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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


悪戯と戸惑いと



 二月と言えば、バレンタイン。
 通りを歩けば、至る所にこの言葉が踊っている。

「ばれんたいん……?」
 家に来ていたお姉さまは、一枚の紙を目にして小首を傾げた。
 お姉さまが見ていたのは、チョコレートの広告。この時期は色々な種類のチョコレートが出回っている、その宣伝だ。
 あたしはお姉さまの顔と広告を見比べて、ああそうかと頷いた。
 お姉さまはバレンタインが何なのか知らないのだ。
「ええと、それは……」
 ――あたしはバレンタインデーの話をお姉さまにした。
 それから、雑誌の「手作りチョコ特集」の頁をめくって――。
「こんな風に、自分で作ったりもするんです」
 色々な市販のチョコレートが出回っているとは言え、やっぱり手作りチョコレートの人気は衰えない。雑誌には数頁に渡って、チョコレートの作り方が書いてあった。
 勿論、この通りに作ることはない。雑誌にも「色々アレンジして個性を出そう」と書いてある。
「そうでしたの……」
 お姉さまは雑誌を端から端まで眺めてから顔を上げた。その視線はあたしの踝から唇まで移動し、止まる。
「良いことを思いつきましたわ。みなも、明日を楽しみにしていてくださいね」

 ……この時点で、逃げ出すべきだったのだ。
 でも、てっきり“二人で仲良くチョコを作る”と勘違いしていたあたしは、「ええ」と答えるだけだった。

 そしてその翌日。
 出かけたお姉さまが手にしていたのは――。
「ちょっと多くありませんか?」
「そんなありませんわ。……足りないくらいですもの」
 お姉さまが荷物を台所に並べる。ドサリ。袋の中は、大量のチョコレートとフルーツだった。
 苺に真っ赤なチェリー、缶詰に入った蜜柑……。
(どう考えても、こんなに使わないよね?)
 これは普通のチョコレートじゃない。
 あたしの予感を他所に、お姉さまはクーベルチョコレートを取り出した。早くやりましょう、ということだ。
「ちょっと待ってくださいね。エプロンをつけますから」
「必要ありませんわ」
 ……やっぱりおかしい。普段のお姉さまなら、衣装にこだわりそうなのに。
「エプロンをつけても、意味がありませんもの。後で時間がかかってしまうだけですわ」
「?」
(どういうこと?)
 いえ、でも――とお姉さまは呟く。「それもまた一興、かもしれませんわね」
 くるり、とお姉さま振り返り、
「ではそこに“こばるとぶるーのめいど服”がありますから、それを着て――こちらへ」
「は、はい」
 言われた通りに着替えてお姉さまの傍へ。何となく、逆らえない雰囲気があったのだ。
 それに何だろう。嫌な予感とは逆に胸の中で跳ねている、この淡い期待感は……。

 まず、クーベルチョコレートを細かく刻む。
 お姉さまに刃物を持たせるのは心配だから、これはあたしの作業だった。
 刻んだチョコレートで出来た小さな山をお姉さまが手ですくって、ボウルに落としていく。色白の指先から零れていく茶色のチョコレート――ぱらり、と葉が落ちる音をたてることもある。
 これを混ぜながら溶かす。
 お姉さまはボウルを湯煎にかけて、中に手を――、
「ダメです!」
 あたしはお姉さまの手を掴み、
「手ではなくて木べらを使ってくださいっ」
「あら……」
 お姉さまはボウルに目を落とし、頷いて、
「そうですわね」
 今はまだ手は使わないことにしますわ――木べらでゆっくりと混ぜながら、お姉さまは独り言を言っている。
(何を企んでいるのかな……)
 想像がつくような、つかないような――考えたくないような。
 温度計が四十五度を示す――そろそろかな。
「それじゃあ、お湯を水に変えますね」
「その必要はありませんわ」
 お姉さまはここで初めてあたしと目を合わせた。愛でる時にする、細めた目――「この“ちょこれーと”は今使いますの」
 唐突に、服を脱いでいった。徐々に露わになっていく白い身体、触れば傷つけてしましそうな繊細な肌――。
(やだ……)
 思わず目を逸らそうとするあたしに、お姉さまは小声で言った――「いけませんわ」
 あたしが視線を戻すのを確認したお姉さまは、薔薇色の唇をそっと両端に伸ばし、小さく開けて――。
「みなもも一緒に」
 脱ぎましょうね――声と共に、しなやかな指先があたしの服にかけられた。

「寒いです……」
 部屋の中は凍えそうだった。チョコレートは温度に敏感で、作る前には暖房を切っておくのが普通なのだ。
 あたしを脱がせた後、姿を消していたお姉さまが戻ってきた。
「今暖房を入れてきましたわ」
「本当ですか?」
 喜ぶあたしを見て、お姉さまも微笑んだ。
「ええ。みなもに風邪をひかせる訳にはいけませんから」
 そっとあたしの肩にふれ、
「まだ早いですわね」
 と自制したように笑い、手をひっこめた。
 お姉さまはボウルを片手で持ち上げると、木べらにチョコレートを絡ませた。
 溶けたばかりのチョコレートは木べらから雫をボウルに落下させている。蛍光灯の光を浴びて生み出すのは、黒い波のような光――。
 お姉さまがあたしを見る。黒く、漆黒に落ちた瞳はあたしを捕らえ、
 ――木べらが空を切る。
 ポタリ。
 跳ねたチョコレートはあたしの首筋に落ち――痺れるように、身体が動いた。
(きゃ……)
 チョコレートは熱かった。まだ四十度以上あるのだろう――首筋を焼くような温度で濡らしている。
 感触も変わっていた。温度は同じくらいでも、シャワーとは異なる感触……底なし沼の中に落ちたようだ。水よりはずっと強く首や耳元にへばりついている。けれど粘液程ではなく、やがて緩慢な動作で身体をなぞり始めた。
 ――熱い。
 冷えた肌の上を通過していっているのだから、温度は低くなっていく筈なのに、余計熱くなっていくようだった。心理的な作用だろうか――。
 胸までおりてきてから、チョコレートは落下速度を上げた。ふくらみを覆ってから床へ流れ落ちていく。
「いけませんわ」
 お姉さまの掌が素早く受け止めた。
「床を汚してはいけませんものね」
 指先にまとわりつく淀んだ液体。零れ落ちないように指を動かしてチョコレートを絡め取り、口に含んだ。
 幾分卑猥な音と、その指先、その唇――。しなやかな動きで唇から這い出た指、その先に残っているチョコレート、お姉さまの声、まだ少しべたつきますわ……。
 お姉さまはその指を、ボウルの中に入れた。溶け合っている液体の中から離れた指には、大量のチョコレートが絡み付いている。
 それを自分の後ろの首筋に流す。液体は背中を流れ、腰の辺りで止まり、その場所に留まる。つぎにふくらみから臍まで塗りこみ、一呼吸置いて、
「みなも、」
 あたしを抱きしめた。
 ――とくん。
 鼓動が高く波を打つ。
 硬くした身体とお姉さまの身体がこすれ、その上に茶色をした粘っこい湖が出来た。
 お姉さまはあたしの背中にチョコレートを塗りつけていく。身体が離れると湖が崩れチョコレートが零れ落ち――……ない。
(あれ?)
 微笑んでいるお姉さま。
(能力を使ったのですね)
 こんなときに使うなんて。もっともお姉さまは『こんなときだから』使うのだろうけど。

 あたしから一度離れたお姉さまは、買ってきた荷物を取り出して鍋に入れていった。水、チョコレート、グラニュー糖、ゼラチン……。それを弱火にかける。
「何をしているのですか……?」
 お姉さまは振り返って、楽しそうな顔をした。
「“ちょこれーと”だけでは物足りませんから」
 火を止めて、生クリームとメレンゲに混ぜる。
「流れを操れば、多少のことは出来ますの。混ぜれば良いだけですから。“ちょこれーとむーす”ですわ」
 これも身体にまんべんなく塗る。チョコレートの壁から漏れていた白い肌の上に、薄茶色の泡が滑っていく。自分の分を塗り終わると、みなも、とお姉さまは振り返って、
 あたしを抱きしめながら、倒した。
「きゃ!」
 お姉さまの体重をのせることであたしの身体を反らせ、勢い良く倒れそうになるのを、床ぎりぎりのところで止める。刹那、怯えたあたしの瞳を間近で眺め、それからあたしの身体が寸でのところで床にあたることがなかったことを確認して――ほぅとため息を漏らした。
 そのままゆっくりと体重をかけてあたしの身体を床につけ、お姉さま自身は腕立て伏せのような姿勢であたしの上に身体を乗せる。それも落ち着くと、床につけていた掌を放して――代わりに肘を床につけ、暇になった掌であたしの髪を包み込んだ。
「お、お姉さま、何するんです!?」
「大丈夫ですわ。流れを操っていますから、“ちょこれーとむーす”が床にこびりつくことはありませんわ」
「そういうことじゃなくて、」
「動いては駄目」
 お姉さまは強い言葉で言い、チョコレートムースを纏った手であたしの耳をつまんだ。
 ――熱い。
 全身が熱かった。チョコレートのせいか、それともお姉さまの体温だろうか――。
「みなも、」
 お姉さまは赤くふくらんだ唇をあたしの頬につけ、
「今度はみなもの番ですわ」
 床とあたしの背中の間に手を入り込ませる。硬直する背中――構うことなくお姉さまは互いの腿を絡めて、上下逆に倒す。
 今度はお姉さまの上にあたしが乗っかっている状態だ。
「やめてくださいっ」
 見下ろす姿勢が恥ずかしくて逃げようとしても、足が絡まっていて逃げられない。
「嫌です〜!」
 あがくあたしを眺めていたお姉さまは、床に転がった苺を拾ってあたしの唇に当てて。
「駄目ですわ。順番ですもの」
 と、くすくす笑うのだった。
 あたしはため息をついた。
「……はぁい」
 わざとふてくされた返事をする。
 頬が焼けるように熱い。それと、微かな期待感。胸を弾ませた子供のように。

 身体の線に沿ってチョコレートムースを滑らせ、散らばった果物をお姉さまの上に並べていく。
 力を入れずに軽くなぞるように塗っていくと、お姉さまが時折身体をよじった。
 くすくす。
 ……くすぐったいですわ。みなも。優しすぎますわ。
 ……そうですか? それじゃあ、こうかな……。
 くすくす。
 失敗した油絵に、白色を被せていく作業のようだった。厚くなるキャンバスを前に戸惑うあたしに、微笑むお姉さま。
「大分、気が紛れたようですわね」
 目をしばたたくあたし――。
(そっか)
 気を遣ってくれていたんだ――。
 お姉さまは微笑んでいた。それはいとおしい者を見る瞳に違いなかった。
「――続きを」
 はい、とあたしは呟く。動揺して、指が震えている。
 くすくす。
 ……もう駄目ですわ。
 お姉さまが身体を起こした。
 ……耐えられませんの。
 お姉さまはあたしに絡みついたまま身体をひっくり返し、上半身を合わせ、息を塞いだ。
 ……クリームが付きすぎましたから、分けてあげますわ。
 もう元気になりました、とあたしが言っても聞かない。
 ……本当に、もう大丈夫ですよ。
 ……まだですわ。もっと、もっとね――。
 一緒に、こうして。
 ……………………んん。
 だから最初に気付いておくべきだったのだ。
 お姉さまの微笑みの理由に。
 ……もう。

 台所に転がる二つの身体は、まるで一匹のケモノのよう。しなやかに、蠢くのだ。
 だがそれだけではない。何処か柔らかく、何処か甘く、人を惹きつけるような――。
 ……チョコレートですからね。




終。