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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


シしてヤみオつソウゾウシュ

病んで 病んで 病んで
落ちる 落ちる 落ちる

老いて 老いて 老いて
朽ちる 朽ちる 朽ちる

それは夢 それは現 それは幻
果ては虚 果ては無

されば行かん いざ行かん いざ

「原稿が届く?」
 既刊の見本誌やら資料やら没になった原稿やらが渦巻く雑多な室――月刊アトラス編集部に、良く通る女の声が響いた。
「死んだ作家から? それ、ホントなの? 聖?!」
 明らかに喜色の帯びたその声の主は当編集部の鬼編集長、碇のものである。
 碇は向いのソファに座して自らが手土産と称して持って来た某有名店、1日限定30個のチーズケーキを頬張っている聖の方へ身を乗り出した。
「ん、らしいよ」
 もぐ、と口を動かしつつ肯いて、聖はまた一口、とろけるような食感のケーキを味わう。
「俺の知り合いの編集サンがさ、担当の作家が死んだ筈なのに原稿が届くって、そりゃもう可哀想なくらいに震えてさ……あれはとても嘘とは思えなかったけど」
 言って、聖は空になった、ケーキが入っていた小さい篭を見下ろした。その視線には未練が在り在りと滲んでいる。碇はすかさず、幾つかあった内の一つを差し出した。
「どーぞ、遠慮無く食べて?」
 持ってきたのは誰か、と問いたくなる言だが、差し出された方もそれを失念したかのように嬉しげにフォークを伸ばした。
「それで?」
 そわそわと先を促す碇をケーキに見入っていた瞳が見上げた。くす、と笑みを漏らす。
「相変わらずだね、碇サン」
「貴方もね、聖」
 互いに視線を交わして笑うと、碇はソファの背に身を預けた。長く形良く伸びた足を軽く組ませ、システム手帳を取り出した。附箋が煩い程に食み出、何が挟まっているのか本来の厚さの二倍にはなろうかと言うその手帳とは、碇がまだ駆け出しの頃からの付き合いである。
 その様子をフォークを銜えたまま見ていた聖は、碇が手帳を構えて視線を自分に据えた所でフォークを置き、居住まいを正すように座り直した。
「その作家……萱島幸次郎サンが亡くなったのは三ヶ月前の月始めなんだけど、その月の終わりの『生きていた場合の締切日』に死後一回目の原稿が届いたそうだよ。メールでね」
「メールで……」
 手帳に書きつけながら、碇が更に先を促す瞳で聖を見る。
「最初は悪質なイタズラかと思ったらしいんだけどね、でも実際に原稿を読んでみたら、とてもじゃないけどイタズラとは思えない程の完成度だったんだって。作風も真似た、じゃ済まされないくらい萱島のものだった……読み終わって怖気が立ったそうだよ」
「アラ、素敵な話じゃない? 何故怖気なんて……、手に入らないはずの原稿が手に入って、しかも話題性まで提供してくれたのに」
 心底不思議だ、と思っている様子の碇に、聖は苦笑した。
「ま、碇さんの言うことも判らないでもないけどね」
 冷めかけた茶で口を湿して、聖は続ける。
「メールアドレスを見たら萱島が生前使っていたものだったから、プロバイダーに問い合わせたら、契約はまだ継続中だったから、自宅に問い合わせの電話を入れたんだって。もしかしたら生前書き上げてあった原稿があったのを、家の人が見付けて送って来たのかも知れないと考えてね」
 碇と聖の周辺には、何時の間にか編集部の人間の殆どが集っていた。慣れた筈の怪奇にもつい耳を傾けてしまう辺り、やはりアトラス編集部と言えようか。
「でも、誰もその電話に出る事はなかった……それでその編集サンは思い出したんだよ」
 ぐい、と周辺が身を乗り出す。
「萱島に家族なんてなかった事をね」
 ごくり、とほぼ同時に全員が息を呑む。けろりとした顔をしているのは数える程も無い。幾多の恐怖を扱って来た彼らと言えども、やはり怖いものは怖いのである。
「親戚とか、家政婦は?」
 流石と言おうか、碇は平然とした面でさらりと問う。
「萱島サンは天涯孤独だったらしいね。彼の死後、作家仲間が葬儀を行ったくらいだから、親戚ってのはまあ、有り得ないと思うよ。家政婦は雇っていなかったみたいだね。ついでに言えば、彼は生前遺言を残していたんだけど、それには自分の死後は家財一式売却し、出来たお金は世話になった出版社に寄付する、とあったらしいよ」
「でも、家は残っているんでしょ?」
「うん。葬儀を行った作家仲間サン達が、せめて数ヶ月はそのままに、と売却を依頼された弁護士に頼み込んだらしいね。萱島サンて人は相当周囲に強い影響を残した人だったみたいで、彼を慕う人達の強い希望と、遺言にあった出版社の協力で、彼を偲ぶって事で1年位保存する事にしたそうだよ」
「……じゃあ、その作家仲間ってのが怪しいのかしら?」
 ペンで頭をかり、と掻いた碇の言葉に、周囲も考え込むように唸る。
「ま、その辺も併せて調べてもらえないか、って話。こういうネタだったら碇さんとこがイイんじゃないかと思って来てみたんだけど、どうかな」
 思案に沈みかける碇の顔を覗き込むように聖が問うのに、碇は寄せた眉を解いた。
「断ると、思う?」
「と、言うことは」
「勿論、請けるわよ。ジャンルが違うとは言え、同業者が頼んでくるって事は相当困ってるんでしょ?」
「うん。夜も眠れないって」
「放っておけるわけないじゃない?」
 にこり、と微笑んだ碇を、周囲は感動の視線で包んだ。困っている同業者を放って置けない――なんと、慈悲のある――
「同業者……つまりライバルに手柄を譲る事になってまでも、依頼せずにはおれないほどの恐怖……それ程のネタを素通りなんてしたらアトラス編集長の名が廃ると言うものだわ!」
 立ち上がって握られた拳に、その場の全員―聖を除く―が崩折れたくなるのを必死に耐えた。一瞬前の感動を返せ、と口に出したくなる己を御しつつ。
「助かるよ、碇サン。じゃあ、明日その編集サンを紹介するから、ここに来てくれるかな?」
 差し出されたメモを碇は握り潰さん勢いで手にし、周囲に陣取る人々を見まわした。
「さ、誰が行ってくれるのかしら?」
 有無を言わせぬ迫力は、やはり碇らしい、と聖は微笑ましく見守りつつケーキを食すのを再開するのだった。


「明日その編集者の方とお会いする際、同席しても?」
 聖に向けられた穏やかな問いは、男性のものだ。外見は二十代半ばと言った所だが、実年齢は幾多の世紀を超えている。名を神山隼人と言う。
 穏やかな微笑みを浮かべて神山は聖の横に立った。
「亡くなった作家から送られて来た原稿、ですか。楽しそうですね。是非謎の解明のお手伝いをさせて頂きたいのですが」
 聖は神山を見上げ、青い瞳を瞬かせた。
「……ここは、やっぱりいろんな人が集まるんだねえ」
 しみじみと感想を述べて、また、瞬き。まるで子供がびっくりして目を瞬かせるような、無邪気な仕草に神山は小さく笑う。向けられた青い瞳に、何が映っているのか。台詞からすれば、恐らく神山が人でないことを見抜いてはいるのだろう。正体の全てを得てはいないにしろ。
 そう、神山は人ではない。『悪魔』と称ばれる存在である。
 神山はじっと見上げて来る瞳を真直ぐに見返した。隠された姿を見抜く、青い瞳。聖性さえ帯びた、その瞳を東洋では何と言ったろうか、と思案する。
「……浄眼、か」
「え?」
「いえ、何でもありません。……そうですね、それをご存知であるからこそ、アトラスを尋ねて来られたんでしょう?」
「うん。あとは碇さんの手腕と人望を信じているからかな」
 さらりと言って聖は、チーズケーキの最後の一口をフォークで突き刺した。
「あら、聖ってば判っているじゃない? ケーキ、もう一個どう?」
 聖自身が持ってきたケーキを全て差し出しかねない碇を止めたのは、後方から上がった声。
「編集長、俺もその件手伝いますよ」
 碇が顧みればそこには軽い挙手で立つ柚品弧月。
「あら、貴方も行ってくれるの? 助かるわ……でも、頼んでた取材は終わったの?」
「ええ、今戻ったところです。ハイ、レポート」
「どれどれ……うん。このまま使えそうね。三下くんより優秀だわ…どう? 大学卒業したら?」
 ウチに来ない? と碇は瞳に妖しい光を走らせた。
「いえ、俺なんてバイトがせいぜいですよ。正社員なんてとても」
 つとまりません、とこちらは爽やかな笑みで返すのに、碇が舌打つ。
「でも、バイトとしての努めはしっかり果たしますから……そのケーキ一つ頂いてもいいですか?」
 未だ碇の手許にある残りのチーズケーキを、柚品は遠慮がちに指差した。
「ん? ……ああ、いいわよ。君は色々と貢献してくれるから」
 台詞が現在形なのが気にならなくもないが、実は目に入った瞬間から狙っていた獲物が手に入る喜びに、柚品は相好を崩した――甘い物に目がないのである。
 しかもこのチーズケーキは限定品。買いに走ったとて、運が悪ければ長時間並んだ上に手に入らない等と言うことも有り得るシロモノである。
 小さな篭の中の見るも柔らかそうな白い固体は、一見ケーキとは違うようだが、ひとたび口にすればその旨さに唸ることとなる。口内でふわりと溶けるような舌触り、上品な甘さは甘党でない人間でも唸らせずにはおかない。
 まして、甘い物が好きな人間にとっては至極である。
「……やはり、ここのチーズケーキは絶品ですね」
 聖の隣を陣取って、早速舌鼓を打つ柚品に、聖が緑茶を差し出した。
「おいしいよね、ここの。俺大好きでさあ……って、アレ?」
 聖は礼を述べて茶を手にした柚品の顔を覗き込んで首を傾げた。
「おにーさん、もしかしてこないだ草間サンとこで会った……?」
「ええ、柚品弧月です。先日はどうも」
 柚品は、少し前に草間興信所でとある依頼を請け負った。その依頼を、依頼人から代理として持ち込んだのが聖であった。
「こちらこそどーも、へえ、こんな偶然もあるんだな……っても、草間サンとこと碇さんとこじゃ、あんまり偶然って感じじゃないけどね?」
 言って笑う聖に、柚品はふと気付いた疑問を開示した。
「聖さん……でしたよね? 聖と言うのは姓名どちらなんですか」
 その言葉の瞬間、聖の眉がぴくりと動いた。笑っていた瞳が、すと細められる。
「……ナイショ」
 低く抑えられた声は、先ほどまでの朗らかさが嘘のようで――柚品は眉根を寄せた、と同時、聖は吹き出した。
「なーんて、冗談。苗字だよ。名前は言えないけど」
「結局、内緒なんですね」
「いやさ、ある人に草間さんとこと、碇さんとこ……それからゴーストネットとか。こういう危険な場所では名乗るなって言われてて」
 柚品の、ケーキを口へと運ぶ手が止まる。
「名前を?」
「うん。名前は大事なモノだからおいそれと名乗るなって」
「確かによく言いますよね。真名は魂を縛るもの、と」
 その道では真の名は尤も短い呪であると言われる事を、柚品は思い出す。
「それにしても危険なところ、ですか?」
「どんなものが集まるか判らないから用心しろってよく言われるんだよね……確かにいろんな人見るけどさ」
「確かに……」
 柚品は今までに草間やアトラスで出会った人々を思う。様々な能力を持つ者達。時に人ではない…人を超越した存在もあった。だが彼等は何時でも互いに協力者であったから、危険を感じたことは無い。どころか、常識では考えられない事象に怯む事ない胆力、それにいつも頼もしささえ感じている。
「確かにいろんな人が居ますけど、でも危険って事はないですよ」
 共に様々な依頼を請け解決した来た…その記憶が、柚品に彼等の弁護をさせる。
「だよねえ……俺もそう思うんだけど」
 本人も納得が行かない風であるのへ、柚品が更に言を募ろうとした、その背後から。
「そろそろ、お茶の時間は終わりにしようと思うのだけど?」
 編集長の声が、威圧も露に二人の背を凍らせる。
「じゃあ早速行って来ます」
 柚品は傍らに置いていたバックパックを肩にかけ、立ちあがった。
「明日、編集さんと待ち合わせなんですよね? その前に調べておきたいことがあるんで」
 そそくさ、と言った様子で出ていく柚品に、聖は手を振って見送る。
「貴方は協力して下さらないんですか?」
 柚品が食べ終わった後の空になった篭を自分の分に重ねていた聖に、黙って傍らに佇み二人を見守っていた神山が声を掛けた。
「あんまり、こういう事に関わるなって言われてるもんで」
「名乗るな、と言われた方にですか?」
「うん」
「じゃあ、一つだけ聞かせていただけますか……貴方はこの件をどう見るのでしょう?」
 問われて、聖は片付けに動かしていた手を止める。
「私見でいいの? 何の根拠もないけど……要するに勘ってヤツで」
「ええ」
 飽くまでも穏やかな神山の視線を、こちらは些か険を帯びた視線を返して聖は言う。
「……多分、ただの人の仕業じゃないと、思うよ」
 吐息のような言葉に神山は満足げに微笑んで、肯いた。


「お忙しい所をわざわざ済みません……」
 待ち合わせの場に現れたのは、中肉中背の、これと言って特徴の無い、言ってしまえば冴えない印象の男だった。名を小出と言い、相当参っているのか目の下には隈が出来、窶れた様を隠すでもない。己の外見を顧みている余裕もないのだろう。
 それなりに席が埋った喫茶店の一番奥。他の客席とは観葉植物を隔てて少し暗い席に陣取り、アトラスに協力を申し出た四人は現在小出に名を告げる程度の簡単な自己紹介を終えた所である。
「こちらの方々は、碇編集長に信用を置かれた人達だから、安心して任せていいよ」
 恐縮して小さくなっている小出に、聖がいつものようにのほほんとした笑顔で言った。
「はい……お願いします」
 見ている方が心配になる程の弱々しさで、小出が頭を下げた。
「では、早速お話を伺わせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」
「はい。私で判る事でしたら……」
 神山の柔らかな物腰に安堵したのか、小出の弱い表情に、少し力が籠った。
「まず、萱島氏についてもう少し詳しくお伺いしたいのですが」
「はい……ええと」
「萱島さんはどういった方なのか、どのような作風の物を書いていたのか、彼の死因は何だったのか……まずはそんな辺りで」
 何を言えばと迷う様子の小出を先回りして、神山はさらりと指標を示した。
「萱島さんは……静かな人でした。無口ってだけじゃなくて、なんというかとても静かな空気を持っていて。でも表に出さない所に強いものを抱えているような、独特で周囲に埋もれたりしない……そんな存在感がある人でした。それでいて、一度口を開けば驚く程博識で、深い思考の持ち主で。彼と会い、一度でも話した人は彼に惹かれずにはいられなかったんじゃないでしょうか。まだ若い方だったんですけどね。僕より少しだけ上じゃなかったかな。僕が30だから……そうそう、35歳くらいだったと」
「意外に若いわね」
 小さく呟いたのは藤井だ。周囲に強い影響を与えた作家、と言われてすぐに連想する年令は、少なくとも今言われた年令よりも十は上だ。
「ああ、それは彼を知らない人からよく言われますね。著作も老熟した技術が窺えるものでしたから」
「一度だけ著書を拝読した事があるのですが、ジャンルはいつもホラーなんですか?」
 読書を趣味とする藤井は以前一度、萱島の小説を読んだ事があった。作風がそれ程好みではなかった為に手にとったのは一冊だけだったが、確かに印象に残る話だったのを思い出す。彼女の質問に、小出は軽く首を左右に振った。
「ジャンルは幅広かったですね。推理小説を書かれる事もありましたし、恋愛物もあったじゃないかな。ウチではホラーを主にお願いしてましたけど。でも、どのジャンルでも共通する点は、テーマがとても重いと言う事でしょうか」
 小出は運ばれて来たコーヒーカップを包み込むように両手を添えた。
「人間心理の底の底を覗くような……人の心の深淵を描くのが得意な方でした」
 言って小出は俯いた。
「深い物語を綴る方でした。文体に彼特有の強い癖があって……それだけに読者を選ぶ所はありましたけれど、でも、もっとずっと長く沢山書き続けて欲しい人でしたね。どうしてああいう才能のある人がこんなに早く亡くなられなくちゃいけないんでしょうか」
 問うでもなく続く言葉に、返されるものはない。沈黙の落ちた場に気付いたか、小出は慌てて顔を上げた。
「……あ、済みません。ええと、萱島さんが亡くなられたのは心臓麻痺だったと聞いてます。元々心臓があまり強くなかったらしくて。一人暮しをされていたので、どんな状況で発作を起こされたのかは判らないんですが、彼が亡くなっているのを見付けた知人が病院に通報したそうです」
「その知人の方とは?」
 柚品の問いに、小出は首を捻った。
「誰だったかな……僕も人伝に聞いたので」
 誰だったっけ、と繰り返す小出を神山が柔らかく制した。
「彼と懇意にしていた方は作家の方だけですか?」
「いえ、ウチの他にも彼によく依頼をしていた雑誌の編集長が彼と親しくしていましたね。確か一度お会いした時に名刺を……」
 呟き乍ら小出はカードホルダを取り出すと、その中から一枚を卓上に置いた。
「これはお借りしても?」
 神山が言うのに小出は頷いた。
「私の知らない事を知っているかも知れません。もし話を聞かれるのでしたら連絡を入れておきますよ」
「お願いします」
「小出さん」
「あ、はい」
 卓上のコーヒーカップに思案に暮れる緑色の瞳を据えていた藤井が、小出へと視線を上げた。
「メールが何処から送られて来たのか確認はされましたか? 萱島さんのメールアドレスはプロバイダのものだから、IDとパスワードを知らないと使えないでしょう?」
「それなんですが……一応詳しい方に見てもらって調べてみたら彼の自宅から送られているんじゃないかって事になって。自宅は保存されてますから、行って確認しようと思ったんですけど……」
 そこまで言って小出は幽かに身を震わせた。
「萱島さんの家に、何か?」
「……何と言えばいいのか……近寄れなくて……行けなかったんです」
 言い表す言葉が見つからないといった様子の小出に、一同は先を急がせずに、続きを待つ。
「萱島さんの自宅は……一丁目にあるんですが、その……町内に入ったところからもう、変な感じがして……怖くてそれ以上進めなくて。だから結局家までは行けませんでした」
「恐い?」
「……理由を聞かれると困るんですが、とにかく足が竦んでしまって……情けない限りなんですが」
「そう……ですか」
 藤井は腕を組んで呟くと、窓外を見る。道行く人々の顔は生気に満ちて、今この場にある話題とは窓一枚を隔てて遠い世界であるように思われた。


「皆さん、これからどうしますか?」
 神山の言葉に全員が軽く沈黙する。萱島について聞き出せた事から次の行動を思案しているのだ。
「俺は一度萱島さんの家を見たいですね……家がそのまま残されていると言う事ですから、何か見つけられるかもしれませんし」
 まず口を開いたのは柚品だ。
「私も、行くわ。小出さんの話だと……不確定ではあるけど、やっぱりメールは氏の家から送られているみたいだし」
 足下に視線を落すようにして言うのは藤井。小出の話によれば原稿の送付元は萱島の家らしい事が判った…となれば、やはり萱島の知人の仕業であると考えるのが自然だろう。しかも萱島の知人が作家が多いと言うのであれば、尚更その線は濃い。
「……俺も行こう」
 最後に呟くように言ったのは雨宮だ。先までは一言も話さず、沈黙を保っていただけに三人の視線が雨宮に集中する。
「恐い」
「え?」
 隣に立った柚品が雨宮の小さな呟きを拾って、聞き返した。
「萱島の家の付近が恐いと……言っていただろう」
「ええ」
「それが気になる」
 小出の言葉から何を察したのか、雨宮は深く考え込む風だ。柚品はその様子にわずか眉を寄せた。
「やっぱり、気になりますか」
「……ああ。聖から話を聞く所によると、小出はそれほど強い霊感の持ち主ではないと言う事だった。それが近付けない程の恐怖を感じたと言う事は……」
「余程、何かがある、と言う事ですか」
「まだ現時点では断定出来ないが」
「じゃあ、お三方は萱島氏の御自宅へ向かわれるのですね」
 まとめるように神山が言う。
「あんたはどうするの?」
「私は氏を知ると言う編集長さんにお会いしてもう少し話を伺ってみます。それから私もそちらに合流しましょう」


 神山が野村と名乗る男と待ち合わせたのは、男が勤める雑誌社のあるビルの斜向かいにあるデパートの屋上だった。
 神山が屋上に到着し、指定されたフェンス前のベンチを見れば一人の男が座って、こちらに向かってひらひらと手を振っていた。
 デパートによくある屋上の小さな遊戯場では親に連れて来られた子供達が、所狭しと駆け回り、明るい声が満ちている。
「よく私だとお判りになりましたね」
 ベンチまで辿り着き、言った神山に小説雑誌の編集長だと言う男…野村は笑った。
「特徴を小出から聞いていたのさ。それに、こんなトコに他に一人で来る若い男なんざいねえだろ? 従業員ってツラでもねえしな」
 座んな、と顎で促され、神山は従い野村の左隣に腰を落す。
「聞きたいのは萱島の事だったな?」
 無精髭の浮いた顎を摩り乍ら、野村が確かめるのに頷く。
「まずは、彼が亡くなっているのを見付けたのは何方であるのかをお聞きしたいのですが」
「ああ、そりゃ栄だな」
「栄……さん?」
「栄泰司。萱島のヤツが天涯孤独だってのは知ってるな? 両親兄弟親戚一切ねえ。そのヤツの、父親代わりだった男だ。アイツが小説家になったのもヤツが見出したからだし、色々と、な。面倒を見てやってたよ」
「萱島さんは栄さんの事をどう?」
「一見してそうは見えなかったが、慕っていたようだな……ただ」
「ただ?」
 野村の声のトーンが落ちたのを、神山は聞き逃さない。
「ここんとこ、栄は奮わなくてな……落ち目だと囁かれ始めてた。ところが萱島の方は徐々にだが確実に階段を昇ってた。それを、少し気にしている風だったな。何せ、自分に依頼を出して来なくなった雑誌社から、萱島の方に依頼があったりもしたからな」
「それで仲違いを?」
「いや。それでもあの二人の仲は変わらなかったな。腹の底に何があったかは知らんが、少なくとも表面は。ただ、萱島のない所で、時折奴が零しているのを聞いてたやつはいたらしいが」
 野村ははよれよれのシャツの胸ポケットから半分潰れかけた煙草の箱を取り出すと、一本銜えた。
 やるか? と差し出された煙草を、神山は丁寧に辞する。
「それで、栄さんは?」
「……あいつは自殺したよ。萱島が死んでから少しして」
「自殺ですか」
「ああ、萱島の自宅からそう離れてない公園で、包丁で首を切ったらしい」
 とんとん、と手の側面で首筋を示して言う。
「遺書はなかったらしいが。萱島が死んだ事で糸が切れちまったのかねえ……。どの道俺みたいな図太いのには自ら命を絶つような繊細な心理は理解出来んが」
「……他に萱島さんと親しかった方はいらっしゃいますか」
「あー…作家仲間が数人、特にヤツに心酔してたのが3人くらい居たな。どいつも未だひよっこだが、萱島に惚れ込むだけあって、中々に骨のある面白い奴等だ……が」
 語尾にひっかかりを覚えた神山の表情を察したのか、野村は苦笑した。
「三人とも現在行方不明だと」
「行方不明?」
「ああ。萱島と栄が死んだ少し後だったか……まさか死んじゃいねえだろうが。関係者は慌ててるよ」
「そうですか……お忙しい所、ご足労頂きまして有難うございました」
「もういいのか?」
「ええ」
 神山は立ち上がり、野村に軽く頭を下げた。すぐに立ち去ろうとするのを野村が呼び止める。
「萱島の事を知りてえなら、ヤツの本を読みな。特に、アイツが死んじまったから続きは出ねえが『死して病み堕つ創造主』ってタイトルを」
「……判りました」
 もう一度頭を下げて、神山は屋上を後にする。エレベーターに乗り込んだ時には既に、一冊の本が手に収まっていた。
 
 合流する為に向かった町は、その町内に踏み込んだ途端、異質な空気に満ちていた。
「ほう」
 すぐにそれが、瘴気によるものであることを察する。
「急いだ方が良さそうですね」
 歩む足を早めて行けば、左手に小さな公園が見えて来る。そこからただならぬ気配を感じ、神山は躊躇もなく公園へと足を向けた。
 そこでは、共に依頼を請けた少年…雨宮薫が異常な形を得た猫の群れと戦闘を繰り広げて居た。戦闘と言っても雨宮は猫を殺す気はないのか鞘に収まったままの日本刀でいなしているだけに過ぎなかった。これでは中々決着には辿り着けまい。
「長引かせるのは得策ではありませんね」
 呟いてから、神山は小さく唱えた。
 それは日本語ではなく、人の言葉ですらなかった。
 奇妙な歌のような、詞のようなそれは、眠りへと誘う為のもの。
 見えない糸が、狂える獣達を絡め取って行く。奮う爪を捉え、跳躍する足を縛り、見開く瞳を閉じさせる。
 全ての獣を眠りに落す迄に、それ程時間はかからなかった。

「怪我はありませんか」
 神山は悠然と雨宮に歩み寄り、隣に立った。
「お役に立てたようですね」
 猫達は、異形の姿のまま地に臥していた。
「神山……」
「出すぎた真似、でしたでしょうか?」
 微笑とともに柔らかな声音で神山は言った。
「いや」
 雨宮はその中の一匹の元に歩み寄り、腰を落とす。口元に指を持って行けば安らかな息がかかり、生きているのが判った。
「彼等には眠ってもらいました……命を奪うのは容易いですが、この場合は無意味ですからね」
 雨宮の意図を察したか神山が言うのに、雨宮はそうか、と僅かに苦笑を浮かべた。
「何か判ったのか」 
 眠る猫の背を撫でて立ちあがった雨宮が、神山に問う。神山は萱島が親しくしていたというとある雑誌の編集長と会っていたのだ。
「ええ。中々に興味深い事を聞けましたよ。……ああ、御登場の様ですね」
 神山の視線を追って、雨宮は公園の奥の茂みを見た。
 ずずっ、ずずっと地面を何かが這うような音が茂みの奥から聞こえる。その音に、時折枝をかき分け折る音が混じる。
「アレの正体を判っているようだな」
 眉一筋動かさない神山に、同じく表情の変化を感じさせない雨宮が一顧だにせず問う。
「どんなものであるのかは、ご存知でしょう」
 堕ちた魂であることは、と続けられたそれに雨宮は肯いた。
「だがあれは、ただ未練を残して死んだ者とは違う。例えどれだけ強い思念を残したとしても」
「これだけ短期間でここまでの瘴気を生み出す者と化すのは不自然だと?」
 雨宮の言わんとする所を察しての神山の確認に、雨宮は正面に据えていた瞳を神山に向けることで肯定した。
 尋常の鬼気ではない。
「あれは……誰だ」
 挑むような視線は、まるで糾弾するかのような。神山はそれを受けてさえ笑みを崩さない。
「念の為に言わせて頂けば、私は何もしていませんよ」
「……」
 雨宮は一瞬目を瞠って、髪をかきあげた。鋭かった視線が幾分和らぐ。
「そんなつもりで言ったんじゃない……。そう聞こえたなら済まなかった」
 意外な程の素直な謝辞に、神山はくすりと笑う。
「いえ、私こそ意地の悪いことを――、貴方が『看る』事の出来る方と思えたので、つい」
「つい?」
 雨宮の疑問には答えず、神山は笑みをおさめて言う。
「あれは、萱島氏の作家仲間の一人ですよ。名は栄泰司。彼は萱島氏の父親代わりですらあったそうです。彼はここで自殺して亡くなったようですね……ほら、出て来られましたよ」
 神山が視線で雨宮を促す。それに従って前に戻した顔の先に在るものは――
「……これが、人だったもの、か」
 二人の前に姿を現したのは、人であったとは思えないモノだった。一つの人間の身体に…数人分の手と足と顔と。顔には瞳が一つ。潰れたような鼻があり、口は裂け、鋭い牙を生やした口からは涎が垂れている。ハッ、ハッと獣のような息を吐き、その度に瘴気も濃く漏れる。その三つはまるで子供の描いた絵のようにでたらめな配置がなされていた。
 手と足は、一見して何本あるのか判らない、それぞれが勝手に蠢いて、統制が取れているようには見えなかった。そのせいなのか、身体を持ち上げることはせずに、引きずっていたのは。
「哀れな魂の末路です……ですが、貴方の言われる通りこれは何者かが手を貸したが故の歪められたものですね」
 哀れみの色を整った顔に上がらせて神山は栄であったモノを見る。
「そしてこの姿は萱島氏の小説に出てくるモノです」
「萱島の?」
 雨宮は神山の言葉に耳を傾けながらも魅鞘を構え、栄から目を離さない。
「そうです。『それは裡に存在する醜悪なる心を表にしたかのように、いびつで、哀れな存在だった』。病に冒されて余命幾許もなく、それでも尚生に執着し、健康と才能に溢れた若者を嫉妬の為に殺害した作家の末路……作家は、この姿になってまでも生に執着し、人を食らい続け――」
 しうっ、と空を音が走った…神山に向けて。
「神山!」
 油断なく構えていた雨宮ですら、何が飛んだか見えなかったそれを、神山は捉える。
「大丈夫です」
 軽く顔の前に掲げられた掌が受け止めたのは、白く細い杭のようなもの。
「ああ、こんな所まで正確に小説を準えている」
 神山が手を握りしめれば、杭はぱきりと音を立てて崩れた。
「小説の再現か?」
「そうです。異質な空気に閉ざされた町。現れる異形……これは萱島氏の小説『死して病み堕つ創造主』の世界の再現です」
 
 神山と雨宮が見るその前で、突然それは起こった。
 ぐしゃり、と身体が崩れ、腕が二本、繋がった状態で床に落ちた。いびつに歪んだその二本はしばらくその場でうごめきながら形を変えていた。徐々に何かの姿をとり始める。
 出来の悪いクレイアニメを見るかのようだ。
 びしゃり、と多量の体液のようなものを流しつつ、完成を見たのかそれは立ちあがった。
 人の顔に、足と手が生えていた。写真を見た神山には判った。この顔は栄泰司のものだ。幾分造作が崩れているが、特徴がよく出ていた。それは先に雨宮を襲った猫のように口が裂け、鋭い牙を剥き出しにして呵々と笑った。
「これも、小説の中に出て来たシーンと酷似していますね」
 神山の瞳は、未だ哀れみを湛える。だがその口調は淡々としていた。
「このまま最後まで見守りますか」
 放っておけば、同じように分身を生み出して行く。数があれば厄介にもなりかねない。神山はそれを口にはしない。雨宮なら言われずとも察していよう。
 その合間に、異形はまた腕や足を落としていく。連続で落とされた数本はそれぞれに絡みあって、離れて己勝手に蠢いた。そして一度終えた為に骨を呑込みでもしたのか、今度は先ほどより動きが早い。次々に分身を増やして、それぞれがひひ、と、かか、と笑い出す。耳ざわりな甲高い笑い声がそう広さのない公園に満ちて行く。
 一連の光景を雨宮は黙して見ている。それは闇に浮かぶ月が地に在るものを、無言で見下ろす様を思わせる。静かな横顔を隣に立って見る神山もまた、表情は静穏そのものだ。二人をだけ見れば、その前で何が行われているかなど他者には想像もつかぬに違いない。
「本体が何処にあるか判るか?」
 言葉を知らぬかのように黙し続けていた雨宮が、きっぱりとした口調で問いの声を上げた。今まで変化してゆく異形に据えたままだった黒瞳を神山へ向け。その目に宿るのは決意か。迷いの無いまっすぐな視線を神山は緩やかな微笑みで受けた。
「その茂みの奥に一本、血に染まった刃物……包丁が突き立っています。それが力の源になっているようですね」
 神山の瞳には全ての真実が映っている。幾世紀を超えて来た悪魔である神山にとって、この程度は飽く程に目にして来たものだ。そして以前ならば見向きもしなかったであろう。
――哀れと思うも酔狂か。
 消滅させるに易い霊に手を下さずにいるのは、ただ哀れに思うが故だ。こうまで落ちたのでは浄化は望めない…それでも、どうにか出来ぬものか、と道を探す自分に神山は苦笑した。。
 随分と甘くなったものだ、とここの所胸中の口癖になりつつある呟きを、やはり胸の内のみで呟く。
「どうしますか?」
「こうなってしまっては……俺にはもう救えない。それとも」
 雨宮の黒い瞳が、神山の金の瞳を捉える。
「出来るか?」
 救うことが、続く言葉はないままのそれに神山は瞳を閉じ、無言のままに否定を返した。
 ただでさえ自殺した霊は浄化に時間がかかる。それに黒い力を与え、完全に闇に落とした。隅々までインクで黒く染めた白い布が二度と元の白には戻らぬように、完全なる闇に身を浸した者が輪廻の輪に戻ることは出来ない。残された選択はたった一つなのだ。
「ここで終わらせなければ町は元に戻らない。溢れた瘴気に晒され続ければ、人は狂うだけだ」
 雨宮は神山を見上げていた顔を、栄に向けた。
「斬って、終わらせる」
 声に迷いは無い。
「では、私はサポートをさせて頂きましょう」
 神山の手でそれを行うなら一瞬だ。サポートも要らないだろう。だがそれは神山の悪魔としての力をこの少年に見せる事になる。ある程度はいいが、成るべくなら正体を晒すような真似は避けたかった。
それに、この少年の決意を手助けしたかった。ここは人の世界だ。人が自ら選んだものに水を差す気は起きない。本当に甘くなった、と秘かに苦笑を重ねる神山より一歩、雨宮が前に出た。
「あまり苦痛は与えたくない……彼等の動きを妨害してくれるだけでいい」
 ぽつりと言い残して、雨宮が歩き出す。走らぬのは刺激せぬ為か。
 武道を修めた者特有の、隙のない歩みで雨宮が彼等の傍に近づいて行く。既に十を超えた彼等を避けて通りぬけることは難しく、雨宮は片方を開ける為に右よりを選ぶ。
 徐々に両者の間が狭まっていく。彼等は奇声を発しつつ、足と手を器用に使い飛び跳ねている。
 雨宮が彼等の間隙を縫って通り抜けようとした、その時。
 彼等は牙を剥いた――が、動く事はなかった。否、動かないのではなく、動けなかったのだ。
 何かに縛られ、地に縫い付けられたかのように彼等は微動だにしない。口惜しさに歯噛みするように、異常に伸びた歯だけがかちかちと上下に打ち鳴らされている。
 神山の力に依るものだった。念動力で彼等の行動を抑えたのだ。雨宮は神山を振り返る事なく、動けなくなった彼等の間を抜け、奥の茂みにその細い姿を消した。

「そう言えば」
 雨宮が茂みに姿を消して、神山ははたと気付く。
「残りのお二方はどうしているんでしょうか」
 雨宮と三人で萱島宅に向かった筈。雨宮だけがこの公園の異常に気付き、二人を先に行かせ自分だけが残ったのか。
「少々気になりますね」
 神山は口中で小さく詞を発した。直後、ばさりと頭上で翼をはためかせるものが現れた。形状は鴉に似ている、だが瞳の数は多く、鴉よりも一回り大きい。
「二人の様子を報せて下さい」
 その言葉に頷く代わりに一声鳴いて、鳥は空へと昇って行く。神山の使い魔だった。
 この使い魔は、神山にしかその姿を現さない。例え霊感に優れた者であっても、神山が許したものでなければ決して、姿を見る事は出来ないのだ。そして、この魔を中継して神山は望みの映像を得る事出来る。
 暫く待てば果たしてすぐに、映像が送られて来た。柚品と藤井は、栄の魂に搦め取られて操られている、三人の男と対峙していた。
「………」
 手を貸すべきか、と思案している所へ、藤井が何かを見つける様子が見えた。
 吊り上げられていた状態から何とか逃れ、本棚から本を一冊取り出す。それに挟まれているものが見えた。これは、と神山は思わず声に出す。二枚挟まっていた内の一枚には、栄の念が強くまとわりついていた。書かれたのは生前のようだが、何故、と思い…現実に思考を引き戻される。
 雨宮が姿を消した茂みから、人の持つものではない気が現れた。今迄そこになかった筈の。
 神山の再びの唱えに、もう一つ、使い魔が現れた。それは見た目には翼をはためかせるものの、羽ばたきの音は残さずに茂みに消える。
 そして見えるのは雨宮ともう一人の男。
 男はどうやら鬼のようだった。この鬼気を纏うのが人であるはずがなかった。
「この男が、今回の元兇、と言う訳ですね」
 命を絶った栄の霊の、その闇に付け込み力を与えた。堕ちようとしている魂の背を押したのだ。力づくで。
 男はすぐに公園に隣接する家の壁に消え、雨宮は持っていた日本刀を上段に構えた。
 それとほぼ同時刻、萱島の家で藤井が柄に符を巻き付けた霊刀を振り上げるのが見えた。

 二本の刀は、全く時を同じくして、栄の魂を砕いた。

「終わりましたか」
 神山は茂みから姿を現した雨宮に声を掛けた。その姿は幾分疲れているように見えた。
「ああ」
 雨宮は足下に視線を落して答え、ちらりと後方を気にするような仕種をする。
「……見たか?」
「? 場が解体されるのは判りましたが」
 質問の意図が曖昧なのに、神山は訝しむように瞳を細めた。
「行こう。柚品と藤井と合流する」
 素っ気無く言い、踵を返し公園を出て行く雨宮を神山は見送って…呟く。
「鬼……ですか。また、面白いものが」
 緩く、愉悦の笑みを浮かべて、神山は雨宮の後を追った。


 アトラスに戻り報告を…と言う所で、神山の携帯電話がコール音を上げた。事務所からだ。
 事務所に待機させている所員から、新しい仕事が入ったとの報せだった。至急の依頼であるらしい。
「済みません。急ぎの用が入りましたので私はここで失礼させて頂きます」
 申し訳ないですが、と重ねてその場を去ろうとした神山は、ふと自分の手許を見た。
「……これを読まれたことは?」
 雨宮に向けて手を差し出した。手にあるのは萱島の著書――『死して病み堕つ創造主』。
「いや」
「私はもう拝読しましたから、どうぞ。萱島氏が栄氏に向けて遺した言葉です」
 雨宮は何も言わずそれを受け取る。
「栄氏の魂は消滅しましたが、こうして萱島氏が遺した本に……彼の心も宿っているのではないかと、私は思います」
 神山の言葉に、本を凝視していた瞳が上がる。真直ぐに、神山を見た。
「……そうだな」
 呟くような応えと共に、薄らと上がった微笑みに、神山は頷いた。
 
 栄は萱島に対する強い嫉妬と憎しみから、闇に堕ちた。だが、その強い執着は嫉妬と裏腹の感情から生じたものだ。その二つの矛盾する、愚かで哀しい心。
 そして、それを知り栄の魂をその手にかける事を厭いながらも迷わなかった強い心。
 どちらも同じ「人」の持つものだ。
――本当に、人とは。
「愛すべき存在ですね」
 笑みとともに呟かれた言葉は、夕闇に消えた。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【2263 / 神山隼人(カミヤマ・ハヤト) / 男 / 999 / 便利屋】
【1582 / 柚品弧月(ユシナ・コゲツ) / 男 / 22 / 大学生】
【1873 / 藤井百合枝(フジイ・ユリエ) / 女 / 25 / 派遣社員】
【0112 / 雨宮薫(アマミヤ・カオル) / 男 / 18 / 陰陽師(高校生)】

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■         ライター通信          ■
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大変お待たせ致しました。申し訳ございません。
他に言葉が思い浮かばず、ただひたすらにお詫び申し上げるしか出来ません。

修行して出直します……。

■神山隼人様
初めまして、匁内アキラと申します。
初っ端からこのような大遅刻、さぞ呆れていらっしゃることかと存じます。
お叱りのお言葉などございましたら、どうぞテラコンから遠慮なく、びしばしと!
お願い申し上げます。

さて。
設定等拝見させて頂きますと、悪魔でいらっしゃると言う事で、人を超越した存在として少し他の方々とは違う視点で動いて頂きました…如何でしたでしょうか。
少しでも楽しんで頂けたらと切に願いつつ、失礼させて頂きます。