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<東京怪談ノベル(シングル)>


湧き上がる微熱

 寒い日々が続く中、セレスティ・カーニンガムは程よく暖められている部屋の中でそっと紅茶を口にした。朝食後の日課となっている、ティータイムだ。テーブルの上には、紅茶ポットと、お茶請けのスコーンやチョコレート、クッキーなどが置かれている。それらを手に取らずにまず紅茶を口に持っていくと、ふわ、と紅茶の香りが立ち昇る。
「おや、葉を変えましたか?」
「ええ。ちょっとだけ、別の葉をブレンドしてみました。分かりますか?」
 セレスティは青の目を細め、小さく笑う。
「いい香りですね」
 今一度匂いを楽しみ、口に含む。
「ああ、そうだ。テレビをつけてもらえますか?」
 セレスティがそう言うと、テレビがパシンという音と共につけられた。朝のニュースをチェックするのも、この時間の日課となっていた。
「……おや」
 テレビでやっていた特集に、セレスティは紅茶をソーサーの上において興味深そうに見つめた。やっていたのは『バレンタイン特集』である。アナウンサーの女性がにこにこと笑いながら、とあるデパートの売り場を説明しながら歩いている。その売り場には、溢れんばかりの女の子達。
「この時期になると、チョコレートを買い求める女性が増えています。最近では、様々なアイディアを盛り込んだチョコレートも販売しており……」
 アナウンサーの言葉に、様々なチョコレートが映像として提供される。オーソドックスなハート型や、アニメのキャラクターを模ったもの、パッケージが煙草やカップラーメンであるもの、花束のようなもの。様々なチョコレートが、値段と簡単な説明と共に登場する。
「バレンタイン、ですか」
 セレスティはそう呟き、小さく微笑んだ。
「日本では、好きな男性にチョコレートを贈るのが風習のようですね」
(尤も、それはお菓子会社の陰謀だ……なんて、言われてもいるようですが)
 セレスティはテレビ画面を見つめる。色とりどりのチョコレートたち、嬉しそうに選んでいる女の子達。その全てがきらきらと光っているようにも見える。セレスティの、弱視でも。
「勿論、バレンタインで贈るのは、チョコレートと決まっている訳ではありません。最近では、他のもの……マフラーや香水なども贈られているようです」
 テレビのアナウンサーがにこにこと笑いながら説明を続けている。セレスティはお茶請けに出ているチョコレートをふと見つめる。テレビの中ではチョコレートを買い求めているのに、今自分の目の前にはチョコレートが置かれている。なんとも不思議な気分だった。
「日本の風習は、面白いですね……」
 くす、と小さく笑う。
 好きな男性にチョコレートを贈る、という風習は日本独自のものだ。海外では、逆に男性が女性に花束を贈る日である。セレスティの記憶に、間違いがなければ。
(郷に入っては郷に従え……とは言いますが)
 セレスティはそっと机の上にあるチョコレートを口にする。甘い匂いと味が、口一杯に広がる。
(このような甘いものを、甘い思いと一緒に贈るというのに、日にちも何もないでしょうに)
 ものを贈りたいのならば、何かを伝えたいのならば、別にその日でなければいけないものではないはずだ。贈りたいから贈り、伝えたいから伝える。その時でなければならないのではなく、そう思ったときにそうする。それが普通だと思っているのに。
(勿論、きっかけというのが大事なんでしょうが)
 贈りたいけれども、伝えたいけれども、きっかけがない……そう言った場合にバレンタインを使うのだろう。しかし、セレスティにはきっかけが無い訳ではない。
(きっかけは、作られるものではなく作るものですから)
 再び紅茶を口にする。暖かな紅茶は、ゆっくりとセレスティの体に浸透していく。
「……ならば、バレンタインは私の思うようにすればいいんですよね」
 小さく呟き、セレスティはそっと懐から携帯電話を取り出し、秘書に連絡する。
「……おはようございます。朝早くからすいませんね」
『おはようございます。いいえ、大丈夫です』
「早速ですが、2月の予定なんですが……」
『2月、ですか?』
「ええ。14日に休みをとっておいて貰えますか?」
 暫くの沈黙。スケジュールの調整をしているようだった。が、ものの5分もかからずに返事は返ってくる。
『大丈夫です』
 セレスティはほっと息をつく。電話の向こうで、くすり、と秘書が笑う。
『それにしても、まだ随分先の話ですよ?』
 そう言われ、セレスティはカレンダーに目をやる。確かに、まだ14日まで余裕がある。
「ああ、本当ですね」
『もっとも、その方が、調整がききやすいからいいんですけどね』
「有難う御座います」
『では、また後ほど』
「はい」
 セレスティは小さく微笑み、携帯電話をしまった。ふう、と小さく息をつく。
「まだ先の話……だったんですね」
 セレスティは、バレンタインは女性からチョコレートを貰うのではなく、一緒に過ごしたいと思った。だから、そのきっかけを作る為に休みを取った。ただ、それだけだ。ただそれだけの事なのに、何とはなく気恥ずかしい。
「以前の私なら、こんな事は言わなかったでしょうに」
 呟き、小さく微笑む。
 以前のセレスティならば、自分の予定を決める前に、相手の予定を確認していた。
 以前のセレスティならば、何をするかを細かく決めてから行動を起こしていた。
 しかし今、セレスティは相手の予定を確認する事もなく、何をするかを細かく決める事もせず、ただ単に一緒にいたいからという理由だけで予定を組んでしまっている。
(これは、革命のようですね)
 セレスティはそう考え、再び微笑んだ。変わってしまった自分、だが本質的には何も変わっていないかのような錯覚を覚える。元々持っていたものが、露呈しただけだと。
(それも皆、彼女のお陰ですね)
 ひとりでに変わったのではない。変わらせてくれたのだ。何をするにも手際よく、事細やかに動いていた自分から、自然と気持ちを優先させる自分へと。
(素晴らしいですね)
 美味しいものを食べれば、彼女に食べさせたいと思う。
 美しいものがあれば、彼女に見せたいと思う。
 素晴らしい音楽があれば、彼女に聞かせたいと思う。
 大事な日があれば、彼女と共に過ごしたいと思う。
 その全ての気持ちが、至極自然と出てきたものであることがセレスティにとってこの上ない喜びの革命であった。恋愛に対して不審を抱いていた時の自分は、既にいないのかもしれない。寧ろ、そう思えて仕方が無いのだ。
 再びカレンダーに目をやる。14日まではまだ遠い。が、楽しみで仕方が無い。彼女と過ごすだろうその日が、楽しみで。
(この思いは……)
 セレスティはそっとチョコレートに手を伸ばした。甘い香りと、甘い味。それと共に思い出すのは、彼女への甘い思い。
(もう二度と離したくない思いですね)
「……日本では、このようにチョコレートなどを女性から好きな男性にプレゼントする日となっているバレンタインですが、海外では逆です」
 テレビのアナウンサーの声が、セレスティに届く。
「海外では、男性が女性に花束を贈る日なのです」
 テレビでは、今度は海外のバレンタインを放送し始めた。色とりどりの花を抱え、女性にプレゼントしにいく男性達。花の溢れかえった花屋に訪れる男性。その様子を嬉しそうに話す女性。どのような花束が人気かを説明する花屋。
「……ああ、やはり赤い薔薇ですね」
 そっとセレスティは微笑む。彼女に似合う花を、そっと胸に抱いて。
(喜んでもらえるでしょうか?)
 小さな、不安。きっと喜んで貰える筈だと分かっているのにも関わらず襲ってくる、絶対という言葉の無い不安感。……それに気付き、セレスティは小さく驚く。
(この不安も……あなたの起こした革命ですね)
 胸の中で彼女の名前を呼ぶ。名前を呼ぶと、胸の中の彼女はにっこりと微笑む。いつまでも焼き付けておきたい、大切にしたいと願うばかりの、笑顔。
「セレスティ様、紅茶をもう一杯いかがですか?」
「頂きましょう」
 カップに注がれる、紅茶。ふんわりと湯気と共に立ち昇る香り。
「ああ、本当にいい香りですね」
 セレスティは微笑み、口に含んだ。ごくりと飲み込むと、胸を通っていく温かな紅茶の温度を確かに感じるのだった。

<まるでそれは湧き上がる微熱のように・了>