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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


ゲヘナの器・下


 2003年12月26日午前3時30分。
 濃紺の夜空に機外灯を点滅させながら、陸上自衛隊の双発大型ヘリ、CH−47が成田空港上空へ姿を現した。そして、太ったイモムシの頭と尻尾に巨大な回転翼を取り付けたようなそのシルエットが地上からようやく確認できる程度の高度まで降りてきたところで、ゆっくりと機首の方向を変える。
 単純な重量計算で考えれば大型ダンプカーさえ積載可能な双発輸送ヘリが尾部の貨物室ハッチを向けたのは、滑走路と枝のようなタキシングウェイで繋がった貨物ターミナルだった。機体が高度を下げはじめると、強烈なダウンウォッシュがアスファルトに吹きつけた。
 やがて重い音とともに無骨なゴムタイヤが接地、アスファルトの上に散らばった茶褐色の残骸を踏みつける。防衛庁の大竹は、貨物ターミナルわきに停められた作戦指揮車の外に立ち、腕組みをしたままその光景を見つめていた。
 CH−47のハッチがゆっくりと開き、隊員達が訓練された身のこなしで駆けだしてくる。そのうちの一人、機長の徽章を付けた隊員が大竹の元へ、残りは貨物ターミナルの中へ。
 大竹の前で足を止めると、機長は自分の所属と名前を告げて、小さく敬礼した。会釈を返す大竹。それから、機長の視線が焼けこげた貨物ターミナルの外壁へ向けられているのを見て取って、「RPG−7だ」と短く伝えた。
「本物でありますか?」
「五発打ち込まれた弾頭のどれか一発でもクラッカーだったら、一機45億円もするヘリなど呼びはしない」
 淡々とした口調でそう答えた大竹に、機長の喉がごくりと動いた。「フライトプランに変更はないな」と訊ねられ、
「はい。ヘリの最高高度を維持して成田から朝霞駐屯地まで、標準迂回航路をとりながら飛行します。現着予定時刻は5:30」
 防衛庁官僚はうなずきを返し、それから「気を付けるように」と口にした。一瞬怪訝な表情を浮かべた機長に、くすぶり続けるコンクリート壁を視線で指し示してみせる。
 機長の表情が硬くなった。大竹は静かに告げた。
「CH−47の最高高度には、一世代前の携行式地対空ミサイルでさえ到達可能だ」
 この機長は、このような作戦に抜擢されるほどだから、もちろん経験豊富な陸自のヘリパイロットである。その彼をして、「あの時、私の脳裏をよぎったのは――」と表情を曇らせるだけの重みが、大竹の言葉にはあった。
「――エンジンに被弾して落下をはじめたヘリのフロントウィンドウに、住民の誰もが寝静まった団地が近づいて来るという光景でした」
 標準迂回航路は自衛隊駐屯地上を結ぶようにして飛ぶ。その線上には当然住宅街やオフィス街があり、平方キロメートルあたり何千人という人が日々の生活を営んでいる。
 通常、ミサイルは赤外線追尾式で、エンジンからの温排気を追って食らいついてくる。被弾すれば、よくてもヘリは空中爆発、最悪の場合エンジンブロックと後部メインローターを失って、燃料と爆弾を積んだCH−47自体が巨大な質量兵器になるということだ。
 そして総重量10トン以上・8000リットル超の燃料を抱えた大型双発ヘリを空中で受け止める術など、どこにもない。


 先に述べたように、新東京国際空港で気化爆弾の防衛任務にあたったのは、神山・榊船・緋磨・真柴・宮小路・六巻・和田、そしてレナーテの八人である。
 しかし、午前4時10分にCH−47ヘリが空港を飛び立った時、その機内には気化爆弾の他に十一人のメンバーが乗り込んでいた。離陸前までに先の八人に加わった三人が、天音神孝、城田京一、そして巳杜靜である。


 最も早く先発組に合流したのは天音神孝で、榊船亜真知が地上での襲撃を乗り切ったメンバーに、暖房の入っている指揮車で紅茶を振る舞っていた時のことだった。
 「過ぎた緊張は、思わぬ落とし穴を呼びますわ」の言葉とともに愛らしいカップに注がれたダージリンを手渡された時の反応は、各人各様だった。
「私と真柴さんは、これ幸いと受け取ったのだが」
 緋磨翔はその時を振り返って、少し照れたように笑った。
「少年二人は渋い顔だったな。『そんな気楽なことをしている場合か』、とね」
 実際、和田京太郎と六巻雪は渡されたカップを持ったまま困惑した顔を見合わせ、
「……つうかよ、油断しすぎじゃねぇの、さすがに」
「……なぁ」
 と小声をかわした。だが榊船は、それにしれっとした表情で答えたという。
「休息と油断は違いますわ。それに、皇騎兄様の監視網が空港全体を見張っておりますもの。
 お二人が兄様より先に敵を見つけられるとおっしゃるなら、拝見したいものですわ」
 その言葉に和田と六巻が宮小路皇騎の方へ視線を投げ、監視モニタとPCの向こう側から、怜悧な陰陽師は軽くカップを挙げて微笑んで見せた。
「いやまぁなんていうか、あの二人には色々言いたいこともあったケドよ」
 和田はなんとも言えない表情で頭をかきながら、続けた。
「六巻が、あのガキには口じゃ勝てねぇって言うからさ」
 「ピリピリしたって始まらないし」と、和田を止める側に回った六巻はその時を回想するだけでも諦め半分の表情だ。「実際、いい息抜きにはなったと思うすよ」
 和田と六巻がそれ以上異論を差し挟むのをやめたと見て取ると、榊船はにこりと微笑んだ。そして、
「角砂糖はおいくつ?」
 シュガーポットを片手に問いかけてくる彼女へ、二人はため息混じりにカップを差しだし、「わざとじゃねぇからな」とのちにしきりと強調しているのだが、
「二つ」
 と声を揃えた。
 「美味しいお茶でしたよ」と、振り返って神山隼人は微笑んでいる。
「そうと知っていたら、クッキーでも持って行ったのですけれど」
 神山はまさにその通りの言葉を指揮車の中でぽつりともらし、「うん、まぁ、どこまで本気か分からないやつだったけどな」との真柴尚道の苦笑いが示すように、さすがにその場の一同から呆れたような眼差しをむけられたという。
 天音神はまさにそうした最中に新東京国際空港に到着し、それを最初に察知したのは、榊船の言葉の通り宮小路だった。監視を続けていたカメラのモニタに、午前3時35分、ほとんど車の残っていない駐車場へ入ってくる一台のバイクが映った。
 だが宮小路は、それをすぐに他のメンバー全員へ伝えることはなかった。そのことについて、彼はこう説明している。
「怪しくはありましたが、まだその段階では対処の範囲内でした。
 休息は必要です。無駄な緊張は、強いたくありませんでしたからね」
 監視カメラはほぼ完全なリレー範囲でバイクで乗り付けてきた人物を捉え続けていた。だがその映像を確認すると、とても一貫した人物を捉えていたとは信じがたい。粒子の粗い白黒画像の中で、バイクを止めスタンドをかけて空港ターミナルビルへ近づいて来るのは確かに成人男性のシルエットだ。しかしそれがターミナルビル内エントランスホールをカバーしているカメラの前へ現れた時には、その姿は長い髪の小柄な少女に変わっていた。
「警戒すべき要素は二つでした。一つはその姿の変化。もう一つは、それが『彼』にせよ『彼女』にせよ、どのドアも開けることなく入ってきたことです」
 その時の状況を振り返り、宮小路は小さく肩をすくめて続けた。「誰かに確かめに行っていただく必要がありました。いちばんそばにいたのが緋磨さんだったのは、まぁ、幸運な偶然ですね」
 宮小路はその侵入者(この時点ではもちろん、それが天音神だと把握している人間はいなかった)が旅客ターミナル1階の到着ロビーを範囲に収めているカメラに姿を現した時、静かにカップを監視機材の隙間に置き、モニタへ向き直った。指揮車の車中でその動きに気を払ったのは緋磨だけで、彼女はダージリン片手に宮小路の隣へやって来た。彼と同じモニタをのぞき込みながら、
「何か?」
「分かりません。侵入者ではあるようですが、奴らにしては様子が」
 モニタの中で、天音神は誰か探してでもいるかのようにきょろきょろと辺りを見回している。その姿を確かめるなり、緋磨は口を付けた紅茶に軽くむせた。
「……お知り合いですか?」
 声を落とし、怪訝な表情で宮小路。緋磨は曖昧に首を振った。
「……あいつかなと思う、心当たりはある」
「それでしたら、お手数ですが」
「分かってる。確かめてこよう」
 短かなやりとりのあと、緋磨はカップをわきに避けると指揮車を抜け出した。のちに彼女は、「指揮車の外はかなり寒かった。温かい紅茶に込められた配慮を知ったよ」と微笑んでいる。そして笑みをやれやれと言いたげなものに変えて、「それにしても、予想外だった。彼が来るとはね」と続けた。


 緋磨は、天音神が到着ロビーから滑走路の方へ出ようとしているところで『彼女』と合流することができた。
「天音神」
 緋磨が呼びかけると、小柄な少女が振り返った。長身の女性の姿を見て取ると、口元にこぶしをあて、小さく身体をくねらせる。
「いゃん。いつもみたいに『あまねちゃん』って呼んでよォ」
「やめないか、気色悪い」
 渋面で言い放つ、緋磨。天音神は一転、少女の外見に不相応な世慣れた笑みを浮かべた。
「相変わらずハッキリ言いますねぇ、翔さん」
「天音神さんと言葉遊びをしているヒマはない。はぐらかさずに答えろ。ここで何をしている」
 緋磨の問いかけに天音神(ここでは「あまねちゃん」と呼んだ方がしっくり来るが)は軽く肩をすくめ、「翔さんに呼ばれて手伝いに来ました」と答えた。その答えに、
「翔は私で、私はあなたを呼んではいない。
 天音神さんにもう一度自己紹介からはじめる必要があるとは、思わないのだがな」と腕を組み、あまねを見据える緋磨。
 明緑色の髪を長く伸ばした少女は再び身体をくねらせ、口元に両手をあてた。「やん。翔さんコワイ」と口にしてから、緋磨の眉間へ剣呑なしわが寄ったのに気がつくと、
「ま、蛇の道は蛇、ってやつですか。人手は多い方がいい。でしょう?」
 にやりと笑いながらそう続けた。
 「宮小路さんには『確かめる』と言ったが、確かめるまでもないのは分かっていた。駆けつけてくれたと言うより、嗅ぎつけてきたというべきなんだろうな」と、緋磨は苦笑いで回顧している。
「そしてどうやって彼が今回の件を掴んだのかを皆に一から説明するぐらいだったら、私が呼んだと言ってしまった方がずっと早かった、というわけだ」


 指揮車の中からモニタを確かめ、緋磨があまねを伴ってカメラの方へ小さく肩をすくめるのを宮小路が確認した時。彼の携帯電話が静かなバイブレーションで着信を告げた。
 通信キャリアの通話記録によれば、午前3時50分。発信元は草間興信所だった。電話をあてがった宮小路の耳に、「皇騎か」と草間探偵の声が響いた。
 「時間も時間でしたからね。何かあったのかと思いましたが…」涼やかに微笑んで、宮小路は続けている。「杞憂に過ぎなくて、よかったですよ」
 その電話でもたらされたのは凶報ではなく、むしろ願ってもないような増援の報せだった。この一件において気化爆弾防衛・運搬任務にあたった誰が欠けていてもよいということはないが、とりわけ「彼」の貢献は理解しやすい形で大きな成果を果たした。それについては、大竹の報告書でも「練馬上空での致命的結果を免れたのは、彼の能力によるところが大きい」として言及されている。
 それが、城田京一である。防衛庁および警察庁、さらには内閣府の資料にも、それまで一度として上がったこのない名前だった。先述の報告書には、草間が宮小路に城田の加勢を告げた会話の記録も記載されている。
「順調か?」
「ええ。思いのほか。
 十一時過ぎに襲撃があった以外は、平穏ですよ」
「怪我人はないのか」
「幸いなことに」
「……レナーテにも?」
「レナーテにもですよ。代わりましょうか?」
 「聞き流しても、よかったのですけれどね」と、他愛ないいたずらを振り返る口調で、のちに宮小路は小さな笑みを口元に刻んだ。
「いらんよ。そんなことで電話したわけじゃない」
 対する草間探偵は、やや呆れたように返してきたという。その点について、榊船は不満げだ。「そもそも、草間様は素直でなさすぎなのですわ」と柳眉をとがらせたあと、彼女は続けている。
「よしんば草間様のお気持ちが額面通りだとしても、零様はきっとレナーテをご心配なさってましたわ。
 あの方がよき兄、よき父親であるためには、まだまだわたくしたちの介添えが必要ですわね」
 当の草間は、電話口で言葉を続けていた。
「応援が間に合った。城田京一って男だ」
「城田さん、ですか」
「外科医だよ。最前列に立てる人間じゃないが、逆に今そっちには怪我人の手当に回れるようなやつがいないだろう?」
「そう……ですね」
 素早く指揮車の中を眺めわたして答えた宮小路に、草間探偵は城田の容貌を伝えた。そして、「あまり目立つタイプの男じゃない。そっちの警戒態勢がどうなってるか分からないんだが、間違いなく合流できるようにしてくれ」と念を押した草間へ、宮小路は返している。
「ご心配には及びませんよ。
 私が支配している監視システムだけが、警戒網の全てですから」
 そこまで言って、のちに「見抜かれてましたかねぇ」と神山がのんびり微笑んでいるように、ちらりと視線を彼の方へ投げかけてから付け足した。
「――たぶんね」
 当の神山は、宮小路の視線に気付くと、カップに口を付けたままひらひらと手を振りかえしてきたという。
 大竹の報告書に載せられているのはここまでで、「レナーテ」という名前は、事情を知る防衛庁担当官達があらかじめ作っておいた偽の記録に基づく偽名に書き換えられている。
 偽名を載せるくらいなら最初から削ればよいだけのくだりを敢えて残しておいた大竹の考えがどこにあるのか、それを直接に語る資料はない。


 宮小路は通話を切って、モニタ上で緋磨とあまねが指揮車へ向かっていることを確かめてから顔を上げた。カップ片手に所在なさげに立っていた六巻と目があった。軽く首をかしげるようにして、「どうしました」と声をかける。
「いや、別にどうもしないすけど……」
 六巻は歯切れ悪くそう口ごもってから、「なんか、休まるヒマ無さそうで大変っすね」と続けた。
「ああ……」
 微笑んで、宮小路は軽くかぶりを振った。
「その代わり、私は気化爆弾や襲撃者達の前に生身をさらしていません。
 適材適所。これが今の私の役割ですよ」


 宮小路の微笑みに六巻が「そうっすか」と答えたところで、指揮車の後部ドアハッチを開け、緋磨とあまねが戻ってきた。午前4時00分。空港旅客ターミナルから指揮車へ戻ってくるまでの間で、緋磨はあまねと状況認識を合わせていた。
 「とりあえず、あまねちゃんには私が声をかけていたということにして……皆をごまかすのは気分のいいものではなかったけど」と、緋磨は少し背を丸めるようにしながら、肩をすくめる。
「状況が状況だからね。彼――あのときは『彼女』だったが、その素性を一から説明するのは時間のムダだし、能力に申し分がないことは私自身がよく知っていた」
 確かにあまねの能力には高い汎用性があり、今回の一件でもその能力が有用だったことは議論を待たない。しかし実際には、緋磨はあまねが取ろうとしていた作戦の一つに異を唱えていた。
 それについて天音神は、「経験上充分イケるハズだったんだが、ハスキーボイスの美人に『大丈夫なのか』とか改めて言われると、ちょっとな」と言って、大げさに肩をすくめてみせる。当の緋磨は渋い表情だ。「別に、脅したわけじゃないんだぞ」とぼやくにように釈明している。
 当初、天音神(あまね)は物との合体能力を生かし、気化爆弾と合体しておくことを考えていた。
「そうすれば爆発の心配はないし、盗まれる可能性もないだろ。ヘリには偽物を積んでおきゃいい」
 その時点では緋磨にも異論はなかったが、続いた二つ目の提案が指揮車へ向かっていた彼女の足を止めさせた。
「スーパーボールも用意してきた。ヘリから落ちそうになったやつがいたら、こいつと合体させりゃいい。きっとよく弾むぜ」
「……ちょっと待て」
「まとめて落っこちたときのために、複数合体の準備もいりますんで。翔さん、能力の拡大を」
「いや、それはいいんだがな。誰かがスーパーボールと合体して、それでもなお弾むのだとすればだ。
 天音神さん、あなたと気化爆弾が合体しても、爆発物であることは変わらないんじゃないのか?」
 あまねも立ち止まり、少女の姿ではずっと上の方にある緋磨の顔を見つめ返した。
「物理的特性は合体した無機物の方に傾く、ということだろう?」
「……意識は、俺の方にありますんで」
「あれは意識で爆発する代物じゃないぞ。爆発は純然たる化学反応だ」
 あまねの反論を緋磨がふさぎ、二人の間に沈黙が流れた。それをして、「腕利き女検事の尋問を受けてる気分だったな」とは天音神が後日ニヤリとした笑みとともに口にした言である。
 緋磨は小さく首を横に振ると、
「気化爆弾との合体は、最終最期の瞬間までとっておこう」
 そう言って再び歩き始めた。


 あまねとの合流は、緋磨と宮小路の適切な対処によって非常にスムーズな形で成された。指揮車で他のメンバーに引き合わされ、「あまねちゃんですっ!」と元気よく片手を挙げて挨拶した彼女に高校生コンビはややげんなりした表情を向けてきたが、その程度はチームとしての許容の範囲内だった。
 和田と六巻の二人は緋磨達が指揮車に戻ってくる直前まで、到着したCH−47ヘリの中をくまなく調べていた。「虚無の境界の連中が、どこに潜んでるか分かんねぇからな」との和田の言葉に六巻が付き合った形だ。結果としては、ヘリの中に異常は見つからなかった。
「他にも色々手は打ったな。あとから来やがった連中はしょうがないとして、最初からいた人とは誰がどう戦うかって相談もした。
 本当は拳銃以外の武器も欲しかったんだけどな」
 和田はそう振り返っている。もちろん彼がそうしたことを胸の内だけに秘めておくはずはなく、大竹に他にも武器が準備できないのか訊ねていた。しかしこの急場で防衛庁に準備できる武器といえばアサルトライフルやSMGの類になり、それらはヘリの中で取りまわすのにはハンドガンよりも不向きだった。けっきょく和田は新しい武器の調達を断念した。
 一方で六巻は貨物ターミナルから小型のコンテナを拝借してヘリへ積み込み、その中にRPG−7で瓦礫になったコンクリートを砂にして詰め込んだ。
「空中戦は初めてだったし、俺の能力は土や石がねぇ空中じゃ、ほとんど役に立てねぇから」
 のちに六巻はそう言って軽く頭をかき、続けている。
「けど、ここまで来てあとはお見送りってのはゴメンだったからな」


 城田の合流も、忙しなくはあったが、滞りなく果たされた。午前4時00分をわずかに回ったところ、すなわちあまねが指揮車に姿を現し、外見相応のソプラノでメンバーに名前を告げたのとちょうど同じ時に、城田を乗せたタクシーが新東京国際空港旅客ターミナルビル・到着ロビー前の道路に停まった。モニタでそれを確かめて、宮小路は「城田さんが来ました」と指揮車の中へ告げた。
 「あまねちゃん、テレポートで連れてきます!」と長い髪の魔法少女が手を挙げたまま元気よく言ったが、レナーテがそれを制した。
「後発参入組は先発との意識あわせの方が優先だ。わたしが行く。
 場所は?」
「旅客ターミナルビル一階、到着ロビー前北口二番乗り場」
 返された皇騎の言葉にうなずいてから、レナーテは榊船を振り返った。
「行こう」
 短い言葉に榊船が小さく微笑み、二人の少女は指揮車を出、特筆すべき素早さで城田の元へと向かった。
 一方、指揮車に残った宮小路はPCのキーボードを叩き、もう姿を見せてもいいはずの小型トラックを追っていた。指揮車と同様に改造車であるそのトラックに積み込まれていたのは、宮小路自身の手によって開発された強化装甲スーツ『黄龍』とその強化装甲システム『御神楽』だった。
 結果的には、トラックはヘリが離陸する寸前、午前4時08分に新東京国際空港貨物ターミナルに到着している。一行はトラックの前に最後の一人、巳杜靜を迎え入れることになり、それに先立つ4時05分、城田も合流。CH−47が気化爆弾を積み込んで新東京国際空港を離陸する直前ではあったが、全ての人員と機材が揃えられた。
 それを振り返って、真柴は「いいチームだったってこった」と破顔する。
「一人一人の能力を見りゃ、偏りもあったんだろうけどな。いい形でそれぞれがフォローしあえてた。まぁ、真剣なのかおちゃらけてるのかよく分からねぇのもいたが、それもいい意味でのあそびだろ」


 最後に成田へ着いたのは、先の通り巳杜靜だった。が、彼は他の二人とは違って、まともに正面から入ってくるということをしなかった。そもそも巳杜には当初、気化爆弾空輸の任に当たるつもりなどなかったのである。
 午前4時02分。巳杜は新東京国際空港フェンスわきに姿を現した。小柄で細身、髪を長く伸ばしたその姿はむしろ少女のようにさえ見える。宮小路が警戒のために全開している照明の輻射光を受け、白く凍った吐息が緋色のマフラーにそって流れた。
 そして彼はファングが遁走時に蹴り壊していったフェンスにたどり着くと軽くそこに手をかけ、それからひしゃげた金網を身軽に飛び越えた。綿毛のような軽やかさで滑走路脇に降り立った巳杜に、指揮車の神山と宮小路は同時に気付いた。
「相手が虚無の境界でしたからね。空港の周りに一般の警官は配置していませんでした。それが徒になったのかと思いましたが…」
 のちに宮小路はそう言って苦笑し、神山は終始崩さない柔和な微笑みのままで、わずかに肩をすくめた。
「私の居場所が分かったなら、電話でもしてくればいいんですが。そういう子なんですよ、靜は」
 指揮車の車中で宮小路がマイクに伸ばした手を、神山がやんわりと掴んで止めた。振り向く宮小路に「私の知り合いです」と告げながら、首を横に振る。
「何をしに来たのか知りませんが、迎えに行ってきますよ」
 「その場は引き止めるわけにも行きませんから、そのまま行っていただきましたけど」足を組み替えてそう語る宮小路の目に、一瞬鋭いものがよぎった。
「監視は、フェンス際に集中させていましたよ」


 指揮車を出て滑走路へ続くタキシングウェイのアスファルトに足を着けた神山は、煌々とした滑走路灯の下、どうにか肉眼で見える程度の距離にひらひらと揺れる緋色のマフラーを確認した。滑走路フェンス際へ足早にタキシングウェイを横切る。約800m。運動不足の都会人なら息の上がる距離を呼吸一つ乱すことなく駆け抜け、神山は「靜」と声をかけた。
 のちに、「フェンス壊れてるところから入ったのはいいケド、隼人にぃがどこにいるか分かんなかったから☆」と舌を出しているように、まるっきり見当違いの方向へ走り出そうとしていた巳杜はぴたりと足を止め、振り返った。
 目が合うと、「靜、いったい何をしに」と口を開いた神山の言葉が終わらぬうちに「あー!」と声を上げて駆け寄り、そして飛びつかんばかりにして、
「隼人にぃ〜☆
 ――キィック!」
「やめなさい」
 巳杜が放った空中回し蹴りを、神山はハエでも追い払うかのような無造作さではたき落とした。宮小路が監視を集中させていたおかげで、滑走路をカバーするほぼ全ての監視カメラがその映像を捉えている。そのうちの一台は、巳杜の首筋にとぐろを巻く白蛇が、威嚇するように神山に牙を剥くところまでテープに収めていた。
 跳び蹴りを阻止された巳杜は滑走路のアスファルトにへたり込んだまま、飄然として立つ神山を見上げ、一気にまくし立てた。
「隼人にぃヒドいっ! 事務所の本棚壊しちゃったから慌てて直したのに遅くなるって連絡もしてくれないでキック撃ち落とすなんて今何時だと思ってるの!」
「要約すると?」
「もっと靜に優しくしてっ!」
「善処します。
 それで、待遇改善を要求するためにわざわざ来たんですか?」
 さらりと流した神山の言葉に、「じゃなくって」と巳杜は立ち上がった。
「あんまり遅いから迎えに来たの。早く帰ろ。事務所であったかかったハンバーグが待ってるよ」
「過去形にするのはよしなさい」
「じゃ、今はもう冷たく固く乾ききったハンバーグ。それはまるで、束ねられた枯れ木の皮のような」
「詩的表現はなお却下です。
 何より、私の仕事はまだ終わってません」
「えー! 早く片付けようよー。
 あんまり待たせると明日の食事を心配しなくてもいい身体にしちゃうよ?」
「さらっとものすごいことを言わないように」
 神山の腕を半ばぶら下がるようにして引っぱっていた巳杜は、ふてたように頬をふくらませた。そして「じゃあいつ帰れるのー?」と神山を見上げる。
「予定通りに行っても、5時半だそうです」
「えー…」
「しかも、私はその時ここにはいません。目的地は朝霞ですから」
「えー…えー……」
 気弱な抗議の声を上げながら本格的にうつむいた巳杜に、さすがの神山も軽くため息をついた。
「本来なら、強く追い返すべきだったのかも知れませんが」
 のちに神山はそう言って、少し困ったように微笑んでいる。「私もずいぶん、甘くなったものです」
 その言葉の通り、神山はため息をついた後で、「仕方ないですねぇ」と巳杜の髪に手をのせた。
「皆さんに靜を紹介して、一緒にヘリに乗せるように頼んでみましょう。
 ……ま、味方は多い方がいいはずですから」


 神山が巳杜を伴って指揮車に戻ってきたのは、城田が彼ら以外のメンバーに一通りの挨拶を終えたときだった。城田は中肉中背で、ただ一つアクアマリンの瞳をのぞいては、これといって身体的特徴のない男性だった。草間探偵が「目立つタイプの男ではない」と言ったのも然りだったが、真柴はその言葉が本当に意味するところについて、こう語っている。
「城田サンは静かな人だった。無口ってことじゃなくて、なんて言うか、佇まいみたいなモンがな。
 普通、ああいう状況だったらいくらかでも気負ったり怯えたりって感情があるモンなんだが……あの人にはそれがなかった。その意味で、俺と似てたのかもな」
 一方で、巳杜の印象は城田のものとは対照的だった。話がそのことに及ぶと、真柴は苦笑いしながら「ああいうのを、羊の皮をかぶった――って言うんだろな」と首を横に振る。
「神山といい巳杜といい、食えねェ奴らだよ。どこまでが本気と実力で、どこからが冗談と悪運か、分かりゃしねェ。
 なによりハラ立つのは、おちゃらけてるくせに結果だけはきちんと出してるってトコだな」
 そう続ける彼の口元には、その言葉とは裏腹に、楽しそうな笑みが浮かんでいた。


 午前4時10分。駐機していたCH−47のエンジンに、再び火が入った。一基あたり3,000馬力を超える出力を持つテクストロン・ライコミングT55−K−712エンジン二基が短い眠りから覚め、回転半径9メートル強のグラスファイバー複合素材製メインローターがゆっくりと夜闇をスライスしはじめる。
 前後の回転翼をのぞいた機体全長で15m半・同全幅4m弱・同全幅3m半。機体内に長さ9メートル×幅2.3m×高さ2mの貨物室を持つ空飛ぶ双発ローターの巨大なイモムシが目を覚ました瞬間だった。
 指揮車の中にも、前後一対・計六枚のブレードが風を切る力強い音が響いていた。地上での襲撃からともに気化爆弾を守りきった七人、そして新たに加わった三人を見回して、レナーテは軽く指揮車の外へと顎をしゃくった。
「行こう」


 午前4時12分。ヘリの各種油液温が常用運行適正範囲へと急速に回復していく中、貨物ターミナルから信管を解除された気化爆弾が搬出されてきた。
 急造のキャリアに固定されたそのずんぐりした鉛筆型のタンクは、今やスイッチ一つで半径2キロを焼き尽くす代物ではなくなった。だが内容物が危険な爆発性混合物であって、何らかの形で火がつけば途方もない災厄を呼ぶものであることに変わりはない。
 気化爆弾は一行が見守る中、CH−47の後部ハッチから機内へと搬入されていった。この間、宮小路はどうにか間に合った『黄龍』と『御神楽』の最終調整に忙殺されていた。
「『黄龍』は強化装甲スーツで、『御神楽』はその追加装甲システムです。装着者が直接操縦することが元来の運用法ですが、リモートから私が操縦することもできます。
 今回は、そちらの道を選びました」
 宮小路はいつに変わらぬゆったりとした口調でそう振り返り、そして自立運行はおろか自動車を超える高速機動性とヘリに追随可能な飛行能力まで兼ね備えた『黄龍』の技術的源泉を訊ねられると、穏やかな笑顔を深めながら静かにこう返していた。
「私が自慢できるものではありません。古人の叡智の結晶ですよ」


 午前4時15分。気化爆弾の機内固定が終わり、草間興信所手配の面々も順次ヘリへと乗り込みはじめる。それを見送る大竹のところへ、和田が歩み寄ってきた。そして、「大竹さん、ちっと聞きたいんすけど」と声をかけ、振り返った防衛庁官僚に問いかけている。
「あのヘリずいぶん頑丈そうっすケド、当たり所悪かったら9ミリ弾でもぶっ壊れたりするんすかね」
 大竹は微かに首をかしげるようにして苦笑いしたという。
「輸送用ヘリは、内側から銃弾を受けることを想定して設計されていたりはしません。
 それに、よしんばヘリが戦車砲にも耐えられる鋼鉄のかたまりだったとしても、それを操縦しているのは生身の人間です」
 そして、確かめるようにオートマチックを握り直した和田へ、わずかに笑みを強めて続けた。
「つまり、そういうことです」
 和田はその時の様子を、「縁起でもねぇ言い方だけど」と振り返っている。
「あん時の大竹さんは、なんつーか、特攻隊でも見送る教官みてぇな顔してたな」


 午前4時18分。CH−47最後の乗客となった城田が機内に乗り込み、操縦席で機長が操縦桿とアクセルにあたるコレクティブピッチレバーとを握った。大竹がサイドドアから顔を入れ、レナーテと草間興信所手配の面々を見渡す。それから「よろしくお願いします」と深く頭を垂れた。ヘリのエンジン音が高まる。大竹が顔を上げた。
「虚無の境界がどんな手で来るかは分かりませんが、ヘリと気化爆弾を守れるのは皆さんだけです」
 機内のメンバーはそれぞれに、小さなうなずきを返した。気化爆弾の搬出入に関わった自衛隊員達は空港に残る。ヘリで朝霞まで向かうのは、彼ら興信所の面々以外には、機体の操縦に当たる機長と副操縦士の二名だけだった。
 のちに、「忸怩たる思いでした」と、新東京国際空港のアスファルト上でCH−47を見送った隊員の一人はそう本音を語っている。「本来、自分たち自衛官の職務だったはずです。それを、子供を含む民間人に委ねねばならなかったのですから」
 大竹は機内に向かってもう一度目礼すると、自分でサイドドアを閉めた。その時に受けた防衛庁高級官僚の印象を、城田は振り返っている。
「こんなことを、わたしが言うというのもおかしなことなのだが……彼は人間を死地に配する職務を負っていながら、誰よりも人間の死を恐れていた。
 それは――」
 そこまで言ってから、彼は少し言葉を選ぶようにして、こう続けた。
「――わたしが抱くものと、真逆にして同一のジレンマだよ」


 午前4時20分。操縦席で機長が敬礼した。機外に整列した自衛隊員達が返礼する。ピッチレバーが握りこまれ、CH−47のランディングギアがアスファルトを離れた。


 午前4時30分。回転半径の狭い螺旋を描いて上昇を続けていたCH−47は、実用限界高度に近い3,000mまで到達し、気化爆弾はいよいよ空輸の局面に入った。予定されている迂回路で経由する駐屯地は、習志野・松戸・十条・練馬、そして最終目的地の朝霞である。「迂回」とはいうようなもののほぼ直線の経路で、CH−47のカタログ数値で考えれば全速力で十五分前後だ。だが実際には各駐屯地上空で一旦停止し、目的空域までの安全を確認してからまた前進する。速度も絞り、なるべく通常の哨戒任務と変わらないように装わなければならい。
 一息に飛んでいった方がいいようにも思われるが、そもそも鈍重な双発大型ヘリがいくら急ごうとも、音速を超えるスピードで飛来するミサイルや格闘戦機の前では停まっているのも同然なのだ。


 ヘリが機首を習志野へ向け水平飛行に移ったところで、緋磨が「さて」と声を上げた。
「新たに加わられた方々もいることだし、もう一度各自の役割を確かめておきたいと思うのだが?」
 その言葉に機内の面々全員がうなずいた中、ただ一人巳杜だけが「ねーねー、それよりさー」と、キャリアに固定された気化爆弾をぺたぺた叩いた。
「この樽っていったいナニ?」
 その時のことを、「まさか、加勢に来てくれた人に」と緋磨は苦笑いとともに回想している。「ゲームのルールから教えなければいけないとは、思わなかったよ」
「それが気化爆弾ですよ、靜。さっき教えたでしょう」
「キカバクダン?」
「……お前、説明されたときうなずいてたじゃねぇか」
 肩に蛇を乗せた長い黒髪の少年に向けられた六巻の声には、「呆れたってのか驚いたってのか」と本人がのちに認めているように、なんとも言い難い響きが込められていた。しかし当の巳杜はそんなことは意にも介さず「そうだっけ」と首をかしげて、
「で、キカバクダンってナニ?」
「虚無の境界が狙ってるとんでもねぇ爆弾だよ。ドイツから運ばれてきたらしい。俺たちはコイツを襲撃者から守って、無事に自衛隊の朝霞駐屯地まで運ばなきゃならねぇ。
 今は信管が解除されてるからいいが、爆発すりゃ――」
「隼人にぃ、この人説明ヘタ」
 和田の言葉を遮って、指を差しながら巳杜が神山を振り返った。一瞬言葉を失ってから、「んだとコラぁ!」と声を荒げた和田を、六巻と緋磨が抑える。
神山は「すみません。あとで言って聞かせます」と苦笑いしてから、
「要はいま靜が叩いたそのタンクの中に、蒸留水、硝酸アンモニウム、それにマグネシウムが詰まってるんですよ。大量にね」
 わずかに肩をすくめるようにして、そう告げた。劇的なほどに、巳杜の顔色が変わった。
「蒸留水と硝酸アンモニウムとマグネシウム……って、信管なんかなくても摩擦熱で爆発必至の特級危険物じゃん!」
「だから『爆弾』って言ってるんでしょう。頭ゆるいんじゃないの、あなた」
 腕組みで呆れたような言葉を向けたあまねに、「最初から組成言ってよ!」と八つ当たりしてから、
「隼人にぃ、靜、お腹いたい。ヘリ降りたい」
「あきらめなさい」
「えぅー……」
 すがりつかれた神山は、にべもなくそれを却下した。恨めしげに彼を見上げる巳杜へ、「そんなに心配しなくても」と声がかけられた。城田だった。
「運んでるだけで爆発したりはしないよ。本来が爆撃機で運用するように作られている爆弾なのだからね」
 そう続けてから、彼は一同を見渡して、「でしょう?」と微かに首をかしげた。
「現にドイツから空輸されてきたわけだからな。爆発せずに」
 緋磨は肩をすくめてそう言ってから、改めて機内の面々を見渡した。
「で、私の提案が忘れられてないことを祈りたいのだが?」


 「気楽なことをやってると思うだろう」と、空輸開始直後を振り返る真柴の表情は苦笑気味だ。
「けど実際には、俺がヘリに近づこうとする無生物を破壊する力場を展開してた。よくは分からなかったが、神山のやつも何かしてたはずだ。
 ヘリの外からは、宮小路サンの――『黄龍』だったか、あれがついてきてたしな」
 彼の言葉の通り、ヘリの300m下を『御神楽』を追加した宮小路の強化装甲『黄龍』が追随しており、空港でも暗に活躍していた神山の使い魔達は、ヘリ機体外部の目立たない場所にそれぞれ貼りついて周囲を哨戒していた。
 さらに、「わたくしがヘリ機内に結界を張っておりました。直接転移の能力を持つ者がいたとしても、侵入は不可能でしたわ」との榊船の言も忘れてはならない。
 真柴は肩をすくめるようにして両腕を広げた。そして「言ったろう?」の言葉とともに、彼の口元が不敵な笑みの形に動かされる。
「いいチームだったってことさ」


「ヘリの中は、想像していたよりは広かったが」
 そう言って軽く首を横に振るのは緋磨だ。
「それでも空港や貨物ターミナルビルに比べたら圧倒的に狭い。真柴さんはほとんど頭が天井に着きそうだったよ」
 そして彼女は、だからこそ襲撃時に各自が何を果たすのか、決めておく必要があったのだと続けた。
「あのスペースでメンバーが右往左往すれば、混乱は間違いなく致命的な水準に達する。爆弾を奪われてもヘリを落とされても私たちの負け。
 状況は決して甘くはなかったよ」
 巳杜がとりあえず状況を正確に飲み込んだところで、ポジショニングの再確認と調整が行われた。まずは巳杜が爆弾の周囲5cmだけ、空気中でもっともありふれた元素である窒素を冷却・液化させてタンク内に収められた過激な混合物を極低温状態に保ち、安定させた。これでそれこそ気化爆弾にミサイルが直撃でもしない限り爆発は防げることとなった。
 真柴は先述の通り無生物を阻止する力場を展開し、宮小路は一貫して行っている情報処理を引き続き担当しながら、ヘリに随伴させている『黄龍』で周辺空域の哨戒をも手がけた。宮小路の『黄龍』は一行が持っていた本当の意味での遠隔運用ができる唯一の兵装であり、『黄龍』一体で3,000m離れた地上までを防衛範囲とすることができた。このことは間もなく、大竹の報告書曰く「空輸任務完遂に当たっての不可欠要素」となる。
 榊船もまた地上でのスタンスを継続し、レナーテに付き従っていた。彼女は機内で、「これを、あなたに」と言ってレナーテに木製の棒を手渡している。長さは重ねたレナーテの両こぶしを少し出る程度。全体に美しい彫刻が施してあり、一方の端には小ぶりな鍔のような突起部が、反対側には三つの宝玉が填め込まれていた。刀身を取り外した剣の柄のような印象だ。
 確かめるように何度か手の中に握りこんで、「これは?」と訊ねたレナーテに榊船は、「『星華剣』。剣・鞭・弾丸の三態様をとる光を操ることができ、わたくしとあなたをつなぐ器ともなりますわ」と答えた。
 そして彼女は『星華剣』を握ったレナーテの手に自分の手の平を重ね、続けた。
「レナーテ。あなたにこれを託します。あなたの望む新しい力となりますように」
 そのレナーテは少なくとも視界に入る程度まで敵と接近しない限りは自分の出番はないと言い切ったが、同じく地上では最前線に立っていた高校生コンビはヘリ防衛に各々手を打った。六巻は積み込んだ砂に力をかけ続けてヘリへ重量がいかないようにし、「あの白髪ライオン、また来やがったら今度こそ」と拳を握った和田は、緋磨に声をかけられた。
「少年、少し手を借りたい」
「俺に肩揉ませると高いぜ、おばさん」
「どうでもはり倒されたいらしいな、キミは」
 和田の軽口に一瞬物騒な笑顔を見せてから、「そうではなく、風を操る力を借りたいのだ」とただした。
「機体運行の妨げにならないような位置に気流の防壁を張る。いかほどの効果があるものかとは思うが、やらないよりはマシだろう」
 「切り札にしてた爆弾との合体が先延ばしになったからな」と頭をかくのは天音神だ。ヘリ機内で、あまねは気化爆弾直近に陣取り、手を挙げて元気に宣言した。
「あまねちゃん、皆さんのサポートに回ります! 爆弾のお世話は任せて下さい!」
 サポートを自分のポジションとしたのは彼女だけではなく、城田も同様だった。彼はレナーテへ視線を向け、「わたしは衛生兵の役目に回ろう」と静かに告げている。
「わたしよりも戦闘に長けた人材が揃っていたし」
 城田はそう回想し、「それに、あの条件下でひとたび戦闘になれば、負傷者が出るのは必定だったからね」と続けた。
 一通りの役割と配置が決まったところで、皆の視線が誰からとなく神山に向けられた。彼は相変わらずやわらかな微笑みを浮かべたまま、「どうしました?」と首をかしげた。そして、「どうした、というか、あなたはどうするんだ、神山さん?」とメンバーを代表して言葉を向けた緋磨に、笑みを深めて答えを返した。
「ああ……私は、悪運が強いですから」


「わたし達が守らなければいけないものはいくつもあったように思えるだろうが、結局は『人命』というたった一つのことに過ぎない」
 のちに、淡々とした言葉で城田はその時の状況を総括している。
「そしてそのために執れた手段もいくつかあるように思えるだろうが、これも一つしかない。
 『気化爆弾を朝霞駐屯地に下ろす』こと。それ以外の場所では保管も爆破処理も、できないわけだからね」


「考えなきゃいけないことはいくつもあったさ。襲撃の規模、タイミング、方法。それに対するこっちの守り方。そもそも向こうの狙いが奪還なのかヘリごと吹き飛ばすことなのか」
 天音神はそう言って、肩をすくめる。
「ただ一つ、誰も疑問を抱かなかったことがある。『襲撃があるのかないのか』。
 空輸は順調で、千葉を抜けるまでは何事もなかった。けど、襲撃がないって考えてるヤツはいなかったよ」


 午前5時03分。ヘリは京葉の県境を越え、東京都上空へ到達した。そして二分後の午前5時05分。十二月にあっては夜明けのまだ遠い濃紺の夜空に、一発のミサイルがオレンジ色の光跡を引いた。
 最初のミサイルは真柴が展開していた力場に阻まれ、瓦解した。全長1m半ほどのミサイルを構成していた部品がバラバラになり、推力を失って落下していく。
 「来やがった!」とうめいた真柴の言葉を裏付けるように二発目のミサイルが放たれ、三発目が続いた。二発目も力場が食い止める。しかし三発目が力場に接触したところで、異変が起きた。3,000m下の地上で、小さな緋色の花が咲いたような爆発。宮小路と神山は、機外の『黄龍』と使い魔の目を通じてそれぞれにその様子を察知した。
「『黄龍』を出します」
 短く告げ、宮小路はPCに向かった。素早くキーを叩く。ヘリに追随していた『黄龍』が転進、自由落下して地上を目指した。「虚無の境界が、地上にも攻撃を仕掛けたのかと思いましたからね」と、宮小路は振り返る。
「何があったんスか」
 空飛ぶ鉄のイモムシに収まっていては、3,000m下のことはおろか50m離れた空中で崩壊したミサイルのことも知りようがなかったメンバーが七人。うちの一人、六巻が、宮小路のPCをのぞき込みながら訊ねた。
「地上からミサイル攻撃がありました。今のところ三発。全て真柴さんの力場が食い止めましたが、同時に地上でも爆発が」
「ヤツら、関係ねぇ建物巻きこんでるのかよ!?」
 勢い込んだ和田に、宮小路は「分かりません。それをこれから調べるんです」と返した。PCの画面には、『黄龍』の目が捉えている映像が映し出されている。紺色一色だった家々の屋根に色が付き、うろこのように重なったスレートが分かる高度まで来たところで、『黄龍』は落下速度をゆるめた。
 爆発のあった地点の直近に軟着陸し、『黄龍』は顔を現場に向けた。
「……学校?」
「正確に言えば、校庭ですね」
 土の上に焦げ跡が残り、わずかな残り火がくすぶっているそこは、都立工業高校の校庭だった。平日の日中ならいざ知らず、この時間帯では都内でもっとも攻撃価値のない目標と言えるだろう。
「ナニ考えてんだ、ヤツら」
「ミサイルを食い止めたと言っていましたが、どうやってです。自爆させたんですか?」
 和田が眉根を寄せる傍らで、城田が真柴を振り返った。
「……そこまではムリだ」
 力場の維持に集中するために半眼で気化爆弾の隣に腰を下ろしている真柴が、ゆっくりと口を開いた。
「圧力をかけてバラすぐらいが、せいぜいだ……」
 「情けねぇって言わないでくれよ」と、のちに真柴は少し照れたように笑っている。
「何しろ、ヘリの周囲に半径50m近い力場を張ってたんだ。しかもあとで聞いたら、あのミサイルは発射してからヘリに届くまで6・7秒しかかかってないってな。
 それだけの速度で飛んでくるモンを無力化しただけ、まぁ大したもんだって言ってくれ」
 真柴の答えに、城田は小さく首を横に振った。「弾頭が生きていたのだろうな」と言葉をもらし、向けられた視線に気付くと、
「落下した炸薬が衝撃で爆発したのでしょう。不思議なことではないと思いますが」
 そう続けた。「残りは!?」と緋磨が弾かれたように顔を上げた時、さらに二発目、三発目の爆発が起こった。午前5時08分。遠い爆音が『黄龍』の送ってくるデータを通じてヘリへ届けられ、和田が力任せにキャビンの防弾壁を叩く。
「被害は?」
「今向かっています」
 城田の問いに、宮小路が答える。『黄龍』の機動力は比肩するものがない水準を示し、およそ1kmの半径に渡った三カ所の着弾点を一分強で確認し終えた。
 一発目が工業高校校庭。二発目は神社の社に大穴を開けており、三発目はマンションの給水塔を使い物にならなくしていた。いずれも軽微な被害とは言えないが、負傷者が出ているというほどの様子もない。
「みんな、ほっとしたのではないかな」
 のちに城田はそう言って、小さく肩をすくめている。実際、「ガラじゃないが」と天音神はその時を振り返って苦笑いを浮かべた。
「神様なんてモンがいるとしたら、ありがたい気まぐれを起こしてくれたのかも知れないと思ったね。
 あのミサイルが俺らに刺さってたらもっとシャレにならないことになってたのは分かってたけど、だからって関係ない人が巻きこまれるのは寝覚めが悪いからな」
 ただ一人、終始気楽な表情を浮かべていたのは神山で、落下した炸薬が致命的な被害は引き起こさなかったことが確かめられると、「いやぁ、ラッキーですねぇ」と微笑んだ。そしてディスプレイから顔を上げた宮小路と目が合うと、手の平を胸の前で合わせて笑みを深くしたという。
「三発ともいいところへ落ちてくれて。きっと天の思し召しですよ」


 一方で、彼ほど安穏とした反応ではいられなかった者もいる。和田は地上に人的被害がなかったのを知ると気化爆弾のわきをすり抜けてサイドドアに駆け寄り、一気に開け放った。気密されていた機内へ一気に高空の冷気がなだれ込んでくる。意にも介さず、和田はオートマチックを手に機外へ身を乗り出した。
 後日和田は、めずらしく従容として、「あん時ぁさすがに、ちっと冷静じゃなかったと思う」と語っている。それから彼は真っ直ぐな瞳を向け、続けた。
「ただ、何の関係もねぇ人が次こそ巻きこまれるかも知れねぇと思ったら、ジッとしてらんなくてよ」


 ヘリ機内では巻き起こった突風にあまねが短い悲鳴を上げ、髪とスカートのすそを押さえ――レディーのたしなみだと、天音神はのたまっている――ながら、声を張り上げた。
「お兄さん、暴走はよくないです!」
「もっかい撃って来やがれ! ぶち抜いてやる!」
「拳銃でミサイルなんか墜とせねぇだろ、落ち着けって!」
 命綱なしで半分以上空中へ身体を突き出したまま毒づく和田へ、六巻。その時のことを、和田の背中を間近で見ていた天音神は、「いや正直」と苦笑いで回顧している。「スーパーボール第一号にしてやろうかと思ったよ」
 一時的に混乱した状況の中で、城田と宮小路は冷静だった。ディスプレイを見つめて『黄龍』を低空で哨戒させながら、
「相手の位置は分かりませんか?」
「それこそ、もう一度撃ってくれれば」
「次こそ致命傷かも知れませんが」
「イチかバチかです、とは言いたくありませんけれど」
 城田の言葉にそう返しながら、宮小路は彼へちらりと視線を向けた。
「そうするしかありません」


 頭に血が上った和田を機内に引き戻したのはレナーテだった。鮮やかな手並みで後ろ襟をつかみ、引き込むと同時に足元を払う。和田はほとんど空中で一回転するような形でキャビンの床に背中から叩き伏せられた。立ち上がろうとしたところを肩を掴まれて、内壁へ押さえつけられる。
「状況へ冷静に対応できないなら」
 レナーテは静かに口を開いた。
「今すぐヘリから降りてもらうぞ」
 六巻がサイドドアを閉め、機内へいちおうの静けさが戻った。和田は暫時レナーテを睨み付けていてから、無言のまま乱暴にその手を払った。「少年」と声をかけようとした緋磨をかわすように、ヘリ後部ハッチへ向かう。そこが彼の持ち場だった。


 午前5時11分。チームがとりあえずの平静を取り戻した矢先、四発目のミサイルが夜闇に光のチョークで線を引いた。『黄龍』が瞬時に発射地点を特定する。
「見つけました」
「……ずいぶん早いな」
 宮小路の言葉に呟くような城田の声が重なった。「『黄龍』が相手を見つけるまでの時間もそうだが」と城田。「敵の移動速度が予想以上だった。今度の相手は、徒歩ではないということだ」
 同じことは、宮小路も理解していた。『黄龍』を真っ直ぐ発射地点へ向かわせるのではなく、ヘリの進行方向に合わせて若干のバイアスをかける。
 一方、放たれたミサイルは地上から上空3,000mまでをきっかり六秒で駆け上り、真柴の力場に突入。「今度のは、丁寧にお迎えしたんだぜ」との彼の言葉通り、ロケットモーターが火を噴く尾部から順に圧壊させられて、CH−47の後部メインローター翼端から20mのところで爆発した。
「ビンゴ」
 ミサイルの破片が礫となって機体外部装甲を叩き付ける音が響く中、宮小路と城田が小さく声を合わせた。ミサイルのことではない。二人が見つめるディスプレイには『黄龍』の目が捉えた映像が映し出されており、そこには天井部分だけ幌が取り外されたトラックが捉えられていた。
 音もなく接近した『黄龍』に気付くのが遅れたのか、荷台から五発目のミサイルが放たれる。『黄龍』は光り輝く剣を抜き放った。
「ミサイル、来ます」
 『黄龍』を操りながら、宮小路。反応したのは巳杜だった。
「よぉーっし! 靜にお任せ☆」
 言うなり、指先で操る早口言葉のように複雑な指印を切る。符咒展開。気化爆弾の周囲だけ窒素を液化させるというような芸当を成し遂げたのと同じ能力で靜がやろうとしたことは、
「喰らいなさい、三硝酸エステルグリセリンの抱擁を〜!」
「――要約すると?」
「ニトログリセリン・シャワー☆」
 夜空へ不意に霞がかかったように、人類が握っている爆発物の中でももっとも過敏な部類に入る物質が空気中に現出。「靜ー! あなたって子は!」と百年に一度というような剣幕で神山が声を荒げたのも道理、容器に入れて地上を運搬するときでさえ細心の注意を要する物質がヘリの巻き起こす乱流とロケットモーターの放つ高熱が渦を巻く空域にまき散らされたのだ。
 その時の光景を表して、「地獄の釜蓋が開いたって表現がしっくり来るよ、あの炎はな」とは真柴の言である。ヘリを追っていた警視庁撮影班の超望遠カメラはその様子を撮影することに成功し、のちには対テロリズムの庁内教材用の映像として繰り返し利用している。管区の空自には、もう少しでスクランブル出動がかかるところだった。
 テープの記録では午前5時11分というから、実際にはミサイル発射からさえ一分足らずののち。外部装甲に焼けこげを作りながらもCH−47が爆発残滓の雲をかき分けて姿を現したとき、「思わずファインダーの後ろで歓声を上げましたよ」と撮影班の一人は語っている。
 一方その機内では、巳杜が神山に怒られていた。そのことについて巳杜本人は、「ちゃんとヘリが危なくないようにしたよ……」と心外そうだ。
「今度何かやるときは」
 緋磨に通じるものがある剣呑な笑顔で巳杜に詰め寄り、「必ず私に許可を取りなさい」と続ける神山。巳杜は「えぅー…」と気弱な抗議の声を上げたものの、
「不満ですか?」
 空恐ろしいほどの微笑みとともにそう言われては、うなずくより他なかった。
「……こっの爆弾小僧…」
 気化爆弾のキャリアにもたれるようにしながら、あまねは肩を震わせてそう呟いた。


 地上では、『黄龍』とトラックの追撃戦が行われていた。宮小路は、「単純に機動力と攻撃力だけで考えれば、『御神楽』を装備した『黄龍』の敵ではありませんでしたが」と首を横に振っている。
「向こうがあと何発ミサイルを積んでいるのか分からない以上、街中で思い切った手に出るわけにはいきませんでしたからね」
 その言葉の通り、『黄龍』は光の剣だけを手にトラックへ肉薄、後輪を切り裂いて機動力を奪って無力化する戦法を選んだ。午前5時12分。最初の一刀がトラックのバンパーを切断した。


 時を同じくして上空では。ニトログリセリンが巻き起こした爆発で一瞬にして「処理」されたミサイルを最後として訪れた束の間の静けさに、機内の緊張はむしろ高まっていた。
 「……まさか、ミサイルばかすか撃ってきて終わりってことじゃねぇだろな」と、六巻がぼやくように口にする。それを退けたのは、「いや……」といううめき声にも近い真柴の言葉だった。
「……ヤツら、もとからミサイルで片が付くなんて、思ってなかったらしいぜ」
 力場を展開していた彼には、接近してくる人影が感知できていた。「悪い冗談だとしか思えなかったけどな」。後日そう言って首を横に振る真柴の表情は硬い。しかし彼が感知し、そしてその数十秒後にはヘリ内のメンバーと対峙することになった「人影」は、冗談でも幻覚でもなかった。それは警視庁撮影班のカメラにも捉えられており、超高感度フィルムを幾重にも画像処理して確認されたその姿は、まさしく真柴達の語った通りのものだった。
 それはサモトラケのニケ像を思わせる、黒い翼をもった金髪の少女だった。しかも彼女は、一人ではなかった。二つの意味において、である。


 午前5時13分。東京都板橋区上空で、最初の一体がCH−47に接敵した。真柴の力場を突き抜けて、巡航速度の大型双発ヘリの外壁に取りつく。
 「展開していた力場は」と真柴は語る。「生物には効果がないし、構造の単純な無生物にも効きにくい。服とか、刃物とかな」
 有翼の少女は猛烈なダウンウォッシュと対向風をものともせずにヘリ外下部に張り出したの拡張燃料タンクに立ち、腰の後ろから刀身長30cmほどのブレードを引き抜きいてヘリの防弾壁へ打ち下ろした。
「シャレになってなかったスね」
 顔を押しつけるようにしてのぞき込んだ丸窓からそれを目の当たりにした六巻は、「機関銃の弾を受け止めるように作ってある鉄板に、缶切りみたいに食い込んだんだからな」と振り返っている。
「皇騎さん、『黄龍』を戻してくれ!」
 二度三度と少女がブレードを振るうたびに削れていく外部装甲に、六巻が声を上げる。が、宮小路は硬い表情で首を横に振った。
「地上の敵が片づいていません。先にこちらを」
 『黄龍』はトラックとの追撃戦を続けていた。トラックはそれこそ走る武器庫状態だった。『黄龍』の追撃に気がつくと速度を上げる。トラックに乗った連中が幌の後部を跳ね上げると、映画でしかお目にかかれないような長尺の機関銃が姿を現した。「ブローニングM1919。スタンド固定された30口径機関銃だった」と、宮小路とともにディスプレイを見ていた城田は証言している。
 虚無の境界メンバーはためらいなく『黄龍』に銃口を向けて機関銃の引き金を引いた。寝静まった住宅街に時ならぬ銃声が響き渡る。宮小路は『黄龍』の防御フィールドを展開してそれを食い止めた。
 襲撃者側において、どのような方法によってかは判明していないが、地上班と上空班の連携はかなり良好だったことがうかがえる。上空で最初の一人がCH−47に接敵したのちは、地上班がヘリに向かってミサイルを放つことはなかった。
 トラックは急激な転進を繰り返しながら、最終的に練馬区内まで逃走を続けた。銃撃が始まって間もなく、『黄龍』の揮う光剣が突き出したM1919機関銃の銃身を切断。トラックは逃走速度を速めて板橋区を横断していった。
 地上班が準備していたミサイルの数は六発。うち五発はヘリに向かってすでに放たれており、タイヤを破壊されて停止したときには、トラックの中にはすでに壊れた機関銃以外の武器・弾薬は残されていなかった。
 すなわち、最後の一発は『黄龍』に向かって発射されたのである。


 午前5時15分。「わたしが」の言葉とともに今度はレナーテが気化爆弾のわきをすり抜け、サイドドアを開け放った。機内に突風が吹き込み、操縦席で開扉警告灯が点滅する。
 レナーテは和田がしたのと同じように身を乗り出し、オートマチックを構えた。拡張燃料タンクの上に立った少女までの射線を遮るものはなかった。自身の飛行能力を準備し、レナーテを支えるようにしてその後ろに立った榊船にも、少女の姿がよく見えた。
 「背中に鷲のような黒い翼こそ生えておりましたが……白い肌に長い金髪、そしてその赤い瞳は間違いなく」と、そこまで言って榊船は小さく息をつき、続けた。
「空港でレナーテが倒した、あの少女でしたわ」
 レナーテはオートマチックの引き金を引いた。いくら暴風条件下だとはいえ外しようのない距離に、放たれた弾丸が次々と少女の身体へ穴を穿つ。オートマチックの弾倉を空にした最後の一発が少女の手首に命中し、風にさらわれる木の葉のように、その小柄な身体が宙へと投げ飛ばされた。
 しかし、「やはり、という印象しかありませんでしたわ」と榊船が言う通り、少女はヘリから10mほど離れた空中で翼を広げ、いったん距離をとるように旋回した。銃創の影響は感じられなかったという。
 そして練馬上空に至ったCH−47を襲撃したのは、彼女だけにとどまらなかった。午前5時17分。白銀の獅子が、再来した。


 「窓の外を、何かが落っこってったように見えた」と、その瞬間を六巻は振り返っている。その直後、ヘリが一つゆらりと揺れた。顔を見合わせる興信所の面々。その機内を不意に、CH−47の底床を鐘突き棒でぶっ叩いたかのような衝撃が突き抜けた。
 開け放したサイドドアから身を乗り出し、レナーテがヘリの底を確かめる。その目の前で、ランディングギアへ無造作に片腕でぶら下がりながら、ファングがあいた片腕をヘリの機体へ叩き付けていた。跳ね起きながら、「やつが戻ってきた」と機内に告げるレナーテ。
 その時点でファングの名前を「ファング」だと知っている者はなく、従ってレナーテも「やつ」としか口にしなかったのだが、それがあの白銀の獅子を指していることを機内の誰もが理解した。素手の攻撃でこうまで大型双発ヘリの機体を軋ませることができるような相手など、そうはいない。
「野郎、ヘリをぶっ壊す気でいやがる…」
「靜、あいつを機体から引っぺがしましょう」
 うめくような和田の言葉に、神山の声が重なる。が、巳杜は彼の背中に駆け込むようにして声を上げた。
「ヤだよ! 空中戦って足元すかすかで気持ち悪いもん!」
「気持ちいいとか悪いとかって場合じゃないでしょう…!」
 呆れるべきなのか怒るべきなのか分からないといった様子で、あまね。
「悠長にしてる場合じゃない……お客さんが増えたぜ」
 力場の維持を続けたまま、真柴が警告した。上空3,000mに、なんの飛行能力も持たないファングがいきなりやってこられるはずはない。誰かもしくは何かが彼をここまで運んできたはずであり、今回において言えばそれは「誰か」の方だった。
 「考えたくはなかったが、もう認めるしかなかったよ」と、真柴はあの時のことを振り返っている。
「俺が倒した一人を含めて、あの少女は少なくとも四人いた――」
 事後に収拾された彼らの認識でもそうだったし、撮影班がとった映像その他の資料を総合的に判断しても同じ結論に至る。ファングを連れてきたのはやはり翼をもった二人の少女で、それは最初にヘリの外壁を削った少女と同じ外見、同じ能力を持っていた。
「――いや、もっと正確に言えば、少なくとも四体『作られた』んだ。
 ……虚無の境界にな」


 三体の羽根持つ少女とファングの攻撃は実にやっかいなコンビネーションを見せていた。力に任せたファングの打撃は確実にヘリの機体へダメージを与えている。かと言ってサイドドアから身を乗り出してファングを攻撃していれば、今度は獲物を狙うハヤブサのように飛び回る少女達の餌食だ。ファングが恐るべき筋力で腕と脚を振るうたびに激震するヘリの中で、
「後部ハッチ開けてくれ!」
 和田が操縦席に叫んだ。そして集中した視線に、「あのライオン野郎を中に入れる」と拳を握ってみせる。
「今度こそ仕留めてやる」
「本格的におミソが飛んじゃいましたの?」
 いぶかるように、あまね。だが和田はむしろ不敵に笑み返すと、
「あの野郎をほったらかしときゃ、いずれヘリごと潰される。だが中に引き込んじまえば、この狭さにあのクソでけぇ図体だ、動きも鈍る。
 できるだけダメージくれてやってから、3,000m下に叩き落としてやる。
 どうだ、頭がイカれたように思うか?」
 向けられたその言葉に、「頭の方はどうか知りませんが」とあまねは小さく肩をすくめた。
「勝負度胸には感心するかも」
 副操縦士がシートの肩越しに彼らの方を見つめていた。緋磨は和田に向かってうなずいてから操縦席へ振り返り、「開けてくれ」と告げた。副操縦士が計器板わきのスイッチを操作する。送り込まれた油圧が支持柱を伸展させ、後部ハッチがゆっくりと開きはじめた。一千万を超す人々が眠る東京の夜空が飛び込んでくる。
「頼むぜ、六巻」
 ハッチを真正面から見据えたまま、和田は隣に立つ六巻に声をかけた。
 「言いたいことは分かってた。動きが制限されるのはこっちも同じで、野郎の攻撃を一発でも食らっちまえば、間違いなくミンチだった」と、六巻は回顧している。視線を合わせ、無言でうなずいた六巻へ、にやりと笑って続ける和田。
「空港の時よりゃ分がいいだろうが、お前の防護壁がなけりゃ明日のおかずは挽肉ハンバーグだ」
「笑えねぇよ、ボケ」
 そして少年達は握った拳を「ゴツッ」と軽く合わせた。「青春の光景だったね」と、緋磨は微笑んでいる。その彼女も、その場では真摯だった。
「勇敢な少年の可能性は無限だ」
 そう言って二人の肩に腕をかけ、振り返った少年達に片目をつぶって見せた。
「なんと言っても、私がついているからな」
 「ああいう翔さんは、初めて見たかもな。旦那さんにチクれば、ちょっと拗ねるかもだ」と言って、ややからかい気味の笑顔を見せるのは天音神である。
「だがま、俺にもああいうカッコつけたいお年頃はあったからな。及ばずながら彼らに力を貸させてもらったよ」
 自らそう続けている通り、あまねは急場でテレポートさせてきた鉄板と和田・六巻の着衣をそれぞれ合体させ、急造の防護服に仕立て上げた。粗製とはいえ、あるとないとでは大違だ。そして実際この防護服は、少なくとも三回、ファングの爪に耐えている。
 午前5時21分。練馬上空で、CH−47は後部ハッチ開扉を完了した。機外に張り出した特設ステージの上に、とても上空3,000mにいるとは思えない機敏さでファングが姿を現した。


「あの狭い機内では、ファングの相手はお三方にお願いするよりありませんでしたわ」
 のちに榊船はそう言い置いたのち、「ですから、わたくしとレナーテは機外の三体を受け持つことにいたしました」と続けている。
 午前5時20分。ハッチが開きはじめたその横で、レナーテはサイドドアから、紫紺の夜空へ身を躍らせた。
「もちろん、わたくしがシールドと飛行能力付与でサポートしておりました」
「俺も続いたしな。三対二だ。圧倒的に分が悪いってほどの勝負じゃ、なかった」
 天音神はそう付言する。
 練馬上空で機外に出たあまねとレナーテは、それぞれに得物を手に取った。あまねは電磁剣。レナーテは榊船から託された星華剣。二人に気付いた黒翼の少女達が転進し、急迫してくる。
 夜明けの遠い空に白い残影を引いて、あまねとレナーテは剣を揮った。


 一方地上では、宮小路の『黄龍』が追走を続けていた。板橋から練馬に入った前後で、『黄龍』はミサイルの直撃を受けていた。
 「避けることもできましたが、『黄龍』に当たらなければ後ろの民家に当たっていました」と宮小路。シールドと『黄龍』自体の耐衝撃性でダメージそのものは小さかったものの、肉薄していた彼我の距離に水をあけられてしまったことは否めなかった。
 「純粋なスペックを比べれば、『黄龍』の方が遙かに高いのだろうがね。追撃というのは、常に逃げる側が有利なものだ」と、城田は後日述べている。とはいえ、機関銃も最後のミサイルも失ったトラックが『黄龍』から逃れていられる時間はそうそう続かなかったのも事実だった。
 午前5時26分。東京都練馬区内で、虚無の境界メンバーが乗ったトラックは右後輪を『黄龍』の光剣で切り裂かれて緩衝のための植え込みを押し倒しながら歩道に乗り上げ、停止した。乗っていた四人のメンバーは重軽傷を負ったがいずれも命には別状なく、『黄龍』に拿捕された。
 のちに警察へ引き渡されたが、今回の件の特殊性に鑑み、取り調べが行われたのか、行われたとすればその調書にどういった内容が記述されることになったのかは、定かではない。


 あまねとレナーテが機外に飛び立ち、和田・六巻・緋磨が開きつつある後部ハッチの前へ屹立するに至っても、神山は相変わらずゆったりとした微笑みのまま気化爆弾のそばに立っていた。特に何をするでもなく、「皆さん頼もしいですねぇ」と他人事のように呟く神山に、真柴が返した。
「……あんたもちょっとは頼もしそうなところを見せたらどうだ?」
 真柴自身、ただ無為に機内へ残ったわけではない。とりあえず第一隊を潰したとはいえ、敵の地上部隊が他にもいないとは限らない。彼は五発に渡ってミサイルを食い止めた力場を維持し続けていた。
 結果としては地上部隊はあの一隊のみだったと見られているが、それは事後調査によって初めて明らかになったことだ。利用されたミサイルは海外の紛争でも何十機となくヘリを撃墜している代物であり、そのうち一発でも適正な距離で爆発していれば、CH−47は住宅街への落下という最悪の惨事を招いていたことは確実だった。力場の維持に能力を振り向けた真柴の判断は、評価されこそすれ貶めることができるものではない。
 神山は「そうですねぇ」と腕組みをした。
「靜、役に立ってるからね! さっきの衝撃でも気化爆弾が爆発してないのは、靜のおかげだからね!」
 何か言われる前にと、巳杜が主張する。「分かってますよ」と微笑みかけながら、神山は巳杜の頭を軽くなでた。再びヘリを揺らした振動に、顔を上げる神山。その視線の先で、ファングがタラップのように突き出した後部ハッチの上に姿を現していた。
 「空港で見たときより大きく感じましたよ。ヘリの中が狭かったからでしょうけれど」と、のちに神山はのほほんとした表情で回想しながら、続けた。「和田さんが与えた傷も、完全に癒えていました。別に驚きはしませんけれどね」。
 神山のスタンスは彼の中で完璧な形で律されており、そしてあのときの状況は、彼にそのスタンスの変更を迫るほど逼迫してはいなかったようである。あくまで、彼にとってはだが。
 神山はここでも使い魔を通じて影ながら手を貸すにとどめたが、その他にもう一つだけ和田たち前衛組に肩入れをしていた。
「荒事は若者達に任せるしかありませんよねぇ」
 いつもの調子でそう口にした神山の瞳が柔和な微笑みの奥で冷たく光ったことに、ヘリ内の誰も気付くことはなかった。


 午前5時21分。空中では、五人二組の少女達が火花を散らしていた。黒い翼をもち、ヘリの装甲板に穴を穿つほどの威力を秘めたブレードを操る同じ顔を持った三人の少女と、それぞれの手に電磁剣と星華剣を握ったあまねとレナーテ。
 「能力じゃ劣ってなかったと思うが、空中戦に関しちゃ向こうに一日の長ありだった」と天音神は肩をすくめつつ認めている。固い地面の上で戦いなれている二人は、上下にも自由に移動できるスペースがある空中での格闘にはとまどいが隠せなかった。
 素早くそれを見抜いたのか、黒い翼の少女達がブレードを手に、急降下と急旋回で一撃離脱の戦法を仕掛けてくる。しばし翻弄されるがままの戦いが続いたのち、
「動きましょう。どのみちこのままでも主導権はとれません!」
 あまねがレナーテに向かってそう声を張った。うなずきが返ってくる。二人は動いた。あまねがさらへ高空へ駆け上り、対してレナーテはスカイダイビングのように落下する。
 「空中戦じゃ、大きく動いて素早く切り返した方の勝ちだ。戦闘機が速いのと同じ理屈だな。間抜けな話だが、動いてみてやっと分かったよ」と天音神が言うように、二人が飛行能力を活かして動き始めたことで文字通り戦況も動いた。相手三人のうち一人ずつがそれぞれあまねとレナーテを追い、残る一人がヘリ攻撃に戻る。
「狙いはあくまでもヘリってワケね」
 あまねは呟くように口にして反転、上昇したとき以上の速度で矢のように夜空を駆け下った。あまねの飛行速度は少女達のそれを凌駕していた。追いかけてきた一人が急展開について行けずにいるわきをすり抜けざま、電磁剣を一閃。確かな手応えを残し、少女の翼が根本から吹き飛ぶ。あまねは速度をゆるめずヘリ攻撃に戻った残る一人に急迫、こちらの少女はすんでの所であまねの攻撃をかわした。
 あまねは敢えて切り返さず、そのまま落下。反対に急上昇をかけたレナーテと風圧を感じるほどの距離ですれ違い、今度は彼女を追っていた少女を避けるいとまも与えずに電磁剣で切り伏せた。血飛沫が夜空に吹き散り、袈裟懸けに切り裂かれた少女の身体が枯れ葉のように舞い落ちていく。あまねと攻撃を入れ替わったレナーテの星華剣は彼女が討ちもらした最後の一人を捉え、三人の敵が一瞬にしてヘリ近辺から排除された。
 しかし、これで終わってしまうほど容易い相手ではない。少女達は100mと落下しないうちに失った部分を回復させ、再びヘリに迫ってきた。消耗戦が始まった。
 「何しろ向こうは死なねぇんだ。一分間に三回は倒してるってのに、勝てない。そういう戦闘が五分も続けば、どっかにアラってのが出てくるもんだな」と天音神は語っている。そして彼言うところのアラは、今回においては致命的な形でやって来てしまった。
 空中戦のコツをつかんだ二人は少女達を翻弄し、ヘリに近づくそばから刃にかけてはじき返していく。十幾度目かの一刀。少女の腹部をレナーテの星華剣が捉え、少女はきりもみしながら跳ね飛ばされてヘリのフロントウィンドウに叩き付けられた。その手には決して放さなかったブレードが逆手に握られており、そして装甲板を穿つその切っ先はフロントウィンドウを突き破ってコクピット内に達していた。
 少女がそれを狙っていたのかどうかは定かでない。しかし残された現実として、ブレードの刃先は機長の左肩を貫いていた。CH−47は練馬上空でパイロットを失った。午前5時25分のことだった。


 すぐ後ろのコクピットで起こった異変に、城田は機敏に反応した。
 機外で風圧に押されて少女の身体がズルリとずれ、ブレードが機長の肩から抜ける。素早く傷口を圧迫止血。機長が苦鳴をあげたのを確かめると、「五秒間だけ自分で押さえていなさい」と彼の左手を自身の肩に当てさせた。いったん止血の手を放し、副操縦士席下からファーストエイドキットを蹴り出す。中を開けて止血帯を探り出すと再び機長に向き直り、脇の下へくぐらせて肩から先を止血した。貫通創なのを見て取ると傷の前後に脱脂綿を当て、サラシ代わりの包帯できつく固定。
「貫通創だ。刃が鋭いのがかえって幸いしたんだろう。傷口は綺麗で、位置から見ても腱や骨には異常ない。出血は最小限に抑えたから、加療さえ間違わなければ一、二ヶ月で元通りになれる。痛いだろうが、朝霞に着いたらすぐ病院での処置になる。いま鎮痛剤は打てない。こらえてくれ」
 早口ではあるが冷静な声で機長にそう説明した。
「こらえられる痛みなら、鎮痛剤は必要ないな」
 脂汗を流しながらも、機長は気丈に軽口を叩く。城田は片眉だけを小さく動かすと、何事か耳打ちした。機長が絞り出すような声で笑ったのを副操縦士は耳にしたが、城田が何を言ったのかは聞こえなかった。後日機長は、「オフレコだが」と前置きした上で、彼の言葉を再現した。
 城田は「いつか背中から撃ってやると思う上官の顔を思い浮かべていろ」と口にし、軽く肩をすくめて続けたという。「アドレナリンが出て、少しは楽になる」
 その時実際に誰かの顔を思い浮かべたかについては、「国防上の機密事項です」と言って機長は笑った。
 機長に「秘策」を授けたあと、城田はキャビンを振り返り、「宮小路さん、手を」と声をかけた。うなずいてそばへ寄った陰陽師の手を借りて、機長を操縦席から引っ張り出す。
「寝かせないで、上体を起こしたまま壁によりかからせてやって下さい」と指示して、城田は空っぽになった操縦席へ身体をすべり込ませた。四点式シートベルトを締めながら、副操縦士の方へ顔を向ける。ここまでに要した時間はわずかに二分。
 「あまりの手際に驚くことさえ忘れていました」と後日告白している副操縦士へ、城田は告げた。
「操作の指示を。機長の代わりに手足を動かすぐらいなら、わたしにもできるだろう」
「操縦できるんですか、城田さん?」
 さすがに驚いたような声を上げた宮小路に、「いえ」と答える城田。
「ですが往年のエースヘリパイロットだったという患者さんを持ったことがあります。問診に行くたびに、こっちが話す時間の十倍もヘリの話を聞かされましてね」
 言って、彼は宮小路を振り返った。
「おかげでヘリコクピットの作りには強くなりましたよ」
 午前5時28分。CH−47は三分の遅延ののち、最終目的地である陸上自衛隊朝霞駐屯地へのフライトを再開した。


 午前5時22分。ファングとの二戦目が始まった。
「前回は和田少年とレナーテの二人が前衛に立っていたが、今度は事実上和田少年一人きりだ。ファングの身体が一回り大きく見えたのは、機内が狭かったせいだけじゃないだろう」
 緋磨はその時の印象をそう語っている。しかし嫌も応もない。目の前に凛然として立つ白銀の獅子を倒さない限り、ヘリは墜ちるのだ。
 和田はいつものサングラスをかけて拳を握り、腰を落としてファングに対峙した。「9ミリ弾が通らねぇのは分かってたし」と、和田。「のっけから拳銃のレンジじゃなくなってたしな」。
 背筋を伸ばせば間違いなく天井につく巨躯をややかがめたファングの両目が、和田を見据える。
「一日に二回も負けに来るたぁ、物好きな野郎だな」
 挑発するように口にして、和田は一気にファングの懐へ飛び込んだ。繰り出す拳を緋磨の庇護で増幅された風の力で加速、正真正銘マッハの域に近いスピードでボディーブローを叩き込む。下手をすれば三倍に至りかねない体重差のファングをして、わずかに身体をぐらつかせる鋭さの一撃だった。
 ファングの反撃。ほとんど真上から打ち下ろしてくるような、かぎ爪の一撃。和田は飛び退ることなく、その腕の下で身体を入れ替えた。あまねの合体魔法で鉄の強度を与えられた服がかすめたかぎ爪に火花を散らす。
 ひるむことなく、和田は体を入れ替えた勢いをそのまま乗せて足を振り抜いた。獲物を捕らえ損ねたファングの右腕を、その上から叩く回し蹴り。毛皮の奥で瞳を燃えたぎらせたファングが力任せに腕をなぎ払う。
 その一撃も、和田を捉えることはなかった。活かされたのは緋磨の援護と六巻の防護壁。予備動作なしで気流爆発を使って飛び退る和田。それを追って軌道修正したファングの腕は、六巻が生んだ瓦礫の壁が食い止めた。普通であれば崩されたであろうその防護壁も、やはり緋磨の能力拡張によって強化コンクリート並みの強度を得ていた。自身の膂力がそのまま徒となり、折れたファングのかぎ爪がヘリの床で乾いた音を立てた。
 本来なら、素手で戦車と渡り合うというファングの身体がこれほど脆いはずはない。が、この時点で神山の力添えに気付いている者はなかった。元素支配。神山は前回と同じくファングの四肢にしがみついて動きを邪魔している使い魔の他にも、相手の能力を抑える手を打っていたのだ。
 和田が再び攻撃に出る。恐怖心を振り切ってファングの巨躯へ肉薄。再度音速の拳を叩き付けた。
 振るわれたカウンターを敢えて避けずに和田は二発目を放つ。
「なんてーか、まぁ信じてたんだろな」
 のちに語ったその言葉の通り、和田は六巻の援護を信じ、六巻はそれに応えた。空中に生み出された岩のかたまりがファングの拳を食い止め、がら空きになった逆胴へ和田の拳がめり込む。ゴフ、と、ファングの肺腑から空気が漏れる音が聞こえた。
 打撃は積み重なった。ゼロ距離どころかマイナスとさえ言えるようなレンジでのクロスファイト。「真っ向の一対一だったら、瞬殺されてたかも知んねぇな」と、和田は自分で認めている。
 しかし現実には、和田には鉄の強度を持つ防護服があり、緋磨の能力拡張による援護があり、六巻が矢継ぎ早に作り出す防護壁があった。ファングには狭すぎる機内と、神山の使い魔による目に見えない妨害、そして同じく神山の能力による身体機能の劣化が与えられていた。
 条件と連携の差が実力差を覆し、ファングの肉体へは一方的にダメージだけが蓄積していった。
 身を削ぐような攻防ののち。鋭さを失いかけたファングの一撃をミリ単位の精度でかわし、和田が踏み込む。あいたわき腹に肘が叩き込まれ、またしてもファングの肺から空気が絞り出された。白銀の毛皮でおおわれた口元を鮮血が伝う。巨体がよろめくのが分かった。
 それを機と見て和田は一歩さがり、右腕にそって強烈な風を巻き起こした。その気流は周囲の原子分子を吸い込み、激しくぶつかり合わせながら成長していく。パチリと小さな火花が散った。緋磨の能力拡張を受け、さらに回転速度と気流密度を上昇させる。やがて、ほとんど重さを感じるまでに濃密な流体となった気流が形成され、それは和田の腕の周りでバチバチと空気を焼くような音を立て始めた。
「小型雷雲って言うんかな。ハズって意味では出来るハズだったけど、それまで試したことはなかった」
 和田はそう説明している。
 ファングはその危険な一撃を阻止するべく、丸太のような腕で和田をなぎ払おうとした。しかしその一発さえも、六巻の石壁に阻まれる。
「コイツで――」
 和田は無造作とも言えるほど自然な足運びで、ファングの内懐へ体を入れた。腕が伸ばされた。拳を叩き付ける突きではなく、肩と腰の回転で手の平を押し込む、掌底。ズシンと芯に響く音を伴って、ファングの巨躯が機外へ――足場になったハッチの外へと押し出される。そして白銀の獅子がハッチの縁をつかもうと手を伸ばした瞬間。
「――終わりだ」
 和田の腕から解き放たれた電流が青白い稲妻となり、電位の低い空間めがけて駆け抜けた。射線上にあったファングの身体を突き抜けて。
 白銀の獅子の、その頑強な指先がCH−47の機体を捉えることは、なかった。
 午前5時32分。練馬区大泉学園町上空で、ファングは気化爆弾を空輸するCH−47から墜落した。


 同32分。ファングが機外に転落したのを見て取った三人の少女も、CH−47周辺空域から離脱していった。勝手が分からずに苦戦した最初の数分と機長の負傷をのぞいては、一方的な展開のうちに空中戦が終結した。
 虚無の境界は、地上に続いて空中でも敗北を喫し、退却した。
 「ところが、安堵のため息をついてもいられなかった」と、その時を振り返って緋磨は硬い表情を浮かべた。「ファングをヘリから叩き落としても、機体の不安定な振動が収まらなかったからね」
 「戦ってるときは、そのせいだと思ってたんだけどな」と六巻はのちに回想している。振動が止まないCH−47の操縦席に着いたまま、城田は副操縦士の方へ顔を向け、訊ねた。
「さっきからヘリの挙動が操作にしっかり追随しない。朝霞までは?」
「あと3km。ピッチ緩め、出力上げ。着陸準備に入ります」
 副操縦士の指示に小さくうなずきを返した城田の表情は、「恥ずかしい話ですが、小官よりも遙かに」と副操縦士自身が証言している通り、淡々としてと言えるほどに落ち着いた。
「後部ハッチ閉扉。後部メインローターの動作計・アビオニクスに注視を。緊急時着陸手順準備。
 ――皆さん、しっかり掴まっていて下さい」
 サイクリックピッチレバーを握った城田がキャビンを振り返ってそう告げたとき、CH−47の機体がひときわ激しく揺れた。


 「CH−47の挙動が安定していないことは、地上からでも見て取れました」と、朝霞駐屯地でヘリを待っていた自衛官の一人は回想している。当然だ。CH−47は、ファングが力任せに暴れ回ったダメージに加えて至近での爆発となった四発目・五発目のミサイルとニトログリセリンの衝撃が重なり、後部メインローターのブレード迎え角、すなわちピッチを調節する機構に損傷を生じていた。
 「分かりやすく言ってしまうと、回転翼が『翼』としての役目を果たせるように調節する金具にガタが来ていたということです」と先の自衛官は続ける。
 駐屯地で待ちかまえる警視庁撮影班の録画テープに刻まれた時刻表示で、午前5時35分。CH−47は住宅街のど真ん中、東京都練馬区大泉学園町上空で大きく尾部を沈ませた。ピッチ可変機構が破断、後部メインローターが揚力の大半を失った瞬間だった。


 CH−47の機内では、ありとあらゆる警告灯が点滅し、けたたましいアラームが鳴り響いていた。「警告のためというよりは、いっそパニックを起こさせる罠なのではないかと思うほどだった」と緋磨は言う。
 「最悪の場合に備えて」と、榊船は小さく首を横に振った。「ヘリ周囲を異相結界で空間隔離し、被害を最小限に抑える準備をいたしましたわ」
 気化爆弾の冷却を司っていた巳杜もその時の状況を振り返り、自分の肩を抱くようにして身を震わせた。「フツーの揺れならいいけどさ、墜落したらさすがに爆発してたと思うよ」
「俺とレナーテはまだ機外にいたが――」
 天音神はそう言って苦笑いを浮かべ、続けた。
「――いくら怪力でも、10トンを超えるヘリは支えられない。下には住宅街。墜ちれば終わりだった」


 その機内にあって、城田と副操縦士は実に冷静に対処を続けていた。
「飛行機もそうだが、ヘリもローターが止まったからと言ってすぐに墜ちるものではない」
 城田は自分が冷静でいられた理由をそう説明し、それから、「もっとも、あの状況はなかなか厳しかったとは思うがね」と付け足した。
「後部ローター動力切り、惰性ローテーション。前部ローター推力上げ。ピッチ上げ。ドリフトモーメントに留意。
 後ろの翼が死にました。前のローターだけであと2km進み、1,000mを降下することになります」
 副操縦士と指示をやりとりしながら、城田はキャビンのメンバーに状況を告げた。「はい、と言ってうなずくしかありませんでしたね」と、神山は苦笑いで振り返り、こう続けた。「しかし、不安はあまりありませんでしたよ」
「実際のところ、小官はマイル・トゥー・ゴゥ(残距離)とフィート・トゥー・ダウン(残高度)をカウントするだけでした。ヘリの着陸は、シンプルですが繊細な感覚を要するフェイズです。城田氏には、天賦の才があったのかと」
 副操縦士は帰還後、脱帽だという風に首を振っている。事実、城田が示した操縦適性は際だったもので、午前5時38分、CH−47は陸上自衛隊朝霞駐屯地上空空域に達した。
 しかし、一つ問題があった。安定した着陸のためには前後ローター回転の偏りによる横向きモーメントを抑えねばならず、そのためには後部メインローターをもう一度回す必要があった。副操縦士が指摘したドリフトモーメントの値にうなずき、城田はエンジンとローターをつなぐクラッチを再度繋げた。ギアがかみ合い、後部ローターへ動力が送り込まれる。その直後、ガツンと鈍い衝撃を残して後部ローターシャフトが破断した。
 午前5時38分。後部ローターが完全に回転力を失ったとき、CH−47は未だに地上200mの高さにあった。


「ヘリがななめになって、良くねぇ感じの横回転をし始めたのが分かった」
 のちに、六巻は組んだ両手の平を口の前へ持ってくるようにしながら、そう語った。
「城田さんが操縦席で難しいことを言ってて、専門用語はよく分からなかったけど、要するに『降下は出来ても着陸できない』状態になってるんだってのは理解できたよ。
 あとはもう、迷うヒマはなかった。自力で降りれないなら、受け止めるしかねぇだろ」
 六巻は、駐屯地上空に半径の大きな螺旋を描きはじめたCH−47の中で、「緋磨さん!」と声を上げた。振り向いた彼女に、「力を」とだけ告げる。
 緋磨はためらわずにうなずいた。能力拡張。半径25mを限界とする六巻の土石を操る力が指数的に増幅された。距離で八倍。持続時間も支持重量も、自己記録の優に十倍。
「親父に見られてたら、また家継げ攻撃が始まってたかもな」
 洒落めかしてそう言う六巻が緋磨の力添えで打ち建てたものは、朝霞駐屯地へリポートから上空のCH−47へとそびえた、高さ150m、底面が一辺50mに及ぶ巨大な『土のビル』だった。
 さしもの能力拡張を受けた六巻の力とはいえ、10トンを超すヘリをそのまま支えるには至らない。しかし土のビルは自らやわらかく崩れながら螺旋下降を続けるCH−47の機体を受け止め、不安定な横回転モーメントを奪い、速度を削って衝撃を吸収していく。もうもうたる土埃とともにCH−47が徐々に安全な速度と高度域へと降りてくる様を、警視庁撮影班のカメラはつぶさに捉えていた。
 「ヘリの中は、当分の間シェイカーにトラウマを感じるような振動だったよ」と緋磨は言う。
 やがて、文字通り土の上を這い進むイモムシの様にビルを崩しながら降りてきたCH−47は、午前5時41分、高度7mまで低くなった盛り土の上で、完全に停止した。
「タイヤブレーキ。エンジン停止。燃料パイプ遮断。ローターブレーキ、オン位置に」
 土埃で曇ったフロントウィンドウの奥、ブレードの突き抜けた穴から細かい砂が入ってくる操縦席で、城田が頭上のブレーキレバーを引く。
 最後の六分間、10トンの機体と気化爆弾、満載された燃料、そして乗り込んでいた草間興信所の面々をたった一基で支えきった前部メインローターが、緩やかに回転を止めた。


 午前5時44分。新東京国際空港−陸上自衛隊朝霞駐屯地間を無事空輸し終えたCH−47大型双発ヘリは、六巻の力で静かに地上へと降ろされた。
 後部ハッチが開き、自衛隊員が駆け込んでくる。ヘリが空輸を開始して以来初めて、真柴はゆっくりと息を吐くと展開していた力場を消滅させた。巳杜も爆弾を冷却していた液化窒素を符咒の支配下から解き放つ。
「あ、すぐに触ると手がくっついちゃうからね☆」
 彼は搬出をはじめようとしていた自衛官へ、ウインクとともに。神山はやれやれといった風情で腰を伸ばし、「どうにか終わったみたいですねぇ」と微笑んだ。
「皆さんご無事〜?」
 後部ハッチから、レナーテを伴ってあまねが顔を出す。「あいにくとな」と、さすがに少し疲れた笑顔で緋磨が返した。榊船はレナーテと目が合うと、にっこりと微笑んだ。小さなうなずきで答える、レナーテ。城田は素早く操縦席から身体を抜いて、「担架を。負傷者だ」と待機していた自衛官へ指示を出していた。
「どぅあ〜!」
 機外に這い出て、妙な声を上げながら和田がヘリポートのアスファルトへ寝転がる。「あーもーイヤだ。当分空飛ぶモンには乗らねぇ」
「三戦目はやっぱり地上がいいですか」
 仰向けになった彼へ、穏やかな笑顔を浮かべながら宮小路が近づいてくる。「三戦目?」と上体を起こして眉根を寄せた和田に、彼はしゃがみ込んでノートPCのディスプレイを見せた。
 『黄龍』の目が送ってくる映像が映し出されており、その映像の中で次第に明るくなり始めた川面が小さな波頭を立てていた。そしてその土手には、川から上がった濡れた何かが駆け抜けていった痕跡が残されている。和田が顔を上げ、宮小路を見た。うなずきが返ってくる。
「『白髪ライオン』は川に落ちたみたいですね」
「……しかも元気そうじゃねぇか、走って帰ったんだろ」
「たぶん」
 宮小路の答えに、和田はもう一度「どぅあ〜!」と声を上げて大の字になった。「知らね。俺はもう知らね。一日に三回も負けに来るほど物好きじゃねぇのを祈る」
 宮小路は軽く声を立てて笑う中、緋磨と六巻が歩み寄ってきた。
「……何してる、少年」
 寝転がった和田を見て、怪訝そうに緋磨。
「おばさんのスカートの中にゃ興味ねぇから、心配すんな」
 答えた和田は、今度こそ緋磨に頭を踏みつけられた。「いちおう言っとくけど、緋磨さんはズボンだったからな」とは、後日六巻が強調しているところである。
 和田は跳ね起きると、
「一日二回も化けモンと戦ったんだぞ! ちったぁいたわれ!」
「あのよ、それ気になってんだけどな」
「んだよ、六巻」
「正確に言えば、一日一回だろ。空港の時はまだ十二時前だったぜ」
「るせぇな。いいんだよ。俺が起きてりゃ一日なんだ」
 言い切った和田に、「スッゲェ自己中……」と六巻はぼやいた。


 真柴はヘリの外壁に寄りかかりながら、苦笑いを浮かべて少年達のやりとりを眺めていた。
 「さすがに疲れてたな。一時間以上、力場を維持してたからよ」と、のちにも同じ苦笑いで振り返っている。その真柴に、輪を離れて緋磨が近づいてきた。顔を向け、わずかに身を起こす。
「真柴さん」
「イエス、マダム」
 芝居がかった返答に緋磨は小さく笑ってから、少しからかうような視線を向けて続けた。
「この件が終わったら、私に一杯おごってくれるようなことを言っていたな」
「そんなようなことを言ってたね」
「いい店の心当たりでも?」
 真柴は驚いたように口をつぐんでから、ニヤリと笑った。「もちろん」と返す。後日、「期待した。微妙にな」と、真柴はいっそ清々しいとさえ言える口調で認めた。
「教えてもらえるか?」
「喜んで」
 真柴は店の名前と場所を告げた。緋磨は屈託なく笑って、真柴の手を握った。
「ありがとう。今度――」
「ああ、喜んで」
「――旦那と行くよ」
 そして、二の句の継げない真柴を残し、緋磨はくるりときびすを返した。「イヤミでも悪意でもないのは分かったから、ハラの立てようすらなかったね」と真柴。
「……ありかよ、そういうオチ」
 見送る以外に手のない彼の肩を、またしても神山が叩いた。
「まぁまぁ。私が代わりに付き合ってさし上げましょうというようなことも、確か言いました」
「……言ってやがれって、確か返したよな」
「改めて、一人酒は寂しいですよと忠告しましょう」
「言ってやがれ、まったく」
 真柴は苦笑いを浮かべた。長身の二人の足元で、巳杜が手を挙げた。
「ハイハイ! 靜も行く!」
「あなたは外見が幼いから、お店に入れないかも知れませんよ」
 視線を落としてそう忠告した神山に、巳杜は大げさな動きで親指を立てて、返した。
「靜、精神がオットナだから、オッケーよ☆」


 赤十字の描かれた救護車両に機長が乗せられ、医務棟へと搬送されていくのを見送って、城田は小さく息をついた。ヘリの向こう側から、興信所の面々の声が聞こえている。
 一つ深呼吸をしてから仲間のところへ戻ろうとしたとき、副操縦士がじっとこちらを見つめているのに気がついた。
「……何か?」
 城田が問いかける。副操縦士は真っ直ぐに彼の目を見ていてから踵を揃え、そして敬礼した。城田は凛としたその姿勢に、「いや、わたしは軍人ではないのだが」と苦笑いを返す。副操縦士は敬礼のまま、答えた。
「文武の別は問題ではありません」
 言ってから腕を下ろし、視線だけは逸らさないままに、続けた。
「ただ敬意をお伝えしたかったのです」
 それから彼は帽子を取って深く一礼し、きびすを返すと救護車両の後を追うように走り始めた。
 城田はその背中を暫時見送っていてから、ふと空を見上げた。夜明けの近いことを示す薄墨色が広がっていた。


 レナーテは草間興信所を代表して、陸上自衛隊隊員達が気化爆弾をヘリから搬出し、トラックに積み込んでシェルターに保管するまで立ち会った。時間にしてほんの三十分ほど。それでもシェルターから出たときには、それまでよりずいぶんと空が明るくなっているように感じた。
 自衛官に促され、仲間とヘリのところへ戻るべく、ジープに足をかけるレナーテ。と、向こうに止められた黒いセダンのわきに、背の高いスーツ姿の男が立っているのに気がついた。顔を向ける。大竹だった。
 彼は100mほど隔てた場所からじっとレナーテを見つめていてから、小さく頭を下げた。
 運転席の自衛官が再度促す声が聞こえた。顔を戻し、助手席へ乗り込むレナーテ。走り始めたジープのバックミラーで確かめたとき、もう大竹の姿はセダンの中へと消えていた。


 12月26日午前6時22分。
 気化爆弾防衛・空輸任務は、その全てを終了した。
 民間人負傷者58人。内重傷者14人。
 危険思想主義者4名逮捕。内3名軽傷、1名重症。
 陸上自衛隊第一ヘリコプター団所有CH−47ヘリ中破。
 自衛官負傷者1名。
 物的損害、不明。(ただし、複数寺社家屋設備の損壊が本任務の副次的影響によるものとの報告あり)
 以上が、任務の総決算だった。


 12月30日、正午近く。
「――以上をもちまして、本件『ゲヘナ』作戦の報告を終了させていただきます」
 東京都市ヶ谷。防衛庁の一角にある大会議室で、大竹はマイクに向かってそう締めくくった。閉め切った部屋にひしめく、制服とスーツの群れ。関係各庁から集められた男達の顔は一様に険しく、二時間以上に渡った報告を締めくくる言葉にも拍手はなかった。
 スライドを見易くするために落とされていた照明が再び灯り、
「それでは、ご質問のある方は」
 大竹が「どうぞ」と言い終わる前に、矢のような言葉の雨が降ってきた。口々に向けられた質問は全て、この作戦の妥当性を問うものばかりだ。
 ここに集めれられた誰一人として、事前にこの作戦を知らなかった者はない。が、たとえ非公式でも残る記録の中に、「自分たちは知らなかった」という痕跡を刻みたいのだ。
 『ゲヘナ』作戦。米国との共同プロジェクトだった神聖兵器なき後、日本の耐心霊戦的側面における国防力をはかるためのテストケース。虚無の境界を仮想敵国の敵性部隊と見なし、この国が今手にしている耐心霊戦闘力を試験する。心霊戦という新たな地獄――ゲヘナに対抗する力を持っているかどうか、見極めるために。
 防衛庁がその必要性を訴え、警察庁の協力で企画し、警視庁と防衛庁で手はずを整えて実現した作戦だった。撮影・記録を警視庁が受け持ち、運搬機材と、そして何より「エサ」となる気化爆弾の調達を防衛庁が行う。
 型破りであり前例のない作戦がいちおうの成功を収めた後の、その結果報告の場での異論噴出。大竹には驚きはなかった。報告者としてマイクの後ろに座ることを決めてから、予想していた通りのことだった。大竹は一人一人指さして、全ての質問に答えていった。
 報告会議が終わったのは、冬の陽差しが傾きかけた頃のことだった。


 大竹は人の捌けた会議室前の廊下で一人、窓の外を眺めていた。お堀、ビジネスホテル、古書店街、そして遠く新宿のビル群までもが一望できる。と、革靴が床をふむ音が耳に届き、彼は振り向いた。
「大仕事だったね、大竹君」
 廊下に立ち、そう言葉を向けてきたのは、帰ったと思っていた警察庁長官だった。老境にありながら矍鑠とした印象を受けるのは、やはり日本の警察力を治める者の気概ゆえなのだろう。大竹は「ありがとうございます」と言って、会釈した。
 長官は大竹の隣に立ち、彼がしていたのと同じように外を眺めた。冬晴れの空の下、いつに変わらぬ東京の風景があった。長官は一つため息をつくと、
「街というのは、ごちゃ混ぜなものだな」
 そんな言葉を口にした。トップ官僚のものというより近所の老人がぐちでももらしているかのようなその口調に、大竹は窓から視線を外し、彼の方を見た。
「善人も悪人も、ごちゃ混ぜに暮らしている。一人の人間の中でも、ある時は善人だったりある時は悪人だったりと、やっぱりごちゃ混ぜになっている。
 昨日逮捕した犯人が、もしかしたら今日、どこかで誰かを助ける運命にあったのかも知れん。昨日釈放された人間が、今日どこかでまた罪を犯すかも知れん」
 そこまで言って、長官もまた顔を大竹の方へと向けた。そして、続けた。
「だがそれでも、警察は犯人を逮捕し、自衛隊は敵と戦う。
 善人だけをよりだして善人だけで善人を守るなんてことは、出来ん」
 長官、と微かに口を開く大竹。警察庁長官の肩書きを背負った老人は食えない笑みを浮かべて防衛庁官僚の腕を叩き、
「ごちゃ混ぜだ。ごちゃ混ぜのものをごちゃ混ぜに守る。それが正しいと信じてな。
 治安維持とは、そういうもんだ。防衛ってのもまた、そういうもんなんだろう」
 言って、返事を待たずにくるりときびすを返した。大竹に背を向けて階段の方へと歩き出し、それから「ああそうだ」と足を止めた。
「大竹君。一つ気になってるんだが。
 『器』には、本当に地獄が入っていたのかな?」
 口調は軽妙だったが、振り向けられた視線は鋭い。しかし、
「それは――」
 と、大竹は小さく笑って答えた。
「長官がご想像の通りです」



                           ゲヘナの器 ・ 完



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  ■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

1990/天音神・孝 (あまねがみ・こう)/男/367/フリーの運び屋・フリーター・異世界監視員
2124/緋磨・翔 (ひば・しょう)/女/24/偵所所長
1593/榊船・亜真知 (さかきぶね・あまち)/女/999/超高位次元知的生命体・・・神さま!?
0461/宮小路・皇騎(みやこうじ・こうき)/男/20/大学生(財閥御曹司・陰陽師)
2263/神山・隼人 (かみやま・はやと)/男/999/便利屋
1308/六巻・雪 (ろくまき・ゆき)/男/16/高校生
2158/真柴・尚道 (ましば・なおみち)/男/21/フリーター(壊し屋…もとい…元破壊神)
1837/和田・京太郎 (わだ・きょうたろう)/男/15/高校生
2283/巳杜・靜 (みもり・しずか)/男/458/中学2年生/便利屋さんのお手伝いを兼業?
2585/城田・京一 (しろた・きょういち)/男/44/医師

 ※受注順に並んでいます。

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    ■         ライター通信          ■
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 草村悠太です。
 お待たせいたしました。『ゲヘナの器』(下)をお届けいたします。
 これにて『ゲヘナの器』は完となります。
 上に続いてご参加いただきました方、また下からご参加いただきました方、本当にありがとうございました。
  m(_ _)m

 物語の方は……はいまぁ、このようなことになっております。(^^;
 上の時からちょこちょこ伏線は引っぱっていたつもりなのですが、やっぱりちょっと唐突な感はあるかも知れないと自分でも思います……あぁ。

 ええと、なんだか言い訳しか浮かんでこないので、この辺で各PC様についてのコメントに移らせていただきたいと思います。

■天音神・孝 さま
 初めまして。ご参加ありがとうございました。
 プレイングで緋磨さんに呼ばれたと書いていただいていたのですが、緋磨さんの方に関連しそうな記述がありませんでしたので、作中ではあのような形にさせていただきました。(^^;
 もしかしてご相談の上でのことでしたら申し訳ありません……

■緋磨・翔 さま
 連続参加ありがとうございます。
 今回も少年達のよき補佐役としてご活躍いただきました。前回に引き続き、やりとりを楽しんでいただければ幸いです。

■榊船・亜真知 さま
 いつもありがとうございます。
 他の皆さんが気化爆弾に対するアクション中心でプレイングをかけてこられた中で、唯一レナーテをメインにしていらっしゃいました。
 白の銃が使えない状況下でしたので、『星華の剣』にはレナーテも非常に重宝したようです(笑)。

■宮小路・皇騎 さま
 いつもありがとうございます。
 前半はほとんど皇騎さんの独壇場でした(笑)。一歩引いたポジションで俯瞰的に行動できるPCとして、物語上も非常に有用だったと思います。
 ただ、『黄龍』と『御神楽』の設定がよく分かりませんでした……作中のような理解でよろしかったでしょうか? (・_・;)

■神山・隼人 さま
 連続でのご参加、ありがとうございました。
 今回は「上」にもましてマイペースオーラ全開で行かせていただきました。(^^;
 前回・今回と「爆弾の使用目的を聞く」というプレイングをいただいておりましたが、作中の通り敵があんな感じ(笑)ですので、活かすことが出来ませんでした…あしからずご了承下さいませ。m(_ _)m

■六巻・雪 さま
 連続参加ありがとうございます。
 和田さんとの絡みもこなれてきたかなぁという感がありますね。(自分で言わない)
 いつもながら地味目な描写になってしまったのですが、最後の最後で大活躍していただきました。

■真柴・尚道 さま
 連続参加ありがとうございました。そしてお疲れさまです。
 物語上、力場の設定についてはあのような解釈にさせていただきました……ご了承いただければと思います。(^^;
 そしてまた今回も、プレイングにない部分で色々と貧乏くじを引いていただいてしまっております。
 せめてやりとりを楽しんで頂けていればと、祈るばかりです……

■和田・京太郎 さま
 連続参加ありがとうございました。
 今回もとんがり高校生ぶりをお気に召していただけることを願っております。(^^;
 プレイングは色々と細かい部分にまで気を使われていて素晴らしいと思いました。


■巳杜・靜 さま
 初めまして。ご参加ありがとうございます。
 特に化学関連の知識があるようではないPCさんですが、プレイングではあのようだったので驚きました(笑)。
 「神山さんになつくかわいい男の子」キャラとして描こうと頑張ったのですが、なんだか不思議なテンションのスタンピードキャラになってしまいました……スミマセン。
 (^^;
 でも今回、書いていていちばん楽しいキャラクターだったかも知れません(笑)。

■城田・京一 さま
 初めまして。ご参加いただき、ありがとうございました。
 城田さんを描こうとして、自分が「渋いおじさま」ってキャラクターを造形できないことに気付き大ショックを受けました(笑)。
 ヘボなりに頑張ってみたのですが、いかがだったでしょうか……
 お気に召してはいただけないまでも、イメージを汚していないことを祈るばかりです。


 以上です。
 参加いただきましたPCの皆様、本当にありがとうございました。
 『ゲヘナの器』はこれにて完結です。草村の次回作は、おそらくものすごーく先のことになるかと……

 もしまたどこかでお目にかかれることがありましたら、どうぞよろしくお願いいたします。
 それでは。
  m(_ _)m


   草村 悠太