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未来へと続く
人は、いつ、大人になるのだろう?
二十歳の成人の式を迎えたら、それで大人と認められるのか?
着飾って、ダラダラと長い市長の話でも聞いて、浴びるほど酒を飲んで騒いで、それで、大人?
環境が人を作るというのなら、今の時代、本当に大人になれる日は、ずっと、もっと、先なのかも知れない。
そもそも、大人とは何だろう?
それは、他者を認める心だと、誰かが言った。
それは、自らを律する力だと、誰かが言った。
だとしたら。
自分は、まだ、大人にはなっていないのかも知れないと、水城司は考える。
他人に腹を立てることが、たまにはある。
自分を甘やかすときも、希にある。
完全ではいられない。
子供の部分が、自らの中に残っていることを、司は知っていた。
それでいい、とも思う。
永遠の少年性を失うことなく、成長していくことこそ、理想の姿なのかも知れない。
答えは…………きっと、一生考えても、出ないのだろう。
夕食を終え、雑用もかたし、暇が出来た啓斗は、縁側に腰掛けて、ぼんやりと月を眺めていた。
さく、さく、と、あまり手入れされてない庭草を踏みしだく音が、遠くから響く。
客が来たようだ。
啓斗が、そちらに顔を向ける。
どん、と、越乃寒梅の一升瓶を、水城司が置いた。コップまでちゃんと用意されている。久々の晩酌を決行するらしい。無駄なんだろうなと思いつつ、啓斗が、それでも生真面目に忠告した。
「司兄ぃ。俺、未成年なんだけど」
「何を今更。外国では、五歳児が普通にワインを水代わりに飲んでいるぞ。日本の法律に律儀に従う必要はない」
「いや。でも。酔っぱらって迷惑かけるのも何だし」
「迷惑? 誰にだ? 俺にか? だったら無用の心配だ。俺への迷惑は数に入らないからな」
二人きりで、しかも家の中で飲むのなら、他の誰にも迷惑のかけようがない。
啓斗の主張はことごとく却下された。
結局、自分が負けるんだよな、と、啓斗は密かに苦笑する。
幼馴染みの青年は、強引で、理論的で、未成年に酒を飲ませるという行為すら、見事に正当化してしまう。勝てるはずがないのだ。そもそも勝とうとも思わない。
啓斗は、司の、この強かさが、むしろ好きだった。憧れてさえいるかもしれない。自分には無いものとして。この先も、きっと、一生涯、身に付けることは出来ないのだろう。
「去年は、色々あったな」
司が持ち込んだ酒は、切れの良い新潟の銘酒。淡麗水のごとし、と評される、喉越しの良さと柔らかな香りが、我知らず杯を進める。
「動く茸を追いかけたり、本当に、色々あったな」
身内の常軌を逸した行動に苦労したり。恋人の罵詈雑言に振り回されたり。
思い出すと笑えてくるような内容ばかりだが、当時は、結構まじめに悩んだりもしていたのだ。過ぎてしまうと、ああこんなものかと、懐かしく思い返せる。
「飲んでいるか? 啓斗」
「飲んでいるよ」
見てみろよ、と、啓斗が、指先で寒梅の瓶を弾く。既に半分も減っている。司は勧め上手の、ついでに飲ませ上手だった。自ら自爆することはないはずの啓斗まで、巧みに酩酊者の仲間に引っ張り込む。
「司兄ぃが、いつも俺ばかり飲ませるから、すっかり強くなってしまったじゃないか。最近じゃ、酔うこともなくなったよ」
啓斗の言葉に、思わず司は苦笑する。
弟に飲ませてもすぐに潰れるから、面白くないのだ。兄の方が、語りの入るような場には、相応しい。大勢で騒ぐなら、双子の弟のあのうるささも悪くはないが…………子供は放っておけという意識が、つい働いてしまう。
「お前も、弟を見習って、酒を飲むときくらい、気を張るのを止めろよ」
忘れるために、酒を飲む。
束の間の楽しさに溺れるのは、罪ではない。
いつもいつも背筋を伸ばしていたら、いつか、緊張の糸が切れて弾けてしまうだろう。
羽目を外すのは、人間として必要なことなのだ。遊ぶときには遊び、学ぶときには学ぶ。その状況に応じて、自分を使い分ければいい。
啓斗にも、早く、その事に、気付いて欲しいものだが……。
「幾つになった?」
司が聞く。
啓斗が、答える。
「十七だよ」
思わぬ幼い数字に、司は、やや言葉を失う。
そうか。まだ、たったの、十七歳なのか。
何故だろう? 啓斗は、もっと、年齢が上のような気がしていた。たくさんのものを抱えすぎていることを知っているから、長く生きているような、奇妙な錯覚に陥っていたのだ。
「十七歳か……」
ふ、と、気が抜けたように笑う。
啓斗がむっと唇を引き結んだ。
「何だよ? 司兄ぃ」
「子供だな。十七歳か……。まだまだ、子供だ」
啓斗が、ぐいとコップの中身をあおった。
「子供じゃない。俺は……。子供なんかじゃない」
いつだって、守崎家を守ってきた。弟を支えてきた。誇りがある。自負がある。子供と言われるのは、我慢がならないほどの屈辱だった。
人は、年齢だけで大人になるわけではない。心が成長しなければ、永遠に、幼いままなのだ。だったら、自分は、もう少年ではないと、啓斗は自らに言い聞かせる。子供のままでは駄目なのだ。子供に、家は、預けられない。
「啓斗……。十七歳は、どう足掻こうが、十七歳なんだ。その事実だけは、絶対に覆らない」
「俺は子供じゃない!」
ざっと立ち上がる。
急に動いたのが、仇になった。四肢を廻るアルコールが、あっという間に脳天にまでも駆け昇る。視界が狭まり、ついで景色が暗転した。ふらりと倒れる。
司が腕を伸ばして支えてくれなければ、後頭部を嫌と言うほど強打して、別の意味で意識不明になってしまっていたに違いない。
背伸びして無理をする時点で、啓斗は、既に子供だった。これが司なら、危ないと思った時点で、止めている。酒に弱いのは、恥ずべき事ではないし、引き際も肝心だ。ざるの司と飲むのに、ペースをあわせていたら、昏倒するのは道理である。
「馬鹿が付くほどの負けず嫌いってのも、どうかと思うがな」
自分を知らなければ、それは、完全な大人ではない。
「もう寝るか。啓斗」
返事はない。沈黙は、承諾だった。司が、啓斗に肩を貸して、歩き始める。
抱き上げるような真似はしない。その姿を弟に見られるのは、きっと、啓斗の意思に反するだろう。弟の前では、いつでも、兄らしく振る舞わせてやりたいのだ。些細なことだが、この約束は、大切にしたい。
「おい。兄貴を連れてきたぞ。馬鹿弟。少しは端に寄れ。邪魔だ邪魔」
既に先に休んでいた弟を、部屋の隅に追い立てる。隣に、ぐでんぐでんになっている啓斗を寝かせた。
「うわ! 酒くせ! あーあ。こんなに酔っぱらって」
「啓斗はお前よりだいぶ強いからな。つい、飲ませたくなる」
「どうせ俺は弱いよ」
「お前は俺の相手としては、明らかに物足りないからな」
「悪かったな!」
ふんと、弟は不貞寝した。
啓斗を残し、司は、また縁側に舞い戻る。
「カラ、か……」
越乃寒梅は、完全売り切れ。
仕方なく、守崎家の冷蔵庫から、安物の酒を持ち出した。
「焦る必要はないのさ。啓斗。嫌でも、お前は成長せざるを得ない。周りが、お前を放っては置かないからな」
十八歳の啓斗に、十九歳の啓斗に、二十歳の啓斗に、今ここで、祝福を与えよう。
これから先、止まることなく古い殻を脱ぎ続ける義弟を、ただ、自分は、静かに見守ってやればいい。
人は、いつ、大人になるのだろう?
二十歳の成人の式を迎えたら、それで大人と認められるのか?
着飾って、ダラダラと長い市長の話でも聞いて、浴びるほど酒を飲んで騒いで、それで、大人?
環境が人を作るというのなら、今の時代、本当に大人になれる日は、ずっと、もっと、先なのかも知れない。
そもそも、大人とは何だろう?
それは、他者を認める心だと、誰かが言った。
それは、自らを律する力だと、誰かが言った。
だとしたら。
早く大人にならなければと、守崎啓斗は考える。
守りたいものがたくさん在る。
信じたい人がたくさん居る。
完全になりたい。
不可能かもしれないけれど。
目指し続けることが、きっと、力になる日が来る。
想いは…………一生、消えることはないのかもしれない。
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