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<東京怪談ノベル(シングル)>


女弁護士・来城圭織のとある休日
 女弁護士・来城圭織の朝は、事務所の地下にどういうわけか存在している、温泉に入ることからはじまる。
「ねえ、コーヒーちょうだい、コーヒー! ヤケドするくらい熱いやつでお願い!」
 タオルの1枚も巻かないで、細身ながらもそれなりに豊満な肢体を惜しげもなくさらして温泉につかりながら、圭織は上の階にいるはずのバイトの子に向かって声をかける。朝早い時間とはいえ、誰かしらいるのが来城法律事務所なのだ。
 ここで書類のコピーに目を通しつつ、コーヒーを飲むのが圭織の日課だった。
 バイトの子が男の子であったとしても、圭織の態度は変わらない。
 そんなさばさばしたところが、男女問わず年下のものたちから慕われ、恋人候補が見つからない――そんな今の状況を作っているということを、圭織は知らないのだった。

「ふぅ……やっぱり、生き返るわねえ」
 そして、昼。
 やはり、圭織は温泉につかっていた。
 午前中にひと仕事したあとで、昼食の前に温泉につかる。それが圭織の楽しみだった。そうやって、午後からひと仕事するための英気をやしなうのだ。
 もっとも、今日は珍しく、午後は仕事がまったくないのだったが……。
 朝に比べるとやや短い時間、つかっていると、圭織はバスタオル1枚巻いたままの姿で温泉から上がってしまう。
 そうして脱衣所へ行くと、鏡の前に立ってポーズを取った。
「……これでどうして恋人ができないのか、悩んじゃうわね」
 ためしに、気だるげにため息をついてみる。
 肌はいつでも、むきたてのゆで卵のごとくつるりとしていて、勝気そうな青い瞳が彼女になんともいえない色香をまとわせている。
 そう、これで恋人ができないのはおかしいのだ。圭織ももう27歳。恋人どころか、結婚相手の候補者がいたとしてもおかしくない。
「まあ……考えていても仕方ない、わよね」
 圭織は大きくのびをすると、脱ぎ捨ててあったままの服を手に取った。
 そういう、あまりにもさばさばしすぎているところが問題であるのだが――彼女がそれに気づくことは、ない。
「おなかも空いたし、今日は外にでも食べに行こうかしらね」
 服を着替えて発火能力を使って髪を乾かし、すっかり身支度を整えてしまうと、圭織は来城法律事務所から出た。
 普段は忙しさのあまり、カップラーメンやコンビニのおにぎりといった食事も多いため、まともに食事のできる今日という日はかなり貴重だったりする。
 冬というだけあって外の空気はいささか冷たいが、圭織はまったく気にもとめず、背筋を伸ばして風を切って歩いた。
「ああ、あなた、今、結婚のことでお悩みではありませんか?」
 そんなとき、ふと、誰かから声をかけられる。
「え?」
 そんなものはただの勧誘だとわかっているのに、つい、圭織は足を止めてしまう。
 なにしろ、結婚、だ。
 圭織にとっては、そろそろ切実な問題になりつつある単語なのだ。もう、反射的な反応だった。
 声をかけてきたのは人のよさそうな女性で、それがさらに圭織の警戒心をゆるめる。
「実は今、特別キャンペーン中なんです。もう、登録すれば結婚したいという男性から引きもきらない誘いがかかるという素晴らしいシステムで、それが今ならなんと……」
「……失礼します」
 ふん、と鼻を鳴らしつつ、圭織は足早に歩き出した。
 おそらく、キャッチセールスのたぐいだ。弁護士という職業上、そういった商売についてはそこそこ詳しい。
 結婚のことで――という声のかけかたは珍しいが、珍しいだけに腹が立つ。立ち止まってしまう自分にも、なんだか腹立たしさを感じてしまう。
 圭織はふたたび、ふん、と鼻を鳴らした。
「そこの美人のお姉さん、ちょっとお時間大丈夫ですか?」
 そんなとき、また、誰かが声をかけてくる。
 美人、と言われれば、足を止めずにはいられないのが乙女心だ。世辞とはわかっていても、少しは気分よく振り向いた圭織だったが、声のした方では、どこか軽そうな感じのする男と、圭織より確実に若いだろう女の子が話をしている。
「……」
 圭織は羞恥で頬をほんのりと染めながら、踵を返した。もともと行こうとしていたほうへ向かって、足早に歩き出す。
 そうしてなにかから逃れるように足を動かしていると、圭織の目的地であるショッピングモールへとたどりつく。
 特になにか欲しいものがある、というわけではないのだが、圭織だって女なのだ。たまにはショッピングも楽しみたい。
「……あら」
 なんとなく歩いていた圭織だったが、ふと、アンティークショップの前で足を止めた。
 どこか古ぼけた様子の品物ばかり並べてあるショーウィンドウに、ひとつだけ、不思議な輝きを放つ指輪が飾ってあったのだ。
 シンプルな指輪だったが、ついている石は圭織の瞳と同じ青色をしている。石が小さいから邪魔にもならなさそうだし、値札にかかれている値段も手ごろだった。
「……でも、指輪、ね」
 どんな安物でもかまわないから、指輪は、できれば恋人からもらいたいものだ。
 もちろん、そんなものを送ってくれるような相手はいないから、自分で買うほかないのだったが――
 ひっそりとため息をつきながら、圭織は店の中へと入っていくのだった。

「あ、もしもし?」
 帰宅したあともやはり温泉にはいり、上がってすぐ、圭織は髪の水気を丁寧にタオルで拭いながら古い友人へと電話をかけた。
 友人というよりは腐れ縁、といったほうがしっくりくる相手との電話は、圭織のいいストレス発散になっている。
 片手には電話の子機、もう片方の手には日本酒の入ったグラスというあまり他人には見せられない姿ではあったが、圭織はあまり気にしていない。酒は好きだし電話も楽しいし、それのどこに悪いことがあるのかしら? という勢いなのだ。
 グラスを傾けながら話をしているうちに、どんどん、圭織のろれつがまわらなくなっていく。
 声もどんどん小さくなっていき、最終的には、圭織は電話の子機を抱え込んだまま、ソファの上で眠り込んでしまう。
 タオル1枚巻いたままで――というのはさすがに滅多にないことではあったが、圭織にとっては、ソファは第2のベッド、くらいの勢いだ。
 電話の向こうから、圭織の名を呼ぶ声がかすかに聞こえてくるが、圭織はすでに夢の中、なのだった。