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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


Happy Valentine's Day?

 水城司は、いわゆる個人事業主。
 両手に余るほども抱えている様々な一級の資格を駆使して、どんな難しい仕事も、そつ無くこなす。
 設計士の協会等には属しているが、そこで依頼を回してもらうような真似は、必要ない。クライアントは、彼一人では手が足りないほどに、多数いた。中でも、厳選して、気に入った仕事だけを請け負ってはいるが、クオリティが高ければ、宣伝などしなくとも客層は自然広がって行くものである。
 金は、必然的に、溜まっていった。
 自宅マンションを複数個所有しても、それが、水城の財政を圧迫することは無い。

「なにやってんのよ。私は……」

 2月14日。高級マンションを振り仰ぐ位置に、村上涼の姿があった。
 妹と住んでいるとは別の、このマンションに、今日、水城司はいるとのこと。事前にわざわざ妹に電話確認したのだから、間違いない。
 涼は、いつも蛸足配線悪魔に敗北を喫してはいるが、妹の前でだけは、互角に渡り合うことが可能である。少しでも自分の得意な土俵で勝負をするつもりだったのに、水城司は、あるいはそれすらも見越して、独り行動の最中だという。
 不利だわ、と、涼は唸る。
 二人っきりになって、はにかみつつ、微笑みつつ、可愛らしくチョコレートを捧げるなどという行為が、意地っ張りな彼女に出来るはずもない。
 せっかく買った高価なトリュフを鞄の奥に仕舞い込み、不審者さながら、涼は司のマンション前を右往左往していた。
 道行く人や、郵便配達のおじさんや、暇な主婦が、あれは何だと訝しげに首を捻りつつ、怪しげな大学生を遠巻きに見つめる。
 胸に抱き締めている鞄の底に眠っているチョコレートが、このままでは、熱で溶けてしまうのではないかと、ふと、涼は不安になった。箱が傷んでいるかも知れないし、リボンが曲がっている恐れもある。時々、鞄を開けては、ちらちらと、大切な贈り物の様子を盗み見ていた。
 大丈夫。
 ほっと息をつく。
 そしてまた、高層マンションを見上げる。
 入る勇気は…………無い。
 
「なにやってんのよ。私は……」
「確かに、あからさまに不審者だな」

 揶揄するような声が背後に聞こえ、涼は文字通り飛び上がった。
 大慌てで振り向くと、そこには水城司が立っている!
「な、なんでここにっ!」
 なんでも何も、ここは、司のマンション前の路上である。部屋主がいるのは、ごくごく自然な話だろう。
「来いよ。珈琲くらいなら出せるから」
 しどろもどろな涼の様子など意に介さず、司はさっさと建物へと足を踏み込む。涼の肩を抱いて、彼女が逃げられないように脱出口を塞ぐのも、忘れない。いつもながらの憎まれ口を叩く余裕もなく、涼はかなり強引に彼の領内へと引き入れられた。
 そう。部屋の中は、水城司の聖域。ここでは、彼こそが主導権を握るのだ。涼がどれほど頑張ったところで、所詮は、主にはかなわない。
「なんか、嫌な予感が……」
 この部屋に入ったのは、これで何度目か。不安要素を打ち消すために、努めて涼は別のことを考える。
 初めは、客をもてなす意思の全く無かった殺風景な室内に、確実に、彼女のためだけのものが、増えていた。
 マグカップも、その一つ。
 恋人のために、宿敵が用意した。
「今日はどうしたんだ? 村上嬢の方から出向くなんて、珍しいじゃないか」
 司が、珈琲を差し出す。
 宿敵は嫌いだが、おいしい珈琲に罪は無いのだからと、涼が黙ってそれを受け取る。下手な喫茶店で出されるものより、ここの珈琲の方がずっと美味しいということを、涼は、これまでの経験で知っていた。どちらかと言えば、司は濃い目の珈琲を好むが、涼のために煎れるときだけ、味を微妙に調節するのだ。
 そこまで司に気を使わせるのは、世界広しと言えども、涼しかいない。重要なクライアントが相手でも、彼自らが手を煩わせることは、ほとんどなかった。
「ひ、暇だから、来てやったのよ」
 我ながら、お粗末な台詞だと、涼は思う。
 バレンタインデーの当日に、宿敵兼恋人の部屋の前にいて、暇だから、と主張したところで、説得力は無きに等しい。
「暇だから……ね」
「な、何よ」
「いや。光栄だと思ってね。暇なときに俺の元に足を運ぶということは、少なくとも、俺は、君にとっては退屈な男ではないというわけだ」
「キミがどうやったら退屈な男になるってのよ!」
「そう思うなら、明らかに認識不足だな。俺は、君が思っているほど奇抜な言動はしないし、相手を振り回す悪癖もないよ」
「何よそれ! もしかして私に喧嘩売ってる!? 買うわよいいわよ来なさいよ!! 存分に受けて立つわよ!!!」
「ああ、そうだな。俺としては、存分に受けて立って欲しいな。何しろ、村上嬢は、俺と二人きりになると、逃げることばかり考えるから」
 意地悪く、司が笑う。
 駄目だ、と、涼の肌が、ぞくりと粟立った。
 また、水城司のペースに呑まれかけている。
「その手には乗らないから!」
 涼はソファから立ち上がった。帰る!と鼻息荒く突っ走る。ドアの前に辿り着く前に、あっさりと捕獲された。背後から、容赦の無い力で抱きすくめられた。
 涼は決して小柄ではないが、水城が長身なので、足がほとんど浮いた状態になっていた。その姿勢でジタバタしても効果はないし、むしろ相手を喜ばせるだけだろう。
「こーらぁーっ!! 離しなさいよ、このタラシっ!!」
 鞄が、涼の手から滑り落ちる。道の真ん中で、何度も蓋を開け閉めしていたのが、災いした。中身が一気に飛び出した。見るからに一級品の、外国メーカーのチョコレートが、本やら小物やらに混じって、二人の足下に落ちた。
「俺の?」
 とは、司は聞かない。
 涼がわざわざ誰か一人のために買ってくれるとしたら、それは、自分を置いて他にはないと、確信している。
 自惚れではない。司自身がそうなのだ。何かをしてやりたいと思う赤の他人の女は、彼にとっても、一人しかいないのだ。
「うまい」
 チョコレートを、口の中に放り込む。
 ありがとうと礼を言うと、キミのじゃないとか、私が食べるのよとか、この期に及んで、涼が悪足掻きを始めた。
「だ、誰もキミにあげるなんて言ってないわよっ!!」
「カードに宿敵へと書いてあるが」
「そ、そ、それは…………その。そうよ宿敵! 宿敵なのよあげようと思ったのは!! キミじゃないわよ間違っても!! 私のチョコ返せー!!!」
「なるほど……。俺以外にも宿敵がいるとは知らなかったな」
「自慢じゃないけど、この村上涼、宿敵ならいっぱいいるわよ!!」
「じゃあ、俺は?」
「へ?」
「俺は、村上嬢にとって、何になるんだ?」
「な、何って……」
「恋人?」
「だ、誰が! 誰が恋人よこの勘違い男!! キミが恋人のわけないでしょ!! キミはただの天敵よ!! 蛸足悪魔よ!!!」
「天敵ねぇ……」
 傷ついた様子も見せず、なるほどと司が頷く。
 涼の意地っ張りな返答など、彼はとっくの昔にお見通しだった。唇の端に、在るか無きかの微笑を乗せて、涼を強引に引き寄せる。
 ソファの上に、逃げられないように、固定した。痛い、と涼は悲鳴を上げたが、手を弛めたら、彼女は翼を得た鳳のごとく飛び立ってしまうに違いないから、あえて聞かぬふりをする。

「認識不足だな。村上嬢」

 宿敵でもいい。
 天敵でもいい。
 どんな肩書きが付いて回ろうが、自分こそが涼にとっての一番と、自負がある。
 だけど、こんな日くらい、少しばかり素直になってくれても良いだろう。たまには言動に注意しないと、大変なことになるという事実を思い知らせてやるのも、あるいは手か。
「俺が、君にとっての何なのか、一晩かけて、たっぷり説明してやった方が良さそうだな」
 一晩かけて。
 そこに言外に含まれる意味に気付かぬほど、村上涼は、お子様でも鈍感でもない。
 飛んで火にいる夏の虫、と、自らの置かれた状況を、瞬時に悟った。
「帰る! 帰るったら帰る!!」
「今更遅い」
「遅くない! まだバスも走ってる! 地下鉄も止まってない! 全然遅くないってば!! 離しなさいよ馬鹿ぁぁぁ!!!」
「遅いさ。ここに来た時点で、どうなるかは、決まっていたようなものだったんだからな」
「いーやーぁぁ!!!」
 不運なのか。
 幸せなのか。
 ともかくも、力の限り叫び続ける彼女の声を呑み込んで、夜は、容赦なく更けて行く……。
 
 



 翌朝。
「二度と! バレンタインの日にキミの家になんか行かないわよ!!」
「そいつは大変だ。毎年2月14日には、何とか村上嬢を捕獲できるように、俺も知恵を回さないと」
「そんなことに虚しい力使うんじゃないわよ!!」
「いつでも全力でかからないと、こちらが負けそうになるからな」
「負けなさいよ!! たまには!! 振り回されているこっちの身にもなんなさいよ!!」
「お互い様だな。その言葉」
 まったくもって、その通り。
 毎年、毎年、こんなやりとりが、懲りもせずに繰り返されることになろうとは……。
 
 え? ただのバカップル?
 それは言わないお約束。