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<東京怪談ノベル(シングル)>


一つではない真実

軽やかな鐘の音が青空に響き渡る。
幸せそうに微笑む二人を祝福するように。
「おめでとう。」「おめでとう!!」
手と手を重ね、階段を下りる二人を祝福する大切な人たちの笑顔。
そして…小さな手に握られた花束。

「パパ、ママ、おめでとう。」

あの時、感じた以上の幸福を…俺は知らない。


「と、言うわけでその節はお世話になりました。おかげさまで無事式をあげることができました。」
ぺこりと頭を下げる来訪者に、その部屋の主はニッコリと微笑む。
壁を一枚隔てれば、地獄の旋風が吹き荒れる、締め切り前の月刊アトラス編集部。
でもここに漂う空気はほのかな優しさを漂わせていた。
「これは、つまらないものですけど、編集部の皆さんで。」
「あら、悪いわね。洸くん、引き出物とかいろいろ大変だったでしょうに。」
そう言いつつも差し出された菓子折りを彼女は、碇・麗香は遠慮しないで受け取ると、自分のデスクに乗せた。
会社員にとって差し入れのお菓子というのは、心の支え、生きる喜びなのだから…。
トントン。
軽いノックと共に入ってきた下っ端が、お客の顔を見て軽く笑う。
「あ、成田さん。お久しぶりです。ご結婚されたと聞いたんですが…。」
「仕事中でしょう?早く戻りなさい。」
よっ!と機嫌よくサインをきる来客、成田・洸と反対に、碇はやや不機嫌そうにお茶くみ係を部屋から追い出した。
お茶菓子の箱をいきなりお盆にのせられた不幸体質の編集者(お茶くみ係)が転んだとかなんとかは、この話では無いが…。
っと、話を戻そう。
「で、結婚式以来、お会いしていないけれど奥様はお元気?」
「ええ、元気ですよ。子供達も元気です。」
「そう、それは良かったわ。いろいろ苦労させたんだから、幸せにしてあげなくてはダメよ。」
嗜めるような口調の碇の言葉に、洸は、はい、と答えながら苦笑した。
(昔っから、この人にだけはかなわないなあ。)
駆け出しの新聞記者だった頃、すでに彼女は将来を嘱望された編集者だった。
(まだ、「ギョーカイ」の右も左も解らない自分にいろいろ教えてくれたっけ。)
洸はすんなりとした碇編集長の足に目をやった。
怪しい意味ではない。
彼女の10cmのヒール。あれに踏まれたことが彼女との出会いのきっかけだと思い出したからだ。
それは、決していい場所でのいい出会いでは無かったが…。


連続殺人事件の新たな犠牲者が発見された。遺体を確認しに行った遺族の家。1ダースのカメラ、2ダースのマイク、3ダースの人間が取り囲む。
「すみません、ちょっとお話を…。」
「…!あなた!!あの人たちはね、息子さんを失ったのよ。そんな人にマイクを向けるなんて、正気じゃないわ!!」
親戚や家族に隠されるようにして、遺族は家に入っていった。
それでも、なんとか捕まえて話を聞こうとする報道陣に、彼らを庇う恰幅のいい女性の罵声が飛ぶ。
取り囲んでいた記者、アナウンサー、カメラマンの腰が僅かに退ける。
その中で、ただ一人怯まずに、いや、逆に一歩前に進んだ女性がいた。
はっきりとした声と真っ直ぐな目で彼女は告げる。
「私達は、伝えなくてはいけません。同じことが繰り返されないように。その為に、どうか…。」
揺ぎ無き声、惑わぬ瞳。それが、碇・麗華だった。
そして…
「あら、ごめんなさい。」
碇が進めた足の下。その下にあった足の主。
「えっ!?あ、うわっっち!!」
言われるまで気がつかないほど、彼女の行動に魅入っていた男。それが…自分、成田・洸だった。

「○×新聞の…成田君?私は碇・麗華、よろしくね。」
「ええ、まだ駆け出しどころか、これが初仕事、初取材っていうぺーぺーですけどね。」
洸は彼女とテーブルを囲んでいた。やや強引に誘われた感がある。が、美女の誘いに悪い気もしない。思わず無邪気な笑顔がこぼれる。
お互いに交換した名刺を洸は一瞥した。
「さっきの取材での台詞には溜飲が下がりましたよ。凄いですよね。…えっ?…あなたは…○○誌の?」
首を捻った成田の質問も無理は無い。そこにあったのは有名な新聞や、テレビ局などではない。
人気はあるが問題も多い写真週刊誌、正直なところゴシップ誌の範疇に入るあまり評判の良くないところだったからだ。
「どうして、あなたのような人がこんなところに…?」
さっきの質問、惑わぬ視線。取材の的確さ。どうみてもこんなところには彼女は不似合いに思えた。
「こんな…ね。喜んでいいのかしら、悲しむべきなのかしら。」
珈琲のカップを揺すりながら言った彼女の言葉に、洸はハッとした。
「あ、すみません。失礼な事を…」
どんな雑誌であろうと自分の職場を『こんな』呼ばわりされたら怒るだろう。頭を下げる洸に碇は小さく苦笑して手を振る。
「いいのよ、本当のことでもあるもの。ただ、私は私なりの『真実』を伝えるためにこの仕事をしているの。」
「それは、僕も同じですよ。それぞれの事件や、事故の裏にある真実。たった一つの真実。それを多くの人に伝えるために僕は、この仕事を選んだんです。」
「理想的な、ジャーナリスト志望の答えね。」
洸の真面目な台詞に答えた彼女の声に中傷や嘲りは無かった。冷静な、氷のような声はナイフのような鋭さで心を抉る。
だが、洸の顔は赤くなる。まるで自分の浅さを突きつけられたようで…。
「『真実』は、一つじゃないわ。それぞれの人の思いの数だけある。それに、人は自分の知りたい真実しか知ろうとしないもの。ジャーナリストを目指すならたとえたった一つの真実を曲げても、自分が伝えたい事を伝える信念を持つべきよ。」
「…確かに、その通りかもしれない。それでも!僕は…事件や、事故の表側に隠れ、流され、埋もれていく当事者の声、人々の思いを伝えたい。どんなに苦しくても、真実を乗り越える強さをが大事だと伝えたいんだ!!!」
いつの間にか、声を荒げてしまった自分に気付き、洸は下を向いた。周囲の視線も感じるが何より、碇に嘲られるのが怖くて。
「……甘いと、理想だと、笑われるかもしれないけれど…。」
「そうね、確かに甘い理想論だわ。」
(やっぱり…。)
「でも、間違ってはいないと思うわよ。そういう考えも…。」
(えっ?!)
顔を上げた洸にどこか優しさを称えた眼差しが眼鏡の下から微笑む。
「言ったでしょ。『真実』は一つじゃないって。それは、あなたの『真実』だもの。あなたは、それを追えばいい。私は私の『真実』を追う。競争、かしらね。どっちがそれを人々に伝えられるか。」
軽くウインクする麗華。彼女を洸は赤い頬で見つめた。今度は恥ずかしさではない。女性への、人間としての尊敬と思いだ。
「はいっ!」
元気なまでの大きな洸の声はまた、客達の注目を集める。
しーっ!唇に指を当てた碇に見せたこの日、何度目かの洸の赤い顔は、照れと、恥ずかしさと、そして幸せに溢れていた。


「あの頃の君は、本当に甘ちゃんで、この世界でやっていけるか、正直心配だったわよ。」
「ハハハ、ひどいなあ。碇さん。」
まあ、本当のことですけど。洸は笑ってかえした。
4年が過ぎ、今でも、まだ駆け出しの域から出られないこの道。
だが、いるうちに、いろいろなことも解ってくる。理想ばかりを追いかけてはいられない。最初に出会った時の碇の彼女の言葉が真実だと今も折に触れ身に染みる。
最近は理想と現実のギャップに悩み、苦しむことも多かった。でも…
「でもね、君の武器はその笑顔と、人の良さ。そして、馬鹿正直な誠実さなんだから。あなたのような人も、この世界には必要なのよ。」
「…めずらしいなあ。碇さんが褒めてくれるなんて。」
「こら、茶化さないの!」
編集者達を睨みつける目で、厳しく洸を睨んだが、彼女はその後フッと微笑んだ。
「ま、今のままの自分を見失わなければ大丈夫でしょ。しっかりおやりなさい。」
「ええ、ありがとうございます。」
辛辣、辣腕のクールビューティ。そう呼ばれる碇だが、内に秘めた優しさがあるからこそ、人はついていくのだ。
洸は、そんなことを思いながら昔と変る事の無い、尊敬の眼差しで彼女を見つめた。
後は、軽い世間話と、思い出話に花が咲く。
「出会ったとき、ナンパされたかと思いましたよ。」
「あら、左手の薬指に指輪している人にちょっかい出す気はないわよ。男性には不自由してないんだから。」
「それなら、仲人お願いしたかったのに。」
「また、踏まれたいの?」
あまりにも楽しげな笑い声が続く応接室の外、編集長のデスクの上には書類がどんどん積み重なっていくのを彼女も、彼もまだ知らない。

自分にはまだ知らないことが多すぎる。
妻と結婚したとき、愛を知った。
式を挙げたとき、今まで知らなかった本当の幸せや、喜びを感じた。
ジャーナリストは、いろんなことを知らなければ、それを人に伝えることなどできはしない。
そう思う。

洸は今、出てきたビルを見上げた。碇はもう堂々たる雑誌の編集長だ。
競争よ、と言ってくれたが今も昔も足元に及ばない。
でも、洸は前を見る。自分は自分なりにやっていこう。

「自分を…見失わなければ大丈夫。」

彼女の言葉を、自分の真実を見失わないように。