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<東京怪談ノベル(シングル)>


片道切符


 パソコンの電源に手を伸ばしたのだ。もう、何日ぶりにそうしようとしたかはわからなくなっていた。ともすれば数週間ぶりかもしれない。いつの間にか夏は終わっていた。そしてパソコンのローンはまだ終わっていない。たがともかく、冷房が必要ない季節になってきたのは喜ばしいことだ――じきに暖房が必要になる季節が来るが、幸いだるまストーブは健在だ。
 神谷虎太郎は、来客がなければパソコンの電源を入れていただろう。ローンがまだ終わっていないノートパソコンは、うっすらと埃をかぶり、少し似つかわしくない木製のカウンターに在ったのだった。
「――いらっしゃい」
 虎太郎は微笑んで、パソコンから手を離した。骨董品屋『逸品堂』の寂れたドアが開いて、ひとりの男性が入ってきたのだ。

 その男は見た目も実際も年齢不詳で、くたびれた若者にも、若々しい壮年にも見えるのだった。虎太郎も、面白がってわざと年齢を聞かないでいる。謎は謎のままにしておいたほうが面白い。ミステリーサークルのほとんどが人の手とプラズマによるものだと明かされたとき、虎太郎はふて寝した。
 年齢不詳のその男は、都内で刀商をやっている。幾振りもの刀を、虎太郎はこの男から安く譲ってもらっていた。そのわりには、売場に刀の姿がないと、男からは苦笑いを向けられるものだった。
「お久し振りです。春にお会いしたきりでしたね。……今日は、どうしました」
「なあ、礼はする。力を貸してくれ、あんた、何でも屋だろう」
 唐突にそこまで言われた上に手を握られ、じっと目を覗きこまれては――虎太郎も話を聞く前に、首を縦に振るより他はなかった。


 ――その刀はな、無銘なんだが、面白い曰くがついててな。
 ――さる家に死蔵されていた。結構古い家なんだ。
 ――何でも、才能ある駆け出しの刀鍛冶が、親方にだまって打った一振りなんだそうだ。
 ――刀は割合すぐにその辺の侍が買い取ったらしいんだが……
 ――その刀は、どう頑張っても抜けなかったそうだ。
 ――刀を鞘から抜けたのは、打った刀鍛冶だけだったと。
 ――粗悪品を掴まされたってことで、刀鍛冶は侍から咎められた。
 ――若い鍛冶屋がどうなったのかは話す気にもならんよ。
 ――ともかく、その刀には造り主が憑いてるって話だ。
 ――多分、実際に起きた話に尾ひれがついてたんだろうな。刀は俺でも抜けたよ。ぞっとしたね。……刀身、さっぱり錆びちゃいなかった。まるでずっと誰かが砥いでたみたいに、ぎらぎらしててな。
 ――で、……どっかに行っちまった。
 ――どっかに行っちまったんだって。
 ――持って帰ったはずなのに、車の中から消えてたんだ。
 ――車を運転してて、ちらっと見ちまったしな。
 ――何って……
 ――若い刀鍛冶だよ。麻の作務衣を着ていたんだ。


 消えてしまった無銘の刀は、きっとふらふらと外の世界を見てまわっているか――或いは、犬のようにもと居た場所に戻ろうとしているか。どちらにせよ、雲を掴むような話だ。
 特に急いでいるわけではない、と依頼人兼知人は言った。ただけして安くはない金を払ったから、このまま諦める気にもならないのだと言っていた。
 虎太郎は涼しくなり始めた外に出て、力になってもらえそうな友人知人の家を渡り歩いた。道すがら大きなヤスデを踏み潰して、わずかばかりの不快感を抱いた。
 自分はいつもと同じような動機で動いているのだと、虎太郎は改めて考えた。思えば、今年はなかなか強烈な夏で――夏が終わった今でも、その記憶はかすれずに、いつまでも虎太郎の脳裏にら影を落とすのだ。そんな強烈な夏をもたらしたのは、月刊アトラス、その中の特集記事、それを書いていた記者――
 潰れたヤスデを軽く蹴飛ばし、溜息をついたところで、顔色の悪い友人が自室から戻ってきた。
「こいつを持って行け。有り難い文句を書いておいた。性根が腐ったやつでない限りは、これで成仏する」
「もし性根が腐っていたら?」
「南無阿弥陀仏とでも言っておけ」
「……どうも」
 虎太郎は苦笑しながら有り難い札を受け取ると、空いた友人の手に万札を3枚ほどねじ込んだ。
 持つべきものは、友であった。


 友人が札を書いてくれて、知人が刀の在り処を占ってくれた。
 急ぎの依頼ではないのに、虎太郎はこの仕事を早くに済ませたかった。早く済めば済むほど、あの刀商は喜ぶだろうし――自分も「明日こそは解決だ」と誓いながら布団に入らずに済む。
 刀は、刀商がそこで買いつけたという、ある旧家の庭に落ちていた。或いは、転がっていた。ともかく、蔵の裏にあったのだ。広い庭の中にある蔵の周りには、手入れが行き届いていなかった。まるで山中の河川敷のように、ススキが生い茂り、低木の枝が伸び放題になっていた。
 ――これは……わたしの……刀なのだ。
 囁くような、声のようなものを、虎太郎は聞いた。目をすがめて、念の為に携えてきた脇差の柄に手をかける。
 ――他の誰のものでもなく……わたしの……ものなのだ。
 粗末な作務衣を着た若者が、そこにうずくまっているのだった。彼は刀を抜くでもなく、立ち上がるわけでもなく、玩具を親に取り上げられまいと頑張る子供のように――刀を抱えてうずくまっているだけだった。
「いや、その刀はもう……」
 私の知人のものなのですよ。
 虎太郎は思わず呟いた。刀に自ら魂を縛りつけた刀匠の卵には、その言葉も届かない。かれは見えるけれどもそこにいない。虎太郎は触れることも慰めることも斬り捨てることも出来ないのだ。
「あなたは刀匠ではなく、芸術家であったのです。刀匠の刀は他人の為に打たれて、砥がれる。あなたは、自分の為に刀を打つ、芸術家であるべきでした」
 若い男は、抜き身の刀と、鞘をしっかり抱えていた。
 だが現実には、誰もその鞘と刀を持ってはいないのだ。
 虎太郎は手を伸ばし、容易く鞘を掴み取った。
「迷っているのなら、お手伝いしましょう。わたしが得意としているのは――ひとに、引導を渡すことです……」
 鞘に札を巻きつけて、虎太郎はまたしても容易く刀を掴み取り、するりとその刀身を鞘に収めていった。

 ぱ、
 ちん。

 空に昇っていく白い欠片には、見覚えがあった。
 若い刀鍛冶がどのようにして死んでいったのかは、あの刀商から聞き出さない限り、虎太郎が知ることもない。虎太郎は、聞き出すつもりがない。湿った話は、身をもって体験するものだけでたくさんだ。
 愛刀備前兼光は、店に置いてある。
 あの刀を現代の『蟲切丸』として、依頼人兼知人の刀商に売り飛ばしてしまおうかと、一瞬ながらも虎太郎は考えた。もうあの刀を抜く気にならないのだ。あの刀は――抜けない刀になった。
 ――やれやれ。
「呆れた性分です」
 自分は、この鞘に張りつけた札では成仏できない、性根の腐った人間だ。友人を殺しておきながら、困っている友人を助ける。虎太郎はそうして自分をこてんぱんに責めたてた。鞘に巻かれた札が切符に見えた。それは、閻魔が待つ地獄行き、三途の川経由。だがそう考えながらも、これが自分なのだと割り切っていた。
 死んでいった友人を忘れるつもりがない点くらいは、誉めてもいい。
「――南無阿弥陀仏」


 パソコンの電源に手を伸ばしたのだ。もう、何日ぶりにそうしようとしたかはわからなくなっていた。ともすれば数週間ぶりかもしれない。
 ローンがまだ終わっていないノートパソコンは、うっすらと埃をかぶり、少し似つかわしくない木製のカウンターに在ったのだった。
「――いらっしゃい」
 虎太郎は微笑んだ。骨董品屋『逸品堂』の寂れたドアが開いて、ひとりの男性が入ってきたのだ。
 すでに手が、パソコンのスイッチに触れていた。
「何とかしておきましたよ」
 そして、立ち上がるOSに一瞥をくれてから、笑顔で傍らの刀を差し出すのだった。




<了>