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君、想フ
―もうちょっと、笑ってみればいいのに―
笑顔が、見てみたいよ――そう、言ってくれた友人が過去に居た。
だが、彼はもうこの世の何処にも居ない。
自分が殺したのだ。
この手で。
『僕はね、もう夢を見ることに疲れてしまったんだ……』
そんな言葉を呟きながら、だから殺していいんだと。
君の手で終わるならそれも良いと。
(……無くしてから、いつも気づく)
もう見ることが無い、彼の笑顔を――
――俺自身、彼に対してもう少し何かを言えば良かったのだということに。
*** 調弦―夾 ***
鷺草、と言う花がある。
白鷺が飛翔する姿に似ているその花は、そう言う形ゆえだからだろうか……花言葉は「夢でも君を想う」――飛ぶよりも確実に、また何時のときも変わらないと言う願いを込めて。
都心に近い、この街では滅多に鷺の姿も見ない、けれども。
確かに夢にまで飛んできそうな程に優美な姿をしている――と紫月夾は、本に共に紹介されている鷺の姿を見て人知れず微笑んだ。
(夢でも、君を思う……か)
夢でも現実でも想うことは同じ、と暗に告げる花。
浅く椅子に腰掛けていた所為か、少しばかり背にだるさを感じながら夾は、ある場所へと視線を向ける。
色とりどりの花が、夾へ微笑みかけるように咲き誇り、綺麗に飾られた花々は誰が自分たちを次の場所に連れて言ってくれるのか楽しみにしているようにも見える――そう、此処はフラワーショップ「ノワ・ルーナ」店内。
夾が大切に想う、秋月霞波が店主を務めるフラワーショップである。
「Closed」と言う看板が掲げられているが店内は明るく、コーヒーメーカーの音が穏やかな時間を表すように丁寧に丁寧に、一滴ずつコーヒーを落としていた。
このような和やかな時間がある事を、夾は友人を屠るその時まで知らなかった。
一番に為すべき事は機会の如く非情に邪魔な人物を消すことであり、そのためには感情など不要――当主であった尊敬する父親にそのように教わっていたし自分自身もそうあるべきだと思っていた。
(自分自身に安らぐ場所など不必要だと決めてかかっていた――何もなくて良いのだとさえ)
なのに。
『あのね? 夾さんは――もう少し笑った方が良いと思うの』
友人と同じ言葉を霞波は言ったのだ。
何の接点も無い筈のふたりが同じ事を俺に言い、微笑みかける。
雪溶かす春の陽の様な温かな笑顔で。
もし、彼等がいなかったなら。
あの出会いがなく、霞波との出会いもなく――ただ骸だけを越えて日々歩く、そのような毎日だったなら俺は……どうなっていたのだろうと深く考え、暗闇に陥りそうになってしまうことがある。
想像するだけでも嫌なものだが、こうして此処に俺自身も霞波も居なかった筈だ―――それはかなり寒々しいような感覚を夾に抱かせる。
(以前の俺であれば)
――護るモノも作らなかった。
不必要だと決めてかかっていたから尚更。
純真であどけなく、無防備かと思えば凛とし、優しさと芯の強さと併せ持つ…そんな彼女に惹かれたのはいつだったか。
(――いいや)
もしかしたら、「笑えば良いのに」と言われた時から惹かれていたのかもしれない。
友人と同じ言葉を言った彼女だからこそ――強く、強く。
…どのくらいの時間が経っていたのか。
もしかすると、ホンの少しの時間であったかもしれないけれど――、微笑みながら霞波が昼食を運んでくる姿があった。
「ごめんなさい、待たせちゃった?」
「いいや? 何故、そう思う?」
「んー……何となく、だから上手くは言えないんだけど…何処となく」
「…成る程」
「…本当は納得して無いでしょ?」
霞波は、ぷうと頬をふくらませる。
が、夾の手元にあった本を見て一瞬「あれ?」と表情を変えた。
「ねえ、その本―――」
*** 調弦―霞波 ***
何故、笑わないんだろうと思ったの。
笑えば、きっと――もっとずっと素敵だろうにって。
なのに、いつも表情は変わらない鉄面皮。
怒ることも笑う事も泣くことも無いように、変わらない一つの――仮面のようで。
だから、言ったんだわ。
『あのね? 夾さんは――もう少し笑った方が良いと思うの』……って。
あの時、私が言った言葉に対して何故ああも驚きの表情を見せたのかは解らない。
解らないけれど、その中で解ったことはただ一つ。
……感情を向けられるのに慣れていない人なのだと気付いたの。
だから、じゃないけれど。
……ううん、もしかしたらだからこそなのかも知れない。
感情が何処へどのように向かうかなんて、解らないし知らないけれど。
(色々な表情を見てみたいと――)
……不思議ね。
はじまりはホンの僅かな会話の筈なのに。
何時の間にか、こんなにも心に住み着くようになってしまうなんて。
そして私は、夾さんの手元にある本を再び見る。
――古くて、出版社にさえももう無いだろう一冊の本。
花の花言葉や、それらに纏わるエピソードを纏めた本を。
(その中に、凄く好きな花があるのよね……)
鷺草……そう、実際は花というよりも野に咲く草の方が正しいような気がするのだけれど、凛とした綺麗な花。
白い花の部分は鷺の形。
葉の色は鮮やかな緑。
まるで、そう……まるで――何処へでも飛び立ってしまう気持ちのような花。
「ねえ、その本―――」
霞波の問いかけに考え込んでいた夾が「ん?」と声を出し……「ああ」と頷いた。
「中々に面白かった……花言葉にも色々あるんだな」
夾の言葉に霞波もにっこり微笑み――
「そうよ、凄く色々な言葉を与えてくれるの……人よりも雄弁かもしれないわ♪」
と、嬉しそうに告げた。
「さ、冷めちゃわない内にお昼にしましょ?」
「ああ」
*** 花ぶらんこ、揺れる ***
『夢でも 貴方を想う』
花は告げる。
想いを、人から――人へと。
夾は、霞波と共に昼食を食べながら再び、考える。
誰かと食事をする、という行為を楽しいと知ったのもやはり霞波と逢ってからの様に思う。
食事をする事を見られると言うことは隙をつかれるという事に他ならず食事と言うのは疲れるもの――少なからず、そう言う考えもあったことは否めない。
だが、様々な触れ合いから、会話から――何時しか「食事=疲れるもの」と言う思考は消えてなくなり、
和やかで、大切な時間が、ただあった。
(今だけは、どうか……このまま)
霞波と共に過ごせる様にと願うだけだ。
……願う、等というと友人は驚くだろうか?
いや、喜び祝福してくれるに違いない。
「良かったね」と、変わらずにあの頃の笑みのまま。
だから、夾は霞波へと腕を伸ばす。
友人と同じ言葉を言ってくれた彼女へと感謝を込めて。
額と額を軽く、こつんとあてながら。
「…夾さん?」
「いや……先ほどの霞波じゃないが、何となく感謝をしたくなってな」
「何に?」
「霞波に」
触れる事の出来る体温に、安堵する。
くすくす、くすくすと微笑う声。
手に掴むことの出来る――何よりも、何よりも大事なモノ。
『君、想フ』
夢でも、どれほど辛い逃げ場など無い現実であろうと――陽だまりの中ででも。
何時でも、何時どのような時にさえ。
―End―
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