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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


風と地球とプラズマと


 大学の灯というものは得てしてなかなか消えないものだ。必ずどこかの部屋が明るいままに、深夜を迎える。それは私立第三須賀杜爾区大学にも言えることで、今夜もこの古いキャンバスの窓のいくつかは、明るいままなのだった。明るいまま、すでに午後9時をまわろうとしている。
 灯がともっている部屋のうちのひとつは、物理学研究室だった。
 狭い研究室の中には、ふたりの男がいる。山岡風太と彼の師、国光平四郎だった。研究室が狭いことには理由があった。講師にすぎないはずの平四郎が、元よりさほど広くはない研究室に、ガラクタ……もとい、自身が開発・発明した機械や仕掛けを置いているからだ。ふたりは研究室内の整理をしていたが、それら発明品には手をつけず、専ら資料や論文を片付けているのだった。
 というのも、平四郎が『紙のみを吸い込む掃除機』を開発、風太はその試運転に立ち合ったのだが、平四郎は己が作った発明品のスイッチを間違えた。結果、研究室の中の『紙のみが宙を舞った』のである。
「……このくらい片付けばいいんじゃないですか?」
 何とかかき集めた紙は結局『いるもの』と『いらないもの』に分別することになったわけだったが、風太は文句ひとつ言わずに書類をまとめて、ごきごきと首ならしをした。平四郎はメンタル面こそエネルギーに溢れているが、運動といえば毎日大学と自宅を往復するくらいなもので、午後7時あたりからすでにへたり込んでいる。
 いや、へたり込んでいると思っていたのは風太だけだった。平四郎は座り込んで、自分が書き上げた論文を読みふけっていたのである。
「ちょ……先生! もしかしてずっと論文読んでたんですか? ちょっとは手伝って下さいよ……」
「む? おお! すまん!」
 論文を放り投げ、平四郎は元気に立ち上がった。どうやらエネルギーは有り余っているようだ。風太は呻き声のような悲鳴を漏らしながら、平四郎が投げ捨てた論文を拾い集めた。
「もう粗方片付きました」
「そうか! 悪かったな」
「で、この論文は?」
 平四郎の調子にもめげないのは、風太と物理学教授くらいのものだ。付き合いが長いせいもあり、風太は平四郎に半ば心酔していた。慣れてみると、平四郎のペースもまた出汁のような魅力があるとまで思えてしまうのだ。
 風太は少しもめげずに、拾い上げた論文のページを正し、表紙をいちばん上に持ってきた。タイトルは『地球生命の原初エネルギーとそのベクトル』。相変わらず難解そうな代物に、風太は少しだけ苦笑した。平四郎の論文はいくつも読んだが、内容をまともに把握出来るものはひとつとして無かったのだ。
「随分古いですね」
 風太が言う通り、その論文は新しいものではなかった。窓側のどこかで忘れられていたのだろう、紙はすっかり日に焼けて、万年筆のインクもかすれてきてしまっている。ぱらぱらとめくって目を通してみると、やはり呪文のような文章が並んでいて、魔法陣のような図が書き込まれているのだった。
 ――こういうものが書けるだけでも、やっぱり凄い人なんだって思っちゃうよな……。
 風太はひとり頷きながら、その論文を『いるもの』の山に置いた。
「ああ、それは要らん」
「え! いらないんですか?」
「確かそれは我輩が21のときに書き、教授に提出したものだ。まあ、今の教授とは違う人物なわけだが――フッ。彼奴の脳では理解できなかったとみえる」
 胸を張って言う平四郎に、風太は詰め寄った。
「こ、これ、21歳で書いたんですか?!」
「いかにも」
「俺、こんなのとても書けない……」
「おう、きみは今21であったな」
「そうです。……やっぱり先生は凄いです!」
「はっはっは、何を今更!」
 後ろに倒れそうなほどに胸を張る平四郎に、風太はササと湯呑みを差し出した。実は1時間前、息抜きに淹れた茶だったが、平四郎は文句を言わずぬるい緑茶を飲み干した。
「で、どんな内容なんですか?」
 訊いたところでわかるだろうか、とは風太も思ったのだが――『原初』という言葉に興味があり、とりあえず尋ねてみた。平四郎は腕を組み、咳払いをしてから、
「うむ、それはだな、地球の〜=|IKLb9%$2」(U)IOjn@$742で〜hjkhxf%$343|〜によるところの'&3445e¥を――」
「わ、わわわ、ち、ちょっと待って下さい!」
 ……呪文を唱え始めた。風太は慌てて言葉を遮り、謝ってから、手を合わせた。
「俺にもわかるように話して下さい」
「ええい」
 平四郎はうんざりしたような溜息を漏らしたが、ここで話を切り上げるのは、風太や教授以外の人間に対してだった。風太がこう懇願すると、不思議と平四郎はそれに従うのだ。
「地球に生命が誕生した原因には未だに確証が無い。そしてその原初の生命が、如何にしてヒトへと進化を遂げたのかも、実のところは真実の全体の3%も解明されていないのだ。だが我輩はその謎を、プラズマを以って解明している! その論文は、我輩のその完璧な論理をしたためたものだ。――まあ、21で書いたものだ、語彙が乏しく見苦しいな。時間があれば書き直したい」
「へえ……プラズマ……」
 平四郎は何かにつけてプラズマを持ち出してくる癖がある。というよりもプラズマ信者だ。国光平四郎の中ではプラズマが神で、全知全能であるらしい。
「原初の生命か……」
 風太は黄ばんだ論文の表紙を撫でながら、ふと、自分が何故『原初』という言葉に惹かれたのかを理解した。
 先日、原初の夢をみていたのだ――


 生まれたばかりの、煮え立つ地球が宇宙にあった。風が吹き、煮えくり返った地球の表面に、ゼリー状とも固形ともつかぬ塊が降り立った。その存在が息をつき、地球のまわりが、灰色と青の不安げな色に包まれていく。それは――雲と、後々生まれる生命たちが呼ぶものだ。
 ざあ、と雨が降った。地球の表面から、水蒸気が上がった。その音と蒸気が、次々に地球へ大いなるものを呼び寄せたのだ。
 遥かヒヤデスから、宇宙の中心から、他の宇宙の生命たちがみる夢の中から、形も持たず、ただ力だけを持つ存在が飛来した。凍てついた惑星からも、奇妙な風体の菌類が、誘われたかのように地球に立ち寄る。原初の地球に、力は降り注いだ。触手とも髭ともつかぬものがのたうち、まだ熱い地球の表面を撫でる。地球が悲鳴を上げて、怯えて震えた。雨によって冷えた地域に、蠢き始めたものがあった。飛来したものたちの身体から剥がれ落ちた細胞が、独自の生命を持って生き始めたのだ。地球は海と火山を作りながら、なおも煮え立ち、気が遠くなりそうなほどの年月が経った。いくつもの生命が、いくつもの原始的な文化を作り、そして滅びていった。
 地球は呼び寄せ続けた。そのうち、形容し難い姿の生物が地球にたどりつき、南極の辺りに集落を形成すると、気まぐれのように生物を生み出していった。そのうちのひとつが――テケリ=リと鳴き喚き、さらにまた別のものが――とにかく増え続けようとする鼠のようなものであった。何の造作もなく生命を生み出していったその種族も、やがて自らが生み出した生命によって滅ぼされていった。
 触手と翼は、未だに地球を撫でているのだ。
 そしてそのとき、光が瞬いた。太陽とは別の、太陽よりも明るく強い光だった。光は地球にまとわりついたものたちを放り投げるか、地球の奥底にねじ込んだ。それきり、地球は恐怖を忘れた。長いこと、忘れることが出来たのだ。
 鼠のようなものが二足で立つようになるまでは。
 いま地球はまた、震えているのだ。
 地球は自ら変わったわけではなかった。変えられていたのだ。星を玩具に、宇宙の中で生きている、かのものたちはおそらく――
 生み出されたものにとっては、『神』なのだろう。


「本当に、プラズマなんでしょうか」
「む?」
「本当に、プラズマが地球の生物を作ったんでしょうか」
 いつになく真剣で、また真っ向から自分の説を否定する風太に、平四郎は珍しく唖然とした。これまで風太が平四郎に反論することなどなかった。平四郎はそれに興味を持って――口をつぐみ、風太の説を聞きに入った。
「宇宙のどこかから、生物をつくることなんか息するのと同じくらい何でもないっていう何かがやってきて、地球を冷やして、地球を変えて遊んだりしてたんじゃないでしょうか。自分の言いなりになりそうな生物とか、食べ物になりそうな生物とかを作って、ここに住んでたんじゃないでしょうか。太陽からの距離もちょうどいいし――」
「……」
「自然が、自然に生まれたなんて、俺にとっては不思議なことです。誰かが何もしなかったら、きっと地球は火星とか金星みたいな姿だったんじゃないかって、思います。だから人間なんかには、自分たちが生まれた原因を見つけることができないんだ」
「『神』がいると?」
「……きっと」
「神などいない」
 平四郎は腕を組んだままにやりと笑い、一言、そう言った。
「いるとしたら、いると思っている人間の頭の中にいる。人間の頭の中と言うのもひとつの次元と言って差し支えは無かろうが、我々が生きているこの次元にはどうだ? ゼウスやアッラーは実際に現れたのかね? 物質という形を取って」
「あ……いや、その……」
「我輩が考えねばならないのは、この世界の定義だ。いつかプラズマを用いて、『生命の定義』を見つけてみせる。そのとき、そうだな、人は我輩を『神』と呼ぶやもしれんな」
 平四郎はがりがりと頭をかきながら、空になった湯呑みを流しに置いた。
 もうすでに、時刻は午後10時をまわっていた。
「あの、でも、そしたら、先生――先生にとっては、プラズマが『神』なんじゃないですか?」
「全能の存在が『神』であると、誰が決めたのだ」
「あ、……そうか」
「この問題についてはまた後日話し合おう」
 うむ、と平四郎は上着を取った。ついでのように、風太の鞄とパーカーも取る。
「……すっかり遅くなっちゃいましたね」
「我輩はこれから自宅で、『紙のみを吸い込む掃除機』の調整に入る。今日の実験で何かを掴んだ」
「いやあの、スイッチを『吸』と『出』間違えただけだったんじゃ――」
「否! 更に深く大きな問題がそこにはあるに違いないのだ!」
 どうやら地球と神よりも、平四郎は己の創造物の方が興味深い研究対象であるようだ。風太は苦笑したが、そのときにはすっかり、先日見た夢を『夢』だと片付けていたのだった。
 ――そうさ、ただの夢だ。俺の中の次元の歴史なんだ。誰も、あの地球がこの地球だとは言ってないんだから――
「風が強い」
 大学の外に出た平四郎の第一声はそれだった。
 分別した書類の束のうち、『いらないもの』を抱えて――風太は平四郎と別れたのだった。

 私立第三須賀杜爾区大学の灯が、ひとつ消えた。
 今やぼんやりとした光を放っているのは、付属図書館の一室だけになっていた。




<了>