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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


Beast and Princess

 ――深い絶望の中に彼はいた。
青年と呼ぶには年若い、スラリとした顔立ちの少年。その表情は青ざめ、今にも倒れそうだった。手には、ついさっきまで自分の足にすり寄ってきた子猫が、既に命の鼓動を失って冷たくなっている。
 黒崎・狼(くろさき・らん)。それが少年の名。
 だが、彼の名を呼ぶ者は殆どいない。
 皆、彼と関わり合いになるのを怖れているからだ。彼の背負う『死』の気配に。
 それ故に彼もまた、他人との関わりを怖れて、あちこちをアテもなく彷徨う日々を送っていた。

 だが。

 今、少年の足が止まる。
 広大な敷地を有する屋敷の前。まるで何かに惹かれるように誘われる。
 不思議な感覚に、狼はその衝動を抑えきれなかった。
 思わず広げた黒い翼。殆ど無意識に壁を乗り越え――そこで見たのは、様々に咲き誇る花達。季節感を無視した、色とりどりの幻想空間。
 なにより、ここは『生』の気配に満ち溢れている。
 その証拠に、普段なら自らが黒翼を広げれば、呪われし力の影響で瞬く間に枯れゆく筈なのに、ここの花は枯れるどころかなおいっそう瑞々しい。まるで自分に力がなくなったと錯覚する程に。

 だから。
 彼は、その場所で心穏やかに安らぐのだった。



 そびえ立つ大きな菩提樹。
 屋敷の花園の中心にどっしりと根を下ろすその大樹は、まるで他の花達を見守っているよう。その太く張り出した枝の上が、狼のお気に入りの場所になっていた。
 足繁くこの屋敷に通い、菩提樹に包み込まれるようにうとうとと眠りを誘う空間で、彼は今まで生きてきた中で初めての安らぎを感じていた。
「……不思議だな。どうしてここは――」
 ポツリと零れた呟き。
 どうしてここは、こんなにも生気に満ちているんだろう。
 胸中の疑問に答える者は、ここにはいない。或いは、菩提樹に問い掛ければ答えが返ってきそうな気もするが、生憎狼にそんな能力はなかった。
 ――あるのは、ただ人を死に至らしめる、この血のみ。
 思わず自虐的な事を考えてしまい、自嘲が口元に浮かぶ。
「ま、どうでもいいか」
 言い捨て、また再びうつらうつらと眠りの海に誘われようとした。
 ふと。
 微睡みの意識の中、僅かに異質な気配が琴線に引っ掛かった。
 敵意を抱く者ではない。それだけは判る。
 だが、普通の人間にしては、感じる気配があまりにも異なっていた。確かめようとして、思わず身を乗り出しかけたところで、狼はこの場所が菩提樹の上であった事を思い出す。
 が、時既に遅し。
 気を抜いた拍子に、彼は真っ逆様に地面に落下していった。
「うわぁ――――ッ!?」



 少女は、驚きに口元を覆った。
「うわぁ――――ッ!?」
 叫びを上げて、彼女の目の前に落ちてきたのは、犬猫の類ではなく。
「……まぁ」
 整った顔立ちをした、ごく普通の少年だった。


 最近、庭の花達が気もそぞろにざわめいていた。特に怪しい気配もなく、花達も敵意ではなく歓迎の意で騒いでいたので、少女は特に気にしていなかった。
 何かあれば、花園の中心にある菩提樹が報せてくれるだろう。
 それに、敵意ある者がこの庭に入り込めば、『青薔薇さん』が追い払ってくれるものと彼女は思っていたのだ(注:彼女自身、青薔薇は撃退しているのだと信じているが、実は食べているのではないかというのが、周囲の人間のもっぱらの疑惑である)。
 とはいえ、さすがにこう毎日だと、少女としても気になるところ。
 だから、今日こそは、と思い立って庭の方に足を踏み入れたのだが――。


「……あのぉ、大丈夫ですか?」
 少女のか細い声が、柔らかく問い掛ける。地面に伏している少年は、気恥ずかしさのせいでなかなか顔を上げようとしない。
 ……他人の家に無断で入った事を、悪く思っているのかしら?
 自らしゃがみこみ、目線を少年に合わせるように。
 彼女はゆっくりと微笑みかけた。
「大丈夫ですよ。貴方が悪い人で無いことは、わたくし、ちゃんとご存知ですから」
 言われて、ハッとしたように少年は顔を上げた。慌てて顔や服に付いた汚れを手で払い、乱れた髪を急いで整え、そして――。

 二人の視線が静かに重なる。

 少女は思わず息を呑む。
 整った顔立ちに漆黒の髪。その隙間から覗く青い瞳。
 どれもが彼女の心を一瞬で掴み、決して放しはしなかった。まるで物語から出てくるような王子様のようで。
 ふと我に返り、少女は頬を赤らめる。
 見惚れてしまった自分を誤魔化すように、慌てて頬を押さえて俯いてしまった。



「あのぉ、大丈夫ですか?」
 言葉は、狼の耳を右から左へと容易く抜ける。それほどまでの衝撃が、彼の中に起こっていた。
 目を奪われる。
 正に、そんな言葉が相応しい。今の自分は、きっとポカンと馬鹿のような顔をしているだろう。こんな少女がいたのかと、狼は思わず頬を抓りたい心境だ。
 美しい銀糸の髪。流れるように肩へとかかる。
 深い緑の双眸。生い茂る植物達に囲まれた姫君に相応しい色。

 そして――――

「あの…」
「あ、いや、その……俺は……」
 ようやく届いた声に、狼は狼狽しっぱなしだ。
 普段の彼を知る者がいたら、さぞや面食らった事だろう。狼狽え、赤くなり、言葉もしどろもどろになる。そんな自分の様を、彼自身も驚いているところだ。
「大丈夫ですよ。貴方が悪い人で無いことは、わたくし、ちゃんとご存知ですから」
 柔らかく優しい声。
 それさえも、彼の意識を奪う要因の一つになる。
 ……まさか、一目惚れ?
 どう見ても10歳前後の少女に、いくらなんでもそれは……と思いつつ、だが、一目惚れとは少し違う感覚も彼の中にはあった。
 何が、というワケではない。
 ただ――。
「俺が悪い人じゃ無いと、どうして判る?」
 ようやく気持ちを落ち着かせ、ぶっきらぼうにそう尋ねれば、少女は一瞬キョトンとした後、それこそ咲き誇るような笑みを浮かべてこう言った。
「ええ。ここの花達が皆さん、貴方が来られると騒がしくなりますから」
「……騒がしく? 迷惑に思ってるんじゃないのか?」
 どこかキツイ口調になる。もはや習慣となっていて、直そうにも直せない。
 本当は、こんな強い言い方をしたくなかったのだ。
 だが、少女の方は別段気にした様子も見せず、ただニコニコ微笑むだけで。
「違いますわ。皆さん、貴方を歓迎してらっしゃるんですのよ」

 俺、を?
 この死に神の俺をか?

 思わず見開いた目には、汚れない純真な眼差しが映る。
 じいっと見つめていると、急に少女の方が耐えられなくなったのか、慌てて頬を押さえて俯いてしまった。

 不意に。
 胸の奥の方から何かが沸き起こった。
 初めて会った人間なのに。
 それは甘く、切ない……この感情は――――懐かしい?

「あ、あの」
「え?」

 視線が再び重なる。
 今度はお互い、まるで何かを探し求めるかのようにじっと見つめ、それだけが二人の意志をかわす唯一の手段。
 それはもしかすると――。
 狼は、ふと思いを巡らす。
 自らに流れる古の血。死を招くだけの獣。その影に怯えた過去。
 或いは自分じゃない、遥か遠い古の自分。その彼も、今の俺と同じように『力』に怯えて暮らしてきたのか。
 だからこそ求めたのか、彼女を――かつての彼女を。
 カラカラと。
 何かが廻る音がする。
 止まっていた時計の針が、カチコチと音を立てて動き始めた。

 時間が
        流れる

 ふんわりと、花の蕾が綻ぶような微笑を浮かべ、少女は彼を歓迎した。



 ――――以来。
 狼は、この花の屋敷にすっかり入り浸るようになった。
 ちなみにこの屋敷の名前は『常花の館』。四季折々の、あらゆる花が咲き乱れる庭園だという事だ。
 実はあれからすっかり意気投合した二人は、互いの名前を聞くのも忘れ、話に夢中になってしまった。結局、お互いに名乗ったのは、狼が帰ろうとした時である。

「そういえばまだ、お名前訊いてませんでしたわね」
 苦笑を零す少女に、狼もまた照れ笑いを浮かべる。
「ああ。そういえばそうだな。あまり……気にしなかったもんな」
 改めて自己紹介をする場面は、なんとも照れ臭いもの。
「じゃあ、まず俺からな。俺は黒崎狼。狼と書いて狼(らん)と読むんだ」
「狼さん、ですわね。それじゃあわたくしも」
 そう言った彼女は、恭しくお辞儀をした後でこう名乗った。
「わたくしの名前は橘・穂乃香(たちばな・ほのか)と言います。ふつつかな者ですが、これからよろしくお願いしますわ」
 名前を告げた瞬間。
 再び既視感が二人に過ぎる。
 だが、別段気にする事はない。自分たちは、自分たちなのだから。


 古き時代の物語は、果たしてどのような幕切れだったのか。
 今はもう思い出すのも栓のないこと。
 物語――出会いは、幕を開けた。
 後はただ、二人を見守るだけのこと。
 後悔の無きように。

 ―――これは、死神の獣と常花の姫君との新たなる物語の始まり……。