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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


誓いの式

 それは突然の出来事だった。
 時は二月十四日。日本の恋人たちの二大祭典のひとつ、バレンタイの朝。
「おはようっ、二三矢」
 着替えを終えて部屋に戻ると、上機嫌の笑顔で言う千里と目があった。ほんわかと幸せそうに笑うその表情が、見慣れた彼女と少し違う気がして、二三矢は思わず視線を逸らした。
 さっきまで同じベッドで寝ていたというのに、ほんの少しシチュエーションが違うだけでこうも気持ちが変わるものだろうか。いや、シチュエーションがどうとか言うよりも、なんだかいつもと少し違う気がする千里の雰囲気のせいだ、こんな気持ちになるのは。
「おはよう、ちー」
 穏やかな笑顔で返すと、二三矢のその表情が嬉しいのか、千里はまた笑う。
 外の気候はまだまだ寒い二月であるが、この部屋の中だけは暖かい。
「ね、二三矢。朝御飯はなにが良い?」
 若奥様よろしく台所に向かう千里には悪いが、冷蔵庫の中にたいしたものは入っていない。
 何故かと言うと、現在地が二三矢の通う学校の寮だから。今年はバレンタインが土曜日で学校が休みであるのをいいことに、千里は寮へ遊びにやってきたのだ。
 当初は消灯時間までに帰る予定であったが、なんというか、その場の雰囲気というか……まあつまり、そのままお泊りに雪崩れ込んでしまったわけだ。
 週末には実家に帰る者も多いし、土日は寮母さんもお休みだし、部屋は一人部屋だし。騒いだりしなければ多分大丈夫だろう……と思いたいところだ。
 寮生の一部にはすでに千里と二三矢の仲は知れ渡っていることであり、味方――先生に見つかった場合のフォローをしてくれる寮生もそれなりにいるから、もしもの時もなんとかなるだろうなんて軽く思ってしまってもいるが。
 このお泊りの最大の要因は、単純に千里の要望を突っ撥ねられなかったところにある。もちろん、二三矢の方も千里と一緒にいたかったのだから、千里だけのせいでもないけれど。
「うーん……何もないわねえ」
「だいたいは食堂のほうに行っちゃうから、冷蔵庫には夜食程度の物しか入ってないんだよ」
 一応部屋には小さなキッチンもついてるが、使う生徒ははっきり言って少ない。立派な食堂があるからたいてい皆そっちに行くのだ。キッチンを使うのは真夜中になんか腹が減ったなあとか、寝坊して食事の時間に起きれなかっただとか、そんな生徒だけだ。
 二三矢もその例に漏れず、当然冷蔵庫の中にはほとんどと言って良いほど何も入っていない。
 それでも千里は冷蔵庫の中のものを上手く使って、美味しい朝食を作ってくれた。日頃の花嫁修行の賜物であろう。
「今日のデートで、行きたいところがあるんだけど……」
 朝食もそろそろ食べ終わろうかというころ、千里がふいにそんなことを言い出した。
「俺は千里と一緒ならどこでもいいよ。どこに行きたいの?」
 今日デートをするというのは前々からの約束であるが、実は場所についてはまったく決めていない。
 だがそんなのことは珍しい事ではなく、歩きながら次はどこに行こうなんて話すのも楽しいものなのだ。
 だから二三矢は今日もそのつもりでいて……本当は少し残念だったけれど、千里の前では背伸びする傾向にある二三矢は、こんな些細なことで文句を言うのも憚られて、にっこりと笑って了解する。
 行き先はどうあれ、要は二人が楽しく過ごせればそれで良いのだ。
「やたっ。ありがとう。じゃあ、これ片付けたら出掛けようっ」
 千里は明るい声で言った。

 やってきたのは二三矢も知っている場所だった。
 ヨハネ・ミケーレが住む教会である。千里、二三矢とも共通の友人であり、神父を職業としている。
「いらっしゃい」
 突然の訪問にも関わらず、ヨハネは驚いた様子もなく歓迎してくれた。
「おっはよー、来たよ、ヨハネ君っ」
 千里の元気な声に、どうやら二三矢が知らないだけで、実はなにか約束があったらしいことに気付く。
 いくら恋人同士だからってなんでもかんでも束縛できるわけがないが、デートのその日に違う男と約束を会う約束をされたら多少はヤキモチも焼きたくなる。
 思わず拗ねた表情を浮かべた二三矢であったが、くるっと楽しげな様子で振り返った千里に笑みを返すために、その表情はすぐに消えうせた。
 もちろん、千里にとってのヨハネは完っ全に恋愛対象から外れていることもわかっている。だが気持ちで理解するのと頭で理解するのは違うのだ。
「さ、どうぞ」
 ヨハネは二人を教会の中へと招き入れた。
「結城さんはこっちですよ」
「え?」
 奥の部屋に向かう千里を追おうとして、かけられた声に二三矢は振り返って疑問の表情を浮かべた。
「えーと、とりあえずこれを……」
 言いつつ、ごそごそと出してきたのは、真っ白い洋服。……広げてみて、驚いた。
 渡された洋服は、白いタキシードであった。
「ヨハネさん、これって……?」
 わけがわからなくて、二三矢は混乱したままヨハネに問い掛ける。が、実直真面目なヨハネにしては珍しく、はぐらかすばかりで答えてくれない。
「すぐにわかりますから」
 そして答えはヨハネの言う通りすぐに――と言っても三十分くらいはかかったが――現れた。
「ちー……」
 ぽかんと、呟く。
 なんと言ってよいのか、言葉が出ない。
 奥の部屋から現れた千里は、純白のウエディングドレスに身を包んでいた。
「似合うかな?」
 千里も千里で少し照れくさいのか、はにかむようにして笑った。
「……」
「二三矢?」
「あ……うんっ。似合うよ、すごく、綺麗だ」
 見惚れて返事が遅れてしまったが、千里は二三矢の心からの賛辞を聞いて嬉しそうに笑う。
「ふっふー、びっくりしたでしょ。バレンタインのプレゼントだよっ」
 照れ隠しなのか急に賑やかな口調で言って、千里は元気にVサインをした。


 ――そう、事の起こりはバレンタインから数日を遡ったある日。
 その日は師匠は出掛けていて、ヨハネは平和でゆったりとした午後を過ごしていた。だが穏やかな時間は、賑やかなノックの音によって破られる。
「ヨハネ君、いるー?」
 パタパタと元気に駆けてきたのは千里。
「こんにちは、千里さん」
 いろいろとトラブルを持ち込んでくる彼女が、今日はいったいどんな話を持って来たんだろうと心の隅でドキドキしつつも、ヨハネは聖職にある者らしい穏やか且つ優しい笑みで千里を迎えた。
「ねえ、ちょっとお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」
 にっこりと笑顔で言われているのに、何故か多少の嫌な予感を覚えつつ。ヨハネは努めて普通の口調で問い返した。
「お願い、ですか?」
「そう、お願い」
 パンっと身体の前で両手を合わせて、千里は告げた。
「あのね、二三矢と結婚式がしたいのっ」
「はい?」
 そう、問い返したきり。ヨハネの思考はぐるぐると内なる疑問にまわり始める。
 千里は十六歳で結婚できない年ではないが、二三矢はまだ十五歳。法律的に結婚なんて無理な相談である。
「ヨハネ君?」
「あ、あのっ、結婚って、その……」
 身近な二人の突然の結婚話と、千里の無茶な相談内容とにしどろもどろのヨハネを、千里はかるーく笑い飛ばした。
「やだなあ、そんなに驚かないでよ。結婚って言っても別に本当に籍を入れるって意味じゃなくて」
「それじゃあ……?」
「二人の婚約の誓いを、教会でやりたいの」
 その一言を告げた時の千里の表情は、真剣だった。
 だから、ヨハネの混乱もそこで止まった。
「教会を使いたいということですか?」
「うん、それと、ヨハネ君に見届け役兼式進行を頼みたいなって」
「えええええっ!? 無理ですよ、僕じゃあ」
 突然振られた大役に、ヨハネはぶんぶんと大袈裟に首を横に振った。
「大丈夫、キミならできるっ!」
 いくら力強く言われたって、無理なものは無理だ。ミサだってまだ一人ではできないし、説教も苦手だし。
 千里の頼みはごくごく内輪のもので、本物の結婚式ではないけれど。だけど、さっきの一言を告げた時の千里の真剣な表情を見ればわかる。
 きっと千里にとっては大事なものに違いないのだ。そんな大役なんてできる自信はない。
「無理ですってばっ。それに教会だって、僕一人でどうこう出来るものじゃないし……」
 確かにヨハネはこの教会に住んでいるが、この教会を任されているのはヨハネの師匠である。
「その辺はヨハネくん、頑張ってっ! みんなが出掛けるように上手く仕向けて。ね!」
 がっしと手を握られて力強く言われる。
「え、え……」
 その勢いに押されて答えるタイミングを失ったヨハネであったが、それがいけなかった。
「それじゃ、頼んだから。よろしくねっ」
 と、強引に引き受けさせられて、結局。
 いろいろと多大な苦労の末、バレンタイン当日、ヨハネが一人で教会の留守を預かるといった状況を作り出したのだ。



 ――二人の恋人同士と、一人の神父と。広い教会の中にいるのは、たったの三人だけ。
 静かな……荘厳、という言葉がぴたりと合う空気が、そこにあった。
 ステンドグラスを通して降り注ぐ太陽の光が、恋人たちを暖かく照らす。
 ウエディングドレスに身を包んだ千里と、白いタキシードをきっちりと着こなす二三矢。
 ヨハネは、緊張しながらも、まるで本物の結婚式のように二つの指輪を二人の前に差し出した。
 二三矢からは千里へは、メレダイヤのプラチナリング――クリスマスの時に二三矢がプレゼントしたものだ。
 千里から二三矢へは、シンプルなプラチナリング。
 そして――誓いの、キス。
 目の前での恋人同士のキスに思わず顔を赤らめるヨハネであったが、ヨハネだって最近は多少なりと免疫ができてきている。動揺というほどの動揺はせずに、約束通り、二人の誓いを見届ける。
 長い――結婚式のというよりは、本当に二人っきりの時に恋人同士が交わすような、長いキスが終わってから、千里は、笑った。
 このうえなく幸せそうに。
 千里が好きで、千里の幸せを自分の幸せとできる二三矢だけでなく。二人を見守るだけの第三者であっても幸せな気持ちを貰えるような――そんな、笑顔。


 そして、誓いの式は幕を閉じる。
 普段着に着替えた千里は、ひょいとチョコを一つ、ヨハネに渡した。
「今日はどうもありがとう。これ、お礼にあげる」
 一瞬きょとんっとしたヨハネであったが、すぐに立ち直って
「どうもありがとう」
 にっこりと笑顔で受け取った。
 瞬間、千里がニッと楽しげな、少しばかり悪戯っぽい笑みを見せた。
「ヨハネ君もがんばらないとねー」
「俺も、応援するよ」
「ええっ!?」
 予想外に振られた自分の恋の話にまともな反応を返すだけの心の余裕はなくて。ヨハネは、わたわたと慌てた様子で答えを探すのだった。