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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


公園でボートに乗りませんか?

ACT.0■PROLOGUE

『弁天』と名乗った奇妙な女は、丸めた半紙を右手に握りしめ、アトラス編集部にいきなり入ってきた。1月も終わりの、冷え込みの厳しい日のことである。
「それにしても辛気くさい編集部じゃのう。まあ、仕方あるまい――そこなサンシタ、邪魔じゃ。おどきっ!」
 事務椅子に座っていた三下を左手で突き飛ばし、弁天はそこにふんぞり返る。
 古代中国風に結い上げた凝った髪型と、見ているだけで寒くなるような薄物の衣装に恐れをなしたらしく、フロアにいた編集部員たちはさささっと移動してしまった。
「すいません、すいませんねぇ。弁天さまに悪気はないんですよ。……大丈夫ですか?」
 床に尻もちをついて目を白黒させている三下を、助けおこした青年がいた。
 長い銀髪をひとつに結わえて銀縁の眼鏡をかけ白衣を着ているさまは、まるで医者のコスプレをしたホストのような正体不明さだ。弁天の付き人であるかのように、彼女の傍若無人ぶりを回りじゅうにぺこぺこ謝っている。
 碇麗香は気にした風でもなく、デスクからちらっと視線を走らせただけだった。この編集部に変な連中が乱入してくるなど、これ以上の日常はない。
(異鏡現象まっさかりといえど、今日も平和ねぇ……)
 後れ毛の乱れを直したりしている麗香をじろりと見て、弁天は立ち上がった。つかつかと歩み寄り、丸めた半紙を机に広げる。
 半紙には流麗な毛筆で、アンケートのようなものが書いてあった。
「何よこれ」
「現在、井の頭公園のボート乗り場はバレンタイン直前キャンペーン実施中なのじゃ。このアンケートにお答えくださったお客様にはなんとボート代がタダになるという大盤振る舞い。大量にコピーしてばらまくなり、月刊アトラスの巻頭企画に組み込むなりするがよいぞ」
「……ウチは月刊なのよ。今から組み込んでも、バレンタインには間に合わないと思うけどね……」
 逆らったら何をしでかすかわからなそうな闖入者である。なんとか適当になだめて、穏便にお引き取り願おう。
 麗香は仕方なくアンケート用紙をつまみあげた。
 
◇アンケート◇
Q1.あなたは、井の頭公園ボート乗り場におけるカップル別離伝説(弁天黒幕説)をご存じですか?
  A.知ってる B.知らなかった(今知った)
  
Q2.それについてどう思いますか? 恋人とボートに乗るのをためらいますか?
  A.ためらう B.気にしない C.恋人がいないのでどうでもいい
  
Q3.偶然居合わせた誰かとボートに乗ることになりました。どんな人と同乗したいですか?
  A.ぜひ異性と B.同性、無性、両性の人なら C.この人とでなくちゃイヤ(お名前:   ) D.誰でもいい
  
Q4.井の頭公園池には時空の裂け目があります。ボートごとタイムスリップするとしたらどこへ行きたいですか?
  A.過去 B.未来 C.レアな詳細設定で(     )
  
Q5.さて、ここはタイムスリップ先です。あなたはどんな行動をなさるでしょうか? また、同乗者にはどんな反応を求めますか? お聞かせ下さい。

 アンケートはさらに、Q6・Q7・Q8……と、延々と続いている。
 麗香はため息をついてから、三下にコピーを命じた。
「今日、ここに顔出しに来た人たちに、まんべんなく押しつけるしかないわね」

ACT.1■アンケート回収中

 ひゅるるるー。
 深夜の井の頭公園池を、凍りつくような風が吹きすぎていく。
「誰も来ないのう、蛇之助」
「来ませんねぇ、弁天さま」
 アンケート回収箱を抱えた弁天と、『アンケートはこちらへ♪』と創英角ポップ体で書かれたプラカードを持った白衣の青年――蛇之助は、ボート乗り場の前で立ち尽くしていた。
「ふわぁぁぁ。よお弁天さま。あんたがどうしてもって言うからボートを44隻用意したけどさぁ。ホントにお客が88人も来るのかよ?」
 プラカードの前であぐらをかいていた金髪の少年が盛大にあくびをした。
 彼の名は鯉八郎。井の頭公園池の鯉たちの総領であり、ボート乗り場の係員でもある。羽織っている真紅の法被の『打倒! 鯉ヘルペス!』という縫い取りが夜目にも眩しい。
「ううむ。おかしいのう。押すな押すなの大騒ぎになると思っておったに。告知方法がマズかったかの?」
「アンケートの設問が多すぎたんじゃないですか……? Q5までならともかく、Q6以降の住所氏名・年齢・家族構成・職業・趣味嗜好・能力・隠し能力なんて、誰も答えてくれないのでは」
 蛇之助が恐る恐るつぶやいたときである。
「加えて、だ。なんだよこの『追記:できれば、バストアップ写真か全身の写真を添付してくださると嬉しいです(はぁと)』ってのは!」
 突然、弁天の背後から野太い男の声が響いた。不意を突かれ、回収箱がころんと落ちる。
「それはやはり、縁結びを大々的にやる以上は写真があった方が好都合……て、うん? 何じゃおぬしは?」
「ろくでもないアンケートに、わざわざ答えてやった物好きだよ」
 男は不機嫌極まりない顔で、くしゃくしゃに丸めたコピー用紙を投げてよこした。この寒空に、半袖のシャツからたくましい腕をむきだしにしている。
「おお、お客さまであったか。よう参られた。どれどれ」
 ころりと態度を変え、弁天は丸まった紙を伸ばす。
「ふむ。武田隆之35歳。心霊カメラマン、バツイチ」
「……他にいろいろ言い方があるだろうに、なぜそう略する?」
 げっそりした隆之を無視し、弁天は片手を口に当て、ふっと笑う。
「あいわかった。ハーレクインもまっつぁおな出会いを演出して進ぜようぞ。妙齢の娘御が引っかかっ、もとい、やって来るまで、しばし待たれよ」
 妙齢の娘御と言われた途端、カメラマンの顔はさっと青ざめた。
「いやあの、おれはたまたま碇編集長にアンケート用紙を押しつけられただけで、若い女の子とボートに乗るつもりは全然」
「あ、弁天さま。妙齢の美人がいらっしゃいましたよ。3人も」
 蛇之助の示す指先には、橋を渡って近づいてくる女性たちの、すらりとした姿が見受けられた。
「ほほう。いずれ菖蒲《あやめ》か杜若《かきつばた》。よりどりみどりじゃ。喜べ隆之」
「あのな。だから、おれは」
「アンケートはここに出せばいいの?」
 最初に蛇之助にコピー用紙を差し出したのは、紺のスーツの美女だった。ゆるくまとめられたしなやかな髪と、右目の下のほくろが印象的な女性である。ダークブラウンの瞳に見据えられ、蛇之助の声が上ずる。
「は、はひっ。い、いらっしゃいませっ」
「タダだって言うから来てみたわ。よろしく」
 横から弁天がアンケートの回答を覗き込んだ。
「嘉神しえる22歳。外国語教室の講師。5ヶ国語に堪能な帰国子女か。才色兼備じゃのう。……バツイチを紹介するのは気が引けるが、これも何かの縁じゃ」
 弁天は、逃げ出そうとする隆之の服をはっしと掴み、怪訝そうなしえるの肩をぽんと叩いた。
「隆之、こちら嘉神しえるさん。容姿端麗才気煥発、武道も日舞もこなす、おぬしには勿体ない娘御じゃ。しえる、こちらカメラマンの武田隆之さん。再婚相手募集中じゃ」
「ちがーう!」
「ちょっと。いきなり何なのよ」
「ま、そーゆーことで、あとはお若いおふたりでグッドラックじゃ! ボートの上でときめくがよい。鯉八郎、2名様ご案内〜〜〜〜」
 ふたりの背を、弁天はぐいぐいと押した。しかし隆之は抵抗して動かない。しえるは納得いかなさそうに振り返って蛇之助を見る。
「ねえ、私、その白衣の人と乗っちゃだめなの?」
 思いも寄らぬご指名に、蛇之助は吃驚してプラカードを倒した。
「わ、私? 私ですか?」
「ええ。結構好みなんだけど」
「べ、弁天さま。どうしましょう。私、今もててます? もててるんですよね! ああ生きてて良かった」
「落ち着け、見苦しい。普段もててないのが丸わかりじゃ」
「あのー、そういうことならおれは喜んで身を引くんで」
 ほっとした顔の隆之を、弁天はじろりと睨む。
「おだまり。妙齢の娘御はあとふたりいるではないか。さてと」
 弁天と目があったのは、アッシュグレイの髪の女性だった。スレンダーな身体に、フロントスリットの黒のパンツスーツがよく映える。ほっそりした首を飾る黒いチョーカーには、銀のクロスがきらめく。
「待たせてすまぬな、アンケートを――うむ、如月縁樹、永遠の19歳。……ほう、職業は旅人とな。これまた隆之には勿体ない美人じゃのう。さて縁樹、こちら武田隆之さん35歳」
「頼む……。かんべんしてくれ」
 隆之が玉のような汗をぬぐいつつ、ポケットから取り出した『スイスウォーター無発泡タイプ』をごくごくと飲み始め――そして。
 縁樹の肩に乗っていた、男の子の姿をした人形が怒鳴った。
「縁樹は恋愛には興味ないんだよ! よりによってそんなおっさん紹介するんじゃねぇよ! しっしっ」
 ぴょんと肩から飛び降りた彼は、まるで姫君を守る騎士さながらに、縁樹の足元でちいさな両手を広げる。
「なんじゃ? このちみっこいのは」
 弁天は子猫でも持つように、人形の首をひょいとつまみあげた。
「何するんだよお。離せ馬鹿野郎。このやり手ババア!」
「……やり手ババアじゃと……? わらわに向かって何という暴言」
 手足をばたばたさせている人形に、弁天の目が凶悪な光を宿す。
「こらノイ。だめでしょ。――すみません。この子、間違ったことは言わないんですけど、何しろ口が悪くて」
 弁天の手からノイをすくい上げて、縁樹はにっこりする。
「……ほおぉう。間違ったことは言わぬとな……ん?」
 何か言いたげな弁天を遮って、別の美女がアンケートを差し出した。
 シャープな蒼い瞳を細め、成り行きを面白そうに見ていた彼女は、高度な観察力と的確な判断力を有しているらしい。一連の大騒ぎにも動揺ひとつせず、落ち着いた風情である。
「つまりこれは、汚名返上のために弁天さまが考えたお見合い企画ということなのね。……でも私も、縁結びは遠慮したいわ」
 そう呟いた彼女に構わず、弁天は回答用紙を見てうんうんとうなづき、またも仲人の口上を始めるのだった。
「さて隆之。こちらシュライン・エマさん26歳。翻訳家にして幽霊作家。草間興信所で事務員もなさっておられる。シュライン、こちら武田隆之さ」
「知ってるわ」
 最後まで聞かず、シュラインは肩をすくめる。
「頼む、シュライン〜。助けてくれ」
 地獄に仏とばかりに、隆之はシュラインに泣きついた。
「おお、知り合いであったか。それなら話が早い。この組み合わせで――おや」
 シュラインの回答用紙をしみじみ見て、弁天は眉を寄せた。
「何じゃ、シュライン。おぬし『大切な人』がいるのではないか。縁結びの必要はないな」
「だから、さっきからそう言ってるじゃない」
「それなら今度はぜひ、意中の彼と遊びにくるがよいぞ。豪華スワンボートを用意しようほどに」
「……それは、ちょっと。せっかくだけど」
 冷静だったシュラインが、初めてうろたえた。
「絶対にやめておいた方がいいぞ、シュライン」
 隆之は太い人差し指を、弁天に突きつけた。
「だいたいだな。井の頭公園の弁天が縁結びなんて矛盾してるんだよ。おれはな、前のかみさんと一度だけ、ここのボートに乗ったことがあったんだ!」
「……何が言いたいのじゃ?」
 弁天の髪と薄衣の裾が、ふわりと舞い上がる。背後には、青白い怒りの光が立ち上り始めた。
「あ、あの。あまり弁天さまを怒らせない方が……」
 蛇之助がおろおろと取りなそうとする。しかし隆之は命知らずにも、きっちりと逆鱗に触れた。
「おれがバツイチなのは、アンタの仕業じゃないのか!」
「おのれっ! そのようなデマを信じ込みおって。おぬしのような業界人が触れ回るから、妙な都市伝説が広まるのではないか。ええい、よくも」
 弁天は白い指先を井の頭公園池に向け、次いで天にかざした。途端に池の水が渦を巻き、巨大な円柱になる。
 水の円柱は空中を大きくうねり、龍へと変形した。龍は激しく咆吼し、隆之を呑み込まんと牙を剥く。
「……や、あのな。おれだって本気で信じてるわけじゃないんで、そこまでしなくても」
「黙れ! 許さぬっ」
 地面にぺたんと座った隆之に向かって、龍は大きく口を開ける。――その刹那。
「こんにちは、弁天さま。アンケート用紙、提出に来ました」
 セーラー服の裾を柔らかく揺らし、青い髪の少女が近づいて来た。少女は隆之を見て微笑み、3人の美女たちにまんべんなく手を振ってから、弁天に用紙を渡して小首を傾げた。
「あら。お取り込み中ですか?」
「ちょっとな。こやつが自分の離婚の責任を、わらわに押しつけたゆえ」
「まあ。どうしてそんなことになったんでしょうか。弁天さまのせいじゃないですよね。他の処では恋結びの弁天さまだっていらっしゃるのに」
「今、何と申した?」
「恋結び」
「もう一度言っておくれ」
「恋結び」
「いい響きじゃのう。わらわが目指しているのはまさしくそれなのじゃ」
 弁天は回答用紙を持ったまま、うっとりと両手を組み合わせる。青白い怒りの光がかき消えていった。
 少女は、口を開いたまま収拾がつかなくなっている龍にも手を振った。とたんに龍の姿は崩れ、渦を巻いた水となって池に戻っていく。
「海原みなも13歳。南洋系列の人魚の末裔か。なるほど、水の加護を持つ娘御じゃな。……これはさすがに隆之と同乗させるわけにはいかぬのう。犯罪じゃ」
 考えこむ弁天の顔を、みなもがじっと覗き込む。
「あたし、弁天さまと一緒に乗りたいです」
「……今、何と申した?」
「弁天さまと一緒に」
「もう一度」
「弁天さまと」
「ううぅむ。意表を突くことを申す娘御じゃ」
「珍しいですね、弁天さま。女の子にもててますよ!」
 蛇之助が目を丸くし、鯉八郎はふぁぁぁぁ、とまたも大あくびをした。
「よお。いつまで待たせる気だよ。このおっさんとべっぴんさんたちの組み合わせを、早く決めてくれよ」
「難しいのう」
 回答用紙に添付されていた、美女3名美少女1名その他1名のバストアップ写真と全身写真を、弁天は穴があくほど眺めていたが。
「よし。マンツーマンのお見合い方式は返上じゃ。合コンに切り替える!」
 両手を腰に当てて天を仰ぐ。背後には、気合いの炎がめらめらと立ちのぼった。
「ボートには、全員で乗るのじゃ!」

ACT.2■午前零時の時間旅行

 鯉八郎をなだめすかした結果、井の頭公園池には世にも奇妙な巨大ボートが出現した。
 三本のマストに三角帆を有し、船尾から見て八の字形に何十本もの櫂がついている。ゆうに20人以上乗れそうなそれは、とても『ボート』とは呼べず……。
「これって、ガレー船ですよね?」
 長い時を旅してきた縁樹が、ぽつりと言う。
「そんなものを全員で漕げってこと? 女性が多いのよ。冗談じゃないわ」
 不満気なしえるに、蛇之助が慌ててフォローを入れる。
「まあまあ、しえるさん。ガレー船は一応帆船なので、人力だけに頼るわけでは」
「そうですね。風が変わりやすい地中海では三角帆が便利なんですよね――早く乗りましょう」
 弁天の腕を引き、みなもがガレー船に向かう。
「って、ここは地中海じゃないし……。どうするんだ、池にこんなもの浮かべて……」
 しかし隆之の常識的な言葉は、だんだんと小さくなっていく。
「取りあえず、記念写真でも撮れば?」
 冷静極まりない声でシュラインに言われ、隆之はやれやれと一眼レフを構えようとした。
「あ。カメラ、私も持ってきました。妹から借りてきたんです」
 にこにことみなもが走り寄ってきた。
「じゃあ、おれがシャッター押してやろっか。ついでだから弁天さまと蛇之助も混ざって」
 みなものカメラを受け取った鯉八郎が、ガレー船の前に全員を並べる。
「よし、いくぞー。1+1は〜?」
 に〜。全員のやや引きつった笑顔が記録された。ボート乗り場前、午前零時のことである。

 *                *
 
 気の毒なお客さま5名と、弁天、蛇之助を乗せ、ガレー船はゆるゆると出航した。追い風を受けて、今のところ櫂を漕ぐ必要はない。
「隆之さん。弁天さまとのツーショットをお願いします」
 弁天と腕を組んだみなもが、隆之のカメラに向かってポーズを決める。
「はいよ。何でも撮しますとも」
「でもこんな大きな船だと、あっという間に池をひとまわりしちゃうわね。すぐ岸にもどるのもつまんないかも」
 船から身を乗り出して、しえるが水面を眺める。
「なに、心配せずともよい。もうすぐ時空の裂け目に引っかかる頃合いじゃ――おお、みなも。おぬし結い上げた髪も似合うのう」
 ファッションカメラマンに写真を撮られてちょっと気を良くした弁天は、自分の化粧直しをしつつ、みなもの髪型に変化をつけたりしている。
「時空の裂け目ですか……。じゃあ、お茶を飲んでいる余裕はないですね」
 ノイの背中のファスナーを開け、ティーセットを取り出そうとしていた縁樹は、残念そうにファスナーを閉めた。
「……その人形って」
 シュラインが目を見張った瞬間。
 ガレー船全体が大きく揺れ動いた。海上で嵐に巻き込まれたかのように、右に左に大きく軋む。
「うわぁ。おい、揺れてるぞ。みんなで押さえろ!」
 隆之の絶叫も空しく。
 
 ガレー船は飛んだ。――過去へ、と。
 
ACT.3■1163年の頼朝

「蛭ヶ小島、とはね」
 嘘のように揺れのおさまったガレー船から出てみれば、あたりの風景は一変していた。
 晴れ渡った広い空は、深夜の井の頭公園であろうはずがなく、また、日本情緒にあふれた緑と土の匂いは、地中海とも無縁であった。
 周辺の地理と、目の前にある大きな神社に『音無神社』の表記があることから判断して、シュラインは現在地を特定した。
 蛭ヶ小島。14歳の源頼朝が配流された地。
「現代の伊豆の風景とはかなり違いますね。これは……1160年代あたりではないでしょうか。懐かしいなあ」
 吹き渡る風に髪をなびかせて、縁樹は旅人ならではの感慨にひたる。
「蛭ヶ小島の音無神社か。たしかに頼朝ゆかりの場所ではあるな」
 開き直ったらしい隆之は、立て続けにシャッターを切る。
「うむ。頼朝公こそ井の頭弁財天を創建なさった御方。ここに飛んだということは、わらわの思いが通じたのじゃな」
「弁天さま弁天さま。それはあくまでも一説であって、弁財天の社はもっと古くから」
「うるさい! 井の頭弁財天のパトロンは頼朝公なのじゃ。わらわがそう決めた」
 もめる弁天と蛇之助のそばで、みなもが額に手をかざして遠くを見やる。
「小島っていうから海にあるんだと思ってましたけど、ここは内陸部なのですね」
「そうね。川の中州にある土地みたい。――ふうん、もしかしたら10代の頼朝がそこらへんにいるってことかしら?」
 しえるは物怖じせずに神社の境内へ入っていった。6人はその後に続く。
 生い茂った杉の木が立ち並び、境内は昼なお暗い。
 その暗がりに――まだ年若い男女のしのび逢いの声がする。
「お逢いしとうございました、頼朝さま」
「私だってそうだよ、おゆう。一日千秋の想いだ。一緒にいられる時間は短い。さ」
「お待ちになって。わたくしを奥方にむかえてくださると約束なさってからですわ」
「約束するとも。父上も兄上も殺されて、今は平氏の世。私は一介の流人に過ぎぬが、それでも良いのか?」
「もちろんですわ、頼朝さま――ああ」
 恋人たちの声は、甘やかにくぐもっていく。
 ……。
 一同は非常に気まずくなり、そっとその場を離れてガレー船に引き返した。
 
 *                *
 
「ねえ。頼朝って北条政子と結婚したんでしょ。さっきの女の子は、その前の恋人ってこと?」
「政子と結婚する前の恋人といえば、伊東祐親の娘の八重姫が有名だけれども、『おゆう』という名前には心当たりがないわ」
 しえるとシュラインが腕組みをする横で、縁樹は改めて人数分のティーセットを並べている。
「でもヨリくんが、おゆうさんとつき合ってたことは確かですよ。覚えてますから」
 さらりと言う縁樹に一同はぎょっとするが、弁天は何度も頷く。
「おおかた、祐筆が記さなかった地元の娘御であろう。政子殿というものがありながらなんということじゃ、けしからん」
 拳をにぎりしめる弁天に、蛇之助がおずおずと聞く。
「あのう……。頼朝さまが政子さまを娶られるのは30歳の時。この時代、頼朝さまはまだお若いですし、恋人がいてもいいのでは?」
「良くない! 断じて良くない。あの娘御と結婚の約束をしておったではないか」
「それが何か?」
「万が一にも本当に結婚したらどうなると思う? 頼朝公の妻は政子殿ではなくなるのじゃぞ! 北条政子を得ずして北条氏の後ろ盾は得られず、ひいては鎌倉御所たる源頼朝はありえぬ。ましてや井の頭弁財天を創建するなど叶わぬではないか」
「いや、でも実際のところは歴史が証明してるしな」
 シャッターを切る手を休めずに、隆之がぼそりと言う。しかし弁天は大きく首を横に振った。
「わらわたちが時空の裂け目から出現したことで、歴史が変わったのやも知れぬのじゃ」

ACT.4■そして伝説が始まる

「そんなわけで、頼朝公とおゆうどのには即刻別れていただくっ! 全員、一致団結して協力するように」
 弁天は胸を張って宣言した。が。
「あら、このコーヒーおいしいわ」
「わあ縁樹さん。紅茶もおいしいです」
「かぼちゃのソフトクッキーやいちごのタルトもありますよ。シュラインさん、みなもさん」
「へえ。その人形ってなんでも入ってるのね。――そうだ、お酒出してよ、お酒。久保田の『万寿』がいいわ。あと、『八海山』の大吟醸」
「いいですよ」
「おーい。おれにも酒だ。これが飲まずにやってられるか」
「あなたも飲みなさいよ、蛇之助。いける口なんでしょ? 何しろ白蛇なんだから」
「ありがとうございます。しえるさんについでいただけるなんて光栄です」
 ――誰も聞いていない。
「この非常時に何をなごんでいるのじゃ、おぬしらは。ここはいつの間に屋形船になったのじゃ!」
「タイムパラドックスなんて関係ないわ。私たちがここに来た時点で、それは必然なんでしょ――乾杯」
「アンタの望みどおりの楽しい合コン風景じゃないか。何の文句がある――はいよ、乾杯」
「うむう」
 豪快に酒を酌み交わすしえると隆之にたたみかけられ、さすがの弁天もぐっと言葉に詰まった。
 しばらくの間一同からぽつんと離れ、弁天は所在なげに立っていた。やがてひとりだけでガレー船を出ていく。
 思うところがあって、再度、音無神社の境内の様子をうかがいに行ったのである。
 やがて戻ってきた弁天は、お茶会とも宴会ともつかなくなった場からみなもだけを呼び出した。何か妙案が浮かんだと見えて、目がきらーんと輝いている。
「頼みがあるのじゃ、みなも」
「何ですか?」
「わらわと衣装を取り替えてくれぬかの。おぬしが弁天として、頼朝公とおゆうどのの前に出現してほしいのじゃ」
「いいですけど――でも、どうして」
「弁天さまは、武蔵野市・三鷹市限定でしか神さまとしての力を使えないんでふ。なので頼朝さまの前で弁天を名乗っても信じてもらえなひからでひょう」
 すっかり酔いつぶされた蛇之助が、それでも這うようにしてやってきた。
「あたしが、弁天さまに……」
 ためらうみなもをぐいぐい引きずって、弁天は船底の隠し部屋へ連れて行き――世にも可憐な、青い髪の弁財天が誕生することになった。
 
 *                *
 
 そして。
 若き頼朝は、音無神社での逢瀬の帰り道にて『弁天』に遭遇する。
 美しく結い上げられた海の色の髪。幾重にも纏われた薄衣から透ける、陶磁のような肌。
 細い指先が操るのは、この蛭ヶ小島を有する狩野川の水。
 桜色のくちびるからは、鈴のような声が漏れる。
 それは柔らかで厳しい、いましめの言葉。
 
 ――身を慎むがよい。そなたには、未来に出会うべき運命の相手がいるゆえに。
 
ACT.5■EPILOGUE

『ボート乗り場の伝説は自業自得だ。結局アンタが原因で、841年前に頼朝は恋人と別れたんじゃないか』
 そう書かれた葉書が弁財天宮に舞い込んできたのは、時空の裂け目より全員が無事帰還してから一週間後のことであった。
「おのれ隆之め。許さぬ。見ておれ、そのうち何としても素敵な再婚相手を見繕ってくれよう!」
 葉書をびりびりに破り捨てていると、蛇之助が手紙を3通と、なぜかワインボトルを一本抱えてきた。
「そのワインはどうした」
「しえるさんから私あてに送られてきました。スイスワインの名産地グラウビュンデンの、シュロス・ライヒェナウ醸造所のものだそうで」
「およこし。私が飲んでくれる」
「いやです。これは、しえるさんが。……ああっ」
 さっさと栓を開け、ボトルごとラッパ飲みしながら、弁天は一通ずつ手紙を開封する。
『過去は懐かしくて楽しかったです。ヨリくん、あれから4年後に八重ちゃんとつき合いはじめたんですけど、やっぱり音無神社で待ち合わせしてたなあとか思い出して。どうでもいいことだから黙ってましたけど』
 さらっとした書き方であるのに、深い内容である。弁天はううむと唸った。
「なんとも淡々とした娘御じゃが、縁樹はこれで良いのかも知れぬな。無理に誰かを引き合わせても、あの人形が邪魔をするであろうし」
「いいワインなんですから、一気飲みしないでくださいよー」
 涙目の蛇之助を邪険にあしらい、弁天は次の封筒を開封する。
「これはシュラインからか。……分厚いのう」
 中にはA4用紙にプリントアウトされた、詳細なレポートが十数枚入っていた。都市伝説の発生と伝播を踏まえ、弁天の行動様式の、何がどう拙くて現在のようなことになったのかを考察した力作である。
「素晴らしい。こんな秘書が欲しいものじゃ。何とかシュラインを草間興信所から引き抜くことはできぬかのう」
「それは、縁結びより難しいと思いますよ」
「ふむ。参考になった。これを踏まえて、次回は動物園で合コンじゃ!」
「そんな……。懲りてないんですか。あーあ、すっかり飲み干しちゃって」
 空になったワインボトルを、蛇之助は名残惜しく眺める。
 弁天は、最後の一通を開封した。
『飾ってくださいね』
 薄水色の便せんには、それだけが書かれている。みなもからであった。
 同封されていた数枚の写真の中から、一枚をつまみ上げ、弁天はふっと笑う。
「蛇之助が撮ったにしては、良い出来映えじゃ」

 そして弁財天宮の壁には、『第一回縁結び企画』のプレートの下に、ボート乗り場で撮った集合写真と、全員のバストアップ写真や全身写真がずらっと展示され―― 
 さらに。
 弁天の衣装を着たみなもと、みなものセーラー服を着た弁天のツーショットが飾られることとなった。
 ――『幻の弁天さま』という、タイトルつきで。
 

 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1252/海原・みなも(うなばら・みなも)/女/13/中学生】
【1431/如月・縁樹(きさらぎ・えんじゅ)/女/19/旅人】
【1466/武田・隆之(たけだ・たかゆき)/男/35/カメラマン】
【2617/嘉神・しえる(かがみ・しえる)/女/22/外国語教室講師】

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■         ライター通信          ■
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こんにちは、神無月です。お待たせしました!
このたびは妙なアンケートにおつき合いいただき、まことにありがとうございました。
最初はペアを組んでいただくつもりだったのですが、いろいろ考えました結果、このような団体行動とあいなりました。長文気味で申し訳ないです。
ちなみに私の場合、Q2はAの「ためらう」です(←誰も聞いてませんて)。
なので、井の頭公園に取材(?)を兼ねて出向き、弁財天にお参りする時も常に一人で。リアル井の頭公園の弁天さま、ごめんなさい。

□■海原みなもさま■□
二度目のご参加ありがとうございます。
みなもさまには弁天のコスプレに挑戦していただきました。『恋結び』のためではなかったのが心残りではありますが、本人より弁天らしい弁天さまを描写できて本望です(え?)。

これに懲りずに、いつかどこかで、またお会いできますように。