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<東京怪談ノベル(シングル)>


学年末考査



 窓際の席。
 閉まっている窓の向こうでは、夕日が映っている。
 学校帰りだったら、見惚れていたかもしれない。
 でも今のあたしには、心から景色を楽しむ余裕がないのだった。

 ――期末試験って、何のためにあるのかな――

 向き合っているのは、数学の教科書。開かれた頁の中には、見覚えはあるけれど頭に入ってはいない公式が並んでいる。
 その公式を頭に入れながら、期末範囲のプリント問題を解いていく。
 ……筈なんだけど。
 一呼吸して、プリントから目を離した。たくさんのプリントに詰め込まれた問題が、数字の羅列に見える。集中できていないのだ。
 外の景色に意識を持っていく。窓一杯に夕日が広がっていた。今は何時なんだろう。
(そろそろ帰った方がいいかな)
 居残り勉強と言っても、自主的にやり始めた試験対策なのだ。いつ帰ってもいい。
 ただ、家ではなく学校に残って勉強しているのには、それなりの理由がある訳で――。
 一つ目の理由は、解らないところがあればすぐに先生に訊けるから。
 これは当たり前と言えば当たり前。訊けば先生は笑顔で答えてくれるし、目の前で解いてもくれる。
 でもこれだけの理由で、いつも一緒に帰る友人たちを見送ったりはしない。解らないところがあれば友人に電話をして訊くことだって出来るし、まだ試験まで日数があるのだ。どうしても解らなければ翌日の昼休みに先生に訊きに行くという方法もある。
 あたしが居残りで試験勉強をしている理由は――家より学校の方が集中できる、ということ。
(ううん)
 別に家族に邪魔されている訳ではない。
 同じ部屋にいる妹があたしのノートを興味深そうに覗き込むことはあるけど、邪魔という程ではない。
 親もそう。「学校の勉強なんて、将来使うことないよ。役に立たないから」と母はあたしの耳元で囁くものの、目立って邪魔をすることはない。
 どちらも小さなこと。
 それなのに――。
 あたしのやる気はどんどんなくなっていくのだ。
 問題を解いていくたびに、
(夜遅くまで、どうしてこんなことしているのかなぁ)
 とか
(この知識は大きくなった時に必要なものなのかなぁ)
 とか――「どうして?」という思いが膨らんで止められない。
 そこから溢れてくる不安。
 本当にこれでいいのだろうか。試験だからという理由でただ勉強だけして、試験が終わればお終い――。
(来年も再来年も、繰り返すのかな)
 目的もないのに勉強して、何になるんだろう。もしかしたら、凄く時間を無駄にしているのかもしれない。
(他の子はどうなんだろう)
 みんな、同じなのだろうか。よくわからないまま、勉強しているのだろうか。
(何か目標でもあればいいのに……)
 クラスメイトで、翻訳家になりたいと言っている女の子がいる。あの子からすれば、英語の授業は大切なもので、疑問を持たずに学べるのだろう。あたしにも何か目標があれば――。
(駄目)
 あたしには、ないもん――。

 放課後の教室は、あまりに静か過ぎる。
(もう帰らなくちゃ)
 解き終わらなかったプリントや教科書を鞄にしまう。
 帰りがけに夕食の食材も買わなければいけない。
 試験が近づいても、悩み事があっても、家事はなくならないのだ。
(疲れそう……)
 三学期の期末試験は、範囲だって広いのだ。今までの試験とは違う。学年末試験を受けるのは初めてのことだし――歴史の試験範囲を知った時は、少し怖くなってしまった。
(二学期のはともかく、一学期の内容はちょっと自信ないかも……)
 ――でも社会は暗記科目だから、早くから暗記しておけば大丈夫。
 そう自分に言い聞かせている。


 不安な時。
 自分に言い聞かせている言葉がある。
「試験が終わるまでの我慢。過ぎてしまえば、もう大丈夫」
 でも――。
 本当にそうなの?
 違う気がして、不安なのだ。
 試験への心配事は消えても、消えない不安もある気がする。


 家事を終えて、机と向き合う。
 午後十時。隣では妹が既に眠っている。寝顔に笑いが浮かんでいるところを見ると、きっと良い夢をみているのだろう。
(電気をつけたら、起こしちゃうかな)
 妹は一度寝たらなかなか起きないタイプだけど、絶対に起きないとも限らない。
(起こしたら悪いよね)
 机の電気だけつけて、部屋の電気はつけなかった。
 教科書と、プリントと、ノート。
 薄暗い部屋でこの三つと向き合う。
 部屋は静か過ぎた。消しゴムをかける音が大きく聞こえて、一瞬身体を震わせる。
 集中力がとけていく感覚――再び訪れる「どうして」の波。
 震わせた胸と机との微かな摩擦音――疑問が破裂する、不安の穴に落ちていくような思い。
 不安は時に、怖い。
(仕方ないもの)
 言い聞かせる。
「あたしが今迷っていたって、目標がすぐ見つかることはない。だけど、試験の日程は変わらないのだ」
 歴史の試験範囲を見た時、早くからやっておかなきゃって思ったもの。やらないより、やった方が良いに決まっているんだから。
 それに――そのうちやりたいことができた時に、成績が障害になったら困ってしまう。将来、やりたいことができた時のための勉強――だから集中しなくちゃ。

 ――でも、その「将来やりたいこと」ができるのはいつ? ――

(ううん)
 考えちゃいけない。
(試験以外の不安は、試験が終わってから考えればいいの)
 今は勉強する時間なんだから――。


「試験が近いから不安になっているだけ」
「試験が終われば、きっと楽になるよ」
 頭を巡る言葉はたくさん。影を背負ったまま、たくさん。
 支えるのは言葉、溢れるのは不安。


 プリントの問題を解き終えた。
 長く息を吐いて――上半身を前に倒し、机に身体を預ける。
 机の感触。頬が冷たく、胸は息苦しく、腹部は机にこすれて小さな音を立てている。
 ぼんやりと本棚まで視線を上げると――英語の教科書と目があった。
 もう一度、長く息を吐く。さっきよりも静かに、長く――穏やかな気持ちになるように。
(頑張らなくちゃ、ね)
 上半身を起こして、息を吸い込んだ。




 終。