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<東京怪談ノベル(シングル)>


rock-a-bye

 カリ、キリリと細い指が螺旋を巻く、硬質な音が、普段は柱時計の秒針が支配する空間に響く。
「また売れ残っちまったね、アンタ」
碧摩蓮が、磨き上げられ滑らかな指触りを持つ木箱にそう苦笑混じりに語りかけながら、その底面に配されたつまみを回しきると、元の棚の上に戻した。
 何処かアラベスクめいて流麗な唐草模様に密な彫刻が為され、彩色がないにもかかわらず艶と鮮やかな印象を持つのはジャスミンの小さな花の部分にのみ施された螺鈿の白の功績か。
 蓮が商う品はどれも某かの曰くを持つ物であり、それもまた例に漏れず、某かの謂われを持つ品なのであろう…などと考えながら、白瀬川卦見は店内に据えられた、これも売り物である大テーブルの上にカードで手慰みにピラミッドを作っていた。
 そのカード…人の運命を見透かす神秘のタロット、ある意味神性であろう品で、子供じみた戯れに興じる卦見に蓮は苦笑混じりの声をかける。
「商売道具で遊んでちゃまずかないかい?」
「たまには人の運命に関係ない事にも使ってやりたいじゃないですか……息抜きですよ」
カードにとって、なのかはたまた卦見にとってなのか、どちらの意味とも取れる『息抜き』に、肩に力が入る程に銀の瞳は真剣そのものである。
 卦見は、アンティークショップ・レンの片隅に間借りしての占いを生業としている。
 謂われ曰くのある品々、そしてそれを扱う一癖二癖もある店主の元へ訪れる客は数こそ少ないものの、そういった品々と『縁』のある人間は神秘のそれに理解と興味があるようで、売るついで、買うついでに卦見に見料を落として行く事も多く、いい商いであると言えた。
 が、日々、その日の糧のみを得るのが目的の卦見、ひとかたの金額を稼いでしまえば店終いである。
 そのあくせくとしないスタイルが、卦見の若さに−この場合は外見上の、に限定されるが−ある意味、泰然自若とした雰囲気を醸しだす一助…なのも確かだが、些か神秘性を欠く。
「それにしたって、もーちょいとらしい扱いってモンはないのかい」
呆れを含んだ蓮の言葉も最もだ。
 占い師にとってその占具は神性なる物で、人の運命を覗くそれらは丁重に扱って然るべきなのだろうが、タロットに拘らず、星占いに水晶も見れば筮竹を扱い、あるものならばトランプでもコインでも。時にはスティック状のチョコレート菓子すら、占具に見立てて見せる。
 だが、少なくとも、タロットカードでピラミッドを作っている占い師に、自分の運命を委ねる酔狂な客は居はしないだろう。
 蓮は、たわいない一人遊びに興じる占い師に、ふとした思いつきを向ける。
「暇にしてるのなら、ひとつ占ってやってくれないかい」
その言葉は、今正にカード・ピラミッドの頂点を極めんとしていた卦見の手元に僅かな狂いを生じさせた。
 それは絶妙のバランスで以て積まれたカードの山にとって、致命傷だった。
 幾たびもの失敗を越えて、今まさに立体を極めんとしていたオブジェは崩れ、そのトライアングルの連なりは儚くも平面の机上に重なり消えてしまう。
「……あたしが悪かったよ」
思わず、縋る眼差しで見上げる卦見に、蓮が気まずげに視線を逸らす。
「あと少し……だったんですけどね」
明確に肩を落とす卦見…生産性のない下らない遊びほど、熱中してしまうのは年経た妖魔にも共通するらしい。
 卦見のじっとりとした目線から逃れるように、蓮は話題の転換を図る。
「どうにも、このオルゴールが売れなくってね……大した曰くのついているワケでもないんだけど、理由が解れば判じてやってくれないかい」
「コレ……ですか?」
話を逸らされて、卦見は前に据えられた小箱を見た。
 卦見もいつでもアンティークショップ・レンに詰めているワケではなく、不在の折に入荷された品だろうと当たりをつけてはいた…そして、来店した客が何人も、それを手にしている所に居合わせはした、が戸口の脇、出掛けに目に付く場所に据えられたそれに興味を示す者が多いにもかかわらず、それを手に店を出る者はない。
 装飾に引かれて蓋を開き、奏でられるオルゴールに少し驚いて耳を澄まし…そして、元の場所に置いて店を出る、それが急ぎ足なのが些か気に掛ってはいたが。
 置き場を入って直ぐ目につく場所へと変えてみた事もあるが、それに大しては客が他の品を見ずに帰ってしまった為、元の位置に戻された次第である。
「お代はあたしが持つから、ね」
片手で拝む蓮の仕草に、卦見は渋々と箱を手に取った。
 小物入れも兼ねたオルゴール、音を奏でる機械部分の入っている片側に重心がある。
「それでは……」
卦見は目の前にそれを据えると、無惨に崩れたピラミッドの残骸を示してみせた。
「このバラバラに崩れてしまったタロットの中から、三枚を選んで下さい」
さんばらなままのカードから、選べと言うのだ……オルゴールに。
「悪かったってば」
額に片手をあてて、溜息をつきつつ蓮が言う。
「半ば趣味道楽とはいえ、商売は商売、売れないのがあたしの目利きが不確かだったってぇのも癪に障るじゃないか、ねぇ? 頼むよここはひとつ」
あまりしつこくヘソを曲げるのも大人気ない…ここで悪戯に蓮の機嫌を損ねてしまうのも得策でない、と、卦見は気持ちを切り替えて散らばったカードを表裏を合わせて丁寧に揃えた。
「では……」
こほん、と軽い咳払いで仕切直す。
「蓮さんが選んで下さい、三枚」
シャッと机上に伏せられたそれを、蓮の指が三枚、選んで引き出した。
 枚数が示す、過去・現在・未来。
 最も単純な占…だが、一枚のカードが持つ少ない情報で、その占示を読み取らねばならない。
 卦見は蓮が選んだ三枚を伏せたまま、順に並べる。
「さて」
 開く一枚目。
「おや、最初から……なかなか、癖の強い」
見るからに不吉なそれは、鎌を振るう骸骨の図柄、戯れに占を頼んだ蓮が細い眉を顰める様に、卦見はクスと小さく笑う。
「心配なさらなくとも。過去、死に関わる何かが、あった事は確かでしょうが、人の為に作られてから年を経れば当然有り得るでしょう」
卦見の言葉に、蓮は天井の隅を見るように視線を上げると頷く。
「言われてみれば、確かにねぇ」
「それに、カードが示すのは逆位置……これは破壊からの再生を意味します。例えば、樹木としての生を終え、削り出されて新たな形と役を得た、みたいに」
占いはある意味、想像を要する行為だ。卦見は不吉なカードの解釈を安心する方向で導きながら、現在のカードを開いた。
 次なるは、旅姿の一人の男の図柄が現われた。
 彼は足下の大きく裂けた大地に気付かず空を見上げている。
「愚者、ですか……放浪の意味もありますから、持ち主の定まらない今の状態を示していると言えなくもないですね」
卦見は難しい表情でそのカードを見る。正位置でも逆位置でも吉凶双方の意味を持つ、愚者は占示に組み入れるのが最も難であると言われているカードだ。
 判断は次の…未来のカードと示し合わせてみた方が良いか、と卦見は次のカードを開きかけ……自分だけが見えた、位置で止めた。
「蓮さん」
「よっぽど悪いのかい?」
過去・現在共に良いとは言えない意味にそれ以上に悪い卦だったのかと、用心する蓮に卦見は微笑みを向けた。
「オルゴール、開いてみてくれませんか」
「そりゃかまわないけど……?」
蓮は卦見の突然の要望を訝しみながら、オルゴールの蓋をぱかりと開いた。
 あるかなしか、発条の回り出す気配に、金属の弁が弾かれて高く、音を発する。
 曲の中途から始ったそれに、卦見は眼を伏せて耳を澄ます。
 耳慣れない旋律は、卦見の持つ銀の髪と瞳と同質の硬質さの印象ながら、螺旋を描いて空に溶け消えるくせどこか懐かしく、堪えるあまりに忘れかけていた息をつかせてふと、堪え切れぬ想いを湧き上がらせるようであった。
「……蓮さん」
卦見はパタリ、と開きかけていた、未来、のカードを伏せる形に戻した。
「占いの結果が出ました。買い手がつきます」
「は?」
にっこりと、テーブルの上に肘をついた卦見の笑みに、蓮が左肩を軽く上げて説明を促す。
「わたくしが頂くからです……お幾らでしたでしょうか」
最後まで占わずに対象を買い上げようとは。
 不信そうな蓮に、卦見は困ったように笑みを深めた。
「ただ一つ条件というかお願いというか……買い上げた後も、アンティーク・ショップレンに置かせて頂きたいのですが。この通りの根無し草なもので」
そう、ポンと占具と幾ばくかの生活用具の入った鞄を叩いてみせる卦見に、蓮は却って安心したかのように肩の力を抜いた。
「なんだどんな難問をふっかけられるかと思ったじゃないか……いいよ、見料の代わりで良ければ」
「ありがとうございます」
卦見はいそいそと、オルゴールを胸に抱くと元よりの位置にそれを戻した。
 死より再生した旅路の果てに行き着く帰結…カードが示した未来は世界。意味する所は完全なるハッピーエンド。
 音楽は人の心に作用する。
 韻を含んで子守歌めいた曲は、聞く者に帰りなさいと、囁きかける。あるべき場所へ幸せの在処へ、貴方が貴方である、家へと。
 なるほど来訪者である客達が急いで帰っていくのも道理かと、卦見は微笑む。
 オルゴールは、郷愁の形で安らぎを誘い、そして帰るべき者を待ち人の元へ、戻りなさいと、語りかける。
 キリ、カリリと卦見は蓮に倣って螺旋を巻く。ただの小物入れかと、開いた相手が突如鳴り出す旋律に覚える驚きが楽しく、始めだけであったその動作に幾人の者が自分の帰るべき場所を見出したであろうか。
 だから、卦見はここにオルゴールを置く。
 いつか、どうしても、帰り着きたい場所を求めたその時に。
 この曲が、この歌が帰っておいでと胸に響くよう…その、願いを込めて。


 そして今日も、アンティークショップ・レンの片隅には、『非売品』の札をつけたオルゴールがひとつ、静かに在る。