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<東京怪談ノベル(シングル)>


蟲のシカク

 ふと目を覚ましたザニーが、視線だけで周囲を見渡す。尤も、眠ると言う行為がザニーに必要かどうかは不明なので、眠っていたと言うよりは、活動を休止していたと言う方がより近いかもしれない。

 人間がその目で視覚として捉えているものと昆虫が捉えているものでは、媒質が違う故に、例え同じ風景を見ていても、その捉え方は全然違う。それを同じよう、ザニーの媒質も他の何物とも異なる性質を持っていた。ある種の蜂や蝶が、紫外線を見分ける事が出来るように、ザニーも人には見えないものを見る力があった。それはザニーだけに恵まれた力と言うよりは、彼が己が目的のため、自然と身に付けたものだと言っても過言ではない。
 その日、活動を再開したザニーが最初に見たものは、活動を休止する以前にはなかったものだ。その場には不釣合いなようでもあり、その場にあるのが当たり前のようにも見えた。
 ザニーが『契約の証』に寄り掛かるようにして、その身を潜めていたのは街外れの墓場、ここ数日は埋葬もなく、至って静かで一般的には平和な毎日だった。それはザニーにとっては退屈極まりない事であり、楽に腹を満たされない苛立ちで一杯の日々だった。勿論、空腹を抱えて我慢する等と言うことは彼には無かったので、腹が空いたと思えばその足でどこかに出掛け、目的のものを狩り、捕らえて喰らうだけだったが、それでも、『わざわざ』出掛けなくてはならない事はザニーにとっては億劫な事で、かと言って腹を満たすのに何でもいい訳ではない。その辺り、ザニーの我侭な部分とも言えるのだが、己の欲求を満たす事が何よりも最優先する彼の事、彼の視角の中には己が食する対象のものしか映らないのだから致し方ないのであろう。

 ザニーはゆっくりとした動作で立ち上がると片手に薙刀を持って引き摺り、『それ』の方へと近付いていく。指先で摘まみあげて鼻先まで持ち上げ、微かに残った匂いと気配を探った。

   喰いたい。

 最初にザニーが思ったのはそれだ。『それ』の持ち主は彼が想像するに、最近では滅多にお目に掛かれない程の上質な美肉だ。匂い、弾力、歯応え、どれをとっても申し分ない。だが、何故こんな所に『それ』はあるのだろう。『それ』の持ち主は、今は一体どこにいるのだ?
   …神聖都学園・中等部。
 ザニーが摘み上げた『それ』には、そんな風に書かれたタグのようなものが付いていた。と言う事はこれは、神聖都学園の生徒がここに忘れていったに違いない。届けてやろう。そして、これの持ち主を実際に見てやろう。そして
   喰ってやろう。
 ザニーは近くにあった、サビの浮いたアルミの四角い箱に『それ』を入れると、大薙刀を肩に担いでざりざりと歩き始めた。


 神聖都学園は一万人もの生徒数を抱えた、超マンモス学校群である。当然敷地もとんでもなく広く、初めて来た人は多かれ少なかれ迷うと言う曰くつきの学校である。噂の域を越えないが、人が敷地内で迷うのは、尋常でなく歪んだ力場か磁場の所為だとか霊気の所為だとかとも言われている。そんな場所にザニーが紛れ込めば、大薙刀の影響もあって更に歪みは大きくなり、またザニーの身体から発する悪臭も伴って、そこにいる生徒や教職員に何かしらの影響を及ぼすだろう。それを分かっているので、ザニーはまるで身を潜める刺客のよう、ぐるりと外周を回るように大回りをしていく。彼にとって、自分の存在が他人に悪影響を及ぼそうが、また間接的に傷つけようが、そんな事普段なら全く意に介さない。だが今回ザニーには、この『忘れ物』の持ち主を探し出すと言う多大なる目的があるのだ。己の欲望、しかも久し振りのご馳走にありつけるかもしれない貴重なチャンス、これをみすみす己の怠慢で逃してしまう程、自分は愚かではない。それぐらいの努力は惜しまずにするものだ。己自身が満足する為ならば。

 ザニーは、この忘れ物の持ち主の顔を知らない。が、それでもその相手の事が手に取るように分かる。この『モノ』から伝わってくる気、或いは記憶から、相手の詳細を知る(正確に言えば捉える、だろうが)事が出来た。それを頼りに、ザニーは中等部の校舎へと向かう。ざりざりと歩きながら、彼は今から会うだろう忘れ物の主の事を考えた。
   どんな味だろう。どんな舌触りだろう。どんな歯応えだろう。
 勿論、会った事も無ければ喰った事も無い相手の事、それらは全て想像の域を超えないのだが、それでも何故かザニーにはその感触を鮮明に想像、予想する事が出来た。昆虫の複眼のように、同一で無数の視角に映る相手。まるで運命の恋のよう、ザニーは逸る心を抑えて一年生の教室へと向かった。
 「……で、明日は何時から…」
 「…制服のままでいいのよね…?」
 目的の教室から、女生徒の会話が聞こえた。一瞬ザニーは色めき立つが、その声の響きは、忘れ物の主のものではない。表情では分からないが、内心では明らかに落胆の色を濃くした。ザニーは、小腹も空いたし、ご馳走の前の腹ごしらえをと考え、夕暮れの教室に残った少女二人を喰らおうと足を踏み出す。ごり、と大薙刀が廊下を削った。
 「でも…なんかイヤよねぇ…恐いわ、まだ犯人は捕まってないんでしょう?」
 少女の声に、ザニーの足が止まる。
 「恐いよねぇ、だって絶対に変質者よ、ソイツ!彼女、右手の手首から先が無かったんでしょう?その手が見つかる前に、先に本人が見つかっちゃうなんて…」
 「気をつけなきゃ……」
 次第に少女達の声が遠ざかっていく。それは彼女達がその場から立ち去ったからではなく、ザニーがその姿を消しつつあったからだ。
 ザニーが求めた相手、その相手はもう居ない。彼女の自宅へといけば、まだその身体はあるだろう。だが、冷たくなったそれには興味はないのだ。どんなご馳走であっても、冷えて固くなってしまった時点で、それはザニーの対象たる資格を失ったのだった。

 ことん、と何かの音がし、少女達は反射的に振り向く。そこには何もいなかったが、ただ、錆びたアルミの四角い箱がひとつ、転がっていた。少女達は顔を見合わせ、そちらへと近付いていく。何かが警鐘を鳴らすが好奇心には勝てず、少女達はそっとその箱の蓋を開けた。
 「…?…―――……ッ…――………!!!」
 声にならぬ悲鳴の後、少女達が布を裂くような金切り声を上げる。その四角の箱に入っていたのは携帯電話、但し、それをしっかりと握り締めている、手首で切り取られた少女らしい華奢な人間の手も一緒に入っていた。


 昆虫は、進化論の仮定に置いて、宇宙から飛来した生物だと言われる。カテゴライズの仕方によっては、ザニーにも共通項があるかもしれない。