コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


薄絹の惜春

 それは、とある日の午後。麗らかな春の日差しが、嬉璃の華奢な肢体を柔らかくはんなりと包み込むような穏やかな午後の事であった。
 「春?今は冬の真っ只中ぢゃろ、何を……」

 あー、こほん。そんな彼女が居住まうのは、金属で出来ているとは思えない程に、植物の蔓が絡み合う様を表現した、繊細な細工が成された純白の華奢な椅子。僅かな雑音も気にならぬふうに、嬉璃はその嫋やかな白魚の指で信楽焼きの湯呑みを取り上げる。それは嬉璃がお気に入りのティーセットのひとつ。釉薬の滴り落ちる様さえ優美、だがそれは嬉璃がその身に纏う空気程には品格を感じさせない。彼女には、生まれながらの気品と言うものがあり、それは彼女を見る人彼女と話す人、その全てが余す所なく、その魅力に捉われてしまうのだ。さながらそれは然程の努力もなく、そこに居るだけで獲物を捕らえる蜘蛛のよう、そして周囲の者達は皆哀れな虫達と言う所か。唯一、本当の虫達と違う点があるとすれば、嬉璃を巡る虫達は須くその境遇を悲観する所か、し至福の悦びと捉えている事であろう。
 「…。と言うか、蜘蛛に例えはないであろ……」
 「げっほんごっほん!」

 嬉璃は、湯呑みを持ち上げる手とは逆の白魚で、天鵞絨の、薄薔薇色を散らした着物の裾を捌き、瑠璃色をした繻子引きの草履の裏をさくりと鳴らした。痛々しい程のその白い小さな踵でさえ、嬉璃本体の美しさに嫉妬をしているかのようである。我が身に嫉妬される程の嬉璃の魅力、それは容姿造形の確かさもさる事ながら、その内面から滲み出る、絢爛たる嬉璃の魂そのもののように、ふ馥郁たる芳香にも似た麗しさに他ならなかった。嬉璃:僅かに伏せた視線をゆっくりと宙へ向ける、己の美貌に堕ちた者達を哀れみつつも慈愛するように…ってすまぬ、これは芝居の部分じゃな。ナレーションでは無かったのぅ。
 (がちょ!と情緒のない音がして信楽焼きの湯呑みが手から零れ落ちた。慌ててそれを拾い、取り繕ったように歪んだ笑みを浮かべるも、傍らの童女はただにっこりと笑み返すだけであった)

 (こほん)嬉璃が改めて持ち上げた信楽焼きを、その珊瑚色の唇へと宛がう。触れなば落ちん程瑞々しさを湛えし紅いその蜜溜まりは、湯呑みに触れた瞬間に弾けてしまうかと危惧してしまう儚さも含んでいた。だが、そんな心緒など、まさに生ける宝石の嬉璃自身にも思いも寄らぬ事。信楽焼きに触れた唇は弾けて珠の液体と帰す事など在り得る筈も無く、湯呑みの中で己の出番を今か今かと待ち侘びていた、湯気の立つ茶を含んで更に潤い、艶めくだけであった。
 水晶の眼差しを伏せて、少女は香り立つ香ばしさに目を細める。琥珀色よりもう少しだけ時を経て渋味を増した、それは焙じ茶。こんな春まだ浅き日、生命の源と呼ぶにはまだまだ微弱な陽の光を愛でる午後、穏やかに時間が流れるこんな昼下がりには、少しだけ大人の味が、嬉璃には良く似合うのじ(ごほごほ)似合うのだった。
 「…………」

 そ、その麗しき眉目に刻んだ僅かな皺でさえ、嬉璃の揺蕩う幽玄さを後押しする役しか担えない。美しき人の憂い顔はまた格別と言うが、恐らく嬉璃であれば、憂い顔のみならず怒りの表情さえも、相手を魅了せずにはおられんのじゃ(げほ!)おられぬのであろう。世の中は平等、天は二物を与えずと言うが、嬉璃に限っては、神もその厳しさを和らげるより他無かったのだ。まさに彼女は、万物に愛されるが為にこの世に降り立った女神そのもの(…ぷ)なのかもしれなかっ

 「も、もう駄目じゃ!限界じゃ〜!!」
 ばったりとその場に付して源が声もなく笑い転げる。それは笑い声を立てまいと我慢していると言うよりは、余りの激しい笑いの発作、それに起因する呼吸困難ゆえに声も出ない、と言う方が正解だった。
 そんな源の様子を見て、嬉璃が椅子から立ち上がると、手にした羽根飾り付きの扇をばしっと地面に叩き付けた。
 「おんし、いい加減にせんか!おんしが是非ともと言うから、わしは恥ずかしいのを我慢しておったのではないか!」
 「そ、その割にはノリノリじゃったではないか、嬉璃殿…いや、嬉璃殿の天晴れな淑女の演技、とくと拝ませて貰ったぞよ」
 そう言ってにやりと口端を持ち上げる源に、思わず嬉璃は、怒りと羞恥とがない交ぜになったような、複雑な表情を向けた。ナレーター役の源が、時折吃ったり読む箇所を間違えたりしていた時点で、既に先が短い事は明白だったが、我慢し切れずに吹き出してしまった事で、緊張感漲る嬉璃の集中力にも、とうとう限界が訪れたと言う訳だ。
 あやかし荘では恒例になった、【新年(…新年?)あやかし荘隠し芸大会】に向け、源と嬉璃は二人で創作劇に挑戦する事になったのだが、練習中、その脚本が悪いのか配役が悪いのか、いつもこの調子でなかなか先に進まないのである。
 「どうでも良いが、なんぢゃ、この台本は。何を観客に訴えたいのか、さっぱり分からぬではないか。おんし、ドラマツルギーを最初から学び直すべきぢゃろうて」
 「嬉璃殿、何を言うか。わしはこの劇で、ただ単に嬉璃殿の意外な姿を見て笑…ではない、感動を巻き起こそうと思っていたに過ぎないのじゃ」
 「…今、ちらっと本音が零れ落ちておったぞ」
 ちくりと刺さる嬉璃のツッコミに、源は吹けない口笛を吹いてそっぽを向いた。
 「大体、おんしがわしに頼み事なぞする時点で可笑しいと思っておったのぢゃ…しかも劇の内容はこれぢゃ、明らかにわしを陥れようとしているとしか思えないではないか」
 「とんでもない、そんな恐ろしげな事をこのわしが謀れるとでも思っておるのか。誰かを陥れて楽しむのなら、嬉璃殿ではなくあの男で遊ぶじゃろうて。これでもわしは、嬉璃殿の隠された才能を引き出そうと思っておったのじゃがの…」
 等と殊勝な事を言う源であったが、その口端が時折笑いを堪えるかのようにヒクヒクと蠢いていては、言葉に信憑性もないと言うものだ。
 「それに、かような事を言う嬉璃殿とて、芝居の最中にいちいちツッコミなど入れおって、あれでは演技に身も入らずとても当たり前じゃ。【あやかし荘隠し芸大会】で一位を獲りたくはないのかえ」
 嬉璃の言動を諌めるよう、源がびしっと嬉璃の方を指差して言う。その人差し指を、己の人差し指と中指で作った鋏で、ちょきんと斬る真似をして嬉璃は半目で源を見るのだった。

 「隠し芸大会の一位賞品…おんしの屋台での飲み放題食い放題チケット十枚綴りを手に入れて、今更何が嬉しいのぢゃ……」


おわり。


☆ライターより
いつもいつも本当にありがとうございます!ライターの碧川桜です。
今回は極めて自由度の高いおまかせと言うことで…ですが全然頂いたテーマを膨らまし切れなかったような気がするのは私だけでしょうか?(その通りだろ)
碧川の頭の中では、【嬉璃、恐ろしい子…】の台詞→舞台劇→芝居掛かった遣り取り→耽美な台詞回し、と言う図式が浮かんだようです(何故)
しかも、私の文章力ではこの程度が限界だったようで…今回ほど、己の語彙の無さを痛感した事はございません(涙)辞書を片手に入力しつつ、もっと日本語に精通しておれば…と臍を噛んでおります(笑)
兎にも角にも、少しでも楽しんでいただければ幸いです。それでは、またお会いできる事をお祈りしつつ、今回はこれにて失礼をば。