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<東京怪談ノベル(シングル)>


螺旋



 目覚まし時計の音に、今日ばかりは救われたと思った。
 毛布の中から細長いひょろりとした腕が伸びて、ぱたぱたと枕元を叩いて探っている。それが目覚まし時計の縁を掴んだ時に、けたたましいベルの音は漸く止んだ。
 しばらくは弛緩したように脱力のままだったが、やがて毛布の塊がのそのそと身を立てて顔を出す。
 芹沢青【セリザワ・アオ】。齢十六にして都内に一人暮らしを敢行する高校生、である。
「・‥…――…」
 深く長い溜め息をつく。久方ぶりに、学校へ行こうと思っていた。
 が、何だかその出鼻をくじかれたような気がして、青は親指でこめかみを掻きながら再びベッドに倒れ込む。

 どうして、両親や親戚が自分のことを蔑ろにするのか判らなかった。
 食事は当然のように他の家族とは別室で摂っていたし、夜は早々に寝室へと追い遣られた。それでも、比べるものが無かった幼少のころはそれで普通だと彼は信じていたが、学校に通うことになった6歳の頃には少しずつ――自分の家族が少し他とは違っていることに気付くようになっていた。
 厳密に言うと、自分に対しての態度だけが――おかしいのだ。母親は自分と目を合わせてくれる事は稀だったし、父親は青が寝室に篭ってしまったくらいの時間に合わせて帰宅しているようにも思えた。そんな予感は青の中にじわじわと滲み込み、ある日を境に確信へと至るようになる。

 1番最初の、非道く濃密でどす黒い絶望の記憶。
 深くうな垂れる青の視線の先で、小さくくたびれた子供の背中。それを自分がやったのだと――級友に家庭環境を馬鹿にされ、かっとなった後の記憶が青には無い――自分が級友を、『普通では有りえない何がしかの能力』によって殺してしまったのだと、青が気付くまでには些かの時間がかかった。
 ただ。
 自分の心臓が、それまでに体験したことが無いほどの力強さで鼓動を刻んでいたことだけを、はっきりと覚えている。
 そして、それからだった――青が、聞こえる筈も無い声をその耳に聞くようになったのは。

 青が殺めた級友のことは、事故として処理されることになった。
 その場に居合わせたのが青と亡くなった級友のみであったことと、どう考えても小さな少年のみで成せる殺人ではないと検分されたためである。
 何も知らない、判らないとただ泣きじゃくる青を周囲は哀れんだ目で見たし、警察も青の言動を疑わなかった。級友を目の前で失ったかわいそうな子。そんな健気を世間が取り巻く中で、
―――ただ青の両親と親戚のみが、身体を強ばらせ、息を呑んでいたのであった。

『やぁめて…‥・おかぁさん、やめてぇ――』
 夜な夜な、青の耳に届く子供の声。
『どぅしてなの――どうしてボクにひどい事、するの…‥・』
 不思議と恐いなどとは思わなかった。楡の木を中心に、そんな幼い啜り泣くような声が庭に響いている。
 最初はその、気配のようなものしか感じ取れなかった「たましい」たちが、日に日に青への呼び掛けを強くしていったのも、級友の死があった頃からだった。
『青、だ』
『青…‥・だね・・・』
『早く』
『早く、キミもおいで、よ』
 そんな声を聞くと、ただ青は哀しかった。
 自分と同じ青い髪を持つ子供たちの、声。気配。仕草や姿が、ただただ青を哀しい気持ちにさせ、そっと視線を伏せさせた。
 おそらく、彼らと同じ運命を辿ることはないと――幼い青は、無意識のうちに心に決めていたからなのかもしれなかった。

 その子供たちが、自分の隠された先祖たちであったと青が知ったのは、いつごろのことだったろうか。
 一族にまつわる、忌まわしい言い伝え。
 鬼の呪い――それが一族に青い髪の子供を生まれさせていること。
 生まれた青髪の子供たちはすべからく、病死や事故死を装って殺され続けてきたのだ…一族の、たいていは母親の手によって。
 そして、何より――彼につけられた『青』という名前こそが、ただ青髪の子供に付けられる符号めいた呼び名に過ぎないのだと言うこと。
 生まれた瞬間から、いつか来る「処分」の忌まわしい予言として与えられた名に過ぎないこと。

 ただ、愛されたかった。
 そう願う事は罪だったのだろうか。
 青は思う、いつかは家族が自分の存在を受け容れてくれる日が来るだろうと。
 いつかは自分に笑いかけてくれる日が来る、「青」と呼ぶその声音に幾許かの、爪の先ほどの愛情でもが込められる日が来る――そう信じて、青は努めて「おとなしい子」「良くできる子」を装った。
 
 が、そんなささやかな希望に耐え忍ぶ日々は、あまりにあっけない一瞬で終わった。
 高校への進学が決まった日の夜、青は自分の身体を圧迫する強い力に魘されて目を醒ました。
 その時、自分を見下ろしていた母親の目を――彼は一生忘れる事ができないだろう。
 母親は、青の両肩を強く上から押さえ込んでいた。父親が青の上に馬乗りになり、両手できつく首を締めつけている。暗闇の中、ただ2人と自分の荒い息遣いだけが聞こえていた。

 その時、自分がどんな風に2人から逃げ延び、今の今まで生きおおせて来たのか―――青には、やはり鮮明に思い返す事ができないでいる。
 自分はあの日、実は死んでしまったのかもしれないとすら、時折思うことがある。
 自分はあの日、あの蒲団の上で両親に殺められ、今もただその時間を螺旋のように回り続けてはこの世界にこびりついているだけの脆弱な魂であると、青は悪夢に魘された朝は決まって遣る瀬のない気持ちになるのだ。

 自分は今、生きている。
 あの家から、あの言い伝えから逃れ切り、自分のためだけの生を生きている。
 そんな風に自分へ言い聞かせる事が、今の青には未だ必要であったのだ。