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<東京怪談ノベル(シングル)>


和紙とお庭と夕暮れと

 京は和紙の色に似ている。
 和紙の手触りに似ている。
 温かさと寂しさを兼ね備えた色調。その色はとても優しく、私たちの目を楽しませてくれる。
 そしてありのままの起伏は、便利さを追求し本当に大切なものを削ぎ落としてしまう現代とは違い。確かな存在感と光の加減による見事なコントラストを保っていた。
(私は京都が好きだ)
 和紙と同じくらいに。
 だから和紙を買いに京へやって来れることは、私にとって二重の喜びだった。
 ひとり日本独特の寂しげな色調の中を歩いていると、不意に心細くなったりもするけれど。そんな時はその色の中に隠れた懐かしさを思い出せば、自然と顔が綻んでくる。
 ひとり旅は気楽だし、ゆったりと時間の流れや風景を満喫することができるので、私が京へやってくる時は大抵ひとりなのだった。



「――よーし、これくらいでいいかな?」
 好みの柄の和紙を選び出すのに、ずいぶんとかかってしまった。時計を見ると、もうすぐ17時を回ろうとしている。
(わ、もうこんな時間かぁ……)
 そろそろ行かなきゃ。
 私は店員さんに「またよろしくお願いします」と挨拶をして、馴染みの店をあとにした。
 旅館へと向かう足が自然とゆっくりになってしまうのは、きっと京が名残惜しいからだろう。
(でも授業もあるし、資金もそんなにないから……)
 残念だけれど、明日にはもう帰らなければならないのだ。
 日本の伝統文化を噛みしめるように、私は一歩一歩歩いた。
 ――と。
(あら……?)
 路の脇に小さな門が見えた。どうやらお寺のものらしく、奥には建物が見える。
 気がつくと、私の足はそちらに向いていた。
(なんて素敵な所なのかしら)
 門をくぐると、その小さな門からは想像もつかないような、大きな松の木が出迎えてくれた。見ただけで、その木がただではない年月を生き抜いていることがわかる。それほど木に刻まれたしわは深かった。
 そのまま足を進める。
「――おや、いらっしゃい。少し休んでいかれませんか?」
 向かっていた建物の中から顔を出した住職さん(格好でわかる)が、そんな声をかけてくれた。
 私はそちらに向かいながら。
「いいんですか?」
「ええ、もちろん」
 私は嬉しくなって、さっきとは逆に早足になった。
「こちらへどうぞ」
「あのっ、お庭は見られますか?」
 日本が誇る伝統美のひとつに、庭園の自然美というものがある。もしこのお寺にもお庭があるのなら、私はぜひ見てみたかったのだ。
(門のとこの松が素晴らしかっただけに)
 期待は膨らんでいた。
 瞳を輝かせて問う私がおかしかったのか、住職さんは少し笑って。
「縁側にお席を用意させましょう」

     ★

 手元にはお抹茶、そして伝統的な焼き皿に載った和菓子。
 それらをさらに美味しくしているのは、言うまでもなく目前に広がる景色。
(なんて豪華なの?)
 この建物――お座敷自体は非常に慎ましく、華美な調度品など何一つない。けれどそれは逆に、このお庭の自然の美しさを引き立たせているように思えた。
 門の後ろにあった松も、ここから見たのではまったく違う。迫力のある幹の曲がり方に、私は”わび”の美さえ感じた。
 そして驚いたことに、ここには松竹梅すべてが揃っている。それはまさに、私が描きたい日本画の世界だった。
(これはホントに、現実なの?)
 そんな戸惑いさえ浮かぶ。
 もしかしたら今私は、日本画の中にいるのではないか。
 少なくとも、ここは私の知る”日常”ではなかった。
 お抹茶を口に運びながら、なんとも言えない解放感を噛みしめ。そしてやがて日常に戻る私と、旅行が終わってしまうという寂しさを感じていた。
 木々はまるで紅葉のように、朱く染まり始めている。それを先導しているのは――もちろん空だ。
 その色はやがて私の顔色まで染めて、世界を優しく塗りつぶしてゆく。
(この朱も、和の色よね)
 私は思う。
 たとえどの国から夕暮れの空を眺めても、日本の夕暮れほど美しいものはないだろうと。
 それは日本の、それこそ庭園や家屋が、夕暮れにとても映えるようできているからだ。
 あんな黒いだけのカラスですら、夕暮れの朱にまぎれれば芸術へと変わってしまう。
 温かい情景に、変わってしまう。
(――明日から、またがんばろ)
 私もこの美しい夕暮れに、羽ばたけるように。
 さきほど買った和紙を1枚取り出して、私は1羽のカラスを折った。
 和紙とお庭と夕暮れと。
(私が伝えたいものすべて)
 この瞬間ここにある。
 だから私は顔を上げて帰ろう。
 いつかこの景色を、描き出すために。




(終)