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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


 見ざる、言わざる、聞かざる

『……そういうわけで、もう送りましたから、ごめんなさい、すみません、よろしくお願いします』
 がちゃん。ツーツー……派手な音がして通話が切れた。思わず眉を顰め、仕方なしに受話器を置く。反論する隙を与えずに用件だけを述べ、相手の言葉を待たずして、切る……厄介事を押しつけるには良い手段なのかもしれない。
「何がそういうわけなのよ……」
 呟き、ため息をつく。発行予定日を大幅に過ぎているらしいから、急いでいることもわかる。だが、こちらの言葉も少しは聞いてほしい……と嘆いていると、来訪者を告げる呼び鈴が鳴る。
「はいはい……っと」
 扉を開けるとそこには愛想のよい笑みを浮かべた青年がいた。手にしていた小荷物を緋玻へと差し出す。
「宅配便です。印鑑をお願いできますか……はい、ありがとうございました!」
 印鑑を押すと青年は軽く頭を下げ、扉を閉めた。緋玻は手にした小荷物を軽く叩いてみる。重さ、固さから考えて、ハードカバーの本が一冊。そんな予想をつけながら包みを開けてみると、まさにそのとおり。本が一冊、姿を現した。
「なるほど、もう送りました……ね」
 先程の、自分に言葉を挟む隙を与えなかった電話のことを思い出しながら、本と向かいあう。そして、表紙を開き、ページをぱらぱらとめくってみた。なんということはない普通の洋書だ。しかし、この本にはいわくがある。
 翻訳する者に災厄を呼ぶ呪われた本。
 そんな噂が実しやかに囁かれているらしい。前任者たちの身には何かしらの不幸が起こっているという。病、身内の不幸、事故……翻訳作業を続けられない状態になり、次へと手渡される。そんな仕事が自分のもとへと送られてきた。
 あたしの身にも不幸が起こるのかしら……起こるとしたら、どんな?
 考えると愉快であるような、不愉快であるような。そんなことを考えながら、ふと笑みを浮かべていると、電話が鳴った。
 受話器を取る。
『ああ、もしもし。草間興信所の草間だが』
 こうやって向こうから連絡があるときに食事に誘われたということはない。いや、ある意味『食事』か。草間からの依頼は滅多に食べられないものへの誘いであることが多いから。
「あら、ごめんなさい。これから生憎と戦闘開始なのよ」
 本を見やり、緋玻は僅かに笑みを浮かべる。
『は? まあ、そう言わずに聞いてくれ。命に関わることなんだ』
 その言葉を聞き、緋玻はやや表情を引き締めた。尚も草間は言葉を続ける。
『手短に話そう。とある資産家の坊ちゃんが情婦を殺した。坊ちゃんを捕らえるにあたって三人の男女が証言をしている。ひとりは通報者。そいつのもとに言わざる……ああ、三猿のひとつのアレだ。猿が口を押さえているヤツな。それが送りつけられた。そいつは口を縫いつけられた状態で殺され、その傍らには差出人不明の封筒と燃えかすのようなものがあった』
「通報者に言わざるを送りつけ、口を縫いつけられるなんて、ちょっと猟奇的ね」
 緋玻は思ったところを告げる。口を縫いつける殺人……ホラーやサイコミステリにはよくある手口かもしれない。だが、実際に人を殺すにあたり、それは現実的な手段とは思えない。
『かなりな。直接の死因は窒息らしい。首をねじ切られそうなほどに締めつけられていたとか。次は目撃者だが』
「言わなくてもなんとなくわかる。見ざるが送られてきて、目を潰されていた。死因は先程の彼……いえ、彼女かしら。それと同じ。どう、違う?」
 緋玻が確信をもって言葉を口にする。
『そのとおりだ。ついでに付け加えておくと、殺された二人はどちらも一人暮らし。窓と扉には鍵。部屋には誰も近づいていない。外には警護の警官もいた』
「猟奇的な殺害手段に加えて密室……そうね、確かに草間さんが依頼を受けるには十分な状況が揃っているけれど……でも、私ではなくてもどうにかなりそうね?」
『実はこの件を担当してくれる奴は二人いる。二人とも腕が立つ男だから、十分だと言えなくはないんだが』
 草間は曖昧に言葉を濁す。もしかしたら、目の前に依頼を受ける二人の男がいるのかもしれない。
『三人のうちの最後のひとり、聞かざるを受け取ったのは若い女性でね』
 緋玻は草間の言葉になるほどと頷いた。守るべき相手が若い女性であるならば、同性である方がやりやすい、いや同性でなければやりにくい場面もあることだろう。
「よって、あたしが適任者?」
『そういうことだ』
 草間はあっさりと肯定する。
「猟奇的、密室、三猿、燃えかす……」
 それらの状況から考えて……そもそも草間興信所に依頼が持ち込まれる時点で……というのは偏見だとしても、犯人は『普通』ではないだろう。資産家の坊ちゃんに雇われた術者が呪いをかけている、そんな風にも考えられる。
「詳しい話はそっちで聞くわ」
 じゃあ、あとで。緋玻は受話器を置く。
「呪いの化け物とかなら……食べてしまうんだけどねぇ」
 そして、そう呟き、身を翻すと出掛ける支度を始める。支度を終え、家をあとにする間際、ふと本の存在を思い出す。
 これが我が身にふりかかる災厄か?
 ……さて、どうだろう。
「戻ってきたらゆっくり相手をしてあげるからね……」
 緋玻はこつんと軽く指で本を小突く。目を細め、笑みのようなものを浮かべたあと、くるりと身を翻し、部屋を出て行った。
 
 草間興信所で待っていたのは、草間と南雲という女刑事。どうやら、彼女が今回の件の依頼人であるらしい。刑事が民間に事件を依頼するとは珍しいと思いながら、緋玻は南雲を見やる。見た目からすると二十代半ばから後半だろうか。控えめな化粧にスーツ、地味な印象を受けるが働く女性といった雰囲気は多分に漂わせている。
「助かるよ。で、この二人が今回の件を共に請け負う。柚品孤月と御崎月斗だ」
 草間に紹介され、さらりとした黒髪を首の後ろで束ねた背の高い青年が軽く会釈をする。柚品孤月と紹介されたこの青年は昨今の若者とは違い、なかなかに礼儀正しそうに思えた。もうひとりは、少年。御崎月斗。年相応らしからぬ気配と怜悧な瞳が印象に残る。黒髪だが、後ろ髪のひとふさだけが金髪で、その部分だけを長く伸ばしているというのも珍しい。
「とりあえず、事は一刻を争うのでしょう? こうしている間にも何かが起こるかもしれない。狙われている彼女の身辺警護につくわ」
 緋玻は南雲から守るべき相手の情報を得ると、即、行動に移ろうとした。気になるところは幾つかあるが、ともかく、手遅れになってはまずい。
「届けられた三猿は依代の一種、燃えかすは式か何かの証拠隠滅っぽいよな。そうなると相手は俺と同じ陰陽師か、呪術を扱う連中……」
 月斗は呟く。どうやら、陰陽師であるらしい。
「蛇の道はヘビっていうだろ。俺は裏から情報を探ってみる。とりあえず、護衛に式を送っておくけど……間違えて倒したりしないでくれよな」
 柚品と緋玻をちらりと見やり、月斗は言う。
「間違えるような形をしていたらどうかわからないわよ」
 月斗に従う式神がどのようなものかはわからない。だが、こちらが間違えそうな形をしていたら……間違えて食べてしまうかも。緋玻は目を細め、答える。だが、柚品の視線に気づき、ふいっと身体の向きを変えた。
「物騒なことを言う奴だな……基本的には見えないように命令してあるよ」
 怖がるだろうからなと月斗は付け足す。普通の人間が見たら、怖がるかもしれないし、なにより騒ぎになるだろう。その命令は当たり前といえば当たり前かもしれない。
「で、あんたはどうすんだ?」
 月斗は柚品を見つめる。その視線と言葉を受け、柚品は南雲を見やった。
「差出人不明の封筒と燃えかすが残っているのなら、一時拝借といきたいところなんですが……」
「え? ……ええ、わかったわ」
 少しの間を置き、南雲は答えた。その表情から伺えることは、あまり都合が良いことではないということだ。仮にも証拠物件、それを依頼をしたとはいえ一般市民に見せるというのは警察という組織のなかでの規律に引っ掛かるのかもしれない。しかし、柚品は何故にそんなものを見たがるのか。
「ああ、こいつはな、所謂、サイコメトラーなんだよ。物の思念を読み取る力がある」
 不可解そうに柚品を見つめていることに気づいたのか、草間はそう言った。
 どうやら、犯人の特定については、二人が動いてくれそうだ。ならば、自分は護衛に徹しよう。
 緋玻は行動を開始した。
 
 南雲から得た情報によると、狙われている女性の名前は佐伯葉子。二十二歳の会社員、所謂ところのOLという職業にあるらしい。偶然にも事件を目撃……というよりも被害者と加害者のやり取りを聞き、犯人逮捕に貢献したことから、今回の件に巻き込まれたと考えて問題はないだろう。
 既に通報者と目撃者の二人が、それぞれ口を縫い付けられ、目を潰され、殺害されている。
 やはり、怪しいのは犯人である資産家の坊ちゃん……もしくは、その親族。犯行手口や状況から見てそのどちらかに雇われた者が呪いをかけている可能性が高い。
 呪いや闇に棲む者を身近に感じる自分にはそんな結論も簡単に出すことができるが、一般市民、科学捜査を念頭に置く警察は、そういう結論を出すには至らないのだろう。
 だから、こういった事件は闇から闇へ葬られ、所謂、お宮入り、迷宮事件となるのかもしれない。
 とはいえ。
 警察に、この事件の犯人は呪術者だ、被害者は呪いによって殺された……という結論を出されてもイヤだけど。
 緋玻は小さくため息をつき、目の前にそびえ立つ建物を見あげた。
 そこそこ発展し、駅までの距離もなんとか徒歩圏内。立地条件はそれほど悪くはないというそこに四階建ての、それほど新しくはないが、そう古いものでもない建物が並ぶ。その幾つかある棟のひとつに佐伯葉子が住んでいるという。
 南雲から受け取っている住所を確認し、部屋へと向かう。途中、そういえば警察による警護の者が配備されているはずだと周囲をそれとなく見回した。よくテレビドラマであるように、目立たないような、目立つようなという微妙な位置に車が停められ、そこで刑事が菓子パンを片手に張り込みをしている……という光景はなかった。
 誰も警護していないじゃないの。
 緋玻はそれとなくではなく、見つけるつもりでそれらしい存在を探した。だが、それらしい存在は、ない。そもそも、人がいない。物陰に隠れて見ているとしても、隠れる場所がない。
 もしかして、守るつもりはないのだろうか。それとも、既に手遅れ……? いやいや、そんなことはないだろう。では、屋外ではなく、屋内で警護しているとか。そうであれば問題はないが、もし、そうではなかったときは……。
 ともかく、訪ねてみよう。緋玻は目的の扉の前に立ち、インターホンを押した。
『はい……』
 ややあってから、小さな声が聞こえてきた。遠慮気味というよりは、怯えのようなものを感じさせる。……そうだろう。他二人の話は聞いているはずだから、自分のもとに三猿が送られ、怯えないわけがない。
「こんにちは。警護に……といきなり言ってもわからないかしら……南雲さんから依頼を受けた……って、あの?」
 言っている間にがちゃんと音がした。インターホンは切れたらしい。話が通っていないのかと思った途端に、扉が開いた。
「お待ちしていました! 霊能者の方ですよね?!」
 あら、大歓迎。だけど、霊能者って……。その勢いと言葉に緋玻はやや引きつった笑みを浮かべた。
「よかった……私、もう本当にどうしていいのか……とにかく、どうぞ!」
 あれよあれよという間に家のなかへと案内されている。玄関の靴を見る限りでは、他に来訪者はいないらしい。つまり、警察の人間はいないということだが、そうなると。
 外にも中にも警護の者はいない。犯人は資産家の坊ちゃん。目撃者が消されている。それから考えられることは……もしかしたら、警察内部に資産家の坊ちゃんおよびその親族の息がかかった者がいる……?
 そうかもしれないが、とりあえず南雲は除外しても良いだろう。草間興信所へこの話を持ち込み、彼女を守ってくれと依頼してきたのだから。
 ぱっと見たところ、1LDKだろうか。玄関から短い廊下を経て、リビング、キッチン。他にも扉が幾つかある。
「これ……これ、どうしたらいいですか?」
 リビングのテーブルの上に置かれていたのは、三猿。聞かざるだった。手の上に乗る程度の置物が、そこにちょこんと置いてある。
「何回かごみ箱へ捨ててみたんです。でも、祟られるかもって……怖くなって、拾って。でも、置いておくのはやっぱり怖くて。捨てては拾っての繰り返しです……」
 しゅんとした顔で佐伯は言う。
「……」
 自分であれば、どうしただろう。祟られる? 呪われる? 確かにそうかもしれないが、気に入らなければ躊躇わず捨てたかもしれない。まあ、気に入れば飾っておいたかもしれないが。どちらにせよ、祟りも呪いも気にしそうにない。だが、それは自分に限ってのこと。怯えた人間の行動とは、佐伯のようなものかもしれない。持っていたくはない。だが、怖くて捨てられない……。
 祟りも呪いも目には見えない。だからこそ、恐れや怯えの対象になる……緋玻は目を細め、三猿の置物を見つめた。
「ともあれ、ちょっと見せてもらうわね」
 なるべく軽い口調で言ったのは、少しでも怯えを取り除くためだ。あまり深刻な顔で臨むと、その態度に怯えるかもしれない。佐伯は固唾を呑んで自分の行動を見守っているから。
 緋玻は三猿に手を伸ばした。触れようとした途端、置物であるはずのそれが、じろりと自分を睨んだような気がした。佐伯が小さく悲鳴をあげる。
「い、今、なんか、これ、動きませんでした?」
「気のせいよ」
 多分、動いたけど。緋玻はさらりと言い、耳に手を添えた三猿、所謂、聞かざるを手に取った。顔に近づけ、あらゆる角度から眺めてみる。売店の土産コーナーで売られていそうな安い品物だ。特注ということはなく、世に同じものがかなりの数出回っているような気がした。
「……どうですか?」
「問題はないわ。あなたを怯えさせるために送ってきた……というところね」
 その言葉は半分は正しいと思う。彼女を怯えさせる意味も、確かにあるはずだ。怯えた人間は、その怯え故に間違った判断を下しかねない。冷静であればどうすればいいのかすぐに判断できることも、慌てているとそうはいかないものだ。
「そう、何か郵便物は送られてきた?」
 既に殺害されている二人のもとには、三猿、そして差出人不明の封筒と燃えかすがあったと聞いている。
「下にポストがあるんですが……怖くて、見に行っていません……」
 なるほど。そういえば、建物の入口のところにポストが並んでいたか。しかし、それは正しい判断だ。謎の封筒を手にし、封を切っていなくてよかったと思う。緋玻は頷き、くるりリビングに背を向けた。
「あ、あの?」
「ポストを見に行ってくるけど、いいかしら?」
「はい。あの……」
「なに?」
「一緒に行っていいですか……?」
 怯えつつも恥ずかしそうな、なんとも微妙な表情で佐伯は言った。
 
 ポストを見に行く間も佐伯は落ちつかず、そわそわと辺りを見回していることには気づいていたが、気づかぬふりで通し、対照的に悠然とした態度をとる。佐伯がダイヤルをあわせ、ポストを開けたところで緋玻は声をかけた。
「ああ、郵便物には触れないで。プライバシーの問題もあるとは思うけど、あたしに封を開けさせてもらえるかしら」
 佐伯の了承を得て、ポストを覗く。ダイレクトメールと思われるものが幾つかあり、その中に白地の封筒があった。妙にそれが目を引く。手に取り、裏側を見やるが、そこには差出人の名前も住所もなかった。
 これだ。
 緋玻は確信をもって封筒を見つめる。すぐにでも開けてみたいところだが、ここではまずいだろう。部屋へと戻り、何か起こると想定したうえで、佐伯の安全を確保することが先決だ。
「ともかく部屋へ戻りましょうか……あら」
 都合がいい。こちらへ駆けてくるのは柚品だ。どうやら証拠物件の調査を終えたらしいが、しかし、慌ただしい。だが、自分たちに気づき、心なしかその表情は穏やかになったような気がする。
「よかった、無事ですね」
 柚品はほっとした表情で言い、息を整えながら、とりあえず佐伯に軽く頭を下げる。佐伯もわけがわからないという表情のまま反射なのか頭を下げた。
「当たり前よ。けれど、都合がいいわ」
 緋玻はちらりと封筒を見せる。柚品は封筒を見て確かにはっとした。
「その封筒は! ……いえ、その……」
 柚品は何かを言おうとしたが、佐伯の視線とその不安げな表情に言葉を濁した。
「彼は私と同じく南雲さんから依頼を受けた……えーと」
 少々、わざとらしいタイミングだったかもしれないが、佐伯の注意をそらすためにそう言ってみる。
「柚品です。どうも」
「あ、佐伯です……柚品さんも、霊能者さんなんですか……?」
 緋玻と柚品を交互に見やり、佐伯は小首を傾げた。柚品は言葉に詰まる。緋玻が目配せをすると、柚品はそうです、弟子なんですよ……と話をあわせた。
「ともあれ、ここで開封するのもなんだから、部屋に戻りましょうか」
 とりあえずリビングへと戻ったあと、いよいよ封筒と向かい合う。これが開けたら、何が起こるのか。少しどきどきするわねと思いながら封を開けようとすると、すっとハサミが差し出された。受け取ろうとすると、柚品がその手を止める。
「待って下さい。俺が開けます」
 佐伯に背を向け、真剣な表情で柚品は言う。これを開けるということの意味を知ったような気がした。
「駄目。これはあたしが開ける。何故なら、あたしは女。あなたは男」
 そして、佐伯は女だ。何かが起こるのは女性限定という可能性もある。だが、それでも柚品は何かを言いたげな表情で緋玻を見つめる。
「師匠の言うことは聞くべきでしょう」
 そう言ってはみたが、柚品も負けてはいない。きちんと言葉を返してきた。
「そういう雑用は弟子の仕事でしょう」
「一理なくもないわね」
「それなら、」
「そういうわけで彼女のことを守ってあげて」
 ふと反論する隙を許さなかった電話のことを思い出し、それに倣ってみる。ふいっとハサミを手に取ると、じゃっきりと封を開け、中身を取り出した。
「えーと」
 折り畳まれたそれは、呪符のように思える。広げると周囲に禍々しい気が満ちた。何が起こるのかと身構えた次の瞬間、手に持っていたそれがぐにゃりと動いた。紙の中心から太い腕が飛び出した。鋭い爪を持つそれが、自分めがけて突き出される。
「!」
 冗談ではない。咄嗟に避け、紙を手放す。気づけば、それはぎょろりとした眼球、裂けたような大きな口、そこから覗く歯、太い腕に鋭い爪、憎悪を剥き出しにした形相をしたものにかわっている。それは、まるで鬼のようだった。
「そう……なるほどね……」
 緋玻は俯き加減に呟く。鬼のようなそれと対峙するその口許には意識することなく僅かな笑みが浮かんでいる。
「?!」
 開けた者に襲いかかってくると思いきや、鬼は自分ではなく、佐伯を見やる。佐伯の悲鳴が響き、はっとする。行かせるわけにはいかない。その行く手に立ちふさがる。
「外に! 彼女のこと、頼むわね……」
「しかし!」
「あたしのことなら、心配はいらない。……そう、これね」
 緋玻は三猿に手を伸ばした。この聞かざるを通し、目の前のこれを操る者がこちらを見ているに違いない。乱暴に掴み、握りしめる。だが、その際に隙が生じ、振りあげられた太い腕の一撃を避けきれずに受けてしまう。
「田中さん!」
 柚品の声と佐伯の悲鳴が響く。
「大丈夫」
 鋭い爪に抉られ、服が引き裂かれ、肌が引き裂かれた。赤い筋と共に血が伝う。しかし、それを気にせず、手にした聞かざるに力を込めた。聞かざるはまるでそれが砂糖菓子でできているかのように呆気なく砕ける。途端、目の前のそれは一瞬、動きを止めた。その攻撃対象を佐伯から近くにいる緋玻へと変える。
「行きましょう、ここは危険です」
 佐伯を宥める柚品の声。そのあと、扉が開き、閉まった。二人がこの場をあとにしたことを確認し、緋玻は自らの本性、鬼と呼ばれるその力を解放する。ほっそりとした腕は筋肉の隆起により太くなり、爪は鋭さを増した。
 目の前にいるそれは緋玻の気配、そして、その姿の変貌に戸惑った様子を見せた。が、それも一瞬のこと。緋玻に襲いかかってきた。
 鋭い爪と太い腕の一撃。その動きを見極め、俊敏に避けた。その動きは人のときのそれとは明らかに違う。避けた次は、反撃だ。攻撃を外し、隙ができたところを下から突き上げるように右腕を振るう。狙うは、首筋。だが、敵もさるもの。それに気づいたのか、それとも急所を守ろうという反射なのか、腕で自らをかばう。しかし、それに気づいたところで、躊躇うことはなく、かばうその腕を掴んで引き寄せる。態勢を崩したところで、左手を突き出し、その首を捕らえた。ずぶりという肉に爪が突き刺さる確かな感覚のあと、ぬめりとした温かなものを指先に感じた。
「そう……あなたの血も温かいのね……」
 そんな姿であっても。呟き、さらに力を込めようとしたところで、不意にその感覚が消えた。その姿は紙となったかと思った途端に燃えあがる。
「……なによ。ここまでやらせておいて……」
 鬼の本性まで解放し、食べてしまおうと考えていたのに。どうやら、逃げてしまったらしい。燃えあがり、既に床の上で燃えかすとなっているそれを見やったあと、緋玻はため息をついた。
 
「そうか、依頼は無事に終了か。おつかれさん」
 草間興信所で報告を終える。柚品、月斗と共に草間から労いの言葉を受けたが、どうもしっくりしないのは、食べ損ねたせいだろうか……緋玻は小さなため息をつく。
「しかし、三猿を送りつけてきた術者はどうなったんでしょうね……」
 その姿を見たわけではないから、柚品がそう呟き、気にするのもわからなくはない。自分としても気になるところだ。
「相手の式……術を返しただろう?」
 俯き加減に月斗は切り出した。
「相手に術を返されたら待ってるのは死だけさ。依頼した連中だって、どうなってることか……」
 そう続け、月斗は冷たく笑う。
「自業自得……か」
 草間の呟きに柚品は目を細める。
「そういうもんだよ。人を呪うってことは。生きるか死ぬか。そういう世界に生きている連中なんだ、覚悟だってできてるもんだよ」
「おまえもそうなのか?」
「……愚問だぜ、おっさん。じゃあな」
 月斗は手をあげるとくるりと背を向ける。
「なんだ、もう帰るのか?」
「少し気になることがあるからな。謝礼は後日改めて頂戴に参上」
 背を向けたまま月斗は言い、興信所を出て行った。
「では、今日のところはこれで。それでは、お疲れさまでした、田中さん。何もしていない草間さん」
 柚品はそう言って頭を下げると興信所をあとにする。
「なんだよ、何もしていないというわけでもないぞ……」
「そうね、依頼の割り振りも立派な仕事」
 くすりと笑い、緋玻は草間の前を通りすぎる。
「……その言い方も刺があるな。帰るのか?」
「ええ。ああ、そうだ。南雲刑事だったわね、あの女刑事さんの電話番号か住所を教えてもらえない?」
 佐伯の周囲に警護の者が配置されていなかったことが気になる。それについて訊ねておきたかった。
「探偵には守秘義務ってヤツがあってな、一応」
 草間は答える。
「ケチねぇ」
「随分とまあ、あっさり露骨に言ってくれるものだな、おい。これが今回の件の契約書。サインしておいてくれな」
 草間は紙を差し出す。今回の契約内容の下に依頼遂行者の名前を記入する蘭がある。その上に依頼者の住所と名前が記入されている。
「勿体ぶって。教えるなら、素直に教えてくれればいいじゃない」
 やはりケチね……緋玻は眉間に僅かな皺を寄せ、呟く。
「だから!」
「はいはい、守秘義務ね。じゃあ、おつかれさま、何もしていない草間さん」
 憮然とした草間を残し、緋玻は興信所をあとにした。
 
 目立つところで待つのもなんなので、目立たぬところでひっそりと待つ。
 どれだけ時間が過ぎたかしらと空を見あげていると、南雲が姿を現した。帰宅し、ポストを開けている。離れているから、よくよく目を凝らさなければ状況は伺えないが、それだけに向こうに気づかれる心配はない。じっと見つめていると、郵便物を確かめる南雲に誰かが声をかけた。
 小柄なあれは……御崎月斗?
 改めて眺める。やはり、月斗だった。月斗と南雲は言葉を交わす。何を話しているのかまではわからない。月斗は南雲が手にしている郵便物からひとつ封筒を取り出した。
 あの封筒……差出人不明の封筒に似ているような気がするけどと思いながら緋玻は様子を伺う。月斗が封を開けたが、何も起こらなかった。
 尚も見つめていると、物陰から二十代半ばくらいかという男が現れた。その男と月斗が戦い始める。あれが術者なのかもしれない。加勢に入ろうかと思ったが、月斗の態度には余裕が見てとれた。
 なので、加勢に入ることなく、経過を見守っていると、月斗は男を追い詰めるも、逃がしてしまった。
 逃げだした男はある方向へと走って行く。が、不意に方向を変え、自分の方へと駆けてきた。それならねと物陰から現れ、男の前に立ちふさがる。
「?!」
「どう、首の傷は」
 男の首筋には赤い跡がある。間違いない、あの術者だと確信した。疲れ切っているうえに、驚いている男を気絶させることはそれほど難しいことではなかった。
「田中さん……」
 驚いた表情の柚品が立っている。が、それはこちらも同じ気持ちだ。
「……まあ、そういうことよ」
 緋玻は答えた。
 
 後日。
 三猿に関しての殺人罪は立証されなかったが、傷害の現行犯であり、その逮捕に貢献したということで、表彰され、楯と金一封と書かれた封筒を渡された。
 ふぅと息をつき、目の前の本を見つめる。
 べつに災厄というほどでも……むしろ、こんなものまでもらってしまって、ラッキーってところかしら?
 ともあれ、今度はこれにとりかからなければならない。あとがないのか、とにかく訳してくれれば、遅れてもある程度大目に見るからと言われている。
「では、ゆっくり相手をしてあげるとしようかしら……」
 本に手を伸ばす。表紙を開こうとしたところで、電話が鳴った。
「……まさか、まさかね……はい、田中ですけれど」
 出ないわけにはいかないので、とりあえず受話器を手に取る。
『ああ。もしもし、草間興信所の草間だが』
 がちゃん。
 即、受話器を置いた。
 また電話が鳴る。緋玻はため息をつきながら受話器を手に取った。
「もしもし……」
『なんだか、今、急に切れた……いや、切られたような気がするんだが』
「ええ、ちょっと手が滑ってしまって……」
『悪いが、頼まれてほしいんだ』
 緋玻はその言葉を聞き、恨めしそうに本を見やった。
 これが……災厄?
『おい? 聞いているのか?』
「ええ、聞いているわよ。それで、今度はなんなの……」
 疲れたため息をつき、緋玻は答えた。

 −完−


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【2240/田中・緋玻(たなか・あけは)/女/900歳/翻訳家】
【0778/御崎・月斗(みさき・つきと)/男/12歳/陰陽師】
【1582/柚品・弧月(ゆしな・こげつ)/男/22歳/大学生】

(以上、受注順)

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■         ライター通信          ■
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依頼を受けてくださってありがとうございました。
まずはぎりぎりですみません。構想を練っていたにも限界があります……。
相関図、プレイング内容、キャラクターデータに沿うように、皆様のイメージを壊さないよう気をつけたつもりですが、どうなのか……曲解していたら、すみません。遠慮なく、こういうときはこうなんだと仰ってください。次回、努力いたします。楽しんでいただけたら……是幸いです。苦情は真摯に、感想は喜んで受け止めますので、よろしくお願いします。

はじめまして、田中さま。
実は、田中さまだけ始まり方が違うので、出だしはなんだかオープニングと違うぞという展開ですが、プレイングに呼び出しを受けたとあったことと、翻訳家ということで、こういうかたちになりました。
と、いうわけで災厄を呼ぶ?本の翻訳、がんばってください(おい)
今回はありがとうございました。またご縁がありましたらよろしくお願いします。
願わくば、この事件が田中さまの思い出の1ページとなりますように。