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<東京怪談ノベル(シングル)>


台所の錬金術


<楽ちんトリュフの作り方>

1.溶けやすいようにチョコレートを刻みましょう。

2.生クリームを鍋に入れ、火にかけます。このとき、沸騰させすぎないように注意してね!

3.温めた生クリームの中に刻んだチョコレートを入れましょう。チョコレートがぜんぶ溶けるまで、木べらなどでゆっくりかき混ぜてね。途中でブランデーを入れるのを忘れずに。

4.鍋やボウルの底を氷水にあてて冷ましながら、よく混ぜましょう。

5.程よい固さになるまで冷えたら、手で小さく丸めていきしょう。

6.丸めたトリュフが少し温かいうちにココアや粉砂糖をまぶすのがポイント。出来あがり!

※丸めたトリュフは、湯煎したチョコレートの中にくぐらせたり、ココナッツパウダーをまぶしたり、いろいろなコーティング&トッピングが出来るよ。試してみてね!


「ということは、溶ければいいわけだから、別にわざわざ刻まなくてもいいってこと?」
 買ったばかりの『楽ちんお菓子作り』を参照しつつ、百合枝は買物袋から材料を引っ張り出していた。焼酎、ナス、ミルクチョコレート、岩海苔、金槌、ブランデー、イカの塩辛、朝鮮人参、カレー粉、みりん、生クリーム(植物性脂肪)、ココア、粉白粉、ゼリービーンズ、黄粉、麩菓子、トカゲの尻尾。
 百合枝はひとりであるのをいいことに、頭に手をやると、困った高校男児の如くがりがりと黒髪を掻き毟った。
「あー。何でこんなときにあの子はいないのかね? 居留守使ってんじゃないかい? もう!」
 料理に挑む際に藤井百合枝が誰よりも頼りに(あてに)しているのは、彼女の妹だった。この、バレンタイン用のトリュフチョコも、妹の家で作ろうと考えていたのだ。しかし、連絡がつかなかった。妹が夕方以降に家を空けることは少しばかり珍しいことではあったが、百合枝は自分が先日「会社で渡すチョコを自作するつもりだ」ということを妹に話していたことを思い出した。ともすれば妹はチョコレート作りを手伝いたくないがために居留守をしているのかもしれない。
 トリュフの作り方自体は、手元の『参考書』に写真つきで載っている。だがそれを読む限り、トリュフの作り方が初心者向きとは思えなかった。
 そもそも自分は何故、義理チョコを手作りしようとしているのだろう……。
 これも修行なのだと自分を納得させ、百合枝は三角巾を頭に巻き、エプロンを身につけて、鍋の中に生クリームを注ぎ入れた。

 しっかり強火で加熱し、ぐつぐつと煮え立つまで腕を組んで待つ。大は小を兼ねる。熱ければ熱いほどいいはずだ。
 煮え立ってから、割ったチョコレートを投げ込む。溶けりゃいいのだ。
 ブランデーはいい香りだったので、たくさん入れた。ぼはッ! ファイヤー!
『楽ちんお菓子作り』を熟読していたので、火は強火のままだ。わッと叫んで百合枝はのけぞった。
「何でバックドラフトが起きるんだよ!」
 慌てて鍋に蓋。ぷひゅう、と火は消えた。微妙な色の煙が上がる。
 その頃から有機物が焦げる、不愉快な匂いが鍋から発せられてきた。
「……」
 終了。

「何なの? ちゃんと手順通りにやったよ、私は!」
 『楽ちんお菓子作り』に怒声を浴びせながら、百合枝はもう一度やり直すことにした。しかし、生クリームはもう使い切ってしまっている。
 真っ黒に焦げた鍋はシンクの中に突っ込み、家族4人分のカレーも作れる大鍋を取り出した。生クリームの代わりに、賞味期限が明日になった牛乳を入れる。強火にかける。百合枝は強火が大好きだ。
 今度は沸騰させすぎないように直前で火を止め、金槌で打ち砕いたチョコレートをぶち込む。チョコが足りず、いまいち色がはっきりしないので岩海苔投入。ヘンな色になったため修正のためにカレー粉投入。OK! 茶色だ!
 いい匂いだからと、さきはブランデーを入れすぎた。控えめに入れてみる。変化なし。要するに酒を入れたらいいのだなと、みりんを注ぎ込む。みりんは酒扱いだ。飲酒は二十歳になってから。でも小学生もおつかいでみりんは買える。
「ふっ……本なんてアテにならないね。さっきより順調じゃないの」
 ゲツグツと煮えくり返る鍋を見下ろし、百合枝は大きく頷く。
 火から鍋を下ろし、氷水を湛えたボウルの中に突っ込む。怪しい色の水蒸気が上がった。
「いいの……これでいいの……万事OK……あとは冷えるまで混ぜると……」
 混ぜている間に色が変わってきたので、慌ててナスを入れてみる。ナスを入れるととりあえずものは黒くなるはずだからだ。
 しかしながらちっとも冷める気配を見せなかったので、百合枝は氷水に鍋をつけたまま、コーティングの準備を始めた。

 あ、と気づいてから舌打ち。ココナッツパウダーを買ってこなかった。
 仕方ない、というかこれ身体にいいよね、と朝鮮人参をすりおろす。ココアと黄粉を皿にあける。黄粉とココアに砂糖をがっつり入れる。このとき百合枝は砂糖と塩を間違えるという極めて初歩的な間違いを犯したが、彼女は知る由もない。
 いやしかし、間違い?
 生クリームの代わりに腐りかけの牛乳を使用した時点で――
 ……言うのも野暮だし百合枝は気づいていない。

「いいねえ、いいんじゃないの、これ?」
 ようやく丸めやすくなるまでに冷えてきたトリュフのタネ(……百合枝はそう言い張るだろう)を適当に掴み取り、ころころと手で転がす。上手い具合に丸くなったタネに、朝鮮人参の粉をまぶす。
 次に丸めたタネの中には、真っ赤なゼリービーンズを埋め込んでみる。オシャレ。かわいい。塩入の黄粉の中へ。
 部長は塩辛が好きだったはずだと、三つめのタネの中にはイカの塩辛。和な感じ。渋い。塩入のココアの中へ。
 ふと気づけば、先ほど焦がした鍋の中身、鍋の内側のタネは無傷のはずだ。すくいとって大鍋の中身と混ぜてみる。チョコレートの風味が増した。

 ……料理が下手な人間が作った料理がまずいのは、本人が味見をしないから、というのが一番の要因なのだ。それと、そういった人間は何故か隠し味にと他に何かを入れたがる。
 藤井百合枝は、その最たるものであった。天晴れ。


「……すいません、何かヘンな匂いするんですけど、大丈夫ですか?」
 トリュフが完成したところで、隣の青い顔をした住人がやってきた。
「ああ、ごめんなさい。ちょっと焦がしちゃって。でも大丈夫ですから」
 百合枝は努めて笑顔で住人を追い返し、追い返してから、お詫びにトリュフをお裾分けしたらよかったと考えてみたりもした。
 隣人は死を免れた。

「あの子に味見をお願いしようかね? 14日まではまだあるし。……私が食べても、意味ないからねえ……」
 そうして、百合枝も死を免れた。
 一見、黄色や黄金色やココア色の、きれいなかわいいトリュフなのだ。
 しかしそのコーティングはまさに猫の皮であり、羊の皮。
 見た目に欺かれ、その命を落とすのは――あの人やあの人やあの人だ。
 囁き、
 祈り、
 詠唱、
 念じろ!




<了>