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『チャーリー・ディックスの法則』
「美人なお姫様はもちろんの事、色男にだってその手のマーケットじゃあ、目が眩むほどの根がつく。あんたら二人は特にイイ男だから、高い値がつきそうだぜ」
その男はイヴの体をとてもいやらしい目でなでまわすように眺めた後に、いっひっひっひと下卑た笑みを浮かべた。それだけで彼女の白い肌にぞぞっと鳥肌が浮かぶ。ほんとに冗談じゃない!
「キミにゲームで負けたのは私だ。ならばその責めは私のみが請け負う。他の二人は解放したまえ」
まあ、ケーナズ、なんてクールで男らしいセリフ。惚れなおすわ。
胸の前で両手をあわせて、顔を綻ばせるイヴ。その彼女をさらにはセレスティもが庇うように前に陣取って、
「レディーには紳士に。それはマフィアのボスにとってみればもはや常識なのではないのかと想っていたのですが、どうなんでしょうかね?」
銀色の前髪の奥にある青い目を鋭く細めたセレスティに、その葉巻を分厚い唇で挟んだブ男(マフィアのボス)は、気圧されたかのように数歩下がった。
周りの部下たちがスーツの懐に隠し持っていた拳銃を抜き払い、その銃口を三人に向ける。
ケーナズはそれに小さくため息を吐くと、眼鏡をはずし、そしてセレスティも余裕を感じさせる涼やかな微笑を浮かべながら、前髪を掻きあげた。果たしてここにいるマフィアの人間のうちで一体何人が気づけているだろうか? 彼らの後ろにある水槽の水が持ち上がり、その水が人数分の水のナイフとなって、その切っ先が彼らの背を狙っていることを。そして、ケーナズという有能なるフリーの諜報員にリミッターを外させた事を?
普段なら、こんな愚かで下等な人間どもなど、人差し指一本でどうとでもできるのだが、ここは有能な騎士に護られるプリンセスに徹するイヴ。そう、たまにはそんな美味しい役回りがきてもいいはずじゃない?
紫煙の香りがたゆたう空気は、爆発寸前の濃密な緊張を飽和しきれぬぐらいに孕んでいく。
「くそが。おまえら、二人で何ができるものかよ? いいか、おまえら、こいつらを殺すなよ。男どもの前で女を全員でまわしてやってから、手足を切り刻んで野良犬の餌にしてやる」
マフィアのボスが叫び、そしてイヴは笑った。
時間はその時より数時間前に遡る。
「おはよ、ケーナズ」
太陽と風の匂いがする真っ白な布団に包まれながら隣で寝ていたケーナズが目を覚ました瞬間に、イヴはいつもこうやって幸せいっぱいで彼にこの言葉を口にする。
そうすると彼はきまって、
「おはよ、イヴ」
幸せそうに、そしてほんの少し甘えたがっている仔猫のような笑みを浮かべて、そっとイヴの頬に大きくって温かい手で触れてくれる。そのまま彼は右手をイヴの頬に触れさせたたまま、左手をイヴの背にまわして(イヴの心臓は肌に彼の手の温もりが触れるこの瞬間はいつも心臓がストライキを起こすんじゃないのかっていうぐらいに激しくワルツを踊る)、イヴを抱き寄せると、笑みを浮かべた唇を彼女の唇に重ね合わせる。
おはようのキス。
重ねるのは唇だけではなくて、
二人の心も。
その瞬間に、異世界に独りやってきたわたしはだけど、
その温かい温もりに孤独に泣きそうだった心は喜び打ち震える。
唇を重ね合わせたまま、彼はイヴを下にすると、頬に触れていた手で、イヴがパジャマ代わりに素肌の上に着ているケーナズの大きな白のワイシャツのボタンを上から外していく。
彼の力強い腕に抱かれている間は、イヴはまるで広い大草原でひとり佇み、強い風に体を任せているように、また大きな波の中をたゆたっているような、そんな感覚に陥る。だけどイヴはその感覚に喜びを感じても嫌悪は感じない。
愛の営みに抱く喜びや安心に世界の境界線は無いのだ。
そして彼の腕に頭を乗せたイヴは彼女の顔を見つめるケーナズに微笑みかける。
「好きよ、ケーナズ」
「ああ。私もキミを愛しているよ、イヴ」
今はただ、二人の間にある色んな壁を忘れて、この愛に溺れていたい。キミというぬるま湯に浸かりきる事に私は喜びを感じるから。
そう、キミは異界の人。長生種のキミの寿命は人間の私と違い、永劫かのような時。
罪作りな私を許してください。
私はキミを愛している。
だけどだから同時にその私の愛がキミを傷つける。
そう、私はキミをいずれ独りにしてしまうから。
ずっとずっと心に残る・・・
私がこの世界からいなくなり、キミひとりが世界に取り残されても、その私のいない無味乾燥で空虚な世界を想いでの私で埋められるぐらいの思い出を作りましょう、愛するイヴ・・・。
「ケーナズ。どっかに遊びに行きましょうよ」
「ああ、いいよ。どこに行きたい?」
「どこでも。あなたが一緒にいてくれるなら、わたしはどこでもいいわ」
「光栄だよ。キミにそうまで言ってもらえて」
「だったら大事にしてね。幸せはとても簡単に壊れてしまうんだから」
くすりと笑ったケーナズは優しくイヴにキスすると、とびっきりの悪戯めいた笑みを浮かべた。
「ベガスに行きたいな」
イヴはきょとんと小首を傾げる。
「ベガスって、ラスベガス?」
「そう、カジノ」
「大丈夫?」
イヴが至極真面目な表情でそう訊くと、ケーナズは苦笑いを浮かべた。
そう、だって彼は勝負事は別人のように熱くなるから。
「ああ、じゃあ、アドバイザーにセレスティさんに同行してもらえるように頼もうか? あの人はなんせ握り締めた1ドルを元手に一夜でリンスター財閥の創設資金を稼いだ人だから」
『ラスベガスですか。それは面白そうですね。ええ、かまいませんよ。それにルクセンブルク氏にはちゃんとお目付け役も必要ですしね。なんせ、彼は勝負事となると、ね』
くすくすと笑いながら、携帯電話を切ると、ケーナズが不思議そうな顔をしていた。
「何を笑っているんだい、イヴ?」
「いいえ、別に何でもないわ。それよりも、セレスさん、大丈夫ですって」
「そうか」
そしてイヴは彼に抱き寄せられるままに彼の胸に顔を埋めた。
胸元が大きく開いた挑発的な黒のイブニングドレス。胸元から覗く胸の谷間をより飾るように豪奢なダイヤのネックレスを身につける。髪はアップして、散りばめた宝石で飾った。折れそうなほどに細い手首にもいくつもの煌びやかなブレスレットをつける。イイ男を二人も連れて歩くんだから、イヴだってそれなりに身繕いしなきゃならない。これはこれで苦労するものだ。
「ほお、今夜のイヴはいつもよりもまた一段と綺麗だよ」
「確かにイヴ嬢。今宵のあなたはとても綺麗ですよ」
二人のイイ男に褒めちぎられるのはいい気分だ。苦労のしがいもあるというもの。
ケーナズもセレスティも最高級のブランド物のスーツを着込んでいて、いつもよりもイイ男度がアップしている。
「それではイブ」
「イヴ嬢」
右手をケーナズ。
左手をセレスティに紳士的に取られる。
「「参りましょうか」」
「ええ」
にこりと二人に微笑んで、イヴは瞼を閉じる。
異世界召喚能力を利用したテレポーテーション。
そして、三人は一瞬で、ラスベガスのカジノの前に立つ。
「うわぁー、すごいわね。なんか興奮してきたわ♪」
「ああ、私もだよ、イヴ」
などと、眼鏡のフレームに手を伸ばそうとしていたケーナズにイヴとセレスティが同時に突っ込む。
「ケーナズ。必要以上に熱くなっちゃダメよ」
「あなたは勝負事になると別人になりますからね」
「ひどいな」
三人はけたけたと笑った。
だけどその心配が3時間後に本当になるとは、その時は想ってもみなかった。
セレスティはスロットに。
ケーナズはポーカー。
イヴはルーレットに行った。
ルーレットが回る音。
チップがいったりきたりする音。
人々の一喜一憂の声。
イヴはそれらを心地よい子守唄のように聞きながら、ディーラーに勝負を申し込む。
「これはかわいいお嬢さんだ」
「よく言われますわ」
そう言うと、彼は顔を綻ばせた。
そしてどこか目に鋭い光を宿らせて、
「お嬢さん、あなたのようなかわいい人は勝負事には熱くなってはいけませんよ。あなたとベッドの上で一夜のダンスを踊りたいと望む男は山ほどにいるのだから」
「そうね」
イヴは下唇に右手の人差し指をあてて、くすりと笑ってやる。どうやらもう、勝負は始まっているようだ。ディーラーの心理攻撃。だけどそんなもので揺らぐような彼女じゃない。
そして勝負は・・・
「おお、また、お嬢さんの勝ちだ」
「やった♪」
イヴは自分の前に持ってこられるチップの山に手を打ち合わせて、喜んだ。そしてそのチップの山を持って、席から立ち上がる。
「おや、お嬢さん。勝ち逃げですか?」
そんな挑発にイヴが乗ると想って?
「ええ、そうですわ」
「やれやれ。本当に手強い人だ」
肩をすくめるディーラーにイヴはくすりと微笑んだ。
スロットのところには人の山ができていた。
「やってるわね、セレスさん」
スロットマシーンの前に座るセレスティの足下には、コインの山。
「すごすぎですね、セレスさん」
「まあ、こんなものは・・・」セレスティはそこでひどく悪戯っぽい笑みを浮かべて、イヴに囁いた。「タイミングをつかめば簡単ですよ。いいですか、イヴ嬢。スロットのタイミングはね・・・・」
イヴはセレスティに教えられたタイミングでスロットマシーンを操作していく。
そしてその結果というやつは・・・
「すげーなー、この二人」
というギャラリーの声が示すとおりに、ぼろ勝ちだった。
不可能?
そんな文字は彼の辞書には無い。
その男、大胆不敵にして、物腰は冷静沈着。ただ明鏡止水の如くその心根は静かに。そして時に烈火の如く熱く激しく・・・故に冷たく。
その美貌は金属を削って作った精緻な彫刻かのように。金属の結晶めいた永遠に失われぬ美と冷たさ。
神が彼に与えた特権は地上への移住権だけではなく・・・
「フォールド」
セレスティはフォーペアなのに、勝負を降りた。
イヴはとても不思議そうな顔。
「どうしてセレスさん、降りるんですか?」
セレスティはクールに微笑みながら、肩をすくめる。
「ちぃ」
と、相手の女は下品にも舌打ちした。相手のカードはストレートフラッシュだ。
そして新たなカードが彼に配られる。
イヴは顔色を変えた。セレスティのカードは今度はワンペア。
だけどセレスティは、
「1枚チェンジ。レイズ10枚」
「フォールド」
イヴはわずかに驚きに開いた口を手で隠した。なぜなら相手のカードはフォーカードだったからだ。
(ワンペアで、フォーカードに勝っちゃった)
セレスティはただクールにポーカーフェイスを浮かべる・・・いや、少し苦しそうな表情を浮かべる。手元にはA、10、J、Q、Kのカードが並んでいるのに。
そして・・・
「コール。フルハウス」
相手が得意げにコールするが、途端にセレスティはとても意地の悪い笑みを浮かべ、
「コール。ロイヤルストレートフラッシュ」
セレスティは悔しがる相手ににこりとただクールに微笑んだ。
「さあ、もう一人、カードをしているケーナズはどうでしょうかね?」
イヴとセレスティは、ケーナズがいるポーカーの場所にいった。
しかし、彼は愛するイヴにも気づかないほどに、勝負に真剣になっていた。
「3枚チェンジ」
「「・・・」」
イヴとセレスティはケーナズのカードと彼の言葉に思わず表情を失ってしまった。
ポーカーの本当の勝負とはセレスティが見せてくれたようにはったりのかけあい。なのにワンペアの彼は馬鹿正直に3枚チェンジして・・・。
「どうやら完全にルクセンブルク氏は我を失ってるようですね」
イヴは顔を片手で覆い隠しながらため息を吐いた。
そしてその勝負はやはりケーナズの負け。
「イヴ、セレスティさん、コインを貸して」
まるで下手なドラマのダメ夫のようにケーナズはイヴとセレスティからコインを借り受けた。
その時にイヴはケーナズに落ち着きなさい、と囁く。どうやらそれが良かったようで、彼は、ワンペアであるが、
「1枚チェンジ」
と、はったりを注げた。
さらには彼はワンペアの分際で、
「レイズ15枚」
「「・・・」」
イヴはセレスティに耳打ちする。
「セ、セレスさん、どう想いますか?」
「ま、まあ、これほどはったりをかませば・・・」
「フォールド」
イヴはほっと胸を撫で下ろす。さあ、ケーナズ。もう充分でしょう、と。
だけど彼は、
「次、行きましょう」
ケーナズ、あなた・・・。イヴは固まる。
ケーナズはそんな彼女の様子には微塵も気づかずに、カードをチェンジしている。
「セ、セレスさん・・・」
「まあ、黙って見てましょう」
ふふんと、セレスティはとても嬉しそうに言った。
確かに人が悔しがる姿大好きのイヴだけど、だけどそれが身内なら話は別だ。ったく、もう。ケーナズは本当に勝負事には人が変わる。
「レイズ10枚」
フォーカードでケーナズは言った。
「フォールド」
相手が降りる。コインがケーナズの下に。
ひょっとしてケーナズって強い?
というか、わたしが幸運の女神♪
イヴは浮かれる。ケーナズ、ほくそ笑む。しかし、セレスティは形のいい顎に握り締めた拳をあてて目を細めた。なんとなく思案顔。
そしてそこから相手の逆襲・・・いや、作戦が本格的に始動した。
「リレイズ20枚。・・・・・・・コール。スリーカード」
ケーナズは負け始めた。もはや彼は熱くなりすぎて、誰の声も届かない。
そして、
「レイズ20枚」
って、うわぁ、ケーナズ。あなた、また・・・。
イヴは慌てる。
セレスティはそっと彼女に耳打ちする。
「大丈夫ですよ、イヴ嬢。彼はストレートフラッシュ。その手に勝つなら、相手はロイヤルストレートフラッシュしかないんだから」
と、セレスティがイヴに耳打ちした瞬間、
「リレイズ100枚」
相手は持ちコインすべてを賭けて・・・
そして・・・
「くそが。おまえら、二人で何ができるものかよ? いいか、おまえら、こいつらを殺すなよ。男どもの前で女を全員でまわしてやってから、手足を切り刻んで野良犬の餌にしてやる」
ケーナズの相手であったマフィアボスの屋敷に連れられていった無一文の三人は、銃口を突きつけられる。
ケーナズとセレスティの陰に隠れていたイヴ。
別に怖くはない、こんな奴ら。
だけど・・・
「やれやれ。どうしようもないわね、まったく」
イヴは髪を掻きあげながら、笑う。
このわたしの肌に触れていいのは、ケーナズだけよ。
そしてマフィアのボスに勝負を持ちかける。
「もう一度勝負をしましょう。お互いのすべてを賭けて」
マフィアのボスは眉根を寄せる。
イヴは薄く笑う。
「賭けは簡単な二択。そうね。このコインの裏か表で決めましょう。負けた方は勝った方に自分のすべてを渡す。わたしが負ければわたしは一生あなたの下でコールガールでもなんでもするし、この二人をブラックマーケットに売ればいい。だけどあなたも、あなたが負けた場合は、すべてをわたしに差し出してもらう。あなたの全財産、マフィアファミリーのボスの地位も。どう?」
どう? と、イヴは訊いたけど、周りに部下がいる以上、ボスである彼がこの勝負を断れるわけがなく、そしてもはやその勝負はだからイヴの勝ちだった。
ケーナズはイヴのやろうとしている事の意図がわからずに戸惑うが、セレスティはふっとクールに小さく微笑んだ。
「わ、わかった。やろうじゃないか」
「OK。それじゃあ、あなたが賭けて」
イヴは飛びっきりの小悪魔めいた微笑を美貌に浮かべてやった。
「どうして勝てたんだ、イヴは?」
ケーナズは首を傾げる。
マフィアファミリーのボスの安楽椅子に長い足を組みながら座るイヴはただ彼に微笑む。
「今春に上映されるわたし主演の映画を見ればわかるわよ」
ウインクされたケーナズは苦笑い。
そしてセレスティに視線を向ける。彼は、苦笑しながら肩をすくめて、
「チャーリー・ディックスの法則、ですね、イヴ嬢」
「ええ。さすがはセレスさん」
イヴは足を組み替えて、ケーナズに微笑む。
「今度、わたしが主演する映画の主人公はね、天才女ブッキ―(胴元)なのよ。その彼女は賭けの答えが二択で確立が正確に50%なら、どんな賭けでも次の『2つの条件』をのめばうけるの。それは・・・」
1 賭けを申し込んだものが負けるとほとんどのものを失うほどの打撃を与える金を賭けること。
2 賭けを申し込んだものが、赤なら赤、表なら表と宣言すること。
「いい、ケーナズ。人間すべてを賭けて追い詰められると迷いに迷ったあげく、必ず間違いを選ぶのよ。そう、それはまさに100%の敗北・・・地獄の法則なのよ」
机に座るケーナズは肩をすくめて、前ボスが大事に隠していた最高級のワインを孕んだグラスを揺さぶると、それを前方の空間に出した。
そしてイヴとセレスティもそれに倣って、グラスを前に出して、ぶつけた。
奏でられたガラスの打ち合わされたメロディーに合わせて三人は謳う。
「ソマリア・ファミリーに幸あれ」
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