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記憶
<オープニング>
おそろしく装飾的な文字でClosedなどと書かれていても解からぬ輩は多いだろう。むしろ解からなくなってしまう輩を作り出すのがこういった店の仕事だ。この店の不運は、閉店の看板がそういう物であったかどうかとは関係無く、店長の意向も開店閉店を問う事さえしない者二人が、これからこの店に訪れるからである。
奇妙な事例だった。その「人形」は犯罪者に「成り代わり」全く同じ様に犯罪を続け、全く同じ失敗をして、おそらくは全く同じ破滅の仕方をした。しかし真相は闇へと消えた、犯人が人形でしかなかったが故に。
吉川彰文はまだ来ていない。IO2も、障壁に人を晒す事も忌避すべき物事なので普段なら待ちはしないが、「人形」問題の解決にはDADとの接触が必要である。
怪訝な面持ちではあるが吉川の事も知るのか店長は何も言わず、だがその眼球運動から推してこの場違いな客の「目」を気にしているのは明白。すると彼も知っているのだ……。
無口な店主に淡い琥珀色に溢れたマグカップを差し出された時、ササキビクミノはそれが自分のためのものだとは思わなかった。
「よろしければどうぞ」
押し付けがましさのない店主の顔とマグカップを見比べたクミノは、緩く頭を振った。
「わたしは客ではない」
すると、クミノの言葉を吟味するように一時沈黙した彼は、ややあってから言葉遣いを変えた。
「理由はどうあれ、この店に来た人間をもてなすのは店側の義務だ」
僅かな融通の利かなさを見せた店主はそれ以上クミノに何を言うわけでもなく、黙ってマグカップと砂糖壺をテーブルの上に置いた。カフェオレだ。彼が丁寧にマグカップを置いた途端、突然騒音が店内に響いた。失礼、と言って踵を返した店主が向かった先は、激しく叩かれている店の扉だ。物事には例外が付き物か、と呟くように言った彼は、黙って扉を開けた。扉の向こうにいた男は何ら悪びれる様子もなく、店主を押しのけるようにして店の中へ入ってくる。客は歓迎するもんだろと言った彼は、当の店主に冗談は寝て言えと突き放されていた。どうやら彼が例外らしいと考えていたクミノの姿を認めたらしい彼が、テーブルに近づいてくる。
「はじめまして、ササキビクミノさん。吉川です」
「用件は」
挨拶もなく真っ直ぐに言ったクミノに吉川彰文は小さく笑い、同じくらいに単刀直入に答えた。
「DADの仕事依頼」
DADとは、対未確認人型物体工作局の略称だ。人の姿で街に紛れ込み、時に人を襲うこともある人形の発見および早急な破壊がDADの任務である。
そのDADの局員である吉川から送られた書類をクミノが受け取ったのは、先日のことだった。送られてきた封書には、「人形」が犯罪者に成り代わり全く同じ様に犯罪を続け全く同じ失敗をして破滅した、とだけ書かれたDADの内部文書と一枚の写真、それから興味があればこの店へ、という短い書面が入っていた。人形になど興味のないクミノには事件自体はどうでもよかった。それでも、この店に来たのは同封されていた写真のせいだ。
その写真には、クミノが傭兵となったばかりの頃、様々なルールを教えてきた男の顔が写っていた。この写真を自分に送ってきたのが何故傭兵とは関係のないDADなのか、そして何故自分にこんなものを送ってきたのか。クミノが知りたいのは、それだけだ。
「その報告書は表向きでね。本当のことを書くと、色んなところで恐慌が起きる」
「どういうことだ」
クミノの問いに、吉川は軽い口調のままで説明を始めた。
殺人者に成り代わった人形が『壊された』と判断したのは、現場と判断された場所に人形が使用していた武器だけが転がっていたからだという。事実、その後同じような殺人事件は起きず、この点ではDADの判断は正しかった。だが、武器が残されていた場所に転がっていた「クミノの企業傭兵時代の知人の男の死体」がすぐに問題になったという。それが二ヶ月前の話である。
問題となったのは、この一ヶ月間に再び殺人事件が起ったためだ。死んだクミノの知人は武器の扱いにも長けた傭兵であると同時に、無機物を自在に操る能力者である。そして、被害者は皆彼の能力によって殺されていた。考えられるのは、壊されたと考えられていた人形が、また「別人」に成り代わったという可能性ただ一つ。
話を聞いたクミノは、軽く嘆息した。
「それは、確かに恐慌も起きるだろうな。あの人は、良くも悪くも有能だった」
有能な傭兵が殺人鬼ったことが知れれば、傭兵業界までもが大騒ぎとなるだろう。
「それで、何故わたしにその話を?」
「次に狙われるのがあんただろうっていうのが、うちの見解だから」
吉川は、無遠慮に聞こえるほど単刀直入に言った。傭兵に成り代わったと目される人形がこれまでに殺したのは、傭兵時代の知人ばかりだと言う。
「どうせ狙われてるんだから、うちと協力しないか。ただ狙われるより、うちからバイト代をせしめた方がいいだろ。うちとしても、遠慮なくあんたの周りに監視体制をひけて面倒がなくなるし」
あんたみたいな腕利きに気付かれないように監視体制をひくのは面倒でね、と言う吉川の顔を眺めてから、クミノは温くなりかけたカフェオレを飲んだ。旨いカフェオレだった。
「高いぞ?」
それが了承の返事だった。知人の顔が頭について離れないのだ。腕利きの傭兵だった彼だが、人を殺したいという衝動に任せて殺人を犯す男ではなかった。そんな彼に成り代わったという人形に、クミノは殆ど純粋な興味を抱いていた。
保険料は出ないから怪我はしないように、とふざけたことを言っていた吉川から、クミノは携帯電話を渡されていた。勘が異常にいいらしい彼が人形の気配を感じたら、クミノに連絡をいれるためだという。
その電話が、今、鳴っていた。よりにもよって、「運命」である。
「悪趣味だな」
人気の失せたとある通りで電子音の運命が流れ、遠い道の向こうには誰かが一人立っている。その姿は、確かにクミノの知人のそれだった。
「本当に悪趣味だ」
電子音が止むと同時に、近づいてきた「知人」が言った。
「ササキビクミノ」
浩々と灯る街灯に照らされた彼の目は、深淵を感じさせる漆黒だった。虹彩もなく、一度みたら引き込まれそうだと思うのに、その先には何もないと予感させる目。これが人形の目か、とクミノは大した感慨もなく思った。
「名前を呼び捨てにされる覚えはないな」
「つれないな。色々教えたじゃないか」
その途端、クミノはぞくりとした。さらに、あの時のお前はこんなことをした、などとどう考えても知人以外には知りえない日常を持ち出され、クミノは混乱した。この人形は、姿かたちを真似ただけではなく知人の記憶まで持ち合わせているというのか。
「人形」とは何なのだ。
そんなことを考えていたせいで、クミノは一秒にも満たない一瞬、人形の動きを捉え損ねた。殺気を滲ませた「人形」の顔は知人の皮を被った、クミノの知らない殺人鬼の顔だった。
どんな状況だろうと、先手を打たれたほうが不利だ。攻撃体勢を整えきれずにいたクミノ足元で、突然地面が崩れた。瓦解する地面に足を取られたクミノは、完全に体勢を崩した。その隙を逃さず、人形がクミノとの距離を詰める。だが、クミノも黙ってやられているばかりではなかった。体勢を崩しつつも、両手で握った銃を人形に向ける。多少無理な体勢ではあったが、ここで銃弾を人形の頭に叩き込んでいればクミノの「勝ち」となるはずだった。
だが、次の瞬間、クミノは瞠目した。人形の表情が知人のそれに、突如として変わったのだ。そのために、クミノは引き金を引き損ねた。
同時に、激しい風がクミノを襲った。カマイタチとも呼ばれるそれに身を切られ、クミノは声を上げるまいと唇をかみ締めた。唇に血を滲ませつつ睨みつけた殺人者の顔は、またクミノの知らない男の表情に戻っていた。だが、その表情が再びクミノの知人のそれに変わるのだ。
「わたしを殺すのか」
人形は、知人の声で言った。
「お前が今俺を殺せば、俺は二度死ぬことになる」
「どういう意味だ」
クミノが問うと、人形は再びクミノの知らない誰かの声と表情に戻る。
「俺はこいつを殺して、記憶を奪った。こいつの記憶がある間は、俺もこいつだ。お前の知り合いは、俺の中で生きている。お前が俺を殺せば、こいつは二度死ぬ」
論理の欠片もないことを淡々と言い、人形は口の端を歪めた。
「お前も死ね。大丈夫だ。お前も俺の中で生きる」
その言葉に、クミノの体は震えた。自分ではない誰かが自分になるということに、脳髄を犯されていくような嫌悪感を覚える。
「そんなわけがあるはずがない」
呟くなり、クミノは痛む腕の傷も忘れて銃を構えた。同時に、人形の周囲にある空気が再び鋭利さを増した。良くて相打ちかと冷静に思いながら、銃口を人形に突きつけた時だった。
人形の顔が和らぐ。その表情に、クミノは再び瞠目した。それは間違いようもなく、クミノの知人の顔だった。かつてクミノに、自分にも同じ年頃の娘がいると呟いた男の顔だった。
一瞬で、辺りの空気が静まり返る。だが、既に力を込めていたクミノの指は止まらなかった。
銃声が響き渡る。
クミノが放った銃弾は、過たず人形の頭を打ち抜いた。あっけなく、人形の頭が粉々に吹き飛ぶ。血も肉も飛び散ることのない、乾いた死がクミノの前にあった。
間髪を入れず、人形の体が灰に変わっていく。地面に横たわる人形の姿かたちは確かに知人なのだが、何故かクミノには知人らしさの欠片も見つけられなかった。
「お疲れ様」
どこからか現れた吉川が、無造作としか表現できない不躾さでクミノに声をかけてきた。万が一クミノが人形に殺されていたら、彼が出てくる手はずだったのだろう。DADの考えそうなことだった。
「保険料の代わりに、あんたの知り合いの墓の場所くらいは教えるけど?」
「必要ない」
言って、クミノはその場から立ち去るべく歩き始めた。吉川の顔を見ている気も、灰になっていく人形を見ている気もなかったのだ。そしてクミノは、自分は知人を二度殺したのだろうか、と考えた。そんなクミノの背に、吉川が相変わらずの声で言った。
「あの店に行くと、融通の利かない三十路過ぎのおじさんが、きっと何の含蓄もないことを言ってくれるんじゃないかな」
クミノは、返事などしなかった。
数週間後、クミノがあのバーに足を向けたのは、吉川の言葉を思い出したからではない。ただ、何となくだ。
またカフェオレを出した店主に砂糖壺を押し返したクミノは、ふと聞いた。
「もしわたしにあなたの記憶があれば、わたしはあなたになれると思うか?」
クミノを真正面から眺め続けた店主は、ややあってから答えた。
「あんたはあんただろう」
確かに何の含蓄もない言葉だと思いながら、クミノはカフェオレを口にした。だが、悪くはない。
そしてクミノは、吉川に知人の墓の場所を聞いてみようかと考えた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【1166 / ササキビ・クミノ / 女性 / 13歳 / 殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない。】
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■ ライター通信 ■
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樋野望と申します。
このたびは、発注いただきまして、ありがとうございました。
今回、PC1名様で書かせていただきました。
多少ではありますが1名を書き込めたこと、
またPCが大変魅力的なキャラクターであることがありまして、
とても楽しく書くことが出来ました。
PCのイメージが崩れていなければ、と思います。
少しでも楽しんでいただければ、本当に嬉しいです。
それでは失礼いたします。
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