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誰が小鳥を殺したのか
流麗な歌声が場内に響き渡り、降りていく幕と共に緩やかにフェードアウトする。
息の詰まるような沈黙ののちは、演出家やその場にいたスタッフ全員から惜しみない拍手が送られた。
明日になれば、割れんばかりの拍手喝采が場内を埋め尽くすだろう。
再び幕が上がり、舞台にずらりと並んだ俳優たちの中で、たった今、全てを歌い上げた歌姫はそれを確信していた。
高揚感と期待。
自分はこの瞬間を手に入れるために生きてきたのだと、彼女は本気でそう思った。
だが、次の瞬間。
「あ……」
何の前触れもなく、唐突に宙に浮いた呟きがひとつ。
彼女はゆっくりと、長い髪と花とドレスを曳きながら仰向けに舞台へと沈んでいった。
計算されつくしたその動きに、誰もが演出のひとつなのではと錯覚する。舞台監督までが、そう思った。
だが、これがけして作り物ではありえないと分かった時、辺りは瞬く間に悲鳴へと変わった。
混乱が場内を支配する。
ばたばたと事態の収拾に躍起となるスタッフや役者たちの間で、王子の衣装を纏った青年は呆然と立ち尽くしていた。
舞台には魔物が潜んでいる。
物語の中にも、闇が潜んでいる。
彼は確かに見たのだ。
歌姫が倒れる瞬間、彼女の胸を『何か』が貫いたのを。
そして、その影のような『何か』は、確かに鳥の姿を模していたのだ。
「………彼女の死を見た…次はお前の番だよ……」
怯えた青年の耳元を掠めるように呟いたのは誰だったのか。
『鳥姫の葬列』という名を冠した舞台は、初日の公演を迎えるその前に全ての動きを停止させられた。
*
「は?小鳥がヒトを殺す?」
「……はい………」
興信所のソファで、草間の正面に腰を下ろした初老の男は、そうしてゆっくりと頷いた。
その顔には疲労の色が濃い。
「小鳥がヒトを殺める……そう訴える者がスタッフの中にも出ていまして……真面目に取り合うのも馬鹿らしいような噂まで飛び交う始末です」
舞台監督だという竹内が嫌悪の溜息と共に吐き出していく告白は、けしてまともな探偵に持ち込まれる内容ではなかった。
始まりは歌姫の突然すぎる死だった。
その次は王子役の青年。眼球を潰されて息絶えた彼は、最も近くで彼女の死の瞬間を見ていた。
続いて、メイド役の女性。彼女もやはり歌姫の死を間近で見ていた。血の飛沫を受けて、恐慌状態に陥っていたという。
だが、不可解な死を遂げたどの事件も、犯人らしき人物像どころか、凶器ひとつ特定されていないという有様だった。
「………我々は、この舞台にありとあらゆるものを費やしてきたのです……膨大な時間と膨大な費用、膨大な労力……ソレが今、わけの分からないものによって潰されようとしているんです」
「………………それを無駄にしたくないと、そういうことですか?」
共に舞台を作り上げてきたものへの弔いと労りではなく、拘るのは自身の利益かと、皮肉を込めて問い返す。
だが、男はそこに含むものにはまるで頓着する様子もなく、必死に訴えかけた。
「お願いします、草間さん。一刻も早くこの事態に終止符を打って下さい。この舞台に初日を迎えさせてやってください。よろしくお願いします!」
何のためにその頭を自分に下げるのか。
草間はどこか釈然としないものを感じながら、それでも顔を顰めて頷いた。
「いいでしょう。その依頼、お受けします」
悲劇の連鎖を断ち切るためならば。
そうして6人の調査員達へ、既に化石認定をされて久しい黒電話から話がもたらされることとなる。
*
Who killed little bird?
*
イヴ・ソマリアが歌姫の候補として名乗りを上げた。
その話は瞬く間に劇団員に行き渡り、同時に様々な憶測が飛び交うこととなった。
既に3人の死亡者を出し、公演も事実上停止状態となってしまったこの曰くつきの舞台に、何故。
舞台監督からのアプローチという触れ込みだったが、この急なオファーになぜ彼女の事務所が応えられたのかなど疑問も当然沸きあがった。
しかもただの舞台ではない、これは人死にの出た『曰くつき』だ。
嫉妬と羨望と疑惑を織り交ぜた卑屈な視線がそこら中から注がれる。
彼女が稽古場へ姿を現し、監督に誘導されるようにして数人の関係者と共に楽屋の専用控え室へ消えるまでの十数分間は、まさに混乱の坩堝であった。
おそらく彼女が主役抜擢となれば、マスメディアはこぞってそれを大々的な記事にするだろう。
業界大手の、今最も注目されている実力派アイドル。その肩書きを裏付ける騒ぎに発展するのは必至である。
「ちょっとすごくなっちゃったかな?もう少し控えめな方が良かった?」
扉を閉めたその内側で、イヴは2人を振り返った。
「あら?でもこの方が動きやすいと思うわよ?」
「ええ。より派手な方が状況を動かすにはいいと私も思いますよ」
シュライン・エマと水上巧は、にっこりと肯定の笑みを返す。
『舞台』という閉じられた世界に全く別の因子が入り込むことで事態はどう動くのか、彼女達はそれを確認するためにいる。
「そうね。じゃあ、もっと派手に宣伝しておこうかな?」
ふふ、と楽しげに笑みをこぼす。
誰かが悲劇を生み出しているのなら、その意思すらもこちらに向けてしまえばいいというのがイヴの考えだった。
「さてと、まずは私たちが関わる件の物語を知るところからはじめましょうか?」
控え室には、彼女たちのために用意された脚本が6冊。
シュラインはそのひとつを手に取って、椅子に浅く腰掛けてページをめくる。
『鳥姫の葬列』というタイトルページの後には、長いキャスト表が割り付けられていた。それから3ページの間を置くと、それはひとつの世界を構築し始める。
物語は、鳥姫の突然の死から始まる。
野原が彼女の最期の時を受け止める場所だった。
誰が彼女を殺したのか。
命題はソレただひとつだけ。
彼女が愛し、彼女を愛した小鳥たち。
死を悼む彼らは、鳥姫の魂に引き連れられてひとつの罪を暴いていく……
シュラインの脳内では、様々な情報が引き出されては照合され、合致しなければ押し戻され、別のものがまた引き出されていく。
繰り返されるフレーズはとても有名なもの。
思い浮かぶのは、霧とスモッグに覆われた灰色の街から生まれた、黒い毒を含んだ童謡の一節だった。
「お姫様に王子様にメイド……小鳥に人を殺せるのかしら?」
「鳥姫役の子に何か恨みでもあったとか?逆恨みかも知れないし、のし上がる為の踏み台にされた可能性も捨てられないわ。もちろん、自分より才能があるものを排斥したいという本能の可能性もね」
ふわふわと波打つ髪に指を絡めながら、イヴは小さく微笑んだ。口の端から、ちらりと長く伸びた犬歯が覗く。
「それでも、何かのチカラが介在していない限り難しいとは思うけど」
華やかな世界の裏舞台がどれほど苛烈で陰惨か、イヴはここにいる誰よりも知っている。
誰かを蹴落とし、踏み躙り、這い上がっていく階段は、どこでも果てしない奈落と背中合わせだ。
それは自分が棲まう異界も似たようなもの。
だが、他種族による明確な脅威に晒されていないこの世界の住人達は、自分たちよりもずっと同族に対して厳しく、冷酷になれるらしい。
闘争本能のなせる業、なのだろうか。
「女の敵は女、という言葉もあるし。もしかしたら、意外な場所から犯人が出てくるかも」
「ああ、それは確かにありえるわね。もっとも、男の嫉妬だって女とは質の違う怖さがあるんだけど?」
「ん〜煽り方が難しいかな?」
くすくすとおかしそうに笑いあう彼女たちを見て、水上はかすかに苦笑を浮かべる。
「何かの法則があるとして……ねえ?イヴちゃんが歌姫となったら、物語はもう一度リセットされるかしら?」
「……されると、助かるかな?」
どれだけの悲劇が続くのか、今の自分たちでは見当もつかない。
どこで終わるのだろう。
「シュラインさん、イヴさん。私は他の皆さんの様子を見に行く予定ですが、お2人はどうされます?」
時に鈍く、時に鋭くなる自分ではコントロールの出来ない不安定な霊能力が、ざわざわと先程から肌を刺激しているのが気になって仕方がない。
「待って。劇場になら私も行くわ」
「稽古の開始は3時からだって話だし、わたしもついていこうかな?」
「了解しました。ではさっそく参りましょうか?」
車ならば片道30分の劇場へ。
事件現場の発端となった劇場には今、他の調査員達が行っている。彼らは何か見つけただろうか。
劇場の時間は今、『鳥姫の葬列』のために組まれたセットの管理のみに費やされている。
永久に初回公演は来ないのかもしれない。そんな不安を抱えながらも、大道具などの美術スタッフ達は念入りに点検を繰り返していた。
まずは現場周辺における詳細な情報収集を。
それを行動指針とした藤井百合枝と藍原和馬とともに、武田隆之は、今、劇場の大ホールに立っている。
セットだけが取り残され、本来いるべきはずの役者たちが誰一人存在しない空洞の世界。
お伽噺を意識した中世ヨーロッパの風合いを持つそこに立つ自分に、武田は妙なむずがゆさと気恥ずかしさを感じずにはいられなかった。
それでも、縮小コピーされた大道具や照明器具、音響機材などをどこに配置するかが記された仕込み図を手にして、こつこつと床を爪先で軽く蹴ってみたり、拳で壁をノックしながら地道な点検作業を繰り返す。
だが、そこから返ってくる音はどれも予定調和にすぎなかった。
「さっきから何してるの?」
「ひっ!!」
反射的に武田の喉から上擦った声が洩れる。
「……出来ればあんまり驚かさないでくれないか?」
「あら。私は別に驚かしてなんかいないけど?あんまり武田さんが熱心かつ不審だったから声かけただけ」
くすりと百合枝が人の悪い笑みを浮かべてみせる。
「…………からかってくれるなよ」
苦笑を浮かべつつ、武田は緊張による汗が背中にだらだらと流れていくのを感じていた。
「で、本当に何してたわけ?」
「………ん?いや……」
あるわけがないと思いながらも試さずにいられなかった『図面にない秘密の隠し通路』を探していたとは、子供じみていて少々言いにくい。
だが、言いよどむ武田の考えを読んだかのように、百合枝は目を細めて問いかける。
「……それで、それは見つかった?」
「……いや、何も」
「じゃあ、舞台そのものに仕掛けはなし、と?」
「まあ、そうなるな」
そんなに自分は考えの読まれやすい表情をしていただろうか。
そう思いつつも、武田は気を取り直して、今度は仕込み図を一眼レフカメラに持ち替えて構える。歌姫が倒れたとされる場所を中心に位置を変えて隅々を眺めながら9回、観客席に降りて、位置を変えながら4回、シャッターを切った。
ファインダーを通せば、景色だけでなく行きかう人物たちまでが『被写体』というものに変換されて自分の中に収まっていく。
そこに存在するのは、純粋な興味と魅惑的な対象という認識だけだ。
妙齢の女性達に持つはずの苦手意識までもが介入する隙をなくす。
もしもこの舞台で起こった事件がこの世界の理から外れているのなら、間違いなく自分はそれをフレームに収めることが出来ているはずだ。
これは、自信というよりはむしろ経験から来る確信である。
「……………誰が彼女を殺したのか……ね……」
小鳥が殺したという話はどこまで信用できるのだろうか。
百合枝は視線をぐるりと巡らせて、舞台上から窺える全ての配置を確認してみる。舞台の袖から初めて、照明機具、観客席、2階のVIP席、正面上部に監視窓。
だが、彼女を死に至らしめた『小鳥』の姿はそこにない。
せめて羽毛のひとつでもどこかの隙間に紛れ混んでいるかとも思ったが、たとえ掃除で残した埃はあっても、求める手掛かりは残されていなかった。
武田とは別ブロック側の観客席へと降りた百合枝は、舞台を正面に見据えて、さらに視覚に意識を集中させる。
「ここで、こんなふうに……胸を貫かれた……」
残留思念。残り火。
翌日には、満場の拍手喝采を浴びるはずだったひとりの歌姫。
彼女の想いが、そして、彼女と同じようにこの場所に立ってきた舞台俳優たちの想いが、揺らめく炎は赤黒く病んだ激しさを持ってそこに留まっている。
「…………魂を捧げてるって感じ」
ここに刻まれているのは栄光と挫折の記憶。
「あ、よお、ミズホちゃん!」
自分の感覚をもって死の現場に触れていく百合枝と武田とは対照的に、奇妙にはじけた明るい声が舞台端から飛び出してきた。
思わず2人がそちらへ視線を向けると、藍原が忙しく行きかうスタッフを捕まえてはひそひそと、時には豪快に言葉を投げ掛けている姿が目に入る。
「あら、和馬じゃない?なに、またこっちでバイト?」
「いよお、久しぶりだな、ミズホちゃん。笑顔が眩しいよ。臨時でちょっと世話になるんだ。よろしく頼むな!でさ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「久しぶりだねぇ、藍原くん。こっちでバイト?また宜しくたのむわよ」
「お久しぶりです、加奈さん!こちらこそよろしく頼みます。……いやあ、なんかキレイすぎて緊張しちまう。ところで、ちょっといい?」
「あ、藍原さん、こんにちは。まだ社会勉強は続けてるんですね。」
「や!どうも、雪ちゃん。相変わらず可愛いな。今回も勉強させてもらうからよろしく頼むぜ?」
さらりと軽口を挟みながら、愛想よく手を振って彼女たちの背中を見送っては、また別の女性の傍へとさりげない流れで寄っていく。
思わず、そんな彼の姿に武田は写真を撮る腕を下ろしてしまった。
女性と接するにあたり、仕事というファインダー越しでなければまともに視線を合わせることもままならない自分にとって、彼の軽快なやり取りは別次元のようにさえ思える。
「なんだ、あんた随分とここに知り合いが多いんだな」
藍原が一通りスタッフに声を掛け終えて自分たちの元へ戻って来た時、非常に正直な感想が武田の口から洩れた。
「ああ、前にこの劇団で働いたことあったんだ。俺のバイト遍歴、聞いて驚くなって感じ?そのうえ俺は、出会いを非常に大事にする主義だったりするわけで、それはもう素晴らしく人脈を広げてるんだ」
「………女性限定、だけどね」
自慢げに胸を張って答えて見せる藍原の隣で、百合枝がポツリと棘を含んだ言葉を洩らす。
「いいじゃないか。『女性に優しく』は俺の人生のモットーだぜ?百合枝の妹だってそりゃあもう大事にするっての!ドンと任せろ」
「認めてないから。悪いけど。あんたにあの子を任せるつもりもさらさらないし」
「お。なんだよ。俺のこと、誤解してんじゃないのか?」
冷ややかな一言でさらりとかわして舞台袖に向かう百合枝の後を、藍原は大股で追いかけて、さらに言い募る。
武田は思わずそれを呆然と見送ってしまった。
よく分からないが、百合枝の方から藍原へと一方的な戦いが展開されているような気もする。
「…仲悪いのかね……」
これから聞き込みを開始するには少々不安が残る取り合わせだ。
やれやれと溜息をつくと、首から提げたミネラルウォーターを一口飲んで、武田は2人の後を追いかけた。
緩やかに、そして何事もなく時間は過ぎていくかのように思われた。
だが、甲高い悲鳴をほとばしらせながら、悲劇の第4幕は唐突に開始される。
「どうしました!?」
はじめにそこへ駆けつけたのは、水上だった。
劇場で別行動を取っている武田たちを探し、イヴたちと別れてまずは1階ホール脇から捜索をはじめようと動き出したその矢先である。
響き渡る声に弾かれるようにして、床を蹴った。
曲がり角を2つ、そして突き当たりの開け放たれた扉の前で急停止する。
舞台衣装が所狭しと吊り下げられたその部屋で、今まさに生命が途切れようとしている虚ろな視線が床から自分を見上げていた。
震える唇が血液と一緒に何事かを吐き出しても、その言葉を拾い上げることが出来ない。
彼女は確か、衣装を担当していた細川という女性ではなかっただろうか。
「誰か!誰か来てください!!」
肩から胸にかけて引き裂かれた傷に内ポケットから取り出したコーラルをあてがい、手のひらで石が持つ止血作用を増幅させながら、水上は叫んだ。
「どうした!?」
「何があった!?」
悲鳴と叫び声に反応し、作業を中断したスタッフ達がばたばたと集まってくる。
「おい!大丈夫か!?息はあるんだな!?」
次々と出来ていく人垣を掻き分けるようにして部屋に入り込んできたのは、聞き込みを始めていた武田である。
「何とか血は止まりつつあります。救急車の手配をお願いします!」
「あ、ああ!了解だ!」
急激に変化していく状況の中、百合枝と藍原は現場となった部屋が踏み荒らされないよう扉の直前で人を押し留める。
「今度は上田さんだ」
「また、小鳥が出たんだ」
「見たよな?やっぱり見たよな?」
連絡を受けた救急隊員が彼女を搬送していくまで、周囲はざわざわと不穏な言葉を囁き、不安の波紋は広がっていく。
それを背後に感じながら、水上は床で既に冷たくなった血溜まりをじっと見つめた。
「一体、犯人はどうやって……」
彼女の悲鳴を聞いてから、自分がここへ駆けつけるまでの所要時間は僅か1〜2分程度である。
だが、自分は何も見ていない。
不審者と思しきものが走り去る姿も、それが落とす影すらも水上は捉えていないのだ。
百合枝が、遅れてやってきたイヴに状況の説明をしている。
武田が一度だけこの部屋でシャッターを切った。
フラッシュの瞬きに眼を眩ませながら、水上はただ静かに思考する。
「次は神官だ……」
「!?」
ざわめく言葉たちの中に紛れ込んだ異質な呟き。
そして、ひどく場違いな小鳥の羽音らしきもの。
それを拾うことが出来たのは、出来上がった人垣の向こう側に遅れて辿り着いたシュラインだけであった。
どこから発せられた音なのか、その場所を探るように視線をめぐらせ、その先に、野次馬の輪からひとり外れて通路の向こう側に曲がりかける青年の姿を見つけた。
いまだ騒然として事態に怯えと好奇心を膨らませる人々の中で、彼の温度だけがひどく冷めているのを感じる。
「あの、ちょっとすみません!」
喧騒を抜けて、シュラインは慌てて追いかけ、彼の背中に声を掛ける。
突然の呼び止めに、青年は肩越しに視線だけを投げて寄越した。酷薄な面を貼り付けた、無機質な瞳がシュラインを捕らえる。
「今、次は葬儀屋だって、仰ってましたよね?」
男の視線を正面に見据え、シュラインはストレートに言葉をぶつけた。それで得られる反応をひとつの判断材料にするつもりで。
だが、男はただ重苦しい表情でじっと見つめるだけで、一言も言葉を返さないまま、再び背を向けて廊下の向こう側に消えてしまった。
「あ、あの」
空気の温度が冷えた気がする。肌がずっと粟立っているのを自覚しながら、シュラインは更に彼の後ろ姿を追いかけたが、角を曲がった時にはもう相手を完全に見失っていた。
自分の耳には絶対の自信がある。
彼で間違いないはずなのだ。
何かを知っている。その『何か』が、この事件の謎を解く鍵になっているはずなのだ。
「今の人、顔合わせのときにはいなかった人ね?」
「きゃ!」
いきなり背後から声をかけられ、思考することに集中しきっていたシュラインの心臓は見事に跳ね上がった。
動悸を抑えながら振り返ると、大きな緑の瞳が興味深げに自分を覗き込んでくるのが見える。
「ね?」
「………イ、イヴちゃん、いつの間に……」
「シュラインさんが誰かを追いかけていくのが見えたから、わたしも更にその後を追いかけちゃったの」
そうしてシュラインの脇をするりと抜けて、イヴは男が消えた廊下へ視線を向けた。
鋭い光が彼女の瞳に閃く。
「………ねぇ?何を話していたの?」
「ほとんど何も…じゃないわね。全くの不成立。一言も返してこなかったわ、彼」
「ふうん………」
イヴの瞳がすぅっと細められた。
シュラインは気付かない。だが、自分には廊下の向こう側にかすかにわだかまる闇の気配を肌で感じることが出来た。
穢れ、変質した空気の匂いが、かすかにまだここに漂っているのが分かる。
尋常な世界から外れたもの。
あの人が誰かを探ることで、どこかの糸が繋がると直感する。
*
たとえばそれは純然たる愛であり情熱であり狂気である。
弔いの松明を振りかざし、痛みと憎しみに身を委ねても、そこにあるのはただひたすらに深い愛。
*
「稽古を開始します!2幕1場、王宮の裏庭からのスタートです」
舞台監督助手のアナウンスが、待機中のキャストたち全員の頭上に振りまかれた。
代役はイヴを含めて3人。彼女達は渡された台本を片手に、私服のままで演出家の支持を受けながら稽古場に立つ。
つい先程までの混乱が嘘のように、キャストたちは自分たちが住む架空の世界を作り上げ、意識も身体も全てでそこに同化し、現実世界のように振る舞い始めた。
緊張感もまた、死を恐れるものから舞台に立つ行為そのものへと質が変わってしまっている。
人が死んだ。
そして、今日も劇場で仲間のひとりが病院へと搬送された。
にもかかわらず、彼女たちの中に怯えは微塵もない。
架空の世界で生と死を繰り返し、苛烈でドラマチックな人生を紡ぎ続けるのだ。
見るものに、ソレがあたかも現実であるかのように錯覚させるほど、舞台俳優たちの物語は力を持っていた。
イヴは自らも舞台に立ち彼らと世界を共有しながら、一方で彼らを内側から観察する。
キャストたちが互いに向け合う感情も自分に向けられる興味や誹謗中傷すらも、その肌で感じ、受け止めながら、緩やかに彼らの抱える綻びを探っていく。
水上と百合枝、そして武田の3人は、上手側後方の客席から、演技に没頭する役者たちとその周辺で不穏に動くものがないのかを監視していた。
写真の許可を受けた武田は、時折、役者たちの邪魔にならない場面でシャッターを切る。
「藤井さん……何か見えますか?」
水上は、隣に立つ百合枝と視線を合わせないままに問いかける。ざわつく感覚は自分だけのものなのか、それを確かめたかった。
「あの場所に、何か見えませんか?」
「赤黒く激しい光……肌が灼けそうなほどの、ね」
見えなくていいものが見えてくる。
どす黒く歪んだ情念は、長い時間を掛けて澱のようにこびりついているのかもしれない。
絡み合う情念。
それは妄執であり、純然たる狂気だ。
もしもイヴが名乗り出なければ、百合枝は自分が囮となって舞台に上がるつもりでいた。
だが今は、それをやらずに済んだことを感謝している。
地獄の業火に身を晒しながら演技し続けるなど自分には到底出来はしない。そんなことをすれば、事件を解決する前にこちらの神経が焼き切れてしまう。
「あんな場所が現実に存在してるってのが信じられないね」
舞台には魔物が住んでいる。
あの言葉は単なる比喩ではないのかもしれないと百合枝は思う。
「あんたたちには見えるんだな……あの場所に何があるのか……」
霊能力とは無縁の武田にとって、彼女達と感覚をそのまま共有することは出来ない。
「武田さんの写真にも多分写っていると思うよ。どんなカタチになってるかは分かんないけどね」
「……そうだな」
多分、写っている。いや、写ると思ってシャッターを切っているのだ。むしろ何もない方が自分は不審に思うだろう。
そういう感覚でいることが時折妙におかしくなる。
「もし、このままこのメンバーで初日を迎えたいのだとしたら、護衛もですが、多分それ以上の仕込みをしなくては手に負えなくなるかもしれませんね……」
水上が溜息のように呟いた。
あらゆる事態に対応するには、それを想定した防御策を講じなければならない。
2階のスタッフルームでは、藍原が待機中の小道具係の女性スタッフを捕まえていた。
「あら、和馬ちゃん」
「ども、元気してました、美香さん?ええと、ちょっとナイショ話したいんだけど、いい?」
「……ナイショ話?何かしら?」
赤い唇を楽しげな笑みの形に変えて、彼女は目を細めて藍原を見る。
「ん〜、バイトする身としてさ、ちょちょっと気になることがあって」
誰もいないことを確認し、するりと部屋の中に入り込んで、扉を閉める。
それから彼女のすぐ傍まで身を寄せると、子供のような顔で屈んで顔を覗き込む。
「あのさ、実際どうなわけ?変な事件、立て続けに起きてるだろ?呪いとかって話も聞いたんだけど。これ、マジなわけ?」
「呪い……まあ、確かに呪いよね」
そんなことを聞きたいの?と、彼女の表情は『仕方のない子だ』というふうに艶やかな笑みから困った苦笑に変わる。
「あのね、和馬ちゃんは見なかった?」
「何を?」
「小鳥。上田ちゃんのときに見なかった?現場にいたんでしょ?」
「あ〜、なんか他の奴らが確か小鳥がどうとかって言ってたな。俺は実物見てねえけど……なに?これってそんなにメジャーな噂?」
「皆、なんだかんだ言って怖いのよ」
美香は肩をすくめて笑う。
「何人かは実際に見たらしいわ。黒い小鳥がね、すごいスピードで襲い掛かってくるんだって。多分、上田ちゃんもおんなじこと言うと思うな」
水上が石の力をもって出血を止めた彼女は今、病院のベッドで処置を受けている。命に別状はないという連絡が入っていた。
もし聞けるなら、それは確かめてみたいと藍原は思う。
「じゃあさ、舞台そのものに関しては、どう?」
「最高のスタッフと最高のキャストに恵まれた最高の舞台、になる予定だったもの、だと思うわよ?」
広報活動で大いに効力を発揮する完璧な営業スマイルを浮かべて、彼女は記者会見のために用意されたかのような答えを返す。
「竹内監督もとても熱心で取り組んでいるし、それはもう、檄が飛ばない日はないって感じね。全精力を傾けてる。情熱って言うのかな?これに全てを賭けてるんだって感じは悪くないわね」
「そうでなくさ。ぶっちゃけ、ここだけの話が聞きたいんだけど」
身を乗り出して、真顔で彼女を見つめる。
「美香さんから見て、今回はどうよ?」
今必要なのは、表面的なことや対外的なことよりも、一個人として彼女が持った印象であり情報だ。
「嫌なこと聞いてくるわね、和馬ちゃん」
「まあ……頼むって」
両手を顔の前で合わせて拝み倒す。
そんな藍原の態度に、美香はもったいぶるようにゆっくりとその口を開いた。
「ここだけの話にしてよ?でないと、あたしが仕事干されちゃう」
そう釘を刺しながらも一種愉しげな色を混ぜて囁かれるのは、辛辣な批評だった。
「ホンの出来は最高よ?初めて読んだ時、ひさしぶりにザーッて全身に鳥肌立ったもの。舞台監督の竹内さん、ね。裏じゃもうダメじゃないかって言われてたのに、まさに起死回生」
「ダメ?」
「ここ最近手掛けた舞台は全然奮わなかったし、廃れて忘れ去られるのも時間の問題かって感じだったのよ?なのに、あれでしょ?もう、びっくり。ただね。脚本家は亡くなっちゃったのよ」
「亡くなった?どうして?いつ?」
「詳しいことは分からないけど、どうやら自殺だったみたい。配役が決まって顔合わせが済んだあたりかな?これから本格始動ってとこで、いきなり。あの時はみんな呆然としてたっけ」
数ヶ月前の出来事をひどく遠くに感じながら、美香は答える。
彼女の言葉に、藍原の中で何かがひとつ繋がりそうな予感がした。
「……つまりこの『鳥姫の葬列』は、そのまま死んだ脚本家の追悼でもあると、そういうことか?」
事実上の遺作となった青年の舞台脚本。ある意味、話題性も高いだろう。落ち目の監督にとっては全てが利用できる
「じゃあさ、自殺の動機は?なんか聞いてない?」
「さあ?死んだ人間がなに考えてたかなんて私は知らない。ただなんて言うかなぁ。城田ちゃんってものすご〜く繊細だったからねぇ……あたしらじゃ分からない何かがあったのかもね」
何が死に至るほどに彼を追い詰めたのか。
そして、次々と物語をなぞるように死を振りまいていく小鳥たちは一体なんなのか。
それを知るキーワードは、脚本そのものに隠されているのだろうか。
藍原は美香に礼を言って部屋を出ると、携帯でメールを打ちながらその足で武田たちのいる舞台へと向かった。
シュラインは、写真が添付された関係者リストを竹内から入手すると、ひとつひとつを検証しながら単独で聞き込みを行っていた。
携帯電話には時折、藍原やイヴたちたちが探った劇団の内部事情がメールされてくる。
この舞台が立ち上がった時点から関わっている者たちと、関わろうとして篩い落とされてしまった者たち。そして、あの現場で自分が声を聞き、イヴと見たあの青年が何者かを知るために。
そこからこの悲劇の連鎖を生み出す要因があるのかもしれなかった。
「大道具の木内さん、ですよね?」
周囲は見回し、他に誰もいないことを確認すると、シュラインは舞台裏の隅でセットの補修を行っていた男の背に声を掛けた。
「私、シュライン・エマと申します。少々、この舞台のことで木内さんにお伺いしたいことがあるんですが」
胡乱な目つきで振り返り、それからゆっくりと値踏みするようにシュラインを下から順に見上げていく。
「ああ、あんたらか?わざわざ死んだ女の代わりに鳥姫の候補になったってヤツは」
「……以前、貴方は脚本家の城田氏は監督に殺されたんだと、そう仰られていたそうですね?」
不穏な噂をそのまま彼にぶつけてみる。一瞬の動揺を引き出せないかという期待がそこにはあった。
だが、くたびれたスーツ姿の男は、別段驚いたふうもなく、ただ挑発的な視線を投げて寄越すだけだ。
「ああ、仰ってましたな」
そうして、にぃっと歪んだ笑みを口元に浮かべてみせる。
「それがどういう意味なのか、お伺いしたいのですけど?」
「ふうん……あんた、何?何でンなことをオレに聞くわけ?」
「気になったから、かしらね?」
「ふうん…へぇ……まあいいか。お嬢さん、覚えておきな。これは城田の呪いだ。怖い目に遭いたくなけりゃ関わんねえ方がいい」
「呪い?」
「下手に首を突っ込むとエライ目にあう。好奇心は猫を殺すんだ。その年で死んじゃもったいねえやな」
ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべて、男は次の持ち場へ移動した。
全体の流れを確認するために行われたリハーサルは、2時間後には休憩を迎えていた。
更衣室で着替えを済ませたら、今度は衣装をまとってのゲネプロが待っている。
「ねえ、あんた。よくこんな舞台に関わろうなんて思ったね。なんかあるわけ?」
スタッフの手を借りてようやく鳥姫の衣装に着替え終わったイヴを、ベテラン女優は揶揄するように鏡越しに視線を合わせて問いかけてきた。
「……あの、こんな舞台、なんですか?」
あくまでも役者の立場から舞台に関わるものとしての好奇心という表情で、イヴは彼女を振り返り、首を傾げてみせる。
「スタッフもキャストも最高の質で構成された舞台だと聞いて来たんですけど、それでも、『こんな』って言われてしまうんですか?」
甘く耳に心地よい声と大きな瞳は、女優の自尊心を上手い具合にくすぐった。
「なんだい。あんた、何にも知らないのかい?」
大袈裟に驚いて見せた後、彼女はイヴの細い肩に手を回して自分の方へ引き寄せる。
そうして、耳元でひそひそと自慢げに、かつ愉しげに噂話を打ち明けた。
「この舞台はさ、呪われてるんだよ。小鳥はあちこちに飛んでる。そいつらのせいで次々と人が死んでいく。これは鳥姫の呪いなんじゃないかって噂も出てるんだよ」
「呪い…『鳥姫』が皆さんを呪うんですか?」
「脚本書いた男の妄執かもしれないね。脚本書いたヤツはとっくに自殺していないんだよ。真っ先にヤられちまったのかね?」
普通に聞けば、随分と胡散臭い内容だ。だが、ソレがあながち全くの空想ごとだと思えない何かを感じる。
「……なら、彼女については?最初に死んだ歌姫。あの人もやっぱり呪いなのかしら?」
もしチカラあるものが今のイヴを見たとしたら、おそらくは彼女の周囲に甘く密やかな誘惑を示す淡い薄紅色の焔をそこに感じるだろう。
イヴの歌声には間違いなくある種のチカラが存在する。いつの間にか心の隙間から入り込み、それと気付かないうちに魅了される。
女優もまた、それに近い状態に陥っているのだと思われた。
問われるままに、彼女は言葉を発する。まるで自分の意思でそうしているのだと信じて疑いもせずに。
「最初に死んだ子?ああ、あの子は罰がむしろあたったんじゃないかい?死んだ人間の悪口は言いたかないけどさ、あの子、主役の座を射止めるのにかなり裏で動いたらしいのよ」
嫌な笑いだと思う。そして嫌な話だ。
これは多分、嫉妬から来る誹謗中傷。
小鳥が死を運ぶというお伽噺めいた世界を作り上げながら、一方で人を蹴落としたから小鳥に罰を受けたというのは、うまく言えないがどこかで何かが決定的にずれている気がする。
「まあ、サクセス・ストーリーの主役狙ってるのは1人じゃないよ。もちろん、男も女も関係ない。殺されないように気を付けなさいな、お嬢さん」
やや豊満すぎる身体を揺すって、女優は笑いながら更衣室を出て行った。
イヴはただ無言で、彼女の背中を見送る。
鳥姫の呪い。死を運ぶ小鳥。脚本家の自殺。連鎖する悲劇。
シュラインと共に見たあの男。彼はどこに繋がるのだろうか。
*
I smell the blood of the culprit.
*
武田は自宅の暗室にバットを並べ、薬品の入ったそこからいくつもの写真を拾い上げていく。
赤い光の中で現像したそこには、少々厄介なものも当然写りこんでいた。
「やっぱりどう見ても、鳥、だな」
羽ばたきを見せる小鳥の黒い影をカメラは確かに捕らえていた。
舞台監督とキャスト、中でもイヴの周囲に不穏な影がちらついている。また、舞台のそこかしこにも小鳥はいる。
それは1羽のこともあれば、寄り集まって群れを為すものもあり、舞台で写した1枚には、直滑降で黒い尾を引きながら突っ込んでいく姿が捉えられていた。
「…………誰が小鳥を殺したのか、じゃねえな。これじゃあ誰を小鳥が殺すのか、だ」
思考を切り替えるように軽く頭を振って、それから暗室を出ると、武田は胸ポケットから携帯電話を取り出した。
アドレスを開けば、仕事で付き合いの出来た業界の人間の名前が並んでいる。
その中で最もふさわしく、かつこの時間に捕まる人間の番号をひとつはじき出して、呼び出してみる。
案の定、相手は3コールの間であっさりと反応を返してきた。
軽く挨拶を交わしてすぐに武田は本題を切り出した。
『なに?武田ちゃん、あの事件に首突っ込んでるわけぇ?マジ?』
電話口で大袈裟に驚く相手に、バツの悪そうな顔で頭を掻く。
「マジ。ちょっとほっとけねえ状況なんだよ。で、だ。あんたなら知ってるかと思ったんだが……」
過去に小鳥が犯人なのではと噂されるような事件はなかったか。もしくはそれに類似したものでも構わない。
この事件は今回だけで完結された物語なのか、それとも断続的であってもどこかで何かと繋がる大きな流れのひとつと見做した方がいいのか。
あの劇場そのものに曰くはないのか。
武田はそれを確かめたかった。
だが、相手の返答は実にあっさりとしたものだった。
答えはNOである。
「これでひとつの可能性が消えたな」
あともう1時間もすれば、シュラインたちと情報交換のために興信所で落ち合うことになる。
早く写真の選別作業を終わらせなければならない。
そう思い、現像作業に戻った武田の手が思わず止まってしまった。
それはイヴと藍原がそれぞれ映りこんでいる写真だった。
真剣に稽古に励む彼女や、舞台裏に女性スタッフに聞き込みをしている彼の姿。
本来ならばどうということのないスナップ写真のはずのそこには、まるで衣装と特殊メイクを施したのではないかと思われるような、写るはずのない姿がはっきりと現れていた。
これが2人の本来の姿、なのだろうか。
「………………」
どうしようか。
武田は3秒間の思案後、それから何事のなかったかのようにそれらをすみやかに内ポケットへしまいこんだ。
「…………オレは何も見なかった」
写ってしまったものは仕方ないが、それでもむやみに詮索するのは主義じゃない。
欲しいというのなら、本人達に今度こっそり渡すことにしよう。
そう決めて、武田は再び必要な写真だけを選別し始めた。
警察の捜査が強化される中、シュラインは現場となった劇場の隅でひとりの刑事に声をかけていた。
「あれ、エマちゃん?」
「ごめん。ちょっとだけいい?」
人目を避けるように細い通路へ身を潜ませ、静かにと唇に指を当てて意思表示する。
彼は一瞬だけ周囲を見回し、それからするりと捜査員達の輪から抜け出してきた。
「なに、どうしたの?本職関係?エマちゃん、劇団やってたっけ?でも今の今まで関係者リストには載ってなかったよね?あ、もしかして草間さん経由だったりする?」
出来る限り声のトーンを落としながらも矢継ぎ早に問いかけてくる青年に、シュラインは思わず苦笑を浮かべる。
「草間興信所がらみ、よ。でも、一応歌姫候補の関係者ってことでここに入ってるから、ここの方達には内緒にしておいてくれる?」
「ん?ん〜、了解。で、オレを呼んでどうしたわけ?何かいいネタでも掴んでるのかな?」
もしも有益なネタを掴んでいるのなら、こちらとの情報交換に応じなくもない。そう彼の目は語っている。
「……そうね、いいネタ、かも知れない」
探り合うように互いに視線を交わす。
「聞きたいのは被害者の死因と遺体の状況。何か共通点とか、ないかしら?」
「なにか、ねえ?エマちゃんが掴んでるネタ次第で、独り言、言ってもいいけど?」
探るように目を細めて見上げてくる彼に、シュラインはあらかじめ用意していた条件をそっと提示した。
「……この近くに新しく出来たティールーム、季節のフルーツワッフルのセットがすごく美味しいって人気らしいんだけど…どうかしら?」
ひどく魅惑的な誘いと共に切れ長の眼を相手に向ける。
「……………いいねぇ」
商談成立、まさにそんな瞬間だった。
待ち合わせを決めて、3時間後。2人はカントリー調の可愛らしい店でテーブルを挟んで向かい合っていた。
「あの舞台で起こった殺人事件の死因について?それならいくらでも答えてやるよ。お安い御用だ」
大きな白い皿の上に芸術的に配置されたワッフルをナイフとフォークで美味しく頂きながら、彼はシュラインに幸せそうな笑みを浮かべて見せる。
1人目は胸を、2人目は胸と眼を、そして3人目は全身を、まるで鋭いくちばしで啄ばまれたかのような傷を残して亡くなっている。
死因は全て出血多量によるショック死であり、4人目もあともう少しでも救助が遅れたら他の者たちと同じ末路を辿っていたという。
「……やっぱり、小鳥、なのね……ん、ありがと」
1,260円で得られるには重要かつ貴重すぎる情報を手帳に書き込むと、シュラインは、生クリームたっぷりのワッフルを頬張る彼と同じようににっこりと笑った。
ただでさえ手狭な興信所の応接間は、現在6人の調査員たちによって見事なまでに占拠されている。
途中経過の報告も兼ねて集まった彼らに、草間は何も言わず場所を提供し、自分はふらりと出かけてしまった。
全員で取り囲んだ机の上に、シュラインは、四角く枠を取った白い紙を4枚並べておく。それから、一枚一枚に人を表す円を描いてから矢印と細かなメモをいくつも書き込んでいった。
歌姫が舞台に沈んだあの日の光景が、そして、立て続けに起きた3つの事件の状況が記号となってそこに再現される。
「状況を整理すると、こうなるのよね?」
こつこつと、ペンの先で軽く突く。
歌姫が死の底に沈んだ時、舞台上にいたのは彼女を含めて19名。そのうち、キャストは14名であり、残りは彼女達をねぎらうために舞台へ上がったスタッフである。
舞台の袖や周辺には更に何人ものスタッフが待機していたこと、そして残りの3件は周囲に人が多すぎたり立ち位置が曖昧だったりということで、そこから犯人を絞り込むのは少々困難だった。
だが、状況はむしろ、誰がそこにいたのかではなく、どうして彼女たちでなければならなかったのかという疑問に焦点が当たる。
「で、実際の現場はこうなっている、と」
武田はその上に写真をひとつずつ乗せていく。
観客席、舞台、メインスタッフ、キャスト。そして、本来ならば何を写したのかも判然としないはずの空間を数箇所。
それらにはほとんど全てに小鳥を思わせる影が写りこんでいた。
「しっかし、あっちこっちにいるなぁ。そこら中小鳥だらけじゃん」
一枚を手に取ってしげしげと眺めながら、藍原がそんな感想を洩らす。
「こりゃ、確かに見たくなくても見そうだ。あいつらん中で一番メジャーな噂がコレってのも頷けるよな」
「やっぱり噂になってんだね?」
「皆、小鳥を見てんだよ。ああ、いや、小鳥らしきもの、か。事件が起こるたびに噂はどんどん噂じゃなくなる」
百合枝の言葉に頷いて、それからにぃっと藍原は笑う。
「…………誰が彼女を殺したのか……」
知らず知らず、イヴは口の中で呟いていた。
自分が演じる鳥の姫君。彼女は小鳥を引き連れて復讐を行う。弔いのために捌きを与える小鳥たちの存在はとても哀しいけれど、彼女を慕うその想いはどこまでも純粋なものなのだ。
「………いろんな噂を聞くの。歌姫だって清廉潔白な少女じゃなかった。嫉妬もあるし、犠牲にしてきたものも大きいと思う。でも、やっぱりこの事件を起こしているのは人間ではありえない……」
人が紡ぐにしては、あまりにも不可解すぎるのだ。
なによりも、武田の写真が明確に主張している。
「疑い出したらキリがないんだけどね。なにもかもが怪しく思えるの。舞台監督の執着すら、私には少し異常に映るわ」
肩をすくめて苦笑を浮かべるシュラインに、水上は肯定の意思を返す。
「同感ですよ。彼はあまりにも不審な点が多すぎる」
人は様々な事情を抱えているものだ。ソレを表に出すかどうかは別にして。だが、時折発せられる竹内の言動は、どこかおかしな方向に捩れてしまっている。
「あ、それならこっちの情報がいいかもな」
そして藍原は、竹内の写る写真をひらひらさせながら調査員達に向き直った。
「もうひとつ、アングラな噂があるんだ。コイツは主役。起死回生を狙った落ち目の舞台監督な」
美香たちスタッフがこっそり囁くナイショ話。
「そんで、もうひとりの噂の主役が自殺したって脚本家。えっと……ああ、こいつ!城田」
「え」
「あ。この人!」
「待て。俺はこんなもの撮ってないぞ?」
藍原が指差したものに、シュラインとイヴは探していた人物を見つけ、持って来た覚えも撮った記憶もない写真が紛れ込んでいたことに武田が驚きの声を上げた。
百合枝と水上はそんな4人の反応と、その後に続く竹内に関する噂めいた話に耳を傾け、そこから導き出されていくひとつの可能性に眉をひそめる。
「それから、これは私の印象でしかないんだけどね。聞いてもらっていいかしら?ここに描かれているお話って、ある種の狂気よね?」
シュラインの細い指が、コツコツと台本の表紙を弾く。
「彼女を愛していた王子様が、最後の最後で殺された鳥姫の救いになっている。彼の愛で彼女は救われ、浄化される。でも、妙にそこがぎこちないって感じちゃうのよ」
まるで既に完成し、しっかりと閉じられた物語に無理矢理付け足したかのようなチグハグさを感じてならない。
そこにあるのは、奇妙な違和感だ。
翻訳家として、そして時にはゴーストライターとして誰かが紡ぐ『物語』に関わることが多いからこそ感じるものなのかもしれない。
「………あのさ、シュライン?あんたの言い方だと、なんだかありがちだけど全然歓迎できない『裏』を考えさせられるんだけど?」
全員の言葉を代表するように、百合枝がそっと確認のための問いを投げ掛ける。
「………もしかしたら、そういう事情があるのかもしれないって思うのよ」
自殺した城田秋彦。チグハグな印象の脚本。起死回生を狙い、舞台に固執する竹内。鳥姫の葬列をなぞるように現れる無数の小鳥。
「2日後のゲネプロ。初回公演の前日にあたるその日に、すべての答えが出るのかもしれませんね」
水上は白い紙面と並んだ写真を見つけて、ポツリと呟いた。
*
With my knife and poison, I killed little bird.
*
劇場に再び『初日前日』という特別な時間がやって来る。
あれから死の連鎖は起きていない。
イヴが舞台に立つことで全てがリセットされたのだとしたら、あの日起きた悲劇と同じ時間がやってくることになる。
次はイヴの番だ。
だが、もう一度ことが繰り返されれば、今度こそ『鳥姫の葬列』は永久にこの劇場から姿を消すだろう。
だが、そうはさせない。
そのために彼らはここにいるのだから。
「ああ、舞台へ上がる前に。イヴさん、宜しければこれをお持ちいただけますか?」
水上は大きなトランクを机の上に開くと、中からくすんだ色のメノウをひとつ取り出し、そっと握りこんで軽く力を込める。
そうして差し出されたのは、ふたつに割れた石の片割れだった。
「あ」
受け取った彼女は思わず感嘆の声を洩らす。
鍾乳洞を思わせる空洞でキラキラと細かな光が内部で乱反射を繰り返す様は、外観からは到底想像できないものだった。
「すごいキレイ。これはなに?」
「サンダーエッグというんです。雷鳥の卵……まさに、という感じがしませんか?」
ジュエリーデザイナーは穏やかに微笑んでみせる。
身代わりの石。呪を跳ね返す力を秘めるもの。
「しっかりと護衛させていただきます」
「あ、安心してくれ。俺もばっちり守ってやるから」
水上とイヴの肩に腕を回し、気前よく藍原が笑って見せた。
「お嬢さんは自分の仕事をしてきてくれ。なんて俺が言う必要もないか」
一歩距離を置いた場所から、武田が照れながら笑う。
「皆いるもの、大丈夫。しっかりわたしのこと、守ってくれるものね」
にっこりと、イヴの満面の笑みが仲間達を捕らえる。
「何も起きないように、和馬がしっかりと身体を張るから心配要らないわ」
百合枝からくすりと小さい笑いが洩れる。
「さてと、今日できっちりケリをつけましょ?」
シュラインの凛とした声に、全員がしっかりとした頷きで決意を返し、そして彼女達は舞台に向かった。
開幕のベルが鳴り、緞帳が重たげに左右へと引き摺られていく。
息を呑む、完全なる静寂。
闇の中で断末魔のごとき鳥姫の歌が、突然場内に響き渡る。
それを合図に、小鳥たちは花と小川と緑の美しい野原で飛び回る。
哀しい歌声が一羽、二羽と連なっていき、最後には8羽で声を合わせてすすり泣きながら弔いの鐘を鳴らす。
死の装束に身を包んだ鳥姫は、小鳥たちに導かれるようにして棺の中から甦り、彼女の死を悼む者たちの間を緩やかに切なげに舞い始めた。
誰が自分を殺したのか。
何故自分は殺されたのか。
その答えを求めながら、彼女と、彼女の僕たる小鳥によって復讐は進行していく。
息を呑むほどに凄まじい迫力がそこにはあった。
誰もがイヴの演技に目を奪われ、彼女の一挙手一投足、そして奏でる音に魅了されていく。
演技指導するはずの舞台監督までが、彼女の世界に引き込まれていた。
「………何か聞こえるか?」
「いえ、まだ何も」
武田の問いに、シュラインが短く返す。
「嫌な空気は充ち始めてるぜ?病んだ匂いがする」
すんっと、藍原が息を吸い込む。
「しっかし見事なもんだな。あっという間に台本暗記して、今じゃすっかり主役の存在感ばっちりだ」
武田はファインダー越しに舞台上の彼女を見つめた。
「イヴちゃん?彼女は……そうね。すごいと思うわ」
「あいつは『特別製』だ。引き摺られねえようにしろよな、隆之?」
何かあっても男は助けないと悪びれなく宣言する藍原は、舞台から顔を逸らさず、視線だけをちらりと武田に向けた。
藍原の嗅覚は、イヴがどちらかと言えば自分と同じ、正確には自分とすら違う世界の存在であることを嗅ぎ取っている。
誘惑の甘い香りが、彼女の歌声と共にゆるやかに劇場を包んでいく。
そして自分もまた、彼女の香りの下に忍ばせるようにして劇場をある種の力で覆っていく。
発動のタイミングはもう間もなくやって来る。
物語が佳境に入る。
鳥姫は復讐の最後に、死してなお愛を捧げてくれる王子にその身を捧げ、小鳥と共に冥府へと降りていくその幕が閉じた瞬間。
「羽音?」
「来た」
緊張が彼らの空気を変えた。
誰が小鳥を殺したのか何故小鳥を殺したのか罪人の血の匂いがする弔いの鐘を鳴らそう
歌声に重なる無数の羽音。
姿の見えない小鳥の羽音は次第に大きくうねりながら、攻撃的な色を帯びていく。
「影が来ます!!」
水上たちの鋭い声に、スタッフやキャストたちは凍りつき、悲鳴を上げ、舞台の上でただひとり冷静さを保つイヴを残して、混乱が拡大していく。
小鳥の影は膨れ上がり、収縮し、そうして鳥姫の心臓を目掛けて矢となった。
ナゼコロシタナゼコロシタノダナゼナゼナゼナゼナゼ――――――
「―――――ッ」
水上の手の中でサンダーエッグの片割れが粉々に砕け散る。
百合枝が客席を飛び越え、イヴの元へ走る。
シュラインは誰にも掻き消されない大音量で、キャストたちをイヴの周囲から遠ざける。
イヴが受けた攻撃の反動はそのまま水上の身体に還り、衝撃に耐性のない細い身体がガタンと激しく後ろへ吹き飛ばされた。
同時に、世界は一瞬で色を変える。
劇場全体を包み込む藍原の結界が、調査員達と小鳥、そしてひとりの男だけを現実世界から完全に隔離したのだ。
「くっ!!」
客席の床に激突する寸前で、水上を背後から抱きとめたのは武田の身体だった。
「――――っ……だ、大丈夫か?」
「……あ、有難うございます……すみません、重いですよね?」
全身に痛みが走り、筋肉も骨も軋む中で、水上はそれでも武田を見上げて微笑んだ。
「いや、機材に比べりゃ、アンタは軽すぎるくらいだ。もう少し筋肉つけねえと、また吹っ飛ばされる」
いいながら、武田は水上に手を貸しながら、自身も体勢を立て直す。
「まだまだ運動の成果は出ないみたいですね」
砕けたサンダーエッグの破片が、手の中からざらざらと床に落ちる。
「のん気に話てんなよ、あんたら。見ろよ。女性人はもうあいつらと対峙してるぜ?」
藍原が示す視線の先。
舞台の中心で、3人の女性達が竹内を庇うように無数の小鳥の前に立ちはだかっていた。
攻撃は、すでにその矛先を変えていた。
「こ、これは一体なんなんだ!?」
群がる小鳥に髪も服も手も足もついばまれ、毟られながら、男は必死に顔を腕で庇い、苦痛と混乱の悲鳴を上げた。
その足元には、サンダーエッグの効力によって力を封じられた小鳥の影が数羽、まるで彫刻のように硬くなって転がっている。
「おい!おい、なんなんだ!!誰か、誰か!!!」
だが彼を救ったのは、誰かの腕ではなく、獣の鋭い咆哮だった。
突然の大音量が空気を揺るがし、小鳥たちは一斉に隊列を崩して空に飛び立つ。
「誰が小鳥を殺したのか」
「貴方だったんですね?竹内さん……」
「貴方が殺したのね?……そうして、貴方が、脚本の中にのみ存在するはずの小鳥たちを目覚めさせてしまった」
――――――お前が殺した、あの人を……
――――――お前が殺した、あの人の想いを……
無数の小鳥が空で渦巻き、緩やかに下降しながら収束し、観客席に青年のカタチを取って降り立った。
幽鬼のように生気のない暗く重苦しい男の名を、今ならば全員が知っている。
「城田…秋彦……」
驚愕に眼を見開く竹内の隣で、百合枝もまた『彼』を見上げた。
何故殺した何故殺したお前があの人を殺したあの人を潰してしまった――――っ!!
怒号が叩きつけられる。
「う、うるさい!私は何も悪くない!私はただ、いいものを作りたかっただけだ!!お前の脚本じゃダメだと、そう思った!流行らないものをやる訳には行かないんだよ!そして俺が作りかえたアレは確かに受けたじゃないか!!」
耳を塞ぎ、蹲り、責任転嫁と言い訳を見苦しいほど並べ立てる。
あの人を殺した。あの人は死んだ。愛するもののために、さあ、今こそ弔いの鐘を鳴らそう―――――
無数の意志が渦を巻き、影の中核を為す黒い炎が断片的な記憶となって百合枝の中に流れ込んでくる。
青年は全てを賭けていた。
既にもうこの世にいない彼女のために、美しく切ない物語の世界を完成させた。
印刷から上がってきた脚本がキャストとスタッフ全員に行き渡り、彼もそれを手にする。
疑いもしなかった。起こるはずのない出来事だった。
だが、裏切りは最も身近な人間によってもたらされる。
ラストの第8幕。
彼はキャストたちが読み上げていく物語を聞きながら、次第に自分が凍り付いていくのを感じていた。
どうしようもないほど手が震え、感覚が遠退いていく。
そして彼は、深い嘆きと共に自分の時間を止めた。
「……そういう、背景だったわけ……?」
シュラインが脚本に違和感を覚えたのも、武田が映す写真のあちこちに小鳥の影が写っていたのも、そして、イヴや藍原が掴んだ噂の数々も、すべてがひとつに繋がる。
鳥姫は、小鳥たちの復讐と弔いの鐘を受けながら永遠の闇に落ちていく。
愛するものの屍を抱いて。
ソレが、彼の描いた世界だったのだ。彼が完成させた世界だった。
歌姫の死から始まった悲劇は、小鳥たちの弔いがカタチを変えたものだったのだ。
「ダメよ」
不意に、冷静な声が、情念に呑まれかけていた百合枝の感覚に差し込まれた。
「イヴさん」
「あなた達の気持ちは分かる。でも、この男以外を巻き込めば、それはあの人の芸術を穢すことになるんだから」
蹲ったまま動かない竹内の背後から、イヴが眼差しに強い光を宿して小鳥たちに語りかける。
「そうですよ。……だからもう…よしませんか?」
浄化の石を掲げるように、武田に肩を借りながらゆっくりと観客席の一番前まで降りてきた水上の腕が持ち上がる。
「……後は全て我々に任せて、もう、あの人がいる世界に戻りませんか?」
手のひらから水晶の優しい光があふれ出す。
男の姿を為していた影が、再び小鳥へとほどけては、苦しげにまた戻ろうと羽ばたき足掻く。
限りない怒りが、浄化されることを良しとせず、必死に抵抗を繰り返している。
武田も、シュラインも、ただ見ていることしか出来ない。
藍原は、結界の維持に全精神を傾け、水上の浄化に加勢することが出来ない。
小鳥の悲鳴がなおも続く。
「歌を、お願いしてもいい?」
イヴの隣に立ち、百合枝は切なげに彼女を見つめて問いかける。
「あの小鳥たちを、本当に迎えるべき物語の最後で送ってあげて欲しいんだけど」
「いいわ。任せて」
小鳥を愛し、小鳥に愛され、小鳥たちを引き連れて冥府の闇に還る姫君。
イヴは今まさに、その『鳥姫』なのだ。
白を基調とした美しい羽根で彩られた舞台衣装をひらめかせ、百合枝が伝える真実の物語を彼女は紡ぎだす。
愛ゆえ深い嘆きの中で、王子の骸と共に小鳥を引き連れ、歌うのだ。
それはあらゆる罪への葬送曲。
そして、その身に燃えさかる憎しみへの鎮魂歌。
声にセイレーンのチカラを乗せて、ゆっくりと、確実に魂の欠片たちに音を浸透させていく。
愛しいあの人が本当に望んでいた物語がそこにある。
水晶の光に包まれ、優しい歌声に送られて、純然たる狂気と愛と情念の黒い想いはふつりふつりとやわらかい光の粒子に変わり、小鳥の影はゆるやかに空へと融けていく。
幻想的で、切なく、そして哀しい時間。
そうして最後の一羽が消えるまで、イヴは歌い続け、彼らを静かにそれを見届けた。
「…………行ったな」
「ええ、行きましたね」
「………もう、大丈夫…?」
「大丈夫よ」
「うん、大丈夫みたいね」
「んじゃあ、この結界、解くからな?」
復讐の幕が、静かに下りていく。
そして、結界の解かれた世界は再び鮮やかな色と時間を取り戻した。
ただひとり、竹内だけが己が犯した罪の前に跪き、受けた裁きに二度と立ち上がることはなかった。
*
I mourn for my love, I’ll toll the mournful bell.
*
それから一月後。
『鳥姫の葬列』は満場の拍手喝采を浴びながら初日を迎える。
歌姫が替わり、王子役メイド役が続けて替わり、最終的に舞台監督も、そしてラストそのものも大きく作り変えられたこの物語は当然様々な憶測を生んだ。
だが、それでも、舞台は幕を開けたのだ。
それがイヴのおかげであることを、シュラインは知っている。
劇団側から送られたチケットで、今、自分は草間と共に最前列でそれを鑑賞している。
愛ゆえに深い嘆き。激しい怒りと憎しみ。狂気を孕んだ美しい愛の歌を、いつか自分は理解してしまう日が来るのだろうか。
そんな想いに駆られ、ふと隣を見ると、そこには開演直後から睡魔と決死の攻防を繰り広げ、結果見事に惨敗してしまった緊張感のない彼の顔があった。
考えるの、よしましょ。意味ないもの。
苦笑と共に小さく溜息をつき、自分が抱え込みそうになっていた考えを振り払うと、後はただひたすらに、類稀な美貌と才能を持った鳥姫の世界に浸りきる。
And that’s all…?
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【1466/武田・隆之(たけだ・たかゆき)/男/35/カメラマン】
【1501/水上・巧(みなかみ・たくみ)/男/32/ジュエリーデザイナー】
【1533/藍原・和馬(あいはら・かずま)/男/920/フリーター(何でも屋)】
【1548/イヴ・ソマリア/女/502/アイドル歌手兼異世界調査員】
【1873/藤井・百合枝(ふじい・ゆりえ)/女/25/派遣社員】
【NPC/竹内・敏男(たけうち・としお)/男/62/舞台監督】
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■ ライター通信 ■
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はじめまして、こんにちは。誕生日プレゼントに湯たんぽをリクエストしてしまった寒がりライター、高槻ひかるです☆
この度は当依頼にご参加くださり、誠に有難うございます!
大変長らくお待たせいたしました『誰が小鳥を殺したのか』、ようやく皆様のもとへお届け出来ます!
相変わらず本文がとても長いです。スクロール・バーの限界に挑戦しているんじゃないかって感じです。
読むのに根性がいるような代物になってしまって、毎度のことながら本当に申し訳ありません……
お待ちいただいた分も含めて、楽しんでいただければ幸いです☆
なお、今回のシナリオはラストが個別となっております。
もし宜しければ、他の方のエンディングも覗いてみて下さいませv
<シュライン・エマPL様
9度目のご参加有難うございますvvいつもお世話になっております。
そして、相変わらずの惚れ惚れするような緻密な調査の組み立てを有難うございました。
今回は(も?)、クライマックスに至るまでの推理の流れをひとつにまとめる役割を担って頂きました。
それから、お気づきになられたでしょうか?
実はこっそりひっそりシュライン様専用の情報提供NPC(笑)が設定されております。
この存在がご迷惑でなければ良いなとドキドキしつつ、どうかこれからも宜しくしてやって下さいませ。
それではまた、別の事件でお会いできますように。
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