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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


封石の縁


 その店を見付けたのは、偶然――信号待ちで、殆ど光を感じ得ぬ視線を彷徨わせた先に、僅かな気掛かり、ただそれだけのことではあった。何も初めて通る道ではない。財閥傘下の会社の事務所のひとつが近くに在り、訪れる度に何度か車でだが通り過ぎている。そして、味わい深い趣の、恐らくは数十年前から其処に存在しているのだろう、一軒の店が在ることも、確かに以前から知っていた。
 けれど、普段なら気にも掛けないその店を覗いてみようと、運転手に「停めてください」と言い付けたのは、きっとそれが、必然であったからなのだろうと、思う。
 店は、アンティークショップだった。

 カラン、カランと、軽快なベルの音が響く。ガラスを嵌め込んだ木製の扉を開けると、特有の“古い”香りが立ち籠めて、セレスティ・カーニンガムは口元を綻ばせた。埃だけではない、長い時を経て集められた様々な品物は、嗅覚のみに止まらず、そのひとつひとつ、チカラと呼んでも良いような、不思議な感覚を携えている。
「いらっしゃいませ」
 不意に柔和な老人の声が、店の奥から聞こえた。
 セレスティは驚いた様子もなく、ゆるりと、違えることなく声の主を振り向いた。誰もが魅了されるであろう絶世の美を誇る容貌を彩るのは、銀の光を湛えた長く絹糸の如き髪。動きに合わせて、さら、と肩を滑る。
「……おや、失礼ですが、足が」
「ああ、大丈夫です。少々不自由ではありますが、心配には及びません」
 ステッキをコツと床で鳴らせてみせ、セレスティは微笑む。相手もその表情に納得したのか、それ以上は触れず、「なにかお探しですか」と、声にも笑みを滲ませた。
 問われ、セレスティは些か悩んだ様子で、店内に視線を廻らせる。
「特に目的があっての来店ではないのですが、少し、見せて頂いてもよろしいでしょうか」
「ええ、勿論です。ごゆっくりどうぞ」
 こういった遣り取りは実に心地好い。セレスティは気兼ね無く、決して広くはないが、数は豊富でしっかりと手入れが行き届いた品々を見て回った。
 種類も様々だが、調度品のような大きな物よりは、時計、アクセサリーといった小物が中心に陳列されている。
 ふと、或る棚の前で、セレスティは立ち止まった。
 店主の了解を得て、それを手に取る。
「……これは」
 石だ。
 掌に乗る程度の大きさの石は磨き込まれていて、すべらかな表面には傷ひとつ付いていない。仄かな朱色に、白の縞模様が走る様は、美しく、何処か温かみがあった。
「それは瑪瑙ですね。底の部分が安定がいいように削られているでしょう。ペーパーウェイトに使われるんですな」
 店主の言葉に、セレスティはもう一度ゆっくりと石をなぞる。ひんやりとした冷たさに、けれど何か、それだけではない、この店を訪れるに至ったあの気掛かりが再び過ぎる。
「そういったものは、贈り物にも喜ばれるそうですよ」
「贈り物……ですか」
 僅かに考えを巡らせて、真先に思い浮かんだ女性の名。
 そういえば、彼女の引越し祝いに何を贈ろうかと思案していたところだった。
「これを、頂けますか」
 占い師としての勘ゆえか、セレスティは朧気ながらも、瑪瑙にチカラの存在を感じ取り、それが最も相応しい場所へと送り届けることにした。

   *

 車は人通りの多い駅前を過ぎて、大通りから脇道へと入った。賑やかな表からは一変して、閑静な裏通りである。しかし夜は物騒な、といった雰囲気はなく、街路樹の脇に等間隔に並ぶ街灯も洗練されたデザインで、通り全体が初めからそう設計されているようだった。
 その通り沿いに、彼女――綾和泉汐耶の住むマンションはある。
 先日、セレスティが総帥を務める、財閥の不動産部門を通して紹介された物件だった。部屋を見てその場で購入を決めた汐耶は、直ぐに引越しも済ませたと聞いている。余程気に入ってくれたのだろう。
 広々としたスペースを持つマンション前の駐車場に車は停まり、セレスティはエントランスで来訪の旨を告げ、汐耶の住む部屋へと向かった。

 ゆったりとした室内は、クリーム色の優しい色合いの壁紙に包まれて、カーテン越しに暖かな午後の陽光が降り注ぐ。今セレスティが腰掛けている椅子は、テーブルと一緒に前の住居から引き続き使用されている物であろうが、見事に部屋との調和が取れていた。どんな家具も合うようにと自然な色合いで構成された空間である。
「この間はありがとうございました」
 紅茶を淹れながら、汐耶はセレスティに礼を述べた。
 黒のタートルネックのセーターにジーンズという出で立ちは、すらりとした彼女の体型によく似合う。伊達の銀縁の眼鏡の奥で、涼しげな蒼の瞳が細められた。
「本当、いいところを紹介してもらいました」
 自然、声も弾む。
 汐耶は二つのティーカップにそれぞれ紅茶を注ぐと、片方をセレスティの前へ置いた。
「そう言って頂けると、紹介した側の私も嬉しいものです」
 ベランダに設置された棚には、幾つかの鉢植えが置かれていた。現在は緑の葉が並ぶばかりだが、春を迎えれば取り取りの花が咲く筈だ。
「今日は、近くに用事でも?」
「いえ、まだ引越し祝いも何もしていなかったと思い立ちましてね。改めて、おめでとうございます」
 言いながら、セレスティは傍らの紙袋の中から小振りの箱を取り出した。銀朱の厚紙で設えられた箱には、シンプルな細い赤のリボンが結ばれていた。購入したアンティークショップの店主が、気を利かせて添えてくれたものである。少々崩れた結び目が、却って愛らしくも感じられた。
「これは、そのお祝いに。……店で見付けて、なぜか汐耶嬢のことが真先に浮かびました。なにか、縁のようなものが、間にあるような」
「えにし、ですか?」
 ありがとうございます、と受け取り、セレスティに視線で了解を取ると、汐耶はそっとリボンを解いて箱を開けた。
 破損防止のために詰められた綿を除けば、中からは朱色の、所々白濁した、卵型の掌サイズの石が姿を見せた。瑪瑙である。
 石を認めて、汐耶は僅かに目を見開くと、ややあって懐かしむよう、一度石を撫でて、慎重な手付きで箱から取り出した。
 汐耶の表情に、セレスティは「やはり、なにか?」と微笑の儘に軽く首を傾げる。
「これは、私が昔、封印を施したものです」
「封印?」
「はい。あの時は私はまだ、中学生くらいの年頃だったでしょうか。……もう、十年近く経つんですね」
 小さく笑みを零し、両手で石を包み込んだ。
 汐耶は、『封印』という特異な能力を持っている。文字通り、対象をあらゆるものに封じることが出来るもので、それには条件付きの封印など、ある程度の制御も可能であった。
 十代の半ば、汐耶はその能力で、或る“ひと”を封印したのだと、云う。

 彼女は、怨霊だった。
 己の体を掻き毟る細く長い指に、聞く者に恐怖しか齎さぬ呻きを上げ続ける白い咽喉に、その繊細な体付きに、本来の姿を窺う。
 長い髪は顔の殆どを覆い隠し、けれど自身の発する気に靡く度、僅かにちらりと覗く。其処に、憎しみに支配された表情を見て取って、汐耶は酷く――哀しかった。
 彼女は、ひたすら嫉み、呪い、相手を傷付ける、ただそれだけのために存在していた。
 此の儘彼女を放っておけば、その怨嗟の声に、犠牲者は増え続けるだろう。
 何らかの方法を以て彼女を消滅させることは、きっと簡単なことだった。自分が行わずとも、心得のある誰かが、恐らくは一瞬で彼女を消し去ってしまうだろうことも、能力者であった汐耶には、分かっていた。
 けれど。
 対峙した彼女が、死して尚、その身を憎悪それだけに染めて叫び続ける姿に、汐耶は、ただ消して、彼女を“なかったこと”にしてしまうのは、あまりにも哀しいことだと悟った。
 だから、彼女を封じることにした。
 時間を掛けて、ゆっくりとその魂が浄化されるように。
 浄化が完了するまでの間、瑪瑙の石の中で、暫しの眠りを彼女に与えたのだった。

 そして、時は流れて、満ちた。
 彼女の魂は、間もなく浄化を終える。
 その日が近いことを示すように、瑪瑙は再び、封印の主である汐耶の許に戻ってきた。
「あの時の選択が正しかったことを、今、改めて思います」
 そう話を締め括り、すっかり冷めてしまった紅茶を口に運ぶと、「淹れ直しますね」と微か苦笑を浮かべて、汐耶は席を立った。
 テーブルに置かれた瑪瑙の石は、汐耶の熱に触れた故か、先程よりもはっきりとした存在を誇る。
「そいういうことでしたら、プレゼント、というよりは、私はただ、在るべき場所へと運んだだけに過ぎませんね」
「そんなことはありません。とても素敵な、贈り物です」
「確かに素敵なものですが、それでは私の気が済みません。……ディナーに誘っても、いいですか?」
 紅茶の葉を手に、汐耶は逡巡する様子。
 セレスティは笑みを深くして、言葉を継いだ。
「勿論、妹さんもご一緒に」
「では、お言葉に甘えて」
 答えて、ふと、汐耶は瑪瑙に再び視線を送る。
 縁というものは、確かにある。
 浄化が終わるまでの期間限定とはいえ、妹との二人暮しに、もうひとり、同居人が増えたのだ。
「……『めのう』、か」
 紅茶の甘い芳香が、ふわり、湯気と共に昇った。
 そろそろ妹が帰宅する時間だろうかと、壁に掛けられた時計を確認する。
 傾きかけた陽の光に、瑪瑙がきらりと耀いた。


 <了>