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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


乾いたメモ

------<オープニング>--------------------------------------

「俺の仲間内で、1人連絡が付かないヤツがいるんです。探してもらえませんか」
 そう切り出してきたのは、山田克巳と名乗った青年。大学生くらいだろうか?短く刈り込んだ頭を寒そうに手で撫でつけ、そして草間に縋るように身を乗り出す。
 珍しく、普通の依頼に何とはなしに嬉しそうな草間。が、無理に引き締めてややしかめつらしい顔を作り、
「話は分かったが…条件や期限はあるのかな。捜索となると、時間もお金もかかって来るが?」
 うぅん、とちょっと渋るような声を上げる青年。金か、出してくれるかな、とぶつぶつ呟きながら顔を上げ、
「そうですね…期間は二週間くらいかな。ヤツが住んでたのはこの住所。最近まではここにいたんですけど、急にいなくなってしまって」
 す、と出したべこべこに歪んだメモに書かれてあるのは、女性の名と住所、それに電話番号。
「尾上秋子さん。…女性か。奴、っていうから男かと思った」
「はは、そうだった。さばさばしていい奴だから、ついね」
「いなくなったのはいつ頃?」
 んー、と顎をさする。無精ひげがぽつぽつ目立つが、それもまたこの青年の味を引き立てているのか不潔な感じではない。
「2ヶ月くらい前かな?急に携帯も繋がらなくなったから」
 これ、その番号、とメモの電話に指を置く。
「彼女の実家の住所とかは分からないかな」
「あー…ちょっと待って。確かここに」
 がさごそ、とジャケットの内側からシステム手帳を取り出すと、張り付いている紙を苦労しながら開き、これこれ、と一枚ぺりっと破いて手渡す。ついでに、ともう一枚メモの部分を切って手渡した。こちらには4人の男女の名と携帯番号が書かれている。
「どうしたの、それ」
「水に落ちちゃって、この通り。買ったばかりで勿体無くて」
 みっともなくてスイマセン、と照れくさそうに笑った青年。癖なのか、再び顎を右手で撫で。
「こっちの4人は俺達の友人です。もしかしたら連絡行ってるかもしれないから、一応」
 受け取った3枚の紙は同じシステム手帳から破いたものらしかった。水に濡れたという染みも歪み加減も殆ど同じ。「でも、住所録とか破っちゃっていいのかな。こっちは助かるけど…」
「ああ、いいんですよ。何とかなりますから」
 笑いながら青年が手を振り、立ち上がりかけてああそうだ、と呟く。
「俺、心当たりを探してますので、連絡は携帯にお願いします。俺の番号は…」
 メモしてくれと言わんばかりの言葉に、草間が手に持っていたペンでさらさらと別のメモ用紙に書き付けた。
「っと、もうひとつ忘れてた。そそっかしくてすいませんが、コレ前金です。残りはまた後で」
 そう言いながら、逆の内ポケットから茶封筒を取り出しかけ、ぽろっと一緒に何かを落とす。
「っとっと」
 それは、赤い小さな林檎のようなもの。慌てたようにそれを掴むと内ポケットに捻じ込んで立ち上がる。
「そ、それじゃ宜しくお願いします」
 青年が足早に出て行った後で、茶封筒に手を伸ばし、それから――ん?と眉を顰めた。
 妙に、固い。
 引っ張り出してみると、万札の束。15枚程入っているのだろうか、だがそれは全部ぴたりと張り付いている。…まるで、『一度ふやけて乾いた後』のように。
「…零、これは金庫の中にこのまま入れておいて。使わないようにな」
 零にそう言って茶封筒を手渡すと、何かを考えるようにソファに身を沈めた。

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 依頼人の話と残された品を見せ、一通り話し終えたその後のこと。
「武彦さん、何か気になることでもあるの?」
 メモを並べながらどう行動するか悩んでいる様子の倉菜と、行き先が決まったのか百合枝に頼んで詳細地図を印刷してもらっているみなもを横目に、シュライン・エマが武彦にお茶を出しながらそっと訊ねる。ん?と顔を上げた武彦はああ、いや、と呟き、
「――本を風呂で落としたことあるか?」
 突然そんなことを聞いて来た。
 一瞬きょとんとし、そしてゆっくりと首を振る。
「…中まで水が染み通った本は乾くまでに相当時間がかかる。あの封筒の厚みから行っても、あそこまで水気が抜けるまでには1日以上乾かさなきゃいけない。分かるか?此処に来るまでに何処かに落として濡れた、っていう訳じゃないんだ。なら何故あのままのモノを持ってきたのか、ってね」
「…時々事務所の雑誌が歪んでるのってそういうことだったのね」
 シュラインの静かな突っ込みは聞こえないふりをして煙草に火を付ける武彦。
 ふぅ、と小さく息を付きながら笑みを浮かべ、メモを覗き込んでいる倉菜達と同じようにさらさらとメモの中に書かれていることを自分の手帳の中に書き付ける。
「この中の誰かに会えたらいいんだけどね。…まず連絡取って見ましょうか」
 事務所内にある電話に手を伸ばしながらシュラインが告げ、そうね、と百合枝が頷きながら別の電話に手を伸ばす。
「私は山田さんに会ってきます。…もう少し詳しい話を聞きたいし。番号これですよね」
「あたしは、尾上さんの今の家の方へ行ってきます」
「あ――後で会うかもしれないわ。山田さんに付いてきてもらえたら」
 みなもの言葉を聞いて倉菜がそう告げ、わかりました、とみなもが頷き。
 一枚だけ筆跡の違う電話番号を書き出していた倉菜が立ち上がり、他の細々としたことをメモしていたみなもと一緒に何かあったら連絡ください、と告げて事務所から出て行った。

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『――尾上…ああ。そう言えば最近会ってないな。何?今何処にいるか知らないの?』
 同じ大学のサークル仲間だったと言う青年の声が電話の向こうから聞こえて来る。ええ、と答えながら何か知らないかと訊ねたが、どうやら行方が分からなくなっていると初めて聞いたようで戸惑う声が聞こえてくるばかり。
『彼女はまだ大学生だしなぁ。俺達は先に卒業しちまったけど』
 サークル仲間で仲の良かった人物達の名を挙げてもらうと、メモに書かれた名と克巳の名が出てくる。
「山田さんは?」
『あいつもまだ大学だよ。――ん、もしかして依頼したのって奴か?』
 わははは、と呑気な笑い声が電話の向こうで響いた。くっくっ、と楽しげな余韻が続き、そしてようやく元の声に戻る。
『なんだ、まだ諦めてないのか。可哀想に』
 ――詳しい話を聞けば、どうやらサークルに克巳が入ったきっかけと言うのが秋子の存在だったようだ。秋子自身がそれをどう思っていたかは知らないが、仲の良い友人と言う立場でずっと来ていたらしい。図体でかい割には小心者なんだよなー、と気楽な声が言葉を続ける。
 秋子のことを話す時に殊更意識していないとでも言うのかヤツ呼ばわりをすることも、落ち着かなくなると顎を撫でる癖も本人のものだと訊ねられるままに答えた相手は、メンバーの中で特に仲が良かった人物の名を挙げた。
『尾上と良く一緒に居たし、彼女なら最近のこと知ってるかもな』
 メモしていた名にチェックを付けると礼を言って電話を切った。見れば、百合枝も電話が終わった所なのか手元の紙に何か書き込んでいる。
「何か判った?私の方は電話の相手じゃ良く分からないのと、依頼した人は本人らしいってことだけ」
「うーん。彼女の実家にかけてみたんだけど、どうも長い間連絡取れてないっていう風じゃないのよね…行方不明なんて変な事言わないでって怒られちゃったわ」
 その言葉を聞いて、不審感が募る。いくらなんでも家の人間なら、1人暮らししている娘がいて2ヶ月も互いに連絡無しで放置しっぱなしと言うことは…全くないとは言い切れないが、考えにくい。
「仲の良い子の名前は教えてもらったから、今からそっちもかけてみるわね」
「ええ。それじゃ、私は…まだかけてない人、2人?そっちにかけるわ」
 再び受話器に向う2人。

『――はい』
 何度かのコールの後で受話器を取った女性に、名を確認して秋子のことを訊ねる。――と。
『…秋子…あの、なにかの間違いじゃないんですか?』
 電話の向こうの声は、戸惑いを隠せないでいる。それは、相手が失踪するような人物ではないと思っているからなのか、それとも――と考えた時、
『彼女なら一昨日電話で話しましたよ』
 行方不明なんて、そんな無責任な、と憤慨しているような呟きも続けて聞こえてきた。
「一昨日?…そのときは何て」
『―――あの…どうして彼女を探しているのか教えてもらえませんか?』
 その、探るような言葉が気になり、依頼人の名は言わないままで探して欲しいと言われたことを告げる。そして、暫くの沈黙。
『…お会い出来ます?ちょっと電話だと話しにくいので』

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「どんな話でしょうか?」
 優雅なBGM付きの喫茶店で、百合枝とシュラインが待ち合わせに現れた女性と向き合う。
「行方不明って言うのは嘘です。けど…今は確かに、彼女家には戻っていません」
 仕事中だったのか、スーツ姿の女性が物憂げな表情でそう告げた。思わず2人共身を乗り出してしまう。
「それは…どうして」
「そこまでは話してくれなかったけど…何だか、心配なんです。電話越しだったけど様子が酷くおかしくて」
 冴えない表情は彼女を気遣ってのことか。
「携帯も解約したとか、家に帰れないとか…怖がってたみたいだった」
 だから、何か悩みがあれば相談して欲しいと言ったのだという。だが、それに返事はなく。
「解約、したんですか」
「ええ。…かけても繋がらなくなってますよ」
 其れは本当、と試しにかけてみた百合枝がこく、とシュラインに頷いてみせる。
「それで、他に何か言っていませんでしたか?」
「…克巳君が、どうとか…途中から何を言っているのか良く聞き取れなくて。でも彼、秋子のこと凄く大事にしていたから何か問題起こすようなことはしないと思うんですけどね…」
 うーん、と小首を傾げながら、ああ、と何か思いついたように顔を上げ。
「もしかしたら…彼女の居場所、分かるかも知れません」
 え?
 持ってきたハンドバッグから手帳を取り出し、ぺらぺらとめくる。
「…ああ、あった。この電話番号なんですけど」
 都内と分かる番号がそこには記されていて、
「これを教えてくれた時、もし家の方から連絡が来たら教えて欲しいって言われたんです。アパートには暫く戻れないだろうから、って。それから、また何処か移動した時はこっちから連絡するから、って」
 メモしても?と訊ねたシュラインにどうぞ、と手帳を渡す。
「…あの…秋子のこと、何か判ったら教えてもらえますか?聞くに聞けない雰囲気だったけど、やっぱり心配だから」
「分かりました。ごめんなさい、仕事中だったんでしょ?」
 いいえー、とそこでようやく笑顔を見せた女性が、宜しくお願いします、とぺこりと頭を下げ、少しばかり気が晴れたような顔で店を出て行った。残された番号はひとつ、それを2人で頭を付き合せて見つめる。
「携帯じゃないわね。…かけてみますか」
 百合枝がそう言い、店の奥にあるボックスに入って行く。
 ――秋子が、つい最近連絡を取っていたという事実。それと、依頼人の行方不明という言葉。
 携帯を解約していたのは間違いなかったが、それでも時期のずれはどう考えて良いか分からずに難しい顔になって、冷めた飲み物をゆっくりと口に運ぶ。
「分かったわ、番号先。ホテルだった」
 住所も教えてもらったのだろう、百合枝が急ぎ足で戻って来た。

 いかにもなビジネスホテルの前に立って、小さなその建物を眺める。フロントと言っていいのか分からないくらい小さなカウンターが奥に見え、秋子がいるかどうか確認してくる、と百合枝が先に立って中に入って行く。
 受付に立っていた人物と何か話をしていたようだが、それほど時間がかかることもなく答えが返って来たようで、シュラインが近づいた時には宿泊名簿を調べてもらっている最中だった。
「ええ、確かに3日前から此処にご宿泊いただいています」
 部屋番号を聞き出し、そして二手に分かれる。ひとつは部屋の近くに、もうひとつは他の者達と連絡を付けるために一旦外に。
「彼女、見つかったわ。そっちはどう?」
 事務所に連絡を入れると、其処に居合わせた3人と話がついた。皆すぐ来ると言う。
「――山田さんとは連絡が取れないのね?分かった、取りあえず合流しましょう。詳しい話は其処で聞かせてもらうわ。…ちゃんと見張っていないと、彼女また逃げるかもしれないから」
 今日はまだ此処に居る。電話番号が彼女に直通で無くて良かったと思いながらそう告げ、場所を伝えると次の番号へとダイアルする。
 克巳に会いに行った筈だった倉菜は、秋子が見つかったと聞いてすぐ行く、と答えてきた。途中合流した京一も一緒らしく、何か話す声が聞こえて来る。
 克巳に会えて何か進展はあったのだろうか。
 そんなことを思いながら、冬の外気にぶるっと身を震わせ、風に当たらず外が見える位置にまで引っ込むことにした。

 待つことしばし。百合枝から秋子の動きが知らされる前に、飛ばしたのか事務所から現れたタクシーが目の前で止まり、みなもとウィンの2人が降りてくる。
「早かったわね。…1人は留守番かしら?」
 え?
 シュラインの言葉に2人が顔を見合わせた。
「柚品さんなら、一足先にバイクで此方に向った筈ですけど…まだ、着いていないんですか?」
 みなもの言葉に今度はシュラインが不審気な顔をする。
「迷ってるのかしら?…まあ、いいわ。此方も急ぎだし。後で連絡しましょう」
「エマさん、こっち。彼女、まだ部屋から出た様子はないわ」
 百合枝がぱたぱたと急ぎ足で来、集まった2人に軽く会釈すると何か判った?と訊ねて来る。
「山田さん、2ヶ月前から消息不明だそうです」
 其れを聞いたシュラインと百合枝の2人がぴた、と足を止めた。
「…それってどういうこと」
 分かりません、と首を振るウィン。
「職場の方が困ってました。家族の方からも連絡が来て、行方不明なのが分かったって」
 ………。
「…と、とりあえずは。先ずは、彼女よ。彼女も自宅に最近帰ってないことは分かったんだから」
 行方不明が2人って言われてもねえ…。
 百合枝が不満げにぶつぶつ呟きながら、こっちよ、と3人を受付へ案内した。

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 百合枝がその場の皆を代表して、部屋をノックする。
 ――返事は無い。
 もう一度。先程より大きな音で、数回ノック。

『――――はい』

 ややあって、酷くためらったような、小さな声がドア越しに聞こえてきた。
「尾上秋子さんですね?」
『…誰?』
 草間興信所の者です、とシュラインが告げる。がたがた、と音が聞こえ。
『…興信所…って、何で!?だ、誰があたしを…?』
「山田克巳さん、ご存知ですね?」
『――か、帰って!出て行って!!』
 その名前を出した途端。
 ドア越しに泣き声とも悲鳴ともつかない声で、そう叫んできた。
「話だけでも聞いてもらえないかしら」
『嫌…もう、いやぁ…構わないでよぉ』
 声が、下に下がって行く。かすかながら泣き声が聞こえてきて、そして4人が顔を見合わせて。
 もう一度、ドアをノックした。
「尾上さん。私達、あなたを探して欲しいって頼まれたの。…山田克巳って言う人から」
 ――それに対し、返事は無い。
 何度か呼びかけても。すぐ近くにいるだろう、息遣いまで聞こえてきそうな雰囲気はあるのに。
「…一度、出直しましょうか?」
 みなもがこの重苦しい雰囲気に耐えかねたか、皆に提案した。
「そうね…」
 そう、シュラインが呟いた時。
「――待って…ごめんなさい」
 空気が動き。
 ドアが、おずおずと、開いた。

 改めて明るい室内で彼女を見た4人が息を呑む。
 げっそりとやつれたその女性は、聞いた年齢よりは10も老け込んで見えた。
「克巳から――って、どういうことなのか、教えて」
「あなたが行方不明だから探してくれって、事務所にやって来たのよ」
「…やって…来た?彼が?」
 秋子が勢い込んで聞き、それから目を逸らす。
「そんなはず、ない」
「どうして?」
 だって、と言いかけた秋子がはっと顔色を変え、慌てたようにドアに駆け寄って鍵とチェーンをかけた。小さく息を付いて戻ってくると、僅かに開いていたカーテンをしっかり閉じて不安げにきょろきょろあたりを見回す。
「…彼、死んだもの」

「どうして…あなたが、それを知ってるの」
 俯いた秋子が、ぎゅぅ、と自分の手を握り締める。ふるふる、と小刻みに震える体。やがて開いた口は、意味のない呟きを洩らし。
「――あ、あたし、が…あいつ、殺しちゃった…」
 ようやく言葉を結んだ、その答えに。
 皆、何も言えず、黙り込んでしまった。

 秋子は握り締めた拳に歯を当てながら、ぐ、ぅぐ、と声にならない泣き声を上げている。意地でも声高に泣かないつもりか、それとも音を極力控えているのか。

「…待ち合わせに来なかったの。携帯にも出なくて…だから、車で迎えに行ったんだけど」
 約束に遅れた克巳に苛立ちながら、買ったばかりの車で克巳の職場まで走らせた――その途中で、ハンドル操作を誤ってカーブに突っ込んでしまうなどと思わず。

 まさか、目の前にバイクが現れるなんて。
 まさか――それが、克巳だったなんて。

 ガードレールを飛び越えた克巳がバイクごと下に落ちていくのを呆然と眺めていたと、秋子は語った。そのすぐ後に水音が聞こえ、慌てて車を降りてガードレールから覗き込んだ其処には、もう、黒々とした湖しか見えず。
 次に気がついた時には、自分のアパートの中で震えていた。
 信じられなかった。何もかもが。
 だから、つい1週間程前に克巳から電話がかかってきた時には夢かと思った。だが。
『おくれてごめん。…いまからいくよ』
 聞こえてきたのは、そんな言葉。今までの経過も事故のことも何も話すことなく。
 ――ぞっと、した。
 何よりも…秋子の持っていた携帯は、数日前に落として壊してしまい、新たに変更したばかりで。番号すら、変わっていたものだったから。
 …どうして…知ってるの?

 その日、秋子は慌しく荷造りをしてアパートを飛び出した。

 携帯は直に解約し、それでも不便とプリペイドをひとつ買う。
 が。
 直後、かかって来た電話に水を浴びせられた気がした。
『また壊したのか?相変わらずだな、お前も』
 くく、と笑う声はいつもの声なのに。
 買った店の店員しか知らない番号に、どうやってかけることが出来るというのだろう。
 その場で携帯を店に叩き返したのは言うまでも無く。

 いつも、誰かが見ているような気がした。
 人殺しだと、教えられているような気がした。
 そして――そんな自分を、克巳が追いかけてきているような気がした。

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 PRRRRRRRR。
 会話を断ち切るような、電話の音。
 びくっ、と身体を竦ませた秋子に手で制して、シュラインが自分の携帯を取った。
「はい」
『ああ、ようやく見つけてくれたんですね。今から行きます』
 教えた筈の無いシュラインの携帯から、のんびりとした男の声が聞こえ。
 ぷつ、と切れた直後、
 部屋のドアが、ノックされた。

 その場にいる全員がはっとしたようにドアを見つめ、百合枝がそっとドアに近づいて行く。
「い、いや…やめて、開けないで…」
 震える制止も聞かず。

 聞こえる声は一足先に出ていた京一と倉菜の物。何となくほっとし、視線を元に戻した其処に。
 ――男が立っていた。

「いやぁぁぁ!」
 一瞬の空白の後、ようやく事態を把握した秋子が切り裂くような悲鳴を上げ、慌てふためいて逃げようとして――転ぶ。

「なんでそんなに驚いてるんだ?きっと行く、って、言ってた、だろ」
 ぎこちない笑み。ざらりと顎を撫でると、一言一言説明するように力を込め。
「ようやく上がって来れたのに、落し物してて…相変わらずそそっかしいよな、俺ってば」
 マイペースなのか、ゆったりと笑いながら秋子に手を伸ばし、そして部屋の隅に逃げて行った秋子を首を傾げて見る。足元がおぼつかないのか、ふらっと揺れてすとん、とその場に腰を下ろし。
 視線はひた、と彼女にのみ注がれている――この場に居た者にも、後から走りこんできた2人にも全く意識を向ける事無く。
「いつの間にここに来たの――何処から、入ってきたのよぅ」
 秋子の視線も、囚われたように外せずにいる――止め処なく流れる涙に曇ってはいるだろうが。
「必ず来いって言ったのは、お前だろ?」
 にっこりと笑いながら、座ったその場からひらひらと手招きする克巳。声もなく、いやいやと首を振る秋子。
「…なんだっけなあ。お前に言わなきゃいけない事があったんだが…もう…忘れちまった」
 無邪気な笑みは、急速に冷えて行く室温に反し、とても柔らかく。
「あとは――ああ、そうだ。これ…わたさな、きゃ、って、おもって、…」
 何か言いかけ、止まる。それが不自然な仕草だと全く気付く様子はなく、急に再び動き出すと体のあちこちを探り、そして取り出した。小さな、手の平の中で転がる林檎…色も褪せて、毛羽立った。
「秋子」
 伸ばした手は、届きようがなく。ドア間際で身を竦めている秋子の、押し殺した泣き声だけが部屋の中に響く。
「――あ、きこ」
 ぽとり、と音を立てて其れが手から離れた。
 徐々に小さくなっていく声。先程から気付いていたのか…画像がブレるように…影が、ジャケットの黒ずんだ色に馴染んで行く。うずくまった『影』が、じわ…っと床に広がって行った。

 シュラインが、落ちたままの林檎を拾い上げる。ざらりとした手触りは以前触れたことがあり。
「ジュエルケース…なのね」
 ぱかりと開いた中には。
 黒ずんだ、指輪が。
「―――尾上さん」
「……あ―――――」
 うそ、と言う呟きは、小さかったが部屋中に響き。
「…コレ…欲しいって、一度だけ、言った事ある…」
 受け取った指輪を指に嵌め…そして、親指ですらぶかぶかなのを見て、笑いかけ。
 ――再び、涙が溢れた。
「ば…かじゃない。人のサイズも調べないで…」
 ――ぽとり、と。
 顔を覆った指から外れて落ちた指輪が、
 ころころ…と転がって、思いのほか綺麗な金属音を響かせた。

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 一段落着いた所で、しおらしくベッドに腰掛けている秋子を横目に、みなもが電話をかけている。
「あたし…警察、行きます。全部話します…あの日のこと」
 真赤に泣きはらした目の女性が、俯いたままそう告げるのを、そうね、とウィンが呟いてぽんぽん、と背を叩く。
 その脇でみなもが何度も大丈夫かと訊ねているようだが、電話の向こうでは何やら要領を得ない会話になっているらしく、途中で電話を代わってもらった。

「柚品くん。あんた、今何処にいるの」
『今ですか?ちょっと待ってください―――え?』
 何か、酷く戸惑っているような声。風が強いのか、時折ごぉぉぉ、と音が聞こえ。
『…そっちに向う筈だったんですけれど…ちょっと待ってください。住所を見てきます』
 ようやく現在地を見つけたか、名を告げる弧月。其れを電話口で繰り返すと、秋子がはっと顔を上げてシュラインを見つめた。
「……そこです…そこ。事故現場…」
 その小さな声にシュラインだけでなく、その場の全員が表情を引き締める。
「…どういうこと?何で、あんたが其処に居るの」
『何かあったんですか?』
「あのね…」
 何も知らないのだろう、それでも呑気な声に思わず溜息が洩れる。
「――え?どうしたの?」
「その近くに湖が見えないかって。…其処に、落ちた、って言ってます」
 秋子の傍に寄って話を聞いていたみなもが手を振り、其れを見て送話口を押さえたシュラインに告げた。わかった、と頷いてもう一度電話を耳に当てる。
「湖が見えるでしょ?…其処に、山田克巳が居るって言ってるのよ」
『居る、って、誰がそんなことを』
「尾上秋子。…その辺にドライブインか何かない?彼女を警察に送り届けて私達もそっちへ行くから、そこで暖まっていて。バイクじゃ寒いでしょ」
 ぱたぱたと、シュラインの電話の内容を聞きながら出かける準備を始めた皆を見て、今からだとどのくらいの時間がかかるか時計を見て確かめる。
 そして、ひとつ聞き忘れたことがあったのに気付いて少し声の調子を柔らげ、
「っと――ごめんなさい。こっちも慌てたものだから聞くのを忘れてたわ。あんた、怪我はしてない?車にぶつかったりとか」
『――あ、いえ――大丈夫です。それじゃあ、近くに店か何か見つけたらこっちから連絡しますので』
「よろしくね」
 ぷつりと電話を切り、秋子に近寄って行く。
「それじゃ…行きましょうか」
「はい。ごめんなさい、面倒かけちゃって」
「いいのよ、それは。…それとね、ここを教えてくれたお友達。随分心配してたわ。後で連絡してあげないとね」
 ――こく、と黙ったまま頷いた秋子を伴い、ぞろぞろと出て行く皆とは別の方向へ歩いて行く。
 2ヶ月前に行く事が出来なかった場所へ。

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 年末頃から行方不明だった山田克巳の遺体は、事故現場付近で発見された。
 死亡推定時期と目撃証言の時期が激しく食い違っていること、湖に沈んでいた遺体から発見された携帯電話もとうに壊れている筈なのにごく最近使用された形跡があること、運転中に湖に落ちたという話だがヘルメットやジャケットは脱いできちんと岸辺に置かれていたことなどが捜査員を混乱させてしまったようだった。
 表のニュースでも、固い新聞等でも載らなかったこの話題は、ゴシップ誌等が細々と扱っていたがいつの間にか話題にも載らなくなっていった。
 そして、当の秋子は、というと。
 捜査員の頭を悩ませた矛盾する事柄を折半するような形で決着が付いた。すなわち、過失致死とはしない代わり人身事故の加害者として責任を取るように、と。
 元より秋子に異存のある筈は無い――いや、寧ろ。
 彼女は…克巳を殺した人間として、裁いて欲しいと思っていたかもしれなかった。

 そして、依頼人が死んでいたと分かった今では後金の請求も出来ず。前金も使ってしまっていいものかと暫くの間武彦の頭を悩ませた。



 ――更に、後日。
 京一が自分の勤める病院で調べた結果をもたらしてくれた。あの日、彼が触れた事務所のノブと秋子の車から採取したモノ。それは――克巳と同じ血液型の人間の…生活反応のとうに消えた皮膚片と…体液の一種だったと言う。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086/シュライン・エマ   /女性/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】
【1252/海原・みなも     /女性/13/中学生               】
【1582/柚品・弧月      /男性/22/大学生               】
【1588/ウィン・ルクセンブルク/女性/25/万年大学生             】
【1873/藤井・百合枝     /女性/25/派遣社員              】
【2194/硝月・倉菜      /女性/17/女子高生兼楽器職人(神聖都学園生徒)】
【2585/城田・京一      /男性/44/医師                】

NPC
草間武彦
  零

山田克巳
尾上秋子

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■         ライター通信          ■
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お待たせしました。「乾いたメモ」をお届け致します。
今回少しばかり体調を崩してしまい、作業の進みが遅く…申し訳ありませんでした。幸いインフルエンザではなかったものの、体調管理が不備だったことに反省です。うぅ。
皆様もどうか体調にはお気をつけ下さい。ご近所でも咳のオンパレードで、伝染させる心配よりも自衛の為のマスクが必要だなと思っている今日この頃…。

参加して下さった皆様ありがとうございました。
またいつか、機会があればお会いしましょう。
間垣久実