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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


シしてヤみオつソウゾウシュ

病んで 病んで 病んで
落ちる 落ちる 落ちる

老いて 老いて 老いて
朽ちる 朽ちる 朽ちる

それは夢 それは現 それは幻
果ては虚 果ては無

されば行かん いざ行かん いざ

「原稿が届く?」
 既刊の見本誌やら資料やら没になった原稿やらが渦巻く雑多な室――月刊アトラス編集部に、良く通る女の声が響いた。
「死んだ作家から? それ、ホントなの? 聖?!」
 明らかに喜色の帯びたその声の主は当編集部の鬼編集長、碇のものである。
 碇は向いのソファに座して自らが手土産と称して持って来た某有名店、1日限定30個のチーズケーキを頬張っている聖の方へ身を乗り出した。
「ん、らしいよ」
 もぐ、と口を動かしつつ肯いて、聖はまた一口、とろけるような食感のケーキを味わう。
「俺の知り合いの編集サンがさ、担当の作家が死んだ筈なのに原稿が届くって、そりゃもう可哀想なくらいに震えてさ……あれはとても嘘とは思えなかったけど」
 言って、聖は空になった、ケーキが入っていた小さい篭を見下ろした。その視線には未練が在り在りと滲んでいる。碇はすかさず、幾つかあった内の一つを差し出した。
「どーぞ、遠慮無く食べて?」
 持ってきたのは誰か、と問いたくなる言だが、差し出された方もそれを失念したかのように嬉しげにフォークを伸ばした。
「それで?」
 そわそわと先を促す碇をケーキに見入っていた瞳が見上げた。くす、と笑みを漏らす。
「相変わらずだね、碇サン」
「貴方もね、聖」
 互いに視線を交わして笑うと、碇はソファの背に身を預けた。長く形良く伸びた足を軽く組ませ、システム手帳を取り出した。附箋が煩い程に食み出、何が挟まっているのか本来の厚さの二倍にはなろうかと言うその手帳とは、碇がまだ駆け出しの頃からの付き合いである。
 その様子をフォークを銜えたまま見ていた聖は、碇が手帳を構えて視線を自分に据えた所でフォークを置き、居住まいを正すように座り直した。
「その作家……萱島幸次郎サンが亡くなったのは三ヶ月前の月始めなんだけど、その月の終わりの『生きていた場合の締切日』に死後一回目の原稿が届いたそうだよ。メールでね」
「メールで……」
 手帳に書きつけながら、碇が更に先を促す瞳で聖を見る。
「最初は悪質なイタズラかと思ったらしいんだけどね、でも実際に原稿を読んでみたら、とてもじゃないけどイタズラとは思えない程の完成度だったんだって。作風も真似た、じゃ済まされないくらい萱島のものだった……読み終わって怖気が立ったそうだよ」
「アラ、素敵な話じゃない? 何故怖気なんて……、手に入らないはずの原稿が手に入って、しかも話題性まで提供してくれたのに」
 心底不思議だ、と思っている様子の碇に、聖は苦笑した。
「ま、碇さんの言うことも判らないでもないけどね」
 冷めかけた茶で口を湿して、聖は続ける。
「メールアドレスを見たら萱島が生前使っていたものだったから、プロバイダーに問い合わせたら、契約はまだ継続中だったから、自宅に問い合わせの電話を入れたんだって。もしかしたら生前書き上げてあった原稿があったのを、家の人が見付けて送って来たのかも知れないと考えてね」
 碇と聖の周辺には、何時の間にか編集部の人間の殆どが集っていた。慣れた筈の怪奇にもつい耳を傾けてしまう辺り、やはりアトラス編集部と言えようか。
「でも、誰もその電話に出る事はなかった……それでその編集サンは思い出したんだよ」
 ぐい、と周辺が身を乗り出す。
「萱島に家族なんてなかった事をね」
 ごくり、とほぼ同時に全員が息を呑む。けろりとした顔をしているのは数える程も無い。幾多の恐怖を扱って来た彼らと言えども、やはり怖いものは怖いのである。
「親戚とか、家政婦は?」
 流石と言おうか、碇は平然とした面でさらりと問う。
「萱島サンは天涯孤独だったらしいね。彼の死後、作家仲間が葬儀を行ったくらいだから、親戚ってのはまあ、有り得ないと思うよ。家政婦は雇っていなかったみたいだね。ついでに言えば、彼は生前遺言を残していたんだけど、それには自分の死後は家財一式売却し、出来たお金は世話になった出版社に寄付する、とあったらしいよ」
「でも、家は残っているんでしょ?」
「うん。葬儀を行った作家仲間サン達が、せめて数ヶ月はそのままに、と売却を依頼された弁護士に頼み込んだらしいね。萱島サンて人は相当周囲に強い影響を残した人だったみたいで、彼を慕う人達の強い希望と、遺言にあった出版社の協力で、彼を偲ぶって事で1年位保存する事にしたそうだよ」
「……じゃあ、その作家仲間ってのが怪しいのかしら?」
 ペンで頭をかり、と掻いた碇の言葉に、周囲も考え込むように唸る。
「ま、その辺も併せて調べてもらえないか、って話。こういうネタだったら碇さんとこがイイんじゃないかと思って来てみたんだけど、どうかな」
 思案に沈みかける碇の顔を覗き込むように聖が問うのに、碇は寄せた眉を解いた。
「断ると、思う?」
「と、言うことは」
「勿論、請けるわよ。ジャンルが違うとは言え、同業者が頼んでくるって事は相当困ってるんでしょ?」
「うん。夜も眠れないって」
「放っておけるわけないじゃない?」
 にこり、と微笑んだ碇を、周囲は感動の視線で包んだ。困っている同業者を放って置けない――なんと、慈悲のある――
「同業者……つまりライバルに手柄を譲る事になってまでも、依頼せずにはおれないほどの恐怖……それ程のネタを素通りなんてしたらアトラス編集長の名が廃ると言うものだわ!」
 立ち上がって握られた拳に、その場の全員―聖を除く―が崩折れたくなるのを必死に耐えた。一瞬前の感動を返せ、と口に出したくなる己を御しつつ。
「助かるよ、碇サン。じゃあ、明日その編集サンを紹介するから、ここに来てくれるかな?」
 差し出されたメモを碇は握り潰さん勢いで手にし、周囲に陣取る人々を見まわした。
「さ、誰が行ってくれるのかしら?」
 有無を言わせぬ迫力は、やはり碇らしい、と聖は微笑ましく見守りつつケーキを食すのを再開するのだった。

「そのメールは萱島さんのパソコンから送られて来たものなのかしら。メールのソースを見ればホストが分かる筈なんだけれど」
 藤井百合枝は携帯電話を顔と肩の間に挟んで、パソコンの電源をオンにする。
『詳しい事はさっきも言ったけど、メールで送ったから。それに貴方の知りたい情報がなかったら、後は明日直接関係者から聞き出してもらえる? 待ち合わせの日時もメールを見てもらえば判るわ』
 電話の向こうのせわしない様子が漏れ聞こえる音で判る。現在の時刻は既に午後十時を回っていたが、アトラス編集部が眠りにつくのはまだ先であるようだ。
『他にも何人か取材に同行するから、そいつ等と上手くやってもらえる?』
 取材? と藤井は首を傾げる。碇から届いたメールには取材依頼は書かれていない…と思いかけて、碇の性格に思考が至った。持ち込まれた依頼がどんなものであれ、碇にとっては「面白いネタ」であるのだろう。依頼も取材も片付けて、一石二鳥と言った所か。如何にも碇らしい展開に、藤井は自分の推測に確信めいたものを得る。自然と口許に笑みが浮かんだ。
「判ったわ……明日、ね」
「なるべく早く解決してちょうだい。来月に間に合わせたいから」
「はいはい」
 やはり記事にするようだ。自分の読みが当たった事に、藤井は秘かに会心の笑みを深めた。
 碇からのメールを出力して斜読みしつつ、藤井は通話を終えた携帯電話を机上に置く。
 ペンで、気になった部分をチェックして行く。明日編集者と会った際に聞き出したい事をメモ程度に書き込み…ふと顔を上げた。
「……明日? ……あ」
 パソコンの画面で曜日を確認して、藤井は指先で額を抑えた。
「いけない……明日約束があったじゃない」
 知人から貰った旅行土産の菓子を、一人では多いからと持って行く約束をしていたのだ。慌てて再び携帯電話を取り上げた。
 何度目かのコールで相手が出る。
「ごめん! 明日昼から行くって言ってたけど、あれ駄目になったから……うん、そう。いつものなんだけど。夜? どうかな……それまでに終われば」
 ふう、と溜息混じりの吐息で受話器を置いた。危うく無断で約束を破る所だった。
「個人的事情でも、早期解決が必要になったな」
 苦笑を零して、藤井はパソコンの画面を指先で軽く弾いた。


「お忙しい所をわざわざ済みません……」
 待ち合わせの場に現れたのは、中肉中背の、これと言って特徴の無い、言ってしまえば冴えない印象の男だった。名を小出と言い、相当参っているのか目の下には隈が出来、窶れた様を隠すでもない。己の外見を顧みている余裕もないのだろう。
 それなりに席が埋った喫茶店の一番奥。他の客席とは観葉植物を隔てて少し暗い席に陣取り、アトラスに協力を申し出た四人は現在小出に名を告げる程度の簡単な自己紹介を終えた所である。
「こちらの方々は、碇編集長に信用を置かれた人達だから、安心して任せていいよ」
 恐縮して小さくなっている小出に、聖がいつものようにのほほんとした笑顔で言った。
「はい……お願いします」
 見ている方が心配になる程の弱々しさで、小出が頭を下げた。
「では、早速お話を伺わせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」
「はい。私で判る事でしたら……」
 神山の柔らかな物腰に安堵したのか、小出の弱い表情に、少し力が籠った。
「まず、萱島氏についてもう少し詳しくお伺いしたいのですが」
「はい……ええと」
「萱島さんはどういった方なのか、どのような作風の物を書いていたのか、彼の死因は何だったのか……まずはそんな辺りで」
 何を言えばと迷う様子の小出を先回りして、神山はさらりと指標を示した。
「萱島さんは……静かな人でした。無口ってだけじゃなくて、なんというかとても静かな空気を持っていて。でも表に出さない所に強いものを抱えているような、独特で周囲に埋もれたりしない……そんな存在感がある人でした。それでいて、一度口を開けば驚く程博識で、深い思考の持ち主で。彼と会い、一度でも話した人は彼に惹かれずにはいられなかったんじゃないでしょうか。まだ若い方だったんですけどね。僕より少しだけ上じゃなかったかな。僕が30だから……そうそう、35歳くらいだったと」
「意外に若いわね」
 小さく呟いたのは藤井だ。周囲に強い影響を与えた作家、と言われてすぐに連想する年令は、少なくとも今言われた年令よりも十は上だ。
「ああ、それは彼を知らない人からよく言われますね。著作も老熟した技術が窺えるものでしたから」
「一度だけ著書を拝読した事があるのですが、ジャンルはいつもホラーなんですか?」
 読書を趣味とする藤井は以前一度、萱島の小説を読んだ事があった。作風がそれ程好みではなかった為に手にとったのは一冊だけだったが、確かに印象に残る話だったのを思い出す。彼女の質問に、小出は軽く首を左右に振った。
「ジャンルは幅広かったですね。推理小説を書かれる事もありましたし、恋愛物もあったじゃないかな。ウチではホラーを主にお願いしてましたけど。でも、どのジャンルでも共通する点は、テーマがとても重いと言う事でしょうか」
 小出は運ばれて来たコーヒーカップを包み込むように両手を添えた。
「人間心理の底の底を覗くような……人の心の深淵を描くのが得意な方でした」
 言って小出は俯いた。
「深い物語を綴る方でした。文体に彼特有の強い癖があって……それだけに読者を選ぶ所はありましたけれど、でも、もっとずっと長く沢山書き続けて欲しい人でしたね。どうしてああいう才能のある人がこんなに早く亡くなられなくちゃいけないんでしょうか」
 問うでもなく続く言葉に、返されるものはない。沈黙の落ちた場に気付いたか、小出は慌てて顔を上げた。
「……あ、済みません。ええと、萱島さんが亡くなられたのは心臓麻痺だったと聞いてます。元々心臓があまり強くなかったらしくて。一人暮しをされていたので、どんな状況で発作を起こされたのかは判らないんですが、彼が亡くなっているのを見付けた知人が病院に通報したそうです」
「その知人の方とは?」
 柚品の問いに、小出は首を捻った。
「誰だったかな……僕も人伝に聞いたので」
 誰だったっけ、と繰り返す小出を神山が柔らかく制した。
「彼と懇意にしていた方は作家の方だけですか?」
「いえ、ウチの他にも彼によく依頼をしていた雑誌の編集長が彼と親しくしていましたね。確か一度お会いした時に名刺を……」
 呟き乍ら小出はカードホルダを取り出すと、その中から一枚を卓上に置いた。
「これはお借りしても?」
 神山が言うのに小出は頷いた。
「私の知らない事を知っているかも知れません。もし話を聞かれるのでしたら連絡を入れておきますよ」
「お願いします」
「小出さん」
「あ、はい」
 卓上のコーヒーカップに思案に暮れる緑色の瞳を据えていた藤井が、小出へと視線を上げた。
「メールが何処から送られて来たのか確認はされましたか? 萱島さんのメールアドレスはプロバイダのものだから、IDとパスワードを知らないと使えないでしょう?」
「それなんですが……一応詳しい方に見てもらって調べてみたら彼の自宅から送られているんじゃないかって事になって。自宅は保存されてますから、行って確認しようと思ったんですけど……」
 そこまで言って小出は幽かに身を震わせた。
「萱島さんの家に、何か?」
「……何と言えばいいのか……近寄れなくて……行けなかったんです」
 言い表す言葉が見つからないといった様子の小出に、一同は先を急がせずに、続きを待つ。
「萱島さんの自宅は……一丁目にあるんですが、その……町内に入ったところからもう、変な感じがして……怖くてそれ以上進めなくて。だから結局家までは行けませんでした」
「恐い?」
「……理由を聞かれると困るんですが、とにかく足が竦んでしまって……情けない限りなんですが」
「そう……ですか」
 藤井は腕を組んで呟くと、窓外を見る。道行く人々の顔は生気に満ちて、今この場にある話題とは窓一枚を隔てて遠い世界であるように思われた。


「皆さん、これからどうしますか?」
 神山の言葉に全員が軽く沈黙する。萱島について聞き出せた事から次の行動を思案しているのだ。
「俺は一度萱島さんの家を見たいですね……家がそのまま残されていると言う事ですから、何か見つけられるかもしれませんし」
 まず口を開いたのは柚品だ。
「私も、行くわ。小出さんの話だと……不確定ではあるけど、やっぱりメールは氏の家から送られているみたいだし」
 足下に視線を落すようにして言うのは藤井。小出の話によれば原稿の送付元は萱島の家らしい事が判った…となれば、やはり萱島の知人の仕業であると考えるのが自然だろう。しかも萱島の知人が作家が多いと言うのであれば、尚更その線は濃い。
「……俺も行こう」
 最後に呟くように言ったのは雨宮だ。先までは一言も話さず、沈黙を保っていただけに三人の視線が雨宮に集中する。
「恐い」
「え?」
 隣に立った柚品が雨宮の小さな呟きを拾って、聞き返した。
「萱島の家の付近が恐いと……言っていただろう」
「ええ」
「それが気になる」
 小出の言葉から何を察したのか、雨宮は深く考え込む風だ。柚品はその様子にわずか眉を寄せた。
「やっぱり、気になりますか」
「……ああ。聖から話を聞く所によると、小出はそれほど強い霊感の持ち主ではないと言う事だった。それが近付けない程の恐怖を感じたと言う事は……」
「余程、何かがある、と言う事ですか」
「まだ現時点では断定出来ないが」
「じゃあ、お三方は萱島氏の御自宅へ向かわれるのですね」
 まとめるように神山が言う。
「あんたはどうするの?」
「私は氏を知ると言う編集長さんにお会いしてもう少し話を伺ってみます。それから私もそちらに合流しましょう」


「……これ、は」
「凄い……ですね」
 神山を除く三人は、小出から教わった萱島の自宅へ向かうべく、家のある町へ足を踏み入れていた。
そして、小出の言葉の意味を知る。境界線でもあるかのように、その町内の空気は違っていた。一歩、ただ一歩踏み入れただけで、まるで世界が一変してしまったかのような。
「前回を少し思い出してしまいますね」
 辺りを警戒しながらも、いつもと同じ調子で言うのは柚品だ。前回――聖がもたらした依頼を解決すべく向かった依頼人の家では、怨霊となった霊が生み出す瘴気が凝り、一種結界の様なものを形成し特殊な「場」と化していた。その時に見た光景を柚品は脳裏に描く。何処か似ている気がした。
「前回?」
 藤井が問うのに柚品は苦笑した。
「以前にもこんな状態を見た事があったんです」
 言いつつ、柚品は雨宮を見る。少年の、鋭い視線とかち合った。雨宮が幽かに頷く。どうやら雨宮も柚品と同じように考えたようだ。
「……藤井、俺と柚品から離れるな……ここは、危険だ」
 雨宮が低く言う。
「……判ったわ」
 藤井は、柚品や雨宮ほどこの場について解しているわけではなかった。だが身体は確かに異質な空気を感じていた。手にした布に包まれた細長いものを、中身を確かめるように強く抱いた。包まれるのは短剣…聖なる力を帯びた刀だ。藤井はいざと言うときに己を守れる程の強い力は持たない――運動神経には多少自信があるが、術者のような異質なるもの達に特化した攻撃力は持たないのである。手にした短剣だけが拠り所だ。
 小出のように恐怖は感じていなかったが、危険の二文字にはやはり緊張が走る。
 藤井の緊張を感じたか、雨宮が藤井のすぐ隣に立った。
「これを持っていろ」
「……これは?」
 細長い和紙に、書きつけられた特殊な文字を、藤井は凝視した。物の本で見たことがある…記憶が正しければ、これは符だ。陰陽師や道教を修めた者が使用する――
「いざとなれば時間稼ぎくらいにはなる。危険だと判断したら、俺や柚品の事は構わずに離脱するんだ……いいな」
 藤井は頷いて符を受け取った。 


「この公園……は」
 町内に入り、暫く歩いた所に小さな公園があった。雨宮がその前で足を止める。
「どうしたんですか、雨宮さん」
「先に行っててくれ。俺はここを少し見てみる」
 雨宮の視線は鋭く、何が見えるのか公園へと向けられて動かない。
「すぐに合流する……油断するなよ」
 二人を見ぬままの言葉に、柚品は頷いた。
「大丈夫ですよ。ここまで現象があからさまだと嫌でも油断なんて出来ませんから」
 柚品の軽口に、雨宮も僅か口の端を上げた。


「特に変わった様子はないわね」
 預かった鍵で萱島邸に入った藤井と柚品は、一通り家を見て周り、後は書斎を残すだけだ。
「そうですね……もしかして歓迎されるかとも思いましたけど、あっさり入れましたしね」
「歓迎?」
「いえ、こちらの話です」
 何かしら、霊の力が関与していたとすれば霊瘴による出迎えがあっても不思議ではない…柚品はそう考え、今回ははじめから篭手「神聖銀手甲」を装備してきた。通常であれば武術の腕はそこそこである柚品は、この篭手を身に付けることによって、霊等に攻撃が可能となり、かつ無手古流の武術を自在に扱えるようになる。
「明るい歓迎なら、嬉しいけど」
 苦笑混じりの藤井の台詞に、柚品も笑う。
「それにしても拍子抜けだな……もっと何かあると思ってた。あの子――雨宮くんだっけ? は危険だって言っていたし、小出さんも恐いって言ってたから。てっきり……」
 これには柚品も同意するしかない。先に同じ事を考えていたのだから。
「何も無いならないで、悪い事じゃないけど」
 藤井は軽く伸びをして、今迄見ていた居間を振り返った。強い残留思念のようなものがあれば、見る事が出来るかも知れないと思い注意深く辺りを観察したが、特別気になるような事は無かった。
 藤井は、人の心を炎として捉える事が出来る。揺らめくそれは感情や身体の状態で色や形状が変化する。強い感情が残れば、その感情の炎の痕跡を藤井は追う事が出来る…だが、ここに残された痕跡は殆どなかった。家の外の方が、余程異質に感じたくらいだ。
 だが、と藤井は思う。何処かちぐはぐな印象があった。もし、原稿が本当に萱島のものであれば、死んで尚、物語を綴る程の執着が彼にあると言う事である。それだけの執着があれば、この家にそれが視えないのはおかしい気がするのだ。
 続編を手掛けたのが、生前か死後か、まだ確認出来てはいないのだが。
だが、藤井には直感があった。続編は、死後生み出されたものだ。そう強く感じたのは、小出からプリントアウトされた原稿を手渡された瞬間だ。薄くだが、炎が視えた。それは濁って、昏かった。
 送った者は生者――萱島の知人かも知れない。だが、書いたのは確かに萱島だ。
「後は書斎ですね……この奥かな。……藤井さん?」
 柚品の訝し気に呼ぶ声に、藤井は我に帰る。
「何かありました?」
「え? ああ……特に何も。書斎に行くよ」
 手をひらひらと振って、柚品の先に立ち、書斎へと向かう。柚品はそれ以上何も言わなかった。

 書斎は廊下の突き当たりにあった。
「ここでラスト。何か判るといいけど」
 藤井が扉のノブに手をかける。
 柚品はそれまで廊下の壁にかけられた写真を見るともなく見ていたが、藤井が扉に手を触れさせた瞬間。
「………!」
 思わず、振り向いていた。
 見た扉は、黒ずんでいた。シミのようなそれが、全体を覆い、見ているだけで悪寒が這い上がった。体温が一気に降下する感覚。
「この部屋……、ですよね、やっぱり」
 柚品の躊躇いのような声に、藤井はノブに手をかけたまま振り返った。
「どうかした?」
「いえ……一寸」
 一瞬見えた黒ずんだ染みはもう見えない。だが、確かに背筋を這った感触は今も背を撫でるように残っている。確かにこの部屋には何かがある。触れてすらおらぬのに、ここまでの悪寒。
「藤井さん、ここは俺が開けますよ」
 穏やかに…いつもの様子で柚品はさりげなく藤井の横に立った。
「……何か、あるわけ?」
 探るような声音に、柚品は肩をすくめてみせた。普段と変わらぬ気楽さを装ってみせる。
「いえ、なんとなく……この部屋に何かあるなら、まずは扉に何かしら記憶が残っていないかと思っただけです。もしそうなら、誰か他の人が触れる前の方が探りやすいんですよ……俺の特技、サイコメトリなんで」
 これは、嘘だ。ドアを開ける程度の接触で強く残された「記憶」が乱れることはない。だが、こうでも言わねば…危険があるかもなどと言えば、この女性は自分で開けると言いかねないような気がしたのだ。
「手柄を横取りしようなんて思ってませんから」
 おどけた身振りの柚品の微笑を藤井は苦笑で受ける。
「そんな事は思わないけど」
 たかが扉を開けるくらい、と藤井は横に退く。その位置に柚品は移動して、ノブに手をかけた…途端。
 ばしん、と音が弾けた。
「つっ」
 柚品が勢いよくノブから手を外した。まるで拒絶されたかのようだった。
「大丈夫?!」
「特大の静電気を食らった気分ですね」
「私の時は平気だったのに……?」
 藤井は素早く柚品の手をとった。掌が僅かに赤くなっている。
「大丈夫です。一寸弾かれただけですから。多分、俺の力と反発を起こしたのかと。相性が悪いのかも知れませんね。でも、今のは攻撃ではないから」
 大丈夫、と繰り返して柚品は笑ってみせる。それには気負いはない。
「なら、良いけど……気を付けて」
 僅かに柳眉をひそめて、藤井が気遣うのに、素直に肯いた柚品は再びドアノブに手をかけた。今度は反発はなく、あっさりと扉は開いた。
「さて鬼が出ますか、蛇が出ますか」
 本日の夕飯の献立は何かと呟くような気軽さの台詞に、藤井が眉を顰める。
「出来ればどちらも遠慮したいわね」
 苦虫を潰したような顔で藤井が言うのへ、笑みを向けて柚品は室内に足を踏み入れた。

 書斎は、本棚の壁に覆われていた。
 それ以外には机とその上にパソコンが一台。他には殆ど何もない。
「………」
 柚品は無言で、棚に並ぶ本の中から一冊を手に取った。植物の図鑑だ。片手に重厚な感触を落すそれをぱらぱらと捲って閉じる。
 本を元通りに戻し、周囲へと視線を巡らせた。
 視線の高さにある本の背表紙を、無作為に指先で辿って行く。様々なジャンルの本があった。エッセイ、ノンフィクション、資料として使用していたであろう本。
「どう? 何か感じる?」
 尋ねながら藤井はパソコンの前に立った。電源を入れる。
「いえ、まだ特には」
「そう……」
 パソコンが起動し、デスクトップが現れる。並ぶアイコンの中に、それを見付けた。
「……あ」
 フォルダアイコンの名は『死して病み堕つ創造主』。
「小説のタイトルと同じ……これか」
 フォルダを開くとテキストファイルが幾つかあり、それぞれの名前は数字になっていた。一番新しい作成日のファイル名は「8」。開いて読んだ。
「……同じ、ね」
 小出から見せられた最新の原稿と同じ内容だった。続けてメーラーを立ち上げた。送信済みのフォルダを見る。
 添付ファイル付きのメールは数本。添付ファイルはどれも原稿だ。
「どうですか?」
 柚品が後方から覗き込むのを背で感じつつ、藤井は添付ファイルを開いて確認する。
「やっぱりここから送信されてる。メールが全部残ってるわね」
「じゃあ、後は誰が送っているのか確認しないといけませんね。一寸いいですか?」
 柚品は藤井と入れ替わりに、パソコンの前に立つと、キーボードに手を触れさせた。視界がゆらぐ。
 ぼやけて、目前の景色がくるりと回転した。次に現れたのはやはりパソコンの画面だった。

 ただただ、書き続けられる、打ち込み続けられる文字の羅列。
 永遠の時間がそこにはあるように思われた。変わる事のない時。ただ文字を打ち続ける。
 そこに解放はなかった。雑念も赦されなかった。
 
書かねばならない。終わらせてはならない。続けなければ。止めてはならない。

 何かの声が脳裏を支配する。拘束される。強い呪縛に思考が痺れて行く。

「何?!」
 藤井の鋭い声に、柚品は我に返った。逆を言えば、その声が無ければ引き込まれていた。思考を奪われて、どうなっていたかも判らない――それ程の強い、念。咄嗟に後方を見れば、藤井が立ち尽くしていた。扉の前に三人の男が並んで立っていた。
「あんた達……萱島さんの知人ね」
 藤井は身構えて、数歩後退る。
「藤井……さん?」
 柚品は、まだ感覚が残っているのか鈍い舌を無理矢理動かして名を呼び掛けた。
「気を付けて……何かに操られてる」
 低く言って、藤井は三人を睨み据えた。藤井は霊感はさほどではない。だが、人の心の中を見る事が出来る彼女には判った。この三人には今、自分の意志はない。一つの事に占められている。自らの意志ではないものに。
 三人の中の一人…年の頃は20代後半と言った所か…青年が、前に進み出る。目の前に立っていた藤井は思わず横に避けた。それを気にした様子も無く真直ぐに柚品に向かう。柚品も無言で脇へ避けた。
青年はそれにも注意を払わず椅子に座る。キーボードに手を置いて止まった。
 柚品はそれを見守って…ふと顔を上げた。扉へと視線を向けると、そこに新しい人物が立っていた。
「萱島さん……?」
 柚品の声に藤井も扉へと向く。
 小出から萱島の写真は預かっていた。確かに写真と同じ顔だった。
 だが、萱島だけは生身を持たない…身体は既に埋葬されている。だがその存在感はまるで生きているかのような。背景が透けて見えるのでなければ…雑踏に紛れていれば霊と気付かぬ者もあったろう。
 萱島はゆっくりとした動きで先にパソコンの前に座った青年に近付いて行く。
「……藤井さん、他に何か判りますか」
 柚品が萱島から目を離さぬまま問う。
「萱島さんの霊体から外で感じるような気は感じられません。貴方から見てどうですか?」
「私も……。彼の中はとても静か。静かで……」
 ――青い。
 萱島が残す炎の軌跡は静かな青い色をしていた。不安定に揺れるでも、激しく燃え上がるでもない。静謐ですらある。
「彼等を操るのは、萱島氏じゃない?」
 萱島もやはり二人には目もくれず、青年に近付きそのまま青年の身体に重なる。そして、キーボードに置かれたまま動かずにいた手が…指が、マウスを掴む。
 テキストエディタを立ち上げ、最初に9と数字を打ち、続けて文字を綴って行く――物語の続きを。
「この三人は、操られているだけですよね」
 柚品の声に青年を凝視していた藤井が顔を上げる。
「そうだけど……それが?」
「何に操られているかは未だ判りませんが、この状態は危険です。きっとこの人達は操られた上にこうしてかわるがわる萱島さんの霊に憑依されて小説を書いている……放っておいたら衰弱して行きます」
 そしてその先に待つのは……死しかない。
「ヤバいじゃない。何とかしないと」
 藤井は思考を巡らせる。彼等を操る人間を捜して、止めさせるのが一番だろうが、その相手の手懸りすら掴んでいない。
「何か……ないの!」
 吐き出すように言い、周囲の本棚へ視線を走らせた。何か、残していないか。萱島は、関係する何者かは。
「取り敢えず、萱島さんを引き剥がしてみましょうか」
 焦る藤井の前で、柚品の調子は変わらない。
「そんな事出来るの?」
「多分……それ程深く憑依はしていないようなので、なんとかなるかと」
 言って、構えをとる。深く心の底に根付いてしまえば落すのは難しいかも知れないが、重なっている程度の軽いものならば、気の応用で弾き出せる。
 柚品は細く息を吸う。呼吸を整えて行く。
 フッ、と短く息を吐き出すと同時、掌を青年の背に充てた。びくん、と大きく青年の身体が震える。直後、首ががくんと落ち、横倒れになるのを、柚品が受け止めた。意識を完全に失った身体を持ち上げ、椅子の背にもたれかけさせる。
 弾き出された萱島は、と見れば呆とした顔で机の脇の本棚の前で立ち尽くしていた。再び青年の身体に入ろうと近付く様子は無い。
「成功したようですね」
「一寸……何を!? 離しなさい!」
 安堵の息を吐き出そうとしたその時、後方に上がった声に柚品は即座に身を翻した。
「く……ッ」
 藤井は、残りの青年の内の一人に、高く吊り上げられていた。
「藤井さん!」
 柚品が駆け寄ろうとするのを最後の一人が阻んだ。
「退かないと怪我をしますよ」
 無駄だと知りつつも、警告を発する。だが、やはり相手は反応を示さない。
「仕方がないですね」
 俊速の動きで拳を繰り出した…それが止められる。手一本で止められたそれを、柚品は信じられない思いで見る。篭手を付けた柚品は、古流武術の使い手である。それが繰り出した突きを、どう見ても身体を鍛えているようには見えない、線の細い男がいとも容易く止めるか。
 だが戸惑いに時間はかけなかった。すぐに手を引き、男と本棚の僅かな隙間を回り込む。横から首へ手刀を入れる、がこれも相手は受け止める。こちらを目で捉えているようには見えない。
 まるで機械の人形であるかのように、腕だけが上がって柚品の手を阻んだのだ。
 そして次の瞬間、柚品は後方の本棚に叩き付けられていた。
「!」
 衝撃に一瞬息が止まるも、すぐに体勢を整えた。次が来る。
 勘で避けた所に、拳が飛んで来る。右耳を拳が通る音だけが通り過ぎた…早く、重いのが音で判った。
「無茶を、させますね」
 鍛えていない身体で、本来の身体能力以上の事をすれば、いずれ支障をきたす。早く決着を付けねば、男の身がもたない。
 柚品は構えを解いた。

「……こ、の」
 藤井は胸ぐらを掴まれて吊り上げられたまま、身もがいていた。吊り上げただけで、それ以上は何もして来ないのはまだ助かるが、この状態が良いわけでは決して無い。この先、本棚だの、床だのに叩き付けられないと言う保障はないのだ。
 幸い、咄嗟に握り込んだ聖なる力を帯びた霊刀は手に持ったまま落してはいない。だが、これを抜いて相手を傷付けるわけには行かない。彼等は操られているだけなのだ。
――どうする。
 藤井はともすれば焦りに走る己を宥め、男を見下ろした。相変わらず相手は操られた状態のまま、本人は何も考えていない。操る者の思考を探れないかと見るが、出来なかった。幽かに何かが見え隠れしているようだが、薄い紗幕がかかったかのようで、はっきりと形になっていなかった。
 更に良く見ると薄ら…炎が見えた。男にまとわりつくように小さく揺らめくそれは。
「……原稿の炎と同じ?」
 黒く、昏い炎が、燻るようにちらちらと見える。その、気配がすぐ横からも感じる事に気付き、藤井は無理に首を回した。同じ気配を辿ろうとするが、何処から感じるのか元が見えない。辺りにうろうろと視線を彷徨わせていると、指先が見えた。
「萱島氏……」
 萱島が、一冊の本を指差していた。
 指先には「死して病み堕つ創造主」の1巻があった。それにも炎がまとわりついていた。
藤井は、その背表紙を凝視した。今迄見た炎の中で、一番その気配が強い。
あれだ、と直感が命ずる。同時に藤井は雨宮から受け取った符の存在を思い出す。受け取ってすぐに霊刀に巻き付けておいた。それを、布袋から取り出した。両手で頭上に掲げ持った。
「……これくらいは、我慢しなッ」
 少々行儀の悪い台詞と共に、男の額に霊刀を振り下ろした。

 視界の端で藤井が男の腕から解放されるのを確認して、柚品は瞳に安堵の色を浮かべた。
 後は、こちらを片付けるだけだ。
 構えを解き、殺気のない柚品に、目の前の青年は戸惑うように動きを止めた。
 柚品は更に気配を抑えた。相手はどうやら気配で柚品の動きを掴んでいるようだ。なれば、動作、気、それらの気配を押さえれば、こちらの動きを読まれる確率は格段に下がる。
 そのまま、音も無く男に近付く。男の反応は鈍い。こちらに視線を向けるものの、それ以上の動きはなかった。
 あと一歩で、柚品の得意の間合い、と言った所で、目の前の男が急に横を向いた。その先には藤井。藤井は本棚から一冊の本を取り出そうとしていた。男の形相が変わる。憤怒のそれに変わった、と柚品が視認した時には既に男の身体は動いていた。
「行かせない……!」
 柚品は身を落して足を伸ばし、男の足に引っ掛けた。男はそれに反応しきれずに、転げる。すぐに背面に、気を纏わせた拳を打ち込んだ。男は声も無く、意識を失った。

「……それは?」
 意識を失った三人を念の為と萱島宅で見付けた荷物用の紐で拘束し終わった柚品が、藤井の手にする紙片に気を留めた。
「手紙」
 短く答を述べて、藤井はそれを柚品に差し出す。
 柚品は差し出されたそれを見下ろした。一度藤井を見、また手紙に視線を戻す。軽く深呼吸をしてから、受け取った。

書けない。もう、書けない。
何故、あの男は、あんなにも。

書きたい。書きたい。書きたい。

私が持たないものを、あの男は全て。
才能も、人格も、全て統べてすべて持ち乍ら。

――何故、死んだ?
何故、こんなにも、早く。何故こんなにも急に。

赦さない。……赦さない。

まだ何も終わってはいない。終わっちゃいない。
……終わらせない

オワラセナイ……!

 手紙を手にした柚品がまず受け取ったのは声だった。ただひたすらの闇に谺する、声。血を吐くような。それは、萱島のものではなかった。萱島の声は知らないが、違う事は判る。声の持つ、魂の色がまるで違っていた。
これは、萱島に向けられたものだ。
 そう思って、紙面に綴られた文字を読んだ。

「筆を折ろうと思う。もう、書けなくなった」

 それだけが斜に上がった特徴のある文字で書かれていた。文字の下には細い穴がある。
 柚品が視線で問うと、藤井は霊刀を上げてみせる。巻き付けていた符は役目を終えたのか焼け落ちた。
 再び手紙に集中した。

次に視界に広がるのは木々だった。鬱蒼と茂る草を踏み締めて歩いている。木々に抱かれた闇が段々と濃くなる。まるで手招いているかのようなそれに、自然と笑みが溢れた。
 光が届かず、殆ど闇しかない叢の中、手にした包丁が黒く冷たい。それを、首に充てた。ひやりとした感触が、心地良い……
 強く刃を押し充て、引いた。

 手紙の持つ記憶はそこまでだった。
「この手紙を書かれた方は自殺されたようですね」
 途切れた映像がまだ瞼の裏に残る。柚品は瞳を閉じて瞼を揉む。
「恐らく……雨宮さんが気にしていらした公園で」
「じゃあ……」
 藤井が心配げに顔を曇らすのに、柚品は微笑んで首を振った。
「雨宮さんなら大丈夫ですよ。詳しい事は合流すれば判るでしょう」
「ここはもう、平気かしら」
 藤井が書斎の中をぐるりと見回した。もうあの黒い炎は見当たらない。萱島も、何時の間にか消えていた。
「多分……先程、紐を捜すついでに一寸外へ出てみたんですが、初めてこの界隈に足を踏み入れた時のような気配は消えていました。終わったんだと思います」
「そう……その手紙の日付け」
 唐突な話題の変換に、柚品は藤井の顔を見る。
「小説を書き始めた日の少し前なんだけど」
「はい」
 藤井が何を言いたいのか判らぬままに、柚品は耳を傾ける。
「この話、ある老作家の話でね。病に冒されて死を間近にしても、生きる事に凄く執着して、若く健康で才能のある作家に嫉妬し、果てには殺してしまう……」
「………」
「それでも満足出来なくて、次々と人々を襲い、果てには町一つが彼の手に落ちる。彼が気付けば町には誰もおらず、彼は異形になり果てている。彼は途方に暮れるんだけれど、最後に気付く……何だと思う?」
「さあ……俺は作家じゃないですし」
 肩を竦める柚品に、藤井は幽かに笑って続けた。
「ここまで来てしまっても、書きたいと思っている自分に、気付く……これ推測でしかないんだけど……萱島さんは、その手紙の主に向けてのメッセージをこの話にこめたんじゃないかしら」
「メッセージ、ですか」
「その手紙と一緒に本に挟まっていたものがあったわ」
 藤井はそれを柚品の手に落した。やはり便せんのようだ。柚品は開いたそこに書かれた文字を読む。

 書いて下さい

 本文と名のみ記されただけの、手紙だった。
 名は、萱島と。
「手紙を渡す代わりに、この話を書いたんじゃないかな」
 飽くまでも勝手な憶測ね、と言い添えて藤井は目を閉じた。
 柚品が紐を捜し、三人を拘束する間藤井はパソコンの画面に綴られた文字を追っていた。それは最後の章だった。

「老人は、涙を流した。嫉妬を前に、死への恐怖を前に、たかだかそんなものを前にしただけで、どうして見失ったか。自分がただの作家であることを。作家でしかないことを。
 何故、ひたすらに書き続けていなかったのかと――」

 相手の思いを知り、手紙ではなく敢えて物語を綴った萱島を藤井は思う。
 萱島に物語の続きを強制したのは手紙の主であったろうが、萱島もまた、書き上げたいと願っていた。それは自分の為でなく、相手に伝える為に。
 もう、相手もこの世のものではなくなっていて、全ては遅く…それでも伝えたかったのではないか。
藤井から見れば、萱島は生きて操られていた三人のような虚ろさは萱島には感じられなかった。
自分の意志の炎が、見えていた。
手紙が挟まれたこの本を指差した萱島の表情を思い出して、藤井はそれが真実に遠くないであろうと感じていた。

「ごめん! 遅くなったけど、これから向かうから」
 藤井は携帯に向かって謝りつつ、道を急ぐ。右手には土産の菓子がある。
「今回も色々聞いて欲しい事があるんだ。待ってて」
 自分と同じ体験を決してし得ないであろう相手…それが羨ましくも愛しい彼女に差し出す土産は菓子だけではない。
今夜はこの土産で盛り上がるだろう……なくてもいつも盛り上がるのだが。
 係わった哀しい物語の末路を、彼女に話し、一晩明かす。
 せめてもこれが自分の彼等に対する手向けだと、藤井は星を瞬かせる夜空を見上げて思った。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【2263 / 神山隼人(カミヤマ・ハヤト) / 男 / 999 / 便利屋】
【1582 / 柚品弧月(ユシナ・コゲツ) / 男 / 22 / 大学生】
【1873 / 藤井百合枝(フジイ・ユリエ) / 女 / 25 / 派遣社員】
【0112 / 雨宮薫(アマミヤ・カオル) / 男 / 18 / 陰陽師(高校生)】

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■         ライター通信          ■
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大変お待たせ致しました。申し訳ございません。
他に言葉が思い浮かばず、ただひたすらにお詫び申し上げるしか出来ません。

修行して出直します……。

■藤井百合枝様
大変大変、お待たせしまして…。
初めて依頼を請けて頂きましたのに、申し訳なく。
そして実は初めての女性PC様でしたので、嬉しくて力が入り過ぎてしまいました……。
口調が「ぶっきらぼう」とありましたが、プレイングがPC口調でしたので、そちらを主に参考にさせて頂きました。
イメージが違っておりましたら、テラコンから容赦なくお叱りのお言葉を頂けたらと思います。

この度は当依頼に御参加頂きまして誠に有難うございました。