】