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<東京怪談ノベル(シングル)>


間奏曲(インテルメッツォ)

 えーっと……私は職業ドライバーではないわけで。つまりは上座はやっぱり助手席……で、良かった、んですよね? それともやっぱり、一度は後ろを勧めるべきだったのかな……――帰りは、どうしましょう。
 思いながらも青年は、細心の注意を払いながら、駐車場に車を入れていた。できれば地下駐車場の方がある意味都合は良かったのだが、無いものを悔やんでもそれはそれで仕方がない。
 ――ブレーキをかけたそのついでに、ふと、隣の人物の表情を盗み見る。或いは何か少しでも申し訳ない事をやらかしてはいないかと、今までの自分の動作の一連を振り返りながら。
 そこには、青年の上司が腰掛けていた。
 流れるような銀髪に、海色の瞳の良く似合う若き上司――セレスティ・カーニンガム。
 セレスはその視線に気がついたのか、ふ、と秘書の方を振り返り、
「本当に突然、すみませんでした。けれどもこれが一番、良い方法だと思いましたから」
「い、いえ――そんな、その……私の方こそ、運転、下手ですみませんでした……」
 たまたま財閥本社の方ではなく屋敷の方で、より私用の書類を片付けていた秘書の携帯電話へと連絡が入ったのは、今からおおよそ二時間ほど前の話であった。
『十二時過ぎくらいに、本社の方へ迎えに来ていただけませんか? 今日は午前中で仕事を切り上げて、行きたい所がありますので』
 迎えに行ったその先で、連絡をして来た上司に、自分の車に乗せてくれ、と言われた時には、本当にどうしようかと思ってしまったのだが。
 そりゃあ、それなりに掃除もしているつもりですし。けれど――まさかこんな事になるだなんて……。
 知っていれば、洗車の一つでもしていたのに、と内心ひっそり付け加え、秘書は挨拶一つ、鍵を抜いて車から降りると、後ろに積んであった車椅子を引っ張り出す。
 そうして助手席のドアを、開けた。
「下手、でもありませんでしたよ。とても丁寧な運転だと」
 良く晴れた真昼の太陽を眩しそうに、セレスは車椅子へと腰掛ける。歩けない事もないにしろ、今日はゆっくりと、時間をかけて色々なものを見て歩きたいのだ。
 大切な、ものですからね。
 本当の所、私用で秘書についてきてもらうのも申し訳ないと思ったのだが、だからといって抱えの運転手をわざわざ呼ぶのも、少しばかり堅苦しい――運転手の性格を考えればそうでもないのかも知れないが――ような気がしてしまい、結果的に彼に付き添いをお願いする形となっていた。
 それに色々と、噂が立つと厄介ですし。
 ならばいっその事、普通≠ノ混じってしまえば良い。
 何せ今回の計画は、その時が来るまでは、本当の意味で秘密にしておきたいのだから。
 ――吃驚、して下さるでしょうかね。
 ふと、そんな事を思ってしまう。少しばかり子ども染みた悪戯めいた楽しみの感が、そこにはほのやかに存在しているかのようでもあった。


 女性への、プレゼントなどと。
 どのような物が喜ばれ、どのような物が適切なのかと、セレスには正直、それすらも良くわからなかった。
 ――ヴァレンタインが近づくにつれ、日に日に何か贈り物を、という気持ちだけが強くなる。一方では、どうすれば良いのか――と、悩む気持ちも強くなる。
 決断に、これだけの時間を要した事は、一体何年ぶりの経験だと言うのだろうか。
 大手企業との連携締結よりも、ずっと遙かに、思い悩んだ末の事。

 店に入るなり、セレスと秘書との間には、特筆すべき事もないような会話があった。
「セレスティ様……私に何をご期待になっているのかはわかりかねますけれど、私だって……こんな所、来た事ないんですよ?」
「――おや、その言葉、あの子が一緒でしたら、さぞお喜びになったでしょうね。さぁすが駄目秘書! その年になってもカノジョの一人もいないだなんてっ!――とでも」
 結構意外でした、と、忍び笑いを交えたセレスの言葉に、
「止めて下さい総帥っ! 私だって、好きでこうなわけじゃあ、」
「お相手でしたら、いくらでもいらっしゃるのではありませんか? 要するに、キミが仕事をしすぎなだけで」
「そうでなくても、私には、恋愛なんて……」
 秘書が、俯く。
 その様子をおや、と見つめながら、しかしセレスは小さな微笑を浮かべざるを得ずにいた。
 ――まるでいつぞやの私みたいですね、と。
 ふとそんな事を、心のごく浅い所で思いながら、
「そんなものはきっと、ただの思い込みでしか、ないはずですよ」
「……総帥?」
「謙遜は、確かに日本の文化でもあるようですけれど――けれどほら、それでしたら、その逆も成り立って然りだと思いませんか?」
「逆、ですか?」
 西洋の子どもに比べて、日本の子どもには、自分を肯定するような認識が極端に薄いのだという。歴史の流れから考えてみても、それはごく当然と結果言えば、当然の流れなのかも知れない。
 しかし、
 それでしたら、同時にですね、
「自分を肯定的な所で特別に評価してはならない――とあるのでしたら、否定的な面でも、それと同じくするべきだとそう思いませんか? 自分だけ特別に『できない』、だなんて、そのような事も思うべきでは、ないのではないかと」
「総帥、」
「尤も、これに関しましては……その気持ちがわからないわけでは、ありませんけれどもね」
 愛が絡むと、なおのこと。
 戸惑う秘書に、セレスはそっと微笑を向けていた。
 どんなに書物を読んで来ていたとしても、それはおろか、どんなに現実の恋愛を目にしてきていたとしても。たとえどんなに望みが厚くあろうとも、相手の気持ちに気づいていようとも。言いようのない甘い想いと、足元の陰に潜むほろ苦い影とに、導かれつつ足を取られつつ――その内に、進むべき道を見失ってしまうのではないかと、
 ……怖くも、なりますよ。
 太陽の代わりに、月の光を。木漏れ日零れる、夜の道。
 遠くからたおやかに、導きを受けているような気がすると言うのに。しかしその足元には、静寂に揺蕩い、自分を足止めるかのような悪戯な土の小山があるかのようで。先に続く小道もまるで通られる事を阻むかのようにそっと姿を隠し、地図となるものは、もはや自分の想い≠フみでしかないかのような。
 しかしそれでも、
 奥から吹き来る風に、心を、押されてしまう。
 押されているかのような、想いがあった。
「けれど、信じてみないことには、どうにもなりませんでしょう?」
 七百年以上の時の流れの中、幾つもの物事を見つめ続けてきたセレスにとっても、先を知りうることの叶わない迷路の小道。
 しかし、
 ――この、予感は。
 セレスの理性の糸に手をかけるほど鮮やかに、遊び風の如く、輪を描いて踊っているかのようでもあった。

 小さくとも、気品に溢れた小さな宝石店。豪奢というよりも繊細な意匠の凝らされた装飾品の並ぶ中、それから二人はしばし、硝子の棚の中を見て歩き――。
 そうして、今。
 ようやく全てを決めたらしいセレスは、店のジュエリーデザイナーの女性と、綿密に言葉を交わしていた。
 大切な人への贈り物は、誂えの品で。世界にたった一つしか無いものを、たった一つの想いに代えて。
 ――秘書はそんな上司の後姿を、どこか嬉しそうな瞳で、少し遠くから見守っていた。
 こういう所に来るのは、初めてで。しかも、こんな時間に出歩いたのは久しぶりかも知れません。
 ふと、少しだけ珍しく、照れたように微笑んできた上司の言葉が思い出される。
 ……真昼の一時ともなれば、
 普段は仕事に、奔走しているであろう時間だと言うのに。
 しかしやはり、平日の昼間の店ともなれば、無駄に他の客の心配をする必要もない。その上、来るべき日が来るまで、あの人に事がばれる心配も幾分か薄らいでくる。
「でも、」
 でもそれに。
 同時に秘書は、ふ、と、こんな事を思う。
 休日ともなればあの上司は、あの人との――彼の想い人との時間の中の中に、ほんの一秒でも多く、まどろんでいたいに違いない。時間の流れに唯一物を言える休日は、二人にとっても大切なものであるのだから。
 そういう想いもあったのではないか――それが事実かどうかはわからないが、平日に時間を見つけての贈り物作り。
 ……色々な意味で、賢明な、選択ですよね。
 冷静に考えるふりをして、けれどもその内、やはり最後には、
 やはり、セレスの後姿に、単純にほっと一つ息をつき、
 本当にセレスティ様、お幸せそうなんですもの。
 これじゃああの子が余計に王子様に憧れるようになっても仕方ありませんよね、と、自分までもがその幸せの恩恵に与っている事に、本当に率直な思いで感謝をしてしまう。
 この、毎日を笑顔で過ごす、上司の暖かな想いは。
 その周囲の心をも、穏かな幸せの中へと、包み込んでしまうほどのものであったのだから。


 手続きを待つ間、セレスは勘定場を兼ねた硝子棚の上に添えられていた、一輪の薔薇にその意識を惹かれていた。
 ――そういえば、
 プレゼントと一緒に、お花も一束、良いかもしれませんよね。
 と。
 その時ふ、と。
 今は屋敷で留守番をしているはずの小さな少女にすっかりと童話仕様にされてしまった秘書の携帯電話が、軽やかなオルゴールの音色を周囲に響かせた。
「――あ、ちょっとすみません……」
 一言、隣の椅子から立ち上がった秘書の事を、今だけはあまり気にした風も無く、セレスは再び薔薇の花へとその手を近づけた。
 赤い、紅い、深紅の色が。心に深く、彩を加えてくるような感覚に、
「少しだけ、似ているのかも知れませんね」
 あの人の瞳の色が、心にするりと思い返される。
 色、という言葉よりも、そのものの持つ雰囲気、と言ってしまった方が、言い回しとしては正しいのかも知れない。セレスにとってできるのは、赤、という色を見る℃魔ナはなく、赤、という雰囲気を感じる℃磨B
 赤は、火の色、花の色。夕暮れ時の色に、そうして、あの人の瞳と同じ色。だからこそ、もう一つ。赤は、悲しみの色でもある――本来、なれば。
 ――死期の近づいた者を悼み、毎夜のようにすすり泣く。その人生を全うする前に死んでしまった、美しい娘の魂。故郷には、そんな妖精の伝説がある。
 否、伝説ではなくて。その伝説¥ムり、彼女は存在しているのだから。
 バンシーの、妖精の瞳は、だから、赤い。毎夜毎夜の涙の数ほど、少女の瞳は赤くなる。この世との決別の悲しさは、彼女達自身が、一番良く知っているのだから。
 けれど。
 バンシーとして、落ち零れでも。泣くのがどんなに、下手であったとしても。
 ……キミには、泣いていてほしくはない、などと。
 むしろその瞳の赤は、聖母の抱える小薔薇のような、微笑みの象徴であってほしいだなどと。
「私の勝手、で、しょうかね」
 幻想物語の舞台であるかのような、透通った空の良く似合うかの国の。あの人には確かに、月夜の川辺も似合うだろうけれど。
 しかしむしろ、広い、広い花野から。陽だまりの中、笑顔と共に振り返ってほしい。
 セレ様、と。
 名前を、呼ばれて。
 自分もその名を呼び返し、或いは、この手を取られる事を、許されてもみたい。
 私では、キミの傍にいるのには役不足かも知れませんけれど――とも。
 そうとも、思うのだけれど。
「……いいえ」
 しかし小さく首を横に振り、セレスはそっと薔薇から手を離した。
 ――それではきっと、駄目なのだ。
 キミの傍に、いられますようにと。
 キミの傍にいられる、私でありますようにと。
 そうですね、
 むしろキミを見習って、直向に、真っ直ぐに。
 そうして、一途に――、
「総帥、あの子が今メールを送ってきたんです……いらしている、そうですよ」
 不意に、電話を片手に、秘書が静かに言葉をかけてきた。
 近づけられた携帯電話に、セレスはふと手を触れさせて――、
 ――驚いた。
「……おや、今日は大学の講義があると、仰っていたような気がするのですが」
 そのまま自然と、笑ってしまう。
 メールには、少女の手によるであろう、小さな写真が添付されていた。
 屋敷のソファを背景に、こちらに向けて手を振るあの人の姿。その下には、悪戯に絵文字の愛らしい文章で、『おじさん、早く帰っておいで〜☆』と、撮影者でもある少女から、明るく一言添えられていた。


 その日まで、聖ヴァレンティーノ司教の殉教日まで、彼女には秘密にしておきたい事がある。
 隠し事は正直、苦手では、あるのだけれど。
 その日には、深紅の薔薇の花束と共に、ほんのりと甘い色の、ピンクダイヤモンドのイヤリングと、ペンダントとを、
 ……きっと渡せる、はずですから。
 愛らしい花の形はきっと、キミにも似合うと――そう、思っていますから。
 いつものようにきゃっ、と叫びながら、喜んでもらえればそれが一番の事。
 ――永遠の絆を意味する宝石に、時を経ても変わらない光と想いをと。
 今は秘めたる心の内を、その日には贈り物に、そっと託して。


Fine


04 febbraio 2004
Grazie per la vostra lettura !
Lina Umizuki