コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


環平


 寒い日々が続いている。朝起きれば霜が降りていて当たり前、そうでなければ雪がちらついている。特に夜はよく冷え込む。ちゃんと布団をかけて寝なければ、朝に寒さを嫌と言うほど感じる羽目になる。そうして行き着く先はただ一つしかない。
「……寒い」
 ぽつり、と相澤・蓮(あいざわ れん)は呟いた。布団をちゃんと頭から被っているのにも関わらず、全身が震えているのを止められない。
「妙に、寒いじゃねぇか」
 蓮はそう呟き、自分の声を出すのが困難な事に気付いた。声はがらがらと枯れており、声を発するたびにいがいがと痛む。しかも、喋ると咳が出てくる。何かを完治したかのように、げほげほと出てくる。まるで、喋るのを邪魔するかのように。
「……なんだよ……まさか」
 蓮は銀の目で天井を仰ぎ、それから手でくしゃりと茶色の髪をかきあげた。
「風邪かよ?」
 蓮は大きく溜息をつき、またその溜息が熱い事に気付く。
「……熱、あるのか?」
 体のだるさを押して、蓮はゆらりと起き上がって救急箱を探す。そうして気付く。立っているのもやっとなくらいの自分に。いつも見慣れた風景であるのに、妙にゆらゆらと揺らめいている事に。そうして、蓮はふらりと倒れそうになって目の前にあったものを咄嗟に掴んだ。掴んだのは、テレビの上にあった小物たち。それらが、がしゃん、と音を立てて床に散らばっていく。一瞬にして出来上がった、惨状。割れ物が無かっただけでも良かったのかもしれないが、それでも大変な床の状態になっているのには間違いなかった。
「……これは、まずい」
 はは、と空笑いをしてから蓮は布団に再び寝転び、救急箱を諦めた。そんなものを探している場合ではない。ともかく寝ておかなければ、どんどん事態は悪い方向に向かうばかりだ。これ以上散らかして、一体誰が直すというのだ。ここに一人暮らしをしている以上、それは自分だという事となる。自らが起こした惨状は、自らに帰ってくる。
(自業自得……だあぁ!今そんな四字熟語とか思いついている場合じゃねぇって)
 ふわふわする頭の中で、自分に突っ込む。実際に口に出そうとしても、喉の痛みがそれを阻んでくるのだ。口に出そうとしても出てくるのは声ではなく、咳。
(……助けが必要だな)
 蓮はそう思い立ち、布団から必死で手を伸ばして携帯電話を掴む。ゆらゆらと揺れる視界を励ましながら、電話帳から名前を探す。
(あ……)
 一旦手を止め、小さく震えながら通話ボタンを押そうとし……やめた。熱のある頭でも、どうにか理性は保たれたようだ。
(いきなり自宅には呼べねぇ……!よし、よく我慢したぞ俺!)
 にやりと笑い、蓮は誇らしげに頷いた。熱のせいで理性が曖昧になっているのか、それとも妙にハイになっているのかは分からないが。
(よしよし、頑張った俺に万歳だ!きっといいことがあるに違いない。イエイ!)
 蓮はこくこくと頷いてから、再び電話帳を探す。そして、一つの電話番号で止まる。今度はためらう事なく即座に通話ボタンを押した。
『はい、さくらいです』
 電話の向こうで、明るい声が響いた。定食屋『さくらい』の看板娘である櫻井・雛子(さくらい ひなこ)の声だ。蓮はにやりと笑い、喉の痛みを押して声を出す。
「おお、雛子。俺だ、俺。偉大なお兄様」
『……そんな知り合いは、いないですッ!』
 雛子はきっぱりと言い放ち、尚且つ『じゃあッ!』と言って電話を切ろうとした。蓮は慌てて引き止める。
「ま、待て!俺だよ、俺。蓮だってば!」
『蓮ちゃん?……ああ、うちのツケを払わずにパチンコ屋さんにばっかり費やしている駄目なお兄さんか』
「……ピヨ子?俺、結構傷ついたぞ、今」
『ピヨ子じゃないってどれだけ言ったら分かるんですかッ!』
「あーもう、ピヨだろうとヒナだろうとどうでもいいよ」
『良くないですぅっ!……って、蓮ちゃん。なんだか、声がおかしくないですか?』
 蓮は苦笑し、苦笑した事によって再び咳が出る。
「風邪をひいたみたいでさ。見舞いに来てくんねぇか?」
『え?何であたしが?』
 普通に聞いてくる雛子に、妙に蓮は泣きたくなった。雛子以外の人に、寧ろ気になる人に頼めるくらいならば、何も苦労はしない。
(病気と言うシチュエーションを最大限に生かしたい!……が、出来ねぇのが現実なんだよなぁ)
 蓮は熱い息のまま溜息をつく。
「いいからさ、来てくれよ」
『そしたら、ツケを払ってくれますかッ?』
(そう来たか!)
 蓮はぐっと返答に詰まった後、もう一度大きな溜息をついてから口を開く。
「……分かった。分かったから、宜しく」
『え?本当ですかッ……って、蓮ちゃん?』
 蓮は雛子の言葉を最後まで聞かずに電話を切った。沢山喋ったせいで、喉の痛みがさらに酷くなってしまっていた。咳が止め処なく出てくる。
「ツケがなんだってんだよ……!なあに、ちょいと増やせばいくらでも払えるっつーの!」
 蓮はそう言ってにやりと笑ってからパチンコを打つ手の真似をした。えへへーと微妙に笑っている。じゃらじゃらという玉のぶつかり合う音に、店内に騒々しく響くアナウンスの声。むせかえる煙草の煙に、熱心に台の中を転がる玉を見つめる人間達。目を閉じると、まるでその場にいるかのような錯覚を覚えた。
(これも熱のなせる技かねぇ。これが実際ならなぁ)
 じゃらじゃらと豪快に出る玉!熱狂する店内アナウンス!
『3番、大当たりスタートです!』
「……へへ、ちょろいっつーんだよ」
 蓮は想像から少しだけ飛び出して呟いた。がらがらの声が、妙に現実感へと引き戻す。蓮は再び大当たりの想像に戻ろうとして、ゆっくりと目を閉じる。……と、その時。
 ピンポン。
 再び幻想への扉は閉ざされる。雛子の押した、チャイムによって。


(出てこないです)
 雛子は、黒く大きな目でじっとドアを見上げた。チャイムを鳴らしたものの、中から蓮が出てくる気配は無い。ただ、ふわり、と風が雛子の青い髪を揺らすだけだ。
「まさか、中で倒れているとか……ないですか?」
 雛子ははっとして、再びドアを見上げる。ドアの向こうの風景が突如頭に浮かんでくる。
 チャイムの音に、玄関に向かおうとする蓮。だがしかし、足元がふらついて玄関まで到達する前に蓮は倒れる。そうして、ドアを見上げて呟くのだ。
『悪い、雛子……』
 がくり。
「……れ、蓮ちゃんっ!」
 雛子は慌ててドアを開け、室内を見回す。すると、布団の中からひょっこりと顔が現れて、ひらひらと手を振った。
「……よぉ、ピヨ子」
「あたしはピヨ子じゃないって、いつもいつも言ってるじゃないですかっ!」
「あーそうだったな。悪い悪い……」
 蓮はそう言いながら語尾をだんだん弱めていった。はあ、と大きくついた溜息は、相変わらず熱い。
「……蓮ちゃん、熱、そんなにあるんです?」
「さあ、な。救急箱が行方不明でな」
「行方不明って……な、何ですかっ!この惨状は!」
 雛子は床に散らばっている物たちにきづいて思わず大声を出した。蓮は苦笑し、力なく惨状の場となっているあたりを指差す。
「そこら辺にある予定だ」
「予定って……ああ、これですか」
 雛子は救急箱らしい箱を発見し、中から体温計を取り出して蓮に手渡す。蓮は「ん」と言いながら受け取り、素直に熱を計り始めた。
「全く、あたしじゃなくて気になる子にでも来て貰えばいいじゃないですかっ」
「あのなぁ……」
 熱を計りながら、蓮は口を尖らせる。
「俺だって呼びてぇよ。それはもうそれはもう、めいっぱいな!だけど、最近やっと『蓮ちゃん』って呼んでくれるようになったばっかなんだぜ?」
 ぐぐ、と拳を作り、枯れている声で蓮は力説した。
「そ、そうなんですか」
「そう!それなのに、いきなり自宅なんかに呼んでみろよ?不審がられるっつーの!」
(熱のせいでしょうか……?蓮ちゃんが、熱いです)
 雛子は妙に感心した。圧倒された、とも言う。
「つまりだなぁ……」
 ピピピ。体温計が、熱を計り終えた事を知らせた。尚も喋ろうとする蓮を無視し、雛子は体温計を確認する。38度5分。中々にして、高熱だ。
「蓮ちゃん、大人しく寝ていてくださいっ!仕方ないから何か作りますから!」
 雛子はそう言って蓮を寝かせ、立ち上がった。幸い、こんな事もあろうかとエプロンを持参してきていたのだ。
「ピヨ子ぉ」
「雛子ですっ!」
「雛子ぉ……卵も入れてくれー」
「はいはい、卵を入れればいいんですねっ」
 雛子は苦笑し、台所に立つ。卵入りのお粥を作りながら、つい苦笑してしまう。結局こうして、呼んでしまう蓮に、来てしまう自分に。
 ぐつぐつ、というお粥の出来ていく音だけが室内に響いている。
(静かな時間です……)
 不思議な感情が、雛子の中に……きっと、蓮の中にもあった。
(あたしの中にあるのも、蓮ちゃんの中にあるのも、決して恋愛感情じゃないんですよね)
 雛子は小さく笑う。
(でも……そうですね、パートナー、という意味なら)
 決して恋愛感情ではなく、愛情でもなく、パートナー。互角に渡り合い、関係を築く。それが妙にしっくり来ると雛子は考えた。恐らくは、きっと蓮も。
 雛子は出来上がったお粥を蓮の所に持っていく。料理上手である雛子のお粥は、食欲が無い筈の蓮の胃に、すんなりと入っていくのだった。


 定食屋、さくらい。そこにはいつもいるはずの看板娘である雛子の姿は無かった。雛子は店ではなく、布団の中にいるのだから。
「……蓮ちゃんのせいですっ」
 枯れてしまった声で、雛子は呟いた。明らかに、蓮からきた風邪のウイルスに悩まされているのだから。
「蓮ちゃんのせいですからねっ!」
 雛子は再び呟いた。時計をちらりと見る。今はきっと、お店が込んでいる時間だろう。
「……そうですっ!蓮ちゃんに責任を取ってもらえばいいんですっ!」
 雛子は枯れてしまった声で名案のように言い、早速携帯電話に手を伸ばす。2・3回のコールですっかり元気になった蓮が出てきた。
「蓮ちゃん……?」
『雛子か?どうしたんだ、声が違うぞ』
(誰のせいですかっ!)
 電話の向こうの蓮にいうのも馬鹿らしく、雛子は代わりに咳をする。
『お、風邪か?大変だな』
「誰がうつしたんですか、誰が!」
 思わず大声を上げ、ついげほげほと咳き込む。電話の向こうで、心配そうに「大丈夫か?」と言う蓮の声が聞こえる。
『見舞いに行こうか?』
「見舞いと言うよりも、お店を手伝ってください」
『へ?』
 雛子はにっこりと笑い、それから真顔で電話に向かって言う。
「てか、手伝わないといけないと思うんですっ!じゃあ、そういう事で」
『お、おい……』
 プチ。雛子は蓮が何かを言う前にさっさと電源ボタンを押し、通話を終える。蓮の事だから、結局はここに来てくれるだろう。そして、店を手伝ってくれる筈だ。
(今日は看板娘ならぬ……看板男ですっ)
 頑張って定食屋で働く蓮を想像し、雛子は小さく笑った。そうしてごそっと布団の中に潜り込む。店を蓮に任せ、安心してゆっくりと休む為に。

<平等に循環し・了>