コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


20 二重 二十 にじゅう

あなた自身のことを一分以内に20個挙げて下さい。
そう言われて実際に一分以内に20個、自身について何かしら挙げられることは珍しい。
自分は何歳だとか、血液型は何だとか、身長と体重はどうだとか、得意なことや趣味…一見簡単そうだが、案外難しい。

 門屋は一枚の書類を眺めていた。昨日アトラス編集長である碇から、「話があるから、明日アトラス編集部に来てくれない?」と、連絡を受けて今は編集部内のとある客室にある、上等な皮製のソファに座っている。
向かいには一部で噂にもなっている脚線美の持ち主であり、昨日の電話の主である碇編集長が眼鏡越しにこちらに視線を投げていた。
こんな状況じゃなかったらその視線にうっかりクラクラきてしまいそうなのだが、生憎とそんな美味しい状況でもなんでもない。
むしろ門屋は頭の中で必死に言葉を探していた。
――ああちくしょう日本語って難しいな。
「どうかしら?」
碇が何度目かの質問をした。
腹を括れ自分!と門屋は決心して口を開いた。
言うぞ。
断るぞ。
自分には無理だ。
息を吸った。
「…考えて今日の夜にでも連絡する」
出てきた言葉はなんとも曖昧なものだった。




「何で俺がそんなもん書かなきゃなんねぇんだよ」

「来月号から癒し系のページを設けることにしたの。最初は癒しの女神か、と噂される彼女に依頼したんだけど断られたわ。その後すぐに「彼なら私の代わりに良いものが書けるはずよ」と言って、あなたを紹介したのよ」

碇麗香は編集部に現れた門屋にそう言ってエッセイを依頼した。
勿論答えは決まっている。NOだ。エッセイは書けない。
自分は物書きじゃないし、第一前釜が悪すぎる。
そんな凄腕女医が自分を推薦してくれたことは嬉しかったが、それが期待に変わり重荷に変わって肩にのしかかった。
門屋は編集部とは大違いの、自室にある簡素なソファに寝転がり、エッセイ仕事の詳細が書き記された書類越しに、煤けた天井を見ながら、息を吐いた。
「エッセイなんて…」
自分の事を多く語るのは照れもあって気が進まない。
紙を下ろし、右手を視界に見止める。
「俺の名前は門屋将太郎。俺の目の色は赤。俺は28歳…」
一つ一つ、言葉に合わせて指を折っていく。
何度かその右手指を折っては開いたところで、あっさりネタは尽きた。
仕事詳細と一緒に渡された雑誌の記事には、とある病院施設の写真が貼られている。
自分の事をカウントしたその右手で雑誌を拾い上げ、見覚えのあるようなないような、その病院の写真を見た。
思い出されるのは遠い昔のことばかりで、その中に浮かぶのは自分を癒してくれた女医の笑顔だった。
――無理だな。うん、無理だ。
本来編集部で言うべきだった言葉を何度も胸内で繰り返した。
大体なんでどうして、そんなベテラン女医が自分などを指名してきたのか。
そもそも何故アトラス編集部はこんなページを設けることにしたのか。
考えれば考えるほど疑問は尽きないのだけど。
手紙だって自分が満足するようには書けない自分に、ましてエッセイ執筆なんて勤まるわけがないのだ。
試しに白紙にそれらしきものを、帰宅してから書こうかと試みたのだが、20行もしないうちに紙は屑箱に消え去った。
自分の生い立ちとか、特別な能力とかそういったものを書けばいいのだろうか。
箇条書きにすることはかろうじて可能かもしれないが、それを人が読むような文章にすることは難しい。
国語辞典だって久しく開いていないのに。
切り取った病院の記事をクリップボードに貼り付けて、門屋はコーヒーを淹れた。
粉を二杯、角砂糖を一つ、湯を注ぐ。
――これで俺が断ったら編集部は大困りだな。ページ設けたのはいいが、女医に断られてその後釜の俺も断って、めでたくも無いが晴れて二重苦だ。編集部に恨みは無いがやっぱり断らせてもらうよ――
もうかれこれ何年前かも覚えてないが、門屋にはいまだ忘れられない女医が居る。
尊敬という言葉を持つには遠すぎるほどの衝撃を与えたその女医の影を追っている限りは、偉そうに自分の事などを文に起こしたくは無かったし、そんな技量も当然持ち合わせていない。
「何年前になるかな…」
もう一度右手を折って数えていく。
その時、けたたましく電話が鳴った。受話器を取ると艶やかな女の声。
「もしもし?連絡くれるって言ってたじゃない。結局返事はどうなるの?」
碇麗香だった。
「聞いてるの?うちの雑誌に穴あける気?駄目なら駄目で他をあたるからさっさと答えを返して頂戴」
好都合。相手から駄目だった場合のことを言ってもらうと気分が軽い。
加えて電話口だから余計に言い易い。
「せっかく敏腕女医があなたを推薦してくれてるのよ。書く気にならない?」
「そんな凄腕女医の代わりが俺に務まるわけがねぇ。それに、俺は臨床心理士であって、物書きじゃねぇから。買い被りすぎだぜ」
言った。
言い切った。
断った。
「……分かったわ。他をあたるわ。無理言って悪かったわね」
「いや、こっちこそ力になれなく申し訳ねえな。新コーナーが成功することを願ってるよ」
「そう思うならどうして引き受けてくれないかしらね」
「だから」
「分かったわよ。卑屈になってるのとは少し違うようだし、素直に駄目だったって受け止めるわ」
門屋の言葉を遮って、碇編集長は振り払うように言った。
そして短い会話の後、受話器を置いた。


エッセイなんて慣れないものに脳味噌と時間を使うより、今はここにに来る病人の心を一つでも多く治してやりたい。
「…とか、カッコ良すぎですかね。センセ」
門屋はクリップボードの病院の写真を指で弾いた。
左手に持ったコーヒーを一口すすると、静かにぬくもりが体に伝わる。
時計は午後8時20分を指していた。