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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


St.Valentine[Chapter04]

[DAYTIME]
 よもやこのような小童に、我が覇道を断たれるとは‥‥‥。
 天を衝く白亜のビルのその頂に、二つの影があった。
「見事だ、守崎啓斗。その顔、この眼で見る事となるとは思わなかった」
 フルネームを呼ばれて。黒衣の少年はその衣服を床に投げ捨てる。
「バレているなら、もはや必要の無い覆衣」
 そして、露になった胴より伸びる柄に手をかけ‥‥‥抜き払う。
「東京を灰燼に帰そうという愚かしい計画は、もはや叶う事は無い。7つの鍵全ては
この手にて破壊した。自慢の七天使もこの世にはいない。もう‥‥‥打つ手は無いだ
ろう。大人しく縛につけ」
 直刃の忍者刀を正眼に構えつつ、感情を帯びぬ声でそう、投げかける。
「ふん、小童。何も判ってはおらぬようだな。七天使など我が操り人形に過ぎぬただ
の小娘達だったのだよ。役立たずのゴミ、片付けてくれてせいせいしたわ」
 そう言って、哄笑する男。
 その笑い声の中で、啓斗の表情はどんどんと厳しい物となっていく。
「‥‥‥父と慕い、自らの為に死んでいった者に掛ける言葉がそれかっ! よもや縛
につく資格すら‥‥‥貴様には無い。死んで娘達に詫びるがいいっ!!」
「ふはははっ、戯言をっ!!」 
 咆哮っ!
 衝撃波が身体の自由を奪い、次の瞬間鉛の槌で全身を打たれたかのような衝撃を受
けて壁に叩きつけられる。
「ぐっ‥‥‥う‥‥‥」
「大言壮語を吐く割には、か弱いな」
 右手に紅蓮の炎を纏わせて、口元を歪めて笑う。
 そして。
 啓斗の頭をその炎を纏う手で掴む。
「ぐっぐああああああああああああっっ!!!」
「ふははははははははっ。愚かな小童よ。このまま脳髄まで焼き尽くしてくれるっ!」
「うわああああああああああああああ‥‥‥‥‥‥」
 醜い笑い浮かべていた男の顔に驚愕の色に染まり。
「ぐぅ‥‥‥な‥‥‥な‥‥‥なんだ、と!」
 紅蓮の炎が発する光に映し出された自らの影。その影の中から伸びた腕の先に握られ
た忍者刀。
 貫いた白刃が開く傷口より溢れ出る、真紅。
 男が啓斗の頭と思い持っていたのはスチールのゴミ箱で、表面が焼けて黒い煤をあげ
ていた。
「空蝉‥‥‥影遁か‥‥‥」
「結局。その人を見下す己の傲慢が命取りとなったな‥‥‥さあ、逝け。自らが踏み台
にした娘達に冥土で詫びるんだ」
 腎臓を貫いた刃は、そこにある動脈を突き破り大量の出血をさせていた。
 出血性ショックが現れたのか、男の身体はフラフラと揺らいでその顔面は蒼白となっ
ていく。
 だが。
 その真紅の血流は、啓斗の心の傷を引掻き出すには相応しい量となっていた。
 何時の間にか、影遁を解いて。
 薄黄色の胃液を床にぶちまけていた。
「ふっ‥‥‥はは‥‥‥。俺をここまで追い詰めたというのに‥‥‥なんとも情けない
男だ。だが、もう助かる命でもあるまい。貴様をその道中の道連れにしてやるわっ!」
 自ら傷口を両手で広げて内臓を引き出すと、それを握り潰して床に血文字を書きつけ
た。
「アァアアアァアグレヴィイィイイイイィィグフレヰァトラキィネバァルドフガルゥゥ
グラミダニネラブィデビィィィイイルガァアアァアバドォォォオ‥‥‥ン‥‥‥」
 訳の判らぬ呪文のような物を一息で言いきると、そのまま絶命する男。
 そしてその骸が地面に伏した、瞬間。
 ビル全体が小刻みに揺れ始め、床が不意に白熱して。
「ま、まずいっ!?」
 終りの音を奏でる床や壁1面にヒビが走り、その一つ一つから黒い炎が噴出したかと思
うと、その炎は男を瞬時に焼き尽くし、一気に燃え上がる!
 ‥‥‥そして、爆裂!!
 炎の中心が爆発的に燃焼し、炸裂したその威力に啓斗の身体は硬質ガラスで作られて
いる窓を突き破って、宵の明星輝く朱の空へ‥‥‥。
 あ。
 これ‥‥‥。
 ‥‥‥死ぬ‥‥‥な。
 殆ど飛んだ意識の中で、チャクラすら練れぬ自分の今を想い、啓斗は自らの死を覚悟
する。
 
『ふざけないで下さい!』

 声。
 そして、頬を打たれたかのような衝撃。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥の、術! 

 燃え盛るビルの上部。まるで、松明が如く炎を吹き上げて。
 騒然とする下界は夜の闇が迫り、混沌とする大地を覆い隠していた。

[AT BY NIGHT]
 何かしら。
 夕暮れ時の薄闇の中、突然生じた胸騒ぎに心を揺らす篠宮夜宵。
 手に持っていた鞄をぎゅっと握り締める。
「何か‥‥‥胸が‥‥‥‥‥‥」
 締め付けられる様にぎゅっと痛む。
 同時に浮かんだ、啓斗がさよならと言って何処かに行こうする幻。
「っっ、ふざけないでください!」
 一喝して、その頬をぶん殴ったところで、幻は消えて去った。
「‥‥‥‥‥‥なんだったのかしら」
 焦燥感を胸に抱きつつも、取りあえず買い物に出たのであるからそれを買いに急ぐ夜宵。
 そうして、買い物を済まして帰る時には、既に辺りは銀砂をこぼしたような覆われてい
た。
 二月だと言うのに夜の空気はぴんと張詰めて、空にある星はいつもより多く見える。
「寒い‥‥‥帰ったら、紅茶でも飲みましょうか‥‥‥」
 闇が辺りを支配しているからと言って、夜宵にはもっとも身近にあるそれが恐怖の対象
になる訳も無く。
 だが、寒いのは別な訳で、いそいそと帰途を急ぐ夜宵。
 そんな彼女が細い裏路地の交差する小道に通りかかった時だった。
 何かが足首を掴む!
 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥変質者!! それとも‥‥‥‥‥‥敵!?
 闇より更に深い闇を白魚が如き手に纏わせて、足元のそれに放とうとする!
「え‥‥‥ええっ!?」
 魔法的な阻害がない限り、夜の闇の中など昼間同然に見通すことの出来る夜宵は、この手
が誰の物か、視線を向けた途端に判別出来ていた。
 そう。
 啓斗だ。
「どうして‥‥‥こんな‥‥‥‥‥‥」
 ひざまづいて、脈を取りつつ呼吸を確かめる。
「良かった、生きてます‥‥‥ね」
 全身の力が抜けて行くような気持ちになるが、実際危険な状況に見える。
「まったく。どうしてこの方は‥‥‥一人で行っちゃうんでしょうねっ!!」
 ぎゅううっと、二の腕をつねると更に顔を歪める啓斗。
「‥‥‥しょうがない人」
 ふうわりと頬に手を当てて撫で上げると、そのまま額にその手を当てる。

「古来より闇にあるその時は。体を癒し、休め、そして再生を促す刻のさざなみ。願わく
ば、我とある者に癒しの闇を。眠りたる稚児に安らぎの手を‥‥‥」

 頭のほうからすっぽりと闇が啓斗を覆って、大きな繭玉のような物を成していた。
 すう‥‥‥っと手を上げると、啓斗の体を包んでいる闇の繭玉も一緒に浮かび上がる。
「窓からのほうが良いでしょうね。建物の中など通ったら、カメラに映ってしまいますもの」
 自分の部屋の窓を見上げて空中に何やらサインを書くと、ふわふわと窓に向かって飛ん
でいく。
「さあ、私も急ぎましょう」
 小走りに部屋に向かう夜宵。網膜認証システムと指紋認証システム、同時潜りぬけを防
止するセンサーを組み合わせた最新式のセキュリティのキーの掛った玄関を潜りぬけ、暗
証式の内ドアの前に立つ。
「お父様も心配性ですわ‥‥‥急いでいる時は少々イライラしてしまいます」
 慌てた様子で、部屋番号と部屋固有番号のキーを押して中に入った。
 そして、面倒くさいとばかりに設置されているエレベーターではなく階段を走って駆け
上がる夜宵。
「あの繭玉‥‥‥物質透過、できればこんな苦労はいりませ、んのにね」
 ふうふう息を吐きながら、ようやく最上階の自分の部屋の前へとたどり着いた。
 鞄の中からカード式のキーを取り出してスリットを通し、グリーンランプがつくと共にキー
の開く音がする。見た目は軽そうなドアだがトカレフ弾でも貫けない複合式合板ドアだ。
「さて‥‥‥」
 窓にこつんこつんとぶつかっている繭玉を見て苦笑する夜宵。
「間に合いませんでしたね。まあ、仕方ありません‥‥‥か」
 一つ大きく深呼吸して呼吸を整えると、窓を開けてそれを回収する。
 そしてそれをベットに誘うと、柔らかな羽布団をそっとかけた。
「暫くじっとしていてくだされば、これでも治せるのですけれど‥‥‥」
そうはいかないですわよね、と言おうとした瞬間、繭が黒い糸を解くかのようにしてその姿
を光の中に消していく。
 そして、その中にいる啓斗は‥‥‥気絶から醒めていた。
「やっぱり、篠宮か‥‥‥」
 その口調は有難う、と言うにはややぶっきらぼうに過ぎる態度で。
「あら? 御礼の一つぐらいあってもよろしいんじゃないですか?」
「‥‥‥‥‥‥」
 溜息をついて、再び指先に力を集める夜宵。
「まあ、良いでしょう。それではもう暫くじっとなさっていてください。骨はなんとか癒着
したようですが‥‥‥」
 と、表面だけ治っている傷に手を当てて癒しの闇で覆おうとする夜宵に、なんと啓斗は寝
返りうってその手を払いのけたではないか。
「何時もの事だ‥‥‥もう少し寝ていれば治るさ」
「何をおっしゃってるの? 放っておかれると壊死して重篤な事態になってしまいますわよ?」
 やや強い口調でそう言うが、啓斗はそれでも背を向けたまま夜宵の顔をみようとはしない。
「‥‥‥‥‥‥心配無い。大丈夫だ」
「大丈夫じゃないから言っているんです!」
 今度はやや怒気を孕んだ声でそう言うが、啓斗は微動だにしなかった。
「こんな傷はしょっちゅう受けている」
 ‥‥‥。
 ぷちっ。
 ‥‥‥。
 癒しの闇は強力な眠りの闇と化して。
 一気に啓斗の意識は朦朧として、目に映るものがぼやけて霞む。
「良い子だから、大人しくなさい」
「‥‥‥‥‥‥るさ‥‥‥い」
 消灯した?
 いや。
 そう言う類の暗さではない。


 ‥‥‥余計な‥‥‥こ‥‥‥とを。

 そんな、啓斗の手に蘇る感覚。それは人を手に掛けた時の、刀の重さ。血潮の赤さ。そして、
失われていく暖かさ。


「嫌だ‥‥‥もうこんな‥‥‥人殺しなんかしたくない‥‥‥」
 そして、その目にうつるは全てが終るその時の絶望の表情。耳に届くは‥‥‥絶叫。


『守崎‥‥‥守崎啓斗!』
 自分を呼ぶ声に反射的に振り向くと、そこには先程激闘を繰り広げた男が立っているでは
ないか。
『よくも‥‥‥貴様‥‥‥よくもっっ!!』
 全身が火傷で覆われ、肉が削げ落ち、骨が露出して。もとは内臓があったと思われる腹腔
は無残に穴が開いていた。
『痛い‥‥‥苦しい‥‥‥守崎ぃぃいいぃっ!』
「‥‥‥」
 目に映る映像自体がハレーションを起こし、意識はそれを見ることを拒絶する。
 だが、それでも映像は終わらない!
『貴様さえいなければ‥‥‥貴様さえ‥‥‥‥‥‥おのれぇぇぇぇっ』
 体液を滴らせながら、ゆっくりと近づいてくる。
 振りかぶって投げつけた苦無が、肉を切り裂いて突き刺さる‥‥‥が、全く効いた様子を
見せない。
「火遁! 炎華繚嵐!!」
『ぐぎゃああああああああっ!』
 苦し紛れに放つは、残るチャクラで練り出せる中では最強の術であった。
 だが、殆どの肉が焼け落ちた、煤で黒く焼け焦げた骨がずるりずるりと歩み寄ってくる。
(守崎‥‥‥守崎‥‥‥‥‥‥もりさき‥‥‥もり‥‥‥もりさきぃぃいいっっ!!)


「うわああああああああああっ!!」
 寝入りばな、悪夢を見ることは誰にでもあることだ。
 これは脳がまだ緊張している事、過去の視覚的情報の蓄積によるもので、特に悪い変化と
言うものでは無い。この夢がもし、亡霊によるものであるのならば、目の前にいる夜宵に見
咎められずに啓斗を攻撃するなどと言うことはそうそう出来るものではない。
「もう少し‥‥‥人を頼るって事覚えて下さってもいいのに。ん‥‥‥まあ、いいでしょう。
いつかは判ってくださるでしょうし」
 既に深い眠りについた啓斗の服を脱がせると、まだうっすらと出血している所に癒しの闇
を当てて、その傷の回復をはかる。
「本当に、しょうがないひと。人がこんなに心配しておりますのに」
 背中の傷を癒そうと、その身体を抱き上げて起こす。
 叩き避けられた時に出来たのか、大きな裂傷と組織の潰れた痛々しい傷口が、ようやく薄
皮をかぶって血が止まっている、そんな背中だ。
 だが、夜宵は目を背けることも無くその傷口にも癒しの闇をかぶせて、治癒をはじめる。
 そして、身体中の傷口に闇をかぶせ終えると、夜宵は啓斗をゆっくりとベットに寝かせる
と、自らも腰を掛けて、啓斗の顔をじいっと見つめ、溜息をつく。
「人だから殺さないのは偽善にしか過ぎないわ。私たちは今まで戦ってきた相手を場合によっ
ては殺す気で挑んだじゃない‥‥‥このお馬鹿さん。私達も命を掛けて戦った末の結果に、何
を後悔する事があると言うの?」
 見据えた先の男はすやすやと安らかな寝息を立てて熟睡している。
 いつも小難しい顔をされてますが、こうしてみると可愛らしい顔をなさってらっしゃいます
わよね。いつもこうなら。
 いえ、それもつまりませんわね。
「でも、今日は‥‥‥なんか私も疲れました‥‥‥わ」
 交錯する二人の影。
 そして、静かに二つの寝息が柔らかな旋律がゆっくりとした時に響いていた。

[IT WAKES UP]
 雀が朝の高らかに歌う頃。
 柔らかな暖かさと、優しい香りに包まれて夢現をただよう啓斗。
 耳に響いてくる、包丁が規則正しくまな板を叩く音。
 啓斗も料理をするので、この包丁の音は葱を小口切りにしているものだろうと大体の見当を
つける。
 
 ぐうううううう。

 腹が食べ物を要求して大きく鳴いた。
 ‥‥‥なんだって!?
 がばっと跳ね起きて、自分の体を見ると‥‥‥なんと、パンツを残して裸ではないか。
 しかも、寝ているのは恐らくは夜宵のベッドな訳で。
 重症のあまり、昨日のことなどさっぱり覚えていない啓斗は、ビルから飛ばされた自分が
何故夜宵の部屋でパンツ一枚で寝ているのかさっぱり見当もつかなかったのである。
「一体‥‥‥どうして‥‥‥‥‥‥!?」
 枕もとにおいてあったシャツとズボンはボロボロながらも、きちんと洗濯された上で繕わ
れている。
 身体はと言うと、殆ど痛みを感じない。
 否。
 全快と言って良いほどの治りようで、肩など回してみるが快調この上ない。
 だが、そんな調子の良さとは裏腹に啓斗はさえない表情で空を仰いだ。
「また‥‥‥手間掛けさせてしまったな」
「そんな事気にする程の事ではないでしょう。さあ、片付きませんので早く服を着て、お食
べになってください」
 何時の間にかドアのところに立っていたエプロン姿の夜宵。
「あ‥‥‥ああ」
 はたから見たら、色々と美味しいシチュエーションなのであろうが、朴念仁の啓斗はそん
な事を思余地すら無しに、言われるままに服を着て食卓まで歩いていった。
 と。
「篠宮‥‥‥これ全部作ったのか?」
「何を当たり前な事をおっしゃってるんですか? こんな時間からスーパーもやってません
でしょう」
 取りあえず席についた啓斗は、箸を持って取りあえず御椀の蓋を取って味噌汁を飲んでみる。
「‥‥‥昆布に鰹の1番だし‥‥‥乾ししいたけ粉‥‥‥」
「誰もだしの分析しろだなんて言っておりません」
 随分と濃厚なだしなので、かえって味噌の味付けは薄くなっている。
 無論のこと、化学調味料は入っていない。
 具は豆腐に若芽、吸口に九条葱。そう変わった味噌汁ではないのだがしみじみと美味い。
「この味噌‥‥‥」
「お気づきになって? 自家製ですわ。米味噌は私が作りましたのよ」
 米味噌は?
 言われて、もう一口飲んでみる。
 ‥‥‥‥‥‥何種類かの合わせ味噌となっているようだ。
 次に、野菜の炊き合わせに箸を伸ばしてみる。
 大根・人参・じゃが芋・八ツ頭・牛蒡・さやえんどうが綺麗に盛りつけられており、その
一つ一つの野菜が鮮やかな色を見せて、目に、そして胃に訴えかけてくる。
「焚き合せか‥‥‥白醤油に味醂、昆布出汁に鰹の二番だしを少し‥‥‥」
「ですから。そんな分析してくださらなくても」
 思わず苦笑する夜宵。
 だが、それから、啓斗は堰を切ったように白菜の煮びたし、煎り豆腐、鰤の照り焼き、茶碗
蒸、蕪と金柑の酢の物などをぺろりと平らげて、大きく一つ息を吐いた。
「篠宮‥‥‥美味かった。いや、本当に美味かった」
 そう言いつつ、目の前の漬物をぽりぽりと食べて茶をごっくんと飲み干した。
「そんなに慌てて食べなくても誰も取りはいたしませんのに」
 誰も取りは、と言われて弟のことがちらりと頭を掠めたのは内緒なのだが。
「こんなに準備するの大変じゃなかったか?」
 くすっと笑って夜宵はある方向を指差す。
 つられて啓斗もそちらを見ると、時計の針は既に9時を回っていた。
「まあ、しょうがないのですけれど、ね。癒しの睡眠ですから。けれど、私は6時に起きて
しまいましたから、時間持て余してしまって。予め下処理して冷凍庫に入っているものもあ
りますし、煮ひたしなどはは昨日の残り物ですしね」
 料理の腕前、と言う物であれば、啓斗も決して負けていない。
 だが、得意な料理のジャンルと言う事になると、やはり生まれた場所や環境によって大き
く異なってくる訳で。
「意外だな。篠宮のうちにはメイドさんがいて、ご飯は作ってくれているのかと思ったが」
「料理が出来ないなどとは言っておりませんし。そう言う時もございますが、自分の事ぐら
い自分でできますわ」
「そうか‥‥‥ま、そうだな」
 目の前の茶を一口飲み、窓の外に目を向けた。
 抜けるような青い空に白い雲。
 冬の、小春日和な暖かい日差しが窓から部屋の中に差し込んできている。
 目の前に、夜宵。
 ‥‥‥。
「どうか、しました? 人の顔じいっと見つめてらして」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥なんでもない」
 視線を外す啓斗。
 沈黙の後のその台詞。
 何か恥ずかしくなって、夜宵も視線を外す。
「‥‥‥おかしな人」
 夜宵が食べ終わり、啓斗が身支度を整えて外に出る時までこのおかしな沈黙は続いてい
た訳で。

[LOVE? or FRIENDSHIP?]
 微妙な空気の夜宵に対して、啓斗は実の所なんと言って良いのかわからなくなっただけ
だったのではあるのだが。
 部屋の中から見たところでは暖かそうだったが、何せ繕いだらけのこの服。
 隙間風(?)が身に染みると、ポケットに手を突っ込もうとして、何か不自然な感覚を
感じてポケットの中に手を突っ込んでみる。
「これ‥‥‥手袋?」
 出てきたのは新品の皮手袋と、DOMORI PURO=PUREと書かれている箱。
 後ろを見ると、品名のところにチョコレートと書いてある。
 もちろん、そんなものを自分で買った覚えなんかは全くない。
 と、言う事は先程まで一緒にいた夜宵が入れたと言う事なのだろうが、そんなものを貰
う心当たりは全くない。
 と、言うか、覚えていれば&認識していれば、貰う心当たりはそれしかない筈なのだが、
この男は何故か携帯を取り出して夜宵に電話をかけていた。
「もしもし‥‥‥あ、篠宮」
『どうなされました? 忘れ物でもなさいましたか?』
 比較的機嫌のよさそうな声で、先程の妙な空気が嘘のような感じすらする。
「いや、上着のポケットに手袋とチョコレートが入っていたんだが‥‥‥篠宮か?」
『はい』
「これ、貰うような事って何かあったか?」
『‥‥‥‥‥‥っ』
「さすがに今回は世話になったから‥‥‥何も無いのだったら、貰うのは心苦し
‥‥‥」
『非常食と実用品ですわ。それ以上でもそれ以下でも御座いません!!」

 ぷつっ‥‥‥つーつーつーつーつー‥‥‥‥‥‥。

 電波状況が悪いのかと思い、夜宵の携帯にもう一度電話をかけてみる啓斗。

『電源が切れているか、電波の届かないところにある為‥‥‥』

 何だか、釈然としないまま通話を切って携帯をポケットにしまう。
 電話出た時は機嫌良さそうだったのに、なんか、物凄く怒ってるように思えた‥‥
‥のは、気のせいだろうか。
「一体‥‥‥なんだって言うんだ」
 女心と秋の空って言うけれど、冬の空は良く晴れている訳で。
 空を見上げて、何気にチョコレートの箱を開け、一口かじってみる。
「‥‥‥‥‥‥にがっ!?」
 思わず眉間に寄った皺。
 遠く、空の彼方で烏が鳴いている。
 その声は『アホー』と、啓斗の耳には聞こえたのだった。
 何か、身も心も冷え込んでしまいそうなシチュエーション。
 けれど。

 はめてみた皮手袋はとても暖かくて。
「篠宮‥‥‥」
 呟いた言葉の先に続くものは一体なんなのか。
 それは、取りも直さず二人の今後の関係を現す言葉になるのだろうが、啓斗はその言
葉を口にすることは出来なかった。
 物語は続いていくように、啓斗の性格も相変わらずで。



 二人の距離は縮まったようで縮まらず、縮まらないようで、縮まって。
 そんな、今日。
 バレンタインの朝なのでした。


                                             FIN?