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<東京怪談ノベル(シングル)>


マリンガールのお仕事


 東京湾某所の水族館。
 一歩足を踏み入れると誰もが自然に声を潜めゆっくりと歩きたくなるような、そんな場所。
 目に優しい光量。
 水の気配が伝わるように、心地の良い湿り気と床にきらめく水の影。
 大きな水槽の中に泳ぐ魚の群。
 太平洋や大西洋。
 メインとなる大水槽から、暗い部屋に置かれた深海魚の部屋までを軽く案内して貰う。
「次が今イベントのメインなんだけどね」
 海原みなもが案内されたのは、大きな水槽。
 時間を気にしていたと思ったら、明かりが落とされアナウンスがショーの開始を告げる。
 水槽に現れる、美しい金魚たち。
 厳密に言うなら、金魚をイメージさせる衣装を身にまとった女性達だ。
「きれい……」
 ゆったりとした動きで、その身をくゆらせ水槽をの中を音楽に合わせ泳いでいく。
 実は以前、この衣装を作る時に協力した事があり、みなもはテストケースとして泳げるかどうかを協力した事があったのだ。
 だから、こうしてショーとして完成した物を見るのは悪くない。
「悪くないでしょ」
「はい、ありがとうございました」
 これを見せたかったのだろうか。
 ショーの後、自販機のある休憩スペースで彼女はニコリと微笑んだ。
「それでお願いがあるんだけど」
 ここからが本題とばかりに。
 実は、ここに連れてこられた理由はいまだによく解っていないのだ。
 けれどなんとなく解ってしまう。
「今日は何とかなったけど、実は急病で休んだ人が居て……夕方だけでいいからマリンガールとしてのバイトを手伝って貰えない?」
「わ、私がですか!?」
 驚いたみなもにシーと声を潜めるように言う。
「あ、ごめんなさい」
「いいのよ。でもさっきも言ったけど、今は昼の部を夕方の人がやって貰って何とかやりくりしてる状態なの、だからこのままだとオーバーワークで倒れちゃうわ」
「それは、大変ですね」
「だからお願い。あのショーに出て。泳げるのはみなもちゃんしか思いつかなかったのよ」
 確かにみなもは人より泳ぎが得意だ。
 人魚の血を引くのだから、もちろんそれは秘密だが。
 まくし立てるように説明され、大変なんだなと言う思いからみなもはその頼みを引き受ける事にした。
あの衣装を作るのにも協力したのである。
 困っているというのなら、協力してあげたい。
「解りました、私に出来る事なら頑張ってみます」
「良かったわ、じゃあ今日から一週間、よろしくね」


 さっそくとばかりに案内されたスタッフルームは、扉一枚隔てた向こう側が水族館の静けさが嘘のように活気に溢れていた。
「ペンギンの餌は!」
「まだ届いてません」
「業者に連絡!」
 慌ただしく動く従業員の間を水で濡れたままの床を慣れたように歩く。
「ごめんね、騒がしくって」
「いえ」
 奥まった扉をノックし、中に首を突っ込む。
「話してた子、連れてきました。着替え終わったー? 終わったよね、入りまーす」
 サッと扉を開きみなもを連れて中に体を滑り込ませる。
 着替えは半分ほどしか終わっていないようだっだが、慌ただしい。
「誰か居たらのどうするのよ」
「見てないわよ」
 そんなやりとりの後、みなもを椅子に座らせる。
「どう?」
「サイズもあるから、あと合わせての練習は実際に試してみ貰うしかないわね」
 さっそくとばかりに、専用のスタッフの女性がみなもの体と服を合わせてからちょうどいいサイズの物を取りに行く。
「あっ、言い忘れたわね今回もよろしく、みなもちゃん」
「よろしくお願いします」
 軽く会話をしながら、真剣な表情で特殊な衣装をみなもに着せていく。
 赤い鱗模様の、ラメ入りウエットスーツ。
 下半身、腰から下は金魚の尾で、下に行くほど薄さが増して行くが尾に入った線を強調する事で上手く足が隠せるようになっていた。
 まるでドレスの様なドレープ。
 水に入ればさっきショーで見たように華麗に広がるのだろう。
 広がった時に不自然なシワが出来たり、足が痛まないようにと慣れた手つきでみなもの足をひれに馴染ませて一体化させていく。
「次は腕ね」
 腕を通すと、二の腕まではウエットスーツと同化していて動かせるのは肘から下のひれの部分だけ。
「指先まで伸ばして……そう」
 肘から下が動かせないために、着るのに効率化を図るのには一度立ってから一度に両腕を通してしまう事だ。
「せーのっ」
 真っ直ぐに伸ばした腕を動かさないように注意し、後ろから一気に服を引き上げて貰う。
 けれどウエットスーツはピッタリとした素材。思った以上に簡単な事ではない。
ここまで着るだけでホッとため息を付く。
「ガンバレー、まだまだこれからだからね」
 最後に背中のファスナーは上げてしまえば完全に背びれに隠れて見えなくなった。
「凄いですね」
 見た目の綺麗さは当然なのだが……この衣装、泳ぐどころか動く事にすら適していないのだ。
 最後に赤いウィッグを付けて貰い、ようやく完成。
「じゃあ、ザッと動きを説明するわね」
 ホワイトボードに説明された動き事態は、簡単なものだ。
 けれどこの衣装を着て、音や他の型と合わせるとなるとそれが出来る人は限られてくる。
「と言う事で、後は練習あるのみ!」
 水槽まで運んで貰い、既に慣らすために泳ぐ練習をしている女性達に声をかける。
「みんなー、この子が手伝ってもらうみなもちゃんよ、よろしくね」
「よろしくお願いします」
 挨拶をしたみなもに、こんにちはや、よろしくとの挨拶が帰ってくる。
 その光景は、とても幻想的なものだけど……考えてみれば、アバウトで気さくだ。
「さ、頑張ってね」
「はい」
 水へと落とされ、みなもはトプンと水に潜った。

 軽くかかる水圧。
 音のない空間に、水中に入れられたスピーカーから聞こえる静かな音色だけが満たしていく。
 ユラユラ動く金魚たち。
 けれどそれは水に対して慣れるための練習があっての物だし……長く呼吸を止めていなくてはならない。
 演出上の理由から、岩陰に酸素ボンベも置いてありそこで決められた時に演出に見えるように自然な動きで酸素の補給も出来た。
 けれどそれは、決められた時意外は呼吸が出来ないと言う事。
 普通の人なら、きっと辛い筈だ。
 みなもにとっては動きが制限された以外は、つい人魚に戻って仕舞いそうになる事と、不自然なほど長く酸素を吸い忘れる事に注意しなければならなかったのだが。

 彼女たちは、凄い。

 簡単で自然な動きは、演じてみれば見た目より遙かに難しい。必要以上に手を動かしてはならないし、ゆっくりとの早さも越えてはならない。
「これなら大丈夫そうね」
「凄いわ、人魚みたいね」
「いえ、そんな」
 実際に人魚だなのだが、みなもは苦笑して、それでも褒められた事に照れたように笑う。
「それじゃあ、夕方から頑張りましょう」
「はい」


 水槽の中で、音に合わせてユラユラ動く金魚たち。
 休憩を交互に入れて2時間。
 みなもの演じる金魚達のショーは、今日も沢山の人が集まり、通常通りに開かれた。
 水槽の外には真っ直ぐに金魚達を見つめている人達。
 呼吸のあった演技が、人々を魅せている事がハッキリと解った。
 なんて長く、短い2時間だった事だろう。
「お疲れさま」
 終わった頃には、もうへとへとだった。
 水から出され、ウエットスーツを脱ぐのも手伝ってもらう。
 この衣装は、自分で脱ぐ事も出来ないのだ。
 ウィッグを外してからファスナーを下げるのも背びれが絡まないように慎重に。
 上を脱いでしまえば、圧迫されていた体や呼吸が一気に軽く楽になる。
 後に残るのは心地よい疲労感。
「お客さんも喜んでたみたいよ、明日もよろしくね」
「よかった」
 楽しんで貰えたのなら、何よりも嬉しい。
「その粋よ、これから一週間よろしくね」
「はい、がんばります」
 胸を満たす達成感。
 ショーを喜んでもらうためには水面下での努力が必要なのだ。
それが、マリンガール。