コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


ささやかなる願い

 鈴の音と共にアンティークショップの扉が静かに閉まる。
 その瞬間、心のどこかが騒いだ気がして、白瀬川卦見(しらせがわ・けみ)はふと顔をあげた。
 つられるようにして眺めた扉の向こうからは、暮れていく太陽の橙色(だいだいいろ)の斜光が鮮やかに店の中を照らしている。もう、夕暮れが近いのだ。
 ……少し、ぼーっとしていたようだった。もともと時間という枠からはずれがちなこの店で過ごしている最近ではよくあることだ。今日の分の食い扶持(ぶち)はすでに稼いであったもので、のんびりと構えていたと言ってもいい。
 占い師で身をたてているとは言え、元々卦見には「いっぱい稼ごう」という商売根性は存在しない。この商売をやっている大きな理由はといえば、占いで身を立てるだけの話術があり、それ以上に人というものと関わることが好きだというだけのことだった。
 肩につくかつかないか、という程度の銀の髪をさらり、と揺らし、卦見はゆっくりとその下の銀の瞳をこの店の主人、碧摩蓮(へきま・れん)に向ける。
 今しがた客が出ていったのだろう扉を眺めて煙管(きせる)をふかしている彼女の手には、何か小さなものが握られていた。
「それ、なんですか?」
 唐突に声をかけてくる卦見に驚いた様子も見せず、蓮はその声に振り返って「ああ、これのことかい」と呟く。そうして、手の中のものをわかりやすいように見せてくれた。
「今の客が置いてったのさ。ここに来るにしては随分素直な気質だね」
 ことりと目の前に置かれた、それは一つの櫛(くし)だった。
 ――美しい、素朴な黄楊(つげ)の櫛だった。染色はされておらず、木のままの色だったが細かく、繊細な装飾が成されている。模様は草花を模ったものだろうか?
手に持ってみるとしっとりとした木の質感と、柔らかな空気がふわりと感じられる。本当に素直ないいものだ、という気がした。…………だけど。
(…………おや)
 自分にはあまり馴染みのない櫛を取り上げて、卦見はふと片眉をあげた。目から体の中に入ってきた何かが心の隙間で残像を見せる。
 気づいたら、蓮さん、と呟いていた。
「なんだい」
「この櫛……少し、貸してもらってもいいですかね」
 蓮は意外そうに口に咥えた煙管をはずし、卦見を見やった。
「かまわないけどさ。……何かに使うのかい」
「ええ、少し。日頃はやらないんですけど、気分転換に櫛占(くしうら)をやってみようと思って」
「櫛占?」
 蓮の目に不思議そうな光が宿ったので、卦見は「簡単に言うと、辻占(つじうら)の一種ですよ」と説明してやった。
「あぁ、なるほどね。なんだい、何か占いたいことでもできたかい?」
 問われ、卦見はうーん、と少し考える。
 そもそも、辻占というものは占いたいことを明確に決めてから行うものだ。最近では辻占と聞くと街角などで占いを行う占い師のことを指しているようにも思うが、正しくは違う。
 本来の形は四辻や橋のたもとなどに立ち、その道を往来する人々の言葉から吉凶を占うというものであった。
 太古――――それはもう想像もつかないくらい古い神代の時代から受け継がれてきた占いの一種で、八百万(やおよろず)の神もこれを使用したとも言われている。
 やがて顔をあげた卦見は、にっこりと微笑んで答えた。
「今日はもう店じまいをしましたし……わたくしの明日の運勢でも占うとしますよ」
 その言葉に、蓮はさらに不思議そうな顔をした。占い師はあまり自分を占いはしないものだ。見えなくていいものを見てしまうことがあるから。だから、卦見の言葉を意外に思ったのだ。
 けれど、そこは蓮のこと。すぐに目を細めていつもの笑みを浮かべる。
「――――そうかい。まぁ行ってくるがいいさ。帰ってきたら、結果を教えてほしいもんだね」
 辻占を行うにはこの店を出なければいけない。簡単に身支度を整えた卦見は蓮の言葉に頷いて、店を後にした。

§

 夕暮れ近い空の下。空は、まるで溶けた飴の様にあざやかに色づいている。
 その姿を見て卦見は、「ああ、明日もいい天気なんでしょうか」と小さく呟いた。冬の終わりを迎えたとはいえ、まだ外の風は冷え込んで、寒い。人間であろうとなかろうと、寒いことに変わりはない。自分のコートのポケットの中にある櫛を軽く握り、卦見は辺りを見回した。
 アンティークショップ・レンがある空間からそう離れてはいない場所。いくつかのこじんまりした軒先を連ねる商店街を歩きながら、彼は求める場所を探していた。
 人の往来のある四辻。できることなら、占う事柄に関係の深い場所がいい――――。
「……あそこがいいでしょう」
 道が交わる場所。異なる道が伸びた先は古来より呪(まじな)いや占(うら)を行うには適した場所だ。なぜなら、そこは異界と非常に近い位置にあるから。
 ぽつりぽつりと歩いていく人の間を抜けて、卦見はその場所に立つ。そして静かに黄楊の櫛を取り出し、その手に左手を添えた。
 人はそんな卦見を邪魔にするでもなく、自然に避けて通り過ぎていく。
(……いい街です)
 心の中でつぶやき、卦見は唱える。
「…………”逢ふことを 問ふや 夕げの うらまさに つげの小櫛も しるしも見せなん”」
 冷たい風が、一瞬止まった。
 異界と混じりゆく空気をゆるやかに感じながら、卦見は同じ言葉をもう二度唱えた。一言一言、はっきりとたおやかな声が冷えた空気に溶けていく。言の葉は流れ、やがて異界に混じっていく。
 そして、三度目。呪いを唱え終え、今度は右手に持った櫛の歯を、添えた左手で三度、鳴らす。
 さして大きくもないその音は、しかし凛としてその辻に響き、卦見はその音に身を任せるように目を閉じた。
 雑踏の中。辻に立った卦見は行き交う人が紡ぐ言の葉の断片と、異界が爪弾く波紋を聞こうと耳を研ぎ澄ます。
 自分の傍らを行き過ぎるなんら関係のない人々。何事も喋らないものもいれば、楽しげに会話を交わすものも居る。
 ――――言葉を発して通る、その三人目が紡ぐ言葉こそが、占いの吉凶を表すもの。
 卦見は銀目を閉じたまま、その時を待った。

――「……今日も、寒いよねー」
――「そうだね」
 ……一人目。

――「わかってるから。すぐに帰るから。先に食っておけよ」
 ……二人目。少し年配の男の声だ。自宅への連絡だろうか。……そういえば少しおなかがすいた。

 埒もないことを考えながら、卦見は次ですね、と思う。右手に大人しく収まっている櫛が、ゆるやかに震えたような気がした。
 そして、前の二人からしばらくの間をあけて、その声はやってきた。……どうやら、二人連れのようだ。
 周りの者よりもさらにゆったりとした速度で歩きながら、話をしている。櫛が、啼(な)く。
「ねぇ、おばあちゃん、あのお菓子買ってー」
「うん? あぁ……そうだねぇ。今日はもう買ったから……明日、また来た時に買ってあげようねぇ」
 その瞬間、卦見が閉じた瞼の裏に、一瞬異界がひらめいて、消える。耳のすぐそばで、ここではない場所で紡がれた言葉が聞こえる。

『…………その櫛、売ってもらえませんか?』

 それは、聞いたこともない、とても柔らかい声。女性の声のようだ、と思った。


 二人はそのまま会話を続けて卦見の傍らを通り過ぎていく。目を開いた。
 異界と重なっていた場所は一瞬の内に何の変哲もない商店街の辻へと変わる。現実の色を成していく景色を眺めながら、卦見は自分が嬉しい、とでもいうような笑顔で笑った。
「よかったですねぇ……。きっと、近々あなたは新しい主人に買ってもらえますよ……」
 蓮の店に持ち込まれたものにしては、とても素直な気質を持った櫛は、納得して売られたようだったが、どこか、もう一度誰かに使われたい、という意志を持っていた。
 櫛を手にした瞬間にそんな残滓(ざんし)を見た卦見は、少しだけボランティアで占いをする気になったのだ。
「……たまにはこういうのもいいものですね」
 寒さが増してきた街の中を、コートを掻きあわせて卦見は歩き出す。目指す先はもうすっかり行きなれたアンティークショップだった。
 店に着いたら、蓮に言ってあげよう。『近々、この店の売り物が売れますよ』と。
 そうすればきっとあの雇い主は、「へぇ、珍しいこともあるもんだね」と面白そうに笑うだろう。
 吹きすさぶ風は冷たいのに、なんだか少しだけ暖かい気持ちになって、卦見は家に帰る人の合間に混じって行った。
 ――――明日は、きっと晴れるだろう。

END


*ライターより*
はじめまして。この度は発注ありがとうございました。
前回の調査に入りそびれたとのお言葉に驚いて、申し訳ないやらなんやらです。不慣れなもので二人までにさせていただきましたもので……興味を持っていただいてありがとうございます!

専門的とはいえ、こういった日本の古い慣習などにはとても興味がありますので、とても楽しんで書かせていただきました。少しでもご意向に沿ったものに仕上がっていることを祈るばかりです。それでは、真にありがとうございました! また何かでお会いできることを願いまして。
ねこあ拝