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古書とテクノと怪しいやつら
その日汐耶が要申請特別閲覧図書のチェックをしていると、書架から声が聞こえた。
他にひとけのないこの場所で、自分を呼ぶものと言ったらひとつしかない。
九十九神だ。
「はい。何でしょう?」
汐耶は声の聞こえた書架に見当をつけ、前に立つ。
「ここじゃここじゃ」
ほどなくしてガタガタと棚が揺れ、声をかけてきた本が書架からはみ出し――もとい、身を乗りだした。
「古い知り合いが近くにいるようでな。会いに行きたいんじゃ。ひとつ頼まれてくれんかのぅ」
要申請特別閲覧図書である曰く付の本が、何かしら主張してくるのは良くあることだ。
暴れて悪さをするような封印図書に比べれば、この本は優良古書と言えよう。
汐耶は本を手に取ると、快くその申し出を引き受けた。
今週末ならちょうど空いている。
「構いませんよ。でも平日は私も仕事がありますから、今度の休日で良いでしょうか」
「おお、おお! 頼まれてくれるのならいくらでも待つとも!」
そんなわけで、汐耶は本を案内役に東京の街へ出ることになった。
約束の休日。
汐耶は例の本を手に路地を歩いていた。
長いこと収蔵されていたからだろう。古書の言う道は古いものばかりで、汐耶にはどこをどう歩いているのかわからない。
言われるままに歩いていると、背の高い建物の間に、埋もれるように存在する古書店が見えてきた。
「あの店に知り合いがおるんじゃよ」
本はさぁ早く行ってくれと、今にも汐耶の腕から抜け出さんばかりに騒いでいる。
すぐに行くからと本をなだめ、汐耶は店に近づいた。
店先に掲げられた看板には、聞いたことのない店の名が記されている。
「古書店、てんげんどう……?」
東京近辺の書店・古書店は入念にチェックしているはずだったが、この店は一度も訪れた覚えがない。
そもそも、本に言われるまま歩いてきてしまったため、この場所が東京のどの辺りに位置するのかもわからない。
店に入ろうと入り口を見やると、お世辞にも綺麗とは言えない字で書かれた張り紙が目に入った。
『古本・稀少本のお探しは古書店【天幻堂】へ。
※拝み屋居ります。御用レジ店員話掛』
「古書店に、拝み屋……?」
わけがわからずに扉を開く。
足を踏み出そうとした瞬間、汐耶の耳を大音響の電子音が襲った。
眼前に見える古書の山と、聴こえくる音楽の落差に思わず扉を閉め直す。
腕の中で騒いでいた本もぴたっと鎮まっていた。
「……この店で間違いないんですよね?」
「そのはずなんじゃが」
もしかしたらこの本が知っている頃と店の様子が変わってしまっているのかもしれない。
思い直し、汐耶は再び扉に手をかけた。
意を決して扉を開けようとした瞬間、
ゴッ
鈍い音が響く。内側から開いた扉にしたたか額をぶつけたのだ。
「〜〜〜〜〜〜!」
どうもこの扉は両開きだったらしい。
額に手を当ててうめいていると、反対から扉を開けたであろう女が顔を覗かせた。
眼鏡にツリ目に黒髪で、ジーパンに白衣というでたらめな格好をしている。年の頃は汐耶と同じくらいだろうか。
「あ、ごめん?」
まるで気のこもっていない様子でそう言われ、汐耶はがっくりと肩を落とした。
女の後ろからはやはり例の電子音――テクノミュージックと思わしき音楽が響いていた。はっきり言って騒々しい以外のなにものでもない。
女は汐耶の様子に構わず、一方的にまくしたてる。
「あんた客だよね? 悪いけどさぁ。アタシちょっとタバコ吸ってくるから、欲しい本があったら適当にレジにお金おいといてくれる? あ、それとも売り? だったら奥にじーさまがいるから呼べば――」
「きつねーーーーーー!」
女がしゃべり終わる前に、今度は老人のものとおとぼしき怒声が響く。
「また妙な音楽をかけおって! ってコラ、どこへ行くつもりじゃ!」
女は「やばっ」とつぶやくと、汐耶ににっこり笑いかけて店の外へでた。
「ほらじーさま、お待ちかねの客が来てるよ!」
言うなり、白衣をひるがえして走っていってしまう。
あっけに取られてそれを見送っていると、店の奥から怒声の主であろう老人が姿を現した。
「まったく……。あやつには雇われ者という自覚が足りんな」
どうもあの女が張り紙に書かれていた『レジ店員』らしい。
色々聞きたいことはあったが、とりあえず本の用事を済ませるのが先だ。
汐耶は思い切って老人に声をかけた。
「お取り込み中すいません。信じて頂けるかわかりませんが、この本が……」
どう説明しようかと言葉を選んでいると、老人が口を挟む。
「ああ、わかっとるよ」
彼はそう言うと、汐耶に店に入るよううながした。
老人はレジの奥へ行って例のテクノミュージックを止めると、適当なラジオ番組に切り替えて音量を下げる。
音楽一つで部屋の雰囲気は変わるものだ。
店内は微妙な薄暗さを伴い、古書店らしい落ち着きをみせる。
「どれ、手持ちの本を見せてくれないか」
老人は汐耶の持っていた本をしげしげと眺めると、店の中を歩き回って一冊の本を手に戻ってきた。
「この本が会いたいのはこいつじゃろう」
老人が持ってきたのは全集などの最後につけられる索引書だった。
汐耶が持ってきた本はある全集の一冊だ。
今にしてみると、この全集には索引書が抜けていたような気がする。古い上に曰く付きの本なので、収蔵した人間が集め損ねたのかもしれない。
二冊の本は揃うなり、わきあいあいと歓談をはじめていた。挨拶に始まり世間話、現在の収蔵場所について、他の仲間はどうのこうの。
九十九神といえど書庫に収められていては暇で仕方ないのだろう。彼らはひたすらしゃべり続けている。
「良くあの本の知り合いがわかりましたね」
そんな本を微笑ましく見つめながら、老人に声をかける。
「なに。長年古書を扱っていれば、このくらいわかるようになるさ」
老人はニヤリと笑みを浮かべ、あの本の気が済むまで、おまえさんも店を見て回ってはどうかねと勧めた。
元からそのつもりだった汐耶は老人に礼を言い、店内を見て回ることにした。
店の中は外から見た以上に広く感じられる。それとも本の収め方が良いのだろうか。
隙間なく並べられた本は行儀良く並び、買い手を待っている。
新書に古書、洋書に楽譜。本の形態を持つものなら何でも置いてあるようだ。
汐耶は棚のひとつひとつをじっくりと眺めながら、何か掘り出し物はないかと見て回った。
一時間もたっただろうか。
何気なく通りすぎた本棚の前で、ふと足を止める。
棚に目を走らせると、兼ねてから探していた小説の原書が並んでいるのに気づいた。
あやうく見逃すところだ。すぐさま手にとり、間違いなく目当ての本であることを確認する。
小説を手にレジへ行くと、こげ茶色の子猫がびろんと伸びていた。やってきた汐耶を見上げ、首を傾げる。
飼い猫なのだろう。軽く撫でてやると気持ちよさそうに喉を鳴らした。
可愛らしいのは言うまでもないが、猫にレジを打てと言うのは無茶な話だ。
老人はどこへ行ったのだろうと店内を見渡すと、店の外から先ほどの女が戻ってきた。
「あ。さっきの。扉にぶつかったひと」
女は汐耶の顔を覚えていたようだ。
「ぶつかったのではなく、ぶつけられたんです」
少々皮肉を込めて訂正するも、女はこたえていないようだった。
鈍いのか、図太いのか。
汐耶は反撃を諦めると、持っていた小説を買いたいと告げる。
女は汐耶の手からひょいっと本を奪うと、軽く本の状態を見て「二百円で良いよ」と言った。
「二百円って。古本とはいえあまり出回っていない本ですよ。さっきのご老人にきちんと値段を聞いた方が良くないですか」
汐耶が意見すると、女は伸びていた子猫を抱き上げレジに腰掛けた。
「じーさまだって同じことを言うよ。あんたその本に呼ばれたろう?」
「呼ばれた……?」
「うちの本は買い手を選ぶ。本が呼ばなきゃ、どんなに探したって欲しい本は視界に入ってこない。アタシらはここに集まった本の養い親を捜してるようなもんだ。養子先から金は取れないだろ? そういうこと」
腑に落ちないものを感じつつ、財布から百円玉を二枚取り出し女に渡す。
確かに、通りすぎざまにあの本を見つけたのは何かの縁だと思わないでもない。
「まいどあり〜♪」
女は上機嫌で二百円を受けとると、おおざっぱにレジに投げ込んだ。
見るとお札も小銭も適当に入れているらしく、レジの中はごった煮状態になっている。
女の言動に呆れつつ買った小説を眺めていると、レジの奥から老人が姿を現した。
手には汐耶が持ってきた本と、老人が引き合わせた索引書を持っている。
「待たせてすまんな。やっと話が済んだらしい」
言って二冊の本を汐耶に渡し、
「せっかくだから、こいつもおまえさんのとこで預かっといてやってくれ」
女同様唐突なことを言う。
「突然押しかけてきたのはこちらの方です。この小説だって安価で譲って頂いたのに、そんな恐れおおいことできません」
汐耶がそういうと、老人は大声を上げて笑った。
「大事なのは本の事情だ。商売は二の次。人間の事情は三の次」
女を見ると、それみたことかと言わんばかりのしたり顔を浮かべている。
汐耶は観念して、老人と女の言うことに従うことにした。
当の古書二冊は、話し相手と一緒に居られるとあって喜んでいる。
とりあえず九十九神との約束は果たせたのだ。
奇妙な古書店も見つけることができたので、汐耶としては収穫の多い一日となった。
結局その日は日が暮れるまで店に居座り、帰途へとついた。
家に帰り着く前、汐耶は彼らの名前を聞き忘れていたことに気がついた。
また店に行った時に聞けば良い話だが、果たしてその店にたどり着けるか定かではない。
帰り際、女に頼んで大通りから店までの地図を書いてもらったが、張り紙同様あまり役に立ちそうにない代物だった。
傍で書くのを見ていたが、利き手で書いてそのざまだ。
今度はこちらが九十九神に頼み込んで店まで連れていってもらわねばなるまい。
汐耶は店で買った小説を開くと、しばし活字の世界へと意識を踊らせた。
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