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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


STAND ABLAZE〜THE SECOND

 一面は凪砂の『力』が創り出した黒の世界だった。そして『彼女』のほんの僅かの暴走にも、完膚なきまで破壊された建造物。その外壁破片が粉々に…残骸となり散らばっている惨状。

 三大図書館――研究施設。

 暗黒とは少々異なる闇黒が其処に在った。
 世界を鮮やかな色彩の稲妻が飛び交い、黒き竜巻が荒れ狂う。
 混沌と呼ぶに相応しい其処は、しかしある意味では美しく、類稀な一枚の絵画の様相を魅せていた。理由は言わずと知れた主題。

 雨柳凪砂――、
 ラクス・コスミオン――、

 二人の女性の存在につきる。
 ともに其々の美を凛と備えながら、醜ともいうべき破壊と混沌に満ちた場で対峙し。

 ――片や、美しい黒髪を吹き上がる風の奔流に逆立たせ、獣毛に覆われた半裸のまま、瞳に深紅を点す、…悠然と佇む凪砂。

 ――片や、凄まじい『力』の迸りにも臆することなく、碧色の瞳に決意を宿し、四肢を地面に縫いつけるよう、暴風に抗うラクス。

 黒髪の凪砂は魔狼。
 四肢と翼を持つラクスはスフィンクス。

 外見、能力と、どちらもヒトと言う言葉の範疇外の二人だった。
 故に――二人が対峙する悪夢のような光景も、見るものを圧倒する絵画となるのだ。
 それも古くは西洋の写実主義に見られた幻想と神話の世界。
 が、かつて観るモノをこどごとく魅せ、今なお画壇に名を残すドラクロワ。そして怪異な世界を探求し、異端とされ続けたギュスターブ・モロー。その両者の最高傑作をもってしても恐らくは上回る、それほどの、この世界の壮麗かつ殺伐とした美醜であった。

***

「――…uuu」
 唸り声のような短い声音。
 それは最早ラクスの耳に慣れ親しんだはずの凪砂の声とは違い、面影すらない硬く無機質な響き方であった。
 黒い、暗い、狂気的な音色から感じるのは、明らかな威嚇。
 ラクスはやや青ざめた唇をひしっと引き結ぶ。
 見慣れたはずであった凪砂、それがあまりにも変わり果てた様子。
 何よりも相手の纏う雰囲気は――、
 まるで魔物の其れ。
「―――、凪砂様…ラクスが、助けて見せますからっ」
 燃え立つような黒い影を見据えて、再度、誓いを立てるように呟いた。
 ラクスが意を決して呪文を唱え始めると、凪砂の方でも彼女を敵と認めたらしい。
 獣毛に覆われたか細くしなやかな腕を、交差させるように頭上に掲げる。と、一気にそれを振り下ろし。
 ただそれだけで、
「―――!!」
 唸りを上げてとぐろを巻いた暴風、全てを喰らうかのような黒い世界。
 其れが瞬く間にラクスの眼前で具現化し、凄まじい速度で襲い掛かってきた。
「本来この場所での魔法の使用は禁忌――ですけれど、今はそんなことを言っていられませんっ!」
 気合を放するように紡ぐと背中の翼を雄々しく広げ、此方も宙に魔方陣という神秘を具現化させる。

 ―いわゆる強固な魔法障壁―

 秒速数百メートルで飛来する拳銃弾はおろか、高度な火力を有する対戦車ロケット砲すらモノともしない代物である。その防御結界は創造主の期待を裏切らず、放たれた黒き風の洗礼を間一髪の差で防ぎ止めてみせた。
 されど其れは――並みの衝撃ではない。
「――あくっ…なんて凄い、威力!?」
 当然、術者に与えたプレッシャーはかなりの物であったらしい。
 何より続けざまに放たれる黒い風。
 二発、三発と強固な魔法障壁を削るようなそれらは、防御結界にことごとく阻まれながらも、徐々だがにラクスを後方へと押しやり、大地も直線状――まるで巨大な爪痕を刻むように、鋭く抉っていく。
「――この圧倒的な魔力、あの時の実験データとは比較にならないですっ!!?」
 防御を司る魔方陣にはかなりの自負と自身があるラクスだったが、それが今は劣勢の最中にあった。言葉を紡ぎながらも神経と精神を集中し、繰り出される攻撃の波に耐えているが………。
 最中にピシリと、小さな音を経てて魔方陣に入る小さな亀裂。
「っ!?」
 全てを喰らい尽くすと云われる黒影の力か。
 ラクスの誇る鉄壁の魔法障壁をも喰らうというのか…。
(くぅ、――…っ、ラクスの魔法でも…防ぎ…きれないのですか?)
 ピシリ、ピシリと…更なる亀裂。
 其処に生じた隙間を縫って、黒影の魔力を伴う刃のような風が一閃した。
 それこそまさに音速の弾丸のように。
「痛ぅ――」
 知性的なラクスの顔立ちが一瞬歪みを見せる。柔らかな彼女の頬を浅く掠めていく風刃。傷跡には直ぐに微量の血が滲み。
「――kuuuuッ!!」
 その様子を認めると、狼のような唸り声を上げて、風を放つのを中断した凪砂。
 彼女は両手を硬く握り締め、前屈みになったかと思うと、
 
 ――――、
 
 間髪いれず、今度は自らが一陣の風となりラクスへと突進する。
 その速度たるや目視は不可能。
 当然ラクスにしても避ける術も無く。
「Gaaaaa!!」
 赤く燃える凪砂の眼差しが、はっとしたラクスの瞳と交差する一瞬、両者の距離は息が触れるほどに間近にあって。
 黒色を纏う華奢で小さな女性の拳、それが音速を優に超えたスピードで魔方陣へと叩きつけられた。
 
 右の一閃、

 ――ほぼ同時に左も。

「くぅ――…あぁっ!!!」
 途方も無い衝撃に悲鳴を上げるラクス。
 既に亀裂の入っていた防御魔方陣は、その二発の攻撃に耐えられずに粉々に砕け散った。
 耳を覆いたくなるような破壊音は皆無だったが、さながら硝子が砕けるように派手に砕ける…。そしてそのまま、多少勢いを削がれた形の凪砂の拳は、ラクスの腹部を捉えて。
 凪砂の拳にはメリメリと柔らかい手応え、純粋に打撃力だけがラクスの身体を襲い、そのあまりの衝撃に、ラクスの方は悲鳴すら上げることが出来ず、そのまま遠く10mほど吹き飛ばされて、瓦礫の山に落下した。
 
 濛々と舞う土煙。
 暴走に身を委ねる凪砂は、それを眺めながら、楽しそうに唇を吊り上げるのだった。

***

 鮮明だった意識が深く昏い闇へと落ちて、どれだけ経ったろうか。
 凪砂は薄っすらと瞳を見開いて、焦点の合わない眼差しで、その世界を眺めていた。
 自身の四肢にはまるで感覚がなく、さながら重力の束縛を必要としない宇宙空間を浮遊するような感じである。そして半ばそれを信じ込ませるように周囲の景色も暗く、朦朧とした意識には、それらが奇妙に現実感の無い光景として映った。
 故に、これが夢だと認識する。

(…………………)

 それも、まるで目覚めれば直ぐに忘れ去るかの、淡い夢を見るような錯覚。
 凪砂はぼぅ、と瞬くと…小さく首を傾げた。

(………………?)

 しかし、夢と認識したにもかかわらず、一向に覚醒する気配の無い自分の意識。不思議がるように再度首を傾げて。
 何故か、深く物事を考えることが出来ない。
 相変わらず心地好い微睡にいるような感覚。

 (………あたし?)
 それでも覚醒させなければと、無意識にゆるり、頭を振る凪砂であった。
 何処かで、深い意識の何処かで、はっきりと覚醒を促そうとしている何かがあるのだ。
 (………あたし、は…?)
 
 名前――、
 生い立ち――、
 姿――、
 
 (………………)
 当たり前のことすら、形になる寸前で朝霧のようにぼんやりと散り行く。
 客観的にそんな自分が変であり、可笑しくもあり、もどかしくもあった。
 そして、言い知れぬ不安と、これは…ある種の概視感だろうか?
(………確か…前にも…『こんなこと』が…)
 そこまで意識すると、途端――意識の深層から言い知れぬ不快感が募ってくる。
 それらはまるで小さな蟲の群れのように、心地好い浮遊感に浸っている凪砂の全身を、正確には凪砂の感じる僅かな感覚を逆撫でるかのように這い回った。
 ゾワゾワと気味の悪い悪寒。まるで今考えたことを無理やり打ち消そうとするような其れだった。
(……っ…身体が、重い…)
 が、凪砂は侵入してきた不快感にも纏まりかけた思考を遮断することはせず、必死に耐え忍んだ。すると、やがてゆっくりとだが自分が何者であるのか、更には此処まで至るまでの経緯を思い出し、焦点のぼやけた瞳にも、静かに意思の光が宿り始める。

(――――!?)
 と、同時に身体の感覚も、徐々にだが戻りつつあり。

(あたしは、そう――雨柳…凪砂)
(あの場所で――あの子と出会って…それから――っ、そうだわ、ここは図書館!?)
 靄が掛かっていた思考も、俯瞰気味だった周りの光景も、次第に明確に為って行き。
 覚醒した瞬間に目に飛び込んできた光景は、おそらくは図書館の研究練、その瓦礫の山。その中心で黒く巨大な影を纏いて立ち尽くす自分が居る。
(――…っ、そう、これはあの時と同じ。『あたし』が『あたし』じゃなくなって、暴走して…『彼』に救って貰った時と…)
 現実を認識した刹那だった、新たなる不安と限りない焦燥感が凪砂を包んだのは。
(また、…あたしは、同じ過ちを繰り返してしまったの?)
『図書館』を訪れたことを悔やむよりも、首輪を奪った人々を責めるよりも、同じ過ちを繰り返した自分に胸が締め付けられる。うちに眠る力の源に対して強い罪悪感。

 そう…首輪。
(首輪は――!?)
 今の自分を抑えられる唯一の道具はあの魔法の首輪『グレイプニル』。
 あれを失ったとしたら――、
 想像しただけで背筋が寒くなる事態だった。
 凪砂ははっきりと視力を取り戻した眼差しで、瓦礫と闇色の暴風が吹き荒れる周囲を見回した。依然、身体の主導権は自らの制御を離れているので、見つけたとしても凪砂に何処までのことが出来るかは分からなかったが。
(…でも、あの時の様に助けてくれる人はもう居ないっ、あたしが自分の力だけで何とか、しなければ…)
 
 ――暴走する力を止めるっ。
 そう唇を噛むよう凪砂の意識が働く、だが当然のごとく身体の方ではそれを受け付けない。
 そればかりか、凪砂本来の思考とは関係なく、首を擡げるように背後を振り向く有様だった。
 『凪砂』とは別の『凪砂』。
 黒髪が激しく風に舞い、そっと眼差しを遮ると、獣毛に覆われた片手が鬱陶しそうにそれを払いのける。彼女の瞳は爛々と燃えるように輝き、其処に窺える意思は純粋な破壊衝動のみ。
 どうやら黒風の向こうに人影を見つけた様子で。
 視覚が捉えたその光景は、当然、同じ身体に存在する本来の凪砂にも伝わる。
(な、拙いわ、こんな時に――!?)
 今の凪砂に自らの暴走を止める術は無い。どれだけ必死に身体の制御を取り戻そうと呼び掛けても、一向に思い通りにならず歯軋りしそうな状況なのだ。
 だから――、
(――お願い、逃げてっ!!)
 そう、せめて声に出して叫ぼうと、瞳の向こう側に認めた相手を注視する。
 だが相手の四肢で大地を踏みしめる姿に、
(――…っ、ラクスさん!!?)
 驚愕と動揺が混じり合った悲鳴へと変わってしまう。
 もっともそれも、言葉として彼女、ラクスの元へと届くことは無かったのだが。

***

 吹き飛ばされたラクスが瓦礫の山へと激突すると、其処はまるで爆弾でも投下されたかのような惨状であった。
 視界を遮断する盛大な煙に巻かれながらも、必死に身を起こそうとする彼女。
 が、その神秘的な顔立ちに緊張の色が走れば、立ち上がりかけた前足も、たちまち力を失って折れ曲がった。尋常では無い苦痛を腹部に感じて、端正な容貌を歪める。

「かはっ…!」
 盛大に嘔吐したラクス。
 足元に散らばったそれらに、少量の血液も混じる。
 どうやらあの一撃だけで骨が何本か砕かれたらしかった。
 悶絶とはまさにこのことだったが、でも――、
「凪砂様を、止めなきゃ、――ラクスが…助けなきゃ…」
 気の遠くなるような痛みにも、怯んでいることなど出来ない。
 ラクスが凪砂の暴走を止めねば、被害は更に拡大され、やがては『図書館』全体へと飛び火する。何よりもこうなってしまった経緯には自分に大きな責任があると、激しい後悔に苛まれてもいる。
(何時もの凪砂様に――ラクスが戻して差し上げないと…)
 心で呟きながら、再び精神集中を高めていく。
 息が詰まりそうになり、神経が悲鳴を上げる。
 しかしラクスは怯まなかった。
 自らの傷に形程度の治癒を施し、再び四肢に力を入れて立ち上がる。
 エメラルドよりも澄んだ輝きの眼差しが、煙と黒影の向うで佇む凪砂へと向けられる…
 視線が其処に行く過程で――、
 偶然にも見つけた其れ。
「!!?」
 それこそは絶大で危険な力を、枷として封じる伝説の存在。
 ――グレイプニル――
 そう、凪砂の暴走を制御する『首輪』であった。
「あれを、使えれば…凪砂様も…」
 多分…元に戻せる…。
 震える四肢に力を入れ、慎重にそこまで歩むラクス。
『首輪』は埃に塗れながらも上手い具合に瓦礫の一角に引っかかり、吹き荒れた暴風にも耐えていたらしい。
 近づくとラクスは、其れを唇で横咥えし、まだふらつく足元のままで凪砂のシルエットへと近寄った。
 これを凪砂に巻きつけることが出来れば暴走を修めることが出来る。
 微かな勝算を信じるように。

***

 身体の主導権を奪われていた凪砂の悲痛な叫び声は、ラクスに届きはしなかった。しかし暴走する『不安定な力』にはそれなりの影響を与えたらしい。
「―――!?」
 敵意と破壊衝動にのみ駆り立てられた赤い瞳が揺らぎ、凪砂の表情に微かにだが困惑が浮かぶ。
 再び彼女と対峙するラクスにも、それを認めることが出来た。
(――…凪砂様?)
 一瞬相手の魔力が揺らいだような――そんな錯覚を憶えたラクス。
 もしかしたら、まだ凪砂様は…?
 ふと、希望的なその思いが浮かびあがれば、自然とラクスの四肢にも力が漲る気がする。
 再びその優雅な翼を広げると、後ろ足でしっかりと身体を支え、前足で描く魔方陣。
 先ほどの防御障壁とはうって変わった黄金の色彩に、三角形を二つ重ねたその立体的な様式、浮かぶ魔術文字が示す力は――、
「――凪砂様っ!!」
 大きく声に出しての呼びかけだった。
 その際、唇で挟んでいた首輪は当然のごとく落下し、しかしそれは途中で重力の法則を破って停止する。ばかりか、漲る魔力、その発動に触発され誘われるかのように魔方陣に吸い込まれる首輪だった。
 そして首輪を取り込んで放たれる其れは、惑星の力を借りた杯の業が可能にする――強力な封印魔法。
「〜〜〜っ!!!」
 即席で、しかも傷を負った身体で行使する大魔法、全身に想像以上の負担を掛けてきた。苦しそうに唇を噛むラクス。
 何よりも発動間際には全てが無防備になるのだ。先ほどのような防御結界も纏っていないラクスが、凪砂の攻撃をもう一度受けることになれば、いうに及ばず勝負は決まるだろう…、いや、それだけに留まらず、最悪死に繋がる。
 しかし、しっかりと見開いた眼差しには躊躇いはなく、恐怖は思いのほか強い意志の力で押さえ込まれていた。
 確信しているからだろうか?
 ある思いを…。
「くぅ…凪砂様、――…行きますっ!!!」
 声は強く、
 術は――放たれる。
 黄金の光沢を纏って一直線に闇の中心へ…。

***

 さらさらと頬を擽る柔らかい髪の感触。
 凪砂は瞳を細めて、ゆるく吐息を紡いだ。
 赤い髪――、
 碧色の宝石のような瞳――、
 知的で美しいが、どこかまだあどけなさを残す顔立ち――、
「馬鹿…」
 耳元で小さく、小さくそう囁く。
 囁いた凪砂の声は小刻みに震えて、潤んでいた。
「馬鹿よ…」
 それは自分への悔恨だろうか?
 それとも、自身の腕の中で眠るように瞼を閉ざしているラクスに向かって、だろうか?
「ホント、無茶なことをして…」
 目元からすぅ、と一筋の糸が流れ落ちる。
 あれほど吹き荒れていた風は、嘘のように熄んでおり、周囲を包んでいた黒い世界も今では晴れ――ただ、瓦礫の山が連なるのみだった。
「死んじゃったら如何するのよ?」
 震える声の凪砂、ラクスは相変わらず瞳を閉ざし――『眠っている』様子で。
 獣化のまま其処に膝を付く凪砂だったが、その細い首にはしっかりと『枷』が嵌められていた。ラクスの魔法は期待通りの働きを及ぼし、凪砂の暴走を阻止したのである。その代償は高かったが…。
 ラクスを抱く凪砂の腕は、赤く鮮やかな色に染まっていた。
 彼女の血――。
 封印の為に無防備だったラクスに、暴走する凪砂が飛び込んだ際、繰り出したその拳はスフィンクスである彼女の腹部を傷つけ、いや抉っていたのである。
 あの時、ラクスの心臓を的確に狙ったその攻撃を、身体の内側から必死に止めようとした凪砂。それが暴走する凪砂の身体に微妙な動作の鈍さを生み、功を奏したのか相打ちという微妙な結果に落ち着いたのだった。
「――…っ」
 涙声で謝る凪砂だった。
 致命傷――それは避けられたはずなのに…。
 しばらく時の流れが止まったかのような静寂が辺りを包み、目を伏せる凪砂。
 そんな彼女の腕に抱かれ、ゆっくりと深碧の瞳が開かれていく。
 凪砂は気づかない。微かな動きを見せる唇の様子にも…。
 其れは、ふと紡いだ。
「…ぅ…凪砂様ぁ、ごめんなさい…は、ラクスの方ですよぅ?」
 と、笑うように。
 か細い声。はっとした凪砂は腕の中の存在を見つめ直した。
「ラクスさんっ!!!」
 驚きと、嬉しさと、不安と、後悔…。
 複雑に流れゆく表情をどう解釈したのか、ラクスは微笑んだままだった。
「大丈夫です、凪砂さま、ちゃんと…手加減してくださいましたし…」
「………」
「あはは、でもちょっとだけ怖かったです?」
「………」
「ど、どうしたんですか? 反応無いみたいですけど」
 深手を負ったせいで、まだ青ざめた顔色のラクスだったが、大丈夫の様子?
 少なくとも皮膚を突き破った感触と、それを証明する鮮血に塗れた自らの手を知っていれば、ラクスの様子をもう一度真剣に覗き込む凪砂であった。
「ラクスさん貴女、怪我の具合は…?」
 恐る恐る訊ねる。
 破壊したはずの皮膚はやはり裂けたままで、痛々しいし…多分、治癒の魔法を施したにせよ骨はまだ折れたままなはず。
「さすがに辛いですよ、でも大丈夫です――このくらいならば死んじゃうようなことはありませんから、安心してください」
「このくらいって…」
「凪砂さま、ラクスだって一応神獣なんですよ?――確かに重症ですけど…そんなにやわではありません」
 それってスフィンクスだから?
 呆然とした面持ちも一瞬のこと、
「〜〜〜っ!!!」
 目の前の存在を失いそうな恐怖感が消え、変わって訪れた安堵感。相変わらず重症に違いは無いラクスの顔を、ぐりぐり〜と胸元に抱きしめる凪砂。
「って、な…凪砂さま、そんなにきつく抱っこされると…い、痛いです〜っ」
 ホントに痛いのだろう、泪目のラクスが慌てて抗議した。
「そ、そうでしたっ!――は、早く治療しなくちゃっ!?」
「え、な、凪砂さま!?」
「もう少しの辛抱ですからね、それまで我慢してくださいねっ!」
 有無を言わさず、そのままラクスを抱っこする凪砂だった。
 暴走の余韻と疲労感も何のその、獣化したままの力を存分に発揮してその場から駆け出そうと――、
「あ、あ、あの?」
「早く、お医者様に診せなきゃっ!!」
「お医者って、それじゃラクスは困るのですが…」
 慌て出した凪砂に、冷静に困るラクス。
 そこに丁度、騒動収拾に派遣された「図書館」の特別スタッフたちが到着した。
 彼ら一団とすれ違いそうになる凪砂たちだったが、幸か不幸かそうならずに済み、まあ色々と揉めに揉めたのだが、数日後、一応はラクスのほうも無事に完治。
 常識では考えられない治りの早さも、場所が場所だけに桁違いの医療術というわけである。
 騒動の張本人である凪砂も、非は明らかに『図書館』の研究者たちにあったのが分かったので(死傷者ゼロという奇跡的状況も幸いし)無罪放免。というか逆に責任者から深く謝られる始末であったという。ともあれ大事な研究施設の一角が崩壊したわけで、責任者は大変な目にあったらしいが…。

 それは凪砂とラクスにはあずかり知らぬこと。