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<東京怪談ノベル(シングル)>


開かれる刻<環巡>

 全ては。
 全てはこの瞬間の為に。
 この瞬間はこの場所に在るものの為に。
 この場所にあるものは……果てしなき希望の為に。


 某都立図書館、要申請特別閲覧図書室。そこにあるのは、曰く付きや九十九神憑き、禁術や魔術の記された蔵書たちがずらりと並んでいる。危険度や貴重度により、申請の種類が少しずつ異なっている。
 以前は、ただ無法地帯となっていた。そういった危険だったり貴重だったりするのものを、分室に詰め込んでいっているだけだった。関わりたくない、というただそれだけの理由で。
「勿体無いと、思うんです」
 そう言って眼鏡の奥の青い目を細めたのは、綾和泉・汐耶(あやいずみ せきや)だった。ショートカットの黒の髪が、さらりと揺れる。
「こういった素晴らしい文献があるのに、それを埋もれさせてしまうのは酷く勿体無いんです」
 汐耶はきっぱりと言い放つ。新人の司書である汐耶は、初めて紹介された無法地帯の分室を見て一つの事を心に決めていた。通称『開かずの間』と呼ばれていた場所で。
「それは今、現実になったんですよね」
 ぽつり、と汐耶は呟いた。汐耶は決めていた。その『開かずの間』に存在する素晴らしい書籍たちを、与えられるべき知識として存在させる事を。ただの厄介者として存在するのではなく、貴重な文献として、或いは知識を得たいと願う人への一つの手段として、生まれ変わらせる事に。
 その為に、まず分類をした。九十九神憑きの蔵書たちとも仲良くなった。手助けされながら、手助けしながら、一つ一つ分けていった。封印が必要なものは封をし、発動しそうな魔術書は発動を抑え、意志を持つ書籍たちはそれらが存在しやすいようにしてやった。知識を軽々しく与えてしまわぬよう、制度も作った。
「……一応のゴール地点に着いたと思って良いんでしょうか……?」
 綺麗に分類され、それぞれの度合いに対して並べられている書籍。ラベルは申請の書類によって貼られ、きちんと五十音順に並べられている。借りたいと思えばすぐ借りられるように、申請が必要なものは申請手続きをどうすればいいのかが分かるように。
『よくやったな、汐耶』
『凄いじゃない、汐耶』
 並べられて上機嫌になった九十九神憑きの蔵書たちが、口々に汐耶を称えた。汐耶が誇らしい存在であるとも。
「皆さんのお陰でもあるんですよ。有難う御座います」
 ぺこり、と汐耶は頭を下げた。くすくす、と九十九神憑きの書籍たちは、照れたよう笑う。皆、誰が一番頑張ったかを知っているから。
 汐耶は顔を上げ、にっこりと笑って見回した。丁度その日から、要申請特別閲覧図書制度が始まるのだった。


 開館し、一番に入って来たのは何故か全身を黒で固めた男だった。分厚いレンズの眼鏡が妙に怪しさを増している。男はきょろきょろと本を眺め、それから一冊の本を手に取る。『魔術大全集』だ。黒魔術のやり方が事細かに書かれた、それでも魔力自体はそこまで強くも無い危険度的にはまだ少ないものだ。
「これだ……」
 男はそう呟き、ページをぱらぱらと開いて中身を確認する。そして、その本を持ってその場から立ち去ろうとする。
「ああ、すいません」
 汐耶が声をかけると、男はびくりとして振り返る。汐耶はにっこりと笑い、男の持っている本を指す。
「それ、ここからの持ち出しは禁止なんです」
「貸し出しはしてもらえないんですか?」
「そうですねぇ……ちょっといいですか?」
 汐耶はそう言って男から本を受け取り、ラベルを見る。危険度2の、身分証明書があれば一週間の貸し出しが出来るものだ。
「身分証明書があれば、一週間なら貸し出しが出来ますよ」
「み、身分証明書がいるんですか?」
 男はそう言い、額に汗をかく。
「ええ。貴重な文献ですから」
 男は「困った」と小さく呟き、そして舌打ちをする。
「今日、身分証明書を持って来てないんです」
「ならば、今日この本を貸し出す事は出来ません。すいませんけど」
「後で必ず持ってきますから」
 必死で言う男に、汐耶は苦笑する。
「そう仰られても、決まりは決まりですから」
「必ず持ってきますって言ってるじゃないですか!」
「ええ、ですからその時にお貸しします」
 再び男は舌打ちした。そして、口をむっと閉じて足早にその場を立ち去っていってしまった。
「何か、悪い事をした気分です……」
 汐耶はそう呟き、本を元の場所に戻す。
『あの男、やましい事があるのだ』
 九十九神憑きの蔵書が、ぽつりと呟く。
『大体、入ってきた時からおかしかったしー。汐耶、気にすること無いって』
「ですが……本当に身分証明書を忘れられただけでしたら」
 そう汐耶が言った瞬間、外で車の発進する音が響いた。そっと覗くと、先ほどの男であった。
『……ほら、な。身分証明書って免許書でもいいんだろ?』
「そう……ですね」
『伊達に人間を見てませんよ。ああいう輩が嫌でも分かります』
 九十九神憑きの蔵書たちはそう言いあい、笑った。汐耶もつられて笑う。
『我々を本当の意味で使いたいと言う人間は必ずいるさ』
『現に、ここにいるんだしねぇ』
 汐耶は微笑む。そうして、そっと口に指を当てた。再び誰か訪れそうな気配があったからだ。
「綾和泉さん、お客さんよ」
 来たのは、先輩司書だった。汐耶は「はい」と返事し、入り口に向かった。そこには、スーツの男が立っている。
「隣町にある市立図書館の司書さん。こちらが、うちの綾和泉です」
 先輩司書はそう言い、汐耶を紹介してからまた仕事に戻っていった。汐耶はとりあえずぺこりと頭を下げる。
「どうも、突然窺いまして」
「いえ。……あの、どういったご用件でしょうか?」
「実はですね……」
 男はそう言い、手袋をして持って来ていた鞄を開けて一冊の本を取り出した。古びた表紙の、貴重そうな本。
「……なかなか年季の入った本ですね」
 汐耶が言うと、男は小さく苦笑する。
「実はこれ、うちの図書館に寄贈されたものなんですけどね……」
 男はそう言い、手袋のままそっと本に手を伸ばした。すると、ビリ、と小さな静電気のようなものが起こり、男は手を引っ込めた。
「……封印ですか」
 ぼそり、と汐耶は呟く。それに気付かぬまま、男は苦笑したまま口を開く。
「何でこうなるかは、よく分かりません。今分かっているのは、この本を読もうとすると必ず先ほどのような現象が起こり、決して中身を読むことが出来無いと言う事なんです」
「そうですか……でも、どうしてそれを私に?」
 汐耶が尋ねると、男は恥ずかしそうに後頭部をかく。
「実は、こちらにはこのような本がたくさんあると噂で聞いていまして。そしてそれを片っ端から詰め込んでいる『開かずの間』がある、と」
 男はそう言い、ちらりと目の前にあるドアを見る。先ほど汐耶の出てきた、
「ですが、最近になってその『開かずの間』を貴重な文献を手にする事の出来る場所に変わったというじゃないですか」
「それが、この『要申請特別閲覧図書室』なんですね」
「そうです。こういった類の蔵書を何とかされた方がいらっしゃると聞き、ならばこの本も何とかしていただけないかと」
 男はそう言い、柔らかな目で本を見る。本を大事に思う、優しい目だ。
「本が、お好きなんですね」
「ええ。でも、こうして拒絶されると結構ショックなものですね。問えば答えてくれるのが通常だと思っていましたから」
 汐耶は小さく笑った。
(知識が欲しいといえば、与えてくれる。疑問を持てば、答えてくれる……)
 それが、本。少しばかし主張があるだけで、しかし目の前に在るのもまた本には違いない。
「分かりました、お預かりしましょう」
「そうですか。有難う御座います」
 男は本をそっと汐耶に私、ぺこりと頭を下げた。
「この本は、ここに収めてもいいんでしょうか?それとも、お返しした方が……」
「こちらで預かってください」
 男がにっこりと笑う。汐耶は「でも……」と言い淀む。封さえすれば、きっと男にも読めるようになる。拒絶されたと言う、この本を。
(預かると、この人の手から離れてしまうんですよね)
 汐耶が本を手に困っていると、男は何かを思いつき、そして悪戯っぽく笑った。
「では、どうでしょう。もしもその本があなたの手でどうにかなったとしたら、一番に僕に貸しては頂けないでしょうか?」
「え?」
 きょとんとする汐耶に、尚も男は悪戯っぽく笑ったまま、胸ポケットから身分証明書を取り出す。
「勿論、申請手続きもきちんと取らせて頂きますから」
 汐耶は思わず吹き出す。男もつられて笑う。そして、手袋を取ってから汐耶の手にある本の表紙に手を伸ばした。
「拒絶されなくなったら、是非とも中を見せてくださいね」
 ビリ、と再び光が飛ぶ。しかし、先ほどよりも柔らかいものに変わっていた。気のせいかもしれないし、ただの思い込みなのかもしれない。だが、少なくとも汐耶にはそう見えたのだ。
(根本的に、本は知識を求める人間を嫌がらないんですよね。あの方々もそうですし)
 汐耶は九十九神憑きの蔵書たちを思い、くすりと笑った。
「では、宜しくお願いします」
 男は再び頭を下げ、去って行った。汐耶も一礼し、本を手に再び図書室に戻った。
「さて……早速始めましょうか」
 にっこりと汐耶は笑い、本に手をかざした。拒絶の封を解き放ち、無駄に力が放出しないように封じ込めながら。そうすれば、きっとあの男の手に普通にとることの出来る書物になるだろう。そうして、需要と供給がしかと成り立つ筈だ。


 やれば出来るものだ、と汐耶は思う。何でも、チャレンジする事は大切だと。そしてそれ以上に、自分がそう思う事が必要なのだと。不意に、くすり、と小さく汐耶は笑う。
『どうした?汐耶』
 九十九神憑きの蔵書が問い掛ける。汐耶はそっと一冊の本を手に取り、微笑む。
「いいえ、ただ少し思い出しただけです」
 嬉しそうに本の表紙を開けるあの司書の男を。ここに並ぶ本たちを借りたいと目を輝かせながら言う人間達を。
「綾和泉さん、お客さんです」
 コンコン、というノック音と共に声をかけられた。そう言えば、と汐耶は呟く。本を引き取って欲しいという依頼があったのだ。
「根気良く繰り返せばいいんですよね」
 ぽつりと汐耶は呟く。どんな本と出会ったとしても、ただ繰り返せばいいのだ。その本と対話し、その本を把握し、そうして開錠するのだ。知識と言う場所に続く扉を。
 汐耶は小さく微笑み、そうして再び本と出会うために図書室を後にするのだった。

<全ては環のように巡り・了>