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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


――伝えたい言葉、伝えたい想い――

<オープニング>

「あら、兄さん……お客様だったんですか?」

草間零が所用から戻ってみると草間武彦が空ろな表情でソファに腰かけていた。
目の前のテーブルにお茶がふたつ。
茶葉も混入し、茶托にもお茶が飛び散っているその様は零を苦笑させ
この探偵が如何に苦労したかを彷彿とさせた。

「それで、受けるんですか依頼?」
「ん……ああ。」

破壊跡のような流し場を片付け、兄の前のソファに座る。
依然草間は窓の外へ空ろな視線を向けているままだ。

「……あんな女性(ひと)が、まだこの時代にも残っていたんだな。」
「女性だったんですか、依頼の方?」
「ああ、お前も廊下のあたりで会ったんじゃないか?」
「?……いいえ、どなたとも会ってはいませんけど。」

その言葉に我に返ったように零に向きあう。

「いいや、会った筈だ。彼女が帰ったのはお前の戻るすぐ前だったからな。」

ふるふると首を左右に振る零。

「う、嘘だ……。」

すがりつくような草間の眼差しに、更に駄目押しでまた首を振る。


―――また草間興信所に絶叫が響いた。





……依頼内容:「ダムで水没する村の学校の一日講師」





――伝えたい言葉、伝えたい想い――


「うわっ、と!!」

大きくバウンドした荷台で柚品・弧月(ゆしな・こげつ)はバランスを崩しかけた。
冬の吹きさらしという過酷な条件の中、
せめてもの温もりにと渡された毛布を固く身体に巻き付けていた為もある。
また大事に抱えている荷物を庇っている事も原因だ。
然しそれにしても寒い、寒すぎる。
考古学を専攻している為、発掘に行く事もよくある。
真夏の炎天下の中や、雪の中の発掘も経験あるが
まさかこの依頼でこんな目にあうことになろうとは……。
その正面にそれぞれに渡された毛布を自分へと与えながら、平然としている男を見やる。

「……本当に寒くないんですか?」
「……ああ、平気だ。」

悪路を猛然と飛ばしている車の荷台でも、石の様に動かない姿は何かの象徴の様にも見えた。
腕を組み、両足をしっかりと踏ん張り座っている。
見事な安定感である。

「ええと……岐阜橋さん、でしたっけ。」
「岐阜橋・矢文(ぎふばし・やぶみ)だ。」
「岐阜橋さん……、」
「矢文でいい。」

ぶっきらぼうにも聞こえる矢文の言葉に苦笑しつつ、弧月は続ける。

「一日講師を受けた筈なのに、こんなに朝早くにトラックの荷台で揺れてるなんておかしな事になりましたね。」
「……俺は日雇労働をしているから慣れている。」
「そうだったんですか、でも移動に荷台は乗らないでしょう?」
「まぁな、それにこれはトラックではない、オート三輪だ。」
「オート三輪って、やっぱり!乗った時暗かったんでよくわからなかったんですが、未だにあるんですね。」
「ミゼット、だろう。然し……懐かしいな。」

オート三輪が日常で使われていたのは、主に昭和三十年代である。
その後は四輪トラックの低価格化が進み、その姿も消えていく事になる。
矢文はその姿をその目で見てきただけに、懐かしさをおぼえていた。
この愛すべきカエル面は忘れようにも印象が強すぎる。

「懐かしい、といえばあの先生、宮園良子先生もそうなんですよ。」

弧月は目を遠くにやりながら荷台の振動に身を任せていた。

「初めて会ったのにそう思うのは、何故なんでしょうね。」





運転席でも助手席ではシュライン・エマ(しゅらいん・えま)が毛布に身を包んで震えていた。
直接風を受けないというだけで外とあまり変わらない。

(私、一日講師をする筈だったのよね?)

弧月と同じ疑問を心で繰り返しつつ、隣で大きなハンドルを握っている女性を見やる。
悪路の中車を走らせる、草間の呆けた原因ともなった女性。
一体どのような女性かと興味もあった。
古風で楚々とした典型的な大和撫子、若しくは人妻風か……。
然し実際は、淡い色のセーターにコートとマフラーを羽織った
溌剌とした目が印象に残る、年の頃は二十代後半から三十代前半くらいの普通の女性だった。

『はじめまして、皆さん。わたしは宮園・良子(みやぞの・よしこ)と申します。』

その見る人をあたたかくさせる笑顔を見て、シュラインの危惧は霧散した。
草間の呆けた理由は、別の方面だったのだ。

(私もそうなった、なんて事は内緒にしておかなくてはね)

必死に言い訳をする草間の頭を苦笑しながらぽむぽむし、依頼は承諾したものの急な出立の為調査しきれなかった
これから三人が向かう水瀬村(みなせむら)について調査しておいてもらう事にした。

「ごめんなさいね、シュラインさん。こんな早くにお願いしてしまって。」
「いいえ、気にしないで下さい。……事情がおありなんでしょう?」
「ええ、事情と云うか……単に交通手段が大変なものなので、授業に間に合わなくなってしまうの。
 それでこの車を委員長のお父様にお借りしたんですよ。」

委員長って生徒の一人ね、とすまなそうに、それでもにこやかに微笑むその顔に思わず笑顔を返してしまう。
自分のペースが乱れる事に、シュラインは少し戸惑いを感じた。
然しそれさえも不快にはならない。
それどころか、この暗闇の悪路の中を疾走しているのに彼女といると安心できた。
根拠のない安心感。
どこかで体験した事があるが、すぐには思い出せないそんな感覚。

ふと、気になっていたことを口にしてみる。

「宮園先生……、」
「良子先生って呼んで下さいな。」
「ええ、じゃ良子先生。何故最後の日々の貴重な授業を私達に……、」

その問いは発せられても、答えが返って来る事はなかった。
ひと際大きくバウンドしたかと思うと、視界が急に開け明るくなる。
墨絵のような山々が、差し込んできた朝日に徐々に色をつけていく。
顕わになる村の全景は、静かで穏やかな朝霧に包まれていた。
車から降り、村を背景にして良子が云う。

「着きました、水瀬村へようこそ!」

その時の光景を、後々三人は思い出す事になる―――。





その水瀬村はこじんまりとした、まるで昔話にでてくるような佇まいだった。
朝が早くても既に人々の生活は始まっており、
それぞれの家の台所からは湯気と、朝食の用意をする音が聞こえてきていた。
どこかで鶏が刻を告げている。
村の中心を通る道も舗装はされておらず、土の道だった。
その道をまっすぐ行くと、少し小高い丘に桜と銀杏の樹で囲まれた風見鶏のある建物が見えた。
それが目指す水瀬小学校、水瀬中学校であった。
オート三輪を借主へと返し、四人は学校までの短い距離を歩いていた。
学校までの道で、中学生が一人と以下小学生からなる七人の生徒であるという事を聞く。
良子が生徒をとても慈しんでいる事が、その口調から伺い知る事が出来た。
三人とも臨時講師とはいえ教える立場として少なからず緊張していたが
その言葉によって未だ見ぬ生徒達に好意を抱いた。
続いてこの村の話とダムの事を聞く。
既にダムの建設は決定されており、村の人々の移転先も決まっているという。

「仕方ないこと、はわかっています。時代はもの凄い速さで動いていますし、その流れには逆らえませんものね。」

良子は淡々と続ける。

「高度経済成長の波がこの小さな村へも届いた、という事です。」
「……“高度経済成長”?」
「はい、そうです。」

弧月はもう一度小さくその言葉を繰り返し、肩にかけた鞄を大事にかけ直した。
シュラインが訝しげに見ると、なんでもありませんと笑って歩きだす。
ちょっとした坂道をのぼると、小さな木造の校舎があらわれた。
こじんまりとした校庭に、こじんまりとした一階建ての校舎。

「皆さん、お腹すいていませんか?簡単ですけど朝食を用意して有りますので食べて下さいね。」
「あら、いいのかしら。」
「勿論ですよ、あと身体が温まるように甘酒も有ります。そこで授業についてお話しましょう。」
「それは嬉しいな。」

弧月が嬉々として足を運ぶ。大の甘党なのだ。
良子が笑いながら職員室へと誘った。
数歩遅れて歩いていた矢文をシュラインが声をかけた。
ゆっくりと歩を進めていた矢文は、もういちど坂の途中から村全体を見渡し皆の後へついていった。
最後に校舎に入ったシュラインは、小さな学校全体をひとつひとつその存在を確かめるように見つめ、
校舎の入り口の扉に手をかけそっと呟いた。

(今日は一日、宜しく……)





最初に授業を行ったのは、その類稀な語学力を活かした「外国語」を選んだシュラインだった。
英語による自己紹介から始まり、生徒の大歓声を浴びている。
続いてゲーム形式で授業が進められ、小学校低学年の生徒まで楽しんでいる様子が見て取れた。

「興味を持たせ、楽しむことで、外国語の高い垣根を取り払ってるのね。彼女は、経験あるのかしら?」
「いいえ、シュラインさんは翻訳家です。語学に長けてますが教師はしていない筈ですよ。」
「まあ、すぐにでも先生になれそうよ。」

弧月は友人でもあるシュラインが褒められているのを聞くと嬉しくなりお礼を云った。
すると良子はそんな弧月を見てやさしいのね、と微笑む。
思わず弧月は自分が小さな少年になったような錯覚を覚えてしまっていた。
と、それまで黙っていた矢文が

「すまんが、俺の授業の下見に少し外を回ってくる。」

と、のっそりと立ち上がり教室を静かに出て行った。





もともと矢文は事前に村へ来て、周囲を散策しこの地方の動植物に親しみそれを伝えようと思っていた。
然し思惑が外れてしまった為、こうやって今、見て回ることにしたのだ。
矢文の故郷の村も、既にダムの底に沈んでいる。
ならばこそ同じ運命を辿るこの村の話を聞き、報酬度外視でも伝えたいと思い依頼を受けたのだった。

村を歩く一足一足をしっかりと踏みしめ、この水瀬村という存在を確かめる。
地を見、空を見、山を見、川を見、生きとし生ける全ての自然に対し敬意を払う。
この土地にいるであろう神々に対して敬意を払う。
――あとは、伝えていくだけだ、この村の全てを。

教室の窓から良子を呼ぶ。

「俺の授業は、外でやりたいんだが。」
「わかりました、生徒達を連れて行きますね。」

良子の微笑みは春のようだ、と矢文はふと思っていた。





小さな校庭に矢文の大きな姿が見える。
そしてその周囲に小さな姿が七つ、矢文を前にして見上げて座っていた。
先程から黙ったままで顔の表情だけが微かに動いている……らしい。
矢文は自分の容姿が生徒達を怖がらせてしまうだろうと思い、必死に愛想をだそうと奮闘しているのだった。
然しどうも上手くいかない。
普段やり慣れない事をしようとしてる事に気がついているのだが、
子供にはやさしい笑顔――良子先生のような――がいいに決まっている、そう思っていた。

ふと視線を感じて下を見ると、小さな少女がじっと自分を見上げていた。
そして矢文のそれとあうと小さな笑顔が生まれた。

「あれー、小夜ちゃん先生のこと気に入ったみたい。」
「?」
「だって先生の事見て笑ってたもん。」

小夜と呼ばれた少女の隣に座っていた少し年かさの少女が答える。
その少女に小夜は耳打ちすると、またにこにことしている。
喋れないわけではないのだろうが、恐らく恥ずかしがりやなのだろう。

「先生の事、お地蔵様みたいだって。」
「?」
「小夜ちゃんち、お地蔵様の祠の隣のお家なの。」

矢文はどう返答したものか、かなり困ってしまった。
まさか自分が岩地蔵であるとは云えまい。
だがその小さなやりとりで矢文の緊張が解けた……自分らしく伝える事をしていこう、と。
そして自らも生徒達と同じ様にどっかと座ると、あらためて話し出した。

「さっき、少しこの村をまわってきた。……小さいが、やさしい村だな。」

矢文はシュライン、弧月の授業の間に、見て回れるだけの散策をしてきていた。
教えたいのは「この村のこと全て」。
生まれ育ったわけではない為矢文の知る事は少ない。
ならばその村の道を歩き、見て、その五感全ての能力で村を感じてそれを教えたいと思っていた。

「俺のいた村も昔ダムで沈んでしまった。けれど、とても空気の澄んだきれいな川の流れる村だった。」
「水瀬村にもきれいな川があるよ!」

眼鏡をかけた少年が挙手して云う。

「山女だって捕れるんだよ。」

矢文は大きく頷いた。

「そうか、山女はきれいで澄んだ川にしかいない。凄いな。」

少年の顔が誇らしげに輝く。
次いで三つ編みの少女が挙手し、矢文は太い腕で少女をさす。

「村には古い古い神社があります。小さいけれどお神輿もあります。」
「そうか、きっと祭りも盛大に行われるのだろうな。」
「大瑠璃もきます!」
「御神木のトチの大木で作ったトチの実餅は自慢できます。」
「紅葉の時期は村全体が赤くなるんだよ!」

次々と水瀬村の自慢を生徒達が上げていく。
小さな村だが、たくさんの出来事や風物詩が詰まっていた。
人の生活の数だけいろいろな思い出がある。
普段それが当たり前のように見ているものが、実際は当たり前などではなく
その時、その場所、その場にいた人々によって築かれていくものであることを矢文は伝えたかった。
生徒達が誇りに思って上げていくひとつひとつの事柄が、思い出す事によって記憶に刻み込まれていく。
写真等で残す事はできても、この村の風景は小さなそこには残せない。
自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の鼻で嗅いで、身体中でこの村を残すのだ。

「皆はこの村のこと、好きか?」
「「「「「「「好きです!」」」」」」」

愚問だったな、と頭を掻きつつ矢文は更に云う。

「今自分達が上げた事を忘れるな。今日ここであった風景を忘れるな。
 消えていく景色を自分達の心の中で大事にしまっておけ。
 心の中にその風景がある限り、この水瀬村はいつまでもそこに在り続けられる。」

淡々と朴訥に伝える矢文の言葉が生徒達に伝わっていく。

「村を、いつも思い出してやれ。」

既に経験してきた者の言葉は重く、そして真実が込められている。
生徒達が本当に理解するのは、もっとずっと後になるのかもしれないが
矢文の言葉がいつかふとした拍子に思い出されればいいと思う。
長い生の中で培われた、大事に思うことは伝えた。

小夜が小さな手に何かを持っていた。
それを矢文に渡そうとしている。
片方の手のひらを開くと、そこへ黄緑色も鮮やかなふきのとうを乗せ小さく微笑む。
春を告げるもの――。
矢文の瞳が細められた。

「どうりで空気がやわらかい筈だ。」





皆は再び教室へと戻ってきていた。
教壇には良子が立ち、シュライン、矢文、弧月の三人は教室の後ろに腰掛けていた。
良子は生徒達をゆっくりと見回し、言葉をつぐ。

「さて、とうとう先生の最後の授業となりました。」

息を呑む声と、否を云う声とが教室内にはしる。
それを微笑みながら制し、良子は教壇の前に立つ。

「今日皆は、シュライン先生、弧月先生、矢文先生から素晴らしいものを教わりましたね。
 そのどれもがこれから皆が大切にしていくものばかりです。
 この三人の先生たちはそれらを大事にしてご自分の人生に道をつくっていきました。
 そして今も着実にその道を歩んでらっしゃる……確りと目標に向かって。」

後ろの三人を見て微笑む。

「先生は皆に夢を持ち続けて欲しいと思います。
 どんな夢でも諦めず、そのままあたためていて欲しいと思っています。
 夢はね、思い続ければ必ず叶うものだからよ。
「きっとこれから皆は、それぞれの場所で新しい生活をはじめて
 戸惑ったり悩んで落ち込んだりするかもしれません。
 そして途中で挫折を経験する事もあるでしょう、現実はかなり厳しいものだから。」

後ろの三人の胸にもそれぞれ去来するものがあった。
この小さな生徒達がこれから味わう事になるだろう出来事は矢文にも容易に想像がつく。

「けれどね、想う気持ちがある限りわたし達は前へ進む事が出来るの。
 やろうとする気持ちが失われない限りわたし達の前に道が出来るの。
 だから諦めないで、一度駄目でも機会はきっとくる。
 夢がある限りあなた達の目は開かれている筈だから、次に来る機会も逃す事はないでしょう。
「願うだけでなくそれに対して努力する事も忘れては駄目よ。
 努力のないところに道は開かれず、機会を見つける目も育たないわ。
 沢山の人と出会って、沢山の経験を積んでください、それが皆の糧となり自信に繋がるの。」

生徒の瞳が良子を通して未来を見ている、そうシュラインには見えた。
良子の言葉を反芻し、自分もそうしてきたかを確かめてみる。

「先生は皆にどんな時も挫けない強さを教えてきました。
 そして今日は夢を皆に託します、“皆の夢が叶いますように”。
 これが先生の夢です。
 先生は夢を持ち続けます、皆の夢が叶うまでずっとずっと持ち続けます。」

やさしいだけでなく力強い言葉を通して、良子の気持ちが痛いほど弧月に伝わってきた。
皆の後ろから両手を大きくひろげて守っている、それが実感できる。

「今日という日を忘れないで、そしてそれぞれの道を旅立ちましょう。
 後ろを振り向くな、とは云わないわ、そういう時もきっとあるでしょう。
 でもそこには悩みながらも今まで歩んできたあなた達の道がある筈です。
 ゆっくりとでもいい、自信を持ってこれからも前を向いて歩いていきましょう。」

そこで良子は大きく息を吸い込んだ。
そして涙で潤んだ瞳をなんとか堪えながら、それでもしっかりと生徒達を見つめた。
これから旅立っていく小さな生徒達の顔をひとつひとつ胸に刻みつけながら。


「先生の伝えたかった言葉は全て伝える事ができました。
 ……これで最後の授業を、終わります。」


席を立って良子へと飛びついていく生徒達の後姿が、その教室で見た最後の光景だった――。





「いい、学校でしたね。」

村全体を見渡せる朝のあの場所で弧月は手をかざしながら云う。
その横でシュラインは別れ際の良子の言葉を思い出していた。
生徒達がいるので送る事ができない事を残念がるのを、三人は丁寧に辞退したのだった。

『今日は本当にお世話になりました。
 急な事をお願いしてしまいましたが、快く引き受けて下すって感謝してます。
 そして素敵な授業を有り難う御座います、本当に皆さんとお会いできて嬉しかったわ。』
『私達こそ素敵な経験をさせてもらったわ、こちらこそ感謝しています。』

そして一人一人と握手する。
シュラインはこの依頼を引き受ける前に思ったことがふと思い出された。

『良子先生の手……、』
『え?』
『……温かい、ですね。』

どこまでもあたたかいその笑顔は、その人の本質なのか教師故か。
彼女に懐かしさを憶えるのは、その笑顔による安心感なのだろう。
そう思っていると、矢文が戻ってきた。
帰り道、小夜の家の隣にあるという地蔵尊へ挨拶に行くと云っていたのだ。

「この村の事、頼んだんですか?」
「ああ。」

三人は暫くこの小さな水瀬村と、その周囲を包む風景と、遠くに見える小高い丘の風見鶏の屋根を見る。
間もなく消えていくこの景色を、せめて心に焼き付けておこうと。
そうすることがこの村に関った自分達に出来る唯一の事だと思った。
それじゃあ帰りましょうか、と弧月が片手に紙飛行機を持ったまま林道へ足を向けたのを合図に
名残惜しい気持ちを抑え、その後に続いた。


そこへ急に突風が吹き、周囲は一転暗くなった。
余りにも急であったため視界は奪われ、その身を飛ばされずにいる事だけしか出来ない。
然しそれもまた一瞬のことで、すぐにまた周囲も元の明るさになり突風もおさまった。
三人とも周囲の音が元に戻ったのを確かめて、そっと目を開ける―――と、
そこに数人の壮年の人々がいた。

「あれ、いつの間に?」
「待て、弧月……見てみろ。」

矢文の指す方向、その人々の視線の方向を見て愕然とする。

「な……ダム!?」

そこには見渡す限りの広々としたダムがあった。
村の姿は見えない。
通ってきた筈の道も見えない。
どこにもそのような形跡は残っていない。

「だって俺達はついさっきまで……、」
「ええ、居たわ……間違いなく。」
「……だとすると、」
「でも、俺、紙飛行機、ちゃんと持ってますよ?」
「それは恐らく“神隠し”かもしれない。」

新たな声の参入に視線が集中する。
三人にとっては見知った、それ以上の顔―――

「武彦さん!」





草間はシュラインに頼まれて調査した水瀬村についての他に、依頼人である宮園良子についても調べた。
そして宮園良子が入院している事が分った。
入院先の病院へ行き、その家族と宮園良子本人と会う事が出来た。

「彼女はずっと悔いに思っている事があったそうだ。
 それはダムの工事の着手が予定よりも早くなってしまい、最後の授業が出来なくなってしまったということだ。
 生徒達に伝えたくても伝えきれなかった言葉が、ずっと彼女の中で残っていたらしい。」
「では依頼に来たのは?」
「わからん、ただ俺の名刺を“通りすがりの親切な外人”とやらが置いていったらしくてな、それがベットの脇にあった。」
「でも私達は良子先生と会ったわ、そして生徒達に授業もしたのよ?」

その声に壮年の人々が反応する。

「良子先生に会った……?」
「……ええ。」
「私は今朝夢を見ました、この村で良子先生に授業を受けている夢です。」
「私もです、それでいてもたってもいられなくなって来てしまったんです……もう村はないとわかってても。」
「それじゃあ、皆さん……、」

よくよく見れば、つい先程教室で見た顔のように見える。
あの生徒達が成長したらこうなるだろう、という顔。
時間の急激な流れに戸惑いながら必死にズレを取り戻そうとする。
草間が元生徒達に説明をしていた。

「宮園さんは現在危篤状態に入られてます。
 これは仮定ですが、宮園さんは最後の授業が心残りでその想いが今回の出来事に繋がったのだと思われます。
 だとすれば宮園さんをこの世に繋ぐのもまた“想い”ではないでしょうか。
 皆さんの先生を想う気持ちが、もしかしたら届くかもしれません。」
「分りました、では早速病院へ向かおうと思います……病院はどこでしょうか?」

背の高い知的な面立ちの男性が率先して草間に聞いている。
その様子をぼうっと見ていたシュラインの耳に別の会話が入ってくる。

「英語の先生になっても、やっぱり委員長は委員長ね。いざという時本当に頼もしいもの。」
(!まさか……だって……)

――僕にも……出来ますか?

思い出されるのはあの委員長のはにかんだ表情。
シュラインは口元を押さえ、その男性を見つめるしかできなかった。



移動し始める人々の後姿を、未だ混乱気味の弧月は見ているだけだった。
その彼の耳にも元生徒達の会話が入ってくる。

「よお、お前の息子も飛行技師になったんだってな。」
「おお、やっぱり蛙の子は蛙、ってのは本当なんだな、好きなものは貫いて欲しいもんだ。」
(え!じゃ、あの子……)

――俺さ、飛行機大好きなんだ!

自分の行為の結果なのか、それとも偶然なのかそれはわからない。
だが手に持つ紙飛行機が時空を越えたものがあることを証明している。



長く生きていると、いろんな事に出くわすものだと矢文は思っていた。
彼の目には小さな小夜とその隣を歩く夫であろう人がうつっている。

「とても仲睦まじいご夫婦だそうよ、……そういえばあちらにいる方と似てらっしゃるわね、あのご主人。」

――小夜ちゃん先生のこと気に入ったみたい

あの小さな地蔵尊に祈りは通じたのだろうか。
矢文は沈みゆく村と、離れていった人々と、小さな少女の微笑みに想いを馳せた。





病院へと向かう人々の後姿を見送りながら、俺達も行くか、と草間が誘う。
誰も否の筈がなかった。
そして誰ともなく草間は呟いた。

「一番強いのは生きている人の想いなんだろう、そこに存在するだけにどんどん強くなる。
 生徒達に伝えられなかった言葉への想いが、形となって俺達の前に現れた。
 それがどれだけ深い想いだったかは、きっとお前達だけがわかるんだろう……。」
「……そうだな。」
「教師というのは可能性を広げる手助けができる、そんな素敵な職業だと先生は云ってました。」
「お前たちも手助け出来たんじゃないか?」

その問いに矢文は太い眉を軽く上げて応え、ゆっくりと歩きだす。
それを見送る草間の肩にシュラインが無言で額を預けてくる。
暫くどうしたものかと逡巡し、空いている方の手で頭をぽむぽむとした。
弧月はその様子に苦笑し、手に残る紙飛行機をダムの向こう、湖面に辛うじて覗く風見鶏の方へ飛ばす。


青い湖面に飛ぶ白い軌跡はまっすぐのびていったという――― 







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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【 シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】
【 岐阜橋・矢文 / 男性 / 103歳 / 日雇労働者 】
【 柚品・弧月 / 男性 /22歳 / 大学生 】

NPC

【 草間・武彦 / 男性 / 30歳 / 草間興信所所長(私立探偵) 】

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■         ライター通信          ■
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お初にお目にかかります、伊織です。
此の度は突然の臨時講師にご応募頂き、真に有り難う御座いました。
恐らくオープニングからは想像もつかない展開に少々驚かれたかもしれません。
然し皆さんのプレイングが余りにも心やさしいものでしたので、心から感謝致します。
此のような展開は最も好物とする所であり、又今後も目指したい所です。

初の依頼物件では在るものの、思いの外の長文に為ってしまい失礼致しました。
然し此れ以上削る事は出来ず……ご容赦願います。
他の方の授業の様子も時間が御座いましたらご見学下さい。
その方らしい授業に納得されるかと……また良子先生の感想も聞く事が出来ます。

今回のテーマは人により様々にうつるものです。
どの様に受け止められるか其れこそ千差万別ですが、何か心に去来する物があれば、幸いです。
次にもしお目にかかれる時が御座いましたら、また宜しくお願い致します。


>岐阜橋矢文様

初めまして、矢文様。
今回の依頼はある意味矢文様にうってつけの依頼でした。
まさか同じ様な境遇の方がいらっしゃるとは露とも思わず、然しそれ故共感して頂けて真に感謝しております。
経験からくる言葉はたとえぶっきらぼうに聞こえても重みがあり、心には真摯に響きます。
生徒達の心にはきっといつまでも村の風景が残った事でしょう。

情景的にも岩地蔵と暗示させる描写を随所に出させて頂きました。
自然に対する思いやりと沈みゆく村への無償の慈しみに、頭が下がります。
いつか安住の地を得られる事を、祈ってやみません。

今回は特殊能力の必要無い、其の人自身による行動で
派手さは在りませんが逆に人間性を問われる内容でした。
其処で此の様なやさしい依頼内容に為りました事、改めてお礼申し上げます。

此度はご参加、真に有り難う御座いました。